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<!-- passive:etc --><div style="text-align:center;margin-bottom:10px;"><iframe src='//assys01.fc2.com/1382' style='width:300px;height:250px;border:none;' scrolling='no'></iframe><!-- FC2管理用 --><img src="//media.fc2.com/counter_img.php?id=1368" width="1" height="1"><!-- FC2管理用 --></div><div style="font-size:8px;">上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。<br />新しい記事を書く事で広告が消せます。</div>
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特別寄稿「世界が注目する日本のアニメ」

特別寄稿「世界が注目する日本のアニメ」 NHK衛星映画劇場支配人 渡辺俊雄 映画界では、昨年21年ぶりに日本映画の興行収入が外国映画を上回ったことが話題となっていますが、実は去年の興収ベスト10のうち一位の「ゲド戦記」など4本がアニメ作品でした。また近年、「デスノート」や「ALWAYS 3丁目の夕日」など多くのヒット作が漫画やアニメを原作としています。さらに、21世紀に入ってアカデミー賞に新設された... <strong>特別寄稿「世界が注目する日本のアニメ」 NHK衛星映画劇場支配人 渡辺俊雄</strong><br><br> <img id="image48" height="96" alt="渡辺俊雄氏" src="http://www.cumsophia.jp/wp-content/uploads/2007/08/toshiowatanabe.jpg" align="left" Hspace="10" Vspace="5"> 映画界では、昨年21年ぶりに日本映画の興行収入が外国映画を上回ったことが話題となっていますが、実は去年の興収ベスト10のうち一位の「ゲド戦記」など4本がアニメ作品でした。また近年、「デスノート」や「ALWAYS 3丁目の夕日」など多くのヒット作が漫画やアニメを原作としています。さらに、21世紀に入ってアカデミー賞に新設された長編アニメーション部門で『千と千尋の神隠し』(02)が見事オスカーを獲得するなど、今や日本の映画界を語る時アニメを欠かすことはできません。では、こういった現象はいつから起きたのでしょうか?<!--more-->日本映画史上初めて興収ベスト10入りしたアニメ映画は、1978年の『宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』ですが、その質の高さにもかかわらず、一部の評論家の間ではまだ「アニメは映画とは異質なもの」という意識が強く、映画の芸術性が評価されるキネマ旬報ベスト10にアニメ映画が初登場するのは1984年の『風の谷のナウシカ』まで待たねばなりませんでした。しかし、このあと宮崎アニメの快進撃が続きます。1988年、ついに『となりのトトロ』がキネマ旬報の第1位に選ばれると、『魔女の宅急便』(89)5位、『紅の豚』(92)4位、『もののけ姫』(97)2位・・・と、ベスト10の常連となります。そして興行成績でも、1979年に『銀河鉄道999』が日本一の座を獲得すると、その翌年から映画の大スクリーンに進出した『ドラえもん』を中心に、アニメ映画が映画界の稼ぎ頭となっていくのです。遅ればせながら、2002年、日本政府も『知的財産立国』を宣言、アニメソフトなどの重要性を認め、大学にもアニメに関連した学科が設けられるようになりました。今や、大人が真剣にアニメについて語るべき時なのです。(コムソフィア2007年5月12日号より)
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特別寄稿「私とアニメーション」

「私とアニメーション」 バンダイビジュアル社長 川城和実(1982文新) 私は、大学時代新聞学科に入学したものの映画に入れ込むあまり勉強した記憶がなく、今頃になってもっと勉学に励んでいたらと思うことしきりである。卒業と同時に?キャニオンレコード(現ポニーキャニオン)に入社して、映像制作ディレクターを長らくやり、数々の映像ソフトを世に送り出してきた。その経験を生かし、1989平成元年?バンダイに移った。そ... <strong>「私とアニメーション」 バンダイビジュアル社長 川城和実(1982文新)</strong><br><br> <img id="image44" height="96" alt="川城和実氏" src="http://www.cumsophia.jp/wp-content/uploads/2007/08/kazumikawashiro.jpg" align="left" Hspace="10" Vspace="5"> 私は、大学時代新聞学科に入学したものの映画に入れ込むあまり勉強した記憶がなく、今頃になってもっと勉学に励んでいたらと思うことしきりである。卒業と同時に?キャニオンレコード(現ポニーキャニオン)に入社して、映像制作ディレクターを長らくやり、数々の映像ソフトを世に送り出してきた。その経験を生かし、1989平成元年?バンダイに移った。その後1994年には?バンダイビジュアルへ、2003年5月社長に就任し、現在日本のみならず世界を相手に映像ソフトの事業展開に日夜取り組んでいる。<!