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【特別講演会】9.11から10年・現場取材からの報告 福永佳津子氏

マスコミソフィア会・11月特別講演会
2012/01/15

テーマ:~海外で日本人が事件事故に出遭うということ~
    「 9.11から10年・現場取材からの報告」
日時 :2011年11月17日(木) 18時30分~21時(四ツ谷・ソフィアンズクラブ)
講演者:福永佳津子(ふくながかつこ)さん('71年文英卒)
    海外邦人安全協会理事・海外生活カウンセラー
参加者:22名

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講演会での福永氏

▼TVを見て、すぐにニューヨークの現場へ

□福永佳津子さんは、2001年9月11日に事件が発生したときには、ご主人の赴任先インドネシアからご一緒に、日本に一時帰国されていた。9.11のニュース報道を見た瞬間、自分はすぐにニューヨークに行かなくては、と思ったという。もともとニューヨークで6年生活し、「WISH」という世界各国の言語による電話相談室カウンセラーもしていた福永さんは「自分のライフワークはニューヨークで困っている日本人を助けることと思っていたので、すぐにNY日本総領事館に電話をし、現地に自費で行くことにしました」と語る。

□そのレポートは本ホームページに「9.11ニューヨークテロから10年 日本人であることを痛感した悲劇」という題で以前に寄稿くださっている。(クリックで参照)

□今回の講演では、その詳細と海外での危機管理について掘り下げた形となった。深刻なテーマだったにも拘わらず、福永さんのユーモアあふれる語り口で911を身近な話として捉えることができた。また海外旅行に気楽に行く人が多い中、個人の「危機管理」に対する姿勢やメディアの視覚的扱い方についても大変考えさせられる内容であった。

▼1泊19ドルのドミトリ―で取材活動開始

□ニューヨーク到着後、1泊19ドルのバックパッカ―用の宿「ドミトリ―」での滞在が始まった。現地の生の情報が高級ホテルに泊まるより入りやすいし、貴重な出会いもあり、その選択は正しかったという。

□福永さんは、当時読売新聞にコラムを書いていたので、ニューヨークに滞在している旨をデスクに報告したところ、「君を信用するから現地で目にすることを何でも記事にしてほしい」という返事が返ってきた。自分に一任をしてくれたその言葉に励まされ、一般のメディアでは伝えられていない現地での取材活動がスタートした。

□しかしパソコンも持たずに来たので、原稿を書くことも送ることもなかなか大変だった。サイバーカフェに1台だけあるという日本語対応のPCも見つけたものの、途中で故障したため、自宅に国際電話をして口述するなど思わぬ苦労が続いた。努力が実り、9日間「ニューヨーク日誌」は連載され、2001年10月3日の読売新聞朝刊には、帰国報告も掲載された。成田から帰国した日に徹夜で書き上げた原稿だった。

□福永さんは、ドミトリーで日本人の看護士の女性と出会い、現地のレッドクロス(赤十字)に登録し、夜はボランティアとしても活動をした。米国では、きちんとした身分証明書の確認が行われ、登録をすれば、だれでも自分の能力を提供できる機会があるのだ。
「現地で当時勉強をしていたその看護士の今後の活躍に注目したい」とつけ加えられた。

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レッドクロス(赤十字)ボランティアの人と身分証明書

▼安全が当たり前の海外旅行?

□「9.11ニューヨークテロから10年」のHP報告にあるように、日本では伝えられなかったが、セカンドパールハーバーと揶揄して言われ、直後は日本人に、そして、すぐにもアフガニスタン系住民に対して差別的な眼が向けられ、嫌がらせが始まった。

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アフガニスタン系タクシー運転手を客が選ばず、路上で口論になった様子

□そのような緊迫した現実の中、ツアーガイドの旗だけを頼りに行動していた日本人団体観光客が全便欠航命令を受けて、急に帰りのフライトがキャンセルになり、大混乱になったことや、たまたま9月11日に「ペンタゴン」で見学ツアーをしていた日本人主婦グループが被災した話も披露された。また、ホットラインで電話対応をしていた福永さんは、電話の内容は明かせないが、自分の家族の渡米先もきちんと把握せずに、安易に総領事館に電話をしてくる人が多かったことやドミトリ―の受付には、同じように日本の家族から日本人宿泊者への電話が殺到したことにも触れた。

