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多チャンネルビジネス業界の現役が集う「MCソフィア会」が開催

<日時>9月22日(水)18:30~20:30<場所>ROTI ROPPONGI(ロティ六本木)(写真:松村と森泉社長)株式会社 ジュピターテレコム(以下J:COM)の森泉知行社長と日本ケーブルテレビジョンの河西明社長の掛け声で始まった「MCソフィア会」の会合が六本木で行われました。「MC」とはマルチチャンネルの略称。東映アニメーションの高橋浩社長が名付け親だそうです。ケーブルテレビや衛星放送など、多チャンネルビジネスに携わる... <blockquote><日時>9月22日(水)18:30~20:30<br /><場所>ROTI ROPPONGI(ロティ六本木)<br /></blockquote><br /><a href="http://comsophia.files.wordpress.com/2010/09/mcsophia100922_04.jpg"><img src="http://comsophia.files.wordpress.com/2010/09/mcsophia100922_04.jpg" alt="" title="mcsophia100922_04" width="400" height="300" class="alignnone size-full wp-image-180" /></a><br />(写真:松村と森泉社長)<br /><br />株式会社 ジュピターテレコム(以下J:COM)の森泉知行社長と日本ケーブルテレビジョンの河西明社長の掛け声で始まった「MCソフィア会」の会合が六本木で行われました。「MC」とはマルチチャンネルの略称。東映アニメーションの高橋浩社長が名付け親だそうです。ケーブルテレビや衛星放送など、多チャンネルビジネスに携わるソフィアンズが思いのほか多くいるということで、みんなで集まって、お互いの悩みや課題を共有しようという主旨で始まったそうです。また、会を世話する事務局長として、電通の杉本将(S62.文・新)衛星メディア室開発推進部長が大活躍!。今回の会合の司会を務められていました。マスコミソフィア会幹事として出席して来たのでご報告します。<br /><br /><a href="http://comsophia.files.wordpress.com/2010/09/mcsophia100922_05.jpg"><img src="http://comsophia.files.wordpress.com/2010/09/mcsophia100922_05.jpg" alt="" title="mcsophia100922_05" width="400" height="300" class="alignnone size-full wp-image-181" /></a><br />(写真:森泉社長の挨拶、司会は杉本事務局長)<br /><br />今回は正式な集まりとしては第4回目の親睦会(ゴルフ会も入れると通算5回目)ということで、36名の方々が集まりました。参加された主なマネージャー以上の方々は、<br /><blockquote>森泉知行さん(S45.外・西:ジュピターテレコム代表)<br />高橋浩さん(S42.文・英:東映アニメ―ション代表)<br />河西明さん(S45.文・新:日本ケーブルテレビジョン代表)<br />関根二三男さん(S46.文・新:テレビ東京メディアネット常務取締役)<br />大森壽郎さん(S47.文・教:博報堂DYメディアパートナーズ代表)<br />辻幹雄さん(S47.外・英:テレビ東京常務取締役)<br />黒水則顯 さん(S53.文・新:WOWOW取締役)<br />金井美恵さん(S62.外・独:イッツ・コミュニケーションズ執行役員)<br />杉尾壮弘さん(S62.文・社:IMAGICA TV取締役)<br><br />※卒業年順、あいうえお順<br />※スペースの都合で株式会社を省略<br>※代表取締役社長は代表と表記させていただきました</blockquote><br />また、MTV Networks Japan、J SPORTS、東北新社からは現役の若者ソフィアンズも集いました。<br /><br /><a href="http://comsophia.files.wordpress.com/2010/09/mcsophia100922_02.jpg"><img src="http://comsophia.files.wordpress.com/2010/09/mcsophia100922_02.jpg" alt="" title="mcsophia100922_02" width="400" height="300" class="alignnone size-full wp-image-182" /></a><br />(写真:MTV Networksほかの若者たち)<br /><br />会合は、J:COMの森泉社長の乾杯の音頭で始まり、途中、マスコミソフィア会からは松村裕幸幹事よりマスコミソフィア会の活動をアピール。テレビ東京の辻常務取締役のご挨拶では、テレビ東京には20名近いソフィアンが勤務しているとのことで、今後の参加が期待できそうです。会の中盤では、フジテレビで人気の「クイズヘキサゴン」を模したクイズ大会が催され、36名が4グループに分かれて、7つのクイズに答えました。クイズの中には、ソフィア会の100周年記念の募金額とか、ソフィアの意味などの大学問題から、カシミアは何の動物かなどの一般知識問題にまで発展し、マルチチャンネラーズたちの頭脳は爆発していました。最後は、J:COM・森泉さんチームVS日本ケーブルテレビジョン・河西さんチームの一騎打ちとなり、じゃんけんで決着、見事「森泉さんチーム」が栄冠を射止め「ソフィアマーク入りタンブラー」を獲得しました。2位の「河西さんチーム」にはソフィアマーク入り携帯ストラップ、また、参加した全員にもソフィアマーク入りボールペンが贈られました。<br /><br /><a href="http://comsophia.files.wordpress.com/2010/09/mcsophia100922_06.jpg"><img src="http://comsophia.files.wordpress.com/2010/09/mcsophia100922_06.jpg" alt="" title="mcsophia100922_06" width="400" height="300" class="alignnone size-full wp-image-183" /></a><br />(写真:歓談の席)<br /><br />そんななごやかな雰囲気の中、東映アニメーションの高橋浩社長が、中締めの挨拶をされました。高橋さんは「四谷の土手を時々歩くと、青春に戻った感じがする。最近は、新内閣の名簿を見るのが楽しみで、菅直人新内閣の閣僚に、玄葉光一郎さんや、近藤昭一さん、加藤公一さんらが入ってうれしい。早稲田・慶応は、名簿に卒業生が出て当たり前だが、ソフィアンは逆に、少数でも、活躍をうれしく思い、それだけ、同窓の輪が濃いと思う。だから、MCソフィア会もそんな位置付けでやってゆきたい。」というお話をされました。今後の「MCソフィア会」の活動が期待されます。<br /><br /><a href="http://comsophia.files.wordpress.com/2010/09/mcsophia100922_07.jpg"><img src="http://comsophia.files.wordpress.com/2010/09/mcsophia100922_07.jpg" alt="" title="mcsophia100922_07" width="400" height="300" class="alignnone size-full wp-image-184" /></a><br />(写真:集合写真:クリックで拡大)<br /><br /><取材>松村裕幸(S45.外・ポ)、山田洋子(S62.外・独)
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【特別講演会】元WFP職員・松村裕幸氏のアフリカ体験26年 2010/9/03

アフリカ26年の体験―最後の任地ギニア・ビサウ(アフリカ問題の縮図)」 ~中国はアフリカで何をしているか?~講師:元WFP(国連世界食糧経計画)職員(第12回(2002年)コムソフィア賞受賞)松村裕幸氏場所:2010年9月3日(金)18時30分~ソフィアンズクラブにて元WFP(国連世界食糧計画)職員の松村裕幸氏の講演が9月3日(金)ソフィアンズクラブにて開催されました。今回は、最近の中国とアフリカの関係についての内容でし... <span style="font-size:large;">アフリカ26年の体験―最後の任地ギニア・ビサウ(アフリカ問題の縮図)」 ~中国はアフリカで何をしているか?~</span><br /><br />講師:元WFP(国連世界食糧経計画)職員(第12回(2002年)コムソフィア賞受賞)松村裕幸氏<br />場所:2010年9月3日(金)18時30分~ソフィアンズクラブにて<br /><br /><a href="http://comsophia.files.wordpress.com/2010/10/e69dbee69d91e38195e38293e4b896e7958ce59cb0e59bb3s100903.jpg"><img class="alignnone size-full wp-image-198" title="松村さん世界地図s100903" src="http://comsophia.files.wordpress.com/2010/10/e69dbee69d91e38195e38293e4b896e7958ce59cb0e59bb3s100903.jpg" alt="" width="400" height="300" /></a><br /><br />元WFP(国連世界食糧計画)職員の松村裕幸氏の講演が9月3日(金)ソフィアンズクラブにて開催されました。今回は、最近の中国とアフリカの関係についての内容でした。前半は、アフリカの地理、歴史、日本との関係、鉱物資源国としての重要性、諸問題について、後半は、中国のアフリカ進出の現状について、日本の外交関係との比較を、具体的に数字等を交えてわかりやすく説明されました。「援助」という名目でお役所仕事をしている国連や日本の政府関係に対して、中国は、人と金を投資して、アフリカと良い関係を築き、自分逹に必要なエネルギー資源を積極的に手に入れています。中国は元首クラスの人が頻繁にアフリカに行っているのに、日本政府には戦略が全くなく、過去10年間で森元首相が行かれたくらいだということで、日本の今後の積極的な動きが急務だと感じました。質疑応答も活発に行われ、有意義な2時間半で、もっと多くの方に伝えたい内容でした。コムソフィアオンラインでは、引き続き連載を発表してゆくそうなので、より多くの方々に読んでいただければ幸いです。<br />------------------------------<br />(取材)山田洋子(1977年(昭和52年)外国語学部ドイツ語学科卒)<br />------------------------------
