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身近な地震難民体験記 ~ 横須賀編

 東北地方太平洋沖地震の被災者の方に、心よりお見舞い申し上げます。被災こそはしませんでしたが、きのうの地震で、私は横須賀にいて、横浜の自宅に帰れず、地震難民となった体験を報告します。

 日に日に被害が拡大する中、不謹慎な言い方かもしれませんが、それは初めての経験で、わくわく・ドキドキする二日間でした。

 2011年3月11日午後2時46分、東北・関東を襲った巨大地震はM8.8の国内観測史上最大、死者・行方不明1450人超でしたが、私は5分後の午後2時51分に横須賀で約1分間の大きな横揺れを感じました。地震の長さは、私がリマ特派員のとき1970年にペルー地震があり、そのときは「もうこの世の終わりか」と思うほど長く、2分40秒も続きました。死者は6万人でした。

 横須賀・汐入の市民活動サポートセンター1階にいて、デッカー米海軍横須賀基地第4代司令官夫妻著『黒船の再来』の校正を10人でしているところでした。

 横須賀市の職員に「皆さん、避難してください」といわれ、私は大きなテーブルの下に隠れる。

 女性たちは自宅に電話しましたが、すでに停電になっていたか、電話が通ぜず、仕事もそこそこに帰宅を始める。

 大津波警報が出たとの市職員の広報に、横須賀学の会の男性陣としても協力しなくてはと早めに切り上げて、5時前に中央駅前の居酒屋「さくら水産」に移動した。横須賀市内の人は徒歩やタクシーで帰宅したが、結局、横浜に住む私と福島与士男さんの二人で飲むことに。

 午後6時になっても普通のバス待ちで飲んでいる武山の女性もいたり、店は八分の入りでしたが、私は生ビールと芋焼酎のお湯割り各1杯、福島氏は生3杯で8時まで、京急開通待ちでねばったものの、横須賀中央駅近くのセントラルホテルに1泊を決意して、会計は締めて4300円。

 ホテルはすでに満室で、断られる。ただ係員の女性はロビーを休憩所に開放していること、公衆電話とフロントの電話をサービスしてくれる。初めてこういうときの親切さを実感する。

 結局、学の会代表の大橋祥宏君の家は富士見町が停電で、電話が不通、佐野町に住む姉の角井桂子宅に世話になることに。すでに9時を過ぎていた。寒いところ平坂を歩いて上ったが、平坂上でバスが通っているのがわかり、それに乗る。

 桂子宅に着いて、ラジオを借りて情報を収集。土日休業の作業所の床に布団を2組敷いてもらい、にわか避難所というか、簡易ホテルに早替わり。暖房が何よりのご馳走だ。トイレも水道も完備だ。電話も使い放題。涙が出るほどうれしかった。姉に感謝、神に感謝。

 でも、枕や布団が替わり、頭がさえて、なかなか眠れない。

 急なことで、催眠剤を不所持だったこともあるか。やっと朝方、ぐっと眠れたが、 寝不足は否めない。


太平洋沖地震で庭の君子蘭の鉢が台から落ちて散乱した(1)

 明けて12日朝6時すぎ、またラジオをかけて情報収集に努めるも、求める京急開通と東横線開通のニュースがなかなか出てこない。NHKより徳光和夫さんのニッポン放送がよかった。やっと8時過ぎに開通の確認がとれた。近くのコンビニに福島さんがおにぎりや水を買いに行ってくれたが、姉から味噌汁と太巻きの朝食の差し入れが。うれしかった。

 9時に礼を言って、水道代・電気代・電話代として2,000円を作業所に寄付して、簡易宿泊所を辞する。

 あとは「帰心矢の如し」でバス、京急を乗り継いで一路横浜へ。妙蓮寺の福島氏とお別れする。

 ちょうど10時に、いつも買物をするダイエー横浜西口店に行くと、なんとそのビル周辺にヒビが入り、臨時休業の貼り紙が。倒壊寸前で廃業の危険も。

 頼まれた買い物ができなくなり、また3月27日で建て替えのため休業するシャルもなくなり、買い物パニックになりかねない。



 10時半、帰宅すると玄関の大鏡が落ちていたが、割れずに無事。自分の書斎の書棚から父の絵葉書アルバムなどが落ちた程度。だが、庭に出てみると、君子蘭などの鉢を乗せた台が倒れて鉢数個が散乱。台を壊して地べたに置いて一件落着。


太平洋沖地震で庭の君子蘭の鉢が台から落ちて散乱した(2)

 同居する孫娘3人も自宅に帰れなかった組。大船の清泉女学院高3年の奈絵と清泉中3年の裕奈は港南台の娘教子の家に泊めてもらい、鎌倉の清泉小6年の美奈は母が夜、車で引き取りに行って朝帰り。

 大橋君の娘さんは夕べ上大岡で足止めを食らい、京急の施設に泊めてもらい、朝8時までには帰宅。

 みんなに、心配をして電話をかけまくったが、ケイタイは使えず、災害時は固定電話に限る。ともかく全員無事で翌日の午前中に帰宅できたのは何よりでした。

 佐々木寛('59外英)
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