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<!-- passive:etc --><div style="text-align:center;margin-bottom:10px;"><iframe src='//assys01.fc2.com/1382' style='width:300px;height:250px;border:none;' scrolling='no'></iframe><!-- FC2管理用 --><img src="//media.fc2.com/counter_img.php?id=1368" width="1" height="1"><!-- FC2管理用 --></div><div style="font-size:8px;">上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。<br />新しい記事を書く事で広告が消せます。</div>
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Remember Pearl Harbor

アメリカの英雄的戦艦ミズリー号甲板に残る神風特攻兵の海軍葬跡 「Remember Pearl Harbor」は、アメリカ国民だけなく、我々日本人にも重い記憶を迫っていることをこの3月この地を訪問し自覚した。 今ハワイは、若い二人のハネムーンのメッカになっているが、76年前、中でもオワフ島真珠湾は日米開戦の火ぶたが切られた戦場であった。1941年12月7日朝、日本海軍戦闘機による奇襲で、アメリカの戦艦をはじめ航空機隊、石油タン... アメリカの英雄的戦艦ミズリー号甲板に残る神風特攻兵の海軍葬跡<br /><br /> 「Remember Pearl Harbor」は、アメリカ国民だけなく、我々日本人にも重い記憶を迫っていることをこの3月この地を訪問し自覚した。<br /><br /> 今ハワイは、若い二人のハネムーンのメッカになっているが、76年前、中でもオワフ島真珠湾は日米開戦の火ぶたが切られた戦場であった。1941年12月7日朝、日本海軍戦闘機による奇襲で、アメリカの戦艦をはじめ航空機隊、石油タンクなど港の海軍軍事施設は壊滅的破壊を蒙った。<br /><br /> 今もこの真珠湾のアメリカ海軍基地には、この時の爆撃により沈没した戦艦アリゾナ号の上に記念館があり、相対するように戦争終結の調印式を施行した戦艦ミズリー号が係留され、多くのアメリカ人が訪れる場所でもある。<br /><br /> 特にミズリー号は、第二次世界大戦、その後の朝鮮戦争、湾岸戦争にも参戦し活躍したアメリカ海軍の英雄的戦艦であるといわれている。この戦艦は沖縄戦に参戦した時、突入してきた神風特攻機により火災に見舞われたが、乗組員の必死の消火活動で沈没を免れている。甲板には、この神風特攻機による戦跡記念パネルが展示されている。<br /><br />▼「祖国に命を懸けた若者の死は敵も味方も無い」<br /> パネル解説によれば、1945年4月11日沖縄戦に向けて九州鹿屋を出撃した神風特攻機は、戦火をかいくぐり低空でミズリー号右舷に当たり、甲板が火災を起こした。乗組員の必死の消火活動で鎮火したが、甲板には、特攻機搭乗員の血まみれの遺体の一部が特攻機操縦席から回収された。<br /><br /> ミズリー号ウィリアム・キャラハン艦長は、多くの乗組員の反対意見にもかかわらず「祖国に命を懸けた若者の死には敵も味方も無い」と海軍葬を命じた。翌12日遺体は、急遽作られた日の丸国旗に包まれ水葬されたという。展示には、海軍葬さらに日本の搭乗兵と家族写真が掲載されている。<br /><br /> この展示パネルは、アメリカ国民に祖国を守るとはどういうことか無言に教えているように見れる。<br />戦艦ミズリー号ウィリアム・キャラハン艦長には、戦争の持つ非情さを透徹したリーダ―シップに感心せざるをない。<br />向山肇夫(1963年法法・日本ペンクラブ会員)<br /><br /><a href="http://blog-imgs-110.fc2.com/c/u/m/cumsophia/201709191046371c3.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-110.fc2.com/c/u/m/cumsophia/201709191046371c3.jpg" alt="3_真珠湾アメリカ海軍基地係留されている戦艦ミズリー号(手前)800x600" border="0" width="430" height="323" /></a><br />写真1 真珠湾のアメリカ海軍基地内に係留されている戦艦ミズリー号(手前)と戦艦アリゾナ記念館<br /><br /><br /><a href="http://blog-imgs-110.fc2.com/c/u/m/cumsophia/2017091910463996a.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-110.fc2.com/c/u/m/cumsophia/2017091910463996a.jpg" alt="4_水葬するミズリー号乗組員と海軍葬を命じたウィリアム・キャラハン艦長と神風特攻隊員と家族800x600" border="0" width="430" height="323" /></a><br />写真2 水葬する乗組員と海軍葬を命じたウィリアム・キャラハン艦長と搭乗兵・家族写真パネル<br /><br /><a href="http://blog-imgs-110.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20170919104634403.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-110.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20170919104634403.jpg" alt="1_ミズリー号右舷に残る特攻機突入跡800x600" border="0" width="323" height="430" /></a><br />写真3 戦艦ミズリー号右舷に残る神風特攻機突入跡<br /><br /><br /><a href="http://blog-imgs-110.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20170919104636c76.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-110.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20170919104636c76.jpg" alt="2_戦艦ミズリ-号甲板に残る神風特攻隊員遺体水葬会葬者の足跡600x800" border="0" width="323" height="430" /></a><br />写真4 ミズリー号甲板に残る特攻隊員遺体水葬会葬者の足跡<br />
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大統領とメディア