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【短期連載:最終話】「報告 アフリカ現場体験26年~中国・アフリカ・国連」

松村裕幸前WFP(国連世界食糧計画)ギニア・ビサウ代表上智大学外国語学部ポルトガル語科1970年卒------------------------------------------------------------------第六話世界で初めての国連合同事務所の設立準備体験と中国のアフリカ進出から反面教師として学ぶ日本外交の在り方------------------------------------------------------------------(写真:カーボ・ベルデの地図の切手)▲カーボ・ベルデでの始めての国連... 松村裕幸<br />前WFP(国連世界食糧計画)ギニア・ビサウ代表<br />上智大学外国語学部ポルトガル語科1970年卒<br /><br />------------------------------------------------------------------<br /><span style="font-size:large;">第六話<br />世界で初めての国連合同事務所の設立準備体験と<br />中国のアフリカ進出から反面教師として学ぶ日本外交の在り方</span><br />------------------------------------------------------------------<br /><a href="http://comsophia.files.wordpress.com/2010/09/e7acace585ade8a9b1e38080efbc91e382abe383bce3839ce38399e383abe38387e381aee59cb0e59bb3efbc88e58887e6898befbc89s.jpg"><img src="http://comsophia.files.wordpress.com/2010/09/e7acace585ade8a9b1e38080efbc91e382abe383bce3839ce38399e383abe38387e381aee59cb0e59bb3efbc88e58887e6898befbc89s.jpg" alt="" title="第六話 1カーボベルデの地図(切手)s" width="400" height="298" class="alignnone size-full wp-image-150" /></a><br />(写真:カーボ・ベルデの地図の切手)<br /><br /><span style="font-size:large;">▲カーボ・ベルデでの始めての国連合同事務所</span><br /><br />「保健衛生でWHOとUNICEF, UNAIDSとUNFPAというように同じような組織が、国連間にあり援助活動が、効率的でない。国連の職員の活動費が高い。」という批判が国連加盟国(特にドーナー国)より強くありました。<br /><br />そんなわけで、国連の始めてのケースとして、国連改革の一環として国連合同事務所の創設に2005年より2006年まで、カーボ・ベルデで関与しました。WFP/UNICEF/UNDP/UNFPAの4つの国連機関が事務所を一緒にするという画期的なものでした。特に、国連のドーナー国からは同じ国連の組織なのに、事務所が別々で、各機関の代表が居て、開発計画予算も別々でおかしい。1つの同じビルにして、開発計画も、代表も、予算も1つにするという目的でした。<br /><br />カーボ・ベルデは国連人間開発指数も高く(2005年においては、177カ国中、105位でアフリカのなかではセイシェル、モーリシャスに次いで、3位)、世銀からも優等生と評価されて、初めての実験を最初から、担当しました。組織図の作成から、誰が何を具体的にするのかというジョッブ・デスクリプシォン(職務内容記述)を作成し、朝6時から夜11時まで働く日が続きました。何故、6時から23時まででしょうか?これは、本部がニュウ・ヨーク(NY)とローマと分かれており、時間の調整が大きな理由です。もう1つの大きな理由は、WFP・UNICEF・UNDPの前任者は、準備する前に皆、代表としてのポストがひとつになり、自分の行き場が無くなると言う理由で、事前逃亡、つまり、各機関で、他の国へ転勤してしまったことでした。<br /><br /><a href="http://comsophia.files.wordpress.com/2010/09/e7acace585ade8a9b1e38080efbc92e38388e383abe38387e382b7e383aae383a3e382b9e69da1e7b484e381aee58887e6898bs.jpg"><img src="http://comsophia.files.wordpress.com/2010/09/e7acace585ade8a9b1e38080efbc92e38388e383abe38387e382b7e383aae383a3e382b9e69da1e7b484e381aee58887e6898bs.jpg" alt="" title="第六話 2トルデシリャス条約の切手s" width="300" height="98" class="alignnone size-full wp-image-151" /></a><br />(写真:トルデシィリャス条約の切手)<br /><br /><a href="http://comsophia.files.wordpress.com/2010/09/e7acace585ade8a9b1e38080efbc93e382abe383bce3839ce38399e383abe38387e381aee59bbde980a3e38393e383abs.jpg"><img src="http://comsophia.files.wordpress.com/2010/09/e7acace585ade8a9b1e38080efbc93e382abe383bce3839ce38399e383abe38387e381aee59bbde980a3e38393e383abs.jpg" alt="" title="第六話 3カーボベルデの国連ビルs" width="300" height="201" class="alignnone size-full wp-image-152" /></a><br />(写真:カーボ・ベルデの国連ビル)<br /><br /><a href="http://comsophia.files.wordpress.com/2010/09/e7acace585ade8a9b1e38080efbc94e382bbe382b6e383aae382a2e383bbe382a8e383b4e382a9e383a9s.jpg"><img src="http://comsophia.files.wordpress.com/2010/09/e7acace585ade8a9b1e38080efbc94e382bbe382b6e383aae382a2e383bbe382a8e383b4e382a9e383a9s.jpg" alt="" title="第六話 4セザリア・エヴォラs" width="300" height="409" class="alignnone size-full wp-image-153" /></a><br />(写真:Cesaria Evoraの切手)<br />※<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%82%B6%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%BB%E3%82%A8%E3%83%B4%E3%82%A9%E3%83%A9" target="_blank">Cesaria Evora(セザリア・エヴォラ)さん</a>は、カーボ・ベルデ出身の女性歌手。<br />※2003年のアルバム『Voz D'Amor』が米グラミー賞を獲得<br /><br /><a href="http://comsophia.files.wordpress.com/2010/09/e7acace585ade8a9b1e38080efbc95e382bbe382b6e383aae382a2e381a8e7a781s.jpg"><img src="http://comsophia.files.wordpress.com/2010/09/e7acace585ade8a9b1e38080efbc95e382bbe382b6e383aae382a2e381a8e7a781s.jpg" alt="" title="第六話 5セザリアと私s" width="300" height="201" class="alignnone size-full wp-image-154" /></a><br />(写真:私とCesaria)<br /><br />長くなりますので、結果を話しますと、<br /><br />まず、NYとローマから採用ミッシォンとして、全部で8名(各機関2名)それに、ローマから、ポルトガル語が出来るブラジル人が1名の9名がカーボ・ベルデに来ました。1週間で38名の現地職員の試験と面接です。<br /><br />問題は言葉(カーボ・ベルデの公用語はポルトガル語です)の壁です。今でも覚えているのは、ミッシォンに次のように、話したことです。<br /><br />「1週間で、どうやって採用出来るんですか?書類選考に2日、筆記試験に1日、面接に3日、それに、最後の1日間の最終決定では、時間が短すぎます。皆さんの内、ポルトガルが理解できるのは1人だけじゃないですか?