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身近な地震体験記 ~ 気仙沼の唐桑半島から

2011年4月17日:村尾憲治がお伝えします。

震災支援ボランティア活動記 気仙沼の唐桑半島から

□戦後最大の大震災・津波・原発事故の被災者支援で、何ができるか、どう関わっていくべきかをずっと考えていました。ただ支援するだけでなく、私にとっての3.11を考える意味でも現地に立ち、これからの道を模索する意味でボランティア活動に参加しました。長く険しい東北の復興には、内容は変化するにせよ継続的な支援が絶対必要です。復興に向けた支援の輪が広がるよう願いながら、ささやかながら私の体験と感想をまとめました。 

山仲間10人と気仙沼の唐桑半島に

□私は勤労者山岳連盟千葉県連の「ちば山の会」のメンバー、山仲間10人(男7人、女3人)とともに支援活動に参加しました。行く先は、722人の犠牲者を出し、いまでも1420人の行方不明者を抱える気仙沼市でも行政の支援が手薄な唐桑半島の鮪立(しびたち)地区と決まりました。唐桑半島は、多くの小さな漁村集落で構成されており、なかでも鮪立地区の海岸近くは被害が激しく、そこで4月7日から4日間、支援ボランティアの生活を過ごしました。

□私たちはワゴン車など3台の車に分乗して現地に向かいました。支援物資として衣類(防寒具、下着)、生活用品、ノートなど文具、懐中電灯、電池を積み込み、自分たちの宿泊のために冬用シュラフ、自炊用食料(米12キロ、野菜、肉など)を、また作業のために必要な一輪車3台、スコップ7、バール3、のこぎり、大ほうきなども準備しました。

信頼関係で築かれた支援システム

□労山栃木県連のベースキャンプは、唐桑半島の小高い丘の上にある「海岸亭」というレストラン・土産物店の前にある大きな駐車場でした。そこにはイベント用の大型テントの支援本部に炊事場、テーブル、支援物資置き場が設置されていて、千葉から運んできた支援物資を運び込み、そこから被災者に提供するシステムが既に出来上がっていました。

□このような救援システムは、たまたま栃木県連の先行調査隊が「海岸亭」の経営者である小野寺氏と現地で偶然出会い、また労山栃木の森支援隊長と唐桑地区避難所の世話役リーダー、村上信子さんとの間で、支援活動についての信頼関係が構築されたため出来上がったもので、社会福祉協議会や自治体職員などの中間調整なしに、被災者のニーズや要望にこたえられるシステムは実にすばらしいと思いました。

朝礼の様子
(画像・説明:朝礼の様子)

トラックで現場へ
(画像・説明:トラックで現場へ)

敷地の高さが天国と地獄の境目に

全壊した家々
(画像・説明:全壊した家々)

□気仙沼市内はJRの駅までは普通の町並みでしたが、数十メートル海側に進むと津波による建物の倒壊や濁流でのがれきの山。大きな漁船が陸に打ちあげられ斜めに傾いていました。

気仙沼港 陸の船
(画像・説明:気仙沼港 陸の船 )

私たちが活動した鮪立地区は、土台ごと流され跡かたもなくなっている地域と、家は全壊や半壊で残ったものの、家族だけでは手のつけられない状態の地域とがありました。全壊や半壊の家の中は屋根や壁が崩れ、畳が吹きあがり、衣類、寝具、家財道具などがごちゃごちゃに山積みになっており、窓ガラスが割れていたり、ドアが開かないなど、悲惨の極みでした。

電柱に浮き
(画像・説明:電柱に浮き)

ぺちゃんこの家
(画像・説明:ぺちゃんこの家)

その一方では、ほんの数メートル後方の高台には全く無傷で残っている家もあり、同じ村の中でも、海からの距離ではなく、敷地の高さによって天国と地獄の境目があることが残酷さを際立たせていました。湾の中にも家やがれきが浮いており、大型サルベージ船がクレーンで海をさらってがれきを大型コンテナ船に回収していました。

湾内の家
(画像・説明:湾内の家)

鮪立・ボートと車・湾ではクレーンの回収作業
(画像・説明:鮪立・ボートと車・湾ではクレーンの回収作業)

喜ばれた日記やアルバムの回収

□私たちの主な仕事は、全壊、半壊の家の中の残がいを外の庭に出し、依頼のあった位牌、貴重品、思い出の品などを探すことと、半壊の家では、家族が中に入って整理や掃除ができるようにすることでした。家具や水の吸った布団や畳は非常に重くて運びづらく、力と踏ん張りが必要な男の仕事。ドアや引き戸、引き出しなどが水で膨張して開かない場合は、バールでこじ開けたり、チェーンソーで切断して中へ進む。喜ばれたのは写真のアルバムで、かなりの家で回収しました。昭和天皇の額縁入り写真や私が初めて見る教育勅語の額などもありました。中には奥さんの日記も出てきて、そばにいた旦那さんに渡そうとしたら、奥で探し物をしていた奥さんが「見ないでー」と明るい大きな声を上げたので、家族の皆さんの笑いを誘いました。

