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上智大学・石澤良昭学長講演報告 ~ カンボジアで人材養成20年~

「国境を越えた強固な信頼関係の構築
 ~ カンボジアで人材養成20年 ~
上智大学・石澤良昭学長(1961.外・仏卒)講演報告
2011年1月13日:四ツ谷主婦会館プラザエフにて




 石澤良昭・上智大学長は、1月13日(木)の東京・四谷倫理法人会主催の講演会(イブニングセミナー)で「私がカンボジアのアンコール・ワットで遺跡修復活動を続けてきたのは、ポルポト政権時代に殺されたカンボジア人の遺跡調査の仲間30数人と誓い合った約束を果たすためだった」「貧しいのに信仰を糧に生き生きして生活しているカンボジア人に日本人は学ぶことがたくさんあります」など、修復作業を通じて築いてきた日本とカンボジアの国際交流についての具体的体験を披露した。

 石澤学長は「上智大学はカトリック大学で、世のため人のために惜しみなき奉仕の精神を実践することです」と、国際化とは何かについての体験を語り始めた。

■国際化とは何か

 「国際化、グローバル化とは何か。どこかにグローバル化した社会があって、そこに出かけていくことがグローバルになるのではありません。私たちの大学では日常的に食堂では留学生同士がご飯を食べながら日本語、英語、スペイン語などで『これおいしい』などとしゃべり合っている光景があります。これが地球社会、地球市民なんだと思います」

 こうした当たり前のことを石澤学長はカンボジアでアンコール・ワットの遺跡の修復活動を通じて始めた。1960年代から修復活動にかかわっていたが、カンボジアでは5つの派に分かれて内戦が始まり、ポルポト時代には150万人が虐殺された。その中には修復活動で知り合った30数人のカンボジア人の仲間もいた。

 「私は彼らと誓いをたてていました。一緒に遺跡を直そうなと。フランス人は『彼ら(カンボジア人)はダメだから、俺たちがアンコール・ワットを直しているんだ』と言うんです。しかし現場で一緒に仕事をしていると、彼らは優秀なんですね。感性も豊かだし、その尊敬していた仲間が30数人も死んでしまったんです」



(パノラマのような景色:フランスによってリプロデュースされた部分もある)

■生き残った仲間から手紙

 日本に帰国して15年たった1980年のある日。虐殺を免れて奇跡的に生き残った3人の仲間から手紙が届いた。カンボジアに取材に行った日本人特派員に託したのだった。

 「みんな、いなくなった。助けてほしい」
まだ内戦は続いていた。当時、石澤学長は鹿児島大学で教えていた。カンボジア行きに反対する大学当局には連絡せずにカンボジアに入った。タイのバンコクから医薬品を運ぶ国際赤十字の飛行機に便乗させてもらったのだ。

 「西側の遺跡専門家として15年ぶりにカンボジアに入ったんです。ジャングル、ジャングル。遺跡周辺は水がたまり、遺跡の砂岩には黒カビがついていました。高松塚古墳と同じ黒カビで、砂岩を溶かしてしまう。そういう
危険な状態を調査して帰ってきました」

 その記事がバンコク特派員により日本の新聞に掲載された。鹿児島大学からは「2度と行ってはならない」と申し渡されたため、上智大学に移り、カンボジア行きの機会を待った。

■息づく輪廻転生の信仰

 カンボジアは内戦で疲弊したが、地震、台風、洪水といった自然災害のない豊かな国だ。米も三毛作が可能だが、運搬するトラック、貯蔵する倉庫がないため年一回の収穫で済ませている。高床式の住居は風の通り道に建てると涼しく、過ごしやすい。

 「衣食足りて礼節を知るということわざがありますが、衣食住が十分だと人間は来世のことを考えることになるんです」

 カンボジアでは極楽浄土とは涼しい風が吹いている、おいしい料理が食べられる、天女がかしずいてくれる場だと言われている。小さな鳥にもミミズにも来世はある。この世で良い行いをすると来世では位の高い人になるという輪廻転生の信仰が息づいている。

 「村々にお寺があり、一生独身で身を清め尊敬されているお坊さんがお経をあげ、極楽浄土へ向かう一つの見本を示してくれている。毎朝、托鉢に来るお坊さんが街角に立つと、お化粧して身ぎれいにした婦人たちが最敬礼してご飯を差し上げる。生れて生きて死を迎えるまでの人間の生きざまをお寺を中心に見て育つ社会では、キリスト教も入らなかったのは当然かと思います」



■人材養成に10年

 アンコールワットが建設された当時は紙がなかった。ヤシの葉にお経や伝達事項が刻まれたが乾燥し消えてしまう。

 「そのため王様の命令は石の壁に刻み込まれた。この1200ほどある碑刻文の解読が1930年代から進み、その時代のカンボジアの人々が何を考えていたかといった生きる証が分かってきた。その点ではアンコール研究という学問は若い学問で、まだまだわからない、不明朗なところがある。これからやらねばならないことがたくさんあるんです」


(レリーフ:閻魔大王にささげられる王女(中央)―王女であろうとも、最後は極楽浄土に行くか地獄に行くかの判断をされる。左に並ぶ女官逹の王女はどちらに行くのだろうという不安そうな表情が表現されている)

 カンボジアは東南アジアのギリシャと言われている。文化的には高度だが、戦争では連戦連敗を続け、領土はタイ、ベトナムに没収され、縮小されてしまった。

 「そんな国で遺跡の修復をするには人材養成が必要です。遺跡修復の場合、どこの国も自分たちの国から専門家、技術者を連れていき、現地の作業員を使って直していく。それも一つの方法ですが、私たちは現地の人にやってもらう。その代わり方法論や技術的などを教えます。そうすると彼らは力を発揮してきます。彼らは建物を建てたり、土木工事も得意です。アンコール・ワットの西参道の石畳の修復には16年かかりました。実は、そのうちの10年は石工のトレーニングに費やしました」

