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三水会2014年9月講演録:鈴木一男さん

■講演テーマ:「ガンバル、85歳の国際交流活動」       ―NGO・ワンワールド・ワンピープル協会の社会貢献活動に邁進―■講 師 鈴木一男(すずきかずお)さん ('52年文学部新聞科卒)     NGO ワンワールド・ワンピープル協会(OWOP) 会長■日 時 2014年9月17日(水) 18:30~20:30■場 所 ソフィアンズクラブ  ■参加者:20名※NGO ワンワールド・ワンピープル協会 http://www.owop.gr.jp/〈鈴木一男プロフィー... ■講演テーマ:「ガンバル、85歳の国際交流活動」<br />       ―NGO・ワンワールド・ワンピープル協会の社会貢献活動に邁進―<br />■講 師 鈴木一男(すずきかずお)さん ('52年文学部新聞科卒)<br />     NGO ワンワールド・ワンピープル協会(OWOP) 会長<br />■日 時 2014年9月17日(水) 18:30~20:30<br />■場 所 ソフィアンズクラブ  <br />■参加者:20名<br />※NGO ワンワールド・ワンピープル協会<br /> <a href="http://www.owop.gr.jp/" target="_blank" title="http://www.owop.gr.jp/">http://www.owop.gr.jp/</a><br /><br /><a href="http://blog-imgs-76.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20150301103053c05.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-76.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20150301103053c05.jpg" alt="正面 RIMG5351" border="0" width="430" height="323" /></a><br /><br />〈鈴木一男プロフィール〉<br />昭和4年生まれ、現在85歳。在学中2年生で上智大学新聞の編集長に就任。学業のかたわら夜は国際学部の事務所でアルバイト。極東政治史のバティスティーニ教授に認められて助手となる。1年後輩の渡部昇一氏とともに「現代の日本政治における青年層の政治団体について」の研究を行う。国際学部を受講していた米軍将校たちと親交を深めたのが、後日米軍基地内で日本の物産を販売する事業につながった。その後、海外のベビー用品を日本全国の百貨店に卸す事業を始める。やがてアメリカの教育セミナー会社に60歳で総務部長として入社。同社の社会貢献事業であるOne World One People事業を担当し、現在はNGO(民間組織による国際協力団体)として独立させ、今もその会長として現役で活動している。<br /><br />ワンワールド・ワンピープル協会(OWOP)は、「世界中のすべての人々にとってうまくいく世の中」というビジョンを掲げ、その実現に向かって活動をしているNGO。この協会の海外支援の具体的な成果としては、これまで20年以上にわたりスリランカの子供たちに幼稚園と農村に井戸を贈ってきている。現在では、加えて図書館やコミニティセンターの建設、奨学金・教育プログラムの支援も行なっている。<br /><br /><a href="http://blog-imgs-76.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20150301103233081.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-76.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20150301103233081.jpg" alt="講演の様子RIMG5371" border="0" width="430" height="323" /></a><br /><br /><span style="font-size:large; color:blue;">▼演者口上!</span><br /><br />「こんばんは今日はこういう機会をいただいてありがとうございます。今日は、上智大学にもこういう時代があったという昔話をリラックスした雰囲気でお話させていただき、私の今活動しているワンワールド・ワンピープル協会についてもご紹介させていただきます。 先月(2014年8月)は、大学生を中心に日本の方10名ほどとスリランカにいってきたばかりです。」<br /><br /> 冒頭から、85歳とは思えない明るく元気なご挨拶で始まった。<br /> <br /><span style="font-size:large; color:blue;">▼渡部昇一さんといっしょに英訳の手伝い―大学に寝泊まりした学生時代 </span><br /><br /> 鈴木さんが今行なっている活動を始めた原点は、上智大学で学んだことからなのだそうだ。戦争直後の上智大学や四谷界隈は焼け野原で何もなく、お堀ではカエルが鳴いているような所だったと懐かしそうに昔の様子も話された。授業を受けながら、毎日新聞で夜アルバイトをしていたが、夜間在日駐留軍人に授業を行う国際学部を始めたミラー神父様に勧められ、事務所で雑用係のようなこともなさっていたそうだ。<br /><br />当時は、進駐軍の高級将校なども日本の歴史についての授業を聞きにきていたので、神父様の手伝いをしていた鈴木さんの生活には、直接西洋文化が入ってくることになったという。当時のミラー神父様は「自分の誤りは自分で正しなさい」という大変厳しい方。封筒に記入する宛先の位置が1cmでもずれているとただ黙って書き直しを求めるほどで、すごい勉強になったそうだ。しかしその反面、厳しい食料事情の折、大人数の姉妹たちにと援助の手をさしのべてくださった人間味あふれる思い出が沢山あるという。<br /><br />ボッシュタウンと呼ばれた学生寮では、山形出身でドイツ留学された渡辺昇一先生や米国留学された新聞学科の川中康弘先生が居られた。バティスティーニ教授が、当時の国際部(International Division ―通称インデヴィ)で「極東政治史」を教えられていて、当時様々な政治団体の若い人にインタビューレポートを作成されるのを、渡部先生が英訳を担当したのも懐かしい思い出だったとの事。<br /><br />鈴木さんは早稲田大学の大学院に進み国際政治を学ばれたが、「激動する社会情勢でしたが、上智大学のような温かい家庭的な雰囲気はありませんでした」と母校の神父様との人間交流を振り返られた。そんな時に、お父様が急逝されて、家族を養うために仲良くなっていた高級将校から、進駐軍基地内の店舗PXを紹介されて、商売を始めた。日本の土産品の販売から始め、最初はトヨタのトラックに寝泊まりしながらの生活だったが、だんだん生活が成り立つようになった。「新聞編集で大学にもよく寝泊まりしたし、かなり乱暴な人生を送ってきました」と当時を振り返られた。<br /><br /><a href="http://blog-imgs-76.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20150301103417f22.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-76.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20150301103417f22.jpg" alt="会場の様子RIMG5415" border="0" width="430" height="323" /></a><br /><br /><span style="font-size:large; color:blue;">▼苦労した上智大学新聞の紙の確保―神父様の援助で忍ぶ</span><br /><br /> 特に鈴木さん自身が編集長で発行していた「上智大学新聞」には、大変思い入れがあり、諸橋晋六元ソフィア会会長、井上さん、赤羽さんから、ヘルツォーク神父、ビッター神父、ボッシュ神父等の思い出についても語られた。 特に神父様に資金援助をしていただいたこと、当時はまず印刷する紙の確保に苦労されたこと、そしてアルバイトをしていた毎日新聞社で“広告紙型”をもらい、掲載料をもらいに電通までいらしたこと等、当時の新聞学科の先輩と徹夜で議論しながら、当時一号館の半地下で寝泊まりし、上智大学新聞を作られた思い出話に花が咲いた。現在上智大学新聞は廃刊されていて、上智新聞が大学の新聞となる。<br /><br /><span style="font-size:large; color:blue;">▼アメリカ、アスペンでの人生の転機、「未来への選択 - CHOICES FOR THE FUTURE」セミナー 、ボランティア活動への目覚め</span><br /><br /> 上智大学でいろいろな体験をしながら、食べるために貿易事業を始められた鈴木さんだが、その後事業に成功され、アメリカンクラブにも出入りされるようになり、アメリカ人との交友が増えた。その中で、某アメリカ人に薦められ参加した企業活性化のセミナーがきっかけで現在のボランティア活動を手伝うようになり、肌の色、宗教、政治的な信条が異なっても同じ仲間の人間であるという「ワンワールド・ワンピープル」という活動を知った。ちょうど自分の力の限界を感じ、組織の力をかりてもっと何かに貢献できないかと考えるようになったため、活動を手伝うことにしたという。<br /><br />そのような中、大きな転機はジョンデンバー主催の「未来への選択 CHOICES FOR THE FUTURE」というセミナーに参加されたことだ。ロッキー山脈の中の素晴らしい会場で開催され、感激した鈴木さんはその後、スリランカでのボランティア活動に参加された。<br /><br />最初は日本で使わなくなった古いメガネを集めてスリランカに送ることから始まり、現在は、井戸や幼稚園、図書館の建設資金を寄付している。亡くなった夫の記念のメガネを寄付してくださった方もあり、大変感動したこともあるそうだ。