危なげな家から荷物を出す
(画像・説明:危なげな家から荷物を出す)

つぶれた家の中におじいちゃんが

□「おじいちゃんがつぶれた家の中にいるので探してほしい」という依頼を受け、屋根を壊し、中のごちゃごちゃになっていた布団や家具を出して、スペースをつくりながら探す作業は大変でした。残念ながらご遺体を見つけることはできませんでした。作業が終わった後、開けられた屋根から中をのぞき込んでいる孫の娘さん、そして死亡者の印の赤い旗の横で、ずっと立ち続けていたお兄さんの姿を忘れることができません。

じっちゃんがつぶれた家の中に
(画像・説明:じっちゃんがつぶれた家の中に:赤丸注目!)

□網元の家が2軒あり、大きく斜めに傾いた出入りできない倉庫をバールでこじ開け、梁(はり)をチェーンソーで切断して入り、大量のカキやホタテの養殖網を20人がかりで手渡して移動し回収しました。しばらくは海で養殖はできない状況ですが、復興を信じて海で生きる覚悟を感じました。こうした支援活動は1軒で1時間から2時間で終わり、被災者の方に涙目で深々と頭を下げてお礼を言われるとこちらもグッときながら、「これからも頑張って下さい」と挨拶して現場を後にします。ボランティア支援の一番うれしい瞬間でした。

役立った防塵マスクやカッパ

□私たちは避難所の中には入りませんでしたが、世話役リーダーの村上さんの話では、発生から4週間が過ぎて、施設の避難者の数は、減少しており、支援物資の供配給は、まずまず回ってきているそうです。車で30分から1時間位走ると被災の軽いコンビニやスーパーなども開いており、今後の支援物資については、その場所のニーズをきめ細かく聞きながら支援していくことが必要と思われます。

□支援作業の服装、履物は、割れたガラス、瀬戸物やがれきの木にクギがついていたりするので安全靴か登山靴が必須。ヘルメット、防塵マスク、防塵メガネ、タオル、工事現場用革手袋なども必需品。私は山で着古したカッパ上下を使いました。晴れた日でも家の中の衣類や布団などは浸水で濡れており、また埃もひどいところもあり、カッパや防塵マスクが有効でした。相当汚れるので新しいものは避けたい。ボランティア保険に加入しているとはいえ、自己責任での参加です。かつ支援活動での現場リスクは多く、最新の注意が必要です。

山登りの技術が災害復旧に役立つ

□今回の災害現場での支援活動を通じて、食糧を持ち込み、どこにでもテントを張って寝られて、電気や水がなくても自立して生活ができる山岳会メンバーは、災害ボランティアとして相性が良いことに気がつきました。チェーンソーやバールなど大型の道具を使っての解体作業などは、一人のボランティア活動で出来るレベルにありません。しかし「ちば山の会」には、建設電気工事現場や災害復旧工事を仕事として経験しているベテランがおり、専門分野を活かした活動が出来きました。岩稜登繫の技術は、災害家屋にも通じるものがあり、被災し崩れかけた家によじ登ることなどお手の物。登繫技術も低く、災害ボランティアに経験がない私でも、頼もしい先輩と一緒について、安心して活動出来ました。山とは違った環境で寝食を共にし、チームでの活動や夜の反省会兼懇親会で他の山岳会やボランティアチーム、地元支援者などとの連携やきずなを深められたのも大きな収穫でした。

家登り
(画像・説明:家登り)

支援活動でもらった勇気と元気

□今回の大震災直後から「自分では何が出来るか?」を考え、募金の推進、チャリティや防寒着の送付などを実践してきました。しかし、ボランティア活動で現地入りすることは、自治体の受け入れ態勢が整っていなかったり、役に立つ技術や経験がないために躊躇してきました。今回縁あって、山仲間を通じてボランティアルートが開拓され、現場に立ち、自分の目と体で自分なりの3.11を心に刻むことが出来ました。家族や家を失い苦悩しながらも、必死に耐えながら前に進もうとしている人々や、笑みさえ浮かべながら深々とお辞儀をする宮城人にこちらも勇気と元気をもらいました。

□最後に、東北の復興を祈念しながら……<頑張ろうニッポン!!>

村尾憲治('77経営)

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