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「共謀罪法案」と「緊急事態条項」について 専修大学教授・山田健太

現在、国会では「共謀罪」(テロ等準備罪)の審議が行われている。これは言論の自由を侵しかねない重大な問題をはらんでいる。また先日始まった「憲法審査会」では「緊急事態条項」を盛り込むことが提案された。これは言論の自由の息の根を止めかねない条項である。言論人として見逃せない問題について、コムソフィア編集室では武市英雄上智大学名誉教授にご推薦いただき、日本で言論法の第一人者・山田健太専修大学教授に急遽執筆... 現在、国会では「共謀罪」(テロ等準備罪)の審議が行われている。これは言論の自由を侵しかねない重大な問題をはらんでいる。また先日始まった「憲法審査会」では「緊急事態条項」を盛り込むことが提案された。これは言論の自由の息の根を止めかねない条項である。<br /><br />言論人として見逃せない問題について、コムソフィア編集室では武市英雄上智大学名誉教授にご推薦いただき、日本で言論法の第一人者・山田健太専修大学教授に急遽執筆をお願いした。<br /><br /><a href="http://blog-imgs-104.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20170409131504110.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-104.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20170409131504110.jpg" alt="山田健太先生430x621" border="0" width="200" height="289" /></a><br /><br /><strong><span style="font-size:large;">「表現行為にとっては大きな脅威」〜共謀罪法案〜<br />山田健太(専修大学教授=言論法)</span></strong><br /><br /><strong>■「日本の刑法原則を大きく変える」</strong><br /><br />いわゆる共謀罪が2017年通常国会の焦点の1つとなっている。これまで3度にわたって廃案になってきた法案であるだけに、安倍人気の中でかつオールマイティともいえる「東京オリンピックのため」を制定理由にできるという意味で、政府とりわけ取締り当局にとって今回は、千載一遇のチャンスだといえるだろう。<br /> では、なぜそれほどまでに問題なのか。理由は、共謀罪「そのもの」の問題と、共謀罪を含めた「的なるもの」の問題の2つに分けて考えることが必要だ。前者は、刑事法あるいは憲法や国際人権法の立場からすでに多くの指摘がなされているが、日本の刑法原則を大きく変えるということにある。いままでは「既遂」すなわち罪を実行することで罰していたわけであるが、これからは多くの犯罪行為においては(政府は当初の予定より半減したとしているが、それでも300近くある)、「合意(共謀)」しただけで罪とするということになる。<br /><br /><strong>■「共謀を立証するために警察の広範な盗聴が予定されている」</strong><br /><br /> これは、これまでの「未遂」とか「予備」を一気に飛ばし、まさに<心の中>に手を突っ込み、怪しそうな人を捕まえるということにほかならない。しかもすでに日本では、ハイジャック犯などとりわけ重大な犯罪行為においては、予備罪とともに共謀罪も存在する。にもかかわらず、あえて一般犯罪まで対象を増やすのは後述する別の意図があると疑わざるを得ない。政府はこの対象の拡大は、条約批准のためと主張しているが、すでに国会承認は終わっているうえ、現行の国内法において条件を満たしていると考えられている。<br /><br /> そして後者の共謀罪を含めた治安立法全体の問題としては、共謀を立証するために警察は広範な盗聴を予定しているとされる。すでに国会審議の中でも、盗聴法を再改正し日常的な監視活動を強化する必要性に言及している。これはまさに<監視社会>そのものである。一般人は関係ないと再三予防線を張っている政府であるが、少なくともこうした捜査段階においては、だれがテロリストかあるいはテロ集団構成員かがはっきりしない中で、より広範にまさに私たち一般市民が監視対象になることは十分ありうるし、むしろそれが目的とすら思えるのである。<br /><br /> そしてこの関係で危惧されるのが、とりあえず拘束する、という事態が生じることである。実際に共謀罪で立件するかどうかは別として、怪しいから盗聴します、家宅捜査します、パソコンを押収します、ということが起こりかねないということだ。実際に警察はこれまでも、いわゆる見せしめ捜査・逮捕をさまざまな形で行ったきた歴史がある。盗聴により証拠を集め共謀罪容疑で逮捕というのが、外形的に見えづらい犯罪行為だけに、より恣意的に取締り当局の意思で行われる可能性が格段に広がることにならないか。しかもこれは、とりわけ表現行為にとっては大きな脅威となる。以上<br /><br /><strong><span style="font-size:large;">「言論の自由の息の根を止めるものに・・・」〜緊急事態条項〜<br />山田健太(専修大学教授=言論法)</span></strong><br /><br /><strong>■「先の大戦の苦い経験から出来た法制を否定する条項」</strong><br /><br /> 典型的な国の有事法制の1つが「緊急事態」対処法制だ。すでに日本にも、小泉政権時代に有事法制が整備され、その中で緊急事態宣言が出されると通常の手続きを飛ばして、部分的に私権が制限されることが決まっている。こうした制度は、戦争に限らず、原発事故や大規模自然災害時のための法規定にも存在する。そこでは、たとえばあらかじめ政府や自治体から指定された企業(指定公共機関)は、自社の車や社員を国に提供することが求められている。<br /><br /> しかし当然ながら、一方で憲法は私有財産を保障していることから、かつての戦争の時のように、一方的に財産を没収したり、究極の奉仕ともいえる徴兵制によって命を国に差し出すようなことを認めていない。また、憲法を超えるような特別法を作ることも、一般の法律を国会以外で制定することも禁じている。これは、先の大戦による苦い経験から、国益を絶対的に優先することで、結果として個々人の自由や権利をないがしろにするような制度を排してきたということになる。<br /><br /><strong>■「今、政府の権限強化を進めることの必然性が不明」</strong><br /><br /> にもかかわらずいま、北朝鮮や中国の脅威を理由として、いざという場合には緊急的に政府が法律を制定したり、首相に権限を集中させることで、指揮命令を効果的に実施できるようにしようとの動きが急である。そのためには憲法を改正する必要があるわけで、現在、議論が始まっている国会の憲法改正審議においても検討事項に挙がってきている。特に、憲法改正を求める人たちからは、当初大きな「目標」とされてきた9条より、国民の理解が得られやすいとして、環境権の創設や家族制度の強化などと並んで、改正項目の最初に挙げられることも多い。<br /><br /> まずは、戦争ありきの国家体制作り自体の是非があるが、現行でも制約が強すぎると指摘されている特別法による緊急事態対処法制を、さらに強化させ首相(政府)の権限強化を進めることの必然性が不明である。それは、憲法原則を空洞化させ、首相の恣意的な権力行使を可能にすることに繋がるだろう。それはまさに、「国家の恣意的な権力行使を禁止するための」憲法の性格を根底から否定するものだ。<br /><br /> また表現活動に関して言えば、指定公共機関に指定されているほぼすべてのテレビ局は、現行でさえも機材や社員の提供を求められている。放送法の恣意的な解釈変更による行政権の拡大傾向が顕著ないま、その「要請」が憲法改正によって「義務」に変われば、それは官製の報道が始まることを意味している。一般的な政府による表現規制の手段である秘密保護法制ができ、政府の異論を認めない(批判を許さない)姿勢が強まるなかでの、さらなる行政権限の拡大は言論の自由の息の根を止めるものになりかねないだろう。以上<br />
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3.11福島原発事故による放射能汚染除去の実態

3.11福島原発事故による放射能汚染除去の実態~栃木県大田原市の場合~原発から108キロ離れた我が家の「除染」木村英夫(46年経経卒)女子栄養大学生涯学習講師2014年5月に書き上げた原稿ですが、ある事情でお蔵入りにしておりました。しかし今年2016年5月11日付けの報道『給食のタケノコご飯から基準超のセシウム 宇都宮の小学校』を知って、放射能問題は厄介なものと改めて認識し、2014年の原稿に加筆して投稿させていただきます... <blockquote><p><span style="font-size:large;">3.11福島原発事故による放射能汚染除去の実態<br />~栃木県大田原市の場合~<br />原発から108キロ離れた我が家の「除染」</span><br /></p></blockquote><br /><strong>木村英夫(46年経経卒)<br />女子栄養大学生涯学習講師</strong><br /><br />2014年5月に書き上げた原稿ですが、ある事情でお蔵入りにしておりました。しかし今年2016年5月11日付けの報道『給食のタケノコご飯から基準超のセシウム 宇都宮の小学校』を知って、放射能問題は厄介なものと改めて認識し、2014年の原稿に加筆して投稿させていただきます。<br />                                          <br />3.11で大きな被害を被った福島第一原子力発電所。そこから直線距離でおよそ108km離れた我が町大田原市は、震度6強、災害救助法適用地域になりました。そしてその後の除染・・・・。<br />今回は、報道されることのない我が家の除染体験を報告いたします。<br /><br />大田原市は栃木県北部に位置し、関ヶ原以来明治維新まで、隣町の黒羽(大関)藩同様、移封もされなかった城下町でしたが、現在は県北最大の商工業都市の一つになっています。人口はおよそ75,171人、28,965世帯(平成28年5月1日現在)です。<br />福島第一原子力発電所から、一般道路経由だとおよそ142km離れ、放射線量は当初ほとんど問題視されませんでした。そしてテレビ栃木のデジタル報道でも我が家近隣の線量は低いことがわかり安心しておりました。そして我が町北部および北東部に位置する那須町や那須塩原市などの方が線量が高いとされてきました。那須塩原駅近くには2014年当時でも汚染作業のための作業基地のようなところが見られました。<br />我が町でも当初は農産物の風評被害は免れず、その対策として道の駅では早々と線量測定器が置かれ、農産物の出店前にはチェックされているので安心でした。しかし今はその痕跡も見られません。<br /><br /><strong><span style="font-size:large;">除染対象地測定</span></strong><br /><br />学校や公園など公共施設では今思うと早々と除染作業が行われてきたことがわかりました。しかし2012年夏頃の回覧板による市の広報誌で、除染の告知を知り、早速2012年12月に市に除染申込みをしました。そしてその申込み受領通知が届いたのは2013年3月です。その後さらに時は流れ、具体的な日時決めになったのが5月。やっと2013年6月15日に線量測定スタッフが我が家に来ました。<br /><br /><a href="http://blog-imgs-95.fc2.com/c/u/m/cumsophia/201606111036272e2.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-95.fc2.com/c/u/m/cumsophia/201606111036272e2.jpg" alt="写真1P6159865" border="0" width="430" height="323" /></a><br />写真1「地上から0.5mで測定」<br /><br />測定は、地上から1m、0.5m、0.01mの三か所で行いますが、乳幼児がいる場合といない場合とでは測定地点の数値の判断が異なります。乳幼児がいる場合には数値が低くても除染対象地となりますが、我が家は該当なしのため通常の数値での判断でした。<br /><br /><a href="http://blog-imgs-95.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20160611103628d18.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-95.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20160611103628d18.jpg" alt="写真2P6159861" border="0" width="430" height="323" /></a><br />写真2「1.48マイクロシーベルトを示す計測器。敷地内で高かった場所、この後、1.7まで上昇」<br /><br />「環境省では、除染実施計画を策定する地域の要件を、毎時0.23マイクロシーベルト(μSv)以上」としています。そして、思った通り、雨樋下の地面が規定値よりもはるかに高かったのです。そこは北側の広い面積の屋根から流れる雨水を受けているところです。しかし一番高いところでも面積はたったの1平米ほど。規定値が高い汚染地はミニコーンが置かれ、後日の除染のため写真が撮られました。<br /><br /><a href="http://blog-imgs-95.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20160611103630233.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-95.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20160611103630233.jpg" alt="写真3P6159863" border="0" width="430" height="323" /></a><br />写真3「後日の除染作業の目安を示すミニコーン」<br /><br />写真では敷地内がかなりの雑草で覆われていることがわかりますが、当時は雑草や剪定枝木等は市ではゴミとしての回収を受け付けず、止む無く伸び放題にしておりました。そしてこの規制はその後まだ続き、2013年には、一軒あたり90リットルのビニール袋(市で支給)二袋のみ月1度だけの回収となりました。続く2014年からは一定の制限を加えたうえでの回収となりましたが、2016年には全く規制はなくなりました<br /><br /><a href="http://blog-imgs-95.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20160611103631e44.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-95.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20160611103631e44.jpg" alt="写真4P6159900" border="0" width="430" height="323" /></a><br />写真4「我が家の敷地および建造物の測定結果。赤矢印の「T4」のみが除染作業の場所」<br /><br />2011年3月からどれほど時間が経っているのか、測定が2013年、しかしまだまだ本作業までには時間がかかります。<br />この間、近隣では除染対象地区の測定をしたのは我が家の南700mほどのところにある1軒のみであり、多くの人は除染をするための測定申込み受け付けもしりませんでした。自治会長によると回覧板による市の広報誌の閲覧は概して1割ほどの住民のみとか。また、線量報道の回数も皆無に近くなり、皆さん徐々に遠い昔の話、あるいは自分には関係のないこと、などとなっているのでしょうか。<br /><br /><a href="http://blog-imgs-95.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20160611103949b2f.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-95.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20160611103949b2f.jpg" alt="写真5P4065505" border="0" width="430" height="323" /></a><br />写真5「申請を受理した市からの受理書―2013年4月6日」<br /><br />その後2015年になると、除染測定する会社スタッフが積極的に測定し、各世帯に除染を薦めるような光景を見かけましたが、隣町のように除染作業を見かけることもなく、市役所近くの除染会社の看板も取り外されました。市民は除染に関心がないのかとの印象を受けた次第です。<br /><br /><strong><span style="font-size:large;">除染作業</span></strong><br /><br /> いつになったら除染作業が始まるのかと首を長くして待っていたら、晩夏ごろ電話連絡が来て、希望日を尋ねられ、2013年11月22日金曜日の朝8時過ぎからの開始と言うことになりました。当日は休みを取って朝から待機すると、作業チームが時間よりも早くやってきました。<br /><br /><a href="http://blog-imgs-95.fc2.com/c/u/m/cumsophia/201606111039519d3.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-95.fc2.com/c/u/m/cumsophia/201606111039519d3.jpg" alt="写真6PB227132" border="0" width="323" height="430" /></a><br />写真6「作業開始前の看板設置」<br /><br />目立つように作業中の看板を出しますが、この時点でも近隣の住民は「何してるんですか?」「なに始まるのですか?」などと、市の除染作業であることをほとんど認識しておりませんでした。<br /><br /><a href="http://blog-imgs-95.fc2.com/c/u/m/cumsophia/2016061110395245c.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-95.fc2.com/c/u/m/cumsophia/2016061110395245c.jpg" alt="写真7PB227133" border="0" width="323" height="430" /></a><br />写真7「地表を削る作業前の線量測定」<br /><br />何センチ削ればいいのかは、削った段階で線量測定して判断し、線量が少なくなった場所で掘り下げを止めます。<br /><br /><a href="http://blog-imgs-95.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20160611103954794.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-95.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20160611103954794.jpg" alt="写真8PB227136" border="0" width="430" height="323" /></a><br />写真8「汚染された土は袋に納められます」<br /><br /><a href="http://blog-imgs-95.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20160611103956891.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-95.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20160611103956891.jpg" alt="写真9PB227137" border="0" width="430" height="323" /></a><br />写真9「指定した我が家の敷地内に穴を掘ります」<br /><br /><a href="http://blog-imgs-95.fc2.com/c/u/m/cumsophia/201606111041503c6.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-95.fc2.com/c/u/m/cumsophia/201606111041503c6.jpg" alt="写真10PB227138" border="0" width="430" height="323" /></a><br />写真10「汚染土を掘りだした後は埋め戻されます」<br /><br /><a href="http://blog-imgs-95.fc2.com/c/u/m/cumsophia/201606111041522db.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-95.fc2.com/c/u/m/cumsophia/201606111041522db.jpg" alt="写真11PB227139" border="0" width="430" height="323" /></a><br />写真11「念のため線量が異常値を示さないか再度測定します」<br /><br /><a href="http://blog-imgs-95.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20160611104153f6a.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-95.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20160611104153f6a.jpg" alt="写真12PB227142" border="0" width="430" height="323" /></a><br />写真12「汚染土の入った袋を埋め、遮水シートをかぶせて接着します」<br /><br /><a href="http://blog-imgs-95.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20160611104155b6a.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-95.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20160611104155b6a.jpg" alt="写真13PB227143" border="0" width="430" height="323" /></a><br />写真13「土を入れて埋め戻しますが、後日陥没し、見かねた近隣者が補修してくれました」<br /><br />汚染された土を収めた袋は、同じ敷地内の別の場所に永久保管になります。しかし汚染土が多く、あるいは敷地内に埋める場所が無い家ではどうするのでしょう、などと思ってしまいます。<br /> 汚染土の保管場所は今のところ私しか知りませんが、次の世代にこの土地が子孫以外の人に渡って、掘り起こすことがあったなら、どうするのでしょうか、などとも思ってしまいます。<br /> それにしても、被害がもっとすごいところと比べると、幸せなんだと思い、このまま忘れてしまえ、気にするなってことなのかな?<br /><br /><strong><span style="font-size:large;">3.11、その後の町の様子</span></strong><br /><br /> 市役所は2014年早くに取り壊しが始まり、数年後に再建されることになりますが、再建が決まったのは昨年27年度です。そして竣工は31年度になります。しかし町を歩くと3.11の痕跡はかろうじて見られます。そして気が付けば旧市街の大きな商店や工場跡が一般建売り住宅になったり、再建をあきらめたのか他の事情なのか廃屋のさらに地なったり、旧市街の様相が、市の都市計画も重なって大きく変わってきました。<br /><br /><a href="http://blog-imgs-95.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20160611104156377.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-95.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20160611104156377.jpg" alt="写真14P4065491" border="0" width="323" height="430" /></a><br />写真14「市役所近くに建てられた「復興再生生瓦」のモニュメント」<br /><br /> いまだに片付かないのは我が家近くの墓地、斜面が崩れ、法面がなくなったため墓地面積が縮小し、行場のなくなった墓石が神社の近くの広場に置かれています。<br /><br /><a href="http://blog-imgs-95.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20160611104414777.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-95.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20160611104414777.jpg" alt="写真15P4083792" border="0" width="430" height="323" /></a><br />写真15「墓石は徐々に少なくなってきましたが、いつになったら元の広場になるのでしょうか。2014年4月8日撮影。2016年現在は若干の墓石が残るのみとなりました」<br /><br /> 時は心身のキズを癒す最大の薬と思いますが、3.11のことは忘れた方がいいのか、その後の放射能被害のことは思い出すべきではないのか、実際に身近に体験した除染はどう語り継げばいいのか、マスメディアに採り上げられることはない事柄は小さな声でも出していかなければと思います。<br /><br />さて冒頭のタケノコ給食報道を受けて、栃木県発表の『県産農林水産物等の出荷制限と解除の状況について』を閲覧すると、日光市などのイワナ、日光市や鹿沼市、さくら市などの山菜などの他、我が町の出荷制限には次のようなものがあるのが分かりました。<br />大田原市の出荷制限:タケノコ、原木なめこ、栗、野生きのこ、野生みょうが、乾しいたけなど。<br /><a href="http://www.pref.tochigi.lg.jp/kinkyu/y00/shukkahikae.html" target="_blank" title="http://www.pref.tochigi.lg.jp/kinkyu/y00/shukkahikae.html">http://www.pref.tochigi.lg.jp/kinkyu/y00/shukkahikae.html</a><br /><br />このうちご近所から譲っていただいたタケノコを今シーズンも平気で食べていましたが、多くの人は全く知らないで食べ続けていることと思います。<br /><br /><br /><strong><span style="font-size:large;">追記</span></strong><br /><br />3.11で我が家は家財半損の被害を受け、その後被害個所を修理してもらい、一件落着と思いました。<br />しかし、昨年末、あるきっかけで床下を見る機会があり、床下にも地震の被害の痕跡があることが判明しました。礎石を支える柱と床面とに数センチの隙間が数か所できていたのです。改めて、普段見ることのないウオークインクローゼットの奥を眺めてみると、いつの間にかこちらも亀裂が生じていました。いずれも3.11直後の修理前に工務店棟梁と二人で家屋内外を見て回り、修理箇所を確認してからの工事を頼んだのですが、それ以外にも修理を必要とする箇所があるとはその時みじんも思っておりませんでした。<br /><br /> 3.11の時は家財のみ地震保険にかかっており、建物はかけていなかったのです。その後地震保険を見直し、家屋と家財に保険をかけなおしました。地震保険に入る際にお世話になった担当課長さんに電話をして保険が適用されるかどうか打診したところ、保険調査員派遣の要請をした方がよいということになりました。その依頼の際、担当スタッフに電話して話をした際、3.11から数年たった今でもその被害の申請があるとのこと。そして3.11以降数度の余震があり、そのうちのいつの地震が引き金になったかわからないと言ったところ、昨年2015年5月に震度5相当の地震があったとのこと。震度5だと、我が家の特に東側が虚弱で、物が倒れたりすることはしばしば体験しています。<br />そこで調査員派遣を依頼したところ、埼玉県から新幹線で調査員が訪れました。しかし開口一番「礎石、床下は地震保険の適応対象にはなりません」とのがっかりさせる結論。その後、家の外壁を2時間弱かけて丁寧に調査し、その結果、6か所の亀裂があるとのことでした。同行して説明を受けると、今まで気が付かなかった箇所に確かに亀裂が生じていました。外壁調査の後、室内を調査し、内装の亀裂などを確認して写真を撮り、後日報告するとのことでした。<br /> 調査の後は前回支給を受けた保険会社に内容を問合せ、重複して支払うことがないようにするとのこと。それで前回の家財保険関連の書類番号を提出が必要とのこと。幸い書類一式残しておいたため、この後の手続き、支払金受取りまではスムーズにことが進みました。<br /> そして改めて、地震保険の支払保険金の分類を見て、次のことが分かりました。全損、半損、一部損の区別も細則規定があることは理解できましたが、支給金額が三つの区分しかないのですね。50%の次の区分が5%という事実にがっかりしました。<br /><br /> 建物・家財:全損⇒地震保険金額の全額 半損⇒地震保険金額の50%<br />       一部損⇒地震保険金額の5%<br /><br /> 今回の熊本大分地震ではたくさんの方々が被災されました。謹んでお悔やみ申し上げます。被災者の方々で地震保険の支払い適用になる方は幸いです。しかし保険金が支払われても、被災以前の状態に戻すには大変な費用がかかることを私自身の体験から痛感しました。<br /> 復興までまだまだ時間がかかると思いますが、被災された方の皆様方への篤い支援と速やかな復興を祈念いたします。 <br /><br />以上6月吉日
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戦後70年 〜 写真展と講演会(講演録)