古いメガネはスリランカではありがたく受け取ってもらい、寄付の効果がはっきり目にみえてわかるし、シンプルなちょっとした発想が人助けにつながるという気づきが、その後の活動の大きな原動力となったそうだ。「現地のニーズにあった支援をすることが大切です」と強調された。 米国には貧しいアフリカの国に対して、20倍の食糧があるという格差もなくしたいとも語られた。<br /><br /><span style="font-size:large; color:blue;">▼「アースデイ」など、これまでのワンワールド・ワンピープル協会の活動</span><br /><br /> 協会では、以前「アースデイ」という地球環境を守るイベントに参加した。また、旧ソ連で行われた、ロシアや米国の市民国際交流として激流を下るイベントに日本からも参加し、さらにトルコでの激流選手権大会にも参加したという。鈴木さんの活動を25年前からサポートされているソフィアンの藤生崇則さんは、お父様が亡くなった時に、お父様の名前を付けた幼稚園を建設され、その時の様子も動画で紹介された。<br /><br /><a href="http://blog-imgs-76.fc2.com/c/u/m/cumsophia/201503011037018c7.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-76.fc2.com/c/u/m/cumsophia/201503011037018c7.jpg" alt="スライド5創成期1990 アースデイ" border="0" width="430" height="298" /></a><br />資料スライド:創成期1990 アースデイ<br /><br /><a href="http://blog-imgs-76.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20150301103703e4d.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-76.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20150301103703e4d.jpg" alt="スライド6創成期1991〜1992年 ソ連、トルコでのイベント" border="0" width="430" height="298" /></a><br />資料スライド:創成期1991~1992年 ソ連、トルコでのイベント<br /><br /><a href="http://blog-imgs-76.fc2.com/c/u/m/cumsophia/201503011037043fd.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-76.fc2.com/c/u/m/cumsophia/201503011037043fd.jpg" alt="スライド7初期 初期1993年第1回サルボダヤスタディツアー" border="0" width="430" height="298" /></a><br />資料スライド:初期1993年第1回サルボダヤスタディツアー(スリランカ<br /><br /><a href="http://blog-imgs-76.fc2.com/c/u/m/cumsophia/2015030110370654f.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-76.fc2.com/c/u/m/cumsophia/2015030110370654f.jpg" alt="スライド8初期 1993年(井戸と幼稚園の数を示す地図)" border="0" width="430" height="298" /></a><br />資料スライド:初期1993年(井戸と幼稚園の数を示す地図)<br /><br /><a href="http://blog-imgs-76.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20150301103708bb0.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-76.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20150301103708bb0.jpg" alt="スライド10初期 1993年〜2003年様々な活動の様子" border="0" width="430" height="298" /></a><br />*資料スライド:初期1993年~2003年様々な活動の様子<br /><br /><span style="font-size:large; color:blue;">▼リピーターも多い人気のスリランカスタディツアー</span><br /><br /> 協会では、毎年夏休みにスリランカで約2週間ホームスティをして現地の村人といっしょに井戸掘りをするボランティア活動のスタディツアーを始められ、20年以上スリランカに行ききされているそうだ。ちょうどスリランカ滞在中の2014年8月26日に誕生日を迎えられ、85歳になられたが、スリランカでは60歳くらいで引退をする人が多いので、スリランカの人に大変驚かれたそうだ。「私の子どもの頃はお誕生日というお祝いがなく、お正月に一つ年を取った」「1月1日は10年以上スリランカに滞在なので、4月がお正月のスリランカでは年を取らないのです」現地の人に説明、大笑いをするそうだ。スリランカは長年英国統治下にあったため、西洋文化の影響を大きくうけているため誕生会を盛大に行うそうだ。「誕生日といわれると気恥ずかしく、60年で自分のお誕生日は終わったことにしている」とも語られた。<br /><br />スリランカは大家族で、一族郎党が隣近所に住み、現在の日本社会ではなかなか味わえない密度の濃いコミュニティが残っているそうで、特に日本の都会では消えてしまった温かい人との交流を体験できるので、3年も続けて参加した学生もいたそうで、人気のあるツアーのようだ。<br /><br /><span style="font-size:large; color:blue;">▼ボランティア活動の長続きの秘訣は各自の自然体の提供</span><br /><br /> 協会は、これまでスリランカに井戸を325ヵ所に、幼稚園を200以上つくられたが、予算は井戸が7-8万円、幼稚園が50-60万円くらいでできる手作りの簡単なもので、現地にホームスティで行く学生さんも手伝っている。100万円もあれば、図書館付のりっぱな幼稚園ができるそうだ。毎年スリランカに学生を連れてホームスティもされているが、最初、飲み水から体を洗う水まで同じ沼で行われることに抵抗がある若者も最後には、現地の人となごやかに交流するようになり、リピーターも多いという。<br /><br />「自分達が主役ですよ」と学生に報告書やガイドブックも作らせたり、学生には、いっぱい学べるチャンスを与えている。また60歳過ぎのリタイアした人も一緒に若者と活動をしている。これを機会にそのうちにまた新しい活動報告をぜひしたいと生き生きと鈴木さんは語られた。自然体でそれぞれの得意分野を提供することによってボランティア活動を支えるのが、長続きの秘訣のようだ。<br /><br /><a href="http://blog-imgs-76.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20150301104122a79.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-76.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20150301104122a79.jpg" alt="スライド11青年期 2003年〜2004年井戸掘りの様子" border="0" width="430" height="298" /></a><br />資料スライド:青年期 2003年~2004年井戸掘りの様子<br /><br /><a href="http://blog-imgs-76.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20150301104124a8a.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-76.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20150301104124a8a.jpg" alt="スライド14青年期 現在の活動の様子" border="0" width="430" height="298" /></a><br />資料スライド:青年期 現在の活動の様子<br /><br /><span style="font-size:large; color:blue;">▼質問コーナー</span><br /><br /> 学生時代の思い出については、「上智がなんといってもNO.1です。今日の三水会のような機会は私の人生の大きな宝物になります」と語られた。<br /><br />また、今も国際的ボランティア活動に邁進する「若さの秘訣」は、毎日の食事を20品目必ず食べるようにして、よく噛むようにしているとのことだった。お酒は、365日飲んでいて、お母様も長寿、106歳で2年前に亡くなったという。<br /><br /><a href="http://blog-imgs-76.fc2.com/c/u/m/cumsophia/2015030110435731c.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-76.fc2.com/c/u/m/cumsophia/2015030110435731c.jpg" alt="質問 長寿の秘訣RIMG5406" border="0" width="430" height="323" /></a><br /><br />最後にスリランカの社会情勢についての質問に対しては、現政権がタミール人のゲリラを弾圧したことや、最近では中国の進出がめだつことについて触れられた。<br /><br />様々な質問が出た中、鈴木さんは淡々と一人ひとりに丁寧に答えられた。<br /><br /><a href="http://blog-imgs-76.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20150301104357c6b.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-76.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20150301104357c6b.jpg" alt="懇親会トロントからの参加者新聞学科63年卒RIMG5428" border="0" width="430" height="323" /></a><br />懇親会にてトロントからの旧友と・・・<br /><br /><span style="font-size:large; color:red;">▼感想</span><br /><br /> 詳しくお話をうかがうと、スリランカの政情が不安定でゲリラに襲われる危険のあるような時代から、行き来されて来られたことがわかった。それでも、支援に対して手ごたえがあるスリランカで活動を続けられる鈴木さんの若々しくはつらつとした姿に感銘を受けた講演でした。(聞き起し 山田洋子 '77外独)<br />
