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【短期連載:第1話】「報告 アフリカ現場体験26年~中国・アフリカ・国連」

松村裕幸
前WFP(国連世界食糧計画)ギニア・ビサウ代表
上智大学外国語学部ポルトガル語科1970年卒
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はじめに
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中国に関するニュースは、今では、世界各地で、報道されております。
世界的な新聞Herald Tribuneもその紙面で、扱わない日がないほど、中国の記事は良くも悪くも、世界をかけめぐっています。

先月6月も、スペインの南の端のCadizの町に行ってみて、衣類・雑貨の店の殆どは中国人が経営して、朝から晩まで、働き、そのお店の数の多さと共に、PIIGS(Portugal, Ireland, Italy, Greece and Spain)の一環である不況下のスペインで、閑散としたお店と違って、例外的に、お客で混雑しておりました。

アフリカでも例外ではなく、逆に一層、中国の進出が顕著です。

地雷撤去の現場
(現地に赴任したばかりのときの地雷撤去の現場での写真)

私は、国連世界食糧計画の職員として、1982年2月より2000年7月までアフリカに勤務し、2000年8月より2002年5月まで、一時日本に戻り、2002年6月より、また、アフリカに再赴任し、今年(2010年)2月までの通算で、26年のアフリカ勤務となりました。

勤務先は、モザンビーク、マラウイ、ナミビア、カーボ・ベルデ、ギニア・ビサウ、アンゴラの6カ国ですが、アフリカ53カ国のうち、勤務先を含めて、国際会議、出張で、25カ国を訪れました。

アフリカは面積で日本の約80倍の大きさで、旧宗主国との昔から関係で、飛行機の運航はアフリカ各国と各宗主国との間で行われ、アフリカを横断することがかなり大変です。そんなわけで、冒険とは違って、勤務で、25カ国を移動することは、難しいことでした。その経験は1999年アフリカ横断記というレポートで、FAO・WFPの職員組合の機関紙にレポートしました。

詳細なレポートはまた別の機会として、今回は、コムソフィア・オンラインへの掲載と言うことで、「2002年以前と以後で、アフリカは何が変わったか」を柱として、以下のように、中国とアフリカ、国連とアフリカ、そして中国と日本とアフリカの関係を述べて、最後に、では「日本はどうしたらよいか」というわたしなりの提言をしたいと思います。

第一話:アフリカ26年勤務でアフリカは変わったか

第二話:アフリカの現実 - ギニア・ビサウの実例

第三話:中国とアンゴラ

第四話:中国のアフリカ進出

第五話:資源を持ち去る中国

第六話:形骸化する国連、- 始めての合同事務所

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第一話:アフリカ26年の勤務 その間アフリカで何が変わったか
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africaMAP
※香高堂風信記より拝借
http://www.deskm.co.jp/kotaka/kdf02/ds2.html

2002年6月に南アフリカのヨハネスバーグ空港からアンゴラのルアンダまで南ア航空で飛んだ記憶は未だ鮮明で、忘れられません。乗客の7割近くが中国人で、ルアンダの飛行場に着くと、パスポート・コントロールに長蛇の列で並ぶ乗客(一人20分近く、パスポートの検査にかかる)。一方、中国人は、待ち受けた大使館員の指示で特別待遇あつかいで、すいすいとパスポート・コントロールを通過し、荷物の通関もフリー・パスでした。こちらは、スーツ・ケースを開けるように命令され、開けると、日本から持参した日本食品にいいがかりをつけられる始末でした。20年前の1982年に始めて、パリから、モザンビークのマプトへと飛んだ時とは、大きなコントラストです。アフリカの通常的な飛行機での混乱があり、そのおかげで、乗客と知り合いになりましたが、乗客のなかには、チリのアジェンデ政権で政府の上層部にいて、独裁者ピノチェから逃れたチリ人とか、東欧からのCooperanteと呼ばれる人たちでした。まずは1982年当時と2度目の赴任の2002年で最も変化のあったことをまとめます。

■アフリカなくして日本の産業が成り立たない事情
先ず第一に、アフリカ-日本とは関係ないやと思われるかもしれませんが、今や日本もアフリカからのレア・メタルのタンタライト(コルタン)の輸入無しには、携帯電話もDVDもパソコンも生産出来ないのが実情です。それに、自動車の排ガスを浄化するのに使用される白金、車体用に鋼板を強化するためのクロムなどの輸入がアフリカから途絶えてしまえば、日本の自動車産業もなりたちません。1970・80年代は、アフリカからの輸入と言えば、エジプト・スーダンからの綿花が殆どでしたが、今では、魚(たこ、いか、えび、まぐろ)や果物(グレープ・フルーツ)からワイン、コーヒーまでアフリカ産のものがスーパーで良く見られます。

中国の建設会社の看板
(中国の建設会社の看板(アンゴラーロビト))

