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原サチコのハノーファー⇔ヒロシマ☆サロン

 ドイツ演劇界で特異な存在感を放つ日本人俳優原サチコさん(88外独)が、ハノーファー州立劇場で定期的に開催してきた「ヒロシマ・サロン」を、今回東京で「原サチコのハノーファー⇔ヒロシマ☆サロン」として開催した。これは、昨年の講演会に続き大盛況の会合だった。参加者は、ドイツワインと軽食を楽しみながら「ヒロシマ・サロン」の雰囲気を味わった。原さんは、80年代東京のアングラ劇場で活動した後1999年からドイツの演劇界で活躍している。

写真① 原さん正面 RIMG29934
原サチコさん

※原サチコさんについては、下記マスコミソフィア会HPを参照ください
 http://cumsophia.jp/op111002.html#op111002

■東京ドイツ文化センター主催講演会報告
■講演テーマ:
 「ヒロシマとフクシマ
 原サチコのハノーファー⇔ヒロシマ☆サロン」
■講演者: 原サチコさん(88年外独)     
■日時:2012年8月3日(金)19時~21時
■会場:ドイツ文化会館ホール
■参加者数:約90名 


東京版「ヒロシマ・サロン」は、小高慶子さん(81年文独)の司会進行で始まった。

写真② 司会の小高さん RIMG29920
司会の小高さん

 原さんは、自己紹介として、2002年からポリー役を務めているブレヒト作「三文オペラ」の有名な作中歌「モリタード マックザナイフ」を歌い盛り上げた。

写真③ オープニング RIMG29848
ヒロシマ・サロンオープニング

まずはハノーファーで2年に渡り開催されている「ヒロシマ・サロン」の様子が動画で紹介された。

▼きっかけ

  なぜ遠い異国の地ドイツ・ハノーファー市で広島を紹介するようになったのか?

 原さんは、2009年ウィーンのブルク劇場からハノーファー州立劇場に移籍した。当時ハノーファーの中心街で、「ハノーファー市は広島市と友好都市」という石碑をみて、驚いたという。周囲に友好都市のことを聞いたが、知らない人が多く、調べてみると長い歴史があることがわかった。ハノーファー州立劇場の歴史の中で、唯一の日本人専属俳優である自分が、広島に関する作品を上演するべきでないかと思うようになった。

 ちょうどその頃、日本の知り合いが井上ひさしさんの『少年口伝隊一九四五』を上演していたので、その本を取り寄せ読んだところ、客観的な描写が多く、ドイツ人に受け入れやすいと思ったという。原さんは、早速台本を劇場スタッフと翻訳して、「Little boy, big typhoon」というタイトルで、ハノーファー州立劇場初のヒロシマ作品として上演した。俳優3名と共にハノーファーの子供3人が出演した。 その「Little boy, big typhoon」の稽古に入る直前、2010年7月に原さんは初めて広島市を訪れ、ハノーファーゆかりの人や、被爆2世、3世、放射能研究所などでインタビューしてまわった。

写真④ 広島訪問について語る原さんRIMG29850
広島訪問について語る原さん

 ドイツでは今でも「エー!ヒロシマって、人住んでいるの?」「ヒロシマって行っても大丈夫なの?」という質問を受けることがよくあると言う。「Little boy, big typhoon」上演により、原爆直後の広島について知ってもらうことは出来るが、それとは別に、現在の広島市について、もっとドイツ人にきちんと知らせる必要がある。

 そう思った原さんは、「Little boy, big typhoon」の上演後、現在の広島のことを語る付随プログラム『ヒロシマ・サロン」を始めた。原さんは放射能の測定機も購入して実際にデータで数字を示し、「ヒロシマ」が安全なことを、合理的なドイツ人にわかりやすいように説明した。また、サロンでは広島風お好み焼きを焼いて、お客さんに食べてもらったり、広島出身の「パフューム」の曲を紹介したり、楽しみながら広島を知ってもらうことを目指した。

写真⑤ ヒロシマ・サロン会場の様子RIMG29869
ヒロシマ・サロン会場の様子

▼林壽彦さんとの出会い

 「ヒロシマ・サロン」の中で一番大きな出会いは林壽彦さんとの出会いだったという。

 林さんは広島の原爆投下で小学生の時に家族を亡くした。1967年にヨーロッパ研修学生団のリーダーとしてハノーファー市を訪れた。その時、通りがかりのドイツ人老夫婦に「日本人ですか?」と聞かれ握手を求められ「はい、広島から来ました」と答えたところ、そのドイツ人は突然手をひっこめて後ずさりをしたそうだ。原爆症を伝染されると恐れたのだろう。

 林さんがそのことを当時のホルヴェック・ハノーファー市長に話したところ「そのハノーファー市民の行動は私の責任です。私達はお互いに知らなすぎる。私達はもっと知りあわなくてはなりません」と林さんに謝罪し、このことがハノーファー市と広島市とが青少年交流を始めるきっかけとなった。

