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NYロイターのアワードウォールにコムソフィア賞が仲間入り

第22回コムソフィア賞を受賞された我謝京子(1987外西)さんから早速お便りが届きました。



ニューヨーク、タイムズスクエアにあるロイタービル。その19階には、アワードウォールと呼ばれる記者が受賞した賞状や写真を飾る壁がある。ここにコムソフィア賞が7月2日月曜日、仲間入りした。

我謝さんatロイター
ニューヨークロイター本社に受賞記念の横山翠蹊作「刻字楯」が飾られた(クリックで拡大)


2011年5月29日、津波で大きな被害にあった南三陸町の瓦礫の中に立った時、頭の中は真っ白になり、「どうしてこんなことが?」という疑問しか浮かばなかった。炊飯器が、おたまが、ぬいぐるみがそこに投げ出されるように泥まみれになっていた。日常生活が一瞬にして流されてしまった現場だった。しかし、丘の上に目をやると、そこでは大雨の中にもかかわらず、大規模な復興市が開かれていた。人間の底力を目撃した瞬間だった。そしてこの「起こってしまった想定外の出来事から人々はどう立ち上がろうとしているのか?」その答えを女性たちの声中に捜そうと決心した。復興市で豚汁をつくる女性たちの話を聞くことからドキュメンタリー映画「311:ここに生きる In The Moment」の取材は始まった。

記者になって今年で、25年。どうしても取材したい、しなくてはいけないと思うときが何度かあった。阪神淡路大震災、ペルーの大使館公邸人質事件、全米同時多発攻撃事件、そして今回の東日本大震災だ。ただ記者という体験を重ねていく中で、私の立ち位置は変化していった。阪神淡路大震災の時は、まだ30代前半の駆け出し記者という立場で取材を1年、2年、3年とつづける継続取材の大切さ、記者顔ではなく、一人の人間として話をきかせていただくことの重要さを身をもって学んだ。

ペルーでは爆発や銃撃戦が続くぎりぎりの状態の中で、いかに自分の判断で、日本への連絡手段を確保してレポートするかという判断力を身につけた。911では、記者としてだけでなく、8歳の子供を抱えた被災者となり、そのなかで、いかにバランスをとりながら、そして回りの助けに感謝しながら、取材をつづけていくかということに気がつかされた。

そして今回の東日本大震災では、もはや記者としてではなく、自らも想定外の同時多発攻撃という事件で被災したひとりの女として、福島、宮城、岩手の女たちの話を聞こうと思ったのだ。そして女たちの周りにいる子供たち、男たちの話も聞いて回った。

ニューヨークに戻り、何度も何度も彼女らの声を聞き、映像を見直した。そして川の砂を掬い上げその中から、きらりと輝く金を探し当てるかのように、彼女たちが最も伝えたいことを見極めてまとめていった。

この長時間に渡る作業には、ニューヨークで活躍する3人もの日本人映画編集者が協力してくれた。力強い彼女たちの声を聞けば聞くほど、震災被災者ではない私のナレーションはいらないと確信した。こうして、ナレーションなしの彼女たちの言葉だけでつないだドキュメンタリー映画が2011年10月に完成した。

2012年3月には続編も出来上がった。それぞれの映画は世界各地(日本、台湾、韓国、インド、米国、カナダ、フランス、イタリア)の映画祭や上映会に招待され、今も各地から問い合わせが続いている。ナレーションがなかったことがよかったのだろう。この映画は、観客が被災した女性たちと直接対話をしている感覚をもつことができるのだ。「静かだと思っていた日本女性がこれほど己のことを語るとは驚いた」「被災者はかわいそうと思う私の概念が間違っていた」「彼女たちの強さに励まされた」との声が各地であがった。

人は困難という壁に直面したときに、どうそれを乗り越えて前に進んでいくのか?彼女たちの力強い行動があったからこそ、この映画はいま世界各地で、人々を励まし続けている。地震がほとんどない国でも上映されているこの映画は、地震、津波、放射能事故を越えて、人があらゆる困難にぶつかったときにどうやってそこから這い上がり、前に進むかを訴える。2011年4月11日の大きな余震の中、家族のために負けないと味噌汁を作り続ける母親、放射能がそんなに怖いというのなら、自分で測ってやろうと銀行から1500万円借金して測定器を買った福島の女性社長。嫁と6人の親戚を津波で亡くし今こそ助けてくれる友人のありがたさがわかったと感謝しながら、2人の孫を育てる南三陸町の祖母。母親を原爆で亡くし、今は震災遺児を助けたいと動き出した福島の女子校の学院長。

カナダ、バンクーバーでの上映会には、杖をついた若い日本女性が、カナダ人の夫とともにやってきた。映画鑑賞の間、彼女は、通勤途中で交通事故にあった時の苦しみを思い出していたという。しかし、映画終盤に、ある福島の夫婦のやりとりで、笑い声が会場から起こる場面がある。その瞬間に彼女は救われたという。困難な時にこそ、ユーモアが、笑顔が、希望が、必要なんだと思ったそうだ。彼女は今、この笑い声に励まされ、リハビリを続け、いつかは杖なしで歩けるようになりたいと話してくれた。

大雨の中での復興市の取材中、その1年と1ヶ月後に、まさか、コムソフィア賞を受賞できるなどとは考えもしなかった。ただ、南三陸、気仙沼、石巻、福島、郡山、釜石、陸前高田そして仙台で50人以上のたくましい人々に出会い、彼女たちの話を聞くうちに、これはすごい記録になるということだけは、最初から直感していた。この賞を受賞できたのは、きょうも前を向いて各地で負けずに頑張っている人たちが存在するからだ。

この受賞を、ニューヨークのアワードウォールに飾られたコムソフィア賞の「観」の字の写真とともに、映画にでてくださった皆さんに知らせよう。「観」とは「揃っている物事を上方からグルグルと広くよく見回して見比べながら、念をいれて見定める形に由来している」という。まさに私が各地で出会った女性たちの声と姿を記録し、それを何度も何度も見て、念をいれてどこが大事かを見定めて映画にしてきたことに合致する。

我謝さんatロイター
アウォードウォールの仲間入りを果たした「刻字楯」と我謝さん(クリックで拡大)


被災地各地で女性たちがためらいなく日常の一端を私に「観」させてくださったことに感謝します。そして上智のマスコミの大先輩の方々からのこの「観」の字とともに、今後も日本の震災復興の取材を続け、その意味を、見定めていきたいと思います。皆様、本当に、ありがとうございました。
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    2012-09-02 (Sun) 16:39

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