  • Date : 2015-02-28 (Sat)
  • Category : 三水会
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ソフィアンの書いた本_会報68号

■英語教育論争から考える鳥飼玖美子著(1969外西・第20回コムソフィア賞受賞)みすず書房刊 2014年8月8日発行、2,700円+税英語教育論争から考える鳥飼 玖美子 みすず書房 2014-08-09売り上げランキング : 133743Amazonで詳しく見る by G-Tools 「日本の英語教育の歴史は、批判を受けての”抜本改革”提言の歴史である」著者は冒頭をこう述べて、今から40年前、平泉渉参議院議員と上智大学渡部昇一教授の間で行われた英語教育... <span style="font-size:large;">■英語教育論争から考える<br />鳥飼玖美子著(1969外西・第20回コムソフィア賞受賞)<br />みすず書房刊 2014年8月8日発行、2,700円+税</span><br /><table border="0" cellpadding="5"><tr><td valign="top"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4622078473/twoc-22/" target="_top"><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/41RvIIdg9jL._SL160_.jpg" border="0" alt="英語教育論争から考える" /></a></td><td valign="top"><font size="-1"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4622078473/twoc-22/" target="_top">英語教育論争から考える</a><br />鳥飼 玖美子 <br /><br />みすず書房 2014-08-09<br />売り上げランキング : 133743<br /><br /><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4622078473/twoc-22/" target="_top">Amazonで詳しく見る</a></font><font size="-2"> by <a href="http://www.goodpic.com/mt/aws/index.html" >G-Tools</a></font></td></tr></table><br /><br /> 「日本の英語教育の歴史は、批判を受けての”抜本改革”提言の歴史である」著者は冒頭をこう述べて、今から40年前、平泉渉参議院議員と上智大学渡部昇一教授の間で行われた英語教育「大論争」を軸に「日本の英語教育」を論じている。この本で「平泉試案」について初めて詳しく知ることができたが、この「試案」は現在にも通じる内容であることに驚いた。そして著者は「グローバル市民にとって必要な”異文化コミュニケーション能力”は”相手に配慮しつつ、自らの考えを論理的に主張し、折り合うことのできる能力”である」とする。本書を通読すれば日本の英語教育の何が問題かがよく理解できる好著である。 <br /> <br /><span style="font-size:large;">■なぜ本屋に行くとアイデアが生まれるか<br />嶋 浩一郎著(1993法法 博報堂ケトル社長・第23回コムソフィア賞受賞)<br />祥伝社 2013年6月10日発行 780円+税</span><br /><table border="0" cellpadding="5"><tr><td valign="top"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4396113218/twoc-22/" target="_top"><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/41xy3gXE%2BFL._SL160_.jpg" border="0" alt="なぜ本屋に行くとアイデアが生まれるのか(祥伝社新書321)" /></a></td><td valign="top"><font size="-1"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4396113218/twoc-22/" target="_top">なぜ本屋に行くとアイデアが生まれるのか(祥伝社新書321)</a><br />嶋 浩一郎 <br /><br />祥伝社 2013-06-03<br />売り上げランキング : 169555<br /><br /><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4396113218/twoc-22/" target="_top">Amazonで詳しく見る</a></font><font size="-2"> by <a href="http://www.goodpic.com/mt/aws/index.html" >G-Tools</a></font></td></tr></table><br /><br /> 本を溺愛し、「本屋大賞」を推進する著者が書いた、出るべくして出た本といえよう。今や情報も本もネットで入手することが出来るが、本屋にいかなければ絶対得られないものがある。それは想定外の出会いの場を提供してくれて、新しいアイデアがあふれるという。特に「本屋の歩き方5カ条」は秀逸、試みる価値あり。著者と奥さんとの本を巡る夫婦喧嘩の話も出てきて思わず破顔する。<br /> <br /><span style="font-size:large;">■木材・石炭・シェールガス―文明史が語るエネルギーの未来<br />石井 彰著(1974法法)<br />PHP新書 2014年5月2日 780円+税</span><br /><table border="0" cellpadding="5"><tr><td valign="top"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4569817971/twoc-22/" target="_top"><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/413uOepX4wL._SL160_.jpg" border="0" alt="木材、石炭、シェールガス 文明史が語るエネルギーの未来 (PHP新書)" /></a></td><td valign="top"><font size="-1"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4569817971/twoc-22/" target="_top">木材、石炭、シェールガス 文明史が語るエネルギーの未来 (PHP新書)</a><br />石井 彰 <br /><br />PHP研究所 2014-04-16<br />売り上げランキング : 27718<br /><br /><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4569817971/twoc-22/" target="_top">Amazonで詳しく見る</a></font><font size="-2"> by <a href="http://www.goodpic.com/mt/aws/index.html" >G-Tools</a></font></td></tr></table><br /><br /> 日本にとって先の戦争原因がエネルギー、特に石油であった。目下のエネルギー問題は、原子力発電が止まって火力用天然ガスである。その輸入代金が国家の経済を圧迫している。では我々は将来日本のエネルギーをどのように選択すればよいのか、著者の長年の調査研究による示唆に富んだ発言(再生可能エネルギーは環境に悪い・他)には、目の鱗が落ちる。