--more-->会員の皆様にもおなじみの『機動戦士ガンダム』、『機動警察パトレイバー』、『攻殻機動隊』などのアニメシリーズの国際映像市場への展開は、激化するアニメ戦争の中で身を削る思いであり、最近では、大友克洋監督劇場アニメ『スチームボーイ』や実写映画では北野武監督作品などの制作に大いに力を入れてきた。<br><br> バンダイビジュアルは、創業(1983)以来、アニメーション映像のパッケージソフト分野のパイオニアとして数多くの映像コンテンツを創出し、国内のみならず世界の人々から支持と信頼を獲得している。特に『機動戦士ガンダム』は、テレビ放映が1979年にもかかわらず現在に至るまで根強い人気を維持しており、1991年には、日本アニメ大賞優秀作品賞、2005年には、東京国際アニメフェア優秀作品賞他を受賞する等日本が世界に誇るロボットアニメの優れた作品であると同時にわが社にとっても重要な戦略ソフトである。<br><br> 『機動戦士ガンダム』は、伝説的な映像作家富野喜幸氏(現富野由悠季)よって生み出された作品である。従来のロボットアニメものとは一線を画し、戦場を舞台としたリアティに富んだ人間ドラマを創出、「リアルロボットもの」と呼ばれるジャンルを確立したエポックメイキングな作品である。作品の世界は、政治的に相対立する両陣営が戦争の中で、偶然試作の軍用ロボットを操縦することになった主人公とその仲間たちが、拡大する戦火の中で生き延びようとする姿を描いたものである。ロボットものでありながら、人間ドラマを主軸とした物語は、熱狂的なファンを獲得。放送終了後、熱心なアニメファンの再放送嘆願により、再放送、再々放送されガンダム人気が本格的に過熱した。これが契機となりバンダイは、キャラクタープラモデル(いわゆるガンプラ)を発売、ガンダム人気を広げるマーケットを確立した。さらに本放送終了後の1981年から1982年にかけて劇場用『機動戦士ガンダム』3部作が完成、その後続々制作される「ガンダムシリーズ」のもととなった。バンダイビジュアルでは、熱心なアニメファン(ガンダム世代ともよばれている)のために1998年に愛蔵版『機動戦士ガンダム メモリアルボックス』、2000年には劇場用『機動戦士ガンダム』DVDを制作、さらに今ではバンダイチャンネルでも視聴することが出来る。バンダイビジュアルは、創業(1993)以来、アニメーション映像のパッケージソフト分野のパイオニアとして数多くの映像コンテンツを創出し、国内のみならず世界の人々から支持と信頼を獲得している。特に『機動戦士ガンダム』は、テレビ放映が1979年にもかかわらず現在に至るまで根強い人気を維持しており、1991年には、日本アニメ大賞優秀作品賞、2005年には、東京国際アニメフェア優秀作品賞他を受賞する等日本が世界に誇るロボットアニメの優れた作品であると同時にわが社にとっても重要な戦略ソフトである。<br><br> 『機動戦士ガンダム』は、伝説的な映像作家富野喜幸氏(現富野由悠季)よって生み出された作品である。従来のロボットアニメものとは一線を画し、戦場を舞台としたリアティに富んだ人間ドラマを創出、「リアルロボットもの」と呼ばれるジャンルを確立したエポックメイキングな作品である。作品の世界は、政治的に相対立する両陣営が戦争の中で、偶然試作の軍用ロボットを操縦することになった主人公とその仲間たちが、拡大する戦火の中で生き延びようとする姿を描いたものである。ロボットものでありながら、人間ドラマを主軸とした物語は、熱狂的なファンを獲得。放送終了後、熱心なアニメファンの再放送嘆願により、再放送、再々放送されガンダム人気が本格的に過熱した。これが契機となりバンダイは、キャラクタープラモデル(いわゆるガンプラ)を発売、ガンダム人気を広げるマーケットを確立した。さらに本放送終了後の1981年から1982年にかけて劇場用『機動戦士ガンダム』3部作が完成、その後続々制作される「ガンダムシリーズ」のもととなった。バンダイビジュアルでは、熱心なアニメファン(ガンダム世代ともよばれている)のために1998年に愛蔵版『機動戦士ガンダム メモリアルボックス』、2000年には劇場用『機動戦士ガンダム』DVDを制作、さらにバンダイチャンネルでも視聴することが出来る。私のガンダム世代とのお付き合いは当分続きそうである。(コムソフィア2007年5月12日号より)<br><br> <strong>プロフィール</strong><br><br> 昭和57年上智大学文学部・新聞学科卒、キャニオンレコード(現ポニーキャニオン)入社。平成元年?バンダイに移る。平成6年には?バンダイビジュアルへ。平成11年に取締役映像事業本部副本部長に就任後、企画部長、ライセンス部長経て平成15年5月社長に就任。『機動戦士ガンダム』、『機動警察パトレイバー』、『攻殻機動隊』などのアニメシリーズの国際映像市場への展開に努力している。最近では、大友克洋監督劇場アニメ『スチームボーイ』制作にも関係。
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特別寄稿「サルデーニャでアニメの日本文化論」

「イタリア(サルデーニャ)でアニメによる日本文化論を講義」 サッサリ大学政治学部客員教授 横山俊樹(1974院・経) 私は、縁あって現在イタリアのサルデーニャ島のサッサリ大学で日本文化の特質について学生に講義をしている。 日本では、サルデーニャ島と聞かれてもシチリア島とコルシカ島にはさまれた九州ぐらいの大きさの島と答えられる方はそう多くない。サルデーニャ島には、哀しいかなコルシカのナポレオン、シチ... <strong>「イタリア(サルデーニャ)でアニメによる日本文化論を講義」<br> サッサリ大学政治学部客員教授 横山俊樹(1974院・経)</strong><br><br> <img id="image46" height="96" alt="横山俊樹氏" src="http://www.cumsophia.jp/wp-content/uploads/2007/08/toshikiyokoyama2.jpg" align="left" Hspace="10" Vspace="5"> 私は、縁あって現在イタリアのサルデーニャ島のサッサリ大学で日本文化の特質について学生に講義をしている。 