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三水会 5月講演会 「石ノ森章太郎と被災した関連施設(宮城県石巻市)の状況」 瀧川正靖さん

三水会 5月講演会 「石ノ森章太郎と被災した関連施設(宮城県石巻市)の状況」
■講師:瀧川正靖さん('84経済学科卒)株式会社石森プロダクション取締役副社長
■日時:2011年5月18日(水)18時30分~21時
■場所:四ツ谷・ソフィアンズクラブ(参加者数18名)


2011/6/11

 今回の三水会の講演会は前回の大西健丞氏に引き続き、東日本大震災の復興に焦点を当てた内容であった。漫画家・石ノ森章太郎氏は宮城県出身で、特に関連施設のある石巻市の被災の様子、また同氏の貴重な原画9万枚・救出作戦の裏話も披露され、民間企業と現地の人々が一体となり復興に向かう強い意気込みが感じられる講演会であった。石ノ森章太郎氏の時代を超越した発想・創造力と生き続けるキャラクター逹に感激した。

▼自己紹介

瀧川正靖氏 RIMG8362_R

 瀧川正靖氏は、1962年、アルゼンチン・ブエノスアイレス生まれ。3歳で帰国したので、スペイン語は覚えていないそうだが、次に、父親の赴任で、小学校2年生の時に行った中米・ドミニカ共和国の印象も語られた。「腰蓑だけの裸の現地人が立っている光景をみて最初ショックを受けましたが、首都に入ると都会でした。貧富差が激しく、西にはハイチがあり、貧しい地域です。ドミニカには広島カープの野球学校もあり、野球が盛んで、子供逹の夢は野球選手になることです。」

上智大学の経済学部では宇佐美ゼミで学び、卒業後、伊藤忠に入社。パーフェクTV!等に所属。当時オリジナル番組の提案をして、「ぺ―パ― ビュー」という料金だけ払ってその場で見るという新しいタイプの企画を担当し、「ハウンドドッグ」、「ローリングストーンズ・セントルイスラ イブコンサート」などを成功させた。新しい多チャンネルで面白いコンテンツをめざし、ドラマ、映画等担当していたところ、2004年に石ノ森 章太郎氏のプロダクションとのプロジェクトが始まり、2007年には伊 藤忠等とのジョイントベンチャー、現在の(株)石森プロができに再編され、現在、同社の取締役副社長を務められている。

▼石ノ森章太郎の名前の由来・作品紹介

 次に某大な作品数の中から代表的なものを紹介しならが、石ノ森章太郎氏の横顔や手塚治虫氏とのエピソード等も披露された。

 石ノ森章太郎氏は本名、小野寺章太郎、1938年生。宮城県登米郡石森(いしのもり)生まれなので、中学生時に投稿した際、ペンネームに生 地の名称を使い、石森章太郎で、「いしのもり」と読まれるだろうと本人は思ったが、結局「いしもり」としか読んでもらえなかった。 1986 年、デビュー30周年を機に、初心にもどるべく、「石ノ森」に改名。1998年享年60歳で他界。2008年にギネスブックに「1人の著者に よって出版された最多コミックの記録」として770作品12万8千枚で世界記録の認定も受けた。

石ノ森 作品(1)Ⓒ石ノ森章太郎プロ
二級天使サイボーグ009
二級天使サイボーグ009


石ノ森 作品(2)Ⓒ石ノ森章太郎プロ
仮面ライダーゴレンジャー
仮面ライダー秘密戦隊ゴレンジャー


 「石ノ森氏は大変早熟な方で高校2年生のときから手塚治虫氏のアシスタントを務め、高校3年で『二級天使』の連載でデビュー、また、テレビの企画、監督もなさる多才な方でした。人柄は、温厚で、おこったことがない・ことわらない人で、唯一、ある作品で原作者名が外された事件のときだけおこった。という逸話があるそうです。また、『ジュン』という作品について、手塚治虫氏の『あれは漫画ではない』というファンヘの発言 に、非常に傷つき、その連載をやめると発表したのですが、嵐の夜、手塚氏自身が『自分の失言であった』とわざわざ石ノ森氏宅に謝罪しに訪れ、連載が継続されたという話も有名です。」等のエピソードも語られた。

