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三水会7月講演会 伊藤麻美さん

■講演テーマ:「乗り越えられない壁はない―私の会社再建奮闘記」
■講師:伊藤麻美さん(90年外国語学部比較文化学科卒)
    日本電鍍工業株式会社代表取締役(http://www.nihondento.com/)
■日時:2013年7月17日(水)18時30分~21時
■場所:ソフィアンズクラブ
■参加者数:25名



①正面RIMG51950
伊藤麻美さん

伊藤麻美さんは、小学生の息子さんと一緒に元気いっぱい当日会場にみえた。お父様の創業した会社再建のための奮闘記を、歯切れのよい口調で語られた。涙あり、笑いありのドラマのような展開に会場全員は引きこまれた。

▼「人生思うようにならないこともあるけれど、意味のないことはない」

 「本日、この場でお話していますが、実は上智大学に入学するとは思っていませんでした。人生思うようにならずいろいろなことが起こりますが、それぞれの事象には、意味があることだと後で振り返ると思います」とご自身の自己紹介から始まった。

②オープニングRIMG51953
講演会オープニングの様子

インターナショナルスクールで教育を受けた伊藤さんは、全く日本の大学に行くことは視野に入れていなかったそうだ。大学受験のときに、お母さんが重病だったため自宅に近い上智大学に入学。そして20歳の時にお母さんを、大学卒業して約一年後には、お父さんを続いて亡くされた。

伊藤さんが卒業したころは、バブル真っ盛りの時代だったので就職には困らず、どうせやるなら自分の好きな音楽関係に進もうと思い、ラジオのパーソナリティーとしてフリーランスで約8年活躍した。しかし日本の放送業界は、実力より若くてかわいければよいという風潮に幻滅。自分の将来を見据え実力主義の世界で手に職をつけるべきだと考え直し、進路変更。宝石鑑定士をめざして渡米、鑑定士・鑑別士GGの資格を取得。有名ブランドの宝石会社に内定し順調な米国生活を送っていた。

③会場の様子RIMG51971
会場の様子

▼はじまりは父親の会社の経営破綻

「そんなある日、米国にいた私に日本から1本の電話がかかってきました。『東京の自宅を処分することになるかもしれないので、すぐ帰国してほしい』という内容で、会社の経営は、順調なはずなのに何が起きたのだろうと思いました」と伊藤さんは当時を振り返った。

伊藤さんのお父さんは、常に将来のことを考え戦略をたてるやり手の経営者だったが、海外出張前に体調を崩され入院。検査をしたところ、手遅れの癌が発覚し、急逝された。末期の癌であることを本人には告知しなかったため、後任にきちんと経営の引きつぎができなかったようだ。

お父さんの会社はかつて国内業界一位を誇っていた時計のメッキの会社だったが、後継者は、新しい経営環境に対応できず依然として時計のメッキの仕事にしがみつき、当時の潤沢な資産に依存した経営をしていた。しかし、日本の時計の生産拠点は、海外に移転したため売上は激減。

さらに、工場を建てかえたり不動産等の資産運用にも失敗し、「負のスパイラル」に会社は陥っていった。頼りのメインバンクもなくなり会社の負債の一部は、整理回収機構に回っていた。すべてが八方ふさがりの厳しい環境下に会社はおかれ、負債は10億円という巨額の数字だった。そのような状況の中、会社所有の東京の自宅の売却も検討され、何も詳細を知らされていない伊藤さんは帰国したのだ。

早速税理士からは、「この会社は存続不可能である」と言い渡された。しかし、伊藤さんは工場のある大宮に通いだすと会社にだんだん愛着を感じ、社員と話をしていると、ひとり一人の背後に家族の顔がみえるようになっていった。「会社をつぶすことは、彼らの家族の生活を奪うことになる。社員のために会社を守りたい。そして、自分の父親の名誉にかけても、会社は倒産させたくない」という思いが日々強くなっていった。

「一発逆点をねらい宝クジまで購入しましたけれど全部はずれました」と笑いながら伊藤さんは語った。お父さんの昔の知り合いにも親身になってくれる人は現れず、会社再生のために経営をやってくれる人も現れず、悶々としていた。中小企業の場合、「代表者個人保証」という制度があり経営者は、負債を保証しないといけないのでわざわざ負債のある会社の社長になる人はいなかったという。

