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原発事故で転換迫られるドイツの原発政策

□東北地方太平洋沖地震の被災者の方々に、心よりお見舞い申し上げます。一日も早い復興を、ドイツから祈っています。▼日本の家族を気遣うドイツ人□3月11日は、上智大学の欧州巡礼団を迎える打ち合わせのためケルン教区の本部にいた。そこへ巨大地震のニュースが届いた。ドイツのライブTV局フェーニクスからインタビューを申し込まれた。帰宅すると何十通ものお見舞いメールが来ていた。各地のコンサートで義捐金が集められる。教... □東北地方太平洋沖地震の被災者の方々に、心よりお見舞い申し上げます。一日も早い復興を、ドイツから祈っています。<br /><br /><span style="font-size:large;">▼日本の家族を気遣うドイツ人</span><br /><br />□3月11日は、上智大学の欧州巡礼団を迎える打ち合わせのためケルン教区の本部にいた。そこへ巨大地震のニュースが届いた。ドイツのライブTV局フェーニクスからインタビューを申し込まれた。帰宅すると何十通ものお見舞いメールが来ていた。各地のコンサートで義捐金が集められる。教会では日曜のミサで日本の被災者のために祈っている。パン屋の娘さんや車屋のおじさんまで家族や親類のことを気遣ってくれる。日本人の立派な態度をほめる声が多い。<br /><br /><span style="font-size:large;">▼日本中が汚染されるとパニックに</span><br /><br />□翌日、気象学者がテレビで福島地方の風向きを取り上げ、放射性物質が東京に向かうかもしれないと語った。パニックに陥ったドイツ人が大金を払い、帰国の飛行機の席を確保したとか。津波の様子がテレビの画面に繰り返される合間に、勤めの義務があるからという日本人の夫との離婚も辞さぬと、幼児を連れて逃げ帰ったドイツ人妻の談話が放映された。チェルノブイリのビデオが写る。ドイツ人特派員は東京ではなく大阪からの現地報告だ。最初、ドイツ人は日本中が放射能で汚染されたとの印象を抱いたようだ。このとき既に福島の事故を「Super GAU」(超大原子力事故)と評価するドイツ人がたくさんいた。<br /><br /><span style="font-size:large;">▼やがて原発廃止のデモが4大都市で</span><br /><br />□だが時間がたつにつれてドイツ人の主要な関心は自国の原発をめぐる問題に移っていった。日本の巨大震災の報道を受けて、ドイツの原発政策が政治の主要テーマになった。「チェルノブイリの二の舞はごめんだ」という意見と、「原子力は有力な代替エネルギーが導入されるまでのブリッジの役割を担う」という意見が、正面からぶつかる。<br />□「ブリッジはよいが、対岸が見えているのか」と問う声も聞こえる。ベンツとポルシェの町シュトゥットガルトでは6万人が原発反対のデモをした。ベルリン、ミュンヘン、ハンブルク、ケルンのドイツ4大都市で合計25万人が「福島に習え、即刻原発廃止」のデモに参加した。<br /><br /><span style="font-size:large;">▼追い込まれた推進派のメルケル首相</span><br /><br />□メルケル首相も、当初は日本国民に対する深い同情と連帯の気持ちを表明していたが、その後は「福島原発の事故を受けてドイツ政府も原子力政策を大きく見直さざるを得なくなった」と発言する。震災2日後の日曜日、南西ドイツの州議会選挙で連邦政府の連立与党キリスト教民主同盟と自由民主党が大敗した。<br />□翌3月14日、メルケル首相は「現在国内の17か所で稼動しているすべての原発の安全性を向こう3ヶ月以内にチェックする」と表明。さらにその翌日には「1970年代に運転を始めた7か所の古い原発をこの期間内に停止する」と発表した。<br />□2002年に連邦議会が「原発を2020年までにすべて廃棄する」と決議したのに、2009年に政権を獲得したメルケル首相は、すぐに稼動期限を延長した。だが福島原発事故で窮地に追い込まれ、突然、「延長期間を凍結する」と表明。4月15日には「なるべく早い時期に脱原発を実現し、代替エネルギーの開発、配線網の整備等に全面努力する」と発表した。<br /><br /><span style="font-size:large;">▼ドイツが脱原発でも隣国に原発が</span><br /><br />□ドイツの原発が発電に占める率は22,4%(2010年)。60%近くが化石燃料で、いまCO2の処理が問題になっている。代替エネルギーの開発もまだ不十分。脱原発の時期を明確に打ち出せないのも当然だ。しかし、ドイツだけ脱原発しても大丈夫なのかという疑問が残る。<br />□お隣りのフランスは原発国だ。オランダは新しい原発の建設計画を進めている。チェコやスイスもドイツとの国境近くに原発がある。<br /><br /><span style="font-size:large;">▼技術で補う道しかない日本</span><br /><br />□結局は今ある原発の安全性を高めながら代替エネルギー、そして特に蓄電の技術を高める努力を急ぐほかない。ドイツのように露天掘りができる発電用の褐炭すら無い日本などは十分に考えるべきだ。「日本人は技術の力に頼りすぎる」とドイツ人は言うが、自然の恵みの不足を技術で補う意外に道はあるのだろうか。<br />(了)<br /><br />(文: 元ドイツ国際放送記者 吉田慎吾('60文新)=在ドイツ=)<br /><br /><br /><table border="1" cellspacing="5" cellpadding="5" width="600"><tr><td>吉田慎吾氏略歴<br><br>1937年11月東京に生まれる。1960年上智大学文学部新聞学科を卒業。翌年から3年間上智大学院西洋文化研究科に在籍。修士の単位はとったが修士論文をださずにDAADの留学生としてベルリン自由大学でPublizistik (プブリツィスティーク)学を学び1968年Dr. phil. (博士号)を取得。1969年から2000年までケルンのドイツ国際放送局『ドイチェ・ヴェレ』で放送編集記者を勤める。2004年ローマ法王ヨハネ・パウロ2世からグレゴリオ勲章を授与される。</td></tr></table>
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地震体験記 ~ 報道されない被災地の深刻なトイレ問題

2011年4月25日報道番組ディレクター 松本こうどう('86比文)□震災から1カ月後の4月11日、NHK深夜のニュース番組「BIZスポ」の取材で岩手県の被災地を訪れた。テレビではあまり報道されない被災地のある現状を少しお話したい。非常時の携帯不通に備えて衛星携帯電話を持って被災地に向かう。宿泊施設のほとんどが全壊しているので、報道陣は100キロ以上離れた岩手県の遠野市に滞在するが、それらの宿も報道陣や支援関係者... 2011年4月25日<br />報道番組ディレクター 松本こうどう('86比文)<br /><br /><img src="http://blog-imgs-37.fc2.com/c/u/m/cumsophia/2011042610413223f.jpg" alt="被災地写真1" border="0" width="400" height="225" onclick="popupImage('http://blog-imgs-37.fc2.com/c/u/m/cumsophia/2011042610413223f.jpg')" /><br /><br />□震災から1カ月後の4月11日、NHK深夜のニュース番組「BIZスポ」の取材で岩手県の被災地を訪れた。テレビではあまり報道されない被災地のある現状を少しお話したい。非常時の携帯不通に備えて衛星携帯電話を持って被災地に向かう。宿泊施設のほとんどが全壊しているので、報道陣は100キロ以上離れた岩手県の遠野市に滞在するが、それらの宿も報道陣や支援関係者で一杯のため、今回も相部屋でゴロ寝であった。<br /><br /><span style="font-size:large;">▼ガレキの山から強烈な腐敗臭</span><br /><br /><img src="http://blog-imgs-37.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20110426104131af2.jpg" alt="被災地写真2" border="0" width="400" height="225" onclick="popupImage('http://blog-imgs-37.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20110426104131af2.jpg')" /><br /><br /><br />□地震で路面が波のように変形した東北自動車道では車体が跳ねる。一般道路に入ると自衛隊、作業車両、そして支援者の車で朝夕は渋滞が続く。取材は原発問題による避難区域以外でもガイガーカウンターを使って常に放射能線量に注意しながら行われる。<br />□テレビの画面からはわからないが、被災地の想像を絶する量のガレキの山は強烈な腐敗臭を放っている。そして、その被災地に点在する避難所には、ほとんど報道されていない深刻な問題が生じているのだ。<br /><br /><span style="font-size:large;">▼飲食控えて悪化する避難者の体調</span><br /><br /><img src="http://blog-imgs-37.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20110426104129a9c.jpg" alt="被災地写真3" border="0" width="400" height="225" onclick="popupImage('http://blog-imgs-37.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20110426104129a9c.jpg')" /><br /><br /><br />□避難所のどこにも3、4個設置されている簡易トイレが、どこも非常に汚いのだ。断水で用後の手洗いもろくにできないこの環境では、病原菌の問題だけでなくトイレに行きたくないので飲食を控えて体調を悪くする被災者も多数出ている。<br />□もちろん簡易トイレは水洗ではない。設置後は汚物タンクを毎日取り替えない限りどうしても不衛生になるが、被災地ではその汚物を処理する場所がない。ビニールや新聞紙にくるまれた汚物が放置されているのはよいほうだ。中には足の踏み場もないところもある。<br /><br /><span style="font-size:large;">▼首相に見てもらいたかったトイレの惨状</span><br /><br /><img src="http://blog-imgs-37.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20110426104128b88.jpg" alt="被災地写真4" border="0" width="400" height="225" onclick="popupImage('http://blog-imgs-37.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20110426104128b88.jpg')" /><br /><br /><br />□入浴が満足にできない避難所で、劣悪な環境のトイレを毎日使わなくてはならない被災者が被る不衛生さと心労を想像して頂きたい。行政やボランティアの手に負えないこのような重要な問題は、国が予算を使って早急に改善すべきである。今、首相が被災地視察に行って一番に見なくてはならないのは、実はこのトイレ回りの環境整備ではないだろうかと切に思う。(了)