それに、問題は4星のホテルと国連の事務所だけ往復して、カーボ・ベルデの問題がわかりますか?職員の能力を適切に判断出来ますか?貧困対策が合同事務所の大きな目的ではなかったですか?」<br /><br />わたしの提言は残念ながら、通りませんでした。逆に、わたしの態度が問題だとNYの本部とローマにクレームが行ったそうです。それに、現地職員の意向が採用されず、NYとローマから来た国際スタッフのみで結論を出しました。そのため、大きな混乱と矛盾を生みました。4つの機関が何をして、何の能力が要求されるのかが各機関の採用代表ミッシォンが分からず、何の基準で採用されたのかが、不透明でした。例えば、運転手でも、問題のある運転手が面接での受けが良く、その能力は中立に判断されずに、運転手として一番高いポストに決められたりと。。。。<br /><br /><span style="font-size:large;">▲その失敗</span><br /><br />とにかく、合同事務所は発車しました。ところが、ここに、更に大きな根本的な落とし穴が待っておりました。それは、4機関の通信・ソフトウエアが全く違うことでした。結局、UNDPのシステムに従うことにしました。しかしながら、WFPのシステムはUNDPとは、水と油で、まったくかみあわず、結局、WFPは以前のファクスのシステムに変えるしか方法がなく、Accounting(アカウンティング)がスムースに出来なくなってしまいました。<br /><br />それに、勤務方法の違いです。WFPは現場主義、他の機関は首都圏の大蔵省・外務省との仕事が、大部分で、貧困対策を担当にした部門のスタッフは、国内の出張がまったくなく、他のアフリカ諸国への貧困対策の海外出張ばかりで、その予算の出費が重なったことでした。貧困対策には現場に行き、何が問題で、何をしなければならないかという現場に行く発想も実行もありませんでした。<br /><br />結局、このような形の合同事務所は結果が出ずに、失敗となり、二度と同じ形の国連改革は行われていないと聞いております。失敗の理由にはTopDownでBottomUpのシステムが無いことです。コンピューターのソフトが違うことは本部で始める前から分かっていなければならないABCではないですか?<br /><br /><span style="font-size:large;">▲国連の日当問題</span><br /><br />国連は出張で受け取る日当が高く、例えば、アンゴラのルアンダでは401ドルから530ドルで、東京の340ドルに比べて、はるかに、高く、矛盾を感じます。さらに国連の上層部は海外出張が多く、主張日数が勤務の半分近くに昇る人たちがおります。つまり、毎月の給料のほかに、日当が入るわけです。どこへいっても、食べることはするので、ホテル代のみ支払いするようにすれば、経費も削減すると思うのですが。。。この経費節減が国連改革の最初のステップになる筈です。<br /><br /><span style="font-size:large;">▲中国の戦略に学ぶ</span><br /><br />最後に、第三話から第五話まで、中国のアフリカへの津波のような進出を述べましたが、中国の人海戦術のやりかたは、日本も大いに、学んで行くべきかもしれません。中国のアフリカ支援で、いつも語られるのは、1970年から1975年までかけた2000キロにわたるアフリカ最長のタンザン鉄道の成功です。ザンビアとタンザニアが世銀及び欧米の銀行に資金援助を要請し、断られた結果にも拘わらず、結局、中国が、資金援助と建設を人海戦術で、行いました。工期も予定より2年も早く完成し、中国援助の代名詞です。その苛酷な労働条件のなかで、中国はマラリアの薬、アルテミシニンを開発するという画期的な偉業も成しえました。それに、中国の外交は対台湾外交との切磋琢磨のなかで磨かれたことも、重要な要因です。その他に、中国外交の真髄は、国家首脳のアフリカ歴訪が1995年より2009年まで、13回に亘って、李鵬首相、江沢民国家主席、朱溶基首相、温家宝首相、胡錦濤国家主席によって、ほぼ毎年行われ、江沢民国家主席と胡錦濤国家主席は其々、4度、アフリカを訪問しております。訪問国は28カ国に及び、南ア、エジプト、モロッコには、その間、各4度、訪れております。日本は元森首相と元小泉首相との2度のみです。日本のアフリカ外交も、中国のように、政府要人が度々、訪れ、アフリカの重要性を知っていただきたいものです。<br /><br /><a href="http://comsophia.files.wordpress.com/2010/09/e7acace585ade8a9b1e38080efbc96e4b8ade59bbde9a696e884b3e381aee382a2e38395e383aae382abe6adb4e8a8aae381aee59cb0e59bb3.jpg"><img src="http://comsophia.files.wordpress.com/2010/09/e7acace585ade8a9b1e38080efbc96e4b8ade59bbde9a696e884b3e381aee382a2e38395e383aae382abe6adb4e8a8aae381aee59cb0e59bb3.jpg?w=300" alt="" title="第六話 6中国首脳のアフリカ歴訪の地図" width="300" height="267" class="alignnone size-medium wp-image-155" /></a><br />(挿入:中国首脳のアフリカ歴訪地図)<br /><br /><span style="font-size:large;">▲援助ではなく、投資と貿易の推進を</span><br /><br />アフリカ援助でいままで費やした額は1兆ドルと言われています。それで、援助から独立し自立した国はほとんど皆無です。中国のやり方は国連安保の常任理事国ながら、国連に対しては、その分担金は、アメリカ、日本、ヨーロッパに比べれば、はるかに低く、また国連機関をつうじての援助も殆ど無く、その方法論は投資と貿易です。日本は、このようなやり方を少し、見習うべきものと考えます。具体的には、TICADと中国アフリカ会議を合同で行うとか、実現できるのではないでしょうか?<br /><br /><span style="font-size:large;">▲国連:NATO(No Action, Talk Only)</span><br /><br />日本の国連外交の問題に関しては、コムソフィアの機関紙の9月号を参照して頂きたいのですが、結論を述べますと、日本の国連外交、特に、安保理の常任理事国入りに関しては、なぜ、国連外交なのか、何故、常任理事国になる必要性があるのかの議論が不足していると感じます。国連はNATO(No Action, Talk Only)と言われます。十分に今までのパーフォーマンスを調査、検証をする必要があると思います。民主党の小沢一郎さんが国連外交を強調しておりますが、国連の無能さを理解していないと思います。援助ではアフリカの問題は解決しません。中国のように、投資、貿易を促進する方法に転換する必要を痛感します。<br /><br /><span style="font-size:large;">▲日本外交</span><br /><br />日本外交は、現場、特に、大使館を、わたしなりに、判断しますと、まず、アフリカにおいては、アメリカ大使館が情報源で、アメリカよりの情報一辺倒で、独自性が無く、かなり弱く感じます。アンゴラではそのことを痛感しました。国連中心でない中国外交をもう少し研究する必要性があると感じます。<br /><br />先日8月26日付新聞に依りますと、国会議員の外遊の総額が6億2千万円で、一人当たり225万円と報告されておりましたが、問題はその額だけではなく、大使館のアテンド費用と費やされる時間も、さらにかかり、或るパリ勤務の大使館員の話ですと、議員のための、観光業務が、ばかにならないとこぼしておりました。それに、外遊の報告が一般に公開されていないことです。先ず、何のための外遊なのか、その目的が達成されたのかといった基本が出来ていないことが問題と思います。TaxPayerに対してもう少し義務感を感じてもらいたいものです。<br /><br /><span style="font-size:large;">▲SMARTの考え方を</span><br /><br />30年国連に勤務し、外から、日本を見ると、マスコミの弱さを感じます。<br /><br />日本社会の白と黒をハッキリさせず、灰色の論調さです。<strong>SMART(Specific、Measurable、 Achievable、Realistic、Transparent)</strong>をいつも、私自身を含めて、論評及び計画と結果を追求していければ、世の中は変わっていくのではと思っています。<br /><br />末尾になりましたが、今回の報告では、マスコミ・ソフィア会の磯浦康二さん、横川和夫さん、土屋夏彦さんのお世話になりました。アフリカの石器時代のような生活から、コンピューターでの活字での文章作りと、わたしの慣れない仕事を、皆さんが支えてくれました。改めて感謝致します。今回は中国に焦、点を置きましたが次に報告する際はもう少し、現場体験に絞って、援助の功罪、アフリカでの生活環境を述べて見たいと思っています。<a href="http://cumsophia.blog106.fc2.com/blog-entry-49.html" title="<第五話へ>"><第五話へ></a> <a href="http://cumsophia.blog106.fc2.com/blog-entry-45.html" title="<第一話へ>"><第一話へ></a><br /><br /><a href="http://comsophia.files.wordpress.com/2010/08/e69dbee69d91e8a395e5b9b8e38195e38293s.jpg"><img src="http://comsophia.files.wordpress.com/2010/08/e69dbee69d91e8a395e5b9b8e38195e38293s.jpg" alt="" title="松村裕幸さんs" width="100" height="150" class="alignnone size-full wp-image-241" align="left" /></a><br />------------------------------------------------------------------<br /> <筆者近影><br /> 松村裕幸(上智大学外国語学部ポルトガル語学科1970年卒)<br /> 前WFP(国連世界食糧計画)ギニア・ビサウ代表<br /> 第12回(2002年)コムソフィア賞受賞<br />------------------------------------------------------------------