<br /> <br /><span style="font-size:large;">■ファイナル・ウォー―アメリカが目論む最後の「日本収奪計画」<br />ベンジャミン・フルフォード著(1960比文 米経済誌「フォーブス」元アジア太平洋支局長・第13回コムソフィア賞特別賞受賞)<br />扶桑社 2014年8月11日1,300円+税</span><br /><table border="0" cellpadding="5"><tr><td valign="top"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4594070876/twoc-22/" target="_top"><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/411ixMTZjLL._SL160_.jpg" border="0" alt="ファイナル・ウォー アメリカが目論む最後の「日本収奪計画」" /></a></td><td valign="top"><font size="-1"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4594070876/twoc-22/" target="_top">ファイナル・ウォー アメリカが目論む最後の「日本収奪計画」</a><br />ベンジャミン・フルフォード <br /><br />扶桑社 2014-08-02<br />売り上げランキング : 22135<br /><br /><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4594070876/twoc-22/" target="_top">Amazonで詳しく見る</a></font><font size="-2"> by <a href="http://www.goodpic.com/mt/aws/index.html" >G-Tools</a></font></td></tr></table><br /><br /> かつて日本のメディアが報じなかったブシュ元アメリカ大統領と小泉首相の欺瞞を鋭く指弾した著者は、この本ではアベノミックに内在するアメリカの狙い、特にTPPについて迫っている。日本経済は、著者が12年前に書いた『日本がアルゼンチンタンゴを踊る日』(光文社)で指摘したハイパーインフレの恐ろしさが現実のものになろうとしている。<br /> <br /><span style="font-size:large;">■波止場浪漫(上・下)<br />日本経済新聞出版社刊、2014年12月1日発行 各冊1,600円+税<br />諸田玲子著(1976文英・第9回コムソフィア賞受賞)</span><br /><table border="0" cellpadding="5"><tr><td valign="top"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/453217130X/twoc-22/" target="_top"><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/61ClkIId92L._SL160_.jpg" border="0" alt="波止場浪漫 (上)" /></a></td><td valign="top"><font size="-1"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/453217130X/twoc-22/" target="_top">波止場浪漫 (上)</a><br />諸田 玲子 <br /><br />日本経済新聞出版社 2014-12-02<br />売り上げランキング : 112447<br /><br /><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/453217130X/twoc-22/" target="_top">Amazonで詳しく見る</a></font><font size="-2"> by <a href="http://www.goodpic.com/mt/aws/index.html" >G-Tools</a></font></td></tr></table><br /><br /> 次郎長の娘が胸に秘める幾星霜を経た切ない恋…近代化を急ぐ明治から大正の世、清水の波止場を舞台に、東大出の西洋医との出逢いが人生を変えた…。この物語は日本経済新聞朝刊に2013年4月18日~2014年7月9日まで連載された。※執筆時の講演録がコムソフィアオンラインに掲載されています=><a href="http://cumsophia.blog106.fc2.com/blog-entry-269.html" title="こちらをクリック">こちらをクリック</a>
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第24回(2014年度)「コムソフィア賞」受賞者 師岡文男さん記念講演(講演録)

第24回コムソフィア賞授賞式 特別講演会「国際スポーツ界で活動する力を育んでくれた上智大学」登壇者:師岡文男さん(1976文史卒 上智大学文学部教授・保健体育研究室室長)日時:2014年6月28日(土)13:30~17:00(特別講演は14:30-16:00)場所:JR四ツ谷駅前・主婦会館プラザエフ地下2階、多目的スペース・クラルテ2014年度の「第24回コムソフィア賞授賞式」では、◎コムソフィア賞:師岡文男(もろおか ふみお)さん(’76文史... 第24回コムソフィア賞授賞式 特別講演会<br />「国際スポーツ界で活動する力を育んでくれた上智大学」<br />登壇者:師岡文男さん(1976文史卒 上智大学文学部教授・保健体育研究室室長)<br />日時:2014年6月28日(土)13:30~17:00(特別講演は14:30-16:00)<br />場所:JR四ツ谷駅前・主婦会館プラザエフ地下2階、多目的スペース・クラルテ<br /><br />2014年度の「第24回コムソフィア賞授賞式」では、<br />◎コムソフィア賞:師岡文男(もろおか ふみお)さん(’76文史)<br />◎コムソフィア濱口賞:安田菜津紀(やすだ なつき)さん(’10総合人間教育)<br />のお2人が受賞されました。<br /><br />今回は、授賞式後に開催された、コムソフィア賞を受賞された師岡文男さん(’76文史)の特別講演会の講演録をお伝えします。<br /><br />※第27回マスコミ・ソフィア会総会・第24回コムソフィア賞授賞式(速報)については<a href="http://cumsophia.blog106.fc2.com/blog-entry-260.html">「こちら」</a>を御覧ください。<br />※第24回コムソフィア賞濱口賞を受賞された安田菜津紀(やすだ なつき)さんの講演録は<a href="http://cumsophia.blog106.fc2.com/blog-entry-272.html">「こちら」</a>を御覧ください。<br /><br /><img src="http://blog-imgs-56.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20141011135022f11.jpg" alt="第24回コムソフィア授賞式安田1" border="0" width="430" height="323" /><br />写真:右から師岡文男氏、安田菜津紀氏<br /><br /><span style="font-size:large; color: blue">「スポーツアコード」</span><br /> 受賞の理由の一つが国際スポーツ界での活躍ということでしたが、20年前から毎年「スポーツアコード」という組織の総会に出席し日本人初の理事に選ばれました。3大陸40カ国以上に協会のある92の国際スポーツ団体が加盟している世界最大の国際スポーツ団体です。このスポーツアコードの国際スポーツ会議の中でIOCの理事会が必ず開かれますが、そこに取材に来ている日本の取材陣のおよそ6割から7割が上智の卒業生です。新聞学科卒業生だけではなく、さまざまな学科の卒業生です。<br /><br /> この頃は、私の教え子とも出会うようになりました。そういった方々にもマスコミ・ソフィア会に参加してもらって会を盛り上げることも考えたいと思います。<br /><br /><span style="font-size:large; color: blue">「私がマスコミ・ソフィア会に参加したのは」</span><br /> BS-TBSの番組審議委員長を10年ほど務めました。スポーツ番組のプロデュースとか幾つかのテレビ番組の制作を時々お手伝いをしています。私は上智の文学部史学科の卒業ですが、学生の時に、新聞学科のテレビセンターで開講されていた「テレビ制作」というデ・ベラ先生の授業を受講していました。その時の仲間が様々なところで活躍していますが、そのネットワークが今でも生きていて、様々な情報を得ています。<br /><br /> 先ほどの賞状に「フライングディスクを日本で初めて紹介し」とありましたが、実は私が初めてではなく1960年代後半に日本に入ってきて私が高校生の頃から日本にありました。実は、本日、文部科学大臣杯・全日本選手権の2次予選をやっていて、上智のチームが勝ち上がって静岡で試合をやっています。こういう日にフライングディスクやスポーツの話ができて本当に良い機会を与えてくださったと思っています。<br /><br /><span style="font-size:large; color: blue">「筑波大学へ」</span><br /> 私は史学科を卒業して高校の社会科の先生になるつもりでしたが、大学4年のとき、筑波大学の先生との出会いがありました。そして、筑波大学に他分野からの学生も受け入れる体育学の開かれた大学院ができるというので、そこに私は飛び込みました。そこで修士号をとって、本場アメリカに博士号をとりに行こうとしていた矢先に、オールソフィアンの集いがあり、足を運びました。そこで、もう亡くなられた体育の伊東明先生から「上智の卒業生でスポーツを勉強している奴は非常に珍しい。戻ってこないか?」という話がありました。<br /><br /> 正直言って私は戻る気はありませんでしたが、筑波の指導教授に相談したところ「大学というところは毎年求人があるわけではない。それは何かのご縁であるし、戻ってこないかと言われている時は素直に行く方が良い。上智ならいつでも留学ができる」と言われました。勿論、いつでも留学ができる訳ではなかったのですが、勤めて7年後に在外研究許可を頂いて客員講師の身分でイリノイ大学レジャー研究学科で勉強することができました。<br /><br /><span style="font-size:large; color: blue">「フラインングディスクとの出会い」</span><br /> 上智大学に体育教員として赴任した1979年はバレーボールを教えていました。当時はどこの大学でも2年間体育必修という時代で、学生に種目選択権はなく私はバレーボールを教えていました。