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第23回マスコミソフィア会総会が無事終了

井上ひさしさんへの黙祷から始まった総会・・・

23kaisoukai16月12日(土)13時よりカトリック麹町 聖イグナチオ教会 1F ヨセフホールにて「第23回マスコミソフィア会総会」が学生を含めマスコミソフィア会会員約80名が参加して開催されました。



元日本テレビアナウンサーの菅家ゆかり(56文新)さんの司会のもと、まずは去る4月9日、肺がんのため死去された井上ひさしさんを偲んで全員で黙祷を捧げました。
続いて新田三千典(34文哲)総会実行委員長の開会の言葉を皮切りに、濱口浩三会長(19専新)のご挨拶などあって、2009年度活動報告、2010年度活動計画、会計報告が発表され、すべての議事について、無事に満場一致で承認されました。


そして、第20回を迎えるコムソフィア賞の授賞式では、20回の節目にふさわしく、同時通訳の草分けでもあり、現在、立教大学の教授を務める鳥飼玖美子さん(44外西)と、特別賞に、フランシスコ会司祭で、長年大阪釜ヶ崎で福音を説いている本田哲郎さん(40文哲)のダブル受賞となりました。速報として受賞者の講演のダイジェストを紹介します。




鳥飼玖美子さん(1969外西:現、立教大学教授)
人生は偶然の積み重ね・・・

torigaisan上智大学イスパニア語学科2年の春に同時通訳を始めた。
英語は高校時代から得意だったので大学は英語ではない語学を勉強しようとイスパニア語学科に入学。
スペイン語のシャワーを存分に浴びているそのとき・・・・
1年生のときにたまたまかかってきた英語の電話で、ヒアリングは衰えていないと思ったが昔のように英語が出てこないことに気がついた。
そこで英語は日常でトレーニングしようとアルバイトをすることにした。
国際がん学会でのアルバイト。ここでは受付などを担当していたが、たまたま行った同時通訳ブースで衝撃が走った。
同時通訳している人たちは年配の人たちだと思っていたら、自分と同じくらいの若い女性がやっていた。
私は英語をろくに使わなくても済む受付、この人たちは世界を舞台にしたがんの最前線で英語を使っている・・・
これを機会に同時通訳に興味を持つことになった。それから英語の同時通訳の仕事をすることになる。
4年生のとき、テレビでの同時通訳の仕事が舞い込んだ。これがマスコミでの初舞台となった。
当時女性の同時通訳者はまだマスコミにはあまり登場していなかったため注目が集まったのだと思う。
今回のコムソフィア賞は私のマスコミでの活動が評価されたのだと思っている。
しかし、その後、同時通訳の表舞台から退いたときがある。2つ理由があった。
ひとつは、当時同時通訳の神様と言われていた國弘正雄先生の言われていた「自分の好きな曲を楽しく歌う」ということ。
様々な同時通訳の活動を通じて、そろそろ自分の言葉で英語をしゃべりたいと思っていた。
もうひとつは、30代になって子育ても大事にしたいと思ったからだ。
そのときに上智大学で学んだことが頭をよぎった。「自分の視野を広げることがなにより大切」
子育てを大事にしながらでも視野を広げることはまだまだできると思った。
イスパニア語学科で学んだ、極めて当時の語学教育としては最先端だったその手法を子供たちの英語教育にも役立てられるのではないか。
1975年頃、当時自民党参議院議員であった平泉渉氏と上智大学教授の渡部昇一氏との間で英語教育において『英語教育大論争』が起きていた。
その論争は「平泉・渡部論争」と呼ばれ、受験のためだけの英語教育になっていると思った平泉氏が「実用英語教育」を掲げるのに対して、渡部氏はいやいや受験英語こそ日本人の知的訓練に役立っていると主張していた。
そこで大学院に編入し、子育てをしながら「英語教授法」を学ぶことになった。
いまでも受験英語が役立つのかはたまた実用英語が役立つのか決められるものではないが、子育てのブランクによって私の英語教育に対する考え方を改めて見つめ直すきっかけとなった。
いまではそんな上智大学で学んだ「読む」「書く」「聞く」「話す」の4機能の大切さを噛み締めながら立教大学で教鞭をとっている。
本当に今回の受賞をいただきうれしく思います。


本田哲郎さん(1965文哲:現、フランシスコ会司祭)

神父になったときからずっと「良い子」を演じていた

hondasan上智大学をずっと離れて活動をしてきたため、今回の受賞は思わぬことでとても感激している。
大学を卒業して神父になったときからずっと「良い子」を演じていた。
大学時代もソフィアコンサートバンドのクラリネット担当、みんなによく思われたい一心だった。
40歳のときフランシスコ会の日本管区長になった。その場の空気を読んで常に「良い子」を演じている自分がいた。
みんなからとても慕われている・・・でもその自分は偽りなのだ・・・みんなに説教をする立場なのに「良い子」のままでいいのか・・・
司祭としてこの偽りの自分のままでは絶対いけないのだと思いつつ必死に祈りを捧げていた。
周りを偽る自分の許しを請いたかった。でも神様には全く通じなかった。福音の喜びや解放感は全く伝わってこない・・・
そんなときに大阪の釜ヶ崎にいくことになった。強烈なにおい、野宿の日雇い労働者、正直、怖いと思ったが「良い子」はそんなそぶりを見せてはいけないと思った。
目線を合わせないでおこうと思った。そんな勇気すらなかった。
聖書の教えである「隣人を愛しなさい」を毎日みなに説いているにもかかわらず、釜ヶ崎の隣人には目も合わせられない。ショックだった。
そんな中、たまたま、ある労働者から「ありがとう」の一言をもらった。
いままでの「良い子」から逃れたいと思っていた自分が救われたと思った。そしてそのとき初めて解放感を味わった。
パウロの言葉に「力は弱さの中にあってこそ十分に発揮される」がある。まさにそういうことだと思った。
聖書を理解できるのは、学問の高さではなく、視座の転換(メタノイア)であることなのだと・・・。
福音書に出てくるヘブライ語の「シャローム」も「主の平和」などと抽象的に訳すのではなく、「大丈夫?」「何か足りないものはない?」とでも言えばいいのだと・・・。
主の平和は「傷ついた部分が全くない完全なる世界」と謳われるが、本来は「傷ついた人が癒される世界」なのだと思うようになった。
釜ヶ崎に住んで21年、教会法に囲まれながらも、傷ついた人を癒せる司祭であることを第一に、視座の転換をしつつ、なんとかここまでやってきた。
そんな活動が今回の受賞に結びついたと大変うれしく思っている。
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