◆タイトル:戦後70年 戦時下の上智大学〜国破レテ1号館アリ 〜写真展と講演会◆日時:2015年5月31日(日)◆時間:11:00~15:00◆場所:紀尾井坂ビル1階115教室(図書館の奥、11号館を入って左奥のビル)◆主催団体:マスコミ・ソフィア会会場では、講演会「先輩は語る」として、江副隆愛氏、中島重行氏、村松正氏、上田早苗氏の学徒動員の経験のある4人の大先輩から、それぞれ当時を振り返りながら思い出が語られました。■殴られるの... ◆タイトル:戦後70年 戦時下の上智大学〜国破レテ1号館アリ 〜写真展と講演会<br />◆日時:2015年5月31日(日)<br />◆時間:11:00~15:00<br />◆場所:紀尾井坂ビル1階115教室(図書館の奥、11号館を入って左奥のビル)<br />◆主催団体:マスコミ・ソフィア会<br /><br />会場では、講演会「先輩は語る」として、江副隆愛氏、中島重行氏、村松正氏、上田早苗氏の学徒動員の経験のある4人の大先輩から、それぞれ当時を振り返りながら思い出が語られました。<br /><br /><br />■殴られるのが教育だった軍隊での毎日:江副隆愛(47文史)<br /><br /><a href="http://blog-imgs-89.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20151129153426cc9.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-89.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20151129153426cc9.jpg" alt="江副氏" border="0" width="120" height="120" /><br>江副氏</a><br /><br />軍隊での毎日の訓練は厳しかった。殴られるのが教育だった。海軍は訓練で5分前集合が基準だった。訓練で棒倒しなど競技で負けると夕飯抜きになったりするので夢中だった。自分は、飛行機の訓練中に特攻隊員となった。教官の同期が関行男君だったことで、それで当然と思っていた。飛行機で出撃しようにも燃料のガソリンが無く敗戦となった。帰宅して、おそるおそる家の庭から入って母親に「戦いに負けてしまって済みません」と謝った。今の若い人には、最近できた映画「永速のゼロ」を是非見てほしいと思っている。<br /><br /><a href="http://blog-imgs-89.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20151129153427019.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-89.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20151129153427019.jpg" alt="江添氏油絵" border="0" width="430" height="251" /></a><br />江添氏油絵<br /><br /><a href="http://blog-imgs-89.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20151129153429d74.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-89.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20151129153429d74.jpg" alt="講演の様子" border="0" width="430" height="287" /></a><br />講演の様子<br /><br />■山小屋で培った上智魂:中島重行(44専新)<br /><br /><a href="http://blog-imgs-89.fc2.com/c/u/m/cumsophia/2015112915343044a.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-89.fc2.com/c/u/m/cumsophia/2015112915343044a.jpg" alt="中島氏" border="0" width="120" height="120" /><br>中島氏</a><br /><br />この部屋の写真展示にある八ヶ岳の上智ヒュッテに跋渉班で昭和18年5月頃に行きました。私は、この山小屋で上智魂を培ったのです。学徒動員で陸軍に入隊して山梨の甲府重機関銃隊に配属されました。ところが訓練中に指をケガして病院に1ケ月入院してしまいました、その間にいろいろ勉強して陸軍予備士官学校に入りました。しかし、全員航空隊に移属し、私は水戸航空通信学校に入り見習士官になりました。終戦時は松戸航空隊にいました。やることもなくて昼寝していたら隊長に見つかって殴られた。幸い私は軍隊で殴られたのは、この時の1回だけでした。当時我々の乗る飛行機の修理等は、朝鮮人がやらされていました。朝鮮人の中には残酷にされた人もいて、恨み骨髓だったろう。朝鮮人には親玉がいて、人を集めて軍部に売り込んでいたようです。<br /><br /><a href="http://blog-imgs-89.fc2.com/c/u/m/cumsophia/1-4.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-89.fc2.com/c/u/m/cumsophia/1-4.jpg" alt="1-4.jpg" border="0" width="430" height="287" /></a><br />八ヶ岳ヒュッテ<br /><br /><a href="http://blog-imgs-89.fc2.com/c/u/m/cumsophia/201511291535168e8.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-89.fc2.com/c/u/m/cumsophia/201511291535168e8.jpg" alt="会場の様子1" border="0" width="430" height="287" /></a><br />会場の様子<br /><br />■宣戦布告に友達と「なんとバカなことをしたのか・・」と:村松正(49経経)<br /><br /><a href="http://blog-imgs-89.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20151129153519631.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-89.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20151129153519631.jpg" alt="松村氏" border="0" width="120" height="120" /><br>松村氏</a><br /><br />私は、戦争前年の昭和15年に大学予科に入りました。入学したもののドイツ語の授業には本当に苦労した。たしか東京外国語大学より、授業時間数が2時間多かったように思う。入学の翌年の昭和16年に宣戦布告があった。友達と「なんとバカなことをしたのか・・・」と、話合った記憶がある。昭和18年9月に学徒の召集猶予が解除され、10月21日に神宮外苑で学徒出陣壮行会があった。あまり真面目にやる気はなかったが、女子学生が観客席にいっぱいいて張り切ることになった。私は北朝鮮で幹部候補生になったが、兵隊ではなく経理学校に入った。満州に派遣され、通化に赴任した。現地の軍隊は日本本土は焼け野原にして、政治の中心を通化にもってくると考えていて、戦後は食糧など豊富にあり、居留民の面倒をみるため帰国が遅くなった。帰還途中、朝鮮の36度線でつかまり、ソ連のボルガのあたりまで連れていかれた。昭和23年に復学、半年で旧制で卒業した。<br /><br /><a href="http://blog-imgs-89.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20151129153518ca9.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-89.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20151129153518ca9.jpg" alt="会場の様子2" border="0" width="430" height="287" /></a><br />会場の様子<br /><br />■絶対に戦争はしてはならない:上田早苗(49経経)<br /><br /><a href="http://blog-imgs-89.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20151129153521a57.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-89.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20151129153521a57.jpg" alt="上田氏" border="0" width="120" height="120" /><br>上田氏</a><br /><br />1)軍隊のこと<br />当時特別幹部候補生が設けられ、私は一度受けて落ちたが、推薦で合格した。軍隊の教育方針に変更があって一度もなぐられたことはない。外地へ行く予定だったが、兵隊を運搬する船がなくなり、重機関銃隊に配属となった。私は、銃の訓練で100メートル先の石をはじき飛ばした。しかし昭和20年の4月からは自分一人が隠れる「タコツボづくり」となった。それは上陸した敵戦車対策だった。後はイモ作りの作業の食料確保で軍隊教育はなかった。終戦時は見習士官で天皇陛下の玉音放送を聴いた。<br /><br />2)上智のこと<br />上智に戻った時。ボッシュ神父から「共産党をどう思うか」と聞かれ、専門部へ入学した。昭和22年に結婚したので、卒業時には子供がいた。子供が可愛くて育児に忙しく、勉強できなかったのでノートを借りまくった。<br /><br />3)政治のこと<br />絶対に戦争はしてはならない。若い人に特に言いたい。一度認めると、あとは事後承諾で押し切られる。教育は恐ろしい。洗脳されると、それで良いことになる。そうならないようにしてほしい。<br /><br /><a href="http://blog-imgs-89.fc2.com/c/u/m/cumsophia/2015112915353718e.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-89.fc2.com/c/u/m/cumsophia/2015112915353718e.jpg" alt="記念撮影" border="0" width="430" height="287" /></a><br />記念撮影
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安保法案が成立:武市英雄(1960文英)

安保法案が成立安保法案は9月19日未明成立した。参院平和安全法特別委員会をテレビで見ていたが、はたしてこれが採決されたのかがよく分からない。鴻池委員長への問責決議案が否決され、再び委員会室へ戻ったとたん採決したというのだが、議事録を見るとその証拠がなかった。再開した時間もないし、賛否を採ったこともない。さらに本会議で採決が行われた。このような国会での紛糾場面が全世界へ報道されたことも、日本にとって大... <span style="font-size:large;">安保法案が成立</span><br /><br />安保法案は9月19日未明成立した。参院平和安全法特別委員会をテレビで見ていたが、はたしてこれが採決されたのかがよく分からない。鴻池委員長への問責決議案が否決され、再び委員会室へ戻ったとたん採決したというのだが、議事録を見るとその証拠がなかった。再開した時間もないし、賛否を採ったこともない。さらに本会議で採決が行われた。<br /><br />このような国会での紛糾場面が全世界へ報道されたことも、日本にとって大きな恥である。第二次世界大戦でも、政府や軍部が国の方針を誤った指導をしたのと同じように、ベトナム戦争やイラク戦争でも外国の政府は同じような誤りを犯している。<br /><br />その一つの誤りだけではない。年月がたつとまた再び同じ誤りを繰り返す。その犠牲者は弱い立場の一般庶民である。<br /><br />安全保障法案の骨子は「集団的自衛権の行使」「他国軍隊への後方支援の拡充」「国連PKO活動の拡充」「国連が主導していない国際平和協力への参加」「米軍などの武器等の防衛」「在外邦人の救出」「船舶検査活動の拡充」などである。<br /><br /><img src="http://blog-imgs-81.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20150922082856780.jpg" alt="安保法案成立イメージ800" border="0" width="430" height="323" /><br /><br /><span style="font-size:large;">ちぐはぐな答弁</span><br /><br />ただ審議をしている間、安倍晋三首相らの答弁にはあいまいさがただよう。法律に明記されていない「歯止め」をどうするのか。首相は14日の参院特別委で「今の国際情勢に照らせば、現実の問題として発生することは想定していない」と説明している。<br /><br />首相によると、中東・ホルムズ海峡で、日本人母子の乗船する図を掲げて説明した米艦防衛は、邦人乗船の有無とはかかわりないのが分かった。このように曖昧模糊とした状況をそのままにして、法案を可決するのはおかしいのではないだろうか。<br /><br />要するに答弁が前に言っている事と、後で言っている事が「ちぐはぐ」であるということは、問題点の「正体」がなくなってしまう。第二次世界大戦中、言論の自由を抑圧する法律はしだいに拡大してしまう事と同じである。<br /><br /><span style="font-size:large;">自立した若者の登場</span><br /><br />これに対して一部の一般国民は国会へ抗議行動に出かけた。とくに若者や女性たちは自発的に国会へ出向いた。昔は政党支持のデモが多く、一般国民は参加しにくい傾向はあったといえよう。とくに若者にとっては兵隊にとられるのではないかという恐れもあろう。女性にとっては家庭を守る心配もある。若者が自らの問題でじっくり考え、一定の考えを表明するのは望ましい。公職選挙法の改正で18歳に選挙権が成立するのも、このような傾向を促進するのによいことである。<br /><br /><span style="font-size:large;">一部のマス・メディアの偏向</span><br /><br />この安保法案を報道したマス・メディア(とくに新聞)は二つに分かれていた。朝日、毎日、東京は安保法案に反対。読売、産経、日経は安保法案に賛成。昔のように東京を中心とした全国紙が同じ報道をするのはよくないと思う。<br /><br />しかし、安保法案に関しては、国会のデモをほとんどと言ってよいくらい報じなかった新聞があった。<br />その新聞の歴史を将来見たら、デモの写真がほとんどなかったということになりそう。それでよいのだろうか。賛成する、賛成しないにかかわらず写真はきちんと撮るべきであったと思う。<br /><br /><span style="font-size:large;">新たな民主主義への確立</span><br /><br />これからは、とくに若者や女性を中心とした人びとに期待したい。新の「民主主義」を確立するのは若者の責任である。戦争中も、今も続く過度の「自主規制」からの離れるべき。自民党の中で正面から反対意見がでなかったのも、次の選挙への気遣いであろう。<br />(武市英雄(1960文英)メディア論、上智大学名誉教授)
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18歳から選挙権(武市英雄 ’60 文英)