 双方の市の子どもたちが相手の市にホームスティして交流を図る形で、この青少年交流は1968年から約30年間継続した。始まって15年後の1983年にハノーファー市と広島市は友好都市になった。

 原さんは林さんに2010年7月に広島で、一ヶ月後の8月にハノーファーで会ってインタビューを行った。その直後の2010年10月に林さんは肺がんで亡くなった。奇しくも原さんの撮ったインタビューが、林さんの最後のインタビュー映像となった。

写真⑥ 最後となった林さんとのインタビューの様子RIMG29852
最後となった林さんとのインタビューの様子

 広島とハノーファーの青少年交流を基盤に、世界平和の実現のために一生涯を捧げた林さんの最後の言葉を、ハノーファー市の人々に伝えることが自分の使命だと原さんは思った。また、最後のインタビューのとき、「私は広島出身ではありませんが、広島を語ってもいいのでしょうか?」と尋ねた原さんに対して、「どんどんやってください。私たち被爆者はいつか死んでいく。若い人が語り継いでくれないと困るのです」と励ましてくれた林さんの言葉を忘れられないという。

―以下林さんの最後のインタビュー抜粋―

「ハノーファー市と広島市の関係はもう40年以上続いていますが、その関係が次の時代を生きていく若い人逹の時代の世界平和のために役立てばと思っています。私は40年間、子供逹に未来に向けて何ができるのかと声をかけてきました。君たちも他の国の人逹に、平和のために何が一緒に出来るかを問い続けてほしいと思います。皆さんが私と同じくらいの年齢になった時、世界は変わっていても、平和は変わらずにいてほしい・・・・演劇も、ただ演劇をやるだけではなく、心に目的をもって演劇をやれば、井上ひさしさんを超えて、人々の心に平和を訴えることができる。期待しています」



写真⑦ 林さんのメッセージが披露された RIMG29859
林さんのメッセージが会場では披露された

▼福島原発事故―日本とドイツの報道格差

 「広島を通じて日本のことを語る夕べであるヒロシマ・サロンなので、2011年3月11日東日本大震災、それに伴う原発事故が起こって、そのことを避けて通るわけにはいきませんでした。」と原さんは語り出した。

 3.11東日本大震災に伴う福島原発事故に関しては、日本とドイツの報道格差があまりに大きく、在独の日本人は板挟みになったという。原発事故に対するドイツでの反応は衝撃的に大きく、原さんも周囲のドイツ人から「すぐに家族を避難させなさい」と言われ、東京の自宅に電話をすると家族には、「何を言っている?」と怒られ、どうすることも出来ずに気がおかしくなるほどだった。在独日本人の間では、このことをきっかけに家族や友達と仲違いしてしまった話も多い。

 また、日本との友好団体に関わる多くのドイツ人逹は、日本から避難してくる人逹のために、ホームスティ先を用意したが、避難してくる日本人はいなかった。原発事故が起きたにもかかわらず多くの日本人が日本にとどまっているのはドイツ人からみると「不思議」で、理解に苦しむことらしい。
 
 原さんは、「ヒロシマ・サロン」の内容を一部変えて、東日本大震災以降の日本の知り合いの様子を報告することにした。例えば、原発事故直後に「ドイツに逃げて来てください」と知り合いに出したメールの返事。「私はチェルノブイリの当時、ドイツにいたので原発が危険な状態であることはよくわかっている。しかし当時の政権を選んだのは国民私達で、その責任は自分逹にもある。ここで逃げだして生き延びたとしても一生後悔すると思うし、人生長生きをすることより、人生をどう締めくくるのか、どう生きるのかが大切だと思う。

 自分は、何が起ころうと、東京で自分の仕事と心中する覚悟です。」この知り合いのメールを朗読すると、「『初めて日本人の考えが理解できた』と涙ながらに言ってくれるお客さんが多く、サロンをやっていて良かった」と、原さんは語った。

 極端な例だが、「日本にいる日本人は放射能で、いつかいなくなるのでしょ?」と言ってくるドイツ人もいたそうだ。多かれ少なかれドイツ人は日本における放射能汚染を深刻に捉えているが、日本のことをどのくらい身近に思っているかどうかで、対応は違ってくる。

 そんな中で、原さんの心を慰めたのは、日本のことを心から心配してくれているアニメファンやコスプレイヤーの若者たちだったという。コスプレイヤー達は、はじめはお客さんとして来ていたが、次第に積極的にサロンを手伝うようになっていった。

写真⑧ アニメキャラクターの衣装のドイツの若者達(コスプレーヤー)RIMG29879
アニメキャラクターの衣装を着たドイツのコスプレイヤーの様子も紹介

▼チェルノブイリと福島

 原さんは、コスプレイヤー達だけでなく、日独の友好協会の人々や、シュマールシュテーク元ハノーファー市長など、様々なゲストをサロンに招いた。

 長年「三文オペラ」で共演してきた、ウクライナ出身のアコーデオン奏者、タチアナ・ブラヴァという友人も「ヒロシマ・サロン」に招き、当時のチェルノブイリの話もしてもらった。
 ―以下抜粋―