そうすると、バレーボールが好きな子も嫌いな子もいます。小中高からやっている子もいるのでレベルの差もある。大抵中間ぐらいに合わせるのですが、出来る子も出来ない子も欲求不満になってしまいます。爪を長く伸ばしている女子はボールに触るのも嫌だと言う。<br /><br /> これで大学の必修授業として良いのかと悩みました。たまたま近くの本屋で「フリスビー」の本を見つけました。当時は私もフリスビーは犬が咥えてるものと思っていましたが、スポーツとして世界選手権が開かれており、しかもアメリカのローズボウルという8万人収容の大スタジアムが満員になるというのです。あの当時、フリスビーは一家に一枚くらいはある遊び道具で、私の家にもありました。本にはアルティットという7人制でパスワークをして相手のエンドゾーンでキャッチが出来ると得点になる種目があり、これならば1枚のディスクで大勢が遊べるなと思いました。<br /><br /> 今日はバレボールはやめて新しいスポーツをやろうと言ってやってみたら、スポーツが嫌いな子が目の色を変えて熱中し始めました。今まで習ってきたスポーツは全部ダメだったけど、これは新しいし自分にもできそうだと思ったようです。<br /><br /> 結局、人間は感情なんですね。出来ると思えば出来るが、ダメだと思うとダメになる。みんながこれなら出来そうだと確信しました。実際力がなくても飛ぶんです。5歳児で43メートル、102歳のおばあちゃんが9メートル飛ばしたという世界記録があるんです。ゼロ歳から百歳まで出来る生涯スポーツです。何よりもスポーツ嫌いな学生が夢中になってくれました。<br /><br /> その頃の体育会系の学生たちは「こんなスポーツで、体育やるんですか?」と斜めに見ていましたが、いざやってみると、なかなか奥が深くて戦略性もあって運動量もある、これは今までやってきた球技と違ってなかなか面白いと夢中になり、先生また来週やりましょうということになりました。学習指導要領に縛られないのが大学の授業なので、翌年1980年から実技で8コマあった私の授業を全部フライングディスクにしてしまいました。そしたら上司に怒られました。それで先生方を集めてやっていただいたら運動量もあるし面白いと認めてくれました。<br /><br /><span style="font-size:large; color: blue">「スポーツとは?」</span><br /> 我々日本人はオリンピックや国民体育大会の競技、学習指導要領に載っているものだけをスポーツと思ってきたましが、実はそうではありません。「SPORT」はラテン語で紀元前5世紀からある言葉で「普段と違うところへ心と身体を運ぶ」という意味です。SPORTを英語の辞書を引いてみると、初めに「運動競技」と出てきますが「気晴らし」「慰み」「暇つぶし」「ふざける」なんていう意味も出てきます。普段やらなければならない仕事から、フッと心と身体を移して楽しむことがSPORTなんです。<br /><br /> その証拠に、IOC(国際オリンピック委員会)の公認スポーツに「チェス」と「ブリッジ」が昔から入っているんです。「西洋将棋」と「トランプ遊び」は文化活動でスポーツではないと思いがちですが、しかし、れっきとした「マインドスポーツ」(頭を使うスポーツ)なんです。身体を使うことばかりがスポーツではないのです。これが本来のスポーツの定義です。<br /><br /> 音楽を嫌いな人はいませんね。でもクラシック音楽を好きな人とヘビメタを好きな人は多分同じところにはいきません。でも「音を楽しむ」と言う点では同じです。しかしスポーツとなると非常に狭くとらえるので、私は不得意だ、私は好きじゃないと言う人が出てくる。ところが「チェス」も「ブリッジ」も「アメリカンフットボール」もスポーツだということになると、スポーツ嫌いはあり得ません。そういう幅広さのある文化なんです。<br /><br /><span style="font-size:large; color: blue">「日本人のスポーツ観は?」</span><br /> では何故日本ではスポーツ観が変わってしまったのか?それは「富国強兵策」の影響です。明治の時代に「学制」がしかれて初めて西洋流のスポーツが入って来た時に「楽しみとしてのスポーツ文化」も勿論入ってきたんですが、その当時の日本は「西欧に追いつき追い越せ」で、青少年を鍛えて軍事力をまず高め、労働力を向上させて「殖産興業」で国を豊かにして西欧に肩を並べないと植民地にされてしまう、ということで、スポーツも「教練」が目的になってしまったのです。身体を鍛えるということも大事な教育ですが、まず兵隊さんや工場労働者になれる頑健な肉体を作ることが目標とされたのです。「ナニクソ」頑張るぞ、負けないぞという「勝利至上主義」・・・これも若い頃は良いのですが、年をとってからは続けられません。<br /><br /> スポーツはそれだけではない世界なんです。本来はもっと幅広く、いろいろな目的別に全ての人々が関われる文化として発達してきたのがスポーツなんです。イギリスではパブリックスク-ルで、いわゆるジェントルマンを育てる教材がスポーツなのです。しかし当時の日本にとってスポーツは手段にすぎなかったといえます。<br /><br /><span style="font-size:large; color: blue">「プレイヤーとは?」</span><br /> プレイヤーっていう言葉がありますね。これを日本語に訳すと何でしょう。辞書には「選手」と出てきます。でも本来は「遊び手」ですね。下手だろうが上手い人だろうが「遊び手」には全員がなれるんです。それが西欧の文化です。ところが当時の日本では「規定のコート」で「規定のルール」で「規定のユニフォーム」を着てやれるのはエリートだけでした。だから「選手」が訳語になってしまったのです。そうするとスポーツは若い時だけのもの、非常に優れた人だけのものという狭い文化になってしまいます。音楽、芸術などは全ての人々の文化であるのに対して「スポーツ」は見ることはできるが、実践できる人は少ない、非常に狭い文化だったのです。<br /><br /> 私の場合、それを変えてくれたのが「フライングディスク」であり、その時夢中になってくれた「学生」です。私も最初は気分転換程度に考えて、バレーボールとは一寸違うスポーツをやろうと思っていただけなのですが「これは面白い」と言って学生たちが「チーム」を作りました。チームを作られたら、これは普及しないわけにはいかないと思い、日本協会に乗り込んで行って普及活動をして、今や「文部科学大臣杯」をいただけるところまで普及しました。しかしそれでも「マイナースポーツ」で遊びみたいなもんだねと言われ場所も貸してもらえない。それで国際的普及に乗り出しました。<br /><br /><span style="font-size:large; color: blue">「ワールドゲームズの種目に」</span><br /> オリンピックに採用されるのは大変難しいので、まずは「ワールドゲームズ」に入ろうとしました。これは、第2のオリンピックと言われて、オリンピックにまだ入っていないスポーツの競技大会です。しかしIOCが後援している大会なんです。その頃、フライングディスクの世界連盟の理事になっていたんですが、そんな所に入るのは無理だよ、と他の理事に言われましたが、とにかく「代表権」を俺にくれ、旅費は自分で出すからと言って一人で国際スポーツ団体総連合(スポーツアコード)総会に乗り込んで行きました。<br /><br /> そしたら、そこには「陸連」がいる、「水連」がいる、「ラグビー」がいる、全ての国際スポーツの会長と事務総長が集まる会議なんですが、日本人の姿が全くない。日本人は大体副会長止まりで「空手」だろうが「柔道」だろうが会長はみんな外国人です。<br /><br /> これは「言葉」の問題と、日本の協会の会長さんは大抵、政治家か、お金持ちを担いじゃうんで、そのスポーツのことを良く判っていないのに会長になっている場合もあるんです。だから、国際会議にに連れて行っても全く外交にならない。偉すぎちゃって、食事の時でも丸テーブルを全員日本人だけで囲んでいるのでは、全く外交にならない。これでは国際団体の会長に選ばれる訳がない。こういうことだから、日本人が勝つとすぐルールが変わってしまうという理由もわかりました。<br /><br /><span style="font-size:large; color: blue">「日本でワールドゲームズを!」</span><br /> ただ、その時、私がたった一人の日本人だったことが幸いして「お前は日本人か?日本でまだ、ワールドゲームズをやったことないから招致しろ」と言われたのです。これは正に「風が吹けば桶屋が儲かる」で、単にスポーツの嫌いな子を好きにさせたいという一念からはじめたフライングディスクの普及でしたが、世界の舞台に行ったら大きな大会を招致しろということになったんです。帰ってきて早速動きましたら横浜、大阪が手を上げました。でも、ワールドカッツプ、サッカーが来る前で、それに失敗したら何かやらなければいけないから「保険」にするというんですね。<br /><br /> 保険じゃ困るんで諦めかけたところに、たまたま秋田にいる友人が、ミネソタ州立大学秋田分校の学長として戻ってきたというので話をしたら、丁度、秋田こまち新幹線が通るが何もキャンペーンがない。秋田空港に大韓航空を呼びたいが、国際イベントのアイデアがないので是非やりたい、ということになりました。ワールドゲームズは冬のオリンピックくらいの規模です。約95カ国から4500人が来るというイベントです。<br /><br /> 実現までは、そう簡単ではなく、いろいろなドラマがありましたが、ワールドゲームズ秋田大会は大成功しました。これが私の「国際スポーツ界人生」の始まりでした。<br /><br /> 朝日新聞の「ひと」欄は甲子園に優勝でもしない限り載らないと思っていましたが、載ってしまいました。しかも同じ日に毎日新聞にも載ってしまいました。理由はスポーツはオリンピックだけじゃない・・・日本人はオリンピックや国体の競技だけがスポーツだと思っている人が多いが・・・実は、スポーツにはいろいろな種類があることをワールドゲームズ招致で皆に知らせた。それが面白いと言って記事にしてくれたのです。<br /><br /><span style="font-size:large; color: blue">「IWGAの理事に選出される」</span><br /> 今年の4月、IWGA(国際ワールッドゲームズ協会)の理事選挙がありました。