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【短期連載:第5話】「報告 アフリカ現場体験26年~中国・アフリカ・国連」

松村裕幸前WFP(国連世界食糧計画)ギニア・ビサウ代表上智大学外国語学部ポルトガル語科1970年卒------------------------------------------------------------------第五話 資源を持ち去る中国~ 中国の石油と鉱物資源の世界戦略~中国アフリカへ戻る ~------------------------------------------------------------------(鄭和航海600年記念切手)2005年に中国から鄭和航海600年を記念して発行された記念切手。鄭和(... 松村裕幸<br />前WFP(国連世界食糧計画)ギニア・ビサウ代表<br />上智大学外国語学部ポルトガル語科1970年卒<br /><br />------------------------------------------------------------------<br /><span style="font-size:large;">第五話 資源を持ち去る中国</span><br />~ 中国の石油と鉱物資源の世界戦略~中国アフリカへ戻る ~<br />------------------------------------------------------------------<br /><br /><a href="http://comsophia.files.wordpress.com/2010/09/e984ade5928c600e5b9b4e58887e6898befbc91.jpg"><img class="alignnone size-full wp-image-123" title="鄭和600年切手1" src="http://comsophia.files.wordpress.com/2010/09/e984ade5928c600e5b9b4e58887e6898befbc91.jpg" alt="" width="400" height="221" /></a><br /><a href="http://comsophia.files.wordpress.com/2010/09/e984ade5928c600e5b9b4e58887e6898befbc92.jpg"><img class="alignnone size-full wp-image-124" title="鄭和600年切手2" src="http://comsophia.files.wordpress.com/2010/09/e984ade5928c600e5b9b4e58887e6898befbc92.jpg" alt="" width="400" height="233" /></a><br />(鄭和航海600年記念切手)<br /><blockquote>2005年に中国から鄭和航海600年を記念して発行された記念切手。<br />鄭和(ていわ)とは明の時代の最も有能な宦官の一人で、身長2メートルの巨漢だったと言われている。中国は、200隻近くの大船団を組織して600年も前からアフリカまで航海していた。<br />(※引用:http://mochamocha090106.blog65.fc2.com/blog-entry-201.html)</blockquote><br /><span style="font-size:large;">▼資源を持ち去る中国~新植民地主義</span><br /><br />つまり単刀直入に言えば、問題を抱えたアフリカの国に入り込んで、資源を持ち去るやり方が、中国の戦略です。現在、中国はアンゴラの石油輸出ではアメリカに次ぐ2番目に多い国です。ストックホルム国際平和研究所の2008年度の資料によれば,中国のアフリカへの武器輸出は、アンゴラ以外にも、スーダン、ジンバブエなど、17カ国に上ります。2005年2月には、中国が船を一隻チャーターして、軍事品をジンバブエの独裁者のムガベ政権に援助していることが、マスコミに暴露されました。或る人はそれを新植民地主義と呼びます。<br /><br /><span style="font-size:large;">▼援助と抱き合せの人海戦術</span><br /><br />中国の“援助”と称するやり方の特徴は、援助と抱き合わせで、大量の中国人をアフリカ諸国に低賃金で送り込む人海戦術です。前回少し述べましたスーダンでは中国人が自らの手で石油を掘り、その石油を自分たちで作ったパイプラインで約60%の石油を中国に運びだしているわけです。250万に上る国内外避難民を生みだし、人権問題で追及されるスーダンのダルフール紛争とそのバシル大統領を支える中国の関係のため、2008年の北京オリンピックで、直前まで、欧米が参加をボイコットしたことをご記憶のことと思います。<br /><br />アンゴラでは、道路建設・復旧工事、1000キロにわたるベンゲラ鉄道の復旧工事(ロビト港よりザンビア・コンゴ民主共和国までの鉄道)、軍人用の住宅建設現場に、中国人自身が、労働者となり、直接たずさわっています。首都ルアンダの飛行場の建設も請け負っております。日本や欧米が人海戦術はとらず、現地下請が普通なのとは正反対です。例えば、一日当たり食事・住居つきで1ドルが支払いに対して、外国企業は現地のアンゴラの労働者に3ドルから4ドルの支払い。中国の技術者は欧米の給料の6分の1の値段とのことでした。<br /><br />それに、安い製品を売るチャイニーズ・ショップを通じて、中国人が無数に増加しております。アンゴラのウアンボ市では2002年から2006年までの間に、20店以上に増え、隣国のナミビアのアンゴラ国境の町、オシャカテ市では1999年より2006年までの間に75店に上り、現在進行中です。カーボ・ベルデでは、チャイナタウンが出現して、以前からあった店は閉店休業に追い込まれています。南ア、レソト、ケニア、モーリシャス、ナイジェリアでは繊維産業が打撃をうけました。<br /><br /><span style="font-size:large;">▼中国人に乱獲されたアワビ</span><br /><br />資源の略奪は石油、鉱物資源のみならず、木材の伐採、漁獲資源、動物資源にも及びます。南アフリカのケープ・タウンを中心としたアワビの90%は中国人によって乱獲され、ギニア・ビサウでは、フカヒレを取った後の魚を燻製をつくるため、マングローブを伐採した結果、一つの島の3分の1が失われました。ジンバブエではサイは乱獲されて、角は中国へと輸出されています。木材の伐採はガボン、カメルーン、コンゴ民主共和国、中央アフリカで行われております。ザンビアでは銅鉱山に投資をしました。<br /><br /><a href="http://comsophia.files.wordpress.com/2010/09/e7acace4ba94e8a9b1e38080e3839ee383b3e382b0e383ade383bce38396e381aee896aas.jpg"><img class="alignnone size-full wp-image-126" title="第五話 マングローブの薪s" src="http://comsophia.files.wordpress.com/2010/09/e7acace4ba94e8a9b1e38080e3839ee383b3e382b0e383ade383bce38396e381aee896aas.jpg" alt="" width="300" height="200" /></a><br />(写真:マングローブ伐採)<br /><br /><a href="http://comsophia.files.wordpress.com/2010/09/e7acace4ba94e8a9b1e38080e3839ee383b3e382b0e383ade383bce38396e4bc90e68ea1s.jpg"><img class="alignnone size-full wp-image-125" title="第五話 マングローブ伐採s" src="http://comsophia.files.wordpress.com/2010/09/e7acace4ba94e8a9b1e38080e3839ee383b3e382b0e383ade383bce38396e4bc90e68ea1s.jpg" alt="" width="300" height="200" /></a><br />(写真:伐採後ふかひれを燻製にするための薪)<br /><br /><a href="http://comsophia.files.wordpress.com/2010/09/e7acace4ba94e8a9b1e38080e381b5e3818be381aee381b2e3828ce38292e58f96e381a3e3819fe5be8ce381aee381b5e3818bs.jpg"><img class="alignnone size-full wp-image-127" title="第五話 ふかのひれを取った後のふかs" src="http://comsophia.files.wordpress.com/2010/09/e7acace4ba94e8a9b1e38080e381b5e3818be381aee381b2e3828ce38292e58f96e381a3e3819fe5be8ce381aee381b5e3818bs.jpg" alt="" width="300" height="200" /></a><br />(写真:ふかひれを取った後のふか)<br /><br /><span style="font-size:large;">▲中国の21世紀の大きな動きと外交力~中国の石油と鉱物資源の世界戦略</span><br /><br />中国は2006年11月に北京で中国・アフリカ会議を開催し、48カ国のアフリカの首脳が集まり、国連のニュウ・ヨークの会議以上のダイナミックな会議だったそうです。