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原子力発電から自然エネルギーへの転換を

原子力発電から自然エネルギーへの転換を ~ 上智大学を卒業後、商社マンとして資源エネルギーのビジネスに   30年間死のにおいをかいだ元商社マンの訴え東京エグゼクティブ・サーチ副社長  加藤春一('68経経)□上智大学を卒業した私は商社マンとして30年間、エネルギービジネスにかかわり続けてきた。世界5大陸54カ国に出張し、13年間も海外駐在を勤めてきた私は、今回の福島原発の惨禍は、原子力エネルギーから自然... <table border="1" cellspacing="5" cellpadding="5" width="600"><tr><td>原子力発電から自然エネルギーへの転換を<br><br><span style="font-size:large;"> ~ 上智大学を卒業後、商社マンとして資源エネルギーのビジネスに   30年間死のにおいをかいだ元商社マンの訴え</span><p style="text-align:right;">東京エグゼクティブ・サーチ副社長  加藤春一('68経経)</p></td></tr></table><br /><br />□上智大学を卒業した私は商社マンとして30年間、エネルギービジネスにかかわり続けてきた。世界5大陸54カ国に出張し、13年間も海外駐在を勤めてきた私は、今回の福島原発の惨禍は、原子力エネルギーから自然エネルギーへの大転換を人類は決断するきっかけになると信じて疑わない。<br /><br /><span style="font-size:large;">▼原爆を開発、製造したロスアラモス国立研究所</span><br /><br />□今から20年前、ベルギーのブラッセルに駐在していた時、あるエネルギー資源の会議に出席するためアメリカ・ニューメキシコ州のアルバカーキーに出張したことがある。アルバカーキーには第2次大戦中の1943年、原子爆弾の開発を目的に創設されたニューアラモス国立研究所がある。<br />□初代所長がロバート・オッペンハイマーで、ここでマンハッタン計画が実行に移された。ナチス・ドイツが原爆開発に先行したのに焦った米国が、亡命ユダヤ人を中心とする科学者、技術者を集めて研究開発に取り組み、日本の広島に落とされたリトルボーイ(ウラン235原爆)と、長崎のファットマン(プラトニウム239原爆)が製造されたのだ…と考えると身震いした記憶がある。<br />□現在も約1万3000人以上の科学者、職員が働く核兵器と原子力の研究機関では世界最大の研究所だ。<br />□飛行場からホテルへ通ずる幹線道路の両側は一面砂漠で、白い砂埃をあげてタクシーは突っ走った。私は世界のさまざまなところを歩いてきたが、まさに「死の漂う広漠とした町」といった感じで、これほど死のにおいをかいだ町を他に知らない。実に異様な体験であった。<br /><br /><span style="font-size:large;">▼パリ支店に原子燃料調達の先鋭部隊</span><br /><br />□ブラッセルからパリに時々出張した。というのも日本の大手電力会社は、現在では世界最大の原子力産業複合企業となったフランスのアレヴァ社から、商社を通じてイエローケーキを輸入していた。イエローケーキというのは原子炉の核燃料として使われる濃縮前の天然ウランのことで、アレヴァ社はドラム缶に詰めて各国に輸出している。それは実に鮮やかな黄色の粉末で、ケーキ状なのでイエローケーキと呼んでいる。<br />□当時、日本の原子力発電の燃料を取り扱うという大役を担った商社マンの先鋭部隊がパリ支店に集結していた。そのパリ支店長には原子力工学部出身者が歴代就任していた。アルバカーキで感じた死のにおいと広島、長崎の原爆の惨禍が脳裏から離れない私は、同僚である支店長に「なにか突発的な事故でも起きたら大変なことになるのではないか」と、原子力発電についての危機感を吐露したことがある。「そうなんだよ」という反応を期待したが、彼は逆に「全く心配ないよ」と豪語したのだった。彼は既に商社を退職しているが、今回の福島の原子炉の惨状をどう受けとめているのか、聞きたいものだ。<br /><br /><span style="font-size:large;">▼究極のエネルギー源「水素」を求めて</span><br /><br />□人類の歴史は、究極のエネルギー源である水素(H)追及の歴史であると言ってよい。質量当たりのエネルギー密度はガソリンの3倍で、石油や液化ガスに比べても大きい。スペースシャトルの打ち上げにも液体水素が使われていることで、その威力は証明されている。<br />□ところが紀元0年のキリスト降誕時代から英国の産業革命が起きる1800年代初頭までは木炭の時代で、人類は森林の伐採を続けてきた。<br />□産業革命でエネルギーは木炭から石炭に転換され、さらに1930年代からは自動車革命で石油時代に入る。1980年ころから環境問題が顕在化して一酸化炭素を出さないクリーンエネルギーに傾倒していく。<br />□そしてエネルギー効率が高く、21世紀は水素エネルギー抽出方法として水素ウランの時代と原子力利用が始まった。原子力発電は世界で約650基が建設され、日本も55基が建設されている。そのうちの6基が福島にあり、今回の大事故で原子力の安全性への疑問が一挙に高まった。<br />□人類は自然エネルギ―への転換を真剣に検討する時代に突入したのである。<br /><br /><span style="font-size:large;">▼日本のエネルギー自給率はたったの4%</span><br /><br />□日本の総エネルギーを検証しておきたい。日本のエネルギーは約1兆強キロワットのわずか4%の自給率しかなく、全てエネルギー源を輸入に頼っているという事実を忘れてはならない。その内訳は次のようになる。<br /><br />●石炭27%(豪州、カナダ、インドネシア、南アフリカ、ロシア)年間1億1300万トンを輸入。<br />●原子力27%(豪州、カナダのウラン鉱をフランスのアレヴァ社がアメリカ経由のイエローケーキで輸入)<br /> ウラン原料は約9800ショートトン。  <br />●天然ガス22%(豪州、インドネシア、マレーシア、ロシア)約6000万トンを輸入<br />●石油12% (中東)2億2千万トンを輸入。<br />●その他12% 水力、太陽、地熱、バイオマスなど。<br /><br /><span style="font-size:large;">▼国民総意で自然エネルギー転換を</span><br /><br />□環境エネルギー政策研究所は、化石燃料と原子力からの脱皮を基本にして自然エネルギーに転換していくと67%までまかなえるという数字を打ち出している。その場合の自然エネルギーの内訳は太陽光18%、水力、バイオマス各14%、風力、地熱各10%、その他33%だという。その他はLNGや石炭だが、私は徐々に自然エネルギーの比率を高め、何年かかるかわからないが、最終的には100%自然エネルギーに転換すべきだと思う。<br />□エネルギー資源ビジネスに長年かかわり広島、長崎に落とされた原爆を開発、製造したアルバカーキーで、死の灰のにおいをかいだ人間として、私は今後2、30年はかかると予測されるが、子どもたちの健康と地球環境を守るためにも原子力発電から自然エネルギーへの根本的転換をはかる必要があると認識する。(了)
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井上ひさしは原子炉事故を予見していた

2011年4月17日□今刻々と危機をます東日本津波大震災に続く、東京電力福島第1原子力発電所の火災事故。事故評価尺度がレベル7に格上げされ、チェルノブイリ原発事故を凌ぐ人類始まって以来とも言われるほどの様相を呈してきた。□連日全世界のメディアが東電原発火災事故(Fukushima 3.11)の成行きを注目し、救援に要人だけでなく各国の最新原子力科学技術スタッフが来日している。原子炉・燃料棒冷却のために「水、水、水を…」... 2011年4月17日<br /><br />□今刻々と危機をます東日本津波大震災に続く、東京電力福島第1原子力発電所の火災事故。事故評価尺度がレベル7に格上げされ、チェルノブイリ原発事故を凌ぐ人類始まって以来とも言われるほどの様相を呈してきた。<br />□連日全世界のメディアが東電原発火災事故(Fukushima 3.11)の成行きを注目し、救援に要人だけでなく各国の最新原子力科学技術スタッフが来日している。原子炉・燃料棒冷却のために「水、水、水を…」と決死の作業が日夜続いている。しかし次から次へと未解決の水問題が山積し、今もって危機が去っていない。<br /><br /><span style="font-size:large;">▼人類へのメッセージ</span><br /><br />□私は、昨年9月に「環境と文学―いま、何を書くか」をテーマに開催された「第76回国際ペン東京大会」(日本ペンクラブ主催)開会式で上演された群読劇を、いやでも思い出さざるを得ない。群読劇は日本ペンクラブ前会長の井上ひさしさんが書いた「水の手紙」で、井上さんが世界中の「水<br />問題に託して書き残した人類へのメッセージである。<br />□井上ひさしさんは、惜しくもこの開会式の群読劇を見ることなく昨年4月9日亡くなられたが、劇は、20数人の若者が世界から寄せられた水問題の手紙を読み上げる形で進行する。<br /><br /><img src="http://blog-imgs-37.fc2.com/c/u/m/cumsophia/2011041723171495d.jpg" alt="国際ペン東京大会2010" border="0" width="400" height="266" onclick="popupImage('http://blog-imgs-37.fc2.com/c/u/m/cumsophia/2011041723171495d.jpg')" /><br />写真説明:国際ペン東京大会の開会式で上演された、故井上ひさしさんの群読劇「水の手紙」(2010年9月26日早稲田大学大隈講堂)写真提供:共同通信社<br /><br /><span style="font-size:large;">▼原子を鎮めるのは水以外にない</span><br /><br />□アラル海、コロラド川、黄河、モルジブ、ベネチア、アフリアなど世界各地で渇水、浸水、水不足と水問題は刻々と深刻化している。群読劇の中で若者が叫ぶ。<br />□「わたしたちの住む地球は水の惑星」、「みんな水で生きているのです」、「みんな水で生かされているのです」、「わたしたちは水そのもの」<br />□そして最後のセリフは、「わたしは水です」であった。<br /><br /><span style="font-size:large;">▼文学が時代を予見するのか</span><br /><br />□原子を鎮める、地球を救うのはまさに水。作家、井上ひさしさんは今、福島で起きている原子炉災禍を既に予見していたのである。何と言うべきだろう。声もない。日本の今の今を見ると恐ろしいほどである。<br />□文学が時代を予見するー。昨年、東京に集った世界の作家たちは、日本ペンクラブの掲げたテーマ「環境と文学―いま、何を書くか<br />を今更のように噛みしめているに違いない。(了)<br /><br />(文:向山肇夫('63法法)<br /><br />注:群読劇の一部はYouTube<a href="http://www.youtube.com/watch?v=rCjoNTlVCZw" target="_blank" title="(Opening Ceremony-International PEN Congress Tokyo 2010)">(Opening Ceremony-International PEN Congress Tokyo 2010)</a>で見ることができます。 
