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身近な地震体験記  ~ 栃木県大田原市から

4月12日:栃木県大田原市から木村英夫がお伝えします。

 ここ一ヶ月の間、岩手、宮城、福島県での大被害のニュースしか流れておりませんが、3月11日の震災当日は、栃木県北部でも被害は大きかったです。ちなみに、我が大田原市は震度6強、災害救助法適用地域になりました。
※画像はクリックでポップアップします

墓地
墓地

護国神社
護国神社

市役所
市役所

 大田原市は、関が原以来、移封もない大田原藩が納める城下町で、奥州街道の主要な宿場町でもありました。徳川時代には、奥州の備えとして重要な位置を占め、常時、大筒(家康筒)や弾薬、兵糧も豊富に備蓄されておりました。しかし鳥羽伏見の戦いの後、3名の藩士に様子を見に行かせ、いち早く西軍に組しました。

 下野の国で数ある大名のうち、関が原から維新まで、大田原藩と隣町の黒羽(現大田原市)の大関藩のみが、移封、国替えがなかったようで、佐竹藩は下野の国南を治めていましたが、最終的には秋田に移封されています。西軍に組したことにより、徳川を守るための大筒が、皮肉にも東軍攻撃に使われたとは、誰にも想像できなかったことでしょう。

 それと同じように大田原藩が城下町として選んだ町が大地震という天災に見舞われ、歴代藩主の墓石が倒壊するとはユメにも考えなかったことでしょう。

 神職研修の際、座学で風水を学びましたが、実に風水の定石でもある立地に社寺やお寺が建てられております。千年の都となる京都は、都の北部に座山となる鞍馬山、東に東山、西に嵐山、そして二つの川の流れという申し分ない所です。これらを我が町に当てはめてみると、教科書通りでした。

 我が家は奥州街道に面し、家の近くには社寺やお城がある三つの丘が連なり、したがって風水的にも氣の流れの良い所と信じており、戊辰戦争の時の被災と明治の大火しか、大災害があったとは耳にしていません。ところが今回の震災ではお城のある龍頭山から藩主の墓地が麓にある龍体山、その西側にある瀟洒な住宅街が並ぶ龍尾山の三つの丘にかけて被害が集中しました。神社や城跡にも大きな亀裂がはしっていて、いかに巨大な地震エネルギーが襲ってきたかは素人にもわかります。

 我が家の前の丘陵地にある墓地は90%が倒壊、なかには遺骨が露出して片づけが大変だったと住職から聞きました。関東大震災では丈夫と評判だった大谷石の塀も町中で95%も倒壊しました。

大田原神社二の鳥居
大田原神社二の鳥居

藩主の墓地
藩主の墓地

大谷石の塀
大谷石の塀


 3月11日の震災当時、私は職場である女子栄養大学の埼玉キャンパスにおりました。ちょうどオフィスから気分転換に外に出ており、地震を地面の上で体験しました。職場が学校ということもあり帰宅難民にもならず、学校に宿泊することが出来ました。電気も 水、ガスも問題なく、寝袋や美味しい食事も振舞われました。

 JRが不通となっておりましたが、13日に帰宅を決意し、東上線経由で上野駅に出、宇都宮駅まで鉄道移動しました。宇都宮から先の列車運行が無いということで、路線バスを使うか、最悪、友人に迎えに来てもらうより仕方がないと思っておりました。しかし宇都宮駅では、東野バスが災害支援バスとして、氏家駅、矢板駅、西那須野駅そして終点黒磯駅まで運行されていることを知り、友人に西那須野駅まで迎えに来てもらえることになりました。

 渋滞が予想される国道四号線を避け、宇都宮市北郊外の白沢街道(旧奥州街道)を走ると、ブルーシートに覆われた屋根や倒壊した大谷石の塀などが所々で目に付きます。友人に那須塩原駅まで送ってもらい、そこから自分の家に向かって走り出し、ブルーシートの屋根をあちらこちらに見つけ、我が家はどうなっているのか不安に思いながら、向かいました。

神社脇の亀裂
神社脇の亀裂

老舗醤油屋
老舗醤油屋


 庭に車を止め、家の外観を眺めると、屋根も壁面にも異常が見られません。しかし二階の窓がなぜか開いています。恐る恐る玄関を入ると靴箱が散乱しており、二階に飾っておいた装飾品が階段から転げ落ち、玄関にも砕けて落ちています。リビングに通じるドアをあけると、薪ストーブが斜めに倒れ、煙突を支える鎖が切れていました。そして驚いたことに、二階吹き抜け開口部の、書棚が一階リビングに崩落し、ダイニングテーブルが大破していたのです。家にいたら死ぬか、大けがをしていたかと思うと、ぞっとしました。

 各部屋を見て回ると、色々なものが飛散しており、壁紙が破れて壁の亀裂が目立ちます。台所は、話に聞いていたのとは違い、食器類の食器棚からの飛散が予想よりも少なく、幸運でした。これは地震の際に食器棚が開きにくい工夫のされたものだったからでしょう。

我が家の被害
我が家の被害


 町内の同級生の家に行き、工務店を紹介してもらい、見積りを依頼しました。そして家財のみ火災地震保険に入っていたので、保険会社に連絡しましたが、調査員が査定に来たのが4月5日でした。そして評価は家財の半損となり、保険金の50%が支払われる見込みになりました。しかし見積りとは大きく乖離しているので、途方に暮れている次第です。(了)

(報告)女子栄養大 木村英夫('71経経)
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