 18歳や19歳はこどもなのか、大人なのかという疑問がある。「高校生が集まっても、趣味などたわいない話ばかりして、まだこどもだね」という人もいる。礼儀や人との付き合い方が分かっていない、ともいう。それでいて大人以上の犯罪をおかす人もいるので驚く。 一方で、東北の地震被災地へボランティアに出かける人もいる。海外の被災地へ救援活動する人も見られる。 このほど参議院本会議で、選挙権年齢を20歳以上から18歳以上...  18歳や19歳はこどもなのか、大人なのかという疑問がある。「高校生が集まっても、趣味などたわいない話ばかりして、まだこどもだね」という人もいる。礼儀や人との付き合い方が分かっていない、ともいう。それでいて大人以上の犯罪をおかす人もいるので驚く。<br /><br /> 一方で、東北の地震被災地へボランティアに出かける人もいる。海外の被災地へ救援活動する人も見られる。<br /><br /> このほど参議院本会議で、選挙権年齢を20歳以上から18歳以上に引き下げる改正公職選挙法が全会一致で可決し、成立した。国政選挙では来年夏の参院選から18歳以上が投票できる。<br /><br /> 18歳、19歳で240万人が増え、2%強を占める見通しになる。これは1945年に25歳以上から20歳以上に引下げられて以来、70年ぶりの改定になる。<br /><br /> しかし全世界的に見ると、18歳以上への引下げはかなり遅い。アメリカは18歳。すでに1970年代から。英国やドイツ、フランスも18歳以上。韓国は19歳以上。16歳以上の国もある。<br /><br /> いままでは20歳代の投票率が少ないので、18歳以上になっても投票率は上がらないのではないかと見られている。若者の政治離れが今後も続くのか。<br /><br /> 18歳以上に引き下げられたことによって、なんとか「政治離れ」を食い止めてもらいたい。「誰に投票したらよいのか」のキャンペーンを国や地方自治体、学校などが行ってほしい。高校生だけでなく、小、中学校でも「模擬投票」を実施してもらいたい。まず相手の話を聞いて、自分なりの疑問、質問を打ち出す。<br /><br /> 普通選挙の歴史とか、議員インターシップへの参加とか、投票所での事務補助など「生きた政治」への関心を広めることになろう。<br /><br /> それには、普段から時事問題への関心をつけてほしい。最近は各新聞紙とも主義、主張が違っているので、図書館などで各紙の紙面、社説を比較するのも一案である。<br /><br /> 政治がよくなるのは若者の使命でもある。もちろん大人の責任が大きいのは当然であろう。<br /><br /><img src="http://blog-imgs-59.fc2.com/c/u/m/cumsophia/201401132223218c7.jpg" alt="(7)武市英雄名誉教授" border="0" width="230" height="243" /><br />(武市英雄 ’60 文英 新聞学者 上智大学名誉教授)<br />
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放送の自律 〜 報ステ、クローズアップ現代、そして自民党調査会

ニュースにはいろいろな定義がある。「犬が人にかみついた時、それはニュースではない。人が犬にかみついた時、初めてニュースになる」(チャールズ・デイナ)などさまざまである。要するに何が起きているかを大衆に伝える日々の情報であろう。とくに自分がどう考え、行動したらいいのかの思考力を知らせる重要な情報といっていいと思う。そのニュースがいま話題になっている。テレビ朝日の「報道ステーション」の生放送中、元経済... ニュースにはいろいろな定義がある。「犬が人にかみついた時、それはニュースではない。人が犬にかみついた時、初めてニュースになる」(チャールズ・デイナ)などさまざまである。<br /><br />要するに何が起きているかを大衆に伝える日々の情報であろう。とくに自分がどう考え、行動したらいいのかの思考力を知らせる重要な情報といっていいと思う。<br /><br />そのニュースがいま話題になっている。テレビ朝日の「報道ステーション」の生放送中、元経済産業省官僚の古賀茂明氏が、古舘伊知郎キャスターと口論になってしまった。古賀氏が官邸などを批判した問題で、官房長官などからバッシングを受け、3月中で出演を断られたのではないか、と同氏が発言した。<br /><br />さらにNHKの「クローズアップ現代」でやらせ疑惑があったのではないかとの疑問が出た。昨年5月の多重債務者の問題で、ブローカーとされた男性が「ブローカーではない」と反論。両局とも一部、番組内容に問題があったことを認め、視聴者におわびしている。<br /><br />ところが自民党情報通信戦略調査会がこのたび両局の幹部を呼んで事情聴取した。<br />放送法に照らしてやっていると言っているが、放送局の一番組に政権党が介入していくのはいかがなものであろうか。<br /><br />すでにNHKや民放各社がつくっている「放送倫理・番組向上機構」(BPO)が2003年に設立され、視聴者などから指摘された番組の内容、取材、制作上の問題点を検証している。国や政権党が放送の一番組に介入すると、国の「圧力」や「権力の乱用にみなされかねない。<br /><br />もちろん放送法の第四条は「報道は事実をまげないですること」と定められている。公正なる報道を守らなければならない。しかし100%の公正さがないにしても、ジャーナリストがそれを目指して努力する以外にない。とくに日本のジャーナリズムに多い自主規制は避けるべきであろう。放送の自律をさらに確立しよう。<br />(武市英雄 '60 文英 新聞学者 元上智大学名誉教授)<br />
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二つのオリンピック(武市英雄 '60 文英)

前の日まで雨模様であった。だが第18回東京オリンピックの開会式(1964年10月10日)は、まさに青天であった。筆者もフィールド・ホッケーの取材を手伝った。この競技は当時日本ではあまり活発になっていなく、ルールを知るのに一苦労した。全国紙に入社して4年目で、金沢支局に勤めていたのを、東京へ駆り出された。この大会は戦後のスポーツ界の一大イベントであった。日本チームの活躍に小躍りした。女子バレー・ボール... 前の日まで雨模様であった。だが第18回東京オリンピックの開会式(1964年10月10日)は、まさに青天であった。筆者もフィールド・ホッケーの取材を手伝った。<br /><br />この競技は当時日本ではあまり活発になっていなく、ルールを知るのに一苦労した。全国紙に入社して4年目で、金沢支局に勤めていたのを、東京へ駆り出された。この大会は戦後のスポーツ界の一大イベントであった。日本チームの活躍に小躍りした。女子バレー・ボールや、三宅選手のウエイト・リフティングの優勝などに目を見張った。<br /><br />高度経済成長期で、家庭では冷蔵庫やテレビなどを買い求めた。高速道路や新幹線も導入されて、世の中が進行しているようだった。ところが、その後、反動になった。とくに1970年ごろから環境破壊が登場。水俣病、新潟水俣病、四日市の大気汚染などが続発。宅地造成で全国の地価が値上がりした。<br /><br />オリンピックと、社会の底の部分にあった現象が一気に出てきたと言えよう。六年後に再びオリンピックを迎える。確かにうれしく、日本全体が盛り上がっていこう。「おもてなし」や「日本料理ブーム」が今後も大いにもてはやされるだろう。<br /><br />だが、オリンピックのはなやかさと、それに参加できない人びとも含めて開催してもらいたい。冬季の長野オリンピックから始まっている一校一国運動をさらに続けてほしい。一つの小学校がまだ訪れたこともない国ぐにを応援する。とくに東日本大震災の被災地の人びとにも参加、応援してもらいたい。障害者スポーツのパラリンピックにもみんなで協力して行こう。<br /><br />オリンピックが選手だけでなく、多くの市民の参加になるように。「金」をどれだけ取るかというよりも、市民一人ひとりのもてなしで、各国の人びとを迎えたい。「参加することに意義がある」と述べたクーベルタン男爵に見習いたいと思う。笑顔をたやすことなく。(文 武市英雄 '60 文英)<br /><br /><a href="http://blog-imgs-56.fc2.com/c/u/m/cumsophia/201411161052474c3.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-56.fc2.com/c/u/m/cumsophia/201411161052474c3.jpg" alt="武市英雄記者時代" border="0" width="430" height="323" /></a><br />写真:フィールド・ホッケーの記者席(駒場競技場)での一枚
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学徒出陣から70周年 ある元特攻隊員の証言

学徒出陣から70周年【再録】ある元特攻隊員の証言 ~山本芳朗氏(1944専経)に聞く篠田愛理(1980院前外言)※この記事はコムソフィア誌第67号用に書き下ろした記事の再録です。 上智大学創立100周年を機会に母校のいろいろな歴史が堀り起こされています。今回私は縁あって、学徒動員、特攻隊を経験した山本芳朗(91歳)先輩にお目にかかり、当時のお話を聞くことができました。貴重な発言であると思い、ここにまとめて紹介することに... 学徒出陣から70周年<br />【再録】ある元特攻隊員の証言 ~山本芳朗氏(1944専経)に聞く<br />篠田愛理(1980院前外言)<br /><br />※この記事はコムソフィア誌第67号用に書き下ろした記事の再録です。<br /><br /> 上智大学創立100周年を機会に母校のいろいろな歴史が堀り起こされています。今回私は縁あって、学徒動員、特攻隊を経験した山本芳朗(91歳)先輩にお目にかかり、当時のお話を聞くことができました。貴重な発言であると思い、ここにまとめて紹介することにしました。<br /><br />山本 : 私は昭和17年、従兄弟の勧めで西宮甲陽学院から上智大学専門部経済学科に入学したが、戦況悪化のため20歳の秋、昭和18年9月に繰り上げ卒業となり徴兵検査を受けた。10月には「学徒出陣令」が発せられ、私は海軍を志願、12月に広島県呉の大竹海兵団に入隊した。秋の雨の明治神宮外苑での学徒出陣壮行会では、関東出身の上級生、同級生も多数参加した。<br /><br /> その後、昭和19年2月に海軍第一期飛行専修予備学生として、三重県津の海軍航空隊で教育を受けた。そこでは操縦、偵察、用務の三班に分けられ、私は偵察の訓練を受けた。三重県鈴鹿海軍航空隊に6月に入隊、偵察術、通信術、射撃、爆撃などの訓練を受けた。10月には特攻志願のアンケートがあり、熱望と答えた。<br /><br /> その後実戦部隊に配属されるはずだったが、燃料不足で訓練ができず、更にフィリピン、硫黄島などは玉砕、全機喪失などで、航空隊は内地に帰還。私は昭和20年3月に偵察教程を終了し、茨城県の百里原航空隊に転勤して「九七式艦上攻撃機」で訓練を受けた。本土決戦に備え特攻訓練を受ける<br /><br /> 米軍との本土決戦に備える「結号作戦」が計画され、霞ヶ浦航空隊に転勤して特攻訓練を受けたが、6月にはこの戦争に勝ち目がないことは分かっていた。日本が戦争に勝つも負けるも自分が死んだ後だろうと思った。<br /><br /> 昭和20年8月1日の前日から水戸が大規模な空襲を受け、日立も艦砲射撃を受けた。同月上旬のある夜中、「航空隊全員号令台前集合」のスピーカーが鳴り響いた。集合すると、司令官が「ただ今大島の見張所からの連絡で、数千隻の上陸用舟艇とおぼしきものが北上中。明朝には鹿島灘に上陸の気配。特攻隊は特攻用意、他は全員配置に就け」とのことだった。搭乗員待機で部屋に戻って遺書を書き、私物を行李に詰め、部屋付の従兵に行李の送付先住所と形見も渡し、共に死ぬことになる階下の下士官と盃を酌み交わした。その内時間が経過したが、搭乗員整列の号令がかからぬまま飛行場からは飛行機整備中の爆音がずっと聞こえていた。その後小隊長の命令で本部に行くと、「先ほどの情報は、見張所が夜光虫の光を敵の舟艇と見誤ったもの。総員解散!」と言われた。まったくお粗末なことだった。そして2週間後に終戦だった。天皇陛下の玉音放送を聞いて、正直ほっとした。「特攻隊員は、米軍が上陸してくると面倒だから早く家に帰れ」と隊長に言われたが、芦屋の自宅に帰ったのは8月25日頃だった。今年は学徒出陣から70周年を迎える。私は少尉で生還したが、特攻で戦死した士官の85%は学徒出陣出身者だったという事実は決して忘れてはならないと思っている。<br /><br />篠田 : 山本氏は生還したが、同期で親しかった大江桂一郎氏(昭和19専経)は特攻で戦死、暁星学園出身で一歳年上の石原正嘉氏(昭和18専商)も戦死されたという。<br /><br /> この二人は、山岳部で一緒に登山を楽しんだ仲だった。当時上智には学生数が少なかった割には20歳、21歳の学生の多くが学徒出陣後二年以内に戦死したと聞くと、胸が詰まる思いがする。上智大学創立100周年を盛大に祝い新たな世紀に入った今、この先輩たちに改めて鎮魂の祈りと不戦の誓いを捧げたいと思う。山本氏の話には興味深いものがまだまだあるので、機会をみてまとめたいと考えている。<br /><br />歴史の証言:1945年<br /><img src="http://blog-imgs-63.fc2.com/c/u/m/cumsophia/2014062114214344a.jpg" alt="東京空襲後の1号館" border="0" width="430" height="234" /><br />東京空襲で焦土化した紀尾井町界隈に立つ1号館(上智大学史資料室提供)<br /><br /><img src="http://blog-imgs-63.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20140621142345c25.jpg" alt="学生隊出陣1号館前" border="0" width="430" height="323" /><br />学生隊出陣1号館前(1943年11月15日・上智大学史資料室提供)<br /><br /><img src="http://blog-imgs-63.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20140621142431e6e.jpg" alt="山本氏(右)と筆者" border="0" width="430" height="323" /><br />特攻服を着た当時の写真を持つ山本氏(中央)と筆者(右)(2014年3月14日)
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四谷キャンパス学内ミステリーツアー体験記