私はこれまで20年も総会に出席してきたのですが、日本人が理事になったことはありませんでした。最初の会長は韓国人で「テコンドー」の会長でした。それ以来アジア人が理事になったことはなく、今回は3人の椅子を10人で争う選挙でしたが、選挙演説で「国際組織にアジア、アフリカ人がいないのはおかしい」という話をしたところ2位で当選しました。これは私の能力というよりは20年もしつこく通ったことの成果です。「石の上にも3年」と言いますが正にその通りです。学生の諸君にも言いたいのが「1回や2回の失敗ノーであきらめてはだめだ」ということです。<br /><br /><span style="font-size:large; color: blue">「口偏にプラス」</span><br /> 私は「口偏にプラス」を座右の銘にしています。「口偏にプラス、マイナス」で「吐」という文字になりますが、口偏にプラスだけですと夢が「叶う」という字になります。人の悪口ばかり「吐」いているとマイナスばかりですが、「もしかしたら出来るかもしれない」と希望を捨てずにやっていると、いつか100%ではないかもしれないが夢には近ずける。「Dreams Come True」です。<br /><br /> IWGAに通っていると、IOCとの合同理事会で10人テーブルでIOC会長を向こうにして討論に参加することも出来ます。私は、言いたいことを言う性格なので、何でも意見を言うことが出来るようになりました。<br /><br /><img src="http://blog-imgs-76.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20150218095130664.jpg" alt="IOCサマランチ会長" border="0" width="430" height="323" /><br />写真:IOCサマランチ会長(左:当時)と(ケベック)世界スポーツ・フォー・オール会議にて(2000年5月22日)<br /><br /><span style="font-size:large; color: blue">「IWGAとはどんな組織?」</span><br /> 国際ワールドゲームズ協会には、オリンピックで採用されていない空手、ボウリング、水上スキーなどが加盟しています。トライアスロン、ビーチバレーボール、バドミントン、ラグビー、ソフトボール、野球などもIWGAにいたんですが、ここからオリンピック競技になりました。この中に「フライングディスク」を入れて貰って、IOCの準公認競技にまでもっていきました。<br /><br /> IWGAに加盟するためには「スポーツアコード」(国際スポーツ団体総連合)のメンバーになることが必要です。40カ国以上に協会がある92の国際スポーツ団体が集まっています。ここにはIOCに公認されている団体と公認されていない競技の団体が加盟しており、そのほかにユニバシアード、パラリンピックなど競技大会の主催団体16も合わせて108の団体が加盟している大きな団体がスポーツアコードです。<br /><br /> その会議にはIOCの会長は必ず来て挨拶しています。私は、ここの理事も務めました。そんな関係の中で、亡くなられたサマランチ会長ともお話をする機会を得ました。国際競技団体の会長たちともお話をしたり、総会で発表するチャンスもいただきました。ロゲIOC前会長とも何度かお話をしました。<br /><br /><span style="font-size:large; color: blue">「オリンピック招致活動」</span><br /> 私がやってきたのは、たいした「招致活動」ではありませんが、国際的な団体の中にいるとIOC委員とも知らぬ間に友だちになっています。<br /><br /> 今日も懇親会がありますが、懇親会は私の得意の舞台で、10人テーブルに着席というときに、この人の隣にと思うところにスーっと座っちゃうんです。「何だこいつは」という顔をされることもありますが、追い返すわけにもいかず、2時間の食事の間、ずーっといろんな話が出来ます。そして翌年また会うと「おうお前また来たか」ということで次第に仲良くなります。こういう場合には、(Know Whom)いかに相手のことを知っているかが大事で、今回は、2020年のオリンピック・パラリンピック招致のお手伝いをさせていただきました。<br /><br /> 私が一番働けたのは、マドリードに入れた票を、マドリードがもし負けた時に、東京に入れてくれといういう活動です。結局、台本通りになったんですが、私がお願いした人の何人が何票、東京に入れてくれたかは判らない世界です。かなりのIOC委員に接触しました。JOCの竹田会長、当時の水野副会長が一番ロビー活動をしていました。議員連盟も努力されていましたが、やはり古くからIOC委員を知っているかということが大事です。日本というところは、招致が決まるまでは、お金が出ない、予算がでないので国際会議にはほとんど日本人は来ない。いろんな会議がありますが、日本人はほとんどいないというのが現状です。たまたま私は「研究」ということで参加して今日があります。<br /><br /><span style="font-size:large; color: blue">「あまりにも酷いマナー」</span><br /> 9月8日の早朝、東京商工会議所で2020年オリンピック・パラリンピック開催地決定を迎える会が招致委員会と東京都共催で開催されました。私に講演せよというので私は、2016年の開催地決定の時の酷いマナーについて話しました。<br /><br /> 日本はリオデジャネイロに負けました。あの時に「チェッ」と言ってパンフレットを床に投げ捨てて席を立っていった国会議員と都議会議員の方々の姿が海外に映像として流れてしまいました。そのマナーだけは今回、もし負けても絶対やってくれるなと話しました。<br /><br /> もう一つの話は、猪瀬知事が出陣式で挨拶していた時「イノセー!もし、しくじったら、ここで腹切ると宣言して行け!」と都議会議員がどなりました。何て品がないんだろうと、これから心を一つにしてブエノスアイレスへ行こうという時に、これはないだろう!という話をしました。皆シーンとして聞いていました。<br /><br /><span style="font-size:large; color: blue">「オリンピック憲章を読もう」</span><br /> そもそもオリンピックは何のためにやるのでしょう?オリンピックを使って何かをやろうと言う前に、オリンピックとは何かを知るべきです。残念ながら「オリンピック憲章」を読んだことがある人は少ないと思います。今日の皆さんには「釈迦に説法」かも知れませんが「オリンピック憲章」を配りましたので是非読んでください。<br /><br /> 「オリンピズム」とは人間が生きるための哲学である。良い人間としての生き方を探すのが「オリンピズム」であり人種・性別・宗教など、ありとあらゆる差別をなくして「スポーツ・フォー・オール」、競技者だけでなく全ての人がスポーツを通じて交流し平和な世界を作る。それがオリンピックの理想です。そのためにやるのが「オリンピックゲームズ」で、競技大会は単なるシンボルの大会に過ぎない。「オリンピック憲章」にはそう書かれています。<br /><br /> もう一つ、面白いことがあります。国別のメダル獲得ランキングリストがありますね。日本がメダルを幾つとったとか・・・。あれを発表してはいけないと書いてあるんです。マスコミがやるのは仕方がない。IOCや組織委員会は発表してはならないと書いてあります。日本がメダル幾つで、中国より上だとか下だとか、そういうことはやるべきではありません。そのメダルをとった選手の栄誉をたたえて国旗を掲げ国歌を流しますが、国をたたえているわけではないのです。それがオリンピズムだと「憲章」にちゃんと書いてあります。そこを熟読すべきです。<br /><br /> 今週の月曜日、552の大学が組織委員会と連携協定を締結する式典がありました。私も裏方で動きましたが、こんなに集まるとは思いませんでした。しかし、これから大学で学生に何を教えるのかが大切です。6年後に迫ったオリンピックで通訳で活躍したいとか、その他外国人に何かをしてあげたいとか、グローバル人材育成は大切ですが、やはり一番最初に「オリンピック憲章」を読んで、オリンピックは何のためにやるのかを知っていただきたいと思います。<br /><br /><span style="font-size:large; color: blue">「上智で学んだこと」</span><br /> 私をこの様に育ててくださったのは、やはり上智大学だと思います。大きな影響を受けた1人目の先生は、亡くなられたジョン・マケックニー神父様です。英語学科の教授でしたが、毎年、夏休みの2ヶ月間、20家庭にホームステイしてアメリカを一周する旅行を企画してくれました。1ドル360円の時代です。私も、一生に一度の海外旅行だと思って応募して連れてって貰いました。<br /><br /> いやー辛かったですね。一人一家庭で、英語漬けの生活で、一日目から帰りたくなりました。英語は正直言って不得意でした。しかし2ヶ月もいる間にはさすがに慣れてきます。また、英語学科の学生は仲間の前でしゃべるのが嫌で、仕方なく、みんなを代表してお礼の言葉を述べるのが私でした。もう酷い英語で恥ずかしく、穴があったら入りたい心境でしたが、それでも通じたんです。それが今の自信につながっており、あの旅行がなかったら、私の今日はなかったと思います。<br /><br /> 2人目はホセ・デベラ神父様です。テレビセンターの所長を務めながら、今の交換留学生の基を作られた先生です。デベラ先生に、学生国際セミナーという5大学が集まるセミナーに行きなさいと推薦していただき参加しました。その体験を基にして「上智国際セミナー」を作りました。私が4年生の時で、その後10年続きました。その頃、市ゲ谷キャンパスに「国際部」の学生が移ってしまい、四ツ谷キャンパスの国際色が薄れてつまらなくなった。これを何とかしたいと思い、日本人と外国人を同数集めて「上智国際セミナー」を作りキャンプやディスカッションををやったりディスコで踊ったりしたのです。この時、文部大臣に「来てください」と招待状を出したら、何と祝電を下さったということもありました。