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身近な地震体験記 ~ 気仙沼の唐桑半島から

2011年4月17日:村尾憲治がお伝えします。震災支援ボランティア活動記 気仙沼の唐桑半島から□戦後最大の大震災・津波・原発事故の被災者支援で、何ができるか、どう関わっていくべきかをずっと考えていました。ただ支援するだけでなく、私にとっての3.11を考える意味でも現地に立ち、これからの道を模索する意味でボランティア活動に参加しました。長く険しい東北の復興には、内容は変化するにせよ継続的な支援が絶対必要です... 2011年4月17日:村尾憲治がお伝えします。<br /><br /><span style="font-size:large;">震災支援ボランティア活動記 気仙沼の唐桑半島から</span><br /><br />□戦後最大の大震災・津波・原発事故の被災者支援で、何ができるか、どう関わっていくべきかをずっと考えていました。ただ支援するだけでなく、私にとっての3.11を考える意味でも現地に立ち、これからの道を模索する意味でボランティア活動に参加しました。長く険しい東北の復興には、内容は変化するにせよ継続的な支援が絶対必要です。復興に向けた支援の輪が広がるよう願いながら、ささやかながら私の体験と感想をまとめました。&#160;<br /><br /><span style="font-size:large;">山仲間10人と気仙沼の唐桑半島に</span><br /><br />□私は勤労者山岳連盟千葉県連の「ちば山の会」のメンバー、山仲間10人(男7人、女3人)とともに支援活動に参加しました。行く先は、722人の犠牲者を出し、いまでも1420人の行方不明者を抱える気仙沼市でも行政の支援が手薄な唐桑半島の鮪立(しびたち)地区と決まりました。唐桑半島は、多くの小さな漁村集落で構成されており、なかでも鮪立地区の海岸近くは被害が激しく、そこで4月7日から4日間、支援ボランティアの生活を過ごしました。<br /><br />□私たちはワゴン車など3台の車に分乗して現地に向かいました。支援物資として衣類(防寒具、下着)、生活用品、ノートなど文具、懐中電灯、電池を積み込み、自分たちの宿泊のために冬用シュラフ、自炊用食料(米12キロ、野菜、肉など)を、また作業のために必要な一輪車3台、スコップ7、バール3、のこぎり、大ほうきなども準備しました。<br /><br /><span style="font-size:large;">信頼関係で築かれた支援システム</span><br /><br />□労山栃木県連のベースキャンプは、唐桑半島の小高い丘の上にある「海岸亭」というレストラン・土産物店の前にある大きな駐車場でした。そこにはイベント用の大型テントの支援本部に炊事場、テーブル、支援物資置き場が設置されていて、千葉から運んできた支援物資を運び込み、そこから被災者に提供するシステムが既に出来上がっていました。<br /><br />□このような救援システムは、たまたま栃木県連の先行調査隊が「海岸亭」の経営者である小野寺氏と現地で偶然出会い、また労山栃木の森支援隊長と唐桑地区避難所の世話役リーダー、村上信子さんとの間で、支援活動についての信頼関係が構築されたため出来上がったもので、社会福祉協議会や自治体職員などの中間調整なしに、被災者のニーズや要望にこたえられるシステムは実にすばらしいと思いました。<br /><br /><img src="http://blog-imgs-37.fc2.com/c/u/m/cumsophia/201104172146267e2.jpg" alt="朝礼の様子" border="0" width="400" height="300" onclick="popupImage('http://blog-imgs-37.fc2.com/c/u/m/cumsophia/201104172146267e2.jpg')" /><br /><strong>(画像・説明:朝礼の様子)</strong><br /><br /><img src="http://blog-imgs-37.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20110417215955a50.jpg" alt="トラックで現場へ" border="0" width="400" height="300" onclick="popupImage('http://blog-imgs-37.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20110417215955a50.jpg')" /><br /><strong>(画像・説明:トラックで現場へ)</strong><br /><br /><span style="font-size:large;">敷地の高さが天国と地獄の境目に</span><br /><br /><img src="http://blog-imgs-37.fc2.com/c/u/m/cumsophia/201104172150536fe.jpg" alt="全壊した家々" border="0" width="400" height="300" onclick="popupImage('http://blog-imgs-37.fc2.com/c/u/m/cumsophia/201104172150536fe.jpg')" /><br /><strong>(画像・説明:全壊した家々)</strong><br /><br />□気仙沼市内はJRの駅までは普通の町並みでしたが、数十メートル海側に進むと津波による建物の倒壊や濁流でのがれきの山。大きな漁船が陸に打ちあげられ斜めに傾いていました。<br /><br /><img src="http://blog-imgs-37.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20110417215051e46.jpg" alt="気仙沼港 陸の船" border="0" width="400" height="300" onclick="popupImage('http://blog-imgs-37.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20110417215051e46.jpg')" /><br /><strong>(画像・説明:気仙沼港 陸の船 )</strong><br /><br />私たちが活動した鮪立地区は、土台ごと流され跡かたもなくなっている地域と、家は全壊や半壊で残ったものの、家族だけでは手のつけられない状態の地域とがありました。全壊や半壊の家の中は屋根や壁が崩れ、畳が吹きあがり、衣類、寝具、家財道具などがごちゃごちゃに山積みになっており、窓ガラスが割れていたり、ドアが開かないなど、悲惨の極みでした。<br /><br /><img src="http://blog-imgs-37.fc2.com/c/u/m/cumsophia/201104172150500f1.jpg" alt="電柱に浮き" border="0" width="400" height="300" onclick="popupImage('http://blog-imgs-37.fc2.com/c/u/m/cumsophia/201104172150500f1.jpg')" /><br /><strong>(画像・説明:電柱に浮き)</strong><br /><br /><img src="http://blog-imgs-37.fc2.com/c/u/m/cumsophia/2011041721504914e.jpg" alt="ぺちゃんこの家" border="0" width="400" height="300" onclick="popupImage('http://blog-imgs-37.fc2.com/c/u/m/cumsophia/2011041721504914e.jpg')" /><br /><strong>(画像・説明:ぺちゃんこの家)</strong><br /><br />その一方では、ほんの数メートル後方の高台には全く無傷で残っている家もあり、同じ村の中でも、海からの距離ではなく、敷地の高さによって天国と地獄の境目があることが残酷さを際立たせていました。湾の中にも家やがれきが浮いており、大型サルベージ船がクレーンで海をさらってがれきを大型コンテナ船に回収していました。<br /><br /><img src="http://blog-imgs-37.fc2.com/c/u/m/cumsophia/201104172150482fe.jpg" alt="湾内の家" border="0" width="400" height="300" onclick="popupImage('http://blog-imgs-37.fc2.com/c/u/m/cumsophia/201104172150482fe.jpg')" /><br /><strong>(画像・説明:湾内の家)</strong><br /><br /><img src="http://blog-imgs-37.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20110417215047c44.jpg" alt="鮪立・ボートと車・湾ではクレーンの回収作業" border="0" width="400" height="300" onclick="popupImage('http://blog-imgs-37.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20110417215047c44.jpg')" /><br /><strong>(画像・説明:鮪立・ボートと車・湾ではクレーンの回収作業)</strong><br /><br /><span style="font-size:large;">喜ばれた日記やアルバムの回収</span><br /><br />□私たちの主な仕事は、全壊、半壊の家の中の残がいを外の庭に出し、依頼のあった位牌、貴重品、思い出の品などを探すことと、半壊の家では、家族が中に入って整理や掃除ができるようにすることでした。家具や水の吸った布団や畳は非常に重くて運びづらく、力と踏ん張りが必要な男の仕事。ドアや引き戸、引き出しなどが水で膨張して開かない場合は、バールでこじ開けたり、チェーンソーで切断して中へ進む。喜ばれたのは写真のアルバムで、かなりの家で回収しました。昭和天皇の額縁入り写真や私が初めて見る教育勅語の額などもありました。中には奥さんの日記も出てきて、そばにいた旦那さんに渡そうとしたら、奥で探し物をしていた奥さんが「見ないでー」と明るい大きな声を上げたので、家族の皆さんの笑いを誘いました。<br /><br /><img src="http://blog-imgs-37.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20110417215205e56.jpg" alt="危なげな家から荷物を出す" border="0" width="400" height="300" onclick="popupImage('http://blog-imgs-37.