10月19日(土)上智大学100周年記念拡大東京大会四谷キャンパス学内ミステリーツアー体験記10月19日(土)、20日(日)の2日間に渡って行われた「上智大学100周年拡大東京大会2013」の様々な催しの中の「四谷キャンパス学内ミステリーツアー」に参加したのでその模様をお伝えします。これは、時代と共に変貌を遂げた上智大学四谷キャンパスについて、卒業生のみなさんに少しでも現在のキャンパスに興味を持ってもらおうと、学内で... <blockquote><p><span style="font-size:large;">10月19日(土)<br />上智大学100周年記念拡大東京大会<br />四谷キャンパス学内ミステリーツアー体験記</span><br /></p></blockquote><br />10月19日(土)、20日(日)の2日間に渡って行われた「上智大学100周年拡大東京大会2013」の様々な催しの中の「四谷キャンパス学内ミステリーツアー」に参加したのでその模様をお伝えします。<br /><br /><img src="http://blog-imgs-60.fc2.com/c/u/m/cumsophia/IMG_6796.jpg" alt="IMG_6796.jpg" border="0" width="430" height="323" /><br /><br />これは、時代と共に変貌を遂げた上智大学四谷キャンパスについて、卒業生のみなさんに少しでも現在のキャンパスに興味を持ってもらおうと、学内でも興味深い場所をいくつかピックアップして解説付きでツアーしてくれるというもの。<br /><br />卒業してもはや数十年たつ我々にとって、現役時代のそれとはかなり違っているゆえに、このツアーに参加するのはまたとないチャンス。<br /><br /><strong><span style="font-size:large;">■2号館</span></strong><br /><br /><img src="http://blog-imgs-60.fc2.com/c/u/m/cumsophia/sophia2goukan.jpg" alt="sophia2goukan.jpg" border="0" width="320" height="480" /><br /><br />この日(10月19日)は、午前、午後と2回ツアーを実施。私は午後の回に参加。集合場所は2号館のロビー。そもそもこの2号館も私の現役時代にはありませんでした。(2005年竣工)<br /><br /><img src="http://blog-imgs-60.fc2.com/c/u/m/cumsophia/DSC_0003.jpg" alt="DSC_0003.jpg" border="0" width="430" height="288" /><br /><br />ほとんど覚えてないんですが、この場所は関係者のための駐車場だったようです。今では7号館を抜いて、四谷キャンパス随一の高いビル(17階建て)になっています。この回は、ソフィア会ASF実行委員の三上彰さんがツアコンしてくださいました。<br /><br /><img src="http://blog-imgs-60.fc2.com/c/u/m/cumsophia/IMG_6809.jpg" alt="IMG_6809.jpg" border="0" width="430" height="323" /><br /><br />まず一行は2号館の地下1階へ。ここには上智大学の火災や災害を見守る「防災センター」があります。<br /><br /><img src="http://blog-imgs-60.fc2.com/c/u/m/cumsophia/IMG_6810.jpg" alt="IMG_6810.jpg" border="0" width="430" height="323" /><br /><br />続いて同階にはいわゆる購買部、現在は「丸善ソフィアショップ」という名称で、学校関係の書物からキャンパスグッズが販売されています。<br /><img src="http://blog-imgs-60.fc2.com/c/u/m/cumsophia/IMG_6812.jpg" alt="IMG_6812.jpg" border="0" width="430" height="323" /><br /><br /><img src="http://blog-imgs-60.fc2.com/c/u/m/cumsophia/IMG_6815.jpg" alt="IMG_6815.jpg" border="0" width="430" height="323" /><br /><br />学生たちは教科書や書籍、雑誌などは10%引き、文房具は20%引きで購入できます。ツアーに参加された方々もこの日は学生に戻った気分でキャンパスグッズを買い求めていました。<br /><br /><img src="http://blog-imgs-60.fc2.com/c/u/m/cumsophia/IMG_6811.jpg" alt="IMG_6811.jpg" border="0" width="430" height="323" /><br /><br />またこの地下1階には上智大学が誇る「テレビセンター」があります。新聞学科の実習に主に利用されていますが、学芸員課程での「視聴覚教育」実習にも利用されているそうです。<br /><br /><img src="http://blog-imgs-60.fc2.com/c/u/m/cumsophia/tvcenter.jpg" alt="tvcenter.jpg" border="0" width="430" height="308" /><br>テレビセンターページより<br /><br />ちなみにこの階には以前散髪店もあったそうですが、現在は閉店しているそうです。<br /><br /><img src="http://blog-imgs-60.fc2.com/c/u/m/cumsophia/IMG_6820.jpg" alt="IMG_6820.jpg" border="0" width="430" height="323" /><br /><br />一行はエレベーターで同2号館の17階に一気に上ります。ここに展望ロビーがあります。主に校舎の北側(新宿方面)の景色が一望できます。<br /><br /><img src="http://blog-imgs-60.fc2.com/c/u/m/cumsophia/IMG_6821.jpg" alt="IMG_6821.jpg" border="0" width="430" height="323" /><br>(真下がイグナチオ教会)<br /><br />ちなみにこの階の一つ下(16階)に立ち寄って校舎の東側の窓から覗くと、東京スカイツリーが見えました。<br /><br /><strong><span style="font-size:large;">■1号館</span></strong><br /><br /><img src="http://blog-imgs-60.fc2.com/c/u/m/cumsophia/IMG_6830.jpg" alt="IMG_6830.jpg" border="0" width="430" height="323" /><br /><br />続いて2号館の向かい側の1号館へ。この校舎は上智大学創設後昭和7年(1932)に竣工され、現在までほぼオリジナルのデザインで修復を重ねながら残して来られた由緒ある校舎です。1階廊下の梁が、アーチ形をしておりそれが連なる様子はヨーロッパの修道院を思わせます。<br /><br /><img src="http://blog-imgs-60.fc2.com/c/u/m/cumsophia/IMG_6833.jpg" alt="IMG_6833.jpg" border="0" width="430" height="323" /><br /><br />この1号館の秘密は、ほとんど通常通らない地下を通ると東側の端に上智大学新聞の部室があることと、その向かい側に、大学構内の清掃を請け負う「二幸産業」さんの分室があること。<br /><br /><img src="http://blog-imgs-60.fc2.com/c/u/m/cumsophia/IMG_6835.jpg" alt="IMG_6835.jpg" border="0" width="430" height="323" /><br /><br />調べて驚いたのですが、この二幸産業の創業者の小林保廣氏は清掃業界の有名人のようで、小林氏を取材した書物「夢と生きる」が出版されており、その中の章に「ピタウ学長から学ぶお掃除哲学」があるほどです。<br /><br /><strong><span style="font-size:large;">■3号館ー8号館</span></strong><br /><br /><img src="http://blog-imgs-60.fc2.com/c/u/m/cumsophia/IMG_6837.jpg" alt="IMG_6837.jpg" border="0" width="430" height="323" /><br /><br />続いて3号館を通って地下から8号館へ。8号館は主に理工学部の教授室や研究室がある校舎で、理工学部を卒業した私にとって馴染みの深い場所でもあります。<br /><br /><img src="http://blog-imgs-60.fc2.com/c/u/m/cumsophia/IMG_6843.jpg" alt="IMG_6843.jpg" border="0" width="430" height="323" /><br /><br />またここには体育館が隣接しており、地下はプール施設の待合場所にもなっています。<br /><br /><strong><span style="font-size:large;">■9号館</span></strong><br /><br /><img src="http://blog-imgs-60.fc2.com/c/u/m/cumsophia/IMG_6846.jpg" alt="IMG_6846.jpg" border="0" width="430" height="323" /><br /><br />一行は8号館地下からとなりの9号館地下へ。ここにはピアノレッスン室などがあります。ここは上智の社会福祉専門学校の生徒のための実習室。こんなところがあるとは知らなかった・・。<br /><br /><img src="http://blog-imgs-60.fc2.com/c/u/m/cumsophia/IMG_6851.jpg" alt="IMG_6851.jpg" border="0" width="430" height="323" /><br /><br />続いてエレベータを使って9号館の6階へ。ここは主に心理学科の研究室などがあるのですが、臨床心理学室がありました。<br /><br /><strong><span style="font-size:large;">■10号館</span></strong><br /><br /><img src="http://blog-imgs-60.fc2.com/c/u/m/cumsophia/IMG_6856.jpg" alt="IMG_6856.jpg" border="0" width="430" height="323" /><br /><br />一行はここから渡り廊下を伝っておとなり10号館へ渡ります。<br /><br /><img src="http://blog-imgs-60.fc2.com/c/u/m/cumsophia/IMG_6857.jpg" alt="IMG_6857.jpg" border="0" width="430" height="323" /><br />9号館の校舎の側面に鳥が巣を作らないように多数の突起が作りつけてありました。<br /><br /><img src="http://blog-imgs-60.fc2.com/c/u/m/cumsophia/IMG_6862.jpg" alt="IMG_6862.jpg" border="0" width="430" height="323" /><br /><br />10号館には最も多くの人が収容できる大講堂(定員700人)がありますが、6階にはカウンセリングセンターや女性支援センターなどがあります。ここには国際教養学部(以前の比較文化学部)の教授室や研究室が並んでいます。国際的な校舎なんですね。<br /><br /><strong><span style="font-size:large;">■11号館</span></strong><br /><br /><img src="http://blog-imgs-60.fc2.com/c/u/m/cumsophia/IMG_6868.jpg" alt="IMG_6868.jpg" border="0" width="430" height="323" /><br>(右の扉が託児所)<br />10号館を出て、その奥の11号館へ。11号館は1992年竣工。大学構内でも最も奥にあるので何かと不思議が詰まっているようです。ちなみに11号館の地下には様々な運動部や文化部の部室がひしめき合っていました。11号館の入口には託児所。もはや学生で子持ちも当たり前の時代です。<br /><br /><strong><span style="font-size:large;">■紀尾井坂ビル</span></strong><br /><br /><img src="http://blog-imgs-60.fc2.com/c/u/m/cumsophia/IMG_6872.jpg" alt="IMG_6872.jpg" border="0" width="430" height="323" /><br /><br />ここを通りすぎて中に入ると、「上智紀尾井坂ビル」に通じています。驚いたことに、エレベータで上ると、そこはもはや校舎ではなく、マンション。そうです、ここに一部の教員や神父さまの住居があるんです。これも知りませんでした。<br /><br /><img src="http://blog-imgs-60.fc2.com/c/u/m/cumsophia/IMG_6875.jpg" alt="IMG_6875.jpg" border="0" width="430" height="323" /><br /><br />11号館の2階にはファストフードチェーンの「サブウェイ」も入ってるんですよ。なんと「サブウェイ」の責任者の方が上智大学出身だからだとか・・・。<br /><br /><strong><span style="font-size:large;">■中央図書館</span></strong><br /><br /><img src="http://blog-imgs-60.fc2.com/c/u/m/cumsophia/IMG_6879.jpg" alt="IMG_6879.jpg" border="0" width="430" height="323" /><br /><br />そして最後は11号館手前、10号館の向かいの図書館(中央図書館)でツアーのゴールを迎えました。この中央図書館は1984年に開館。地下2階から地上8階の10フロアに人文・社会系および理工系の図書約100万冊と雑誌約11,000誌を所蔵しているそうです。<br /><br /><img src="http://blog-imgs-60.fc2.com/c/u/m/cumsophia/DSC_0004.jpg" alt="DSC_0004.jpg" border="0" width="430" height="288" /><br /><br />ということで普段なかなか分からなかった四谷キャンパスの細部を歩いて回ることができて大変満足です。これからは時間の余裕があるときはぜひ「丸善ソフィアショップ」にも足を運んでみたいし、カフェテリアやサブウェイにも立ち寄ってみたいと思いました。引率くださったソフィア会の三上さんありがとうございました。(レポート 土屋夏彦 '80理電)<br /><br /><br />(参考)<br />100周年拡大東京大会<br /><a href="http://www.sophiakai.gr.jp/news/news/2013/2013101901.html" target="_blank" title="http://www.sophiakai.gr.jp/news/news/2013/2013101901.html">http://www.sophiakai.gr.jp/news/news/2013/2013101901.html</a><br /><br />上智大学100年公式ページ<br /><a href="http://sophiauniv100.jp/" target="_blank" title="http://sophiauniv100.jp/">http://sophiauniv100.jp/</a><br /><br />テレビセンター<br /><a href="http://ccweb.cc.sophia.ac.jp/tvc/index.html" target="_blank" title="http://ccweb.cc.sophia.ac.jp/tvc/index.html">http://ccweb.cc.sophia.ac.jp/tvc/index.html</a><br /><br />図書館概要<br /><a href="http://www.sophia.ac.jp/jpn/research/lib/facilities/gaiyo" target="_blank" title="http://www.sophia.ac.jp/jpn/research/lib/facilities/gaiyo">http://www.sophia.ac.jp/jpn/research/lib/facilities/gaiyo</a><br /><br />二幸産業の本<br /><a href="http://www.nikoh-sng.co.jp/company/book1.html" target="_blank" title="http://www.nikoh-sng.co.jp/company/book1.html">http://www.nikoh-sng.co.jp/company/book1.html</a>
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嶋浩一郎さんの「本屋B&B」に行ってきました

3月の三水会で講演いただいた、嶋浩一郎さんの「本屋B&B」(http://bookandbeer.com)に行ってきました。本屋B&Bの入口下北沢南口から歩いてすぐのお店です。とても家庭的で温かい雰囲気のお店です。お店の方のこだわりがわかる、さりげなくジャンル別になっている書棚をいろいろと見ていると、時間が経つのをすぐに忘れてしまいます。店内の様子うかがった4月29日(月)は、夕方トークショウが行われ、ビール片手に出演者も来場者... 3月の三水会で講演いただいた、嶋浩一郎さんの「本屋B&B」(http://bookandbeer.com)に行ってきました。<br /><br /><img src="http://blog-imgs-60.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20130503104818f6a.jpg" alt="本屋B&B入口" border="0" width="323" height="430" /><br />本屋B&Bの入口<br /><br />下北沢南口から歩いてすぐのお店です。とても家庭的で温かい雰囲気のお店です。<br /><br />お店の方のこだわりがわかる、さりげなくジャンル別になっている書棚をいろいろと見ていると、時間が経つのをすぐに忘れてしまいます。<br /><br /><img src="http://blog-imgs-60.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20130503105015151.jpg" alt="本屋B&Bの店内" border="0" width="430" height="323" /><br />店内の様子<br /><br />うかがった4月29日(月)は、夕方トークショウが行われ、ビール片手に出演者も来場者も、盛り上がりました。会場はすごい熱気で、イベントの後も、店内で本を見ながら、語り合っている人が沢山いました。単なる本屋ではなく、ビール片手の交流の場として、さまざまな輪が広がっていくようなエネルギーを感じました。<br /><br />本屋B&Bはそのような場を提供して大きな潮流を起こしてくれるような気がしました。<br /><br />ところでトークショウ(http://bookandbeer.com/blog/event/20130429_bt/)は、<br /> <br />テーマ:「60年代のドロップアウト 10年代のサバイバル」<br />出演者:ロバート・ハリス氏、家入一真氏、高木新平氏<br /><br />多様な生き方があってよいのではないか、組織に属さず自由に生きていくこと、ネット世代はネットを使った「ゆるやかな連帯」という形での仲間を作り、例えば、「よるヒルズ」というシェアハウスでの共同生活をしている等々 ロバート・ハリスさんを交えての面白い意見交換でした。<br /><br /><img src="http://blog-imgs-60.fc2.com/c/u/m/cumsophia/2013050310532801b.jpg" alt="トークショウの模様2" border="0" width="430" height="323" /><br />トークショウの様子<br /><br /><img src="http://blog-imgs-60.fc2.com/c/u/m/cumsophia/201305031052027fd.jpg" alt="トークショウの模様1" border="0" width="430" height="323" /><br />トークショウの様子<br /><br />最後にソフィアンのロバート・ハリス氏とちょっとお話しました。上智のイベントで講演に行くのを楽しみにしているとのことでした。さて何のイベントなんでしょう?そこまで聞きそこねてしまいました。<br />(報告 山田洋子'77外独)<br /><br />■ロバート・ハリス氏の最近の作品を紹介します<br /><br /><table border="0" cellpadding="5"><tr><td valign="top"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/479496904X/twoc-22/" target="_blank"><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/51hcoMlvZAL._SL160_.jpg" border="0" alt="WOMEN ウィメン: ぼくが愛した女性たちの話" /></a></td><td valign="top"><font size="-1"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/479496904X/twoc-22/" target="_blank">WOMEN ウィメン: ぼくが愛した女性たちの話</a><br />ロバート・ハリス <br /><br />晶文社 2013-06-10<br />売り上げランキング : 90142<br /><br /><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/479496904X/twoc-22/" target="_blank">Amazonで詳しく見る</a></font><font size="-2"> by <a href="http://www.goodpic.com/mt/aws/index.html" >G-Tools</a></font></td></tr></table><br /><table border="0" cellpadding="5"><tr><td valign="top"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4861133203/twoc-22/" target="_blank"><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/51DNFxDO%2BEL._SL160_.jpg" border="0" alt="自由への一歩" /></a></td><td valign="top"><font size="-1"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4861133203/twoc-22/" target="_blank">自由への一歩</a><br />ロバート・ハリス <br /><br />発行:NORTH VILLAGE<br />売り上げランキング : 289075<br /><br /><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4861133203/twoc-22/" target="_blank">Amazonで詳しく見る</a></font><font size="-2"> by <a href="http://www.goodpic.com/mt/aws/index.html" >G-Tools</a></font></td></tr></table><br /><table border="0" cellpadding="5"><tr><td valign="top"><a href="http://www.febe.jp/product/144737" target="_blank"><img src="http://www.febe.jp/book_img/144737.jpg" width=120 height=120 border="0" alt="オーディオブック ロバート・ハリスのEXILES" /></a></td><td valign="top"><font size="-1"><a href="http://www.febe.jp/product/144737" target="_blank">オーディオブック ロバート・ハリスのEXILES</a><br />ロバート・ハリス <br /><br />15時間23分<br />ファイル容量:845.6 MB (通常版) <br /><br /><a href="http://www.febe.jp/product/144737" target="_blank">FeBeで詳しく見る</a></font><font size="-2"> by <a href="http://www.febe.jp/" >FeBe</a></font></td></tr></table>
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サルデーニャ島へ・・・枝川葉子('72外独)

2013年2月16日NO MORE The “bombed” Mary 「被爆マリア」のお供でピタウ神父の故郷サルデーニャ島へ枝川葉子('72外独)ボナリアの聖母教会祭壇前に置かれた「被爆マリア」今、「被爆マリア(The “bombed” Mary)」存在をどのくらいの人が知っているでしょうか。私は、さる12月29日ピタウ神父(元上智大学学長)の故郷イタリア・サルデーニャ島で開催された第26回平和行進に「被爆マリア」のお供として参加しました。この「被爆マ... 2013年2月16日<br /><br /><strong>NO MORE The “bombed” Mary </strong><br /><span style="font-size:large;">「被爆マリア」のお供でピタウ神父の故郷サルデーニャ島へ</span><br /><br />枝川葉子('72外独)<br /><br /><img src="http://blog-imgs-60.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20131021085222c1c.jpg" alt="ボナリアの聖母像" border="0" width="320" height="457" /><br />ボナリアの聖母教会祭壇前に置かれた「被爆マリア」<br /><br />今、「被爆マリア(The “bombed” Mary)」存在をどのくらいの人が知っているでしょうか。<br /><br />私は、さる12月29日ピタウ神父(元上智大学学長)の故郷イタリア・サルデーニャ島で開催された第26回平和行進に「被爆マリア」のお供として参加しました。この「被爆マリア」の平和巡礼行進は、ピタウ神父の弟アンジェロ・ピタウ神父の教区デットリ大司教が、マリア像のある長崎浦上教会に派遣要請され実現したものです。<br /><br /><blockquote><p>※(<a href="http://www.nagasaki-np.co.jp/news/kennaitopix/2012/12/27021147008866.shtml" target="_blank" title="長崎新聞の記事">長崎新聞の記事</a>より引用)「被爆マリア」の像は、爆心地から約500メートルの旧天主堂の祭壇で被爆。焼け跡から頭部(約30センチ)だけが見つかったもの。現在も浦上天主堂(長崎市本尾町)に安置されているが、サルデーニャ島のアンジェロ・ピタウ神父が4月、元上智大学長の兄ヨゼフ・ピタウ大司教を東京に訪ねた際、マリア像の存在を知り、平和行進への派遣を浦上教会側に依頼。同教会主任司祭の小島栄神父や上智大の卒業生ら7人が2012年12月27日~1月4日の日程で、イタリアを巡礼することになった。(被爆マリア像の海外巡礼は4回目)</p></blockquote><br /><br />今回私がこの行進に参加することになったのは、2010年の12月に「ピタウ先生が語る会」で「被爆マリア」の数奇な運命について書かれた冊子のコピーを参加者に配布し、紹介したのが始まりです。<br /><br /><img src="http://blog-imgs-44.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20130218095017e3a.jpg" alt="サルディーニャ島での平和行進" border="0" width="430" height="297" /><br />サルデーニャ島での第26回平和行進<br /><br />この「被爆マリア」の平和巡礼行進には、日本から浦上教会の小島栄主任神父と「ピタウ先生が語る会」のメンバー6人―筆者('72外独)、岡山康子('74外仏)、有馬啓介('73法法)、町田雅昭('68外英)、村田千佳(東京芸大講師)、佐藤牧子(習志野教会)が参加しました。サルデーニャ島は、四国ほどの大きさでローマの西の沖に位置しています。<br /><br /><img src="http://blog-imgs-44.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20130218095724e3c.jpg" alt="ボナリアの聖母教会" border="0" width="430" height="298" /><br />被爆マリア像を囲んでのミサ(ボナリアの聖母教会)<br /><br />平和行進が始まる前日28日は、サルデーニャ島のカリアリ大司教区ボナリアの聖母教会で集会が持たれました。小島神父が、「被爆マリア」を掲げて入場すると聖堂を埋めた大勢の方が立って、その視線は一斉にマリア像に向けられました。この木彫のマリア像は、原子爆弾を被爆したにも関わらず奇跡的にその姿をとどめ、今またイタリアの人々に強く温かい信仰心で迎えられました。私は、この光景に感動して鳥肌が立つほどでした。その後、歓迎会、平和シンポジウム、ミサがあり、教会内には日本から持参した原爆資料も展示されました。夕方7時からは、村田千佳さんによる「平和のピアノコンサート」があり、大好評でした。<br /><br /><img src="http://blog-imgs-44.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20130218095819c83.jpg" alt="原爆資料展の様子" border="0" width="430" height="303" /><br />ボナリアの聖母教会内での原爆資料展(カナリア大司教区)<br /><br /><span style="font-size:large;">「被爆マリア」を檀上に置いて平和アピール<br /> NO MORE The “bombed” Mary </span><br /><br />翌29日私たちは、サン・ガヴィーノ・モンレアーレへ移動し、サンタ・キアラ教会での歓迎会、ミサに出席しました。第26回平和行進は、3時から聖職者と州知事、市長と市民5,6千人がブラスバンドの演奏に合わせて村道をのんびり行進しました(YouTubeで見れます)。私たちは、先頭に次ぐグループとして参加しました。その後教会前で、「被爆マリア」を檀上に置いて平和アピールがあり、デットリ大司教やアンジェロ神父の力強いスピーチがありました。<br /><br />30日私たちは、「被爆マリア」と一緒に島内のサン・ニコロ教会、サクロ・クオレ教会そしてピタウ先生の故郷ヴィラ・チドロのサンタ・バルバラ教会を訪れ、大歓迎を受けました。素朴なサルデーニャの人々の篤い信仰心に心打たれました。31日にローマへ移動し、1日はジェズ教会で新年のミサに与りました。<br /><br /><br /><img src="http://blog-imgs-44.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20130218095931608.jpg" alt="被曝マリア像について説明するアンジェロピタウ神父" border="0" width="430" height="286" /><br />サンタ・キアラ教会広場で平和行進に参加した市民を前に「被爆マリア」を横に力強く平和アッピールするアンジェロ・ピタウ神父(ピタウ神父・弟)。地元テレビ局も取材にきた。<br /><br />そして2日は、いよいよ教皇謁見の日です。謁見ホール入り口で「被爆マリア」と代表4人は特別謁見の座席に案内され、そこで偶然以前上智におられたオロリッシュ大司教(ルクセンブルグ)に再会し、皆大感激でした。そして特別謁見の場にも付き添って私たちを教皇に上智卒業生とご紹介くださいました。私たちは、今回のミッションにおいてすべてのことがマリア様のお恵みに満ちていて、支援してくださった神父様や成功を祈ってくださった多くの友人たちのおかげと感謝の気持ちでいっぱいです。<br /><br /><img src="http://blog-imgs-44.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20130218100037440.jpg" alt="教皇と握手する枝川氏" border="0" width="430" height="302" /><br />被爆マリア像を前に教皇と握手する枝川氏
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サックスの音色に乗せて〜「MUSIC NIGHT ファンドレイジングパーティー(仮称)」大盛況!