大統領とメディア 武市 英雄(1960文英 新聞学 上智大学名誉教授)アメリカのトランプ大統領はメディアが嫌いなようである。この2月末にニューヨーク・タイムズやCNNテレビ、ロサンゼルス・タイムズ、イギリスのBBC、デイリー・メールなどを記者発表から締め出してしまった。逆に参加を認められているのはFOXテレビ、ウォールストリート・ジャーナルなどである。他に大統領側近のバノン首席戦略官が会長を務める右派系ニュース... 大統領とメディア 武市 英雄(1960文英 新聞学 上智大学名誉教授)<br /><br />アメリカのトランプ大統領はメディアが嫌いなようである。この2月末にニューヨーク・タイムズやCNNテレビ、ロサンゼルス・タイムズ、イギリスのBBC、デイリー・メールなどを記者発表から締め出してしまった。逆に参加を認められているのはFOXテレビ、ウォールストリート・ジャーナルなどである。他に大統領側近のバノン首席戦略官が会長を務める右派系ニュースサイトのプライバート・ニュースなどである。大統領が気に入らないのは、一連のロシア関連の疑惑を報じたものである。AP通信やタイム誌は取材を認められたが、抗議の意を込めて辞退した。<br /><br />トランプ大統領は「我々は偽ニュースと戦っている。彼らは国民の敵である」と一部の報道機関を批判した。政権に都合の悪い情報に「フェイク(偽)ニュース」のレッテルを貼り、報道の信ぴょう性を貶めている。とくにニューヨーク・タイムズやCNNは「もはや物笑いの種だ」と非難した。<br /><br /><a href="http://blog-imgs-104.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20170404114204061.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-104.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20170404114204061.jpg" alt="トランプ大統領430x294" border="0" width="430" height="294" /></a><br /><br />これに対してニューヨーク・タイムズは「さまざまな取材をして来た長い歴史の中で、このようなことはなかった」と抗議した。CNNも「気に入らない記事への報復である」と反発した。さらにメディアが8年前の大統領就任式の写真と比べて、今回は人出が少なかったと報じたのに対して、政権高官は「もう一つの事実〈オールタナティブ・ファクト〉」と強弁したのも変な話しである。真実は一つしかないはずだ。<br /><br />報道機関で批判される政権にとっては、メディアを批判したい気持ちはあるだろう。しかしメディアこそが最後のチック機関なのである。これを通ったら、まちがった事実が実行される。今のトランプ政権は、メディアの自由な取材と報道が民主主義に果たす役割を十分理解していないのではないか。これは戦後、日本がアメリカから学んだことなのである。そのアメリカの大統領がおかしくなっている。<br /><br />大統領とメディアとの関係は古い。とくにフランクリン・D・ルーズベルトはメディアと有意義な関係を持っていた。在任期間12年間に998回も記者会見を開いている。年平均83回である。「炉辺談話」は有名で、アメリカ国民と対話をした。<br />年平均にすると、トルーマンが42回、アイゼンハワーが24回、ケネディが22回、ジョンソンが25回、ニクソンが7回、フォードが16回、カーターが26回などである。<br /><br />記者会見をしばしばやった方が政権と国民との繋がりが良いと言えるのではないだろうか。たとえ、政権にとって不都合な場面があってもである。<br /><br />日本のプレスと首相との関係はどうだろうか。質問が一般的で、あまり深い審議がない。アメリカでも日本でも、メディアは国と一般市民を結びつける関係にある。メディアを嫌う政権は国民との関係が薄くなってしまうだろう。
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欧州は再び「壁」をつくるのか 「難民危機」と「テロ」との戦い

欧州は再び「壁」をつくるのか 「難民危機」と「テロ」との戦い (2015/11/24)最首公司(1956文新) 「ベルリンの壁」が取り壊されて、この11月9日で満26年になる。その8日ほど前の11月1日、壁取り壊しのきっかけ作ったジャボスキー・ギュンター氏がベルリン市内で86歳の生涯を閉じた。 1989年11月9日、東ドイツ共産党政治局員で報道担当だった同氏が、党が決定した「西ベルリンへの通行自由化」を発表した が、このとき... 欧州は再び「壁」をつくるのか 「難民危機」と「テロ」との戦い (2015/11/24)<br />最首公司(1956文新)<br /><br /> 「ベルリンの壁」が取り壊されて、この11月9日で満26年になる。その8日ほど前の11月1日、壁取り壊しのきっかけ作ったジャボスキー・ギュンター氏がベルリン市内で86歳の生涯を閉じた。<br /><br /> 1989年11月9日、東ドイツ共産党政治局員で報道担当だった同氏が、党が決定した「西ベルリンへの通行自由化」を発表した が、このとき記者団から「それはいつから?」という問いに、一瞬考えたあと「直ちに」と応じた。これがきっかけで東ベルリン市民 は検問所に殺到、あふれた市民は「壁」を乗り越え、そして壊し始める。この市民の動きが加速、増幅されて津波のごとく反政府運動 に高まり、ウルブリヒト東独政権が倒れ、東西ドイツ統一が実現し、遂には東西冷戦を閉幕させるエネルギ-にまで高まった。もしも あの時彼が「時期はこれから決める」と答えていたら・・・。<br /><br /><a href="http://blog-imgs-90.fc2.com/c/u/m/cumsophia/babilon.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-90.fc2.com/c/u/m/cumsophia/babilon.jpg" alt="babilon.jpg" border="0" width="430" height="323" /></a><br /><br />写真1 「古代バビロニア・イシュタール門」。もし、ISがユーフラテス河畔を占領したら破壊しているかもしれない。<br /><br /> たまたま欧州回遊中だったので、「ベルリンの壁」の跡地を見ておこうと、ベルリンへ飛んだ。宿は観光名所の「博物館島」にある ビジネスホテル。歩いて博物館や美術館に行けるし、メトロ、バス利用で「壁」が保存されている旧検問所「チャーリー・チェックポ イント」にも簡単に行ける。近くには欧州一の高さを誇るテレビ塔や大聖堂もある。<br /><br /> 一歩外に出て目についたのは物乞いの多さだった。ホテルを出た大通り、メトロ入口、出札所の前、車内にはギターやバンドネオン を弾きながら小銭を集めてまわる中高年者。大聖堂広場のベンチで休んでいたら「英語が読めるか?」と近づいてきた老女が紙片を差し出した。道を尋ねているのかと思って読んだら「スロベニアから逃げてきた。お金を恵んで」という内容だった。<br /><br /><a href="http://blog-imgs-90.fc2.com/c/u/m/cumsophia/charlie.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-90.fc2.com/c/u/m/cumsophia/charlie.jpg" alt="charlie.jpg" border="0" width="430" height="323" /></a><br /><br />写真2 かつて検問所があった「チャーリー・チェックポイント」。いまは観光名所で売店になっている。<br /><br /> 難民、移民にやさしいといわれるドイツだが、さすがに限界がきたようで、メディアは「Refugee Crisis」(難民危機)と呼び、国民に拒否反応が出てきたことを報じている。すでにハンガリーは難民受け入れを拒否して「壁」を設けた。EUとアフリ カ首脳による難民の帰還対策会議がマルタで開かれた。<br />このあと、ロンドン経由で無事に帰国したが、1日遅れてパリ経由にしたら「パリ同時多発テロ」に遭遇していたかもしれない。欧州の「反難民」ムードは益々強まり、現実の「壁」の前に「心の壁」ができるだろう。実はこれこそが、自爆テロを仕掛けたISの狙いだ。先進国での民族間対立や宗派間憎悪を拡大させ、社会全体に動揺を与えながら不安や不満をたぎらせた若者たちを釣り上げていくからだ。(エネルギー・フォーラム誌電子版からの転載)