 ドラマ化もされた「HOTEL」、時代物「佐武と市捕物控」など、多岐にわたる代表作品のイメージが紹介され、例えば、1964年7月19日に発表された未完の大作「サイボーグ009」は、当時、東西冷戦の時代で、戦争の武器商人が若者を拉致し、兵器に改造するというプロットだが、時代の背景から国際社会の潮流まで取り入れた石ノ森氏の創造力の偉大さが改めて印象づけられた。

 「仮面ライダー」も主人公が改造人間で、似たプロットだが、今年40周年記念映画「オーズ・電王・オールライダー レッツゴー仮面ライダー」は4月から絶賛上映中で、第1週1位。TV番組「仮面ライダーオ―ズ/OOO」も好調。物販は3年連続最高売上・マーチャンダイジングは1.2倍の伸びを示し、不況にもかかわらず、メダルを使い変身するコンセプトが受け入れられ、不動の人気があるという。9月にも新企画が予定されているという。

(詳細:TV朝日HP:http://www.tv-asahi.co.jp/ooo/ 参照)

 「息子さんによると父親が寝ている姿を見たことがないそうで、石ノ森氏は、朝2時、3時ごろに寝て、翌朝7時ごろから起きてすぐ執筆なさっていたので、いつも背中しか見なかったそうです。無理な生活をなさっていたのか、60歳で亡くなられました。」(瀧川氏)ということだが、石ノ森章太郎氏の残したヒーロー達は、今も夢を人々に与えて生き続けるだろう。そして現実に今回の東日本大震災で、瓦礫の中に残った「石ノ森萬画館」や19体のアニメヒ―ローの像があり、石巻市の人々に復興への大きな希望を与えている。

▼石巻市の状況報告「今こそみんながひとつになる時」  石ノ森萬画館と原画救出作戦

 次に石巻市の被災の様子を3月末に現地で撮影された画像を見ながら、同市にある「石ノ森萬画館」の状況や支援活動について報告がされた。 

 「石ノ森萬画館(http://www.man-bow.com/manga/)」は国と石巻市によって運営されている公共施設であり、官民一体になって成功した第3セクターの施設の「手本」とされてきたが、今回の震災においても、避難所として地域社会に大きな貢献をした。また、石ノ森章太郎氏への熱い思いがひとつになり、東北の人々の謙虚でまじめな姿が浮き彫りにされた。講演会では、現地報告の前に、行方不明の方や亡くなった方への黙とうも捧げられた。

 石ノ森萬画館は宮城県石巻市、北上川河口に浮かぶ中瀬にあり、空から見た地形がN.Y.のマンハッタンに似ていることから”マンガッタン”と名付けられている。まず、瓦礫の中に、「空飛ぶ円盤」が不時着したような姿で残っている建物を見て、会場の全員が目を見張った。アニメーションの世界が現実の中に表れたようだった。

0000a中州
(石巻市マンガッタン)

032萬画館_R
(震災後の萬画館)

 一階だけで高さ8M以上ある同館は中州に降りたった宇宙船をイメージし、造船技術を駆使して建設されたものだが、この石ノ森章太郎氏の奇抜な発想が震災から同館を救い、救援活動にも役立つことになる。丸い形で窓もない構造から、瓦礫も入らず、3階建の建物の2階以上は無事で展示物にも被害はなかった。

015館内様子_R
(被災後の萬画館の館内の様子)

 3月11日の震災後、約1週間連絡不通で、瀧川氏によると東京では、その時、全く現地の様子がわからず非常に恐ろしい状態であったという。震災当日萬画館では、水が引いた時に、来館者や職員を外に避難させ、結果的には全員無事であったそうだ。しかし、職員が1名館内に取り残されていたことが判明。松島の航空自衛隊の捜索ヘリのキャラクターに同社のものが使われた関係があり、自衛隊にも連絡したりした。一方、館内に残された職員は、近辺の橋にいた人や流されてきた人逹、約40名を同館内に助け入れ、臨時の避難場所として開放した。最上階のレストランにあった食料で数日過ごしたが、窓がないため、昼間でも真っ暗の状況だったという。