■名称   MUSIC NIGHT ファンドレイジングパーティー(仮称)■日時   2013年1月10日(木)19時~21時■場所   レストラン 「ザ ファルチ ガーデンテラス」(ゲートシティ大崎)■参加者数 40名集合写真(クリックで拡大)2013年上智大学創立100周年YEARの幕開けとして、有志による資金調達イベント「MUSIC NIGHT ファンドレイジングパーティー(仮称)」が開かれました。ドナル・ドイル神父様(ソフィア会副会長)の乾杯... <blockquote><p>■名称   MUSIC NIGHT ファンドレイジングパーティー(仮称)<br />■日時   2013年1月10日(木)19時~21時<br />■場所   レストラン 「ザ ファルチ ガーデンテラス」(ゲートシティ大崎)<br />■参加者数 40名</p></blockquote><br /><img src="http://blog-imgs-44.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20130119160648905.jpg" alt="②集合写真RIMG38506" border="0" width="430" height="256" onclick="popupImage('http://blog-imgs-44.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20130119160648905.jpg')" /><br />集合写真(クリックで拡大)<br /><br />2013年上智大学創立100周年YEARの幕開けとして、有志による資金調達イベント「MUSIC NIGHT ファンドレイジングパーティー(仮称)」が開かれました。ドナル・ドイル神父様(ソフィア会副会長)の乾杯のご挨拶の後、司会の三溝真季さん('84年法・国)の進行でスタート。<br /><br /><img src="http://blog-imgs-44.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20130119164027850.jpg" alt="ドナル氏三溝氏" border="0" width="430" height="323" onclick="popupImage('http://blog-imgs-44.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20130119164027850.jpg')" /><br />左:ドナル・ドイル神父様/右:司会の三溝真季さん('84年法・国)<br /><br />ソフィアンのサックス奏者:高橋三雄さん('64年経商)とピアノ伴奏:深澤芳美さん(上智短大3期生)がファンドレイジングの意向を汲んでのステージパフォーマンスを快く引き受けて下さり、高橋さんの絶妙のトークと息のあった演奏、そして、特別ゲストのヴォーカルyasmineさん(友情出演)やソフィアコンサートバンド先輩の小川晋一さん('60年経経)の飛び入り共演(タンバリン、ハーモニカ)も花を添え、参加者全員が温かい音色とおいしい料理を満喫できました。<br /><br />最後は高橋さんのサックスの力強いメロディーをバックに全員で校歌を熱唱。美しい音色の余韻を残しながらのお開きとなりました。 100周年YEARの幕開けにふさわしいすばらしい催しでした。何よりも、心がこもった演奏で、参加者全員は幸福な心地よい時間を過ごすことができました。<br /><br /><img src="http://blog-imgs-44.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20130119164634d6e.jpg" alt="高橋バンド" border="0" width="430" height="323" onclick="popupImage('http://blog-imgs-44.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20130119164634d6e.jpg')" /><br />左上から:高橋さんのトーク:右上:ヴォーカルyasmineさんとのセッション<br />左下:ピアノ演奏深澤さんの紹介:右下:ハーモニカを演奏する小川晋一さん('60年経経)<br /><br />なお、チケットの収益とバザー・オークション提供品の売上金を合わせた全額約10万円は、上智大学創立100周年記念事業募金へ寄付されることになっています。(詳細は後日ソフィア会HPに投稿)<br /><br /><img src="http://blog-imgs-44.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20130119165002af2.jpg" alt="⑪萱間さん挨拶RIMG38468" border="0" width="430" height="323" onclick="popupImage('http://blog-imgs-44.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20130119165002af2.jpg')" /><br />挨拶する上智学院財務局募金室グループ:萱間隆夫さん<br /><br />報告 山田洋子('77外独卒)<br /><hr size="1" /><br />●演奏した曲目について<br />サックス奏者高橋氏に伺ったところ、普通のライブでは適当に選曲をしている人が多いそうだが、同氏はいつも、ライブの特徴、客層、季節などを配慮して選曲をなさるそうだ。<br /><br />例えば:<br />・上智大学の創立100周年を祝い、Anniversary Song <br />・上智大学はカトリック系なので、What a friend we have in Jesus等の聖歌<br />・季節感のある曲目では、冬は空気が澄んで星がきれいなので、Star dust<br />・おめでたい席なのでハッピーな曲→’S wonderful、L.O.V.E. When you’re smiling, What a wonderful world などが盛り込まれた。<br /><br />今回の演奏は以下の全13曲:<br />1stステージ 1.When you’re smiling 2.Anniversary song 3.What a wonderful world 4.Shadow of your smile 5.What a friend we have in Jesus 6.Misty<br />2nd ステージ 1.L.O.V.E. 2.Star dust 3.Amazing grace 4.Fly me to the moon (Vocal yasmine) 5.Moon river (Vocal yasmine) 6.’S wonderful 7.Home sweet home<br />2nd ステージでは、可憐な歌姫 yasmineさんも登場し、透き通るような美しい歌声に全員うっとりした。<br /><br /><img src="http://blog-imgs-44.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20130119165305502.jpg" alt="⑦ムーンリバーを歌うyasmineさんRIMG38420" border="0" width="320" height="427" onclick="popupImage('http://blog-imgs-44.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20130119165305502.jpg')" /><br />ムーンリバーを歌うyasmineさん。ところで皆さん、yasmineさんを学内のどこかで見かけたことはありませんか?<br /><br />休憩時間には、上智学院 総務局学院改革推進室の加藤希さんより創立100周年記念事業プロジェクトの「救缶鳥」の紹介と試食があった。また、オークションやバザー品の福袋販売も会場を一層盛り上げた。<br /><br /><img src="http://blog-imgs-44.fc2.com/c/u/m/cumsophia/2013011916575443c.jpg" alt="救缶鳥" border="0" width="430" height="323" onclick="popupImage('http://blog-imgs-44.fc2.com/c/u/m/cumsophia/2013011916575443c.jpg')" /><br />右:加藤希さんが「救缶鳥」を紹介:左:「救缶鳥」を紹介しているのは、もしかして、ヴォーカルのyasmineさん?<br /><br />●「救缶鳥」とは 非常食用の缶詰のパンで、世界中の飢餓に苦しむ人々のため国際貢献プロジェクト。なお上智学院の申込用紙で購入すると代金の一部は東日本大震災で被災した上智大学学生の支援に充てられる。<br />(参考)<a href="http://www.sophia.ac.jp/jpn/info/news/2011/12/globalnews_358/20111220nhk" target="_blank" title="http://www.sophia.ac.jp/jpn/info/news/2011/12/globalnews_358/20111220nhk">http://www.sophia.ac.jp/jpn/info/news/2011/12/globalnews_358/20111220nhk</a> <br /><br />●マスコミソフィア会向山さんは、オークションの目玉商品のパーティーバッグを競り落とし、すぐその後に、ピアノ演奏の深澤芳美さんにプレゼントすることを発表。会場の女性全員から「向山さん、かっこよすぎ!」と歓声があがった。<br /><br /><img src="http://blog-imgs-44.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20130119170341f1d.jpg" alt="向山さん" border="0" width="430" height="323" onclick="popupImage('http://blog-imgs-44.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20130119170341f1d.jpg')" /><br />右:オークションのバッグ 向山さん・岩瀬さん:左:深澤さんにプレゼント<br /><br />●バザー売り場 有志により提供された品物を福袋として13セット用意し、完売。<br /><br /><img src="http://blog-imgs-44.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20130119170857ea5.jpg" alt="⑰バザー売り場&美女の売り子RIMG38239" border="0" width="430" height="323" onclick="popupImage('http://blog-imgs-44.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20130119170857ea5.jpg')" /><br />バザー売り場&美女の売り子(岩瀬さん)<br /><br />●校歌の後に 古屋毅さん、(埼玉ソフィア会事務局・57年経商)より、現在の大学では、校歌を知らない学生が多く、校歌を歌う機会を増やしたい旨のスピーチもあった。ちなみに、校歌演奏には、100周年を記念して作られた「校歌二部合唱」(コムソフィア賞濱口賞受賞の信長貴富さん('94年文教)編曲)の楽譜が配布された。<br /><br /><img src="http://blog-imgs-44.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20130119171141254.jpg" alt="古屋さん" border="0" width="430" height="323" onclick="popupImage('http://blog-imgs-44.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20130119171141254.jpg')" /><br />右:「古屋毅さん(埼玉ソフィア会事務局・'57年経商):左:「校歌」を全員で歌う。<br /><br /><img src="http://blog-imgs-44.fc2.com/c/u/m/cumsophia/201301191712484f6.jpg" alt="⑱発起人7名の勇気ある女性+坂本さんiRIMG38230" border="0" width="430" height="323" onclick="popupImage('http://blog-imgs-44.fc2.com/c/u/m/cumsophia/201301191712484f6.jpg')" /><br />発起人7名の勇気ある女性(写真左から)山田洋子('77年外独)、木下和子('78年経営)、秋澤マリー真澄('92年比比)、三溝真季('84年法国)、服山玲子('75年文史)、岩瀬深雪('78年外独)、高野良子('98年法法)、 坂本理恵さん('89年比比)<br /><br /><hr size="1" />●主な方のプロフィール<br /><br />■高橋三雄さん('64年経商)アルトサックス奏者<br />横須賀市出身。栄光学園中学校ブラスバンドでクラリネットを担当。(ドナル・ドイル神父様も栄光学園で教鞭をとられていたこともありお喜びであった。)上智大学在学中にサックスも習得し、ソフィアコンサートバンドに所属。クラシックからジャズまで幅広い演奏活動を行ってきた。また、ニューオリンズジャズの普及にも努め、ニューオリンズ市より名誉市民賞も授与されている。現在はアルトサックスとクラリネットのワンホ―ンバンド(管楽器奏者が一人だけのバンド)の演奏中心に、東京、湘南、横浜等を中心にライブ活動を行っている。「Big18ジャズオーケストラ」コンサートマスター、 「高橋三雄とシャイニ―ズ」(2008年8月結成)。「高橋サックス教室」(2002年開設)、後進の指導にもあたっている。音楽的信条:「歌心を重視し良い音でスインギ―なジャズ」<br />今後の演奏活動スケジュールは下記ホームページでご確認下さい。<br /><a href="http://www.geocities.co.jp/MusicHall/1818/takahashi.html" target="_blank" title="http://www.geocities.co.jp/MusicHall/1818/takahashi.html">http://www.geocities.co.jp/MusicHall/1818/takahashi.html</a><br /><br />■深澤芳美(ふかざわ よしみ)さん ピアノ伴奏 横須賀市出身<br />20歳よりジャズピアノを始める。1992年より96年まで、銀座「マキシム・ド・パリ」にレギュラー出演。ジャズバーやレストランバーなど銀座での演奏活動を続け、2006年より毎年ジャズひな祭りを主催。(上智大学短期大学3期生) 「深澤芳美とキャロライナシャウト」(1990年結成)で、日本各地やアメリカのジャズフェスティバル、コンサートなどに出演している。 <br /><a href="http://www.f443.com/japanese.html" target="_blank" title="http://www.f443.com/japanese.html">http://www.f443.com/japanese.html</a> <br /><br />■yasmine(ヤスミン)さん ヴォーカル担当<br />東京都在住。本名加藤希(かとうのぞみ) アコースティックユニット「MOSTLY HAPPY 」ヴォーカル担当。<br /><a href="http://mostlyhappy.blog.so-net.ne.jp/" target="_blank" title="http://mostlyhappy.blog.so-net.ne.jp/">http://mostlyhappy.blog.so-net.ne.jp/</a><br /><br />●会場のレストラン「ザ ファルチ ガーデンテラス」<br /><a href="http://www.falchi.co.jp/menu.html" target="_blank" title="http://www.falchi.co.jp/menu.html">http://www.falchi.co.jp/menu.html</a><br /><br />新鮮な三浦半島産の有機野菜を使ったホテルオークラ出身のシェフによるビュッフェとレストランの方の心のこもったおもてなしで、心地のよいMUSIC NIGHTを参加者は味わった。 
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我謝京子監督「3.11:ここに生きる―In The Moment」特別上映会開催