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ペンタゴンツアーの最後のチケット

□このような話から「安全なのが当たり前の海外旅行」と安易に考え、「想定外」の事態を全く考えていない日本人旅行者ののんびりした感覚と危機管理能力のなさが浮き彫りにされた。最低限、自分の訪問している土地の地理、現地通貨の準備、重要な連絡先、急にフライトがなくなったときの延泊手続きの方法等は、おさえておかないといけないし、日本の留守家族もきちんと海外連絡先を把握しておく必要がある。

□当時、2日後には米国側がハドソン川に船をつけ、無料の宿泊施設と多言語(含日本語)ボランティアを用意したというが、このような現地の支援情報も観光客は知るすべもなく、日本人の利用者は一人もいなかったという。

▼「現地主義」のきびしい現実

□海外で個人に何かあった時は、「現地主義」というのが原則である。つまり「郷に入れば郷に従え」であるが、日本人個人の遺族にとって厳しい現実である。

□2011年9.11から10年を迎え、ニューヨークでスピーチをした13歳の少年のことを知っているだろうか。その祖父にあたるS氏は、9.11で息子さんを亡くされ、その事後処理のため、老後のための蓄えをほとんど使いきったそうだ。書類の翻訳や現地での通訳をはじめ、渡航費用等はすべて個人負担であり、公的援助は一切ないからだ。



□レッドクロス(赤十字)は事件から5年間、911に遭遇したために心のケアが必要となったすべての人に対して、かかった治療費の一部を援助するプロジェクトを展開した。ニューヨークのレッドクロスでもボランティア活動をした福永さんは、帰国してしまった日本人受給対象者にレッドクロスのプロジェクトを説明する会を開くべく、新聞にその告知を掲載した。ところが、その会場にはほとんどだれも来なかった。いらしたのはご遺族の数名で、おひとりが墜落した4機目のUA93便に乗っていた息子さんを亡くされたお母さんだった。「9.11ニューヨークテロから10年」のHP報告にある日の丸国旗を徹夜で縫い上げ息子を送り出したというエピソードもあったが、福永さんが「息子さんのことを新聞で知り、本当に心配していた。」と話しかけたところ、そのお母さんは、「そんなに心配してくれるならどうして私を探し出して、救いの手を差し伸べてくれなかったのか」とわっと泣き出した。もちろん福永さんはNYの現場にいて、直接手助けはできなかったのだが、マスコミに息子さんの死は取り上げられたが、英語もわからず、渡米経験もない一人残された母親は、ただ途方にくれていたことに心を寄せた人はいたのだろうか。翻訳等、実質的に彼女を援助する人は、ほとんどいなかったらしい。

□「この母親の叫びは当然のこと。海外で何かあったときにそれを助けるのは一体だれなのか?」と福永さんは会場に問いかけた。

□講演では、結論は出なかったが、遺族には、金銭的にも厳しい現実が待ち受けていることは、まぎれもない事実である。

□「海外では、自分が日本人であるという意識を持っていないといけない」と、福永さんは強調された。例えば、小泉首相がブッシュ大統領と握手を交わしたとたん、日本人は反イスラムの立場を表明したと解釈され、その影響により、事件に巻き込まれる可能性が高いからだ。実際、直後にイスラム圏で日の丸が燃やされる事件が起きたそうだ。

□危機管理のエピソードとしてさらに、こんな話も紹介された。日本では、子どもを一人で留守番させてもよいとされているが、米国では、12歳になるまでは親が子どもから目を離すことが許されず、親が身をもって危険とは何かを教え、自分で危機管理ができる人間に育てるそうだ。ちなみに例えば、駐車場の車に幼い子どもを放置して親がその場を離れたり、幼い子ども一人で留守番をさせると、米国では養育義務放棄、児童虐待となり、実際、罪を問われたた日本人家族もいるという。