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戦後70年 〜 写真展と講演会(レポート編)

◆タイトル:戦後70年 戦時下の上智大学〜国破レテ1号館アリ 〜写真展と講演会◆日時:2015年5月31日(日)◆時間:11:00~15:00◆場所:紀尾井坂ビル1階115教室(図書館の奥、11号館を入って左奥のビル)◆主催団体:マスコミ・ソフィア会マスコミ・ソフィア会主催写真展・講演会「戦後70年、戦時下の上智大学〜国破レテ、1号館アリ」が、5月31日(日)、オールソフィアンの集いの会場内紀尾井坂ビル115教室で開催されました。会場には学... ◆タイトル:戦後70年 戦時下の上智大学〜国破レテ1号館アリ 〜写真展と講演会<br />◆日時:2015年5月31日(日)<br />◆時間:11:00~15:00<br />◆場所:紀尾井坂ビル1階115教室(図書館の奥、11号館を入って左奥のビル)<br />◆主催団体:マスコミ・ソフィア会<br /><br />マスコミ・ソフィア会主催写真展・講演会「戦後70年、戦時下の上智大学〜国破レテ、1号館アリ」が、5月31日(日)、オールソフィアンの集いの会場内紀尾井坂ビル115教室で開催されました。<br /><br />会場には学徒動員で陸海軍に入隊した先輩や上智大学史資料室より提供された、70年以上前の学生の教練の様子など上智大学関連の写真が展示されました。<br /><br /><a href="http://blog-imgs-89.fc2.com/c/u/m/cumsophia/1-5.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-89.fc2.com/c/u/m/cumsophia/1-5.jpg" alt="1-5.jpg" border="0" width="430" height="287" /></a><br /><br /><strong><span style="font-size:large;">■戦前の上智大学</span></strong><br /><br />1937年(昭和12年)7月「盧溝橋の1発」から始まった「日中戦争」(当時は 日支事変と呼ばれた)は戦線が拡大し中国大陸全土に及んだ。1939年(昭和14年)満蒙国境で「ノモンハン事件」起こる。大敗北だったが軍部は国民に秘匿。9月、ドイツ、ポーランド進攻「第2次世界大戦」始まる。文部省『国体の本義』を発行。敗戦までに200万部を発行、教育関係者に配布し「大日本は神国」を国民に徹底した。中国との戦争は始まっていたが、日米開戦までは上智学内では平穏に授業が行われていた。<br /><br /><a href="http://blog-imgs-89.fc2.com/c/u/m/cumsophia/2-1.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-89.fc2.com/c/u/m/cumsophia/2-1.jpg" alt="2-1.jpg" border="0" width="430" height="287" /></a><br />当時の四ツ谷駅<br /><br /><a href="http://blog-imgs-89.fc2.com/c/u/m/cumsophia/2-3.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-89.fc2.com/c/u/m/cumsophia/2-3.jpg" alt="2-3.jpg" border="0" width="430" height="287" /></a><br />現ソフィア通りに面した上智大学1号館旧正門から入る配属将校に敬礼をする学生。もし敬礼を失すとビンタが飛んだ。当時の学園の様子は、作家遠藤周作(42予科中退)著小説『札の辻』に詳しい。<br /><br /><strong><span style="font-size:large;">■学徒出陣</span></strong><br /><br />1941年(昭和16年12月8日、「真珠湾攻撃」を行い米英と戦争状態に入り、その後、東南アジアに軍を進めたが、翌昭和17年6月、ミッドウェー海戦で連合艦隊の主力空母4隻を失い大敗北を喫した。海軍はこれを軍事機密としたため、この後の「大本営発表」は全てウソとなった。昭和18年、次第に太平洋での制海権、制空権を失い敗色濃厚となる。昭和18年10月「学生・生徒の徴兵猶予停止」となり、学徒動員が始まり上智大学生含め約13万人の学生が戦場に赴いた。<br /><br /><a href="http://blog-imgs-89.fc2.com/c/u/m/cumsophia/3-4.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-89.fc2.com/c/u/m/cumsophia/3-4.jpg" alt="3-4.jpg" border="0" width="430" height="287" /></a><br />上智大下級生の拍手に送られて1号館前銃を担いで行進する上級生<br /><br /><strong><span style="font-size:large;">■教練</span></strong><br /><br />「教練」は大学、高等学校(旧制)、中学校(旧制)の必修科目で、これをとらないと卒業できなかった。学内で行われる「教練」の他、千葉県の習志野練兵場などで行われる野外演習にも参加しなければならなかった。<br /><br /><a href="http://blog-imgs-89.fc2.com/c/u/m/cumsophia/4-1.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-89.fc2.com/c/u/m/cumsophia/4-1.jpg" alt="4-1.jpg" border="0" width="430" height="287" /></a><br />遠くから上智大学学生の軍事訓練を見守るヘルマン・ホイヴェルスS.J<br /><br /><a href="http://blog-imgs-89.fc2.com/c/u/m/cumsophia/4-2.