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慰霊碑「哀しみの東京大空襲」供養式に出席して

平成23年3月9日
磯浦康二('57文新)

▼広島、長崎の原爆被害に匹敵する犠牲者の数
 ~ 66年前の東京大空襲犠牲者を悼む慰霊祭に出席して・・・


海老名香葉子氏

 今年も3月9日に、上野駅近くの寛永寺輪王殿脇にある慰霊碑「哀しみの東京大空襲」の前で供養式と「時忘れじの塔」記念式典が行われました。66年前の昭和20年3月10日、東京の下町はアメリカ軍機B29の焼夷弾攻撃を受け12万人以上が犠牲となりました。この慰霊碑は、初代林家三平夫人でエッセイストの海老名香葉子さんが寄附を募り私財を投じて建立したもので、供養式には東京をはじめ北海道や長崎などからの遺族ら約1,000名が参加しました。

▼火の中を逃げて、逃げて

 式の主催者の海老名さんは「66年前の3月9日夜半から下町一帯は火の海となり、火の中を逃げて、逃げて・・・家族6人はまだ行方不明のままです。弟は4歳でしたが、どんなに怖かっただろうかと思います。母がしっかり抱いていたそうです。親類全部で18人もの人が3月10日にいなくなりました。思い出す度に泣きます。この悲しみが永久に語り継がれることを願ってやみません」と述べました。

▼逃げられないように四角の炎の壁

供養式会場

 米軍機B29数百機による大規模な「東京大空襲」は昭和20年3月10日、4月13日、5月24日から25日にかけての3回行われ、3月10日は最も被害が多く、2時間余の空襲で12万人以上の犠牲者があったと言われています。しかし正確な公式記録はありません。米軍機はまず目標の4つの地点に目印になる焼夷弾を落とし、それを四角に結ぶように焼夷弾を投下して四方に炎の壁をつくり人々が逃げられないようにしてから絨毯(じゅうたん)爆撃を行い炎の壁の中の人々を、家もろとも焼き殺しました。また下町は川にかかる橋が多く逃げる障害となり被害を大きくしました。

▼許可されなかった慰霊塔の建立

 ヒロシマ、ナガサキの原爆被害に匹敵する犠牲者がありながら、東京には公的な慰霊施設はありません。東京両国の「東京都慰霊堂」に関東大震災の慰霊施設に、間借りのような形で10万体以上の遺骨が納められています。敗戦後、東京都の戦災犠牲者を祀る施設建設が計画されましたが米軍は許可しませんでした。昭和22年2月24日発行の「戦災者慰霊塔建立について」という東京都の公式文書があります。それには、アメリカ占領軍司令部の考えとして「日本国民に戦争を忘れさせたいのである。戦災慰霊塔を見て再び戦争を思い出させることがあってはならない。だから慰霊塔の建立は許可しない」とはっきり書かれています。

▼海老名香葉子さんが私財を投じる


慰霊碑

 その後、占領軍司令部GHQから「震災慰霊堂こそふさわしい」という示唆があり現在の形になったのです。戦争の犠牲者と天災の犠牲者を一緒にするのはおかしいという声があったのですが占領中は言うことを聞くほかはありませんでした。しかし、米軍の占領が終わった後も日本政府や東京都は、アメリカの意向を踏襲したのでしょうか、公設の慰霊施設を一切つくろうとしませんでした。

 いくら運動しても、らちが明かず海老名香葉子さんは寄附を募り私財を投じて、戦後60年の平成17年3月9日に慰霊碑「哀しみの東京大空襲」を建立したのです。

▼焼夷弾の落ちる中を逃げまどう

 私は、昭和20年4月13日の2回目の東京大空襲に遭い、家族5人で焼夷弾の雨霰(あられ)と落ちる中を逃げまどいました。幸い家族は無事でしたが家も入学したばかりの中学校も焼けました。見渡す限りの焼け野原を眺めて茫然としていたことを、はっきり覚えています。3月10日ほどではありませんでしたが、黒こげの焼死体をたくさん見ました。あの時、幸い助かりましたが一歩間違えば焼夷弾に当たっていたかもしれない、炎に追われて死んでいたかもしれない、家族が被害に遭えば孤児になっていたかもしれないと思うと本当に人ごととは思えません。

▼粗末な犠牲者の扱いに腹が立つ

 毎年、上野の供養式で思うことは、道路に面している慰霊碑の前で行われるので、道路の3分の1位に縄を張ってパイプ椅子を並べるのですが、多くの人々の後ろをひっきりなしに車が通ります。読経が続く間も「ハーイ車が通りますヨー、気をつけて!」と係の人が声をからしています。せめて式が行われている1時間くらいは車を通行止めに出来ないのでしょうか?

 12万人以上の犠牲者を考えると、あまりに粗末な犠牲者の扱い、今でもアメリカの意向にそっているとしか思えない日本政府や東京都に腹が立ちます。(了)
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