日本では、サルデーニャ島と聞かれてもシチリア島とコルシカ島にはさまれた九州ぐらいの大きさの島と答えられる方はそう多くない。サルデーニャ島には、哀しいかなコルシカのナポレオン、シチリアのマフィアのように即想起できるシンボルもない。しかしソフィアンならしばしの沈黙の後、あっピタウ先生(元上智大学長・教皇庁教育省事務次官)の故郷だ!という返事が帰ってくるかもしれない。島内で苗字の最後が母音ウを持つ方々は、一般的には土着でラテン語からイタリア語を経ずに直接分岐したサルド語が母語といったあんばい。<!--more-->島は、昔からイタリア本土はもとよりカルタゴ、フェニキア、スペイン等と交流があった関係から苗字の起源もまちまちで、デズロという町で私を歓待してくれた家族は、コルテスという南米の征服者と同じスペイン姓を持っていた。 私は、かつて大手広告代理店で国際広告マーケティングに従事していたが激務から病気になり退社した。健康を回復したらこれまでの経験を生かし、マーケティングにおける文化論についての連続講座を持ちたいものだと常々思っていた。マーケティングとはと一言で言えば消費者分析のことで、研究手法としては従来の個人の心理プロセスの研究から最近では社会文化的な文脈重視の研究に変ってきている。つまり文化史を踏まえた現在文化の解釈が必須なってきている。 アニメの源流-絵巻からの日本文化論 私を迎えた大学は、サルデーニャ島の第2の都市(人口20万人)サッサリにあり、学生は2万人。唯一の産業は、大学でしょうか。 私が、大学就職のためローマから面接に訪島した時、サルデーニャ土着人のプディヌ教授(サッサリ大学政治学部)が駅まで迎えに来てくれた。彼は、ビックリするほどの碩学でした。日本の思想家では、横井小楠が傑出しており、その著「国是三論」をイタリア語に完訳したということでまず私の度肝を抜きました。さらに神道に関する著作、世界的な冒険家が明治初期の日本を漫遊した際の日記をロンドンで発見したことなど、それは初めて聞くことばかりでイタリアの象牙の塔の高さには驚嘆。彼は、「この島では、総合大学は南部の州都カリアリとここ北部サッサリだけだ(1000校近くも大学がある日本と違いイタリア全土で40校ぐらい)。イタリア政府は、教育に金を使わない。イタリアには、職のないインテリが山ほどいて皆な教授職をねらっている。この大学からは、イタリア大統領を2人輩出してノーベル賞受賞者もいるんだよ」と初対面から厳しい言葉でした。私は、はたして面接に受かるのかと心配していたところ昨年夏正式に客員教授としてオファーを頂き、「日本文化の特質について」、1クール16回イタリア語で講義をすることになりました。 最初の授業は、学生を前にイタリアと日本の交流史から入りました。天正遣欧使節で著名なヴァリニャーノ巡察師の後輩でスピノーラ神父が和算の基を築いたとか、外人墓地に眠っているマントヴァの太守の子孫ゴンザガ侯爵のこととか、靖国神社のミュージアムである遊就館の原型は、カペッレッティの創建によるとかを講義しました。また最近の日本では、サッサリの住民をサッサレ-ゼというように、白金という高級地域の住人はシロガネーゼというほどイタリア語の感覚が喜ばれて、頻繁にショップネーム、ブランドネームに使われているといった調子で話しました。 イタリアでは、学生達が日本文化への興味を持つようになったきっかけを聞いてみるとやはり日々テレビ放映されている日本のアニメが多いのに気がつきました。そこで私は、講義の中に?日本アニメの隆盛の必然性について、?日本人は表現主義的な絵画への嗜好が強いこと、?絵巻物という映画的モンタージュの伝統があったこと、?言葉で体系化しにくい思想を表現する手段として漫画を利用してきたこと、?未来技術への鳥瞰図としての役割も担ってきたことを、『鉄腕アトム』、『銀河鉄道999』、『ドラえもん』などといったイタリアでもっとも知られた日本のアニメを例に、『信貴山縁起絵巻』、『鳥獣戯画巻』などの源流にも触れながら解説しました。サルデーニャが、同じ島国として大成功した日本になにかと共感を示す原因となっているのも、オリジナリティはすべて大陸からという文化源流一元論への反発かもしれません。そしてそのオリジナリティの具現化されたもののシンボルが、彼等にとってはまさに日本アニメなのでした。私の講座のルポルタージュが、「サッサレーゼ」というコミュニティ紙に掲載されました。これを読んだ限り、「日本はお隣さん」有難う。辛抱強かった真面目な30人の学生よ、私の日本文化の特質について接続法と条件法は、アニメの力を借りたこと間違いはなかったようだ。(コムソフィア2007年5月12日号より)
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特別寄稿「東映アニメーションの誕生とその後」

「東映アニメーション(元東映動画)の誕生とその後」 東映アニメーション社長 高橋 浩(1967文英) 現在世界から注目される日本のアニメーションは、「東洋のディズニー」を目指して1956年7月に誕生した?東映アニメーション(元東映動画)による日本初のカラー長編アニメ『白蛇伝』が嚆矢であるといっても過言ではない。その成功は、戦後のアニメーションの歴史に大きな足跡を残している。 以後?東映アニメーションは、... <strong>「東映アニメーション(元東映動画)の誕生とその後」<br> 東映アニメーション社長 高橋 浩(1967文英)</strong><br><br> <img id="image42" height="96" alt="高橋浩氏" src="http://www.cumsophia.jp/wp-content/uploads/2007/08/hiroshitakahashi.jpg" align="left" Hspace="10" Vspace="5"> 現在世界から注目される日本のアニメーションは、「東洋のディズニー」を目指して1956年7月に誕生した?