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リビアとサウジアラビア ~私のなじみの国々

2011年4月4日

 リビアとサウジアラビアはぼくの最もなじんだ国である。1971年3月、革命後間もないカダフィ(敬称略)と単独会見して以来、年に2回は訪ねていた。
 リビアの行き帰りのどちらかで、サウジアラビアに回るのが中東訪問の習いとなった。サウジとの関係は68年にメッカ巡礼を果たし、多くの友人、とりわけ同じ職業のジャーナリストに知己を得たからだ。

 カダフィは69年9月に無血クーデターで政権を掌握した。平均年齢24歳の新政権がまず着手したのは米英両国の軍事基地の撤去で、次に石油会社からの利権料の引き上げ、そして国有化だった。これがイランやサウジを刺激し、産油国対メジャーの「第1次石油戦争」に発展する。ぼくがカダフィ政権に関心をもったのは、なぜ産油大国ができなかった大事業をこんな若い政権が成し遂げたのか、その謎を解きたかったからだ。会見した当時29歳のカダフィは颯爽としていた。「国の先頭に立つ者の報酬は最後でいい」という言葉にぼくは感動した。

カダフィ大佐


 しかし、いま彼の軌跡をたどると、軍事基地撤去と石油国有化で世界最強の英米両国と最大の経済力を持つメジャーを敵に回した。そして、「ジャマヒリア」という彼の造語による直接民主制をとることで、部族の利権を奪い、官僚機構と民間企業を潰した。

 アラブは部族主義という「タテ糸」と、イスラームの「ヨコ糸」で織られた布に喩えられる。このバランスがとれている間は平和であり、繁栄する。

 サウジアラビアは1901年にリヤドを奪回したアブドルアジーズ初代国王は、以後、有力部族と婚姻関係を結ぶことでタテ糸を束ね、サウド家中心の一大部族国家を作り上げた。加えて、イスラームでも戒律の厳しいワッハーブ派イマーム(法学者)を重用、ヨコ糸をも強めた。

 2010年末、チュニジアに始まった「ジャスミン革命」はベン・アリ大統領を追いやり、エジプト・ムバラク大統領を蟄居させ、カダフィを追い詰めて内戦状態にした。40年前、カダフィに煮え湯を飲まされた欧米は、国連を使ってカタールというアラブ小国を巻き込み、イラク・フセイン政権を倒したときと同様なことを開始した。
 一方、独立を要求して戦うパレスチナ人に容赦ない攻撃を加えるイスラエル軍には目を瞑る。アラブの大衆、とくに「ジャスミン革命」を支持する新世代はカダフィ政権を忌避しているが、英国のMI6や米のCIAなど諜報機関の介入は、反カダフィ世論を転換させる可能性もある。

 サウジアラビアはアブダラー国王の信望が国内治安を維持している。その国王も86歳といわれ、スルタン皇太子も数歳若いだけだ。サウジ最大の危機は主要王族の高齢化にある。
 15世紀のアラブ歴史家イブン・ハルドゥーンは「歴史序説」で「遊牧民の王朝は、概ね3世代、120年を越えることはない」といっているが、国王も皇太子も第2世代である。歴史家の予言にしたがえば、第3世代の王位継承者が王朝の命運を握ることになる。

(報告:最首公司 '56文新)
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