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3.11福島原発事故による放射能汚染除去の実態

3.11福島原発事故による放射能汚染除去の実態
~栃木県大田原市の場合~
原発から108キロ離れた我が家の「除染」


木村英夫(46年経経卒)
女子栄養大学生涯学習講師


2014年5月に書き上げた原稿ですが、ある事情でお蔵入りにしておりました。しかし今年2016年5月11日付けの報道『給食のタケノコご飯から基準超のセシウム 宇都宮の小学校』を知って、放射能問題は厄介なものと改めて認識し、2014年の原稿に加筆して投稿させていただきます。
                                          
3.11で大きな被害を被った福島第一原子力発電所。そこから直線距離でおよそ108km離れた我が町大田原市は、震度6強、災害救助法適用地域になりました。そしてその後の除染・・・・。
今回は、報道されることのない我が家の除染体験を報告いたします。

大田原市は栃木県北部に位置し、関ヶ原以来明治維新まで、隣町の黒羽(大関)藩同様、移封もされなかった城下町でしたが、現在は県北最大の商工業都市の一つになっています。人口はおよそ75,171人、28,965世帯(平成28年5月1日現在)です。
福島第一原子力発電所から、一般道路経由だとおよそ142km離れ、放射線量は当初ほとんど問題視されませんでした。そしてテレビ栃木のデジタル報道でも我が家近隣の線量は低いことがわかり安心しておりました。そして我が町北部および北東部に位置する那須町や那須塩原市などの方が線量が高いとされてきました。那須塩原駅近くには2014年当時でも汚染作業のための作業基地のようなところが見られました。
我が町でも当初は農産物の風評被害は免れず、その対策として道の駅では早々と線量測定器が置かれ、農産物の出店前にはチェックされているので安心でした。しかし今はその痕跡も見られません。

除染対象地測定

学校や公園など公共施設では今思うと早々と除染作業が行われてきたことがわかりました。しかし2012年夏頃の回覧板による市の広報誌で、除染の告知を知り、早速2012年12月に市に除染申込みをしました。そしてその申込み受領通知が届いたのは2013年3月です。その後さらに時は流れ、具体的な日時決めになったのが5月。やっと2013年6月15日に線量測定スタッフが我が家に来ました。

写真1P6159865
写真1「地上から0.5mで測定」

測定は、地上から1m、0.5m、0.01mの三か所で行いますが、乳幼児がいる場合といない場合とでは測定地点の数値の判断が異なります。乳幼児がいる場合には数値が低くても除染対象地となりますが、我が家は該当なしのため通常の数値での判断でした。

写真2P6159861
写真2「1.48マイクロシーベルトを示す計測器。敷地内で高かった場所、この後、1.7まで上昇」

「環境省では、除染実施計画を策定する地域の要件を、毎時0.23マイクロシーベルト(μSv)以上」としています。そして、思った通り、雨樋下の地面が規定値よりもはるかに高かったのです。そこは北側の広い面積の屋根から流れる雨水を受けているところです。しかし一番高いところでも面積はたったの1平米ほど。規定値が高い汚染地はミニコーンが置かれ、後日の除染のため写真が撮られました。

写真3P6159863
写真3「後日の除染作業の目安を示すミニコーン」

写真では敷地内がかなりの雑草で覆われていることがわかりますが、当時は雑草や剪定枝木等は市ではゴミとしての回収を受け付けず、止む無く伸び放題にしておりました。そしてこの規制はその後まだ続き、2013年には、一軒あたり90リットルのビニール袋(市で支給)二袋のみ月1度だけの回収となりました。続く2014年からは一定の制限を加えたうえでの回収となりましたが、2016年には全く規制はなくなりました

写真4P6159900
写真4「我が家の敷地および建造物の測定結果。赤矢印の「T4」のみが除染作業の場所」

2011年3月からどれほど時間が経っているのか、測定が2013年、しかしまだまだ本作業までには時間がかかります。
この間、近隣では除染対象地区の測定をしたのは我が家の南700mほどのところにある1軒のみであり、多くの人は除染をするための測定申込み受け付けもしりませんでした。自治会長によると回覧板による市の広報誌の閲覧は概して1割ほどの住民のみとか。また、線量報道の回数も皆無に近くなり、皆さん徐々に遠い昔の話、あるいは自分には関係のないこと、などとなっているのでしょうか。

写真5P4065505
写真5「申請を受理した市からの受理書―2013年4月6日」

その後2015年になると、除染測定する会社スタッフが積極的に測定し、各世帯に除染を薦めるような光景を見かけましたが、隣町のように除染作業を見かけることもなく、市役所近くの除染会社の看板も取り外されました。市民は除染に関心がないのかとの印象を受けた次第です。

除染作業

 いつになったら除染作業が始まるのかと首を長くして待っていたら、晩夏ごろ電話連絡が来て、希望日を尋ねられ、2013年11月22日金曜日の朝8時過ぎからの開始と言うことになりました。当日は休みを取って朝から待機すると、作業チームが時間よりも早くやってきました。

写真6PB227132
写真6「作業開始前の看板設置」

目立つように作業中の看板を出しますが、この時点でも近隣の住民は「何してるんですか?」「なに始まるのですか?」などと、市の除染作業であることをほとんど認識しておりませんでした。

写真7PB227133
写真7「地表を削る作業前の線量測定」

何センチ削ればいいのかは、削った段階で線量測定して判断し、線量が少なくなった場所で掘り下げを止めます。

写真8PB227136
写真8「汚染された土は袋に納められます」

写真9PB227137
写真9「指定した我が家の敷地内に穴を掘ります」

写真10PB227138
写真10「汚染土を掘りだした後は埋め戻されます」

写真11PB227139
写真11「念のため線量が異常値を示さないか再度測定します」

写真12PB227142
写真12「汚染土の入った袋を埋め、遮水シートをかぶせて接着します」

写真13PB227143
写真13「土を入れて埋め戻しますが、後日陥没し、見かねた近隣者が補修してくれました」

汚染された土を収めた袋は、同じ敷地内の別の場所に永久保管になります。しかし汚染土が多く、あるいは敷地内に埋める場所が無い家ではどうするのでしょう、などと思ってしまいます。
 汚染土の保管場所は今のところ私しか知りませんが、次の世代にこの土地が子孫以外の人に渡って、掘り起こすことがあったなら、どうするのでしょうか、などとも思ってしまいます。
 それにしても、被害がもっとすごいところと比べると、幸せなんだと思い、このまま忘れてしまえ、気にするなってことなのかな?