<br /><br /><span style="font-size:large; color: blue">「忘れられない体験」</span><br /> そして、私が史学科から筑波大学大学院に行く時に、史学科から「体育」の勉強をしに行くといったら普通なら指導教授は反対すると思いますが、尾原神父様は「お前に向いている」とおっしゃって推薦状を書いて下さいました。そして「上智にもどってこい」と声をかけていただいたのが保健体育研究室の伊東明先生で、おかげで上智大学に1979年に赴任できました。<br /><br /> その年に、私の人生を変えたのが一つはフライングディスクで、もう一つはインドシナ難民の流出です。ポルポト政権に親を殺されて、孤児になった子どもが国境を越えてタイに逃げてきました。<br /><br /> この時、ピタウ神父様が学長で、上智から一般ボランティアを派遣しようと道をつけて下さり、募金活動などいろいろなことをやりました。準備が整った時、第1陣の隊長をやってくれと言われ、教職員、学生と一般の方も一緒に現地へ行きました。最初は、孤児たちが慣れてくれるまでは大変でした。いろいろの苦労がありチームを作り、何とか第1陣としての役目を果たして戻ってきました。<br /><br /> この時の体験は一生忘れられません。最初、上から目線で富めるものが貧しい人たちに施しをするような思い上がった気分であったのが、見事に打ち砕かれました。逆に孤児になった子どもたちから「生きる」ということを教わって帰ってきました。子どもたちは最初は慣れてくれませんでしたが、この時、私のスポーツ・レクリエーションが役に立ちました。英語が通じないので、ゴム跳びやカン蹴りなどをしていると一人二人と入ってきます。<br /><br /> しかし、子どもたちは目の前で親を殺され、女の子はレイプされて命からがら逃げてきています。気が狂ったような状態や虚ろな目だった子どもたちが、やがて遊びを通じて変わってきました。次第に子どもらしくなっていきました。仲良くなると、今度は別れが辛かったです。貴重な体験をさせて貰いました。<br /><br /> その後、マタイ神父様からヨーロッパ移動合宿ツアーの引率をやってくれと言われ、インドシナのボランティアキャンプから帰って10日後、今度はヨーロッパへ行き、イスラエルも聖地も巡らせていただきました。<br /><br /><span style="font-size:large; color: blue">「世界の現実を同時進行で体験」</span><br /> 上智に赴任した最初の年度末に経験した凄い体験でした。インドシナ難民の現実と、ヨーロッパの現実、イスラエルの現実が1ヶ月の間に、同時進行で私の頭の中というか身体に入って来ました。世界の様々な現実を同時に知り感じることが出来たのです。これがあったからこそ、今日、及ばずながら、for others, with othersという言葉が自分の生きる道であり最高の喜びであることを実感しています。<br /><br /> こういう体験をしたことをどこかで活かしたいと思い、私はスポーツの道で生かすことが出来たと思っています。しかしここからが始まりです。5年後にはワールドカップのラグビーがあり、6年後にはオリンピック・パラリンピックがあります。<br /><br /><span style="font-size:large; color: blue">「今後の目標」</span><br /> 2020年の日本を予想すると、高齢者が増える、本当の意味で成熟社会になった日本にどんなレガシーが残るのか?そこを見据えながら上智の教育理念を生かしながら、6年後のオリンピック・パラリンピックの充実を目指したいと思います。<br /><br /> この席を借りて、今日まで導いてくださった上智大学の恩師、先輩、学友、家族、全ての方々に感謝申し上げ、そして素晴らしい賞を頂きましたことに感謝致します。本当に有難うございました。(拍手)<br />(講演録起こし:磯浦康二 ’57文新)
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【手記】聖地イスラエルへの旅行記:加藤春一

聖地イスラエルへの旅行記 2015年2月4日加藤 春一('68経経)(東京エグゼクテイブ・サーチ株式会社)■はじめに:今迄の人生で、幸運にも世界5大陸、55か国を訪問出来た。今回55か国目が念願のイスラエルであった。何故念願であったのか、いくつか理由を挙げたい。1.カトリック信者としての聖地であること。2.昔、商社時代、資源やエネルギーに関わり、以下のユダヤ系企業と関わりがあった。>世界的政商のユダヤ人、ドクタ... 聖地イスラエルへの旅行記 2015年2月4日<br />加藤 春一('68経経)(東京エグゼクテイブ・サーチ株式会社)<br /><br /><span style="font-size:large; color: blue;">■はじめに:</span><br /><br />今迄の人生で、幸運にも世界5大陸、55か国を訪問出来た。<br />今回55か国目が念願のイスラエルであった。<br /><br />何故念願であったのか、いくつか理由を挙げたい。<br /><br />1.カトリック信者としての聖地であること。<br /><br />2.昔、商社時代、資源やエネルギーに関わり、以下のユダヤ系企業と関わりがあった。<br /><br />>世界的政商のユダヤ人、ドクターアーマンド・ハマーの本に地政学的に「世界の中心はイスラエルで西がオクシデンタル、東がオリエンタル」だとして、オクシデンタル石油を創業したと書かれていた。<br /><br />>オクシデンタル石油は欧州駐在中や現在もお付き合いする、スイスの世界的資源エネルギー商社、グレンコーア社と同じロスチヤイルドグループに属している。(アメリカのアル・ゴア元副首相はオクシデンタル石油の副社長も務めた。)<br /><br />>豪州駐在中に世界的工業塩の会社であるダンピアーソールト社とパートナーとして関わっていた。相手は世界的ユダヤ資本でダイアモンドの世界でも有名なリオ―テイント社であった。(ロスチヤイルドグループ)<br /><br />>現在の仕事でも、世界的資源会社で、筆者が関わった鉄鉱石にも強い南アフリカのアングロ・アメリカ社とも関わりが有る。(ロスチヤイルド グループと言われている)<br /><br />3.ユダヤ資本との経済的関わりが商社時代と現在の仕事を通じても有るので、一度彼らのルーツを訪ねてみたいと思った。<br /><br />4.2年前にスイスのロスチヤイルド銀行の社長インド人のドクターシン氏と会った時「グローバリズムとはユダヤ・キリスト教」のことだとのコメントが脳裏に強く焼き付いていた。<br /><br />5.ユダヤのジョークの中で5人のユダヤ人の賢人が「人間に最も必要なものは何か」を議論:モーゼが「頭脳」、キリストが「ハート」、マルクスが「お腹」もの、フロイトが「セックス」、最後に、其々正しいが「全て相対的なもの」とアインシュタインが締めくくった。<br /><br />ーー世界を変革する人財が何故ユダヤ人から出てくるのか秘密を探りたい気持ちーー<br /><br />6.豪州で長女がバイオリンのレッスンを受けていた時、バイオリンの世界的演奏者―オイストラッフ、メニューヒン、ハイフェッツ、パールマン等が悉くユダヤ人であったこと。まさしく「屋根裏のバイオリン弾きの世界」に興味があった。<br /><br />以上が関心を持ち続けてきた大きな理由だ。<br /><br /><span style="font-size:large; color: blue;">■スケジュール:</span><br /><br />日時:1月24日(土)―1月31日(土)<br />主催:聖地イスラエルの旅8日間――テマサ トラベル<br />参加者:8人はプロテスタント中心のクリスチアンで、小生のみカトリック信徒であった。<br />訪問地:テルアビブ、ヤッホー、カエザリア、ガリラヤ湖、ナザレ、ベツレヘム、マサダの砦、死海、クムラン洞窟、エルサレム、その他世界のIT企業の研究所地域、ヘルツエイリア、テルアビブの街<br /><br /><img src="http://blog-imgs-76.fc2.com/c/u/m/cumsophia/201502140953225f0.jpg" alt="聖墳墓教会israel0238-430x287" border="0" width="430" height="287" /><br />聖墳墓教会(筆者撮影)<br /><br />■全体の印象:<br /><br />今回、マサダの砦(ユダヤ人がローマ軍と3年間戦い、破れた紀元後70年、この敗北を機に、ユダヤ人は世界に離散―1948年5月14日に再度建国したが、ユダヤ人にとって聖地)を訪問し、更にユダヤ教徒の聖なる場所「嘆きの壁」と「ダビデの墓」を訪れたり、オリーブ山からのエルサレム城壁の黄金門を眺めて、ユダヤ人が世界の中心がエルサレムにあると考えていることが良く理解出来、実感できた旅であった。<br /><br />特に黄金門はユダヤ教の人にとってはメシアが到来する時、門が開かれると信じられ、メシアが訪れるのは日本を含むオリエントからと信じられている。(特に黄金門の前にはユダヤ人の墓があり、全て土葬で足が黄金門に向いて埋葬されているのは早く門に辿り着けるからと言われている)<br /><br />一方イスラム教徒の墓は黄金門のすぐ前に広がり足はユダヤ教徒の反対、即ち、黄金門を背に、あたかもユダヤ教徒の侵入を防ぐかの様に埋葬されていたのは印象的であった。(イスラエルでは全ての宗教が土葬である)<br /><br />又、このオリーブ山から城壁の外、北側にロックフェラー財団が建てたロックフェラー考古学博物館が建てられているのも印象深かった。ロックフェラーは別名ローケンフェラーというドイツ、アシュケナジー系ユダヤ資本だからだ。<br /><br />又、筆者にとっては3宗教の聖地で有るエルサレムを抱え、4,000年の長い歴史を持つイスラエルの歴史の断片に触れることが出来、世界史の動きを巨視的、客観的に勉強できたことも収穫であった。エジプト、メソポタミア、インド、中国の文明との関係性、さらにその後のギリシヤ、ローマ、オスマントルコ文明、近代では英国、フランスとの関係から国連信託統治、その後の1948年の国家独立と現在のアメリカとの緊密な関係までの歴史は、まさに世界史が全て凝縮されている感がし、感無量であった。