■中国のアフリカ進出
20年前の1982年に初めて、パリからモザンビークのマプトへと飛んだ時には中国人の姿はほとんど見かけませんでした。
ところが2002年から2005年まで勤務したアンゴラでは中国人の労働者が大量に道路、鉄道の復旧工事、住宅建設に携わり、2005年から2007年まで居たカーボ・ベルデではチャイナ・タウンが出現、2007年から2010年まで勤務したギニア・ビサウでは、中国が、政府官公庁の建物の建設(Capitol Hill)を請け負い、2010年中には、完成予定といった具合に、中国のアフリカ各国への進出は目覚ましく、ヨーロッパ諸国に代わって中国のアフリカ支配が強まっています。

中国製品SONNYの写真
(中国製品SONNYの写真)

■韓国製電気製品と車と携帯
西アフリカのセネガル、カーボー・ベルデ、ギニア・ビサウでは、新築のホテルではエアコン、テレビは韓国のLGが、いたるところで見られ、日本の家電製品は見られなくなりました。家電品を扱う店でも、同じ状況です。
アンゴラでは車も日本車の中古品とトヨタのランド・クルーザーを除いて、韓国のヒュンデイ(現代)自動車が増加していて、携帯にいたっては、韓国のサムソンがアンゴラ、カーボ・ベルデ、ビサウで圧倒的なシェアを誇ります。

サハラ砂漠以南の国の携帯の平均普及率は2000年から2005年で2%から11%で、2010年ではその率はほぼ40%近いと推定されます。

中国製の電化製品はSonyと紛らわしい名前のSonnyという商品が堂々とビサウの4つ星ホテルに設置されておりました。それに、乾電池の品質の問題で液漏れがひどく、ソニーのマルチ・バンドの短波ラジオをだめにしてしまいました。

■南ア航空の路線拡大と南ア資本の進出
南アフリカの悪名高かったアパルトヘイト(人種隔離政策)が1991年、撤廃になり、1994年マンデラ氏が大統領に選出されて以来、南ア航空に対する欧米とアフリカ各国の制裁解除によって、南ア航空はヨハネスブルグ空港をハブとして、アフリカでの路線を拡大しています。

アメリカへの路線は以前はアメリカの制裁によって運航していたカーボ・ベルデのサル島経由の路線は2007年をもって、廃止されました。南アは、制裁を受けたために、1975年にサルの飛行場へまるがかえの投資、建設をしました。今では、セネガルのダカールまで路線が拡大し、西アフリカへの路線がかなり便利になりました。ただ、西アフリカではガンビア-ビサウ、ビサウ-コナクリのように隣国間の路線は存在せず、まだまだ運航には時間がかかりそうです。

南ア航空の路線拡大だけでなく、南ア製品(ワイン、果物、衣類)及びスーパー・マーケットが南部アフリカ諸国で頻繁で見られます。それに、南アの携帯電話会社MTNの進出も見られます。

戦争で破壊された建物
(戦争で破壊された建物(アンゴラーウアンボ))

■内戦の終結
東西冷戦の終了の影響で、2002年に40年に亘った内戦のアンゴラ、それに、モザンビーク、リベリア、シエラ・レオーネ、コート・ジボアール、ルワンダ、ブルンジなど、長かった内戦が終了した国が長いトンネルから抜け出し、ポジテブな半面、残念ながら、スーダン、ソマリア、コンゴなどでは未だに、内戦が続いています。特に、スーダン、コンゴでは、依然として、資源・民族・宗教問題によって難民問題を抱え、地域紛争に拡大しております。

変わらない事と言えば、次の問題です。

■ガバナンスとマナージメントの問題
国を管理・運営することが、なかなか、出来ず、税金を徴収することが、
満足に進まず、汚職とドラッグに結びつき、国の混乱を招いていること(アフリカのエリートはその国の約40%を海外に資産として保有、アジアは6%とのこと)

■基本的なインフラの問題
水道、電気は多少は改善しつつも、まだまだ、満足できるレベルに達していないこと (サハラ砂漠以南の国で電力を受給できる人の割合は平均で26%) 道路の舗装率が20%以下とまだ低いこと

■ハード・ミニストリー vs ソフト・ミニストリー
大蔵省・陸軍省と農林・厚生・文部省の力関係が雲泥の差で、農業・医療・教育への予算の配分が少ないこと
社会風習(葬式、結婚、割礼)が保守的であること、統計が信頼出来ないことなど

今回は以上です。次回第二話は西アフリカの小国ギニア・ビサウでアフリカの現実を取り上げます。アフリカの縮図と言える国です。<第二話へ>


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 <筆者近影>
 松村裕幸(上智大学外国語学部ポルトガル語学科1970年卒)
 前WFP(国連世界食糧計画)ギニア・ビサウ代表
 第12回(2002年)コムソフィア賞受賞
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