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20110417215205e56.jpg')" /><br /><strong>(画像・説明:危なげな家から荷物を出す)</strong><br /><br /><span style="font-size:large;">つぶれた家の中におじいちゃんが</span><br /><br />□「おじいちゃんがつぶれた家の中にいるので探してほしい」という依頼を受け、屋根を壊し、中のごちゃごちゃになっていた布団や家具を出して、スペースをつくりながら探す作業は大変でした。残念ながらご遺体を見つけることはできませんでした。作業が終わった後、開けられた屋根から中をのぞき込んでいる孫の娘さん、そして死亡者の印の赤い旗の横で、ずっと立ち続けていたお兄さんの姿を忘れることができません。<br /><br /><img src="http://blog-imgs-37.fc2.com/c/u/m/cumsophia/201104172152030ef.jpg" alt="じっちゃんがつぶれた家の中に" border="0" width="400" height="300" onclick="popupImage('http://blog-imgs-37.fc2.com/c/u/m/cumsophia/201104172152030ef.jpg')" /><br /><strong>(画像・説明:じっちゃんがつぶれた家の中に:赤丸注目!)</strong><br /><br />□網元の家が2軒あり、大きく斜めに傾いた出入りできない倉庫をバールでこじ開け、梁(はり)をチェーンソーで切断して入り、大量のカキやホタテの養殖網を20人がかりで手渡して移動し回収しました。しばらくは海で養殖はできない状況ですが、復興を信じて海で生きる覚悟を感じました。こうした支援活動は1軒で1時間から2時間で終わり、被災者の方に涙目で深々と頭を下げてお礼を言われるとこちらもグッときながら、「これからも頑張って下さい」と挨拶して現場を後にします。ボランティア支援の一番うれしい瞬間でした。<br /><br /><span style="font-size:large;">役立った防塵マスクやカッパ</span><br /><br />□私たちは避難所の中には入りませんでしたが、世話役リーダーの村上さんの話では、発生から4週間が過ぎて、施設の避難者の数は、減少しており、支援物資の供配給は、まずまず回ってきているそうです。車で30分から1時間位走ると被災の軽いコンビニやスーパーなども開いており、今後の支援物資については、その場所のニーズをきめ細かく聞きながら支援していくことが必要と思われます。<br /><br />□支援作業の服装、履物は、割れたガラス、瀬戸物やがれきの木にクギがついていたりするので安全靴か登山靴が必須。ヘルメット、防塵マスク、防塵メガネ、タオル、工事現場用革手袋なども必需品。私は山で着古したカッパ上下を使いました。晴れた日でも家の中の衣類や布団などは浸水で濡れており、また埃もひどいところもあり、カッパや防塵マスクが有効でした。相当汚れるので新しいものは避けたい。ボランティア保険に加入しているとはいえ、自己責任での参加です。かつ支援活動での現場リスクは多く、最新の注意が必要です。<br /><br /><span style="font-size:large;">山登りの技術が災害復旧に役立つ</span><br /><br />□今回の災害現場での支援活動を通じて、食糧を持ち込み、どこにでもテントを張って寝られて、電気や水がなくても自立して生活ができる山岳会メンバーは、災害ボランティアとして相性が良いことに気がつきました。チェーンソーやバールなど大型の道具を使っての解体作業などは、一人のボランティア活動で出来るレベルにありません。しかし「ちば山の会」には、建設電気工事現場や災害復旧工事を仕事として経験しているベテランがおり、専門分野を活かした活動が出来きました。岩稜登繫の技術は、災害家屋にも通じるものがあり、被災し崩れかけた家によじ登ることなどお手の物。登繫技術も低く、災害ボランティアに経験がない私でも、頼もしい先輩と一緒について、安心して活動出来ました。山とは違った環境で寝食を共にし、チームでの活動や夜の反省会兼懇親会で他の山岳会やボランティアチーム、地元支援者などとの連携やきずなを深められたのも大きな収穫でした。<br /><br /><img src="http://blog-imgs-37.fc2.com/c/u/m/cumsophia/2011041721520243e.jpg" alt="家登り" border="0" width="400" height="300" onclick="popupImage('http://blog-imgs-37.fc2.com/c/u/m/cumsophia/2011041721520243e.jpg')" /><br /><strong>(画像・説明:家登り)</strong><br /><br /><span style="font-size:large;">支援活動でもらった勇気と元気</span><br /><br />□今回の大震災直後から「自分では何が出来るか?」を考え、募金の推進、チャリティや防寒着の送付などを実践してきました。しかし、ボランティア活動で現地入りすることは、自治体の受け入れ態勢が整っていなかったり、役に立つ技術や経験がないために躊躇してきました。今回縁あって、山仲間を通じてボランティアルートが開拓され、現場に立ち、自分の目と体で自分なりの3.11を心に刻むことが出来ました。家族や家を失い苦悩しながらも、必死に耐えながら前に進もうとしている人々や、笑みさえ浮かべながら深々とお辞儀をする宮城人にこちらも勇気と元気をもらいました。<br /><br />□最後に、東北の復興を祈念しながら……<頑張ろうニッポン!!><br /><p style="text-align:right;">村尾憲治('77経営)</p>
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身近な地震体験記 ~ 福島の養護施設に行ってみて

2011年4月12日 身近な地震体験記     福島養護施設□福島第一原発から5キロ圏内にある重度知的障害者施設「東洋学園」の子どもや大人のひとたち200人が避難先を転々とし、ストレスと疲れから限界状態―という朝日新聞の記事を読んで、3ヵ所目という避難先に行ってきました。□僕がソックス500足を持って訪れたのは福島県田村市にある社会福祉法人、福島県福祉事業協会 障がい者多機能型事業所「たむら」の避難所です。山の中に... 2011年4月12日 身近な地震体験記     福島養護施設<br /><br />□福島第一原発から5キロ圏内にある重度知的障害者施設「東洋学園」の子どもや大人のひとたち200人が避難先を転々とし、ストレスと疲れから限界状態―という<a href="http://www.asahi.com/special/10005/TKY201103280096.html" target="_blank" title="朝日新聞の記事">朝日新聞の記事</a>を読んで、3ヵ所目という避難先に行ってきました。<br /><br />□僕がソックス500足を持って訪れたのは福島県田村市にある社会福祉法人、<a href="http://www.ffk.jp/index.html" target="_blank" title="福島県福祉事業協会">福島県福祉事業協会</a> 障がい者多機能型事業所「たむら」の避難所です。山の中にあり、グリーンの屋根と玄関の屋根が小さなアーチ型をしています。もともと定員40人の施設で、20畳ほどの2部屋と小体育館に191人の障がいをもった子どもたちが雑魚寝していました。ただでさえ安定した状態でないと大変なのに、夜も昼も身動きが取れない状態では子どもたちだけでなく、世話する職員の方も大変です。<br /><br /><a href="http://www.ffk.jp/index.html" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-37.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20110413120249067.jpg" alt="福島福祉事業協会" border="0" width="400" height="421" /></a><br /><br /><br />□東洋学園は福島第1原発と第2原発の間にあったため、地震発生の翌日の(3月)12日に川内村にある施設に移ったところ、政府の避難指示範囲が広がったため、夜中に再び移動、川内村の小学校体育館に着き、他の避難民と一緒に一晩過ごしました。ところが環境の変化から大きな声を出したり、落ち着きを失ったりする子どもが相次いで、仕方なく、翌13日、同学園の所有する通所施設に移ったのでした。<br /><br />□職員の方たちは全員が疲れきった表情で、顔を見るのもつらくなってしまうありさまです。この避難場所は児童がほとんどで更に大変です。<br />□ソックスを500足ほど持っていったのですが、すごく喜んでくれました。みんなの喜ぶ顔を見て僕も行って良かったと思いました。「これからまだまだ長い苦労が続ので、頑張らなくては」と言っていましたが、その声は正直言って疲れ切っており、元気はありませんでした。<br /><br />□帰り際に、5人くらいの人たちと近くを一緒に散歩しましたが、なんだかスペシャルオリンピックスの最初のころを思い出し、行って本当に良かったと思います。 <br />これからも別の避難所にソックスを持っていくことを続けたいと追っています。<br />□今回行く前はスペシャルオリンピックスの仲間で一日でもスポーツをみんなと出来ればと考えていたのですが、あの職員の方々の顔を見ていたら、まだまだそんな余裕はなさそうです。でも、もう少し余裕が出来てきたら、ぜひ皆さんでスポーツを一日楽しみに行きませんか。みなさんも楽しいし、職員の方も数時間でも楽になると思います。<br /><br />□物資はお店が開店し出したので何とかなるようになったそうですが、原発で戻る所が無くメドもたっていない現状で191人の子どもたちと生活していくのは本当に大変なことだと思いました。僕が到着したのが2時頃でしたが、子どもたちの親はいませんでした。みなさんそれぞれ大変なのだと思います。<br /><br />□そうそう、ちょうど帰る途中に大きな地震がありましたし、原発だけでなく地震そのものの脅威も残っています。いずれにしても、この避難所だけでなく、宮城、岩手などの障がいのある人たちの避難施設はどうなっているのでしょうね。出来れば次回はそちらの避難施設にソックスを持っていこうかと思っています。<br /><br />□福島の町中のガソリンスタンドの電光掲示板には今現在の放射線数値が表示されており、地元の不安は東京都とは違って身近なことだと実感させられました。常磐道の那珂あたりから80km制限となっていて、なぜかと思ったのですが、高速道路が大きく上下にうねっている箇所が本当にたくさんあり、10ケ所ほどは大きな段差がある状態です。初め120km位で走っていたら大きくジャンプしてハンドルを取られヒヤットしました。ヒビが入ったところは修理されているのですが、このうねりは修理しようが無いのではないかと思います。<br /><br />□帰りに津波の被災地を回ってきましたが、あまりのすざまじさに言葉もありませんでした。大きな支援は政府が取り組み、中くらいの支援は色々な組織がやることですので、僕はちっぽけなことしか出来ませんが、今後ともスペシャルオリンピックスに限らず、知的障がいのある方々へ絞っての応援をしていきたいと思います。<br />□今焦って何かをしなければと言うより、長く出来ることをしていきたいと思っています。変な話ですが、地元のスーパーに入ったところ、福島産の牛乳が95円で本数制限なし、レタス大きいのが55円で売っていました。他県へ販売できない畜産、農業のつらいところが見られました。先ずは報告まで。<br /><br />追伸  14日(木)午後8時からNHK教育テレビの福祉ネットワークでこの子どもたちの状況が放映されるかもしれません。<br /><br />(報告)スポーツソックスメーカー、田川正一('70理物)