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-89.fc2.com/c/u/m/cumsophia/4-2.jpg" alt="4-2.jpg" border="0" width="430" height="287" /></a><br /><br /><a href="http://blog-imgs-89.fc2.com/c/u/m/cumsophia/4-3.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-89.fc2.com/c/u/m/cumsophia/4-3.jpg" alt="4-3.jpg" border="0" width="430" height="287" /></a><br />サーベルを手にしたリーダーのもと野外演習で分列行進する上智大学生<br /><br /><strong><span style="font-size:large;">■ まず教育に携わる人材を</span></strong><br /><br />四ツ谷周辺は昭和20年4月13日深夜のアメリカ空軍B29の爆撃によって焦土と化した。上智大学は、旧校舎(482坪)は全焼したが、新校舎(1号館)(1366坪)は焼け残った。そして米占領軍先遣隊の戦艦ミズーリーで来日した従軍司祭5人が9月5日に、食糧と衣服を持って上智大学を訪れた、そして、その時、上智のS.Jたちは「食糧などの物資より、教育に携わる人材を送って欲しい」と望んだという。<br /><br /><a href="http://blog-imgs-89.fc2.com/c/u/m/cumsophia/6-1.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-89.fc2.com/c/u/m/cumsophia/6-1.jpg" alt="6-1.jpg" border="0" width="430" height="232" /></a><br />重なる米軍機B29の爆撃で焼け野原となった四ツ谷界隈、上方中央右が上智大学1号館(1947年頃撮影<br /><br /><a href="http://blog-imgs-89.fc2.com/c/u/m/cumsophia/6-2.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-89.fc2.com/c/u/m/cumsophia/6-2.jpg" alt="6-2.jpg" border="0" width="430" height="287" /></a><br />1945(昭和20)年9月5日上智大学を訪問した従軍司祭たち。前列 左からポール・オコナーS.J、チャールス・ロビンソンS.J、サムエル・レ イS.J、後列左から4番目土橋学長。オコナーS.Jは後に米ザビエル大学(オハイオ州)の学長となる(Xavier University Archives蔵)<br />
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「抗日70周年記念行事」首相は参加を

安倍晋三首相は、中国が9月3日に行う「抗日戦争勝利70周年」記念行事に、反日的ではなく融和的な行事なら、と条件付きで出席の意向を示した。戦後70年談話記者会見で、首相は「私たちは歴史に対して謙虚でなければなりません」「これからも謙虚に歴史の声に耳を傾けながら、未来の知恵を学んでいく」と述べた。談話では「過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません」とも明言した。であれば、この記念行事は、中国との関係... 安倍晋三首相は、中国が9月3日に行う「抗日戦争勝利70周年」記念行事に、反日的ではなく融和的な行事なら、と条件付きで出席の意向を示した。<br /><br />戦後70年談話記者会見で、首相は「私たちは歴史に対して謙虚でなければなりません」「これからも謙虚に歴史の声に耳を傾けながら、未来の知恵を学んでいく」と述べた。談話では「過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません」とも明言した。<br /><br />であれば、この記念行事は、中国との関係の過去と未来に真正面から向き合うまたとない機会だ。ここは条件など付けずに、たとえ反日的な行事であろうと堂々と出席すべきだ。出席することで対外的にも好印象を与えることができるだろう。<br /><br />首相は談話で「我が国は、いかなる紛争も、法の支配を尊重し、力の行使ではなく、平和的・外交的に解決すべきである」と訴えた。さらにこの原則を「世界の国々にも働きかけてまいります」とも語った。<br /><br />中国は日本を含め周辺国とさまざまな点で摩擦を引き起こしている。「平和的・外交的に解決」を意図するなら、首相はせっかくの招待に背を向けず、正面から中国と向き合うべきだ。(稲村哲 '68文英 出版プロデューサー)(2015年8月22日 朝日新聞 オピニオン&フォーラムに掲載)
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安保関連法案、参院へ(武市英雄 ’60文英)

写真は上智大学内SJハウス「クルトゥルハイム聖堂」 安保関連法案(11本)が16日衆院・本会議で可決され、参院へ送られることになった。ほぼ、どの新聞社の世論調査でも「法案への理解」が進んでいない。毎日新聞の例では「今国会での成立に反対」が61%、「政府・与党の説明は不十分」が81%。安倍晋三首相もこれを認め「こんご国民の理解を求めたい」と述べている。「明白な危険とは」 この報道の中で「明白な危険」という概念... <a href="http://blog-imgs-72.fc2.com/c/u/m/cumsophia/asf2015_IMG_0897.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-72.fc2.com/c/u/m/cumsophia/asf2015_IMG_0897.jpg" alt="asf2015_IMG_0897.jpg" border="0" width="430" height="323" /></a><br />写真は上智大学内SJハウス「クルトゥルハイム聖堂」<br /><br /> 安保関連法案(11本)が16日衆院・本会議で可決され、参院へ送られることになった。ほぼ、どの新聞社の世論調査でも「法案への理解」が進んでいない。毎日新聞の例では「今国会での成立に反対」が61%、「政府・与党の説明は不十分」が81%。安倍晋三首相もこれを認め「こんご国民の理解を求めたい」と述べている。<br /><br /><span style="font-size:large;">「明白な危険とは」</span><br /> この報道の中で「明白な危険」という概念を初めて知った人がいると思う。これはアメリカで1919年、連邦最高裁のオリバー・ホームズ判事が考え出した概念(原理)である。第一次世界大戦中の1919年、社会党のシェンクス書記長が「徴兵拒否」を説いたパンフレットを配ったため、防諜法第三条によって有罪とされた。(シェンクス事件)<br /><br /> しかし、同じ年、ロシア革命に関連して、米国軍隊をシベリアに派兵することに反対して、ロシア移民エイブラムズら四人がパンフレットを配ったこと(エイブラムズ事件)について、ホームズ判事は「戦争遂行を妨害することを意図したのではない。