東映アニメーション(元東映動画)による日本初のカラー長編アニメ『白蛇伝』が嚆矢であるといっても過言ではない。その成功は、戦後のアニメーションの歴史に大きな足跡を残している。 以後?東映アニメーションは、『少年猿飛佐助』、『安寿と厨子王』、海外展開を重視した『西遊記』、『アラビアンナイト シンドバットの冒険』等の劇場アニメ、さらには1963年11月からの『狼少年ケン』によるテレビアニメへの進出にともない多くのアニメ作品を制作してきた。<br><br> 1972から80年にかけては、『マジンガーZ』が作品と商品を合わせて人気となり、アニメビジネスの開花を促した。その流れに沿って制作された『キャンディ・キャンディ』、『UFOロボグレンダイザー』は、ヨーロッパを席捲した。この頃制作された劇場版『銀河鉄道999』、『宇宙戦艦ヤマト』は、爆発的に若者に受け入れられ、今に続くアニメ・ブームの魁となった。<br><br> 1981年から94年にかけては、『Dr.スランプ あられちゃん』、『キン肉マン』、『北斗の拳』、『ドラゴンボール』、『聖闘士星矢』、『美少女戦士セーラームーン』が子供たちから歓迎された。特に『ドラゴンボール』、『聖闘士星矢』、『美少女戦士セーラームーン』は、テレビ放映がヨーロッパから中南米、アジアへそして1995年にはそれがアメリカへと広がった。さらに1999年には、『デジモンアドベンチャー』がアメリカで大ブレイク。多くのアニメ作品が、文化の壁を越えて今も全世界のファンを虜にしている。<br><br> 現在も東映アニメーションは国内では、フジテレビ系で『ワンピース』、『ゲゲゲの鬼太郎』、テレビ朝日系で『プリキュア5』、『ビックリマン』、TBS系で『ラブ・コン』、テレビ東京系で『パワーパフガールズZ』などの新作を放映し、また、韓国ではKBSとの共同制作で『太極千字文』という新作の放映を開始した。世界の子どもたちには国境がないだけに、これらの新作と東映アニメーションが持つ豊富なライブラリーを更に世界の子どもたちに向けて送り続けたいと思っている。 今日衛星放送を始めとする多チャンネルの時代を迎え、コンテンツとしての優れたアニメの存在は日本だけでなく、全世界から求められている。(コムソフィア2007年5月12日号より)<br><br> <strong>プロフィール</strong><br> 昭和42年上智大学文学部・英文学科卒、全国朝日放送(現テレビ朝日)入社。同社編成部長、広報局長を経て平成10年にBS朝日に出向常務。平成14年東映アニメーション顧問を経て同年6月企画営業・版権事業・ネット配信事業担当専務。平成15年6月社長に就任。テレビ朝日在籍時、日曜洋画劇場での映画放映権の購入、時代劇・ドラマ・アニメ等の企画に従事。アニメ作品では東映アニメ作品以外でも『ドラえもん』『クレヨンしんちゃん』等の番組開発を行った。
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第20回マスコミソフィア会が千代田区プレスセンターホールで開催

第20回マスコミソフィア会総会 2007年5月12日(土)第20回マスコミソフィア会総会が開催されました。 第20回という節目の回でもあり、場所もいつもの校内ホールから都内千代田区内幸町のプレスセンターホールに移しての開催となりました。(式次第についてはここをご覧ください)熱気ムンムンの会場には約100名の会員が詰めかけ、日本テレビでおなじみの松本志のぶ(1992外英)アナの司会のもと、新田三千典(1959文哲)20周... <strong>第20回マスコミソフィア会総会</strong><br><br> <img id="image4" alt="司会:松本しのぶアナ" src="http://www.cumsophia.jp/wp-content/uploads/2007/06/shinobu070512.jpg" align="left" Hspace="10" Vspace="5"> 2007年5月12日(土)第20回マスコミソフィア会総会が開催されました。<br> 第20回という節目の回でもあり、場所もいつもの校内ホールから都内千代田区内幸町のプレスセンターホールに移しての開催となりました。(式次第についてはここをご覧ください)熱気ムンムンの会場には約100名の会員が詰めかけ、日本テレビでおなじみの松本志のぶ(1992外英)アナの司会のもと、新田三千典(1959文哲)20周年記念総会実行委員長の開会の言葉に続き、濱口浩三(1944専新)会長からは「会員の親睦と研鑽で母校の発展に寄与する目的で始まったこのマスコミソフィア会も創立20年を迎えるが、母校は6年後には100周年を迎える。そんな中メディア状況の大きな変化に対応して日本で最初のジャーナリスト教育に乗り出した母校の伝統を受け継いで更なる貢献をしていきましょう」と挨拶されました。<br><br><br> <img id="image20" alt="磯浦康二" src="http://www.cumsophia.jp/wp-content/uploads/2007/06/isoura070512.jpg" align="right" Hspace="10" Vspace="5">続いて来賓からは本多義人(1961経経)ソフィア会会長、剱持睦子(1967文独)事務局長の挨拶、議事では、磯浦康二(1957文新)幹事長からは20周年事業の詳細についての説明が、稲村哲(1968文英)、佐々木寛(1959外英)、加藤春一(1968経経)各幹事からは役員人事説明ならびに2006年度の会計報告、監査報告、2007年度予算案説明等が行われ、満場一致で承認されました。
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「コムソフィア賞」刻字「安得」の意味は?