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身近な地震体験記  ~ 栃木県大田原市から

4月12日:栃木県大田原市から木村英夫がお伝えします。 ここ一ヶ月の間、岩手、宮城、福島県での大被害のニュースしか流れておりませんが、3月11日の震災当日は、栃木県北部でも被害は大きかったです。ちなみに、我が大田原市は震度6強、災害救助法適用地域になりました。※画像はクリックでポップアップします墓地護国神社市役所 大田原市は、関が原以来、移封もない大田原藩が納める城下町で、奥州街道の主要な宿場町でもありま... 4月12日:栃木県大田原市から木村英夫がお伝えします。<br /><br /> ここ一ヶ月の間、岩手、宮城、福島県での大被害のニュースしか流れておりませんが、3月11日の震災当日は、栃木県北部でも被害は大きかったです。ちなみに、我が大田原市は震度6強、災害救助法適用地域になりました。<br />※画像はクリックでポップアップします<br /><br /><img src="http://blog-imgs-37.fc2.com/c/u/m/cumsophia/201104121617327f7.jpg" alt="墓地" border="0" width="400" height="300" onclick="popupImage('http://blog-imgs-37.fc2.com/c/u/m/cumsophia/201104121617327f7.jpg')" /><br>墓地<br /><br /><img src="http://blog-imgs-37.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20110412161731572.jpg" alt="護国神社" border="0" width="400" height="300" onclick="popupImage('http://blog-imgs-37.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20110412161731572.jpg')"/><br>護国神社<br /><br /><img src="http://blog-imgs-37.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20110412161729863.jpg" alt="市役所" border="0" width="400" height="300" onclick="popupImage('http://blog-imgs-37.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20110412161729863.jpg')"/><br>市役所<br /><br /> 大田原市は、関が原以来、移封もない大田原藩が納める城下町で、奥州街道の主要な宿場町でもありました。徳川時代には、奥州の備えとして重要な位置を占め、常時、大筒(家康筒)や弾薬、兵糧も豊富に備蓄されておりました。しかし鳥羽伏見の戦いの後、3名の藩士に様子を見に行かせ、いち早く西軍に組しました。<br /><br /> 下野の国で数ある大名のうち、関が原から維新まで、大田原藩と隣町の黒羽(現大田原市)の大関藩のみが、移封、国替えがなかったようで、佐竹藩は下野の国南を治めていましたが、最終的には秋田に移封されています。西軍に組したことにより、徳川を守るための大筒が、皮肉にも東軍攻撃に使われたとは、誰にも想像できなかったことでしょう。<br /><br /> それと同じように大田原藩が城下町として選んだ町が大地震という天災に見舞われ、歴代藩主の墓石が倒壊するとはユメにも考えなかったことでしょう。<br /><br /> 神職研修の際、座学で風水を学びましたが、実に風水の定石でもある立地に社寺やお寺が建てられております。千年の都となる京都は、都の北部に座山となる鞍馬山、東に東山、西に嵐山、そして二つの川の流れという申し分ない所です。これらを我が町に当てはめてみると、教科書通りでした。<br /><br /> 我が家は奥州街道に面し、家の近くには社寺やお城がある三つの丘が連なり、したがって風水的にも氣の流れの良い所と信じており、戊辰戦争の時の被災と明治の大火しか、大災害があったとは耳にしていません。ところが今回の震災ではお城のある龍頭山から藩主の墓地が麓にある龍体山、その西側にある瀟洒な住宅街が並ぶ龍尾山の三つの丘にかけて被害が集中しました。神社や城跡にも大きな亀裂がはしっていて、いかに巨大な地震エネルギーが襲ってきたかは素人にもわかります。<br /><br /> 我が家の前の丘陵地にある墓地は90%が倒壊、なかには遺骨が露出して片づけが大変だったと住職から聞きました。関東大震災では丈夫と評判だった大谷石の塀も町中で95%も倒壊しました。<br /><br /><img src="http://blog-imgs-37.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20110412160448253.jpg" alt="大田原神社二の鳥居" border="0" width="400" height="300" onclick="popupImage('http://blog-imgs-37.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20110412160448253.jpg')" /><br>大田原神社二の鳥居<br /><br /><img src="http://blog-imgs-37.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20110412160445e20.jpg" alt="藩主の墓地" border="0" width="400" height="300" onclick="popupImage('http://blog-imgs-37.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20110412160445e20.jpg')" /><br>藩主の墓地<br /><br /><img src="http://blog-imgs-37.fc2.com/c/u/m/cumsophia/201104121604464db.jpg" alt="大谷石の塀" border="0" width="400" height="300" onclick="popupImage('http://blog-imgs-37.fc2.com/c/u/m/cumsophia/201104121604464db.jpg')" /><br>大谷石の塀<br /><br /><br /> 3月11日の震災当時、私は職場である女子栄養大学の埼玉キャンパスにおりました。ちょうどオフィスから気分転換に外に出ており、地震を地面の上で体験しました。職場が学校ということもあり帰宅難民にもならず、学校に宿泊することが出来ました。電気も 水、ガスも問題なく、寝袋や美味しい食事も振舞われました。<br /><br /> JRが不通となっておりましたが、13日に帰宅を決意し、東上線経由で上野駅に出、宇都宮駅まで鉄道移動しました。宇都宮から先の列車運行が無いということで、路線バスを使うか、最悪、友人に迎えに来てもらうより仕方がないと思っておりました。しかし宇都宮駅では、東野バスが災害支援バスとして、氏家駅、矢板駅、西那須野駅そして終点黒磯駅まで運行されていることを知り、友人に西那須野駅まで迎えに来てもらえることになりました。<br /><br /> 渋滞が予想される国道四号線を避け、宇都宮市北郊外の白沢街道(旧奥州街道)を走ると、ブルーシートに覆われた屋根や倒壊した大谷石の塀などが所々で目に付きます。友人に那須塩原駅まで送ってもらい、そこから自分の家に向かって走り出し、ブルーシートの屋根をあちらこちらに見つけ、我が家はどうなっているのか不安に思いながら、向かいました。<br /><br /><img src="http://blog-imgs-37.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20110412161012ee7.jpg" alt="神社脇の亀裂" border="0" width="400" height="300" onclick="popupImage('http://blog-imgs-37.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20110412161012ee7.jpg')" /><br>神社脇の亀裂<br /><br /><img src="http://blog-imgs-37.fc2.com/c/u/m/cumsophia/2011041216101268e.jpg" alt="老舗醤油屋" border="0" width="400" height="300" onclick="popupImage('http://blog-imgs-37.fc2.com/c/u/m/cumsophia/2011041216101268e.jpg')" /><br>老舗醤油屋<br /><br /><br /> 庭に車を止め、家の外観を眺めると、屋根も壁面にも異常が見られません。しかし二階の窓がなぜか開いています。恐る恐る玄関を入ると靴箱が散乱しており、二階に飾っておいた装飾品が階段から転げ落ち、玄関にも砕けて落ちています。リビングに通じるドアをあけると、薪ストーブが斜めに倒れ、煙突を支える鎖が切れていました。そして驚いたことに、二階吹き抜け開口部の、書棚が一階リビングに崩落し、ダイニングテーブルが大破していたのです。家にいたら死ぬか、大けがをしていたかと思うと、ぞっとしました。<br /><br /> 各部屋を見て回ると、色々なものが飛散しており、壁紙が破れて壁の亀裂が目立ちます。台所は、話に聞いていたのとは違い、食器類の食器棚からの飛散が予想よりも少なく、幸運でした。これは地震の際に食器棚が開きにくい工夫のされたものだったからでしょう。<br /><br /><img src="http://blog-imgs-37.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20110412161216662.jpg" alt="我が家の被害" border="0" width="400" height="300" onclick="popupImage('http://blog-imgs-37.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20110412161216662.jpg')" /><br>我が家の被害<br /><br /><br /> 町内の同級生の家に行き、工務店を紹介してもらい、見積りを依頼しました。そして家財のみ火災地震保険に入っていたので、保険会社に連絡しましたが、調査員が査定に来たのが4月5日でした。そして評価は家財の半損となり、保険金の50%が支払われる見込みになりました。しかし見積りとは大きく乖離しているので、途方に暮れている次第です。(了) <br /><br />(報告)女子栄養大 木村英夫('71経経)