□「日本では津波を想定した訓練も、集団行動での訓練はあるが、子ども本人が、どのようにして目の前の危機を脱するかを考え行動することを教えないことはおかしい」と、福永さんは指摘した。家庭や教育の現場では、団体旅行の観光客と同じで、旗をもった先生についていけばよいとしか教えられないのだろうか。

▼子どもの心の傷に配慮するメディア

□最後に福永さんはメディアの画像の流し方についても触れた。

□ニューヨークタイムズには事件後すぐに「親として子どもにこの事件をどのように伝えるのか」というメッセージが出ていたという。子どもの心のケアの問題である。テレビでは、ショッキングなビル倒壊の様子が繰り返し生々しく放送されたが、無心な子どもは親のそばでその場面を一緒に見ているのだ。事件以降、過食症のようになったり、ビルに見立てた段ボールに飛行機をぶつけて遊ぶ子どもに対してどのように対応したらよいかという相談に触れて、メディアに放映の際の配慮が必要と福永は強調した。

□2011年3.11の津波の映像も日本のメディアは流し続けた。本論からそれるが、2011年12月12日に上智大学ソフィア会主催の我謝京子氏(映画監督・ロイター記者、ニューヨーク在住)の講演会http://www.sophiakai.gr.jp/news/event/2011/2011121201.html で、この問題について私は質問をした。我謝氏自身、9.11当時、現地にいた方であるが、「アメリカの放送局では、9.11の記録番組が放送される前には、ウォーニング(注意)『これからの番組にはショッキングな画像が含まれますが、見ますか?』が表示され、視聴者は選択することができる」という。見たくない人は、別のチャンネルにすればよいのだが、日本ではそのような配慮は見たことがない。事実を隠すということではなく、子どもたちの心への影響を十分に配慮し、視聴者に選択の余地を与える工夫があってもよいのではないだろうか。

□福永さんの講演会は、日本人建築家の慰霊碑(スタッテンアイランド)やインドネシアで国外退去した時の話題等、質問も含め、大変盛りだくさんの内容で、しかも、人をあきさせなかった。

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日本人建築家(曽野正之氏)の慰霊碑(ポストカード)

▼感想

□年末の12月29日19時からの「『世界を変えた日 The Day that Changed the World』=NHK/Brook Lapping (イギリス2011年) 国際共同制作=」という9.11のドキュメンタリー番組を偶然BS放送で見た。米国側の政府高官等のインタビューが中心であったが、ジュリアーノN.Y.元市長が、「遺体を入れる布袋はあまり必要なかった。遺体のほとんどは原形をとどめていなかったから」と沈痛な面持ちで語る場面や墜落した一般人を乗せた4機目に対してブッシュ元大統領がミサイル攻撃を許可する苦渋の決断をした部分も、以前はテレビ番組として見ていた私だったが、講演会の遺族の話題と重なり、犠牲者のことを思い悲痛な気分になった。そして、この番組は、米国のように、事前のウォーニング画面もなく放送されていた。(報告:山田洋子 '77外独)

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講演後に歓談するコムソフィアンと福永氏


※文中注釈「アメリカ同時多発テロ事件」で犠牲となった日本人は24名。4機の旅客機がハイジャックされ、2機が世界貿易センタービル(WTC)へ、1機は国防総省(ペンタゴン)に激突した。4機目のハイジャック機「UA93便」は映画にもなったが、ワシントンに向かう途中、ペンシルバニアで墜落した。」

福永佳津子氏プロフィール

福永佳津子氏 71年文英卒。在ニューヨーク6年。マンハッタンビルカレッジで修士号取得。帰国後は海外生活カウンセラーとして講演、執筆多数。NHK趣味悠々「サトウサンペイと楽しむ海外旅行術(ロングステイ)」講師など。著書に「ある日海外赴任」「アジアで暮らすとき困らない本」など。海外邦人安全協会理事。ロングステイ財団政策審議会委員。
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