むしろ言論の自由の見地から無罪である」と判断した。<br /><br /> 「明白な危険」とは具体的にはどのような事態か?安倍首相は「総合的に判断する」と述べるに止まり、誰がどのような基準で判断するかは、明確にしなかった。これでは、全て時の政権が「秘密保護法」によるブラックボックスの中で「恣意的」に判断するかもしれず、国民も国会も知らぬ間に「戦争」に巻き込まれることになりかねない。<br /><br /> アメリカで考えられた「明白な危険」の概念は「言論の自由」との微妙な関係で成り立っている。「明白な危険」とは何か?どのような基準で判断するか、そうした議論を参院で期待したい。<br /><br /><span style="font-size:large;">「国民を守るというがー」</span><br /> 更に、安倍首相は「日本人の安全を守るための法律だ」と言っているが、海外でボランティア活動をしている日本の民間人は、これまで、日本が「武力行使をしない国」であることで現地の人々から信頼され攻撃を受けなかったという。勿論、犠牲者はゼロではなかったが、今後、この法律が成立し「自衛隊」が武器を持って交戦することになれば「敵」「味方」が明白となり「敵」として激しい攻撃を受けることになるのではないか?これまでにも「ドイツ」など武装している国の軍隊は少なからぬ戦死者をだしている。<br /><br /> さらに審議の内容にも、多くの問題点が出た。首相のはぐらかしの答弁。「早く質問しろよ」という野次。自民党の勉強会で、講師・百田尚樹氏の沖縄を代表する二紙に対して「つぶさないといけない」と発言したこと、などなどー。<br /><br /> 特に、首相がアメリカの国会で八月までに安保法案を通すと述べたことも異常である。日本の国会も無視し、日本国民をバカにしているとしか見えない。<br /><br /><span style="font-size:large;">「自衛隊員の安全確保は?」</span><br /> さらに、大切なことは世界中に派遣されることになるであろう自衛隊の安全を十分に検討しなければならないことである。<br /><br /> イラクのサマワに派遣された自衛隊員約5,480人のうち、現地で21人が自殺したという。更に帰国後、普通の社会生活に戻った時、ギャップの大きさで精神の均衡を崩して自殺未遂や精神を病むものも少なくない。(元自衛隊中央病院精神科部長福間詳氏 朝日新聞7月17日朝刊17面より)<br /><br /> 武器の使用で人を殺すことにもなるのでPTSD(心的外傷後ストレス障害)などに考慮して万全の体制を整えなければならないが、その議論があまり行われていない。<br /><br /> 自衛隊の目的が自衛であったのが、地球の裏側へも出動することもあり得る。アメリカの代理戦争にも突入することがあるかもしれない。もちろん日本は国際的な協力は必要だが武力だけでなく、文化など多方面の道があろう。少なくとも参院では、いままでにない誠実な討論を期待したい。今日までの内閣と国会が積み上げてきた憲法解釈を、一内閣の判断で変更してはならない。<br />(武市英雄 ’60 文英 新聞学者 メディア論 上智大学名誉教授)
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報道機関への威圧(武市英雄 ’60文英)

四ツ谷の土手の風景 「あなたの意見は私と異なるが、異なることを発表するのを、妨げることはしません」というのは社会人の常識であろう。自分の意見を発表することができるが、相手の人も、例え自分の意見と違っていても発表することを妨げてはいけない。これこそが言論の自由を認めている国ぐにで当然行われていることである。 ところが、沖縄の二つの新聞(「沖縄タイムス」と「琉球新報」)は「日本をおとしめる目的で書いて... <img src="http://blog-imgs-72.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20150704134554f7e.jpg" alt="asf2015四ツ谷土手風景IMG_0889" border="0" width="430" height="323" /><br />四ツ谷の土手の風景<br /><br /> 「あなたの意見は私と異なるが、異なることを発表するのを、妨げることはしません」というのは社会人の常識であろう。自分の意見を発表することができるが、相手の人も、例え自分の意見と違っていても発表することを妨げてはいけない。これこそが言論の自由を認めている国ぐにで当然行われていることである。<br /><br /> ところが、沖縄の二つの新聞(「沖縄タイムス」と「琉球新報」)は「日本をおとしめる目的で書いているとしか思えない記事が多い」などと述べる作家(百田尚樹氏)が講演で語った。自民党の若手議員による勉強会「文化芸術懇談会」で講師に立った百田氏が沖縄の二紙に対して「つぶさないといけない」などと発言した。<br /><br /> そこにいた議員たちも「マスコミを懲らしめるためには広告料収入をなくせばいい。経団連などに働きかけてほしい」との発言もあった。<br /><br /> これはまさに第二次世界大戦中の報道機関への威圧と同じである。大戦中は日本の新聞が合併されたり、発禁されたりすることが多かった。国家総動員法をはじめ新聞用紙供給制限令、言論出版集会結社等臨時取締法など言論の自由を抑圧する法律が多数整備された。一県一紙主義に統制されたのもこの時代である。<br /><br /> 言論の自由が抑圧されるのは突然ではない。徐々に迫っているのである。だからこそ、国や政権与党の動きに気をつけなければならない。<br /><br /> 日本新聞協会は5月29日、抗議声明を発表した。「マスコミを懲らしめるために広告料収入をなくすよう働きかけるべきとの発言や、招かれた講師から沖縄二紙に圧力をかけるような発言があったことは極めて遺憾だ」と表明した。<br /><br /> 沖縄タイムスと琉球新報の編集局長は7月2日、日本記者クラブで会見し、基地問題や地元メディアへの誤った認識について「事実に基づかない誹謗、中傷は看過できない」と述べた。<br /><br /> 憲法では人権と表現の自由が保障されている。21条で保障されている言論の自由をないがしろにした発言は許されないと強く抗議したい。(武市英雄 ’60 文英 新聞学者 上智大学名誉教授)
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【特集】戦後70年を迎えて:学徒動員体験者の証言