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上智大学東日本大震災被災学生「就学継続支援募金」について

 上智大学ソフィア会より、今回の東日本大震災に対し「就学継続支援募金」を募ろうというプレスリリースが発表されましたので、ここにご紹介します。(全文)上智大学東日本大震災被災学生「就学継続支援募金」について  2011.4. 6上智大学ソフィア会会長 和泉法夫 前略 上智大学ソフィア会(卒業生全員で組織する同窓会。現在会員1 2万人)は、東日本大震災で被災した在学生、新入生に対する「就学継続支援募金」を卒業生に対して呼び...  上智大学ソフィア会より、今回の東日本大震災に対し「就学継続支援募金」を募ろうというプレスリリースが発表されましたので、ここにご紹介します。<br /><br />(全文)<br /><br />上智大学東日本大震災被災学生「就学継続支援募金」について  2011.4. 6<br />上智大学ソフィア会会長 和泉法夫<br /><br /> 前略 上智大学ソフィア会(卒業生全員で組織する同窓会。現在会員1 2万人)は、東日本大震災で被災した在学生、新入生に対する「就学継続支援募金」を卒業生に対して呼びかけています。甚大な被害を被った学生は青森、岩手、宮城、福島、茨城各県の出身者約100名です。<br /><br /> その中には、福島第一、第二原発から10キロ圏内に住んでいたが避難指示に従い避難中で、家屋の損壊状態は不明、原発事故の終息を待たないと帰宅出来ず、父親は体調不良で自宅療養中被災、母親のパート先は閉鎖中で収入の道がない、とか、または、家を津波にさらわれて喪失、母子家庭で母はパートで働いており、祖父が学費を負担してくれる予定だったが行方不明となった、学費ねん出の方法がない、とか、別の学生は、家は自営業でしたが 地震で建物が倒壊、市からは危険区域とされ事業再開の目処も立たず学業は続けたいがどうなるか判らない。<br /> このように家が津波で流されたり地震で倒壊したり、原発の近くに住んでいたが避難指示が出て家族は避難所生活を余儀なくされ、学業を続けることが困難だという学生が数多くおります。<br /><br /> そのため、卒業生として後輩に何とか学業を続けてもらおうと募金活動を行うことにしたものです。特に経済的な理由で学業を放棄する学生を少しでも減らしたい、将来の日本を背負う学生に一人でも多く学業を続けてもらいたいと心から念じております。<br /> 下記の文面をメールや印刷物で呼びかけていますが、貴紙(貴局)におかれましても、このことを報じて頂ければ幸いです。宜しくお願いします。 草々<br /><br /> なお、本稿についてのお問い合わせ先: 〒102-8554東京都千代田区紀尾井町7-1<br />  上智大学内 ソフィア会事務局 Tel: 03-3238-3041 Fax: 03-3238-3028<br />        ソフィア会広報担当 松村 裕幸(連絡先080-1116-6750)<br /><br />記<br /><br />2011年4月6日付会員向メールニュース原稿<br /><br />卒業生の皆さま東日本大震災被災学生へ就学継続支援募金のお願い<br />一上智大学ソフィア会は緊急支援金500万円拠出を決定一<br />大学と「給付諮問委員会」 (仮称)を設立<br /><br /> 上智大学ソフィア会は3月11日に発生した東日本大震災の被害地域出身で被災した学生及び新入生(約1∞名)に対する就学継続支援募金(100周年募金の一環として)を上智大学と連携して行うことに致しました。<br /><br /> 募金活動に先立ってソフィア会常任委員会は3月24日に緊急支援金500万円の拠出を決議しました。同時に地域、各種ソフィア会にも募金の協力を呼びかけ、既にソフィア経済人倶楽部(潰口敏行会長) 、マスコミ・ソフィア会(潰口浩三会長) 、経鷲会(三木真弘)は参画を決定しました。<br /> そして、皆さまから寄せられた支援金と緊急支援募金500万円をタイムリーに被災学生に給付するため、 「給付諮問委員会」 (仮称)を上智大学内に設立し、給付方法について協議することにしました。委員会にはソフィア会会長の他、地域、各種ソフィア会からも参画していただき、上智大学教職員とともに数名で構成します。<br /><br />■ご送金方法<br /><br /> ・100周年記念事業募金用の振込用紙を使ってご送金下さい。指定銀行および郵便局経由からは手数料無料です。<br /> ・寄付申込書備考欄に「被災学生支援のため」とご記入下さい。<br /> ・振込用紙をお持ちでない方はお手数ですが募金室までお問合せ下さい。<br /><br />詳細は上智大学HPをご覧ください。<br /><a href="http://sophia100.jp/15_news/index.html#11031601" target="_blank" title="http://sophia100.jp/15_news/index.html#11031601">http://sophia100.jp/15_news/index.html#11031601</a><br /><br />(注)なお、支援物資は受け付けておりません。皆様の積極的なご支援とご協力をお願い致します。<br /><br />ソフィア会会長 和泉法夫
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三水会 3月講演会 「美魔女ブームのつくり方」 ―メッセージメディアとしての雑誌とIMC的展開―

三水会 3月講演会 「美魔女ブームのつくり方」  ~ メッセージメディアとしての雑誌とIMC的展開 ~講師:光文社 「STORY」、「美STORY」 編集長 山本由樹(やまもとゆき)さん('86文新)2011年3月16日(水)19時~21時参加者数22名「美魔女」という新しいコンセプトをキーワードに展開している人気女性誌「美STORY」。従来の内向きの雑誌ではなく、イベント、SNSなどを駆使し外に向けて拡がるIMC*的メデ... <table border="1" cellspacing="5" cellpadding="5" width="600"><tr><td>三水会 3月講演会 「美魔女ブームのつくり方」<br />  ~ メッセージメディアとしての雑誌とIMC的展開 ~<br />講師:光文社 「STORY」、「美STORY」 編集長 山本由樹(やまもとゆき)さん('86文新)<br />2011年3月16日(水)19時~21時<br />参加者数22名</td></tr></table><br /><br /><img src="http://blog-imgs-37.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20110405095355ee8.jpg" alt="20110316三水会プレゼンRIMG5047" border="0" width="400" height="300" /><br /><br />「美魔女」という新しいコンセプトをキーワードに展開している人気女性誌「美STORY」。<br />従来の内向きの雑誌ではなく、イベント、SNSなどを駆使し外に向けて拡がるIMC<sup>*</sup>的メディア展開により「美魔女」というメッセージを社会現象化させることを狙う戦略についての講演でした。 今回は特に「美魔女」ブームの仕掛けとなった「国民的“美魔女”コンテスト」を中心に具体的な手法や応募者のプロフィールについてのお話で盛り上がりました。<br />(*IMC Integrated Marketing Communication 統合型マーケティングコミュニケーション)<br /><br /><strong>&#160;</strong>最初に山本さんが担当している雑誌をはじめすべての雑誌は、地震の影響で紙の手配がつかず、減数や発売日を守れない状況にあるという深刻な話題から始まりました。<br /><br /><span style="font-size:large;">▼「美STORY」が創刊1年でトップの座に</span><br /><br />私がやっている2冊の女性誌は『STORY(ストーリィ)』と『美STORY(美ストーリィ)』ですが、それぞれ、40歳ぐらいがターゲットで『STORY』はファッション、『美STORY』はビューティー中心です。『STORY』は、2002年12月1日創刊で8年以上出し続け、ダントツに売れています(発行部数:231,559*)。『美STORY』は2009年11月15日創刊で、まだ、創刊して1年半くらいです。競合の代表的ビューティー誌には、小学館の『美的』、集英社の『MAQUIA(マキア)』、講談社の『VOCE(ヴォ―チェ)』の3誌があります。<br /><br />『美STORY』は、昨年のABC協会上半期実売部数調査で、それまでトップだった『美的』を1部差で抜き、1位になりました。「奇跡の勝利」と自分逹は呼んでいます。他社のビューティー誌はターゲットも売り方も異なり、付録付きで価格は500~600円ですが、『美STORY』は今まで付録なしで、800円というハンディーがある価格設定にもかかわらず、トップになりました。<br />*参考(年間発行部数データ)<br />社団法人日本雑誌協会:JMPAマガジンデータ「2011年2010年版」(部数算定期間2009年10月1日~2010年9月30日)<br />美STORY 115,575、美的(小学館)109、334、MAQUIA (集英社)96,667、VOCE (講談社)93,309<br /><a href="http://www.j-magazine.or.jp/data_001/index.html">http://www.j-magazine.or.jp/data_001/index.html</a><br /><br /><span style="font-size:large;">▼その秘訣は統合型マーケティングコミュニケーション</span><br /><br />その理由は、ひとつは『美魔女』というコンテンツをブームにすることができたということが言えます。今日はその『美魔女』をどうやってブームにしたのかをお話しします。<br />副題に「メッセージメディアとしての雑誌とIMC展開について」とありますが、IMCというのは、Integrated Marketing Communicationの略で、『統合型マーケティングコミュニケーション』と訳され、さまざまなメディアの中で、メッセージを発信していくというコミュニケーションの手法で、最先端の広告展開には、よく使われています。単純にテレビCMだけをうつということではなく、テレビ、イベント、雑誌等々で、PR的手法を『美魔女』を使って展開しましたという意味です。<br /><br /><img src="http://blog-imgs-37.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20110405095355281.jpg" alt="20110316三水会プレゼンRIMG5058" border="0" width="400" height="300" /><br /><br /><span style="font-size:large;">▼「美魔女」のネーミングのきっかけは?</span><br /><br />「まるで魔法を使っているとしか思えないほど、<br />年齢を超越した若さと、美しさを持ち、<br />経験と知性も輝く、35歳以上の女性。<br />そして、日々自分を磨く努力を重ねて、<br />人生の中間点で美の頂点に立つ女性」<br /><br />という意味ですが、なんで、この言葉を思いついたのかというと、『美STORY』誌には、きれいな読者がよく出てきます。その読者を見ているうちに、「これは『魔女』だよね」と、よく言っていました。