④資料なしで講演される伊藤さんRIMG52001
講演中の伊藤さん
⑤伊藤さんRIMG52013
講演中の伊藤さん

▼なぜ、多額の負債を抱える会社の社長になったのか

伊藤さんは、「私の存在意義は何だろう。自分の死に際を想像した時に、やりきった人生だと思いハッピーな笑顔で死にたい。行動をおこさずに何もしないことは、後で後悔するだろう」と考え、その後の進路を決めた。持ち前のチャレンジャー精神で行動に出た。当時怖いもの知らずの32歳で2000年3月に父の会社の日本電鍍工業㈱代表取締役に就任した。

しかし伊藤さんは内心、社員が自分を認めてくれるかどうか不安だったという。一時200名弱だった従業員は、当時は48名に減少。平均年齢59歳・男性7割という会社でベテラン社員とどう接するかが最初の難関だった。

学生時代は経済を学んだが、中小企業の経営の実態が全くわからずまず毎朝、社員全員一人ひとりに挨拶をするようにし、お互いの信用をえるためにいろいろな会話もした。全員からは不平不満しか出てこなかったが、聞くことも大切と思いがまんして聞き役に徹した。3カ月たつとぴったり不平不満がやみ、伊藤さんは会社に溶け込んでいった。

しかし、銀行の挨拶回りに行くと「バックはだれなの?本物の社長を連れてきなさい」「プロフィールをみせなさい」と女性だからか、赤字会社だからなのか、代表取締役の名刺を出しても、全く信用されず悔しい思いもした。「今にみていろ、業績をあげてみせるぞ」と伊藤さんは心に誓った。

⑥熱心に講演を聞く参加者RIMG52039
熱心に講演を聞く参加者のみなさん

▼どうやって黒字化するのか―“医療・健康・美容”に集中

伊藤さんは社員のリストラという手段には頼らず、今のメンバーで会社を回復させることにした。スポーツをやっていた伊藤さんは、さらに「チーム」としての社員の意識の共有化を図り、また社員一人ひとりに経営者意識をもたせるために会社の数字を社員全員に公表することにした。その数字をみてショックで退職する社員がいるかと思ったが、辞める人はなくそのかわりなんとかしようという社員の意識が高まり行動に変化が現れてきた。

当時の業界では、携帯電話やPCのメッキ加工作業が主流だった。伊藤さんの会社は時計のメッキが9割でしかも手作業だった。携帯電話等の仕事を受注するためには、量産用の設備投資が必要となりメッキの仕事はあるが、会社の事情から参入ができない、コストもあわないというジレンマに苦しんでいた。

ある日、ベテラン社員からは新米社長の自分に「どの分野に行くのか」と問われたが必死に考え「時計のような1業種に依存せず景気が悪化しても需要のある分野に参入し、現在の手作業でも付加価値のある分野、すなわち“医療・健康・美容”だと思います」と回答した。不思議なことにこの言葉を発した瞬間からそういう仕事が舞い込んでくるようになったという。

▼「なせばなる」―火のついた社員のチャレンジ精神

会社の厳しい経営状況を共有し社員の意識がひとつになると、創意工夫でいろいろなことに社員がチャレンジするようになり意識も変わってきた。

今までと異なる分野に参入するために会社のPRも必要になった。かつて学んだSWOT分析で市場調査をすると社員の思っている強みと弱みが、現状の市場とくいちがっていることもわかり外部への情報発信や社員のやる気をもっと引き出すことが今度は課題だった。

伊藤さんは、マスコミ業界にいた経験を活かしホームページ(HP)の活用を皆に提案した。当時会社に二台しかなかったPCには、白いシーツが被されていた。職人気質で体を動かすことが仕事であると考える社員がほとんどで、PCの前にいると、さぼっているとしか思われない雰囲気が社内にあったからだ。そのような中で、PCを使って会社紹介のHPを立ち上げる計画を実施した。HPができるとすぐにそれを見た大手企業から医療機器用の開発の仕事依頼があった。

伊藤さんは、会社のメッキ技術は長年大手時計会社のきびしい検査基準にとおっている実績もあり、時計は直接肌に触れるため、抗アレルギーの加工も他社にできない高い技術をもっているので、医療分野も可能であるとSWOT分析もして確信していた。しかし、今までやったことがない分野なので、肝心の社員の反応は否定的だった。「『できない』という声の嵐の中、できないことはない。年月をかけてもできます」と伊藤さんは社員を説得し続け、やっと技術者が2名ほど、「やりましょう」と手をあげてくれた。