▶はじめに・・・▶戦後70年を機に「学徒動員体験」を語り継ぐ機運高まる!(編集室)▶再び母校ソフィアの校歌を謳えず戦死した学友を悼む(香川節 1945文史)▶《追悼》戦闘機でB29に体当たりした学徒動員上智大学生(江副隆愛 1947文史)▶長崎に原子爆弾を投下したB29を見上げていた(故 石井恭一 1948経経)▶上智大学出陣学徒戦没者名▶あとがきにかえて:終戦が半年早ければ(磯浦康二 1957文新)<戦後70年を迎えて>はじめに... <a href="#a">▶はじめに・・・</a><br /><br /><a href="#b">▶戦後70年を機に「学徒動員体験」を語り継ぐ機運高まる!(編集室)</a><br /><a href="#c">▶再び母校ソフィアの校歌を謳えず戦死した学友を悼む(香川節 1945文史)</a><br /><a href="#d">▶《追悼》戦闘機でB29に体当たりした学徒動員上智大学生(江副隆愛 1947文史)</a><br /><a href="#e">▶長崎に原子爆弾を投下したB29を見上げていた(故 石井恭一 1948経経)</a><br /><br /><a href="#f">▶上智大学出陣学徒戦没者名</a><br /><br /><a href="#g">▶あとがきにかえて:終戦が半年早ければ(磯浦康二 1957文新)</a><br /><br /><p id="a"><hr style="border-top:4px double #0000ff;width: 100%;height:3;"><戦後70年を迎えて>はじめに・・・<br /><hr style="border-top:4px double #0000ff;width: 100%;height:3;"></p><br /> 今年は戦後70年、人の一生と同じ位の歳月が過ぎた。1931年(昭和6)の満州事変から始まった「アジア・太平洋戦争」は1945年(昭和20)8月15日まで15年間続いた。この間に軍人250万人、空襲などで民間人60万人、計310万人が犠牲となった。敗色濃くなった昭和18年、学徒動員が始まり特攻隊員など多数の学徒が犠牲となった。<br /> 上智大学からも多くの学生が戦地に赴き犠牲者も多いが、その記録などは整備されておらず、体験者は高齢化している。90歳を超えた学徒動員の体験者の大先輩を中心に、改めて体験を語り継ごうという機運が高まり、ソフィア会も戸川宏一副会長を中心にサポートの具体案について検討を行っている。負け戦を国民に隠し、戦争を無理に続行し多数の若者の命を犠牲にした「特攻」とは何だったのか?当時の若者の思いは?そして当時の軍の指導者は何を考えていたのか?私たちは戦後70年を機に、後世に伝えるため上智大学出陣学徒の声を集めて記録に留めることとした。<br /><br /><a href="http://blog-imgs-76.fc2.com/c/u/m/cumsophia/201504190933163cd.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-76.fc2.com/c/u/m/cumsophia/201504190933163cd.jpg" alt="1_学徒動員_IMG_2922-s" border="0" width="430" height="246" /></a><br />1945年1月、学徒動員による水戸陸軍航空通信学校召集尉官生卒業式<br /><br /><p id="b"><hr style="border-top:4px double #0000ff;width: 100%;height:3;"><戦後70年を迎えて>学徒動員体験者の証言<br />満20歳の上智大学学生が徴兵検査を受け陸海軍へ入営・入団<br />マスコミ・ソフィア会まとめ(資料提供・中島重行氏 1944専新)<br /><hr style="border-top:4px double #0000ff;width: 100%;height:3;"></p><br /> 東条英機内閣は、戦局悪化により在学徴集延期臨時特例(文科系学生に対する徴兵猶予特典の停止)を制定し、1943年10月2日勅令を公布した(いわゆる学徒動員令)。これにともない満20歳に達した上智大学学生は徴兵検査を受け、12月早々に陸海軍へ入隊することが決まった。この第1回学徒兵入隊を前にした1943年10月21日東京の明治神宮外苑競技場では、東条英機首相出席のもと出陣学徒壮行会(文部省主催・陸海軍他後援)が開かれた。これには、上智大学学生を含め関東地区の入隊学生を中心に7万人が参加した。壮行会の様子は、(財)日本放送協会(NHK)が2時間半にわたり実況放送した(YouTubeで見ることができる)。学徒出陣によって陸海軍に入隊した学生は、陸軍の幹部候補生・特別操縦見習士官・特别甲種幹部候補生や、海軍の予備学生・予備生徒として、戦場の指揮官クラスの下級将校や下士官になった。さらに1944年10月には徴兵適齢が20歳から19歳に引き下げられ、学徒兵の総数は13万人に及んだ。<br /><br /><a href="http://blog-imgs-76.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20150419093317afc.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-76.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20150419093317afc.jpg" alt="2_新聞学科記念写真_IMG_2925-s" border="0" width="430" height="296" /></a><br />1943年10月、専門部新聞学科学生全員入隊を前に記念撮影<br />(後列左より4人目:故・マスコミ・ソフィア会・濱口浩三会長・元TBS社長)<br />(前列左より4人目:中島重行氏)<br /><br /><a href="http://blog-imgs-76.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20150419093319809.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-76.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20150419093319809.jpg" alt="3_中島重行氏_IMG_2924-s" border="0" width="430" height="232" /></a><br />1944年11月、訓練中の水戸陸軍航空通信学校召集尉官生と特別操縦見習生たち<br />(後列右より2人目:中島重行氏)<br /><br /><p id="c"><hr style="border-top:4px double #0000ff;width: 100%;height:3;"><戦後70年を迎えて>再び母校ソフィアの校歌を謳えず戦死した学友を悼む<br />香川節(1945文史・学徒動員陸軍東部第十七部隊)<br /><hr style="border-top:4px double #0000ff;width: 100%;height:3;"></p><br /><br /><img src="http://blog-imgs-76.fc2.com/c/u/m/cumsophia/201504190933484cf.jpg" alt="香川氏写真200x200" border="0" width="200" height="200" /><br />香川節氏<br /><br /> 私は1941(昭和16)年4月に上智大学予科に入学した。同年12月8日に対米英開戦。当初は好調に見えた戦局は1942年6月から中部・南太平洋の作戦が不利になる気配で、予科の課程が2年から1年半に短縮された。私は文学部史学科に進学し、1944年9月までは授業を受けられたが学徒勤労動員令が出て10月からは「上智大学勤労報国隊」として工場に動員された。そして、1945年6月20日、私もとうとう陸軍に入隊する命令書を受けた。そして6月27日東部第十七部隊に入り、広島市東郊の八木松に出動した。