その折、札束のばらまきの援助をおこない、例えばナイジェリアのラゴス・カノ間の鉄道建設費用に83億ドルの融資を決め、3000人の中国人鉄道労働者、ダム建設に8000人を送り込みとその影響力を強めています。<br />わたしは、当時、ガーナに出張中で、ガーナでも、ブイ水力発電ダム建設に中国の資金が6億ドル約束されたと現地のマスコミの大きなニュースでした。(注:日本の2008年5月TICAD(アフリカ開発会議)では41カ国の首脳レベルの参加がありましたが、インパクトから見ると、中国の2006年の会議に比べれば、それほどではありません。)その後2006年12月には、China Southern Airlines(中国南方航空)で、ドバイ経由で、北京・ラゴス間の週3便の飛行機の運航、北京・ルアンダ(アンゴラ)の運航とその影響力の足を確保させております。それに、最近はギニアへの進出が目立ちます。<br /><br />ギニアは、鉱物資源が豊富で、特に、ボーキサイト(世界で品質が最高と言われます)がオーストラリアに次いで、世界2番目の輸出国。その他、鉄鉱石、ダイアモンド、金、石油、ウラン、コバルト、ニッケル、プラチナなどの資源に恵まれています。ボーキサイトは年間2千万トンの生産があり、3000億のビール缶、3500万台の車のシャーシーを生産出来ます。中国の狙いは、ボーキサイトです。ギニア・ビサウでも、ボーキサイトをアンゴラ政府と共同で、開発を進め、新たな港・鉄道、建設に着工始めております。<br /><br />2009年6月中国の石油会社シノペックはスイスのアダックス石油を買収し、アフリカへの更なる石油戦略へと進んでいます。中国のアルミニウム会社「チャイナアルコ」は410億ドルを投資し、南アのアングロ・アメリカンそして世界的に有名なダイアモンド会社の「デ・ベアス」をコントロールしようとしています。2007年以降は銀行への進出も目立ちます。中国工商銀行が55億ドルを投じて、南アフリカのスタンダード銀行の株式の20%を買い取りました。2009年7月中国銀行はブラジルのサン・パウロに最初の支店を開設、2010年中にはカーボ・ベルデとビサウにも支店を開設の予定。<br /><br /><span style="font-size:large;">▲中国アフリカへ戻る</span><br /><br />世界史で勉強したと思いますが、中国は、明の永楽帝の時代に鄭和(ていわ:1371-1434)の船団が、1405年より1433年までの間に7回に亘り、大艦隊を率いてアフリカ東岸に及びました。これが、南洋華僑の発展の契機になります。その船の規模は、長さ150m、幅62mで500トン級で、バスコ・ダ・ガマのポルトガル艦隊の4倍強で、コロンブスが新大陸の発見の際の船の2倍の大きさ、ポルトガルの大航海時代よりも90年以上早く(バスコ・ダ・ガマのインド到着は、1498年)、従って、21世紀に“アフリカに戻って来た”と主張しております。また、中国は西欧よりも早くアフリカに到着したが、その当時は一度もアフリカを西欧のように、植民地化したことがなく、ただ、明の皇帝に「キリン」を贈呈しただけだとも言っておりますが、21世紀の中国のアフリカ進出は、さらに、津波のように進化していくものと考えられます。<br /><br /><a href="http://comsophia.files.wordpress.com/2010/09/e7acace4ba94e8a9b1e38080e984ade5928ce381aee382a2e38395e383aae382abe888aae8b7afe381aee59cb0e59bb3s.jpg"><img class="alignnone size-full wp-image-128" title="第五話 鄭和のアフリカ航路の地図s" src="http://comsophia.files.wordpress.com/2010/09/e7acace4ba94e8a9b1e38080e984ade5928ce381aee382a2e38395e383aae382abe888aae8b7afe381aee59cb0e59bb3s.jpg" alt="" width="400" height="287" /></a><br />(写真:鄭和のアフリカへの航路地図)<br /><br />日本の対中国のODAは1980年以来、24年間で、3兆3000億円といわれています。それを、中南米・アフリカに武器援助を含めて、相当額をまた貸ししていたと言われています。1980年代のイラン・イラク戦争期間中での最大の武器供給国は中国だそうです。中国の大使館はアフリカに46カ国に在り、日本は今年1月に新設したベナンを含めて31カ国です。<br /><br /><a href="http://comsophia.files.wordpress.com/2010/09/e7acace4ba94e8a9b1e38080e59cb0e99bb7e381aee8a2abe5aeb3e88085s.jpg"><img class="alignnone size-full wp-image-129" title="第五話 地雷の被害者s" src="http://comsophia.files.wordpress.com/2010/09/e7acace4ba94e8a9b1e38080e59cb0e99bb7e381aee8a2abe5aeb3e88085s.jpg" alt="" width="300" height="199" /></a><br />(写真:地雷で足を失った女性)<br /><br /><a href="http://comsophia.files.wordpress.com/2010/09/e7acace4ba94e8a9b1e38080e59cb0e99bb7e692a4e58ebbe381aee58699e79c9fs.jpg"><img class="alignnone size-full wp-image-137" title="第五話 地雷撤去の写真s" src="http://comsophia.files.wordpress.com/2010/09/e7acace4ba94e8a9b1e38080e59cb0e99bb7e692a4e58ebbe381aee58699e79c9fs.jpg" alt="" width="300" height="200" /></a><br />(写真:地雷除去の写真)<br /><br /><span style="font-size:large;">▲中国は国連よりの食糧受益国</span><br /><br />中国は2005年12月まで、WFP(国連世界食糧計画)からの食糧の援助受益国でした。食糧援助を受けながら、アフリカへ投資と援助をしていたのですから、その政策は、一方は驚きであり、もう一方では日本も何か見習うべきかもしれません。<br />1998年ノーベル経済学賞の受賞者のアマテヤ・セン氏に依れば、食糧危機の在るところには、民主主義は無いと語っております。<br /><br /><span style="font-size:large;">▼アンゴラに中国人の移民計画も</span><br /><br />元来、東・南部アフリカはインド人(ガンジーも南アで弁護士をしていた)、西アフリカはレバノン人が商売を独占しておりましたが、現在は中国人の数が、それらを凌駕しています。アンゴラでは現在約20万人の中国人がおりますが、中国政府とアンゴラ政府の間で、300万人の中国人の移民計画が進められています。<br /><br />アフリカ全体では現在、100万人強の中国人が居留していると言われます。南アでは、1946年に4千人だった中国人が、1980年に1万人、1998年に、12万人で、現在は40万人と推定されます。日本の外務省のホームページに依ると、在留邦人の数は4500人(うち南アフリカに1500人、残りの3000人の3分の1が海外青年協力隊員)とのこと。アフリカの総面積は3030万平方キロメートルで、総人口は10億人、一方、中国の総面積は960万平方キロメートルで人口13億人。アフリカが面積で中国の3倍にもかかわらず、人口は中国の7割という状況では、ますます中国人のアフリカ進出は加速されていくだろうと思われます。アフリカ進出によって、ますます、中国の世界戦略が加速されていくわけです。<br /><br />今回の締めとして、石油景気に沸くアンゴラ(年率20%近い経済成長)の素晴らしい景観のルアンダ港の写真と、社会開発の遅れが依然として続き、ごみの山で生活するルアンダの町の写真を通じて、そのコントラストにアフリカの矛盾を見出していただければと思います。次回第六回は、最終回として「国連改革の経験と反面教師としての中国外交から学ぶ」と称し、日本への進言をしたいと思います。<a href="http://cumsophia.blog106.fc2.com/blog-entry-48.html" title="<第四話へ>"><第四話へ></a> <a href="http://cumsophia.blog106.fc2.com/blog-entry-50.html" title="<最終話へ>"><最終話へ></a><br /><br /><a href="http://comsophia.files.wordpress.com/2010/09/e7acace4ba94e8a9b1e38080e382a2e383b3e382b4e383a9e38081e383abe382a2e383b3e38380e6b8afs.jpg"><img class="alignnone size-full wp-image-130" title="第五話 アンゴラ、ルアンダ港s" src="http://comsophia.files.wordpress.com/2010/09/e7acace4ba94e8a9b1e38080e382a2e383b3e382b4e383a9e38081e383abe382a2e383b3e38380e6b8afs.jpg" alt="" width="300" height="193" /></a><br />(写真:景観の良いアンゴラのルアンダ港)<br /><br /><a href="http://comsophia.files.wordpress.com/2010/09/e7acace4ba94e8a9b1e38080e383abe382a2e383b3e38380e381aee38194e381bfe381aee5b1b1s.jpg"><img class="alignnone size-full wp-image-131" title="第五話 