横山翆蹊氏が語る「安得」の意味 受賞を記念し、安藤女史の《安》にちなみ、刻字作品《安得・あんとく》を入念に制作いたしました。漢文の用語として、この《安得》には二つの読み方があります。「いずくんぞ・・・するを得ん」と訓読すれば、「どうしてそのような事が出来ようか」という意味を持ち、「いずくんぞ得ん・・・するを」と訓読すれば、「何とかしてそうありたいものだ」という願望の意味を含むことになります。 ... <p class="title">横山翆蹊氏が語る「安得」の意味</p> <img alt="antoku" src="http://www.cumsophia.jp/wp-content/uploads/2007/05/kokuji_antokus.jpg" width="200" align="left" Hspace="10" Vspace="5"> 受賞を記念し、安藤女史の《安》にちなみ、刻字作品《安得・あんとく》を入念に制作いたしました。漢文の用語として、この《安得》には二つの読み方があります。「いずくんぞ・・・するを得ん」と訓読すれば、「どうしてそのような事が出来ようか」という意味を持ち、「いずくんぞ得ん・・・するを」と訓読すれば、「何とかしてそうありたいものだ」という願望の意味を含むことになります。<br><br><br><br><br><br><br> <img alt="antoku" src="http://www.cumsophia.jp/wp-content/uploads/2007/05/ando_yokoyama07051201.jpg" width="200"align="right" Hspace="10" Vspace="5"> 1987年10月から1994年3月にかけて放送されたニュース番組『FNNスーパータイム』、次いで1994月4月から2000年3月にわたって放送されたニュース番組『FNNニュースJAPAN』、更に2000年4月から現在に至る『FNNスーパーニュース』番組のメイン・キャスターとして20年余りの歳月が流れました。<br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br> <img alt="antoku" src="http://www.cumsophia.jp/wp-content/uploads/2007/05/ando_yokoyama07051202.jpg" width="200" align="left" Hspace="10" Vspace="5"> 作品の《安得》には漢語読みに二つの意味が含まれていたように、20年という歳月の中、幾多の試練を乗り越えて、今までに安藤女史が体得された汗と涙の《安得》があります。その貴重なご体験をフルに活用し、現在から未来への向け、キャスターとして一日生涯の心意気を持ち、安藤女史がこれから得て行かなければならない願望と挑戦が告ぎの《安得》にかかっています。<br><br><br><br><br><br><br><br><br> <img alt="antoku" src="http://www.cumsophia.jp/wp-content/uploads/2007/05/ando_yokoyama07051203.jpg" width="200" align="right" Hspace="10" Vspace="5"> 昨年、キャスター・ライフ20年をお迎えになられた安藤女史は「女性としての視点をあまり打ち出さないこと。感情論を語らないこと。常に気分を抑制して、その日のベストを尽くし、毎回これがラスト・ナンバーあると自覚しながら仕事にのめり込んでいくこと。そして、自分自身があとどこまでやれるか、興味があるんです。女性が50~60歳になってもメインでやっていけたら、素敵じゃないでしょうか。どこまでやれるか、自分との勝負です。」と言明されています。<br><br><br><br><br><br><br><br> <img class="graph" alt="antoku" src="http://www.cumsophia.jp/wp-content/uploads/2007/05/ando_yokoyama07051204.jpg" width="200" align="left" Hspace="10" Vspace="5"> ゲーテは太陽を見ていた時、太陽から得た最大の教訓とは、「急がず、休まず」といわれています。今までよりもなお一層、これからもご自愛専一に、日々を新たな気分で自己修養に励まれ、「急がず、休まず」まさしく太陽のように明るく美しく、次のステップ《安得》へ向け、素敵なキャスターとしてニュースの現場に安藤女史ご自身の心の華を添えられますようお祈りしております。
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第17回コムソフィア賞は安藤優子さん、授賞で感動の涙!!