もはやドイツも降伏して、日本だけが連合国の包囲に遭い、沖縄周辺では特攻戦術(片道だけの燃料と爆弾を積んだ飛行機で、敵の軍艦に体当たりする自殺戦法)など、苦しい抵抗を続ける戦争末期である。 <br /> 8月6日には広島に米軍の残虐極まる原子爆弾を落とされて、私もそのショックを受けたのであるが、それが戦争終結の最終的契機となることはご承知の通りである。<br /> 9月20日に復員し、無事東京立川の自宅に帰れたが、一週間後に上智大学の卒業式を焼け残った校舎の事務室で、卒業証書を総長代理の吉安健吉先生から受けて、ともかく文学士となったのである。そのときはたった5名の学生が参集したものであった。やがて、私は土橋八千太先生からお勧めを受けて、上智大学図書館に勤務することになり、他所に疎開してあった図書を元に戻したり、また米国など海外から新着する図書を受け容れ、分類して配架したりする作業を一年間続けたのである。<br /> 敗戦から、すでに70年を過ぎた今、ともあれ平和日本に安住している。今の母校の教授、学生たちは、もう全くあの大戦の実態を知らないであろう。遠い昔のお伽噺のように感じられるかも知れない。しかし、ソフィアの校歌を謳った学生たちの何十人かが、あの大戦で戦死して、再び母校に戻ることが出来なくなったという事実を、厳粛に考えて欲しいと思う。<br /> 私たちの世代は、死線に追いやられ戦争の悲惨さ、反道徳性をイヤという程知っており「絶対に戦争をしてはならない」と心から念じている。<br /> 今、予科生のとき、同級だった河野敬(誉之)君の壮烈な特攻戦死を悼みつつこの一文を記す。<br /><br /><p id="d"><hr style="border-top:4px double #0000ff;width: 100%;height:3;"><戦後70年を迎えて>学徒動員体験者の証言<br />《追悼》戦闘機でB29に体当たりした学徒動員上智大学生<br />江副隆愛(1947文史 学徒動員海軍航空兵・現新宿日本語学校学園長)<br /><hr style="border-top:4px double #0000ff;width: 100%;height:3;"></p><br /><br /><img src="http://blog-imgs-76.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20150419093347316.jpg" alt="7_江副隆愛氏91歳-s" border="0" width="430" height="323" /><br />江副隆愛氏<br /><br /> 戦後70年を迎え、戦闘機でB29に体当たりした学徒動員による上智大学生がいたことを知った。河野敬少尉(昭和16文哲入学、陸軍航空兵で昭和20年4月7日東京上空B29を撃墜して戦死)です。<br /> 今でこそ、私たちの過ごした時代を軍国主義にまぶされた暗い時代と言われますが、それを生きた私たちにも、青春という時代がありました。<br /><br /><a href="http://blog-imgs-76.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20150419093322fb9.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-76.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20150419093322fb9.jpg" alt="5_河野氏戦死記事_IMG_2928-s" border="0" width="430" height="323" /></a><br />河野敬少尉の戦死を報じた昭和20年5月7日付毎日新聞<br /><br /> 私たちは突然戦争に引きずり込まれたのです。それまで日本を仮想敵国として周到に準備していたアメリカに無謀な戦いを挑んだのです。それまでは不意打ちで得た勝利でした。緒戦の華々しい戦果に酔いしれたまま、勝利の夢がほころびにほころんでも、国民の殆どは“われ関せず”だったのではないでしょうか。<br /> これではならぬと立ち上がった若者たちがいます。海軍で言えば、第13期飛行予備学生、陸軍で言えば、陸軍特別操縦見習士官第1期生に応募した大学生たちでした。<br /> 彼らは親に隠れて応募しています。親に言えば「なんでそんな危険な飛行機乗りにならねばならぬのか」と、反対されるに決まっていたからです。現在の若者たちには想像もつないかもしれませんが、その頃の私たちは、自分を若侍ととらえ『武士道といふは死ぬ事と見付けたり』を金科玉条としていました。死に場所を与えてほしかったのです。<br /> 震天制空隊に属した河野敬少尉の心中もそうであったに違いありません。一機一艦を屠るのも、B29を叩き落とすのも、当時の特攻隊員にとっては、掛替えのない死に場所だったといえます。河野少尉と同時に飛び立ち、他のB29に体当たりした古波津里英少尉は落下傘降下を試み、九死に一生を得ています。河野少尉にも、体当たりの瞬間に、命があって操縦席から落下傘を外す機会はあったかもしれません。しかし、死に場所を得た河野少尉は、歌っていたかもしれません。特攻隊がよく口ずさんだ“五木の子守歌”を。<br /> ♪ おどま盆ぎり 盆ぎり      盆から先や おらんど……<br /><br /><a href="http://blog-imgs-76.fc2.com/c/u/m/cumsophia/201504190933209b9.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-76.fc2.com/c/u/m/cumsophia/201504190933209b9.jpg" alt="4_海軍甲種飛行予科練習生ポスター_IMG_2926-s" border="0" width="430" height="216" /></a><br />海軍甲種飛行予科練習生募集のポスター<br />(国立歴史民俗博物館展示より)<br /><br /><p id="e"><hr style="border-top:4px double #0000ff;width: 100%;height:3;"><戦後70年を迎えて>長崎に原子爆弾を投下したB29を見上げていた<br />故 石井恭一(1948経経・学徒動員陸軍高射砲部隊)<br /><hr style="border-top:4px double #0000ff;width: 100%;height:3;"></p><br /><br /><a href="http://blog-imgs-76.fc2.com/c/u/m/cumsophia/201504190933454eb.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-76.fc2.com/c/u/m/cumsophia/201504190933454eb.jpg" alt="6_B29イメージ図_IMG_2927-s" border="0" width="430" height="214" /></a><br />B29アメリカ戦略爆撃機(国立歴史民俗博物館展示より)<br /><br /> 戦争末期、おそらく私は、クラスの中で一番最後になったのではないかと思いますが、大分の軍隊に入りました。長崎、大分県の本籍地をもった少年兵、約50名が長崎に集められ、長崎を取り巻くように高射砲部隊が5つ、6つあったのですが、私は一番右の方の三菱造船所の後ろの高射砲隊に配属されました。