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上智大学は「母なる大地」~ 学園紛争なしに今の自分はない

「コムソフィア受賞者その後」(2)
第7回コムソフィア受賞者  「大地を守る会」会長  藤田和芳さん('70法法)

大地を守る会の藤田氏DSCF4644
藤田和芳氏

国際社会や地域社会で貢献した人、国際報道やマスコミ学会で優れた業績を上げたソフィアンズに対し、コムソフィア賞を授与して25年が経とうとしております。 受賞者は30人に達しています。四分の一世紀を迎えようとするのを機に、コムソフィア受賞者に登場していただき、近況報告をはじめ、その後の活動報告をしていただくことにしました。
今回は、第七回(1997年)コムソフィア賞を受賞された「大地を守る会」の会長、藤田和芳さんです。
藤田さんは市民運動を展開しながら有機野菜の宅配システムを確立し、その有機野菜は銀座三越地下3階にある「大地を守る会」の青果ショップでも販売するほどになっています。インタビューは海浜幕張の本社で、4月6日に松村裕幸(1970年外・ポ)が行いました。

▼尊敬する先輩のいる上智を受験

―出身は岩手県で、高校は水沢高校だったと記憶していますが、当時、上智は東北の出身者が少なくて、ましてや、岩手県から上智を受験するとは、そのあたりを教えください。

藤田 出身は岩手県胆沢町で、実家は農家です。水沢高校ではバスケットボールをやっていて、全国大会にも行ったのですが、さすが、バスケットボールでは、将来、身をたてることは出来ないことがわかっておりました。確かに当時の上智大学では岩手県出身の入学は少なかったとは思いますが、上智を受験したのは尊敬する先輩がいたためです。法学部を受けたのは、司法試験を目指すというよりも、将来につぶしがきくのではないかという発想でした。

―大学入学後のクラブ活動は?

藤田 上智大学新聞部におり、上智大学新聞の編集員でした。

―1968年から大学では大変な学園紛争があった頃ですよね。確か上智大学新聞は学園紛争の真っただ中にあって、その最前線だったはずですが。マスコミには興味があったのですか?

藤田 学生時代から60年安保のことは、興味があり、日高六郎さんの本が愛読書でした。新聞を読むこともかなり好きでした。当時はベトナム反戦運動と70年安保が生活の一部となり、学生新聞に、学生の反戦を鼓舞するような記事を書いて、大学とひんぱんにぶつかり、けんかをしました。

▼ピタウ理事長、アンドラ―デ神父が交渉相手

―実は私も、当時、学生寮に居て、同じポルトガル語のクラスに反帝学評の全国のトップにいた木田芳明がいて、人生で大変な経験をしました。寮では田上桂作が一番の仲間でした。田上や木田はご存知ですか?

藤田 もちろん。田上はあの学生時代から紛争中も後にも今でも友人です。木田は、本人だけでなく、弟とも大学卒業後も、ずーっと、付き合いがあります。彼は今コロンビアに居るはずですが…。田上と電話で話しますか?(と言って、九州の田上に電話する)田上、ここに、松村さんがいるが…。

田上 おお、松村か?何してるの?藤田の事務所にいるの?何?取材?彼は、2007年のニュースウィーク誌の世界の100人に選ばれた人だから、真面目に、記事を書いてや…。

藤田 人生とは本当に摩訶不思議ですね。でも、今思えば、あの学園紛争がなかったら、今の自分はなかったと思いますね。社会に対する不満、人生への葛藤…。でも、あの時代に培われた大学での友人は卒業後40年経った今も、続いているですから…。

― 私も、当時の和泉学生会で、処分調査委員会の副委員長をしていて、同じクラスの木田の処分を大学側との調査で、葛藤しましたが、学部を超えた調査委員、今まで、知らなかった法学部長の青柳先生とか柳瀬副学長とのインタビューなど、普通の学生では経験出来ないことをしたと思っています。藤田さんと同じで、あの当時の仲間が一番です。30年海外で生活していて、2年前に日本に帰国し、いの一番に集まってくれたのが、あの当時に仲間です。あの仲間は財産であり、昨年からソフィア会を手伝っているのは、それが原点です。学園紛争の発端の池田君事件の彼も今、弁護士でソフィア会の幹事ですよ。

藤田 そうですね。あの当時のことを話したら、エンドレスですね。

―当時、大学当局の交渉相手はだれでしたか?