第17回コムソフィア賞は安藤優子さん 総会議事に続き、向山肇夫(1963法法)幹事からコムソフィア賞の選考経過の報告と共に結果が発表され、第17回コムソフィア賞としてフリージャーナリストの安藤優子さん(上智大学大学院グローバル・スタディーズ研究課在学中)が受賞されました。(選考経過・安藤さんの経歴についてはここをご覧ください)会員が見守る中安藤さんは「在学中からテレビの仕事を始め、? そのジャーナリスト... <span style="font-size:large;">第17回コムソフィア賞は安藤優子さん</span> <br><br> <img id="image6" alt="安藤優子さん" src="http://www.cumsophia.jp/wp-content/uploads/2007/06/ando070512.jpg" align="right" /> 総会議事に続き、向山肇夫(1963法法)幹事からコムソフィア賞の選考経過の報告と共に結果が発表され、第17回コムソフィア賞としてフリージャーナリストの安藤優子さん(上智大学大学院グローバル・スタディーズ研究課在学中)が受賞されました。(選考経過・安藤さんの経歴についてはここをご覧ください)会員が見守る中安藤さんは「在学中からテレビの仕事を始め、? そのジャーナリストとして生きてゆく傍らにはいつもソフィアがあったこと、今でもグローバルスタディーズ研究科に籍を置いてジャーナリズムがどうあるべきかを常に勉強していて、そんな成果を皆さんに認めていただいてこんなにうれしいことはないです」と涙ながらに受賞の喜びを語ってくださいました。 安藤さんには賞状ならびに篆刻(てんこく)・刻字作家の横山翠蹊(すいけい)(1955文新)さん作の「刻字楯」が授与されました。<br><br> <span style="font-size:large;">第17回コムソフィア賞決定!<br> 第17回コムソフィア賞は安藤優子さん(フリージャーナリスト)に!</span><br><br> マスコミソフィア会コムソフィア賞選考委員会は、第17回コムソフィア賞をフリージャーナリストの安藤優子さん(上智大学大学院グローバル・スタディーズ研究課在学中)に贈ることを決定しました。<br><br> <img class="graph" height="134" alt="ando" src="http://www.cumsophia.jp/wp-content/uploads/2007/05/ando.jpg" width="120" align="left"/> 報道の現場には、本来男女の差があるはずもない。安藤優子氏は、報道局の裏支えが在るとは言えテレビ報道でフリーの女性ジャーナリストとして、局付けキャスターや局付けアナウンサーと勘違いされるほど20年以上に渡ってキャスターを務めて来た。わが国のテレビ報道現場では稀有な存在であり、並大抵の努力ではない。常にニュースとは何かを思考し、従来のニュース報道にはない新しい視点を開拓して来られた。ジャーナリストとして毎日を「今日が最後」と思って最善を尽くす姿は貴重である。 (経歴) 1958年千葉県市川市生まれ。1974年都立日比谷高校在学中に米国オークランドカレッジに留学。1977年、帰国後発足したばかりの上智大学外国語学部比較文化学科に入学。在学中アルバイトでTBSやテレビ朝日のリポーターに従事。1985年10月から87年3月までテレビ朝日系「ニュースステーション」、同10月から94年3月までフジテレビ系「FNNスーパータイム」、同4月より2000年3月まで同局系「ニュースJAPAN FNN」などなど、看板ニュース番組を歴任し、本格的キャスターに成長。2000年4月からは「FNNスーパーニュース」で念願のメーンキャスターを務め、2007年4月からは日曜夜10時の新番組「新報道プレミアA」のメーンもこなし現在に至る。
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20周年記念事業「特別講演会」も好評!

世界が注目する日本のアニメーション 第20回マスコミソフィア会総会に続き、20周年記念事業の最初のイベントとして『特別講演会「世界が注目!日本のアニメーション」』が同ホールで14時より開催された。司会は(株)WOWOW常務取締役の黒水則顕氏(1978文新)。世界で放映されるアニメーションの約6割が日本製とされる昨今、果たしてアニメの世界潮流としての真実はどこにあるのかを3人の専門パネリストからさまざまな角度から... <span style="font-size:large;">世界が注目する日本のアニメーション</span><br><br> <p>第20回マスコミソフィア会総会に続き、20周年記念事業の最初のイベントとして『特別講演会「世界が注目!日本のアニメーション」』が同ホールで14時より開催された。司会は(株)WOWOW常務取締役の黒水則顕氏(1978文新)。世界で放映されるアニメーションの約6割が日本製とされる昨今、果たしてアニメの世界潮流としての真実はどこにあるのかを3人の専門パネリストからさまざまな角度から探った。(事前紹介については<a href="">ここ</a>をご覧ください)</p> <table border=0 cellspacing=10 cellpadding=0 ><tr><td><img class="graph" alt="kuromizu" src="http://www.cumsophia.jp/wp-content/uploads/2007/05/kuromizu07051201.jpg" width="120" height="150"/></td><td><img class="graphb" alt="yamaguchi" src="http://www.cumsophia.jp/wp-content/uploads/2007/05/yyamaguchi07051201.jpg" width="120" height="150"/></td></tr><tr><td><center>黒水則顕氏</center></td><td><center>山口康男氏</center></td></table><br> <p>最初のパネリストは日本動画協会専務理事でもあり、東映アニメ研究所元所長の「日本アニメの伝道師」こと山口康男さん。