ルアンダのごみの山s" src="http://comsophia.files.wordpress.com/2010/09/e7acace4ba94e8a9b1e38080e383abe382a2e383b3e38380e381aee38194e381bfe381aee5b1b1s.jpg" alt="" width="300" height="198" /></a><br />(写真;ごみの山のルアンダの町)<br /><br /><a href="http://comsophia.files.wordpress.com/2010/08/e69dbee69d91e8a395e5b9b8e38195e38293s.jpg"><img src="http://comsophia.files.wordpress.com/2010/08/e69dbee69d91e8a395e5b9b8e38195e38293s.jpg" alt="" title="松村裕幸さんs" width="100" height="150" class="alignnone size-full wp-image-241" align="left" /></a><br />------------------------------------------------------------------<br /> <筆者近影><br /> 松村裕幸(上智大学外国語学部ポルトガル語学科1970年卒)<br /> 前WFP(国連世界食糧計画)ギニア・ビサウ代表<br /> 第12回(2002年)コムソフィア賞受賞<br />------------------------------------------------------------------
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【短期連載:第4話】「報告 アフリカ現場体験26年~中国・アフリカ・国連」

松村裕幸前WFP(国連世界食糧計画)ギニア・ビサウ代表上智大学外国語学部ポルトガル語科1970年卒------------------------------------------------------------------第四話 中国のアフリカ進出------------------------------------------------------------------(写真:コンゴ民主共和国地図) ※参考:コンゴ民主共和国はどんな国?▼中国のアフリカ進出私は、眼のあたりに中国の脅威を感じながら、2005年にアンゴ... 松村裕幸<br />前WFP(国連世界食糧計画)ギニア・ビサウ代表<br />上智大学外国語学部ポルトガル語科1970年卒<br /><br />------------------------------------------------------------------<br /><span style="font-size:large;">第四話 中国のアフリカ進出</span><br />------------------------------------------------------------------<br /><a href="http://comsophia.files.wordpress.com/2010/09/e7acace59b9be8a9b1e38080e382b3e383b3e382b4e6b091e4b8bbe59cb0e59bb3.jpg"><img src="http://comsophia.files.wordpress.com/2010/09/e7acace59b9be8a9b1e38080e382b3e383b3e382b4e6b091e4b8bbe59cb0e59bb3.jpg" alt="" title="第四話 コンゴ民主地図" width="400" height="329" class="alignnone size-full wp-image-89" /></a><br />(写真:コンゴ民主共和国地図) ※参考:<a href="http://www.npoafrasia.com/rdc1.html" target="_blank">コンゴ民主共和国はどんな国?</a><br /><br /><span style="font-size:large;">▼中国のアフリカ進出</span><br /><br />私は、眼のあたりに中国の脅威を感じながら、2005年にアンゴラを去りました。昨今、中国のアフリカ進出はめざましく、数字を見ると、一目瞭然です。アフリカは、アンゴラの例のように、戦争・紛争が続いた国の多いところです。なぜでしょうか?、それは大量に埋蔵されている資源のためです。以前は米ソが、そして冷戦後はアフリカ諸国間での利権紛争です。典型的なケースは、レア・メタルの「コバルト」と、携帯電話やDVDやパソコンの、タンタルコンデンサーに不可欠な「タンタル資源」を持つ、「コンゴ民主共和国」をめぐる、ウガンダ・ルワンダ対コンゴ・ジンバブエ・アンゴラの争いです。そして現在は、ここに中国が深く関与しています。<br /><br />タンタル(コルタン)の世界の埋蔵量はコンゴが80%も保有していると言われます。コンゴはその資源故に、第二代国連事務総長のダグ・ハマーショルド氏(1961-1961)が、1961年の9月にカタンガのコンゴ動乱で亡くなった原因の国です。それに、コンゴは、現在のアフリカの国境線を決めた、1984~85年のベルリンでの、アフリカ分割会議の発端になった場所で、レオポルド2世と、冒険家スタンリーが、ベルリンで、ビスマルクに、コンゴの領土を私有地にするように、要請したところです。<br /><br />アフリカは資源の宝庫です。世界の金の25%、白金の75%、ダイアモンド50%、コバルト50%、クローム50%、ボーキサイト25%、銅5%、石油8%の埋蔵量を有しています。「はじめに」でもお話したように、コルタン、白金、クローム、コバルト無しには、IT産業、自動車産業は成り立ちません。一方アフリカは、世界貿易に占める割合はわずか2%以下で、アフリカの総人口の半分は、1ドル以下で生活する貧困、HIV/AIDSの感染者が世界の70%、内戦、難民、汚職と問題を抱える大陸です。資源が、社会開発の足かせになっています。アフリカで最大の石油大国のナイジェリアでは、貧困者は石油のことを「悪魔のふん」と呼んで、石油の資源が一向に、自分たちの生活の改善になっていないことを不満に思っているようです。<br /><br /><a href="http://comsophia.files.wordpress.com/2010/09/e7acace59b9be8a9b1e38080e382a2e38395e383aae382abe989b1e789a9e8b387e6ba90e59cb0e59bb3400efbc8a528.jpg"><img src="http://comsophia.files.wordpress.com/2010/09/e7acace59b9be8a9b1e38080e382a2e38395e383aae382abe989b1e789a9e8b387e6ba90e59cb0e59bb3400efbc8a528.jpg" alt="" title="第四話 アフリカ鉱物資源地図400*528" width="400" height="528" class="alignnone size-full wp-image-90" /></a><br />(写真:アフリカの豊富な天然資源) ※参考:<a href="http://www.iwaisec.co.jp/pr_se/product/fund/5800835_1.html" target="_blank">岩井証券:アフリカ大陸の高成長を支えるキーワードページより</a><br /><br /><span style="font-size:large;">▼貿易額は20年間で100倍に</span><br /><br />中国のアフリカとの貿易額を見てみますと、その進出は驚く程です。<br />1989年には、わずか10億ドルであった額が10年後の1999年には2倍の20億ドル、そして、2005年には400億ドル、2010年には、1000億ドルと予想されます。この20年間で、なんと100倍の伸びです。(因みにその間、インドは40倍以上の伸び)アフリカは、その植民地の歴史から、1960年代のアフリカ独立後も、宗主国との結びつきが強く、特に、東アフリカ・南部アフリカは英国、西アフリカはフランスの影響力が際立っておりました。中国の貿易額は、いまや英国を抜いて、米国・フランスに次いで、3番目に躍り出ています。フランスを抜くのも、時間の問題と言われております。<br /><br /><span style="font-size:large;">▼中国のアフリカ進出の動機</span><br /><br />では、なぜ中国のアフリカ進出が急速に進んだのでしょうか?中国側とアフリカ側から、その理由を説明しましょう。<br />中国は1980年には、アジアではインドネシアに次ぐ石油の輸出国でした。私は1978~79年に、ブラジル石油開発公団の貿易会社東京事務所でマネージャーをしておりました。そのとき、中国の石油とブラジルの鉄鉱石のバーター・トレードの仲介をしていましたので、中国は石油の輸出で外貨を稼いでいた印象を持っています。その後、中国は急激な経済発展のもとで、1996年以降、石油の輸入に頼らざるをえなくなりました。2005年には、日本を追い抜いて、世界で2番目の石油の輸入国です。<br /><br /><a href="http://comsophia.files.wordpress.com/2010/09/e7acace59b9be8a9b1e38080e382a2e38395e383aae382abe381aee7b5a6e6b2b9e68980.jpg"><img src="http://comsophia.files.wordpress.com/2010/09/e7acace59b9be8a9b1e38080e382a2e38395e383aae382abe381aee7b5a6e6b2b9e68980.jpg" alt="" title="第四話 アフリカの給油所" width="300" height="190" class="alignnone size-full wp-image-92" /></a><br />(写真:アフリカの地方の給油所)<br /><br /><span style="font-size:large;">▼2008年の食糧暴動は中国の経済発展が大きく影響</span><br /><br />1997年の中国の輸入額の17%はアフリカからでしたが、2004年には29%、そして、2007年には31%と、年々アフリカの石油の割合が増えております。