 19日になりやっと現地と連絡がとれ、「至急収蔵されている原画9万枚をとりにきてほしい。」という依頼があった。安全な管理ができず、盗難被害も防ぐためだったという。「被災した自分のことよりも石ノ森氏の原画救出を優先させてほしいという東北の人逹の生真面目さに大変感激しました。」(瀧川氏) そこで急きょ、現地に行くことになったが、情報や物資もなく、道路がやっと通じた3月30日に乗用車1台、トラック1台で6時間半以上かけて現地に到着。停電の中、発電機を使い、403箱9万枚の原画を2時間で無事に外へ運びだすことに成功した。「現地の方に『遠くからわざわざいらしていただいてすみません。』と頭を下げられ、世界に報道されているように謙虚な方逹で本当にすばらしいと思いました。」(瀧川氏) 事前に建物は倒壊の危機があるという情報を現地で流し、原画もすべて運びだしたと発表しておき、隠密でこの救出作戦は実行されたという。

024原画救出の様子_R
(原画を運び出している様子)

029救出された原画_R
(救出された原画の入った箱)

 講演では、当時の様子や、萬画館の「萬」の字はあえて「漫」ではなく、「よろず」という「多方面の分野にわたる」という広い意味をもつという命名の由来についても触れられた。

 また石巻市内では19体のアニメキャラクター像が建てられているが、1体を除き、ほとんど全て無事であった。大変な状況であるにもかかわらず現地の人逹は、愛情を持って、キャラクターをきれいに掃除しているという。 瓦礫の中に立っている生き生きとしたアニメキャラクターの画像が紹介され、人々に夢と希望を与えていることがよくわかった。

瓦礫の中で生き残ったヒーロー
(瓦礫の中で生き残る仮面ライダー像)

 「石巻日日(ひび)新聞(4月15日)」には石森プロ・小野寺章社長が「皆さんが復興のヒーロー」というメッセージを発表するなど、メディアの掲載事例も多く紹介された。特に萬画館が柱1本折れず大津波に耐え、避難所として使われた様子は現地の新聞でも大きく取り上げられ話題になった。新聞見出しには「仮面ライダーが石巻の復興の希望(スポーツ報知3月28日)」等アニメのヒーローと一緒に伝えられていた。漫画家のやなせたかし氏からも寄付が寄せられたという。

 5月には、萬画館で春のマンガッタン祭りも開催され3千人もの子供逹が訪れ盛況で、復興支援のため映画上映会等も行われた。(春のマンガッタン祭りホームページ

 最後に瀧川氏は、「石ノ森萬画館は県 や市には衣食住ライフラインが優先なので、すぐには娯楽・文化に は費用がでないということを言われたらしいため、民間企業として 自助努力を続け、マスコミから発信もできる数少ない施設として『石ノ森萬画館』をぜひ復興させたい。」と語り、「特に、2階以上はほぼ被 害にあわなかったのに、開館が遅れ、めどがたたないことは、大変悔しい。」と思いを露わにした。石森プロでは「今こそみんながひとつになる 時」というスローガンの下、出来る限りの支援活動を続けるという。今後の石ノ森萬画館と石森プロの復興支援活動を応援したい。

045今こそみんながひとつになるとき_R
(今こそみんながひとつになる時:キャンペーンポスター)

同社では「石ノ森萬画館復興義援金募集」のチャリティーTシャツ販売も行っています。(http://www.ishinomori.co.jp/shien/)是非ご覧ください。

(報告:山田洋子('77外独))


プロフィール

瀧川 正靖(たきがわ まさやす)

1962年 アルゼンチン生まれ (3歳で帰国したのでアルゼンチン、スペイン語は覚えていません)
     小2でドミニカ共和国へ 小5帰国
1984年 伊藤忠商事株式会社入社
1985年 JCSAT 日本通信衛星㈱に出向
1992年 帰任し、JCSATとSAJAC(住商、日商岩井系)の合併事務局
1994年 パーフェクTV!(そしてスカパー!へ)立上げ業務
1997年 日本初の音楽PPV国内生中継「ハウンドドッグ」海外からの生中継
     「ローリングストーンズ ライヴ フロム セントルイス」
     格闘技「PRIDE.1」(ヒクソン・グレイシー対高田延彦)生中継 等々
2000年 帰任 その後、コンテンツ関連事業担当(ドラマ「医者と患者」、
     主な映画製作委員会「CASSHERN」「あらしのよるに」等
2004年 伊藤忠商事㈱は㈱石森プロと合弁で㈱石森エンタテインメント設立
2006年 MOTTAINAIプロジェクト立上げ(毎日新聞社・【ノーベル平和賞受賞者】ワンガリ マータイさんと。)
2007年 ㈱石森プロと㈱石森エンタテインメントを統合。同年、㈱石森プロに出向

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  • Date : 2011-06-11 (Sat)
  • Category : 三水会
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