<br /><br />世界文明、国家、民族、宗教を真剣に考える上で、過去54か国のいずれの国ぐにを訪れた経験値にも無い、知的刺激に満ちた経験で、ある意味では世界観が更に深まったと言える。<br /><br />ーーイスラエルは小国(四国と同じくらい、人口約800万人)ながら、世界に圧倒的影響力を与えてきた。宗教的にはユダヤ教 、約1500万人 キリスト教 約24億人 イスラム教徒16億人世界の70億人の内約40億人が関わっているーー<br /><br /><span style="font-size:large; color: blue;">■以下個別的な印象:</span><br /><br />ビジネス、巡礼者、観光客のトップは中国人、韓国人の様だ。<br /><br />死海で浮遊体験の時、30人近い韓国のキリスト教巡礼団が「アレルヤ」を唄って浮遊していた。<br /><br />又帰りの税関チェックでは、今迄の経験では一番厳しい荷物チェックであった(約2時間)が多くの中国人が検閲されており、10-20本のスコッチウイスキーやコニャックをトランクと別送に詰めていた。<br /><br />ーー中国(北京 香港)韓国(インチョン)とテルアビブ間で直行便があり、中国には約2,000万人、韓国には約500万人のキリスト教徒がいる為と経済的関係が密接になっている為ーー<br /><br />ベツレヘムと言ったキリスト教聖地や世界最古の都市エリコの周辺やゴラン高原の近くがパレスチナ自治区であった。入出国にあたりパレスチナの軍人が銃器を構えてチェックされたのには厳しさと違和感を感じた。ヨルダンに近いゴラン高原も訪問したが、未だ約3万発の地雷が埋まっており危険地帯であった。<br /><br />ーー1948年以来67年の間4回の中東戦争で領土を拡大してきたが、道端に当時の装甲車が置かれたり、未だ戦争の傷跡が残されていた。ーー<br /><br />自然:死海は海抜以下400メートルでエルサレムは海抜800メートルに有り、30キロの距離で1,200メートルの高低差を昇る変化と起伏の多い場所であった。<br /><br />商業都市で飛行場のあるテルアビブは40万都市ながら地中海に面して風光明媚な都市で、エルサレム(約90万)から車で1時間の距離であった。<br /><br />イエス・キリストの宣教活動の中心北部ガリラヤ湖周辺は多くの草花が咲き乱れ、沢山の鳥がさえずっていた。イスラエルはユーラシア大陸、アフリカ大陸、ヨーロッパ大陸の臍に位置していることで多様な鳥類が各大陸間を行き来することから日本の野鳥の会からのみならず、世界の野鳥ファンから憧れの地の様だ。<br /><br />ーー自然は狭い国土ながら変化と多様性に富み、雨量の少ない乾燥地帯が多いが多様な植物と鳥類に恵まれている。ーー<br /><br />人間:ユダヤ教徒75%、イスラム教徒15%、キリスト教徒2%、その他8%、キリスト教発祥地ながらクリスチャンは2%とマイノリテイーである。<br /><br />然し、市場はユダヤ人、パレスチナ人、欧米人等がごった返して賑わっており、店舗も各人種で和気藹々共存している感じがした。パン、ナッツ類、果物は豊富で、魚は鱗のある魚のみ並び、肉類は量から見て牛肉、羊肉、鶏肉の順で並べられていた。<br /><br />ーー宗教と民族は多様ながら、市場では巧く共存,共栄しており経済活動は合理的に割り切っている感じがした。ーー<br /><br />経済活動としては、年間で約1,000社のIT企業が起業家されていて、アメリカ、ヨーロッパ、中国の企業がこれら企業の買収に熱心だ。ユダヤ人はベンチヤー企業を立ち上げる才覚には長けている。これら起業家は事業拡大が出来る欧米、中国、日本の企業に売却する。<br /><br />特に以下3つの点は注目される。<br /><br />1.ヘルツエリアーーテルアビブ近郊にマイクロソフト、アップル、グーグル、インテル、フェイスブック等(全てユダヤ人が起業)の巨大研究機関が林立していた。<br /><br />2.又 テルアビブ工科大学は優秀なユダヤ人頭脳を集めており10年後にはアメリカのマサチュウセッツ工科大学並みになるであろうと言われていた。<br /><br />その他生化学の研究も世界のトップレベルで、食糧生産も95%の自給率を誇る。特に優秀な企業人は18歳から男女双方とも全員徴兵制が敷かれ兵役に服することから(男性3年間 女性18か月)兵役期間<br />に頭脳、身心共に徹底的に鍛えられるので輩出しやすい。<br /><br />3.世界のユダヤ人コネクションの間で情報・知識の伝播がなされているので、世界最高の科学技術水準を維持、発展出来る。<br /><br /><span style="font-size:large; color: blue;">■最近の中東イスラム国問題との関係性:</span><br /><br />カトリック信徒として日本人として平和を希求する気持ちは強いし、今迄の様な日本の平和を望む処だが・・・<br /><br />安倍首相のエジプトでの2億ドルの人道支援とイスラム国が原因の難民救出の為の供与発言ーイスラム国が反発ー<br /><br />安倍首相一行がイスラエルでの「嘆きの壁」にキッパを被りユダヤ教徒の聖地に入り込んだこと。(この壁の反対側の壁には世界1500万人にネットで24時間ユダヤ教徒の祈りと願いの状況が見られる設備が有ると言う)ー筆者もキッパを被り(入口に用意されている)見学した。ユダヤ教徒の熱烈な信仰心とメシア待望の気持ちの一端が理解出来た。<br /><br />ー15%のイスラム教徒と周辺国及びイスラム国の人はどう思ったか、安倍首相はユダヤ教に近い人と思ったと推測する。ー<br /><br />同じく首相はキリスト教徒の聖なる教会ー聖墳墓教会のキリストが礫刑から降ろされて死体が香油で塗られた場所で手を触れて合されたこと。(小生はカトリックとして同じ所作を行ったが、安倍首相はクリスチアンでは無いと理解、一方奥様は仄聞するところでは、聖心女子大卒の正真正銘のカトリック教徒の様だが)<br /><br />又、首相はイスラエルの国旗を背景にネタニヤフ首相と握手し、イスラム国を非難した。(専門家も危うさを指摘していたがー)<br /><br />これらの一連の安倍首相の所作は特にイスラム国の人間からは反ユダヤ教で反キリスト教ゆえ、どのように映ったか・・・。<br /><br /><span style="font-size:large; color: blue;">■結論的には:</span><br /><br />これらの一連の事がイスラム国の非人道的、冷酷無比な行動に繋がり今後も日本人がターゲットになるとすれば、甚だ大きな誤解、曲解、独善、偏見が彼等に有ると思う。又根本的に人の命を大切にする人間観、価値観と異なる部類と理解せざるを得ない。<br /><br />さはさりながら、種々の情報筋からの情報では:<br /><br />・成田、羽田空港での自爆や銃乱射<br />・大都市での生物化学兵器の散布<br />・原発の破壊工作<br />・東京、新宿、渋谷などのターミナル都市での自爆や銃乱射<br /><br />等予測する人もおり、大都市の警備を強化する必要性を強く訴えている人もいる。<br /><br />今後日本人が日本国内に於いても海外に於いても標的にされない様に、慎重な危機管理と誤解を生じない身の処し方が望まれるし、命と財産の安全を祈念したい。<br /><br />以上<br /><br /><span style="font-size:large; color: red;">■後記:</span><br /><br />某情報では安倍首相・ネタニヤフ首相間で安全保障に関わる「武器協定書」が締結され、これも今回のイスラム国問題の背後に有る様だ。<br /><br />尚安倍首相のイスラエル訪問には約100人の官僚、企業人、マスコミが参加しているが主要企業名は以下の通り。<br /><br />NEC、富士フィルム、三井、三菱を筆頭に大手6大商社(小生の出身の日商岩井(現・双日)を含む)<br />千代田化工、日銀、キッコーマン、開発銀行、みずほ銀行等<br /><br />イスラエルの諜報機関・モサド(約1500-2000人)は世界最高のレベルと言われ、知力、気力、体力、危機管理の高さは定評が有る。<br /><br />傷を治せる医師の資格、法的判断が出来る辯護士の資格、多言語を会する能力、銃、ナイフ、爆弾の作り方、情報収集能力、偽装能力を持ち圧倒的に高いと言われる。イスラム国の最後の目標はイスラエルだがイスラエル支配は世界のインテリジエンス関係者の見方では殆ど不可能とみられている。因みに現在のネタニヤフ首相もモサド出身である。<br /><br />最後にカトリック的視点で述べたい:<br /><br />1.イスラエル・パレスチナの紛争解決には100年の歴史スパンでバチカンが進める世界宗教会議での対話促進等が必要。<br /><br />2.若者が現在進めるイスラエル人・パレスチナ人の世界コーラスツアーやキッズ サッカーの試合、教育の場での若者の相互対話、更に学者や政治家同士の対話促進を進めること。<br /><br />3.昨年5月にもローマ法王がイスラエルに訪問し平和の祈りと対話の促進を促したこと。引き続き融和の役割を期待したい。<br /><br />4.日本国家、日本人としてはユダヤ教、イスラム教、キリスト教国家ではなく宗教的には中庸な立場故、更に一貫して平和国家として従来同様、人道支援を進めて貰いたい。日本国、日本人はイスラエル・パレスチナ双方に仲裁の労をとれる可能性有り。<br /><br />5.最後に小生の所属する三軒茶屋カトリック教会に、前イスラエル大使でバチカン大使、更にアメリカでも公使を務められた故服部比佐治氏が生前以下述べられたことは印象的だった。<br /><br />世界の最重要情報ソースは<br />1.バチカン195か国の大使館が有り世界中の情報拠点である。<br />2.イスラエル(モサド含む)、インテリジエンス能力が傑出し世界のユダヤ資本ともネットワークで繋がっている。<br />3.アメリカ、ワシントンDC(CIA含む世界機関)<br />と述べていた。<br /><br />現在文春会で文明を考える会でご一緒の元バチカン大使の上野景文氏もバチカンが世界情報の重要拠点の一つと指摘している故、カトリック信徒としてはバチカンに今後とも平和と融和を積極的に期待したい。
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