<br />『魔法』を使っているとしか思えない。これで45歳とか、驚くほど若い人逹がいて、美しい読者という表現を超越して、『魔女だよね』といっていたところ、『美魔女』という言葉ができあがりました。<br />2008年12月の『美STORY』の別冊に『美魔女』という言葉を初めて使いましたが、ここまでの反響を呼ぶとは思いませんでした。<br /><br /><span style="font-size:large;">▼グーグルの『美魔女』ヒット数は2千万件を超す</span><br /><br />・Google の『美魔女』ヒット数(2011年3月16日現在)は21,700,000件と、軽く2千万件を超えています。<br />その他の女性誌発の流行語のヒット数(下記)とは比較にならない数です。<br />・『美SOTRY』は、 &#160; 6,830,000件<br />・『山ガ―ル』は、   9,890,000件<br />・『森ガール』は、  12,400,000件<br />・雑誌JJの『おしゃP』は、475,000件<br />(Googleヒット数2011/3/16現在)<br /><p style="text-align:left;">2011年版 『現代用語の基礎知識』にも収録され、編集部にとっては喜ばしいことでした。</p><br /><table border="1" cellspacing="5" cellpadding="5" width="600"><tr><td>[美魔女]<br><br />美魔女とは外見美と知的美を両立させた、美しい大人の女性のこと。40代の女性に向けた月刊誌『美STORY』(光文社)によって広められ、同誌は「国民的“美魔女”コンテスト」も開催した。</td></tr></table><br /><br /><img src="http://blog-imgs-37.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20110405102500f2d.jpg" alt="美魔女の作り方4_a" border="0" width="400" height="300" /></a><br /><br /><span style="font-size:large;">▼『美魔女』が社会的ブームに</span><br /><br />次に「国民的“美魔女”コンテスト」についてDVDを流しながら、一般女性がこのコンテストに応募することにより、輝きを増し、生き生きと変わっていく様子、その社会背景にある従来の女性のあり方、また、コンテストによって、もたらされた新しい考え方等についても触れ、日本国内にとどまらずアジア全体を視野に入れて参加者を選び、中国・韓国も含む発信であることも強調されました。<br />『美魔女』の新コンセプトを、従来の紙媒体だけではなく、イベント、TV、ホームページ、参加者のブログ、USTREAM、TWITTER等々のメディアで外に向けて複合的に発信し、輪を広げていく仕掛けと “ニッポンをアゲル”女性逹のパワーが相乗的にうまく重なる形で、『美魔女』は社会的ブームとなっていきました。<br />「マスメディア、パーソナルメディア、イベント等それぞれが有機的に合わさることによって、『美魔女』を成功させたと思います」<br />さらに『美魔女』という言葉が社会にもっと浸透すること(例えば男子高校生が“きみのおふくろは『美魔女』じゃん”と会話するようなこと)を山本編集長は目指し、4月からの通販サイトやコンビニでの新企画をたてています。<br /><br /><span style="font-size:large;">▼40代を“美魔女”コンテストに</span><br /><img src="http://blog-imgs-37.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20110405102458810.jpg" alt="美魔女の作り方11_a" border="0" width="400" height="300" onclick="popupImage('http://blog-imgs-37.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20110405102458810.jpg')" /><br />(クリックして拡大)<br />(画像 IMC展開の説明:<br />中央は話題となった『美魔女』の表紙、雑誌を核にして、<br />スポンサーのサイトでトークイベント等を紹介し、<br />各『美魔女』(21名)のサイトやブログによって、読者との身近なコミュニケーションを可能にした。<br />さらにTWITTERのフォロワ―は、各々3千人以上累計6万人以上というSNSの大きな輪が複合的に広がっていった。<br />コンテストの様子はUSTREAMで配信され、瞬間的に世界第3位の高視聴率を記録し、TVはNHKも含む全局でとりあげられた)<br /><br /><span style="font-size:large;">▼応募資格35歳以上で年齢上限なし</span><br /><br />このコンテストのネーミングは、皆さんご存じの『国民的“美少女”コンテスト』です。一文字漢字を入れ替えただけですが、閃いてからすぐに、このコンテストの主催者を訪ね、協賛の承諾をいただきました。通常のミスコンは上に年齢制限があるのですが、34歳以下は応募しないでください。少し年をとってから応募してくださいという下に年齢制限がある珍しいコンテストです。<a href="http://bimajo.jp/index.html">http://bimajo.jp/index.html</a><br /><br />2010年8月にスタートした『国民的“美魔女”コンテスト』の応募数は 約2,500人と大きな反響があり、11月末までに、ファイナリストとして21人が残り、その中から、「グランプリ」、「準グランプリ」、「腸美魔女」、「おっぱい美魔女」、「美肌魔女」の5人がさらに選ばれました。<br />また、例えば「おっぱい」という言葉は、協賛した某下着メーカーでは、禁止用語でしたが、女性には抵抗のない言葉として、初めて公に使用されることになり、その老舗メーカーにとっては画期的な出来事となりました。<br /><br /><img src="http://blog-imgs-37.fc2.com/c/u/m/cumsophia/201104051031070cd.jpg" alt="美STORY表紙" border="0" width="135" height="172" /><br /><br />2011年3月号はファイナリストの中の4人がセミヌードで表紙を飾り、一部コンビニでは、表紙を隠して販売する等、一般女性を使った表紙としては珍しく大きな反響を呼びました。講演では、中国(表紙中央)、韓国の受賞者も含む各ファイナリストのプロフィールが紹介されました。<br />「40歳ともなるとそれぞれ個性的であくも強いので、外見だけでなく、内面や経験も含めて輝いているマチュアな女性の魅力をこの企画を通じて引き出すことができました」<br />参考URL:<a href="http://bimajo.jp/profile/index.html">http://bimajo.jp/profile/index.html</a><br /><br /><a href="http://comsophia.files.wordpress.com/2011/03/rimg5053.jpg"></a><br /><br /><img src="http://blog-imgs-37.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20110405095354066.jpg" alt="20110316三水会プレゼンRIMG5083" border="0" width="400" height="300" /><br /><br /><span style="font-size:large;">▼人生の折り返し地点の40代に着眼</span><br /><br />『美魔女』が受け入れられた大きな理由は女性の平均寿命は86歳でちょうど40歳が折り返し地点です。20歳が美の頂点とすると、残りの60年は下っていくしかなく、楽しくない。そこで、美しさの果実をつみとるように、人生の中間点でもともと自分が持っていた若さや美貌でないもので輝くことができたときに、40代で頂点に立てれば、ほとんどの女性が幸せになれるのではないかと思い、こういう年齢設定をしました。<br /><br />結果的に大変盛り上がったがやりたかったのは、実はここから先のことです。コンテストをやって終わりというのではなくて美魔女という価値観をもっと広げていくのはどうしたらよいのかというのが課題で、そこで社会現象化するための5つの「?」をあげます。<br /><br /><img src="http://blog-imgs-37.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20110405095354fc7.jpg" alt="20110316三水会プレゼンRIMG5088" border="0" width="400" height="300" /><br /><br /><span style="font-size:large;">▼社会現象化するための5つの課題</span><br /><br />1.<span style="text-decoration:underline;">メッセージがあるかどうか?<br /></span>今回はメッセージがあった。なぜかというと40歳代以上の女性が美で評価される場面が今までなかったからです。結婚したら、夫は妻を女として見てくれないし、セックスレスの問題も深刻だと僕は思いますが、最大のメッセージは人生の中間点で、女の人の美の頂点に達するというメッセージがあったことです。<br /><br />2.<span style="text-decoration:underline;">共感性があるかどうか? このメッセージに共感してもらえるか。<br /></span>すべての女性は、美しくなれるポテンシャルは持っているが、自分が美しくなる目的や、美しさを発揮する場がないのではないかと思います。そこで、美しさというものを評価してあげるという場所をつくろうというのが今回のコンテストで、「40代は美しい」というメッセージに共感を呼びました。<br /><br />3.<span style="text-decoration:underline;">インパクトがあるかどうか?<br /></span>単純に『美しい読者モデル』や『美しい人』という表現だけだったら、だれも振り向いてくれませんが、『美魔女』という言葉に強さがあったので、いろいろな人が「それは何ですか?」と興味を持ってくれました。表現に一番大切なのは、耳に残るインパクトのある言葉だと自分は雑誌をつくっていて思います。<br /><br />4.<span style="text-decoration:underline;">エンターテインメント的 要素があるかどうか?<br /></span>娯楽的面白い要素がないとだめです。<br /><br />5.<span style="text-decoration:underline;">永続性があるかどうか?<br /></span>1回だけのイベントとして終わらせたら社会現象化しないと思います。何のためにこれをやったのかということを明確に社会に発信しないと、永続性を持たせることはできません。コンテストの最後で具体的に述べましたが、ファイナリストの21人は『チーム美魔女』として今後活躍し、『美魔女』の魔力で社会を変えていこうというのがこれからのテーマです。