彼からは「アニメーションの源流と現状」と題して、アニメーションの分担作業が、当事フォード社で行われていた自動車の組み立て工程を模倣し、ディズニーがそれを具現化して始まったということや、現在毎週100本近いアニメが制作されているがその8割は現在、中国のアニメ制作会社が受託していることなどを聞かせてくれた。</p><br> <table border=0 cellspacing=10 cellpadding=0 ><tr><td><img class="graph" alt="watanabe" src="http://www.cumsophia.jp/wp-content/uploads/2007/05/twatanabe07051201.jpg" width="120" /></td></tr><tr><td><center>渡辺さん</center></td></tr></table><br> <p>続いて、長年にわたってNHK衛星映画劇場支配人を務めている渡辺俊雄(1972文英)さんからは、映画人の立場から「世界の映像ソフトから見た日本のアニメーション」と題して講演をいただいた。2006年度には日本では417本の映画作品が上映されたそうだが、なんとその半数がアニメ、または漫画が原作のものだと言う。にもかかわらず、映画賞を受賞したアニメの歴史は浅く、1984年の「風の谷のナウシカ」が初めてキネマ旬報賞を受賞し、その芸術性が認められたのが最初だそうだ。ただ、その後の映画興行収益の年間No1作品を紐解けば、やはり半分近くがアニメになっているということで、その根強さやグローバル性が伺える。フランスは空前の漫画ブームだそうで、漫画の単行本が一冊1700円もするそうだ。</p><br> <table border=0 cellspacing=10 cellpadding=0 ><tr><td><img class="graphb" alt="hashimoto" src="http://www.cumsophia.jp/wp-content/uploads/2007/05/mhashimoto07051201.jpg" width="120" /></td></tr><tr><td><center>橋本昌嗣さん</center></td></tr></table><br> <p>そして最後はアニメの技術的な観点から日本SGI(株)高度ビジュアルメディア開発部長の橋本昌嗣(上智大学非常勤講師)さんが登場。(予定の和泉法夫さんは海外出張のため急遽橋本さんに代行)映画スターウォーズを見て、あれはどうやっているのかと疑問を持ったことがきっかけで、当時この会社にしかなかったCG専用のコンピュータに魅せられて入社し、CG技術一筋で開発をされてきたことを話すと共に、現在の最先端CG技術の「粒子法流体解析」のデモンストレーションを紹介いただいた。 (粒子法流体解析については<a href="http://www.sgi.co.jp/newsroom/press_releases/2006/nov/fluid.html" target="_blank">ここ</a>をご覧ください)</p> <table border=0 cellspacing=10 cellpadding=0 ><tr><td><img class="graph" alt="discussion" src="http://www.cumsophia.jp/wp-content/uploads/2007/05/paneldisc07051201.jpg" width="200" /></td></tr><tr><td><center>パネルディスカッション</center></td></tr></table><br> お三方が揃ったところで、司会の黒水さんも加わってのパネルディスカッション。ここではアニメ業界でも人材育成、特にプロデューサーの育成がとても重要な課題になっていること、そのための策も多方面にわたって活動が始まっていることなどが議論された。即ち海外で漫画がもてはやされているとは言え楽観視は出来ない、なぜならよい作品を育てない限りすぐにそのブームも去ってしまう、良い作品を作る技術力とプロデューサー能力を育てることがこれからの業界の未来を作ることになる、ということで4人の意見が一致したことろで丁度時間となり、20周年事業の最初のイベントも成功裏に終了した。
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第17回コムソフィア賞を受賞して

第17回コムソフィア賞を受賞して 思いがけない賞をいただきまして、思いがけなく胸がいっぱいになっております。実は、ニュースを始めて今年で28年になりました。先ほど頂いた賞状に20数年という、私の年齢を慮っていただいたのでしょうか、大変ご配慮のきいた文がございまして(笑)、なにも自らここで暴露する必要もないんですが、ニュースだけをやって、今年でなんと28年という歳月が経ちました。最初にご紹介していただいた... <span style="font-size:large;">第17回コムソフィア賞を受賞して</span><br><br> <p><img id="image9" alt="安藤優子受賞" src="http://www.cumsophia.jp/wp-content/uploads/2007/06/ando_yokoyama07051201.jpg" align="right" />思いがけない賞をいただきまして、思いがけなく胸がいっぱいになっております。実は、ニュースを始めて今年で28年になりました。先ほど頂いた賞状に20数年という、私の年齢を慮っていただいたのでしょうか、大変ご配慮のきいた文がございまして(笑)、なにも自らここで暴露する必要もないんですが、ニュースだけをやって、今年でなんと28年という歳月が経ちました。最初にご紹介していただいたように、私が最初に報道という世界に飛び込んだのは、20歳。上智大学の2年生から3年生にかけてのちょうど端境期にあたっておりました。私が最初に入ったのは、インターナショナルディビジョンと呼ばれていた市ヶ谷のキャンパスでして、まだその時は、日本の文部省の大学としての認定も得られていなかった学部で、学部というふうには呼ばれておりませんでした。