中国の石油輸入のビッグ・スリーは、アンゴラ、サウジアラビアとイランです。2005年には、ナイジェリアの石油採掘に23億ドルの投資をしました。1996年の一日当たりの石油消費は390万バーレルでしたが、2006年には、ほぼ倍の650万バーレルだそうです。2008年には、世界的に原油価格の値上がりそして食糧価格が異常に高騰し、発展途上国、特に、アフリカ諸国(セネガル、モーリタニア、カメルーン、ケニア、他)での値上げ反対のストライキ・暴動が起きました。その原因の一部に、中国の経済発展が、大きな影響を与えたことが指摘されています。つまり、中国での需要が大幅に増加して、供給を追い抜いたため、世界的な食糧バランスにも影響を与えたわけです。2008年8月に開かれた洞爺湖サミットでは、そのため、ご存知のように、3F(Fuel、Food、 Finance:燃料、食糧、財政支援策)が話し合われました。<br /><br /><span style="font-size:large;">▼狙いは石油とレアメタル</span><br /><br />2006年の統計に依りますと、アフリカからの輸入は、アンゴラ(アフリカ第3位の石油輸出国;38%)、南アフリカ(レア・メタルの世界有数の輸出国;14%)、赤道ギニア(9%)、スーダン(7%)の順です。現在は問題を抱える戦争の続くコンゴ、宗教問題のナイジェリアの比率が高まっています。第三話でお話ししたアンゴラは2002年まで、40年以上にわたる国内戦争を続けてきた国で、スーダンはご存知のように、未だ、内戦が続く国ですが、1日の産油量の60%は中国向けです。もちろんパイプ・ラインは中国が建設したものですが・・・。赤道ギニアはフレデリック・フォーサイスの「戦争の犬たち」の舞台になったところで、2005年にはサッチャー元英国首相の息子が、クーデター未遂事件に関与したところです。<br /><br /><a href="http://comsophia.files.wordpress.com/2010/09/e7acace59b9be8a9b1e38080e383ace382a2e383a1e382bfe383abe381aee58887e6898befbc91.jpg"><img src="http://comsophia.files.wordpress.com/2010/09/e7acace59b9be8a9b1e38080e383ace382a2e383a1e382bfe383abe381aee58887e6898befbc91.jpg" alt="" title="第四話 レアメタルの切手1" width="300" height="375" class="alignnone size-full wp-image-93" /></a><br />(写真:レアメタルが描かれた切手1)<br /><br /><a href="http://comsophia.files.wordpress.com/2010/09/e7acace59b9be8a9b1e38080e383ace382a2e383a1e382bfe383abe381aee58887e6898befbc92.jpg"><img src="http://comsophia.files.wordpress.com/2010/09/e7acace59b9be8a9b1e38080e383ace382a2e383a1e382bfe383abe381aee58887e6898befbc92.jpg" alt="" title="第四話 レアメタルの切手2" width="300" height="417" class="alignnone size-full wp-image-94" /></a><br />(写真:レアメタルが描かれた切手2)<br /><br />次回の第五話では、もう少し、中国のアフリカ戦略の詳細を述べてみたいと思います。<a href="http://cumsophia.blog106.fc2.com/blog-entry-47.html" title="<第三話へ>"><第三話へ></a> <a href="http://cumsophia.blog106.fc2.com/blog-entry-49.html" title="<第五話へ>"><第五話へ></a><br /><br /><a href="http://comsophia.files.wordpress.com/2010/08/e69dbee69d91e8a395e5b9b8e38195e38293s.jpg"><img src="http://comsophia.files.wordpress.com/2010/08/e69dbee69d91e8a395e5b9b8e38195e38293s.jpg" alt="" title="松村裕幸さんs" width="100" height="150" class="alignnone size-full wp-image-241" align="left" /></a><br />------------------------------------------------------------------<br /> <筆者近影><br /> 松村裕幸(上智大学外国語学部ポルトガル語学科1970年卒)<br /> 前WFP(国連世界食糧計画)ギニア・ビサウ代表<br /> 第12回(2002年)コムソフィア賞受賞<br 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【短期連載:第3話】「報告 アフリカ現場体験26年~中国・アフリカ・国連」

松村裕幸前WFP(国連世界食糧計画)ギニア・ビサウ代表上智大学外国語学部ポルトガル語科1970年卒------------------------------------------------------------------第三話 中国とアンゴラ------------------------------------------------------------------アンゴラ:資源大国、極端な貧富の差の国首都ルアンダ:国連での日当の一番高い都市(写真:アンゴラの地図)アンゴラは、南部アフリカに位置し、北はコンゴ民主... 松村裕幸<br />前WFP(国連世界食糧計画)ギニア・ビサウ代表<br />上智大学外国語学部ポルトガル語科1970年卒<br /><br />------------------------------------------------------------------<br /><span style="font-size:large;">第三話 中国とアンゴラ</span><br />------------------------------------------------------------------<br />アンゴラ:資源大国、極端な貧富の差の国<br />首都ルアンダ:国連での日当の一番高い都市<br /><br /><a href="http://comsophia.files.wordpress.com/2010/09/e382a2e383b3e382b4e383a9e59cb0e59bb3.jpg"><img src="http://comsophia.files.wordpress.com/2010/09/e382a2e383b3e382b4e383a9e59cb0e59bb3.jpg" alt="" title="アンゴラ地図" width="450" height="285" class="alignnone size-full wp-image-83" /></a><br />(写真:アンゴラの地図)<br /><br />アンゴラは、南部アフリカに位置し、北はコンゴ民主共和国とコンゴ共和国、南はナミビア、東はザンビアと国境を接し、国土面積は日本の約3.3倍で、アフリカでは7番目、世界では23番目と大きな国です。鉱物資源の大国でもあります。資源大国の故に、米ソの代理戦争になった国です。人口は約1900万人。1961年よりポルトガルからの独立戦争を始め、1975年に独立を果たしますが、その後、内戦が続き、2002年4月の国内紛争終結後、鉱物資源、特に、石油輸出で急速に経済発展をしております。しかしながら、貧富の差が激しく、2009年の国連の人間開発指数でも182カ国中、未だに、143位と、社会開発が低く、特に、教育、医療、衛生の分野でまだまだ、遅れた国です。<br /><br /><span style="font-size:large;">▼ルアンダでフリーパスの中国人</span><br /><br />2002年6月に約2年弱の日本勤務後、再度、アフリカのアンゴラへ赴任した時のことです。<br />成田から香港そして南アフリカのヨハネスブルグへと約10時間の飛行機の旅でした。ヨハネスブルグに到着してびっくり。アンゴラの首都ルアンダ行きの待ち合わせには、なんと、7割もの中国人の旅行者でごったがえしておりました。そのほとんどが、労働者のような感じの人たちでした。<br />ルアンダに着くと、タラップの下に中国大使館員が待ち構え、フリーパスでどんどんと飛行場を後にするではないですか。私は一般乗客と一緒で、パスポート・コントロールに2時間以上もかかり、その上、荷物の検査で、日本から持参した日本のレトルト食品の赤飯にたいして、良く説明した後、一目で何であるのか分かった筈なのに、「輸出許可証が必要」といいがかりをつけられ、結局、飛行場を出るのに、3時間もかかりました。税関員はガゾーザ(賄賂金)が欲しかったようです。<br /><br /><span style="font-size:large;">▼中国人への特別待遇<br /></span><br />当時のアンゴラは、40年以上続いた内戦が2002年4月にようやく終戦締結になり、治安上の問題で、飛行場の管理が厳しいということは、話には聞いておりましたが、一方で、中国人への特別待遇には驚きました。国内の飛行場でも驚くなかれ、パスポート・コントロールと荷物検査が行われる。<br />その年の8月には、スペイン人のOCHA(国連人道調整局)の職員が、ルアンダの飛行場で無線機を手荷物に持って飛行機に乗ろうとしたという理由だけで逮捕され、3日間、拘束されるという事件もありました。