世界各国から上映依頼殺到!!東日本大震災ドキュメンタリー映画「3.11:ここに生きる―In The Moment」(我謝京子監督)特別上映会開催 先月9月20日(木)、第22回コムソフィア賞受賞者の我謝京子さん(1987外西・ロイター記者)監督作品ドキュメンタリー映画「3.11:ここに生きる―In The Moment」(LaLaTV制作)の東京特別上映会が開催されました。会場の青山「東京ウイメンズ・プラザホール」は、ほぼ満席(171名)でした。上映会... <span style="font-size:large;">世界各国から上映依頼殺到!!<br />東日本大震災ドキュメンタリー映画<br />「3.11:ここに生きる―In The Moment」(我謝京子監督)特別上映会開催</span><br /> <br />先月9月20日(木)、第22回コムソフィア賞受賞者の我謝京子さん(1987外西・ロイター記者)監督作品ドキュメンタリー映画「3.11:ここに生きる―In The Moment」(<a href="http://lala.tv/programs/higashinihon311/" target="_blank" title="LaLaTV制作">LaLaTV制作</a>)の東京特別上映会が開催されました。会場の青山「東京ウイメンズ・プラザホール」は、ほぼ満席(171名)でした。<br /><br /><img src="http://blog-imgs-44.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20121018101803d22.jpg" alt="我謝さん上映会正面20120920" border="0" width="430" height="323" /><br />上映会場での我謝京子さん<br /><br />上映に先だって、我謝さんが登壇し、1分間の黙とうの後「この映画はすでにカナダ、韓国、フランス、台湾などで上映され、来週はカナダ・カルガリー国際映画祭、来月はイタリア・アジア映画祭でも上映が決まっています。今、世界中から上映の引き合いが来ています。そして、皆さんご自分の人生と比べてご覧下さい」と述べられ、上映会が始まりました。<br /><br /><span style="font-size:large;">▼被災女性へのインタビュー構成による胸迫る作品</span><br /><br /> 映画は、冒頭、激しく揺れる地震と津波のすさまじい光景が映し出され、改めて息を呑む思いがしました。そして、震災後毎日を懸命に生きていく女性たちの今の思いが語られていきます。震災から4カ月を過ぎた2011年7月、気仙沼から始まり、南三陸、石巻、福島、郡山、相馬、釜石、陸前高田、仙台などで出会った女性たちは、津波の爪跡の残るがれきの上で語り続けます。<br /><br /> この作品は、6月30日のマスコミ・ソフィア会総会の記念講演会でも、約5分のトレーラーが紹介されています。東日本大震災が起きた時のシーンをずっと映し、ナレーションは一切入れない。我謝監督自身がこだわった点について、お話を伺いましたが、改めて本編を見ると、一人ひとりへの取材や、場面が丁寧に、淡々と撮られていて、その当時の恐怖、悲しみが逆に際立ってきました。それは、画面やインタビューをポイントだけにしぼった編集や取材の音声もきれいに入っていることなど、細部へのこだわりのようでした。ナレーションなしで本人たちの肉声で語られる言葉が、胸に迫り、本当にすばらしい作品となっていました。<br /><br /><img src="http://blog-imgs-44.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20121018101802188.jpg" alt="我謝さん上映会場20120920" border="0" width="430" height="323" /><br />上映会場の様子<br /><br /><span style="font-size:large;">▼今、この瞬間に生きることを問う</span><br /><br /> 映画終了後、我謝監督から登場人物、制作現場、上映会でのエピソードが紹介されました。<br /><blockquote><p>「私達はだれも3.11の震災や、9.11の同時多発テロの時代の前には戻ることはできません。この1分後、1時間後のこともわからない中、人間として何ができるのか考えると、今この瞬間をどうやって自分が生きようかということだけは、自分逹で決められることだと皆さんおっしゃるので、この映画のタイトルも『In the moment・今、この瞬間をどうやって生きるか』というタイトルにしました。また『3.11ここに生きる』という日本語のタイトルには、東北地方だけのことだけではなくこの今この時間を共有する世界に生きるという意味も込めました。<br /><br /> そして、その思いが伝わったのか、今、自分でも驚くほど、世界各国から上映の引き合いが来ています。カナダの上映会では交通事故で大けがをした女性が前向きになったというエピソードがあり、世界中で、この映画を通して多くの人を励ましているということを実感しました。さまざまな出会いもあり、映画の女神さまがいるかのように大きな力に動かされてこの映画はできたと思います。」</p></blockquote><br />と語られました。また、<br /><blockquote><p>「東日本大震災の復興支援は、人それぞれですが、自分は映画で記録することで行いたいと思います。それには、継続取材が大切なので、ホームページへ感想や登場人物へメッセージがあれば投稿してほしいです。そして、5年、10年後まで、第3弾、第4弾の作品を撮り続けたいと思っています」</p></blockquote><br />と抱負を述べた。また被災者支援活動であるタオルの象人形<a href="http://www.pure.ne.jp/~ngo/zou/index_j2.html" target="_blank" title="「まけないぞう」">「まけないぞう」</a>の販売が今年になってから縮小しているので、さらなる協力を訴えられました。<br /><br /><span style="font-size:large;">▼映画制作の原点は9.11</span><br /><br /> 最後に退出時間が迫る中、若い女性らの質問に答えて下さいました。<br /><blockquote><p>「自分に9.11の体験がなければこの映画は異なる内容になっていたと思います。とても良い内容のインタビューが引き出せましたが、それは、9.11の被災体験を相手に話したからです。実はインタビューされている側の人に、取材をしている側は、見られていて、自分のことをさらけ出して、真摯に相手に向き合わないと、本音は引き出せません。経験不足や若いから等の理由とは思いません。」</p></blockquote><br /> また、我謝さんは、自分の取材する時に心がけていることとして「記者の仕事は意見を押し付けるのではなく記録して紹介し、『視聴者のあなたはどう思うのか』という立場を守っている。だから今回の映画ではナレーションは入れず、ひとり一人の鑑賞者の判断に任せている」とも語りました。<br /><br /><span style="font-size:large;">▼山田の映画感想</span><br /><br />「これが現実に起きたことだ」という残酷な真実が、東北各地の景色や登場人物のさりげない会話から、ひしひしと伝わってくる。テレビニュースで見ているはずの原発の様子や津波の画像が、もっと長い時間映され、普段は穏やかな自然が急に狂ったように襲いかかってくる恐怖を感じた。福島の被災者の「放射能を計測するということが普段の生活に加わっただけ」という言葉がとても重かったが、前を向いて生きていこうという女性逹の力強さにエネルギーをもらい、自分自身が励まされました。<br /><br /><br /><span style="font-size:large;">▼最後に</span><br /><br />上智大学でも上映が予定されています。詳しくは下記をチェック!<br /><br /><strong>映画のホームページ</strong><br /><a href="http://311moment.jp/en" target="_blank" title="http://311moment.jp/en">http://311moment.jp/en</a><br /><strong>Facebook公式サイト</strong><br /><a href="http://www.facebook.com/pages/311In-The-Moment/313413942079461" target="_blank" title="http://www.facebook.com/pages/311In-The-Moment/313413942079461">http://www.facebook.com/pages/311In-The-Moment/313413942079461</a><br /><br />こちらでは、登場人物へのメッセージや映画の感想を受け付けているので、ご覧になった方は是非投稿くださいとのこと。東日本大震災のことを風化させないために、寄付のためのサイトも開設予定だそうです。<br /><br />取材レポート:向山肇夫('63法法)、磯浦康二('57文新)、山田洋子('77外独)
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海外での安全対策・日本国の日本人であるということ 〜11回目の9.11を迎えて

海外生活カウンセラー・福永佳津子氏('71年文英卒)から、11年目の9.11を迎えての近況をいただきました。福永さんは2001年9月11日、あのニューヨークの同時多発テロ事件のとき、日本から単身渡米し、現地でのボランティア活動を推進した経験を持っている方です。(詳しくは昨年11月に行ったマスコミソフィア会での講演会の記事をご参照下さい=>http://cumsophia.blog106.fc2.com/blog-entry-144.html)「命を惜しまずビルに飛行... 海外生活カウンセラー・福永佳津子氏('71年文英卒)から、11年目の9.11を迎えての近況をいただきました。福永さんは2001年9月11日、あのニューヨークの同時多発テロ事件のとき、日本から単身渡米し、現地でのボランティア活動を推進した経験を持っている方です。(詳しくは昨年11月に行ったマスコミソフィア会での講演会の記事をご参照下さい=><a href="http://cumsophia.blog106.fc2.com/blog-entry-144.html" title="http://cumsophia.blog106.fc2.com/blog-entry-144.html" target="_blank">http://cumsophia.blog106.fc2.com/blog-entry-144.html</a>)<br /><br /><br />「命を惜しまずビルに飛行機ごと体当たりしたって?カミカゼみたいだ」<br /><br />「予告もなしに卑劣なテロ行為に及んだ仕草は、パールハーバーかの如き」。<br /><br /> マンハッタン島の玄関口で威風堂々と上陸者たちを迎えた米国のシンボル塔に飛行機が突っ込んだテロ事件。その直後に駆け抜けた思いもよらない風評に日本人は凍りついた。<br /><br />その日の新聞メディアには、「カミカゼ」や「セカンドパールハーバー」の文字が躍り、我々は突如、居心地の悪さに晒され、唖然とした。とある学生はバスの乗客に「日本人か」と詰問されたと言い、日の丸のついたプレスの車のミラーが折られ、日本人と間違われたパキスタン人女性が殴打されたとの話がまことしやかに囁かれた。<br /><br />その夏、米国で製作され日本でも公開された映画は「パールハーバー」と題したラブロマンス映画だ。「米国の知識人たちはあの時のことは誤解だったと理解しているよ」といった空気が流れかけたのもつかの間。秋に入ってすぐの悲劇に「パールハーバー」はいとも簡単に比喩的に持ち出された。過去の歴史的事件はそう易々と「水に流す」ことなどできるはずもないことを、悲劇の現場で痛いほど知らされた「911」でもあった。<br /><br /><img src="http://blog-imgs-44.fc2.com/c/u/m/cumsophia/DSC_0063_R.jpg" alt="DSC_0063_R.jpg" border="0" width="430" height="288" /><br>福永佳津子氏<br /><br /><br /> NYのタクシー運転手はアフガニスタン人が多い。タクシーの前後に大判の星条旗を括りつけ、「NY市民のひとりとして皆と結束し戦い抜く」という強い意志を鮮明に訴えんとしたのが彼らだった。<br /><br />それでもアフガニスタン人のタクシーには断固乗らないと息巻く客が、時に運転手と殴り合うシーンを何度か見た。ガソリンスタンドもアフガニスタン人の経営になるものが多い。スタンドが見えないほどの大量の星条旗で覆われていたら、そこは紛れもなくアフガニスタン人店ということだ。<br /><br />泊まっていた安宿のすぐ近くにあったアフガニスタン料理店の看板が白ペンキで塗り潰され、何の店だかわからなくなるのに時間はかからなかった。<br /><br /><br /> 「911」の悲劇を受けて、各国トップが弔意のための訪米を急ぐ中、我が国の時の総理が訪米したのは、9月24日だったかと思う。ローカルニュースで総理の弔意が報じられるや、我が国の立ち位置が親米と解釈されたか、すぐ様イスラム圏にある某国日本大使館の日の丸が燃やされる事件に発展している。国のトップがどっちを向いて何をどう発言するかで、海外にいる日本国民が突如窮地に立たされるということの事例のひとつだろう。<br /><br /> 少し時計を戻して湾岸戦争の話を例にしてみよう。米国の小学校でのこと。親戚の誰かが湾岸に派兵されている現地小学生たちは、湾岸戦争を取り上げた授業の中で、日本人児童に向かってこう言った。<br /><br />「どうして日本人は湾岸戦争に兵隊を送らないの?」<br /><br />「僕のおじさんやいとこが命がけで戦っているのに、日本が何もしないのはどうして?」。<br /><br />質問が素朴なだけに率直で手厳しい。「子どもたちが答えに窮している。どう答えさせたらいいのか」と父母たちがNY日本総領事館に助けを求めた話は有名だ。「アメリカは日本の石油のために血を流しているのに日本人は知らん顔か」と言われた駐在員もいる。日本国を背負ったつもりなどさらさらないのに、自国の対応の矢面に立たされ、返す言葉を失うことになるとは、考えもしなかったことだろう。<br /><br /><br /> 平和で快適な海外生活が続いているうちはいい。しかし何かの拍子で突然風向きが変わり、危機に瀕することになることは今回の中国での抗日デモでも明らかだ。<br /><br /><br /> こうした事態をどう予測してどう回避するのか。他でもない、自分が日本とどういう関係にある国に身を置いているかを常日頃からしっかり自覚し、自国の発言や振る舞いが滞在国における自分の安全に大きな影響を起こすことを知っておくことが肝要だ。各自に事態を読み、機に応じた対応を素早く取るアンテナの高い危機管理能力が求められることは言うまでもない。<br /><br />渡航前に(社団法人)海外邦人安全協会(<a href="http://www.josa.or.jp/" target="_blank" title="www.josa.or.jp/">www.josa.or.jp/</a>)主催のセミナーなどで勘所を養っておくのも一策だ。滞在国の治安情報に関しては外務省の「海外安全情報」(<a href="http://www.anzen.mofa.go.jp" target="_blank" title="www.anzen.mofa.go.jp">www.anzen.mofa.go.jp</a>)から刻々と得られよう。滞在国の日本大使館や総領事館からも邦人向けに素早い発信があろう。ネット社会では様々なルートからの現況報告とその回避対策が講じられるのも早い。滞在国の言語を解せれば、そのルートからの発信にも注意したい。<br /><br />「日本語で大声で話さない、日本人であることがわからないよう振る舞いに気を付ける、ターゲットとなりやすい場所に近づかない、暴動に巻き込まれないよう慎重な行動を、一人での夜間外出は控える、できる限り一人でタクシーに乗車しない、過激な政治的発言を絶対しない」などなど、今回の「事件」がいくつもの対策を教えてくれている。世界に漕ぎ出す日本人たちが、自らが日本国の日本人であることをあらためて強く認識し、世界の様々な動きに敏感に呼応して自らの安全を自らの手で確保する努力が望まれる。<br /><br /> 日本国の日本人であることが攻撃対象になり得るケースがある一方で、むしろ日本人であることを強調して難を逃れる必要があった事例が、「インドネシアの騒乱(1998年)」だった。<br /><br />インドネシア国民の怒りは富を独り占めする華僑たちの傲慢ぶりに向けられ、町には憤懣やるかたない暴徒たちが滾る思いを破壊行為に繋げていた。事態の緊張を受けて、外務省は「危険度5」を発令。「邦人はすべからく国外退避」となり、邦人たちは日本行きの飛行機が横付けされた空港へと取るものも取らずに急いだ。<br /><br />しかし、空港までの安全確保が問題だった。理由はほかでもない。日本人の見てくれが華僑と似ていることが攻撃対象となり得ることだった。車の窓を開け、大声で「私たちは日本人」と叫んでも掻き消される。遠目にも日本人の車とわかる対策はただひとつ。それは日の丸を車の目立つ場所につけ、日本人であることを強調する策だった。企業は駐在員家族のために日の丸を配り、手配が望めなかった人たちは手持ちの白紙に赤クレヨンで日の丸を書き上げ、車体に貼り付けた。その日の丸に守られ、無事に帰国を果たしたことはいう間でもない。<br /><br /> 日の丸を掲げたり、隠したり…。日本人であることを強調したり、悟られないように振る舞ったり…。海外に出た日本人は国内にいた時以上に、日本国の日本人であることを嫌が応にも突きつけられる場面にさらされることを知っておかなくてはならない。<br /><br />危機管理のアンテナを高く掲げ、情報収集と機を見た対応が求められるその一方で、こんな話を最後に付け加えよう。今回の中国での反日行動の際のことだ。「背広で自転車に乗るのは日本人だけだよ。会社に行くならしばらくは私服で。日本人とわかる恰好は危ないよ、と教えてくれたのは中国人の同僚だった」とは北京の日本人駐在員。さらには湾岸戦争の際に、多くの邦人がいっとき拘束される羽目になったというのに、まっさきに帰国を果たした男性はこうインタビューに答えている。<br /><br />「普段から現地の人と何とか仲よくしたいと思って出来る限りの努力をしてきた。いち早く難を逃れることができたのは、隣人たちがアイツだけは何とか早く日本に送り返してやろう、と尽力してくれたお陰だ。普段から信頼できる仲間を現地に持つかどうかが危機管理上、とても大事なことだ」。<br /><br />(社団法人)海外邦人安全協会理事  福永佳津子<br /><br /><hr size="1" />プロフィール<br />福永佳津子氏 71年文英卒。在ニューヨーク6年。マンハッタンビルカレッジで修士号取得。帰国後は海外生活カウンセラーとして講演、執筆多数。NHK趣味悠々「サトウサンペイと楽しむ海外旅行術(ロングステイ)」講師など。著書に「ある日海外赴任」「アジアで暮らすとき困らない本」など。海外邦人安全協会理事。ロングステイ財団政策審議会委員。
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NYロイターのアワードウォールにコムソフィア賞が仲間入り

第22回コムソフィア賞を受賞された我謝京子(1987外西)さんから早速お便りが届きました。ニューヨーク、タイムズスクエアにあるロイタービル。その19階には、アワードウォールと呼ばれる記者が受賞した賞状や写真を飾る壁がある。ここにコムソフィア賞が7月2日月曜日、仲間入りした。ニューヨークロイター本社に受賞記念の横山翠蹊作「刻字楯」が飾られた(クリックで拡大)2011年5月29日、津波で大きな被害にあった南... 第22回コムソフィア賞を受賞された我謝京子(1987外西)さんから早速お便りが届きました。<br /><br /><hr size="1" /><br />ニューヨーク、タイムズスクエアにあるロイタービル。その19階には、アワードウォールと呼ばれる記者が受賞した賞状や写真を飾る壁がある。ここにコムソフィア賞が7月2日月曜日、仲間入りした。<br /><br /><img src="http://blog-imgs-44.fc2.com/c/u/m/cumsophia/201207130946031c9.jpg" alt="我謝さんatロイター" border="0" width="300" height="402" onclick="popupImage('http://blog-imgs-44.fc2.com/c/u/m/cumsophia/201207130946031c9.jpg')" /><br />ニューヨークロイター本社に受賞記念の横山翠蹊作「刻字楯」が飾られた(クリックで拡大)<br /><br /><br />2011年5月29日、津波で大きな被害にあった南三陸町の瓦礫の中に立った時、頭の中は真っ白になり、「どうしてこんなことが?」という疑問しか浮かばなかった。炊飯器が、おたまが、ぬいぐるみがそこに投げ出されるように泥まみれになっていた。日常生活が一瞬にして流されてしまった現場だった。しかし、丘の上に目をやると、そこでは大雨の中にもかかわらず、大規模な復興市が開かれていた。人間の底力を目撃した瞬間だった。そしてこの「起こってしまった想定外の出来事から人々はどう立ち上がろうとしているのか?」その答えを女性たちの声中に捜そうと決心した。復興市で豚汁をつくる女性たちの話を聞くことからドキュメンタリー映画「311:ここに生きる In The Moment」の取材は始まった。<br /><br />記者になって今年で、25年。どうしても取材したい、しなくてはいけないと思うときが何度かあった。阪神淡路大震災、ペルーの大使館公邸人質事件、全米同時多発攻撃事件、そして今回の東日本大震災だ。ただ記者という体験を重ねていく中で、私の立ち位置は変化していった。阪神淡路大震災の時は、まだ30代前半の駆け出し記者という立場で取材を1年、2年、3年とつづける継続取材の大切さ、記者顔ではなく、一人の人間として話をきかせていただくことの重要さを身をもって学んだ。<br /><br />ペルーでは爆発や銃撃戦が続くぎりぎりの状態の中で、いかに自分の判断で、日本への連絡手段を確保してレポートするかという判断力を身につけた。911では、記者としてだけでなく、8歳の子供を抱えた被災者となり、そのなかで、いかにバランスをとりながら、そして回りの助けに感謝しながら、取材をつづけていくかということに気がつかされた。<br /><br />そして今回の東日本大震災では、もはや記者としてではなく、自らも想定外の同時多発攻撃という事件で被災したひとりの女として、福島、宮城、岩手の女たちの話を聞こうと思ったのだ。そして女たちの周りにいる子供たち、男たちの話も聞いて回った。<br /><br />ニューヨークに戻り、何度も何度も彼女らの声を聞き、映像を見直した。そして川の砂を掬い上げその中から、きらりと輝く金を探し当てるかのように、彼女たちが最も伝えたいことを見極めてまとめていった。<br /><br />この長時間に渡る作業には、ニューヨークで活躍する3人もの日本人映画編集者が協力してくれた。力強い彼女たちの声を聞けば聞くほど、震災被災者ではない私のナレーションはいらないと確信した。こうして、ナレーションなしの彼女たちの言葉だけでつないだドキュメンタリー映画が2011年10月に完成した。<br /><br />2012年3月には続編も出来上がった。それぞれの映画は世界各地(日本、台湾、韓国、インド、米国、カナダ、フランス、イタリア)の映画祭や上映会に招待され、今も各地から問い合わせが続いている。ナレーションがなかったことがよかったのだろう。この映画は、観客が被災した女性たちと直接対話をしている感覚をもつことができるのだ。「静かだと思っていた日本女性がこれほど己のことを語るとは驚いた」「被災者はかわいそうと思う私の概念が間違っていた」「彼女たちの強さに励まされた」との声が各地であがった。<br /><br />人は困難という壁に直面したときに、どうそれを乗り越えて前に進んでいくのか?彼女たちの力強い行動があったからこそ、この映画はいま世界各地で、人々を励まし続けている。地震がほとんどない国でも上映されているこの映画は、地震、津波、放射能事故を越えて、人があらゆる困難にぶつかったときにどうやってそこから這い上がり、前に進むかを訴える。2011年4月11日の大きな余震の中、家族のために負けないと味噌汁を作り続ける母親、放射能がそんなに怖いというのなら、自分で測ってやろうと銀行から1500万円借金して測定器を買った福島の女性社長。嫁と6人の親戚を津波で亡くし今こそ助けてくれる友人のありがたさがわかったと感謝しながら、2人の孫を育てる南三陸町の祖母。母親を原爆で亡くし、今は震災遺児を助けたいと動き出した福島の女子校の学院長。<br /><br />カナダ、バンクーバーでの上映会には、杖をついた若い日本女性が、カナダ人の夫とともにやってきた。映画鑑賞の間、彼女は、通勤途中で交通事故にあった時の苦しみを思い出していたという。しかし、映画終盤に、ある福島の夫婦のやりとりで、笑い声が会場から起こる場面がある。その瞬間に彼女は救われたという。困難な時にこそ、ユーモアが、笑顔が、希望が、必要なんだと思ったそうだ。彼女は今、この笑い声に励まされ、リハビリを続け、いつかは杖なしで歩けるようになりたいと話してくれた。<br /><br />大雨の中での復興市の取材中、その1年と1ヶ月後に、まさか、コムソフィア賞を受賞できるなどとは考えもしなかった。ただ、南三陸、気仙沼、石巻、福島、郡山、釜石、陸前高田そして仙台で50人以上のたくましい人々に出会い、彼女たちの話を聞くうちに、これはすごい記録になるということだけは、最初から直感していた。この賞を受賞できたのは、きょうも前を向いて各地で負けずに頑張っている人たちが存在するからだ。<br /><br />この受賞を、ニューヨークのアワードウォールに飾られたコムソフィア賞の「観」の字の写真とともに、映画にでてくださった皆さんに知らせよう。「観」とは「揃っている物事を上方からグルグルと広くよく見回して見比べながら、念をいれて見定める形に由来している」という。まさに私が各地で出会った女性たちの声と姿を記録し、それを何度も何度も見て、念をいれてどこが大事かを見定めて映画にしてきたことに合致する。<br /><br /><img src="http://blog-imgs-44.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20120713094859242.jpg" alt="我謝さんatロイター" border="0" width="300" height="402" onclick="popupImage('http://blog-imgs-44.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20120713094859242.jpg')" /><br />アウォードウォールの仲間入りを果たした「刻字楯」と我謝さん(クリックで拡大)<br /><br /><br />被災地各地で女性たちがためらいなく日常の一端を私に「観」させてくださったことに感謝します。そして上智のマスコミの大先輩の方々からのこの「観」の字とともに、今後も日本の震災復興の取材を続け、その意味を、見定めていきたいと思います。皆様、本当に、ありがとうございました。
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こまつ座便り ~「井上ひさし生誕77フェスティバル2012」を上演

