最新記事

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
-

Comment

Comment Form

Comment Form
管理者にだけ表示を許可する
-

Trackback

Trackback URL

47

【短期連載:第3話】「報告 アフリカ現場体験26年~中国・アフリカ・国連」

松村裕幸
前WFP(国連世界食糧計画)ギニア・ビサウ代表
上智大学外国語学部ポルトガル語科1970年卒

------------------------------------------------------------------
第三話 中国とアンゴラ
------------------------------------------------------------------
アンゴラ:資源大国、極端な貧富の差の国
首都ルアンダ:国連での日当の一番高い都市


(写真:アンゴラの地図)

アンゴラは、南部アフリカに位置し、北はコンゴ民主共和国とコンゴ共和国、南はナミビア、東はザンビアと国境を接し、国土面積は日本の約3.3倍で、アフリカでは7番目、世界では23番目と大きな国です。鉱物資源の大国でもあります。資源大国の故に、米ソの代理戦争になった国です。人口は約1900万人。1961年よりポルトガルからの独立戦争を始め、1975年に独立を果たしますが、その後、内戦が続き、2002年4月の国内紛争終結後、鉱物資源、特に、石油輸出で急速に経済発展をしております。しかしながら、貧富の差が激しく、2009年の国連の人間開発指数でも182カ国中、未だに、143位と、社会開発が低く、特に、教育、医療、衛生の分野でまだまだ、遅れた国です。

▼ルアンダでフリーパスの中国人

2002年6月に約2年弱の日本勤務後、再度、アフリカのアンゴラへ赴任した時のことです。
成田から香港そして南アフリカのヨハネスブルグへと約10時間の飛行機の旅でした。ヨハネスブルグに到着してびっくり。アンゴラの首都ルアンダ行きの待ち合わせには、なんと、7割もの中国人の旅行者でごったがえしておりました。そのほとんどが、労働者のような感じの人たちでした。
ルアンダに着くと、タラップの下に中国大使館員が待ち構え、フリーパスでどんどんと飛行場を後にするではないですか。私は一般乗客と一緒で、パスポート・コントロールに2時間以上もかかり、その上、荷物の検査で、日本から持参した日本のレトルト食品の赤飯にたいして、良く説明した後、一目で何であるのか分かった筈なのに、「輸出許可証が必要」といいがかりをつけられ、結局、飛行場を出るのに、3時間もかかりました。税関員はガゾーザ(賄賂金)が欲しかったようです。

▼中国人への特別待遇

当時のアンゴラは、40年以上続いた内戦が2002年4月にようやく終戦締結になり、治安上の問題で、飛行場の管理が厳しいということは、話には聞いておりましたが、一方で、中国人への特別待遇には驚きました。国内の飛行場でも驚くなかれ、パスポート・コントロールと荷物検査が行われる。
その年の8月には、スペイン人のOCHA(国連人道調整局)の職員が、ルアンダの飛行場で無線機を手荷物に持って飛行機に乗ろうとしたという理由だけで逮捕され、3日間、拘束されるという事件もありました。それが私の頭に入っていたので、中国人に対する待遇には、あらためて恐れ入りました。


(写真:地雷で破壊された橋)


(写真:はしけ、地雷で橋を破壊)

▼いたるところに地雷が埋設

内戦終了後、我々は、反政府軍の兵士の収容キャンプに食糧を配るために、精力的に仕事をしました。キャンプは戦略的に、州境に置かれていたため、道なき道を食糧を積んだトラックとともに、向かいました。出発に際しては、地雷が敷設されているとのことで、Halo Trust(ハロー・トラスト)という英国の地雷除去の団体と連絡を取り合い、地雷の無い道を進むことにしました。1時間に20キロしか進めない道をトラックと共に、動くのは重労働でした。
戦争で、道路・鉄道・橋・発電所・農地・学校・病院が、戦略的に政府(MPLA)・反政府軍(UNITA)双方の攻撃の対象になり、地雷が敷設されました。橋が破壊されたため、川を渡る手段は簡易のはしけでした。その後、雨季に入り、私たちが通行した同じ道で地雷が爆発して、民間のトラックの運転手が死亡したそうです。地雷は、雨季になると動き始め、道路の端から真ん中へと移動します。命びろいをしたことになります。アンゴラでは地雷の問題は日常茶飯事で、同じような経験をしたことは3度あります。英国のプリンセス・ダイアナが地雷撲滅のために最後に訪れた国がアンゴラです。




(写真:プリンセス・ダイアナの記念切手)

▼中国製の地雷の多さにびっくり

そんなわけで、アンゴラの地雷の状態を調べざるを得なくなりました。ハロー・トラストだけでなく、NPA(ノルウェー人民援助)という地雷撤去の団体と一緒に、地雷の調査にも出かけました。NPAのネルソン・ドミンゴス氏に依れば、アンゴラには人口の数より多い2千万個以上に上る対人地雷と対戦車地雷がウアンボ州をはじめとして、アンゴラ全域に敷設されており、その地雷の製造元は旧東ドイツ、ルーマニア、ロシア、チェコ、中国だそうです。ネルソン氏の話では中国製の地雷はなかでも多いと聞き、同じ東洋人として、深く考えさせられました。ただ40年以上の独立戦争と内戦で、地雷がどこに埋められたかは全く、不明とのことでした。というのも地雷を埋めたポルトガル人、キューバ人、アンゴラ人の多数が死亡してしまっている。そして40年にわたる長い戦争のためどこに地雷を設置したかのデータが完全に失われているためでした。そのため地雷敷設の地図、地雷数はあくまで、推定の域にすぎないとのことでした。


(写真:地雷で破壊された発電所)


(写真:地雷で破壊された戦車)

▼鉱物資源の宝庫アンゴラ

アンゴラは石油、ダイアモンド、鉄鉱石、ウラニウム、金などの資源を持ち、一説には有名な映画になった“ソロモンの財宝”の国のモデルではないかと言われた国です。(作者のライダー・ハガードの本では、ジンバブエのようですが・・・)
MPLA(政府側)は海岸線を抑え石油資源(アフリカ第3位の生産国)をもとに、UNITA(反政府側)は内陸部を抑え、ダイアモンド(世界第5位の生産国)を資金源として戦争を続けました。鉱物資源のみならず、アンゴラは独立前はコーヒーの有数な輸出国でした。独立前の1970年には世界で4番目のコーヒー生産国で、22万トンあった生産が30年後はわずか1000トンです。戦争で、国内を逃げ回った人たちはコーヒーの木を薪に使われざるを得ませんでした。

中国の現在の世界進出とその経済発展の繁栄の背景には、アフリカへの進出が大きな原動力になっています。つまり、アフリカ進出なくして、中国の現在は無いと断言できます。特に、アンゴラは中国のアフリカ進出の大きな足場になった国です。次回第四話「中国のアフリカ進出」では、中国のアフリカ進出を数字で分かりやすく説明します。<第二話へ> <第四話へ>


------------------------------------------------------------------
 <筆者近影>
 松村裕幸(上智大学外国語学部ポルトガル語学科1970年卒)
 前WFP(国連世界食糧計画)ギニア・ビサウ代表
 第12回(2002年)コムソフィア賞受賞
------------------------------------------------------------------
スポンサーサイト
0

Comment

Comment Form

Comment Form
管理者にだけ表示を許可する
0

Trackback

Trackback URL

検索フォーム
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
Return to Pagetop
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。