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原発事故で転換迫られるドイツの原発政策

□東北地方太平洋沖地震の被災者の方々に、心よりお見舞い申し上げます。一日も早い復興を、ドイツから祈っています。

▼日本の家族を気遣うドイツ人

□3月11日は、上智大学の欧州巡礼団を迎える打ち合わせのためケルン教区の本部にいた。そこへ巨大地震のニュースが届いた。ドイツのライブTV局フェーニクスからインタビューを申し込まれた。帰宅すると何十通ものお見舞いメールが来ていた。各地のコンサートで義捐金が集められる。教会では日曜のミサで日本の被災者のために祈っている。パン屋の娘さんや車屋のおじさんまで家族や親類のことを気遣ってくれる。日本人の立派な態度をほめる声が多い。

▼日本中が汚染されるとパニックに

□翌日、気象学者がテレビで福島地方の風向きを取り上げ、放射性物質が東京に向かうかもしれないと語った。パニックに陥ったドイツ人が大金を払い、帰国の飛行機の席を確保したとか。津波の様子がテレビの画面に繰り返される合間に、勤めの義務があるからという日本人の夫との離婚も辞さぬと、幼児を連れて逃げ帰ったドイツ人妻の談話が放映された。チェルノブイリのビデオが写る。ドイツ人特派員は東京ではなく大阪からの現地報告だ。最初、ドイツ人は日本中が放射能で汚染されたとの印象を抱いたようだ。このとき既に福島の事故を「Super GAU」(超大原子力事故)と評価するドイツ人がたくさんいた。

▼やがて原発廃止のデモが4大都市で

□だが時間がたつにつれてドイツ人の主要な関心は自国の原発をめぐる問題に移っていった。日本の巨大震災の報道を受けて、ドイツの原発政策が政治の主要テーマになった。「チェルノブイリの二の舞はごめんだ」という意見と、「原子力は有力な代替エネルギーが導入されるまでのブリッジの役割を担う」という意見が、正面からぶつかる。
□「ブリッジはよいが、対岸が見えているのか」と問う声も聞こえる。ベンツとポルシェの町シュトゥットガルトでは6万人が原発反対のデモをした。ベルリン、ミュンヘン、ハンブルク、ケルンのドイツ4大都市で合計25万人が「福島に習え、即刻原発廃止」のデモに参加した。

▼追い込まれた推進派のメルケル首相

□メルケル首相も、当初は日本国民に対する深い同情と連帯の気持ちを表明していたが、その後は「福島原発の事故を受けてドイツ政府も原子力政策を大きく見直さざるを得なくなった」と発言する。震災2日後の日曜日、南西ドイツの州議会選挙で連邦政府の連立与党キリスト教民主同盟と自由民主党が大敗した。
□翌3月14日、メルケル首相は「現在国内の17か所で稼動しているすべての原発の安全性を向こう3ヶ月以内にチェックする」と表明。さらにその翌日には「1970年代に運転を始めた7か所の古い原発をこの期間内に停止する」と発表した。
□2002年に連邦議会が「原発を2020年までにすべて廃棄する」と決議したのに、2009年に政権を獲得したメルケル首相は、すぐに稼動期限を延長した。だが福島原発事故で窮地に追い込まれ、突然、「延長期間を凍結する」と表明。4月15日には「なるべく早い時期に脱原発を実現し、代替エネルギーの開発、配線網の整備等に全面努力する」と発表した。

▼ドイツが脱原発でも隣国に原発が

□ドイツの原発が発電に占める率は22,4%(2010年)。60%近くが化石燃料で、いまCO2の処理が問題になっている。代替エネルギーの開発もまだ不十分。脱原発の時期を明確に打ち出せないのも当然だ。しかし、ドイツだけ脱原発しても大丈夫なのかという疑問が残る。
□お隣りのフランスは原発国だ。オランダは新しい原発の建設計画を進めている。チェコやスイスもドイツとの国境近くに原発がある。

▼技術で補う道しかない日本

□結局は今ある原発の安全性を高めながら代替エネルギー、そして特に蓄電の技術を高める努力を急ぐほかない。ドイツのように露天掘りができる発電用の褐炭すら無い日本などは十分に考えるべきだ。「日本人は技術の力に頼りすぎる」とドイツ人は言うが、自然の恵みの不足を技術で補う意外に道はあるのだろうか。
(了)

(文: 元ドイツ国際放送記者 吉田慎吾('60文新)=在ドイツ=)


吉田慎吾氏略歴

1937年11月東京に生まれる。1960年上智大学文学部新聞学科を卒業。翌年から3年間上智大学院西洋文化研究科に在籍。修士の単位はとったが修士論文をださずにDAADの留学生としてベルリン自由大学でPublizistik (プブリツィスティーク)学を学び1968年Dr. phil. (博士号)を取得。1969年から2000年までケルンのドイツ国際放送局『ドイチェ・ヴェレ』で放送編集記者を勤める。2004年ローマ法王ヨハネ・パウロ2世からグレゴリオ勲章を授与される。
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