2012/05/26 数々の作品と「ことば」を残された井上ひさしさんのお嬢さんの麻矢さんからお便りをいただきました。麻矢さんには「こまつ座」の座長としてこれからもこの場で近況を伝えていただきたいと思っています。(NHK旅のチカラ「“絆の町”に父を探す~井上麻矢・ボローニャ~」での井上麻矢氏)(1月31日(火)20時00分~20時58分 再放送:2月4日(土)7時45分~8時43分)(写真提供:NHK BSプレミア... 2012/05/26<br /> 数々の作品と「ことば」を残された井上ひさしさんのお嬢さんの麻矢さんからお便りをいただきました。麻矢さんには「こまつ座」の座長としてこれからもこの場で近況を伝えていただきたいと思っています。<br /><hr size="1" /><br /><img src="http://blog-imgs-44.fc2.com/c/u/m/cumsophia/2012052910521681b.jpg" alt="旅のチカラ・ボローニャ・井上麻矢2" border="0" width="430" height="242" /><br />(NHK旅のチカラ「“絆の町”に父を探す~井上麻矢・ボローニャ~」での井上麻矢氏)<br />(1月31日(火)20時00分~20時58分 再放送:2月4日(土)7時45分~8時43分)<br />(写真提供:NHK BSプレミアムより)<br /><br />こんにちは!こまつ座の井上麻矢です。こまつ座は井上ひさしが残した戯曲を上演する劇団になります。今年は「井上ひさし生誕77フェスティバル2012」と題しまして、1年を通して8演目の井上作品を上演する企画を進行しています。皆様ぜひ劇場まで足をお運び頂ければ幸いに存じます。<br /><br /><a href="http://inouehisashi77.jp/" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-44.fc2.com/c/u/m/cumsophia/201205291100392e9.png" alt="井上ひさし生誕77フェスティバル" border="0" width="264" height="254" /></a><br />(井上ひさし生誕77フェスティバル:<a href="http://inouehisashi77.jp/" target="_blank" title="http://inouehisashi77.jp/">http://inouehisashi77.jp/</a> 問い合わせ:こまつ座:<a href="http://www.komatsuza.co.jp/" target="_blank" title="http://www.komatsuza.co.jp/">http://www.komatsuza.co.jp/</a>)<br /><br />次回は世田谷パブリックシアターにて、栗山民也氏の演出による「藪原検校」(6月12日~7月1日)が上演されます。<br /><br /><img src="http://blog-imgs-44.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20120529110507c43.jpg" alt="藪原検校" border="0" width="250" height="350" /><br />(井上ひさし生誕77フェスティバル2012 第4弾『藪原検校』)<br /><br />そもそもこの企画は、父が喜寿になる2012年に、井上芝居をさらに再発見していただこうと考えたことがスタートでした。<br /><br />今、皆さんに支えて頂きながら8演目のうち、「十一ぴきのネコ」「雪やこんこん」「闇に咲く花」の3演目については東京公演は好評のうちに終了しました。夏には演目の他にも、「井上ひさしのセリフ展」なども開催予定になっております。<br /><br />さて、昨年、イタリアのボローニャに行ってまいりました。NHKBSプレミアム‐旅のチカラ‐という番組の収録でした。父が愛した街であるボローニャでさまざまな人と出会い、そして、お芝居を上演してきました。そんなこともお伝えしていきたいなあと思います。<br /><br /><img src="http://blog-imgs-44.fc2.com/c/u/m/cumsophia/201205291106172b2.jpg" alt="旅のチカラ・ボローニャ・井上麻矢9" border="0" width="430" height="242" /><br />(井上ひさし氏)<br /><br /><hr size="1" />コメント:磯浦康二(1957文新)<br /> 作家、井上ひさしさんが亡くなって早くも2年がたちます。十数年前に両親が離婚して、父を愛しながら背を向けてきた三女の井上麻矢さんですが、亡くなる直前に父親に呼ばれ「こまつ座」の代表を引き受けることになりました。<br /><br />井上ひさしさんの残した70余の戯曲を上演するため頑張っている麻矢さんですが、1月31日(火)に放映されたNHKBSプレミアムの「旅のチカラ」に出演しました。<br /><br />この番組では2003年12月にNHKで、製作、放映した「井上ひさしのボローニャ紀行」の取材メモを頼りに、父親の大好きだったボローニャを訪れ、父親の足跡をたどって、井上ひさしがボローニャの何にひかれ、関心を持ち、書こうとしていたのかを探る旅でした。<br /><br />ボローニャでは演劇や農業などを通して、精神的、肉体的に傷を負った人たちの回復、再生に地域ぐるみで取り組んでいました。知的障害を持った人とともに農園とレストランを経営する経営者にも井上ひさしさんは会って話を聞いていました。<br /><br />さまざまな障害も個性の一つとして、人間の多様性に目を向け、互いに支え合いながら生きるボローニャの人たちに井上ひさしさんはひかれたようです。<br /><hr size="1" />井上麻矢略歴<br />1967年東京生まれ。千葉県市川市育ち。御茶の水文化学院高等部在学中にフランスに渡り、仏語と陶器の絵付けを学ぶ。帰国後スポーツ紙やリゾートクラブ勤務、アロマセラピストなどを経て、2009年劇団「こまつ座」社長に就任。亡くなった劇作家、井上ひさし氏の3女。
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ソフィアンがオーナーのお店:小料理「そま莉」(目黒)

以前はショットバーだったという、小さなカウンターとテーブル席2席だけのシンプルでしゃれた造りの店。BGMはジャズ。しかし、供される料理は、熊本郷土料理。オーナー兼シェフの河津 幸恵(かわづ さちえ)さん(1999年 経営学科卒)は熊本出身で、大学卒業後、会社勤務を経て、28歳のときに、自分の店が持ちたくて、ショットバーを立ち上げた。写真:河津さん8年前のことだ。店を始めた理由は「会社勤務では一日中笑うこと... 以前はショットバーだったという、小さなカウンターとテーブル席2席だけのシンプルでしゃれた造りの店。BGMはジャズ。しかし、供される料理は、熊本郷土料理。オーナー兼シェフの河津 幸恵(かわづ さちえ)さん(1999年 経営学科卒)は熊本出身で、大学卒業後、会社勤務を経て、28歳のときに、自分の店が持ちたくて、ショットバーを立ち上げた。<br /><br /><img src="http://blog-imgs-44.fc2.com/c/u/m/cumsophia/201203112200085e1.jpg" alt="小料理そま莉1-s" border="0" width="430" height="320" /><br />写真:河津さん<br /><br />8年前のことだ。店を始めた理由は「会社勤務では一日中笑うことを忘れて過ごす日もありました。その反動で思いっきり笑っていられる仕事がしたかったんです。一日頑張った仕事帰りのお客さんに、ほっこり温かい気持ちになってもらえるような店をめざしてオープンしました」という。<br /><br /><img src="http://blog-imgs-44.fc2.com/c/u/m/cumsophia/2012031122010533b.jpg" alt="小料理そま莉2-s" border="0" width="430" height="320" /><br />写真:お店のおすすめ料理1:馬刺<br /><br />「ちょうどいい物件がなかなか見つからず、本気で協力してくれる不動産会社にも巡り会えずに戸惑っていたころ、28歳の誕生日に出合ったのが今の物件。運命のプレゼントだと思ってすぐに申込書にサインしました」と、今の店舗を見つけたときのエピソードを明かしてくれた。<br /><br /><br /><img src="http://blog-imgs-44.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20120311220158956.jpg" alt="小料理そま莉3-s" border="0" width="430" height="320" /><br />写真:お店のおすすめ料理2:ふぐちり子鍋<br /><br />店名の「ソマリ」は猫の品種名(アビシニアン長毛種)で、夕焼け色の毛皮をまとった凛とした姿がずっと印象に残っていて、河津さんの憧れのネコだったという。以前、バーのときはローマ字で「somalie」と表記していたが、熊本郷土料理に転向してから「そま莉」にした。<br /><br /><br /><img src="http://blog-imgs-44.fc2.com/c/u/m/cumsophia/2012031122032255f.jpg" alt="小料理そま莉4-s" border="0" width="430" height="320" /><br />写真:お店のおすすめ料理3:高菜ごはん<br /><br />「とにかく、夢中でやってきました」と明るく語る河津さん。現在は、熊本の郷土料理を取り入れた小料理屋に転向している。「心を込めたおもてなしで、お客様に気軽に楽しんでいただきたい」と、ソフィアンズの来訪を待っているという。<br /><br />「お越しになる際は予めお電話でご予約を頂いたほうが確実です」とのことだった。<br /><br /><br />この日の夜も、会社帰りに軽く一杯立ち寄る客で、カウンターはいっぱいでした。<br /><br />(文:山田洋子 1977年 外・独) <br /><br />※お店のおすすめメニュー※ <br />看板メニューは馬肉のしゃぶしゃぶ(要予約)。その他 馬刺し盛合わせ からし蓮根 高菜ごはん。<br />定番ではないが、ふぐちり小鍋、セロリの浅漬け、サラダもとても美味。焼酎も各種有。<br />http://somalie.net/menu.html<br /><br />目黒 小料理「そま莉」電話:03-3493-2051<br />品川区上大崎2-24-19東和ビル2F (花屋の2F)<br />(平日のみ営業18時―、土日祝日休み)電話で要予約。<br />http://somalie.net/ <br />http://somalie.net/access.html<br /><br /><iframe width="425" height="350" frameborder="0" scrolling="no" marginheight="0" marginwidth="0" src="http://maps.google.co.jp/maps?f=q&amp;source=s_q&amp;hl=ja&amp;geocode=&amp;q=%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E9%83%BD%E5%93%81%E5%B7%9D%E5%8C%BA%E4%B8%8A%E5%A4%A7%E5%B4%8E2-24-19&amp;aq=&amp;sll=35.634872,139.714272&amp;sspn=0.001338,0.001725&amp;brcurrent=3,0x60188b19031df469:0x8efe5aacf168ab62,0,0x60188b19ab92bb4d:0x1b46d0eeb53445db&amp;ie=UTF8&amp;hq=&amp;hnear=%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E9%83%BD%E5%93%81%E5%B7%9D%E5%8C%BA%E4%B8%8A%E5%A4%A7%E5%B4%8E%EF%BC%92%E4%B8%81%E7%9B%AE%EF%BC%92%EF%BC%94%E2%88%92%EF%BC%91%EF%BC%99&amp;t=m&amp;z=14&amp;ll=35.634872,139.714276&amp;output=embed"></iframe><br /><small><a href="http://maps.google.co.jp/maps?f=q&amp;source=embed&amp;hl=ja&amp;geocode=&amp;q=%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E9%83%BD%E5%93%81%E5%B7%9D%E5%8C%BA%E4%B8%8A%E5%A4%A7%E5%B4%8E2-24-19&amp;aq=&amp;sll=35.634872,139.714272&amp;sspn=0.001338,0.001725&amp;brcurrent=3,0x60188b19031df469:0x8efe5aacf168ab62,0,0x60188b19ab92bb4d:0x1b46d0eeb53445db&amp;ie=UTF8&amp;hq=&amp;hnear=%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E9%83%BD%E5%93%81%E5%B7%9D%E5%8C%BA%E4%B8%8A%E5%A4%A7%E5%B4%8E%EF%BC%92%E4%B8%81%E7%9B%AE%EF%BC%92%EF%BC%94%E2%88%92%EF%BC%91%EF%BC%99&amp;t=m&amp;z=14&amp;ll=35.634872,139.714276" style="color:#0000FF;text-align:left">大きな地図で見る</a></small>
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埼玉県飯能市に唯一残る蔵元 ~五十嵐酒造~