今年も <a href="http://be-story.jp/articles/-/1524" target="_blank">「第2回国民的“美魔女”コンテスト」</a> を新たな企画で開催する予定で、美魔女たちのギャランティの5%はユニセフに寄付する等社会貢献を今後も行っていきます。<br /><br /><span style="font-size:large;">▼知性はどうやって判断するの?</span><br />講演の質問コーナーでは、『魔女』という言葉にはネガティブな意味がないか、知性はどうやって判断するのか等参加者からさまざまな質問がありました。「魔法のように美しくというポジティブな意味で使っている」「知性はブログで発信している内容で判断する」等、山本編集長は真摯に回答していました。<br /><br /><img src="http://blog-imgs-37.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20110405095354fca.jpg" alt="20110316三水会プレゼンRIMG5066" border="0" width="400" height="300" /><br /><br /><span style="font-size:large;">▼感想</span><br /><br />「美魔女」の華やかな画像に圧倒されましたが、その背後にある山本編集長の考え抜かれた戦略、そして、さまざまな新しいメディアを駆使するマーケティング手法は今後の雑誌のあり方について、出版業界の方には、大変参考になる内容でした。<br /><br />「『美STORY』はできたばかりの雑誌で新しいソーシャルメディアを使うことに積極的なので、雑誌を買わない人に対しても働きかけることができます。『美魔女』という言葉を、他者が使うのは通常はNGですが、僕はどんどん使ってもらい、外に広がることにより、逆に戻ってくることを望みました。雑誌として、この枠組みが新しかったようです。」<br /><br />「自分は雑誌を造るのが本職です。」と語る山本編集長―これからの雑誌についてのお話を別の機会に聞いてみたいと思いました。<br /><br />(報告:山田洋子―1977年外・独 )<br /><table border="1" cellspacing="5" cellpadding="5" width="600"><tr><td>山本由樹(やまもとゆき)氏 プロフィール<br><br />上智大学新聞学科卒業後、1986年に光文社入社。『女性自身』編集部にて16年。2002年11月『STORY』創刊から編集を手がける。2005年6月に同誌編集長に就任。2009年8『美STORY』月刊化。両誌の編集長を兼任中。</td></tr></table>
  • Date : 2011-04-05 (Tue)
  • Category : 三水会
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【開催告知】延期していた4月特別講演会開催日程決まる

マスコミソフィア会特別講演会開催東日本大震災の影響で延期されていた、イーブック・システムズ株式会社代表取締役・岡崎眞氏(69理数)の講演会を開催が決定いたしました。みなさまお誘い合わせの上ご参加頂ますようよろしくおねがいします。※これに先立ってマスコミソフィア会定例会で、電子書籍の未来についてミニミニ講演会をしていただきました。こちらのほうは、こちらを御覧ください。マスコミソフィア会4月講演会講師:... <table border="1" cellspacing="5" cellpadding="5" width="450"><tr><td><font size="4"><strong>マスコミソフィア会特別講演会開催</strong></font></td></tr></table><br /><img src="http://blog-imgs-45.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20110307135057729.jpg" alt="岡崎さん" border="0" width="100" height="100" align="left" /><br />東日本大震災の影響で延期されていた、イーブック・システムズ株式会社代表取締役・岡崎眞氏(69理数)の講演会を開催が決定いたしました。<br />みなさまお誘い合わせの上ご参加頂ますようよろしくおねがいします。<br /><br />※これに先立ってマスコミソフィア会定例会で、電子書籍の未来についてミニミニ講演会をしていただきました。<br />こちらのほうは、<a href="http://cumsophia.blog106.fc2.com/blog-entry-74.html">こちら</a>を御覧ください。<br /><hr>マスコミソフィア会4月講演会<br />講師:岡崎眞氏<br />日時:2011年4月21日(木)18:30ー20:30(懇親会を含む)<br />場所:四ツ谷上智大学ソフィアンズ・クラブ<br />会費:会員1000円、 非会員2000円(学生500円)<br /><img src="http://blog-imgs-45.fc2.com/c/u/m/cumsophia/sophiansclub_map.gif" alt="sophiansclub_map.gif" border="0" width="400" height="341" /><br /><br /><hr>講演内容:ITの進化とメディアの将来<br /><br />概要:いつの時代にあっても、新しいメディアは、古いメディアの形式とコンテンツを転用することから始まり、一定の時間を経て、独自の形式とコンテンツが開発される。今脚光を浴びている電子ブックを中心に、メディアの本質に立ち返り、ブロードバンドコンテンツビジネスついて考察する。<br /><br />第一部:プロローグ デモ:電子ブックの最前線<br /><br />第二部:メディアが社会に与えるインパクト<br /><br />第三部:ITの進化とメディアの将来<br /><br />我々はどういう時代にいるのか?<br />1.紙の出版物は電子メディアに取って代わられるか?<br />2.ブロードバンドコンテンツビジネスについての考察<br />3.有料化と広告についての考察<br /> &#65533;有料コンテンツビジネスはなぜ成功しないか<br /> &#65533;バナー広告の限界<br />4.電子書籍の可能性<br /> &#65533;コンテンツの閲覧機能としてのページFlipping<br /> &#65533;企業の情報発信の形態<br />5.メディアと表現形式<br />6.文字メディアの重要性<br /><hr>尚参加者希望の方はマスコミソフィア会までメールにてお申し込み下さい。<br />info@cumsophia.jp <br /><hr>岡崎眞氏 略歴<br />1942年 上海生まれ、68歳<br />1967年上智大学理工学部電気電子工学科卒業、1969年数学科卒業<br />東洋エンジニアリング株式会社を経て、1989年ソフトバンク株式会社入社<br />常務取締役出版事業部長、ソフトバンクメディアマーケティングホールディングス&#65533;代表取締役など<br />現在イーブック・システムズ株式会社代表取締役<br />http://www.ebooksystems.co.jp/
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リビアとサウジアラビア ~私のなじみの国々

2011年4月4日 リビアとサウジアラビアはぼくの最もなじんだ国である。1971年3月、革命後間もないカダフィ(敬称略)と単独会見して以来、年に2回は訪ねていた。 リビアの行き帰りのどちらかで、サウジアラビアに回るのが中東訪問の習いとなった。サウジとの関係は68年にメッカ巡礼を果たし、多くの友人、とりわけ同じ職業のジャーナリストに知己を得たからだ。 カダフィは69年9月に無血クーデターで政権を掌握した。平均年齢24... 2011年4月4日<br /><br /> リビアとサウジアラビアはぼくの最もなじんだ国である。1971年3月、革命後間もないカダフィ(敬称略)と単独会見して以来、年に2回は訪ねていた。<br /> リビアの行き帰りのどちらかで、サウジアラビアに回るのが中東訪問の習いとなった。サウジとの関係は68年にメッカ巡礼を果たし、多くの友人、とりわけ同じ職業のジャーナリストに知己を得たからだ。<br /><br /> カダフィは69年9月に無血クーデターで政権を掌握した。平均年齢24歳の新政権がまず着手したのは米英両国の軍事基地の撤去で、次に石油会社からの利権料の引き上げ、そして国有化だった。これがイランやサウジを刺激し、産油国対メジャーの「第1次石油戦争」に発展する。ぼくがカダフィ政権に関心をもったのは、なぜ産油大国ができなかった大事業をこんな若い政権が成し遂げたのか、その謎を解きたかったからだ。会見した当時29歳のカダフィは颯爽としていた。「国の先頭に立つ者の報酬は最後でいい」という言葉にぼくは感動した。<br /><br /><img src="http://blog-imgs-37.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20110404103327e4e.jpg" alt="カダフィ大佐" border="0" width="400" height="258" /><br /><br /><br /> しかし、いま彼の軌跡をたどると、軍事基地撤去と石油国有化で世界最強の英米両国と最大の経済力を持つメジャーを敵に回した。そして、「ジャマヒリア」という彼の造語による直接民主制をとることで、部族の利権を奪い、官僚機構と民間企業を潰した。<br /><br /> アラブは部族主義という「タテ糸」と、イスラームの「ヨコ糸」で織られた布に喩えられる。このバランスがとれている間は平和であり、繁栄する。<br /><br /> サウジアラビアは1901年にリヤドを奪回したアブドルアジーズ初代国王は、以後、有力部族と婚姻関係を結ぶことでタテ糸を束ね、サウド家中心の一大部族国家を作り上げた。加えて、イスラームでも戒律の厳しいワッハーブ派イマーム(法学者)を重用、ヨコ糸をも強めた。<br /><br /> 2010年末、チュニジアに始まった「ジャスミン革命」はベン・アリ大統領を追いやり、エジプト・ムバラク大統領を蟄居させ、カダフィを追い詰めて内戦状態にした。40年前、カダフィに煮え湯を飲まされた欧米は、国連を使ってカタールというアラブ小国を巻き込み、イラク・フセイン政権を倒したときと同様なことを開始した。<br /> 一方、独立を要求して戦うパレスチナ人に容赦ない攻撃を加えるイスラエル軍には目を瞑る。アラブの大衆、とくに「ジャスミン革命」を支持する新世代はカダフィ政権を忌避しているが、英国のMI6や米のCIAなど諜報機関の介入は、反カダフィ世論を転換させる可能性もある。<br /><br /> サウジアラビアはアブダラー国王の信望が国内治安を維持している。その国王も86歳といわれ、スルタン皇太子も数歳若いだけだ。サウジ最大の危機は主要王族の高齢化にある。<br /> 15世紀のアラブ歴史家イブン・ハルドゥーンは「歴史序説」で「遊牧民の王朝は、概ね3世代、120年を越えることはない」といっているが、国王も皇太子も第2世代である。歴史家の予言にしたがえば、第3世代の王位継承者が王朝の命運を握ることになる。<br /><br />(報告:最首公司 '56文新)
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