■参道の石畳に8000個の石

 アンコール・ワットの西参道の石畳は約100メートル。8000個の石を敷き詰めるのだが、石を水平に、しかも真っすぐに切るのは大変な訓練と技術を必要とした。

 「西参道に日よけのブルーシートを張って作業を続けたのですが、国賓の人たちが見学に来ると『目障りだから外せ』と言ってくる。しかし私たちは外しませんでした。あの暑いところでカンボジアの人たちが黙々と作業を続けたのは彼らの信仰心を高め、そして修復に携わったという誇り、自慢にもなった。父親が仕事をしているのを母子が見に来て名前を呼んだり、手を振ってこたえるシーンは度々見られました」


(西参道修復の様子)

 西参道の修復と並行して91年からアンコール時代の歴史解明にも取り組んできた。それはアンコール・ワット遺跡群の一つであるバンテアイ・クデイ遺跡での保存、修復、発掘活動である。アンコール・ワットから東北6キロのところにある12世紀末ころの遺跡で、毎年3月,8月,12月に現地の大学考古学部の学生たちが日本の考古学の先生から基礎的なことを学びながら発掘する実習を繰り返してきた。

■歴史を塗り替える大発見


(2001年 カンボジア人の手により発掘された現場)

 「10年目に当たる2001年3月と8月の研修の最中に、約1000年前に埋められた274体の仏像が地中から出てきたんです。私たちはそこに廃仏が埋められているとは全く知りませんでした。これはちょっとやそっとの話ではなく、150年アンコールを研究してきた、その歴史を塗り替える大発見になった。何よりも良かったのはカンボジアの人たちが喜んでくれたんです。虐殺があり、貧困で、いつもうつむき加減の生活をしていたカンボジアの人たちが『俺たちの文化は世界に発信できるすごいものなんだ』『それを自国の学生たちが掘ったんだ』と、本当に元気の源になったんです。文化はこころの充実を満たしてくれるんですね」

 2010年8月には7人の研修生がさらに6体の廃仏を掘り起こした。前日の土砂降りの雨で土が流されたあとに、仏像の頭頂部が地表に出ているのを遊んでいた子どもたちが見つけ大騒ぎになった。1時間もたたないうちに200人位の村人が集まってきた。


(後ろで様子をうかがう子供逹 →仏像の頭頂部)

 「ちょうどその日は満月で、しかも仏日と言って、めでたい仏さんの日だった。それでみんな手に手にローソク、線香、そして供え物のバナナを持ってお参りに来ました」



■大学総がかりで英語力アップ

 講演会などで「上智大学はカトリックなのに、なんで仏像を掘るのだ」という質問がよく出るという。

 「その答えは困っている人たちを助ける、そういう方たちに元気を出してもらうというのが私たちのミッションだと思っています」

 上智大学は18年間、カンボジアの優秀な学生を日本に留学させ、大学院を修了させるなどの世話を続けている。英語ができない学生にも修士論文、博士論文を書かせるため上智大の英国人や米国人の神父たちが最初のABCから教えている。

 「大学総がかりで彼らの英語力アップに取り組むのです。そして一番いいのは修士論文を書くために必要な単位をとったら、いったんカンボジアに帰すんです。そしてこれとこれと調べてこいと言うと、まだ誰も調べていないテーマですから、オリジナリティーが高いわけです」

■蚊攻めにまいった現地指導

 現地指導も欠かさない。あるとき、メコン川を渡ったところの遺跡近くにある貝塚を調査している学生を指導するため訪れたときのことだ。

 「貝塚の穴を見て、具体的に指導したまではよかったんですが、夜になったら蚊が出てきて私は刺された。現地の学生は慣れているため何でもないんですが、私はかゆくてかゆくてたまらず、散々な目にあいました。誰も行けない所で、問題をとらえて論文を書くわけですから、世界では唯一の論文になる」

 そうした形でこれまでに博士号を取った学生は7人。修士号を取った学生は13人にのぼる。全員カンボジアに戻り、最初に博士号を取った人はプノンペン大学の副学長に就任、他にも文化芸術省の次官など、要職について活躍しているという。


(上智大学アンコール研修所)

■持続可能な支援の手本に

 石澤学長は講演で、国際交流の哲学である「カンボジア人による、カンボジアのための、カンボジアの遺跡保存修復」ということを自ら実践し、グローバルという場所はなく、信頼関係に基づいた日常的な当たり前の地球市民であることがグローバル化であると強調した。国際協力の一番の問題である「持続可能な支援―Sustainability」を文字通り実践し、アンコール・ワット修復活動への取り組みが国際開発の手本になり得るものであり、上智大学の国際性、ユニークさを見事に浮き彫りにした講演だった。

 アンコール・ワットが11世紀には世界で京都を抜いて、4番目の人口を擁していたこととか、マルコ・ポーロの「東方見聞録」でいうジパングが通説の日本でなく、アンコール・ワットを指しているなど、会場からの質問に答えていた。会の参加者は約150名と、盛況な講演会だった。




(写真:石澤学長と筆者)

 石澤学長は第2回(1992年)コムソフィア賞の受賞者で、主な著書は、「アンコール・王たちの物語」(NHK出版)、「アンコールからのメッセージ」(山川出版)、「アンコール・ワットの時代」(連合出版)、「東南アジア多文明の発見」(講談社)など多数。

参考URL:Sophia University Angkor International Mission 

(報告:松村裕幸―1970年外・ポ、山田洋子―1977年外・独)

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