藤田 当時のピタウ理事長とアンドラーデ神父です。よく、二人とは考え方の違いで議論をしました。今では懐かしい記憶ですし、大学在学中そして卒業後も、影響を受けたと思っております。考え方の違いを超えた「神の深み」を感じる方たちでした。ピタウ先生は、今でも、お付き合いをしております。

▼有吉佐和子の「複合汚染」にも感化

―大学卒業後はすぐに、現在の「大地を守る会」を設立したのですか?

藤田 いや。1970年に大学を卒業した後すぐ勤務したのは、小さな出版社でした。たまたま茨城で、土地改良剤を開発する高倉医師との巡り合いが現在の「大地を守る会」の出発点です。高倉先生は、戦時中毒ガス研究に携わったそうですが、シベリアから引き揚げてきて、港で毒ガスと同じ臭いに驚いた。それがDDTで、農薬にもなり、土壌を荒らし、健康被害の問題になった。

―私が滞在していたアフリカでもマラリアのハマダラ蚊撲滅のためにDDTが導入され、ハマダラ蚊が一時は減少しましたが、その結果、土地がダメになりました。

藤田 アトピー問題も化学薬品によるものと知って、有機農業の必要性を痛感するようになり、友人4人と「大地を守る会」を結成しました。また、当時は
有吉佐和子さんの小説「複合汚染」が発表され、この小説にも感化されました。
―確か「大地を守る会」の最初の会長は、歌手の加藤登紀子さんのご主人の藤本敏夫さんでしたよね。藤本さんとは昔からの友達ですか?

藤田 いや、藤本さんとは明治大学の反戦・反帝会議で御一緒したことがあったのですが、それほど親しくはありませんでした。立ち上げた4人の内の一人と藤本さんが友達で、刑務所から出てきた後、彼が、活動に興味を持ち、参加したので、彼を最初の会長にしました。

―「大地を守る会」は今では、三越の食品売り場でもその一角を占めており、「大地」の野菜でないと買わない「大地」ファンの家庭が多いようですが、それまでの一番の御苦労はなんだったのでしょうか?

藤田 やはり、ネットワーキングというチャンネルをつくることが大変でした。それに、命と暮らしを守るという信頼を獲得していくのに時間がかかりました。

▼TPP参加には大反対

―藤田さんにとって、「コムソフィア賞」とは何でしょうか?

藤田  1997年にコムソフィア賞をいただいたのですが、お陰さまで、
上智大学新聞以来の上智のマスコミから賞をいただいて、大変に光栄で名誉と思っています。特に上智大学新聞の諸先輩たちから、特に三菱商事会長の諸橋先輩からは上智大学新聞を廃刊に導いたのは私だとお叱りを受けておりましたので…。それに昨年2011年のコムソフィア賞受賞者の鮎川ゆかりさんは私の長年の友人でもあり、本当に適材者だったと思います。

―藤田さんにとって上智大学とは?

藤田 家内も上智卒ですし、先程言いましたように、学園紛争当時の右も左とか関係なく仲間になった人たちとは今でも、一生涯の付き合いをしていますし、ピタウ神父を尊敬しております。その意味で、上智大学は 「母」なる大地ですし、上智はファミリィーと考えております。

―最後にTPPについてお聞きします。TPPについてどう思われますか?

藤田 先ず、原発賛成を唱える人たちはTPP擁護者です。TPPに参加することによって、現在の食糧の自給率が39%から13%に下がることになると言われております。食の安全から言っても、大きな問題です。食の問題は年間1900万にも及ぶ食べ残しとか、富の分配を考えることの方が大事です
やはり、「大地を守る会」の根本的な原点である「命と暮らし」「自然環境と調和した、生命を大切にする社会の実現」を目指すという観点から、大反対です。
(取材:松村裕幸 '70外ポ)


藤田和芳氏プロフィール

1947年岩手県胆沢郡胆沢町(現・奥州市)出身。岩手県水沢高校卒業後、1970年上智大学法学部卒。1975年大地を守る会を立ち上げ、現在株式会社大地を守る会代表取締役社長。一般社団ソーシャル・ビジネス・ネットワーク代表理事、一般社団アジア民衆基金会長。100万人のキャンドルナイト呼びかけ人代表、アジア農民元気大学理事長、ふるさと回帰支援センター理事。1997年コムソフィア賞受賞。2007年Newsweek [世界を変える社会企業家100]に選ばれる。
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