それが私の頭に入っていたので、中国人に対する待遇には、あらためて恐れ入りました。<br /><br /><a href="http://comsophia.files.wordpress.com/2010/09/e382a2e383b3e382b4e383a9e7a0b4e5a38ae38195e3828ce3819fe6a98bs.jpg"><img src="http://comsophia.files.wordpress.com/2010/09/e382a2e383b3e382b4e383a9e7a0b4e5a38ae38195e3828ce3819fe6a98bs.jpg" alt="" title="アンゴラ破壊された橋s" width="300" height="225" class="alignnone size-full wp-image-74" /></a><br />(写真:地雷で破壊された橋)<br /><br /><a href="http://comsophia.files.wordpress.com/2010/09/e382a2e383b3e382b4e383a9e381afe38197e38191e7a0b4e5a38as.jpg"><img src="http://comsophia.files.wordpress.com/2010/09/e382a2e383b3e382b4e383a9e381afe38197e38191e7a0b4e5a38as.jpg" alt="" title="アンゴラはしけ破壊s" width="300" height="218" class="alignnone size-full wp-image-75" /></a><br />(写真:はしけ、地雷で橋を破壊)<br /><br /><span style="font-size:large;">▼いたるところに地雷が埋設</span><br /><br />内戦終了後、我々は、反政府軍の兵士の収容キャンプに食糧を配るために、精力的に仕事をしました。キャンプは戦略的に、州境に置かれていたため、道なき道を食糧を積んだトラックとともに、向かいました。出発に際しては、地雷が敷設されているとのことで、Halo Trust(ハロー・トラスト)という英国の地雷除去の団体と連絡を取り合い、地雷の無い道を進むことにしました。1時間に20キロしか進めない道をトラックと共に、動くのは重労働でした。<br />戦争で、道路・鉄道・橋・発電所・農地・学校・病院が、戦略的に政府(MPLA)・反政府軍(UNITA)双方の攻撃の対象になり、地雷が敷設されました。橋が破壊されたため、川を渡る手段は簡易のはしけでした。その後、雨季に入り、私たちが通行した同じ道で地雷が爆発して、民間のトラックの運転手が死亡したそうです。地雷は、雨季になると動き始め、道路の端から真ん中へと移動します。命びろいをしたことになります。アンゴラでは地雷の問題は日常茶飯事で、同じような経験をしたことは3度あります。英国のプリンセス・ダイアナが地雷撲滅のために最後に訪れた国がアンゴラです。<br /><br /><a href="http://comsophia.files.wordpress.com/2010/09/e382a2e383b3e382b4e383a9dianastamps.jpg"><img src="http://comsophia.files.wordpress.com/2010/09/e382a2e383b3e382b4e383a9dianastamps.jpg" alt="" title="アンゴラdianastamps" width="300" height="276" class="alignnone size-full wp-image-76" /></a><br /><br /><a href="http://comsophia.files.wordpress.com/2010/09/e382a2e383b3e382b4e383a9dianastamp2s.jpg"><img src="http://comsophia.files.wordpress.com/2010/09/e382a2e383b3e382b4e383a9dianastamp2s.jpg" alt="" title="アンゴラdianastamp2s" width="200" height="251" class="alignnone size-full wp-image-77" /></a><br />(写真:プリンセス・ダイアナの記念切手)<br /><br /><span style="font-size:large;">▼中国製の地雷の多さにびっくり</span><br /><br />そんなわけで、アンゴラの地雷の状態を調べざるを得なくなりました。ハロー・トラストだけでなく、NPA(ノルウェー人民援助)という地雷撤去の団体と一緒に、地雷の調査にも出かけました。NPAのネルソン・ドミンゴス氏に依れば、アンゴラには人口の数より多い2千万個以上に上る対人地雷と対戦車地雷がウアンボ州をはじめとして、アンゴラ全域に敷設されており、その地雷の製造元は旧東ドイツ、ルーマニア、ロシア、チェコ、中国だそうです。ネルソン氏の話では中国製の地雷はなかでも多いと聞き、同じ東洋人として、深く考えさせられました。ただ40年以上の独立戦争と内戦で、地雷がどこに埋められたかは全く、不明とのことでした。というのも地雷を埋めたポルトガル人、キューバ人、アンゴラ人の多数が死亡してしまっている。そして40年にわたる長い戦争のためどこに地雷を設置したかのデータが完全に失われているためでした。そのため地雷敷設の地図、地雷数はあくまで、推定の域にすぎないとのことでした。<br /><br /><a href="http://comsophia.files.wordpress.com/2010/09/e382a2e383b3e382b4e383a9e7a0b4e5a38ae38195e3828ce3819fe799bae99bbbe68980s.jpg"><img src="http://comsophia.files.wordpress.com/2010/09/e382a2e383b3e382b4e383a9e7a0b4e5a38ae38195e3828ce3819fe799bae99bbbe68980s.jpg" alt="" title="アンゴラ破壊された発電所s" width="300" height="236" class="alignnone size-full wp-image-78" /></a><br />(写真:地雷で破壊された発電所)<br /><br /><a href="http://comsophia.files.wordpress.com/2010/09/e382a2e383b3e382b4e383a9e7a0b4e5a38ae38195e3828ce3819fe688a6e8bb8as.jpg"><img src="http://comsophia.files.wordpress.com/2010/09/e382a2e383b3e382b4e383a9e7a0b4e5a38ae38195e3828ce3819fe688a6e8bb8as.jpg" alt="" title="アンゴラ破壊された戦車s" width="300" height="256" class="alignnone size-full wp-image-79" /></a><br />(写真:地雷で破壊された戦車)<br /><br /><span style="font-size:large;">▼鉱物資源の宝庫アンゴラ</span><br /><br />アンゴラは石油、ダイアモンド、鉄鉱石、ウラニウム、金などの資源を持ち、一説には有名な映画になった“ソロモンの財宝”の国のモデルではないかと言われた国です。(作者のライダー・ハガードの本では、ジンバブエのようですが・・・)<br />MPLA(政府側)は海岸線を抑え石油資源(アフリカ第3位の生産国)をもとに、UNITA(反政府側)は内陸部を抑え、ダイアモンド(世界第5位の生産国)を資金源として戦争を続けました。鉱物資源のみならず、アンゴラは独立前はコーヒーの有数な輸出国でした。独立前の1970年には世界で4番目のコーヒー生産国で、22万トンあった生産が30年後はわずか1000トンです。戦争で、国内を逃げ回った人たちはコーヒーの木を薪に使われざるを得ませんでした。<br /><br />中国の現在の世界進出とその経済発展の繁栄の背景には、アフリカへの進出が大きな原動力になっています。つまり、アフリカ進出なくして、中国の現在は無いと断言できます。特に、アンゴラは中国のアフリカ進出の大きな足場になった国です。次回第四話「中国のアフリカ進出」では、中国のアフリカ進出を数字で分かりやすく説明します。<a href="http://cumsophia.blog106.fc2.com/blog-entry-46.html" title="<第二話へ>"><第二話へ></a> <a href="http://cumsophia.blog106.fc2.com/blog-entry-48.html" title="<第四話へ>"><第四話へ></a><br /><br /><a href="http://comsophia.files.wordpress.com/2010/08/e69dbee69d91e8a395e5b9b8e38195e38293s.jpg"><img src="http://comsophia.files.wordpress.com/2010/08/e69dbee69d91e8a395e5b9b8e38195e38293s.jpg" alt="" title="松村裕幸さんs" width="100" height="150" class="alignnone size-full wp-image-241" align="left" /></a><br />------------------------------------------------------------------<br /> <筆者近影><br /> 松村裕幸(上智大学外国語学部ポルトガル語学科1970年卒)<br /> 前WFP(国連世界食糧計画)ギニア・ビサウ代表<br /> 第12回(2002年)コムソフィア賞受賞<br />------------------------------------------------------------------
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