彼らが必死で努力してくれた結果、数ヵ月ほどでその技術は開発され、その後量産のめどもついた。患者のカテ―テルを先導する製品だが、医療現場で今では何人もの生命を救っている。当初愚痴を言っていた社員も「うちの会社すごいよね」と態度が変った。この事例が、会社のスローガン「なせばなる」の由来ともなった。「やってみないとわからないし、ものづくりの集団にはいつもチャレンジ精神が必要」と伊藤さんは社員に常に熱く語りかけているという。

幸い3年後に会社は黒字になった。売上は下がったが、製品内容が変わった。時計は3割に、医療、管楽器、半導体の精密部品等他の分野の受注が増え会社の業績も改善されてきた。

そうこうするうちに努力が実り業績があがったことが認められたのか、政府系金融機関や民間の金融機関が返済をとめてくれた。その代わりにメインバンクを見つけるように言われ、いろいろな銀行に当たるが取引はすべて断わられ、伊藤さんは、また新たな試練に直面。ところがある会合で偶然出会った某大手金融機関トップから救いの手が差し伸べられメインバンクも決まり、6年目ではじめて健全な経営状態に改善された。

▼社会貢献できる100年企業を目指して

かねがね伊藤さんは、社員が会社の業績が悪いと知っているので、残業代も申請せずに働いてくれていたのでお礼をしたいと思っていた。社員に年末にお年玉を渡し、次には1カ月のボーナスをだせるように努力した。「お年玉を泣きながら受取らない社員がいたり、仏壇に飾って使っていないという社員もいて、こんなに会社に忠誠をつくす人逹に囲まれて本当に幸福だと思いました」と語った。

伊藤さんの会社は、すでに製品国際規格ISO9001・14001も取得し、またリーマンショックを逆にチャンスと捉え中途採用も行い、攻めの戦略を開始している。社員の年齢は22歳から81歳の年齢差があるが、技能研修のためにシニアの社員をあえて残しているという。日本のモノ作りの技術にこだわり、生産拠点は国内に残す方針でいる。アベノミクスの恩恵はうけていないが、前向きに投資をしている。現在時計は2割、精密機器、アクセサリーや手作業での試作品づくりなど、仕事の分野も広げてきている。

プライベートでは、37歳で結婚し、今は小学生のお子さんの母親でもある。「伊藤さんは会社と結婚したのでしょう」と以前言われたこともあるそうだが、「男性は経営者で結婚もしているのに、そういう発言はおかしい。女性のほうがマルチタスクなのでやり方次第で仕事も結婚も両立すると思います」と述べられた。
最後に、「私はまだ45年しか生きていないが、あきらめなければ人生はうまくいきます。起きていることにはすべて意味があり、乗り越えないといけない試練もあるが、出会った方々、社員と多くの人に感謝し、しっかり利益を出して、税金も納め、社会貢献できる100年企業にしたいと思います」と結ばれた。
 
⑦三水会松尾代表 RIMG52028
熱心に講演を聞く参加者のみなさん

⑧質問に答える伊藤さん RIMG52027
質問に答える伊藤さん(質問コーナーでは、弁護士や経営者等の参加者との意見交換等もありました。)

▼感想

3年前三水会の幹事より講演のお願いをしたが、当時伊藤さんは多忙で、ご都合がつかず、やっと実現した今回の7月の三水会だった。笑いあり、涙ありのすばらしい講演だった。前回齋藤・ウィリアム・浩幸氏の講演に出てきた「PASSION」が何より大切であること、そしてテレビドラマの主人公・マクガイバーのように眼前の素材を知恵と工夫で活用して現状を克服することを、思いだしながらお話を聞いた。またどんないやな人にあっても、それをポジティブにとらえ自分のこやしにしていく、前向きな伊藤さんの姿勢が印象的だった。今後もすばらしい企業をめざして活躍されることだろう。
('77年外独 山田洋子)

⑨懇親会RIMG52043
懇親会の様子
⑩10月19日拡大東京大会 ウーマンネットワークの呼びかけRIMG52054
10月19日拡大東京大会ウーマンネットワークメンバー紹介

<伊藤麻美さんプロフィール>
1990年外国語学部比較文化学科 (Business/Economics専攻) 卒業。約8年間のFMラジオ・TV等のパーソナリティーを経て、1999年米国California州Carlsbadに留学、世界的に有名な宝石の学校 GIA にて鑑定士・鑑別士GG(Graduate Gemologist)を取得。2000年日本電鍍工業㈱代表取締役就任、2012年日本アクセサリー㈱代表取締役社長、㈱ジユリコ代表取締役社長就任、現在に至る。東京出身。
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  • Date : 2013-09-14 (Sat)
  • Category : 三水会
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