3.11、その後の町の様子

 市役所は2014年早くに取り壊しが始まり、数年後に再建されることになりますが、再建が決まったのは昨年27年度です。そして竣工は31年度になります。しかし町を歩くと3.11の痕跡はかろうじて見られます。そして気が付けば旧市街の大きな商店や工場跡が一般建売り住宅になったり、再建をあきらめたのか他の事情なのか廃屋のさらに地なったり、旧市街の様相が、市の都市計画も重なって大きく変わってきました。

写真14P4065491
写真14「市役所近くに建てられた「復興再生生瓦」のモニュメント」

 いまだに片付かないのは我が家近くの墓地、斜面が崩れ、法面がなくなったため墓地面積が縮小し、行場のなくなった墓石が神社の近くの広場に置かれています。

写真15P4083792
写真15「墓石は徐々に少なくなってきましたが、いつになったら元の広場になるのでしょうか。2014年4月8日撮影。2016年現在は若干の墓石が残るのみとなりました」

 時は心身のキズを癒す最大の薬と思いますが、3.11のことは忘れた方がいいのか、その後の放射能被害のことは思い出すべきではないのか、実際に身近に体験した除染はどう語り継げばいいのか、マスメディアに採り上げられることはない事柄は小さな声でも出していかなければと思います。

さて冒頭のタケノコ給食報道を受けて、栃木県発表の『県産農林水産物等の出荷制限と解除の状況について』を閲覧すると、日光市などのイワナ、日光市や鹿沼市、さくら市などの山菜などの他、我が町の出荷制限には次のようなものがあるのが分かりました。
大田原市の出荷制限:タケノコ、原木なめこ、栗、野生きのこ、野生みょうが、乾しいたけなど。
http://www.pref.tochigi.lg.jp/kinkyu/y00/shukkahikae.html

このうちご近所から譲っていただいたタケノコを今シーズンも平気で食べていましたが、多くの人は全く知らないで食べ続けていることと思います。


追記

3.11で我が家は家財半損の被害を受け、その後被害個所を修理してもらい、一件落着と思いました。
しかし、昨年末、あるきっかけで床下を見る機会があり、床下にも地震の被害の痕跡があることが判明しました。礎石を支える柱と床面とに数センチの隙間が数か所できていたのです。改めて、普段見ることのないウオークインクローゼットの奥を眺めてみると、いつの間にかこちらも亀裂が生じていました。いずれも3.11直後の修理前に工務店棟梁と二人で家屋内外を見て回り、修理箇所を確認してからの工事を頼んだのですが、それ以外にも修理を必要とする箇所があるとはその時みじんも思っておりませんでした。

 3.11の時は家財のみ地震保険にかかっており、建物はかけていなかったのです。その後地震保険を見直し、家屋と家財に保険をかけなおしました。地震保険に入る際にお世話になった担当課長さんに電話をして保険が適用されるかどうか打診したところ、保険調査員派遣の要請をした方がよいということになりました。その依頼の際、担当スタッフに電話して話をした際、3.11から数年たった今でもその被害の申請があるとのこと。そして3.11以降数度の余震があり、そのうちのいつの地震が引き金になったかわからないと言ったところ、昨年2015年5月に震度5相当の地震があったとのこと。震度5だと、我が家の特に東側が虚弱で、物が倒れたりすることはしばしば体験しています。
そこで調査員派遣を依頼したところ、埼玉県から新幹線で調査員が訪れました。しかし開口一番「礎石、床下は地震保険の適応対象にはなりません」とのがっかりさせる結論。その後、家の外壁を2時間弱かけて丁寧に調査し、その結果、6か所の亀裂があるとのことでした。同行して説明を受けると、今まで気が付かなかった箇所に確かに亀裂が生じていました。外壁調査の後、室内を調査し、内装の亀裂などを確認して写真を撮り、後日報告するとのことでした。
 調査の後は前回支給を受けた保険会社に内容を問合せ、重複して支払うことがないようにするとのこと。それで前回の家財保険関連の書類番号を提出が必要とのこと。幸い書類一式残しておいたため、この後の手続き、支払金受取りまではスムーズにことが進みました。
 そして改めて、地震保険の支払保険金の分類を見て、次のことが分かりました。全損、半損、一部損の区別も細則規定があることは理解できましたが、支給金額が三つの区分しかないのですね。50%の次の区分が5%という事実にがっかりしました。

 建物・家財:全損⇒地震保険金額の全額 半損⇒地震保険金額の50%
       一部損⇒地震保険金額の5%

 今回の熊本大分地震ではたくさんの方々が被災されました。謹んでお悔やみ申し上げます。被災者の方々で地震保険の支払い適用になる方は幸いです。しかし保険金が支払われても、被災以前の状態に戻すには大変な費用がかかることを私自身の体験から痛感しました。
 復興までまだまだ時間がかかると思いますが、被災された方の皆様方への篤い支援と速やかな復興を祈念いたします。 

以上6月吉日
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