 「1986年4月26日チェルノブイリ原発事故が起きた日、キエフでは、原発で小さな火災が発生したというラジオのニュースしかなく、人々は普段通りの生活をしていた。タチアナには当時、クロアチア人の恋人がいた。クロアチアにいる家族からすぐに故郷に戻るように恋人に連絡があり、国境まで送って行った。国境からキエフにもどる電車は空っぽで、何か重大なことが起きたと勘付いたタチアナは、キエフの人々に訴えたが誰も本気にしなかった。その日は金曜日だった。週末が明けて月曜日になって初めて、重大な事故であったことが知らされた。タチアナは、しばらく一人で外国に避難していたが、3ヶ月経ってキエフに戻った。音楽大学の教授に頼まれ、『外国でも事故はたいした影響はないと言われています』と学生達の前で演説したが、学生達はもちろん、それが本当でないことを知っていた。クロアチアに戻った恋人は、もう二度とキエフに戻って来なかった・・・」



 昨年の震災と福島原発事故当時のドイツのニュース報道の様子も紹介された。それに関連して、ハノーファーから一番近い原発であるグローンデ(Grohnde)の話も出た。

 原さんは、ハーメルンのB.U.N.D.(ドイツ最大の市民自然保護団体)に招かれて講演した際、ハーメルン近くにあるグローンデ原発とその問題点について、自然保護団体の人々から聞く事が出来た。そこで、脱原発に関しては「先駆者」と思われているドイツにも、日本と同じような問題があることを知った。以前原発で小さな事故があって放射能が少し漏れたとき、報道がだいぶ遅れたこと、原発の建つ村の受けている補助金、大企業の見えない力等。原さんが見せたグローンデ原発の映像は、ドイツの美しい田園風景の真ん中に、煙をもくもくと吐く原発がそびえ、その横を、サイクリングを楽しむ人々が通っているというものだった。 
(参考 HP:http://en.wikipedia.org/wiki/Grohnde_Nuclear_Power_Plant )

▼今後の「ヒロシマ・サロン」

 原さんは、最後に「日本とドイツは近いようで、やっぱり遠い。お互いの思っていることを少しでも交流できたら、少しでも理解が深まって、一緒に未来を考えていくことが出来るのではないかと、ヒロシマ・サロンを続けている。政治的な集会をやるつもりはない。『伝書鳩』のように両国の間を飛んで、何かしら人と人を結ぶ事が出来たら、と思うだけ」と語った。原さんは、2012年からケルン州立劇場に移籍したため、ハノーファー州立劇場での「ヒロシマ・サロン」は終了したが、多くの支援者により「ヒロシマ・サロン」はハノーファーにて継続される予定だ。

 今回の東京版「ヒロシマ・サロン」では、梅津和時さんによるサックス演奏や、石巻市雄勝中学校の和太鼓演奏をドイツに招待したエピソード (参考HP  http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00219599.html)、ドイツ若手演出家の福島県滞在エピソードなども盛り込まれ、話題満載の「ハノーファー⇔ヒロシマ☆サロン」であった。

 最後に、広島市からハノーファー市に送られた111本の桜の映像を見ながら、「さくら」の歌を会場の人々全員で歌って、会を閉じた。

写真⑨ 最後に「サクラ」を合唱RIMG29916
「サクラ」を合唱

写真⑩ ドイツ ソーセージ・ワインのビュッフェ RIMG29831
ドイツソーセージ・ワインのビュッフェ

▼感想

 原さん独特の語り口の奥には、重たい広島市の歴史や原発問題があり、ワインを楽しみながらいろいろと考えさせられた。個人的なドイツ人の知合いが、2011年3月の原発事故発生時に、ドイツから毎日、風の方向までメールをよこしてくれた。当時「何を騒いでいるのだろう」と思ったことを思い出し、原さんの話を聞きドイツでの反響の大きさがよくわかった。ドイツの皆さんが、原発事故を日本人より親身になって心配してくれたことに改めて感謝したい。

 震災1年後の2012年3月に「福島の嘘」というドイツの放送局ZDFが制作したドキュメンタリーも話題になったそうだ。http://www.at-douga.com/?p=5052  2011年コム・ソフィア賞受賞者の鮎川ゆりかさんが「ドイツと日本では『市民度』のレベルが異なる」と言われたのも思い出した。同時に、日本のアニメ文化がドイツの若者に浸透していることは、驚きであった。

 今後の原さんのケルン州立劇場での活躍に期待したい。是非母校でその活動も紹介していただきたいと思った。
(報告:磯浦康二'57年文新、山田洋子'77年外独)
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