2010年全国新酒鑑評会金賞受賞の銘酒「天覧山」を造り続ける五十嵐智勇氏▲社長は理工出身の五十嵐さん 1967年理工・機卒で、さいたまソフィアンズ倶楽部会員でもある五十嵐酒造社長の五十嵐智勇氏の蔵元を、2月18日に訪れました。生まれは隣町の入間市。高校は鷺の宮高校。1990年より第四代の五十嵐酒造の社長を務めております。 なぜ、五十嵐酒造を訪れたかと言いますと、2011年12月に埼玉ソフィア会の忘年会で美味しい清... 2010年全国新酒鑑評会金賞受賞の銘酒「天覧山」を造り続ける五十嵐智勇氏<br /><br /><span style="font-size:large;">▲社長は理工出身の五十嵐さん</span><br /><br /> 1967年理工・機卒で、さいたまソフィアンズ倶楽部会員でもある五十嵐酒造社長の五十嵐智勇氏の蔵元を、2月18日に訪れました。生まれは隣町の入間市。高校は鷺の宮高校。1990年より第四代の五十嵐酒造の社長を務めております。<br /><br /> なぜ、五十嵐酒造を訪れたかと言いますと、2011年12月に埼玉ソフィア会の忘年会で美味しい清酒を持参なされ、2012年1月にはソフィア経済人倶楽部の賀詞交歓会でソフィアの鷲のロゴ・マークついた清酒樽を寄贈なさり、150名の参加者から称賛されたことによります。<br /><br /><span style="font-size:large;">▲清酒「天覧山」とは</span><br /><br /><img src="http://blog-imgs-44.fc2.com/c/u/m/cumsophia/201203061206443ab.jpg" alt="埼玉県飯能市に唯一残る蔵元" border="0" width="430" height="304" /><br /><br /> 場所は奥武蔵の玄関口の埼玉県飯能市で、西武池袋線の特急で40分。緑の濃い人口八万余の入間川と成木川に挟まれた町の中にあります。町の4分の3は山林なそうです。<br /><br /> 五十嵐酒造は創業明治30年で現在の飯能市に移転してきたのは、昭和12年(1937年)、それ以来、一貫して、飯能市で、清酒の製造を行って来ました。以前は飯能市には酒造会社が6軒あったそうですが、今は、五十嵐酒造を残すのみになったそうです。<br /><br /> ブランドは「天覧山」。その由来をお伺いしますと、1883年(明治16年)に飯能市にある標高197mの小高い丘陵で行われた近衛兵春季小演習を明治天皇がその山頂から統監したことから、天覧山となったとのことです。<br /><br /> 奥秩父からの伏流水と天覧山の清澄な空気を造り上げた口当たりの良い酒なそうで、数々の賞を受賞なされ、一番最近では2010年全国新酒鑑評会金賞を受賞しておるそうです。酒造りを見学しましたが、水は井戸水を使用し、温度調節に気を配り、朝早くから繊細な酒造りをしているようです。<br /><br /><span style="font-size:large;">▲日本酒の現状</span><br /><br /> 国内の清酒の販売は、景気の低迷、消費者の味への多様化、飲酒運転などで、販売が減少しておりますが、五十嵐酒造は、女性向けに、清酒による梅酒とか「ざくろ酒」を開発して高評なようです。ここ3年くらいから、米国向けに清酒を輸出して、毎年、輸出量は増加しているとのこと。2月21日の朝のNHKニュースでも、韓国向けの日本酒の輸出が10年間で40倍に伸びたことを報道しておりました。<br /><br /><span style="font-size:large;">▲感想</span><br /><br /> ソフィアンの想いが深い方で、昨年のソフィア会の山梨大会でも、「天覧山」をふるまわれたとのことで、鷲のマークのStickerを見せてもらいました。<br /><br /> 味を独り占めするのは、勿体ないと感じ、四谷新道のソフィアンの経営する居酒屋「桑」に 清酒「天覧山」と梅酒、ざくろ酒を配達しました。今後はより一層のソフィアンに知って頂きたく思います。<br />(文 松村裕幸 '70外ポ)<br /><br />五十嵐酒造<br />〒357-0044 埼玉県飯能市大字川寺667-1<br />TEL:050-3785-5680<br />FAX:042-974-0394<br />E-mail:iga_s@snw.co.jp<br />Home Page: <a href="http://www.snw.co.jp/~iga_s/" target="_blank" title="http://www.snw.co.jp/~iga_s/">http://www.snw.co.jp/~iga_s/</a><br /><br /><iframe width="425" height="350" frameborder="0" scrolling="no" marginheight="0" marginwidth="0" src="http://maps.google.co.jp/maps?f=q&amp;source=s_q&amp;hl=ja&amp;geocode=&amp;q=%E5%9F%BC%E7%8E%89%E7%9C%8C%E9%A3%AF%E8%83%BD%E5%B8%82%E5%A4%A7%E5%AD%97%E5%B7%9D%E5%AF%BA667%EF%BC%8D1&amp;aq=&amp;sll=36.5626,136.362305&amp;sspn=37.44459,68.90625&amp;brcurrent=3,0x601927aaca543dd5:0xd6b9a2ca357744d7,0,0x601927aaca543dd5:0x5f06635033a167c5&amp;ie=UTF8&amp;hq=&amp;hnear=%E5%9F%BC%E7%8E%89%E7%9C%8C%E9%A3%AF%E8%83%BD%E5%B8%82%E5%B7%9D%E5%AF%BA%EF%BC%96%EF%BC%96%EF%BC%97%E2%88%92%EF%BC%91&amp;t=m&amp;z=14&amp;ll=35.838433,139.324888&amp;output=embed"></iframe><br /><small><a href="http://maps.google.co.jp/maps?f=q&amp;source=embed&amp;hl=ja&amp;geocode=&amp;q=%E5%9F%BC%E7%8E%89%E7%9C%8C%E9%A3%AF%E8%83%BD%E5%B8%82%E5%A4%A7%E5%AD%97%E5%B7%9D%E5%AF%BA667%EF%BC%8D1&amp;aq=&amp;sll=36.5626,136.362305&amp;sspn=37.44459,68.90625&amp;brcurrent=3,0x601927aaca543dd5:0xd6b9a2ca357744d7,0,0x601927aaca543dd5:0x5f06635033a167c5&amp;ie=UTF8&amp;hq=&amp;hnear=%E5%9F%BC%E7%8E%89%E7%9C%8C%E9%A3%AF%E8%83%BD%E5%B8%82%E5%B7%9D%E5%AF%BA%EF%BC%96%EF%BC%96%EF%BC%97%E2%88%92%EF%BC%91&amp;t=m&amp;z=14&amp;ll=35.838433,139.324888" style="color:#0000FF;text-align:left">大きな地図で見る</a></small>
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四谷新道のオアシス 居酒屋「桑」

■上智が忘れられず、店を四谷新道に 大学の目と鼻の先にある四谷新道通りにある居酒屋「桑」を紹介します。 ご主人は1970年・経・経卒の桑島勉さん。出身は埼玉県熊谷市で高校は、熊谷高校。大学ではマンドリン・クラブに属しておりました。 子供の頃から、いつか、独立して、飲食店の経営をと夢みるようになり、大学卒業後、都内のデパートに就職するも、その夢が忘れられず、新橋、原宿、品川で、レストランでの料理人修... <span style="font-size:large;">■上智が忘れられず、店を四谷新道に</span><br /><br /> 大学の目と鼻の先にある四谷新道通りにある居酒屋「桑」を紹介します。<br /><br /> ご主人は1970年・経・経卒の桑島勉さん。出身は埼玉県熊谷市で高校は、熊谷高校。大学ではマンドリン・クラブに属しておりました。<br /><br /> 子供の頃から、いつか、独立して、飲食店の経営をと夢みるようになり、大学卒業後、都内のデパートに就職するも、その夢が忘れられず、新橋、原宿、品川で、レストランでの料理人修業の後、四谷に居酒屋「桑」を始めて、今年2012年で35年になります。<br /><br /><span style="font-size:large;">■ソフィアンズクラブの居酒屋版</span><br /><br /> 全品手作り料理で、豊富な種類の酒のさかなをつまみ、手軽な値段で集まりが出来る卒業生のオアシスといった所です。<br /><br /> こじんまりしたスペースに、OB会の写真や卒業生の連絡ノートが置かれてあり、プロ級の腕の御主人桑島さんの描いた油絵が壁一面に飾ってあり、アットホームを感じさせる居酒屋です。<br /><br /><img src="http://blog-imgs-44.fc2.com/c/u/m/cumsophia/201203061144592c5.jpg" alt="四ツ谷の桑ご主人写真" border="0" width="430" height="320" /><br />ご主人の桑島勉さん<br /><br /> 大学にあるソフィアンズ・クラブの「家族版」といったところです。<br /><br /><span style="font-size:large;">■ソフィアンズの意気投合の場</span><br /><br /> 桑島さんは「桑」さんと呼ばれて、とても気さくな方ですが、若いソフィアンの利用が少ないとのことです。ちょっと縄ののれんをくぐってカウンターで一杯やりながら、それまで、縁のなかったソフィアンズと意気投合する良い場でもあり、是非御利用くださいとのことです。<br />(文 松村裕幸 '70外ポ)<br /><br />居酒屋「桑」<br />TEL:03-3357-7841<br />住所:東京都新宿区四谷1-8-14<br /><iframe width="425" height="350" frameborder="0" scrolling="no" marginheight="0" marginwidth="0" src="http://maps.google.co.jp/maps?f=q&amp;source=s_q&amp;hl=ja&amp;geocode=&amp;q=%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E9%83%BD%E6%96%B0%E5%AE%BF%E5%8C%BA%E5%9B%9B%E8%B0%B71-8-14&amp;aq=&amp;sll=36.5626,136.362305&amp;sspn=37.44459,68.90625&amp;brcurrent=3,0x60188c8bbada4465:0xc8b6ee703ba42899,0,0x60188c8ba35a43c5:0x2135dba22c30ab28&amp;ie=UTF8&amp;hq=&amp;hnear=%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E9%83%BD%E6%96%B0%E5%AE%BF%E5%8C%BA%E5%9B%9B%E8%B0%B7%EF%BC%91%E4%B8%81%E7%9B%AE%EF%BC%98%E2%88%92%EF%BC%91%EF%BC%94&amp;ll=35.68645,139.728664&amp;spn=0.009394,0.016823&amp;t=m&amp;z=14&amp;output=embed"></iframe><br /><small><a href="http://maps.google.co.jp/maps?f=q&amp;source=embed&amp;hl=ja&amp;geocode=&amp;q=%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E9%83%BD%E6%96%B0%E5%AE%BF%E5%8C%BA%E5%9B%9B%E8%B0%B71-8-14&amp;aq=&amp;sll=36.5626,136.362305&amp;sspn=37.44459,68.90625&amp;brcurrent=3,0x60188c8bbada4465:0xc8b6ee703ba42899,0,0x60188c8ba35a43c5:0x2135dba22c30ab28&amp;ie=UTF8&amp;hq=&amp;hnear=%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E9%83%BD%E6%96%B0%E5%AE%BF%E5%8C%BA%E5%9B%9B%E8%B0%B7%EF%BC%91%E4%B8%81%E7%9B%AE%EF%BC%98%E2%88%92%EF%BC%91%EF%BC%94&amp;ll=35.68645,139.728664&amp;spn=0.009394,0.016823&amp;t=m&amp;z=14" style="color:#0000FF;text-align:left">大きな地図で見る</a></small>
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シーゼ(裸足の歌姫)へのオマージュ

2011年12月30日松村裕幸(1970年外・ポ卒 元WFP国連世界食糧計画職員)◆日本で伝えられなかったアフリカの歌姫の死 2011年12月18日から19日の2日間にかけて、私はチェコのプラハへの旅行中に、BBCのテレビで世界的な著名人3人の訃報を相次いで放映しているのを見ました。 最初の1人は2004年のグラミー賞受賞者で「裸足の歌姫・エディット ピアフの再来」と呼ばれたセザリア・エボラ(通称シーゼ)... 2011年12月30日<br />松村裕幸(1970年外・ポ卒 元WFP国連世界食糧計画職員)<br /><br /><span style="font-size:large;">◆日本で伝えられなかったアフリカの歌姫の死</span><br /><br /> 2011年12月18日から19日の2日間にかけて、私はチェコのプラハへの旅行中に、BBCのテレビで世界的な著名人3人の訃報を相次いで放映しているのを見ました。<br /><br /> 最初の1人は2004年のグラミー賞受賞者で「裸足の歌姫・エディット ピアフの再来」と呼ばれたセザリア・エボラ(通称シーゼ)(12月17日死去、享年70歳)<br /><br /> 2人目は、1989年の東欧のビロード革命の旗手で、元チェコ大統領で作家のヴァクラブ・ハベルVáclav Havel(12月18日死去、75歳)<br /><br /> 3人目は、北朝鮮の独裁者で金正日(キム・ジョン・イル)(12月17日死去、70歳)でした。<br /><br /> 18日のチェコのプラハは、町全体に半旗が掲げられ、人々はハベル元大統領の死を悼んでいました。<br />私は12月23日に帰国しましたが、日本のメディアは金正日の葬儀一色でハベル元大統領の死はもとより、シーゼの訃報は全く無視されていました。国連のWFP(国連世界食糧計画)の職員として26年間、アフリカで生活してきた私にとってシーゼの歌を忘れることはできません。この場を借りて、シーゼの思い出を記し、彼女の歌の素晴らしさを再認識して頂きたく、筆を取りました。12月30日には私が6年間も滞在し、そして彼女が生まれ育ち、亡くなったアフリカのカーボ・ベルデから彼女を偲んで写真と歌が私に送られてきました。<br /><br /><span style="font-size:large;">◆忘れられないシーゼ(セザリア・エボラCesária Evora)との出会い</span><br /><br /> 私が初めてセザリア・エボラ(通称シーゼ)の歌声を聴いたのは、忘れもしない1992年の暮れ、南部アフリカのナミビアでした。当時、アパルトヘイトの人種差別を行っていた南アフリカのラジオ放送でした。甘く、切なく、哀愁に満ちた“Deixa de morrer”(死なないで)で始まる歌声は、私の心をとらえて、離れませんでした。それが1992年、30万部を売り上げたMiss Perfumadoの曲でした。シーゼは西アフリカのカーボ・ベルデ島出身の歌手であることを知り、歌には人種差別が無いのかと感心したりしたことを記憶しています。<br /><br /> その2年後の1994年8月。私はカーボベルデへ転勤になり、その年の暮れに、首都プライアの国会議事堂ホールで開かれた彼女のコンサートに家内と二人で聴きに行きました。館内600席のホールは満席。立ち見が出る程の盛況で、会場はムンムンと熱気に満ちていました。同じ会場で世界的に有名なポルトガルのファドの女王アマリア・ロドリゲスがコンサートをした時は、観客は半分だったと知らされ、その盛況さに圧倒され、人気に驚きました。<br /><br /> シーゼは舞台に設置されたテーブルのグロッグ(サトウキビで出来た50度の現地産アルコール)を先ず一口飲み、コラデイラと呼ばれるサンバ調の踊りをしながら、裸足で会場に現れました。まさにシャンソンの女王、エディット・ピアフの再来を彷彿させます。一曲歌うごとに、タバコを吸い、グロッグをすすり、大柄な体全体をゆらせながらの歌は迫力に満ちていました。<br /><br /> また、モルナ(Morna)独特の哀愁に満ちたメロデーは心に焼きつけられました。ブルースのようなメロデーで、cavaquinho(小さなギター)、クラリネット、アコーデオン、バイオリン、ピアノ、ギターの音色がたまらないコンビネーションの音楽です。<br /><br /><span style="font-size:large;">◆カーボベルデの自宅でご馳走に</span><br /><br /> その後、彼女とは個人的に2度ほど、会っております。<br /><br /> 最初は2003年4月でした。ドイツのミュンヘンで彼女のコンサートがあり、たまたま、会議とジェンダーの研修で私はミュンヘンに滞在していました。当時、彼女はWFPの親善大使をしていた関係で、私は10年ぶりにコンサートに行きました。最初のコンサートから10年経っても、彼女のダイナミックな歌唱力は変わらず、1000人ものドイツ人の観客を魅了しました。何度もアンコールのコールでした。コンサート後に私は楽屋へ訪れ、彼女の生まれ故郷であるカーボベルデの話しをしましたら、「ドイツでカーボベルデのことが話題になるとは」と、非常に喜んでくれたことを覚えています。<br /><br /> 2度目は、2007年1月に、カーボベルデのサンビセンテ島をWPFの仕事で訪れたとき、同僚が彼女の家へ連れて行ってくれました。カシュパ(現地の代表的な食事)を御馳走になりました。そのときに彼女と一緒に撮影した写真はマスコミソフィア会のコムソフィアに掲載した<a href="http://cumsophia.blog106.fc2.com/blog-entry-50.html" target="_blank" title="2010年のアフリカだよりの第六話">「アフリカだより」の第六話(クリックでリンク)</a>に掲載されています。<br /><br /><span style="font-size:large;">◆人間的な魅力のあるおばさん</span><br /><br /><img src="http://blog-imgs-44.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20111230162502305.jpg" alt="セザリアエボラ" border="0" width="400" height="267" onclick="popupImage('http://blog-imgs-44.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20111230162502305.jpg')" /><br>セザリアと筆者(クリックで拡大)<br /><br /> 今でも記憶しているのは、最初に「Sra.Cesária Evora」と話し始めると、「ニックネームのシーゼ(Cise)と呼んでくれ」と言われました。彼女に「日本も含めた世界各国でコンサートをされて、どこが一番良かったですか?」と尋ねると、答えは、「フランスのパリかな…」そのあと少しして、「いや、やっぱり、カーボベルデのサンビセンテ島のミンデロだね。ゆっくり、くつろげるからね」という言葉が返ってきました。<br /><br /> すごく、人間的な魅力のあるおばさんという感じでした。世界的に有名になっても,生活は変えず、病気で体が弱っているにもかかわらず、私を自宅に迎えてもてなしてくれて、彼女の家はいつも近所の人たちのたまり場でした。<br /><br /><span style="font-size:large;">◆シーゼの簡単な略歴</span><br /><br /> 最後に彼女の略歴を紹介しましょう。<br /><br /> 1941年、カーボベルデのサンビセンテ島ミンデロに生まれ、7歳の時、父親が亡くなり、10歳の時、母親が7人の子どもを養育出来ないため、彼女は孤児院にあずけられ、そこで育ちました。幼少期から歌がうまく、16歳の時に船員のための場末のバーで歌い始めました。20歳ころ、Radio Mindeloで彼女の歌が放送され、次第に名前が知られ有名になります。その歌声を聴いて、カーボベルデの歌手でポルトガルで売れていたバーナ(「日本の最高だよ」の曲を歌いヒットする)が、1985年にポルトガルのリスボンでコンサートを企画して、成功を収めます。彼女が44歳のときのことです。その成功がフランスのパリに伝わり、1988年、フランスで最初のアルバム La Diva Aux Pieds Nusが発売され、大ヒットになります。<br /><br />1992年“Miss Perfumado”のアルバムが世界で30万部売れる。<br />1995年、グラミー賞の候補に挙がる。<br />1997年、All AfricanMusic AwardsでBest Artistを受賞<br />2004年、Voz d’Amor のアルバムでグラミー賞受賞<br />2010年5月、心臓発作で、ポルトガルのリスボンで倒れる。パリで手術をするも、9月以降、歌手活動を中止。<br />2011年12月17日:生まれ故郷のサンビセンテ島で呼吸不全のため、70歳で死去。死ぬ前まで、好きなお酒をたばこは欠かさなかったと言われます。<br /><br /><span style="font-size:large;">◆カーボベルデ 魅力ある島、移民の島、音楽の島</span><br /><br /> 私の家には彼女のCDが8枚あり、いつも、なつかしく家内と聴いています。アフリカでの26年にわたるWFP勤務・生活の中で、カーボベルデは通算6年にわたって生活したところです。アフリカの中でも、小さな島国ですが魅力のあるところです。<br /><br /> いつか、また、カーボベルデの魅力をお伝えできればと考えています。(了)
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