日本語で言えば国際学部だったの思うのですが、通称インターナショナルディビジョンということでデパートメントにはなっていない時代の学生でございます。</P><br><br> <p><img id="image10" alt="安藤優子受賞" src="http://www.cumsophia.jp/wp-content/uploads/2007/06/ando07051201.jpg" align="right" />その後、仕事を始めまして、さらに勉強をしようと思いまして、89年だったか、正確な年月は忘れてしまいましたが、さらに今度は外国語学部比較文化学科の頃に再入学いたしました。その後、市ヶ谷は比較文化学部に変更されました。さらに現在は、グローバル社会学研究科社会学専攻という博士課程前期大学院に今、在籍しておりまして、今は指導の教授と第一の修論を書いている真っ最中でございます。 常に私が仕事をしては、また大学に戻ってくることを繰り返しているには、大きな意味がございます。最初にインターナショナルディビジョンに入って突然報道の世界に飛び込んだ時には、自分が置かれているニュースの取材現場で起こっており、自分で見ている現象・戦争・紛争・暴動、そこで起こっている意味について考える暇も、それから考えるだけの知識も教養も、自分の背景としてないということをつくづくと痛感する日々でございました。</p><br><br> <p><img id="image12" alt="安藤優子受賞" src="http://www.cumsophia.jp/wp-content/uploads/2007/06/ando07051202.jpg" align="right" />目の前で起こっていることは、例えば、誰々が撃たれました、誰々が今東西の壁を壊しましたということは、皆様に実況中継のように目の前で起こっている事をお伝えすることはできても、じゃ~なんでそんな事が起きてしまったんだろうか?いったい私が見ているものは歴史的にはどういう意味を持つのだろうか。そういうことが全く私の中には、体系的な知識が欠落しているということを本当にフィールドに出て痛感しました。その事を知ったときに、私は、もう一度大学に戻ろうと決意をいたしました。そして、戻った大学では、国際政治を専攻したのですけれども、その時には、取材を通じて見た事、起きた事が、本当にこれはこういう意味だったんだというふうに初めて自分の中で像を結ぶという大変納得のいく体験をいたしました。と同時に、学ぶという事がどれほどすばらしい事なのかということも改めて痛感いたしました。その事によって、私は新たに自分に与えられた報道ジャーナリストという仕事に立ち向かっていく少しだけの勇気と少しだけの自信というものを大学生活から得たように思います。</p><br><br> <p><img id="image14" alt="安藤優子受賞" src="http://www.cumsophia.jp/wp-content/uploads/2007/06/ando07051203.jpg" align="right" />そして、これで3度目の大学生活ですけれども、これにも理由があります。 報道の中で20数年やっておりますと、どうしても錯覚が起きてきます。日常的に大変地位のある方、例えば総理大臣とお会いして話を聞く事ができる、経済界の大変立派な方からもお話を伺う事ができる、自分が戦争の真っ只中に行って取材をすると、自分が中心でこの世界が動いてるんじゃないかと思うような錯覚に陥るときがあります。日々、世の中を動かしている中枢の方々と接していると、何か自分も権力の一部になったかのような錯覚に陥るときがやってまいります。そういう事を痛感したときに、もう一度原点に戻って勉強をして、本当に真に、「世の中に対して何が伝えられるのかをもう一度考えようじゃないか」と思ったのが、今回も大学院に戻ったきっかけでございました。</p><br><br> <p><img id="image16" alt="安藤優子受賞" src="http://www.cumsophia.jp/wp-content/uploads/2007/06/ando07051204.jpg" align="right" />常に、上智大学と私は一線上に繋がっていると言うのでしょうか、行ったり来たり、戻ってきたり出て行ってみたり、また帰ってきてみたり、常にそこにある私にとっては第二の家のような、というよりも故郷のような存在です。上智大学のキャンパスに入ると、毎日あと5秒、あと3秒、あと2秒の世界で、毎日みんなでもうダッシュしている生活・空間から解き放たれて、ゆったりとキャンパスを歩いて図書館に行って本のページをめくって、必要な文献を探したりしている時に、「私は、あ~本当に生きてるんだな」ということを実感いたします。そんな時間を持てるのも、私がこよなく愛している上智大学があってこそなので、私は今でもその空間を、私の仕事のよりどころというか支えとしております。</p><br><br> <p><img id="image18" alt="安藤優子受賞" src="http://www.cumsophia.jp/wp-content/uploads/2007/06/ando07051205.jpg" align="right" />その上智大学からこのような多分な賞を頂戴いたしまして、本当にこういう形で頑張ってきて良かったな。本当にすごく大きなご褒美を頂いたような気がいたします。さきほどの、安得の言葉の意味をしみじみとかみしめて「あ、そっか!これで終わりじゃない。まだまだこれから頑張れよというふうに先輩諸氏の方々はじめ、激励と励ましをいただいたんだな」ということをしみじみと思いました。今日いただいたこの貴重な賞をしっかりと胸に刻んで、ソフィアの名前を汚すことなく、私のやれる精一杯のことで懸命に今与えられた報道の仕事にこれからも力を尽くしてまいろうという決意を新たにいたしました。本当に、たくさんの人にこういった形で「頑張ったね」と言って頂いたと思います。本当に心から皆様に感謝申し上げると共に、私も微力ながら上智大学のこれからの発展にも寄与してまいりたいと思いますので、どうぞ皆様、私ともども見守っていただきたいと思います。今日は本当にありがとうございました。</p>
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