これが命拾いになったわけです。<br /> ご承知のように8月9日、B29は原子爆弾を積んでまず小倉に参りました。原子爆弾を積んで小倉の上空に行きましたら、小倉は雲がずっとかかっていて、原子爆弾の投下の際に下が見えない。投下するに際しては、「必ず投下するのを目撃し、爆発するのを目撃せよ」そういう命令があったわけです。<br /> それで小倉をグルグル回ったのですが、とても雲が厚くて、命令どおりの投下ができない。それで第2目標の長崎へ参りました。ところが当時、長崎の上空は幅5キロ、長さ20キロの雲が覆っておりました。で、B29はそこまで来るのに燃料がいっぱいだったのです。もう、これは長崎は、一遍上空を通過するしかない。原爆を投下するか、しないかは1回しか機会がない。だめなら、そのまま基地に帰るというところまで進んできましたから、爆撃士が機長に「右前方に市街地が見えます」というので、そちらの方に変進してくれと言われました。確かに前方を見ますと、雲の切れ目からちょうど市街地が見えたのです。それで「これしか機会がない」というので、機長がそちらの方にB29を変進しまた。それで原子爆弾を投下いたしました。そして急激に左旋回をしながら雲から出た。それをちようど私は下の高射砲隊から見上げておりました。その距離が、まっすぐに来たら、おそらく私は20歳の人生を終えていたと思うのですが、斜め右に進路を変えましたので、爆心から5キロになりました。そのために非常に熱風と強烈な爆風は受けたのですが、幸い命を取り止めました。しかし、私はそれを運がよかったとは思っておりません。私が命拾いをしたとき、5キロ離れたところでは7万、8万の方が命を落としておられたので、これは自分が運がよかったということはとても言えないと思っております。<br />(元社会福祉法人ラ・サール会理事長、第14回コムソフィア賞受賞記念講演より抜粋、「コムソフィア」第48号より)<br /><br /><p id="f"><hr style="border-top:4px double #0000ff;width: 100%;height:3;"><戦後70年を迎えて>上智大学出陣学徒戦没者名(敬称略順不同)<br /><hr style="border-top:4px double #0000ff;width: 100%;height:3;"></p><br />下中 達郎  昭和16年12月商学部商学科卒業 昭和20年5月、戦死<br />大国 武夫  昭和16年12月商学部経済学科卒業 戦死<br />吉岡 正人  昭和17年9月文学部哲学科卒業 戦死<br />石津 泰   昭和17年9月商学部商学科卒業 戦死<br />小田 昌之  昭和17年9月商学部商学科卒業 戦死<br />沢原 鴻   昭和17年9月商学部商学科卒業 戦死<br />関口 芳男  昭和17年9月商学部経済学科卒業 戦死<br />鈴木 信男  昭和17年9月商学部経済学科卒業 戦死<br />楠  剛太  昭和18年9月文学部英文学科卒業 昭和19年、外地南方戦死<br />大池 達夫  昭和18年9月商学部商学科卒業 昭和20年、戦死<br />太田栄次郎  昭和18年9月商学部商学科卒業 昭和20年4月、南西諸島方面で特攻戦死<br />三箇 三郎  昭和18年9月商学部商学科卒業 昭和20年4月、藤沢基地で戦斗812飛行隊にて殉職<br />清水 育夫  昭和18年9月商学部商学科卒業 昭和19年11月、台湾北西海面にて戦艦金剛乗組雷撃戦死<br />陣内 敬   昭和18年9月商学部経済学科卒業 昭和19年、戦死<br />北崎 暹   昭和18年9月商学部経済学科卒業 昭和19年10月、比島東方海面飛行中戦死<br />恩地 昌郎  昭和18年9月商学部経済学科卒業 昭和20年8月、厚木海軍工廠銃撃戦死<br />時田 行郎  昭和18年9月商学部経済学科卒業 昭和21年、シベリア抑留中病死<br />新保 弘   昭和18年9月専門部商学科卒業 昭和20年2月、カムラン湾で海防艦野風艦上にて戦死 <br />伊東宏一郎  昭和19年9月商学部経済学科卒業 学徒出陣昭和20年4月、東京湾上空戦死  <br />黒井 清達  昭和19年9月商学部経済学科卒業 学徒出陣昭和20年2月、マニラ東方アパリ近郊にて戦死 <br />横川 亮   昭和19年9月商学部経済学科卒業 学徒出陣昭和19年、マニラ近海にて戦死<br />大江桂一郎  昭和19年9月専門部経済学科卒業 学徒出陣昭和20年4月、比島にて戦死<br />清水 政周  昭和19年9月予科終了 学徒出陣昭和20年5月、戦死<br />前田 久雄  昭和20年9月文学部独文学科卒業 シベリア抑留中死去<br />河野 敬   昭和21年文学部哲学科卒業相当 学徒出陣昭和20年4月、川口市上空戦死<br />松本 光憲  昭和21年文学部独文学科卒業相当 学徒出陣昭和20年5月、西南諸島方面特攻戦死<br />武井 満   昭和21年商学部経済学科卒業相当 学徒出陣昭和20年5月、西南諸島方面特攻戦死<br />島谷彰一郎  昭和21年経済学部商学科卒業相当 学徒出陣戦死<br />大溝 徹郎  昭和21年文学部史学科卒業相当 学徒出陣戦死<br />桜井 織馬  昭和21年経済学部経済学科卒業相当 学徒出陣戦死<br />藤堂 藤松  昭和21年経済学部経済学科卒業相当 学徒出陣戦死<br />大橋 清明  昭和22年経済学部経済学科卒業相当 学徒出陣横須賀武山学生隊にて殉職<br />森  荘一  昭和22年経済学部経済学科卒業相当 学徒出陣昭和20年4月、比島クラークフィールドにて戦斗804飛行隊で戦死<br /><br />この名簿は1993(平成5)年発行の『上智大学創立80周年記念ソフィア会名簿』上巻掲載のもので、昭和16年12月~昭和20年3月卒業生とこの間に在学していた就学諸兄で、調査委員会で特定できた方のお名前のみを記載したと注記されています。掲載された以外に上智大生の戦没学徒についての情報のある方は、マスコミ・ソフィア会(info@cumsophia.jp)にご連絡ください。<br /><br /><p id="g"><hr style="border-top:4px double #0000ff;width: 100%;height:3;"><戦後70年を迎えて>終戦が半年早ければ<br />磯浦康二(1957文新)<br /><hr style="border-top:4px double #0000ff;width: 100%;height:3;"></p><br /> 諸先輩の戦時中の体験記を読み、改めて70年前の悪夢がよみがえり胸が一杯になる。★当時私は、夜はゲートルを着けて眠り、空襲警報のサイレンで飛び起き防空壕に入る毎日だった。昭和20年4月13日夜、B29爆撃機500機に襲われ焼夷弾が雨あられと降り注ぐ中を逃げ惑う。東京は一面の焼け野原、黒焦げの焼死体があちこちに転がっていた。★日本の敗色が濃厚となった昭和20年2月初旬ヤルタ会談が行われ、ソ連のスターリン首相は「ドイツが降伏した3ヶ月後に日本に対して参戦する」とアメリカのルーズベルト大統領と密約を交わした。ストックホルム駐在武官の小野寺信少将は、早くも2月中旬にこの情報を察知し東京の陸軍参謀本部に打電した。しかし参謀本部は何故か握りつぶす。その後7月、日本政府はソ連に戦争和平仲介を依頼しようとして断られ、まるでマンガのような事態を招く。★軍事機密を盾に負け戦を国民に隠し、神風が吹くと唱えて漫然と戦争を続け、昭和18年「学徒動員」を行う。当時の高級参謀や日本の職業軍人は有為の若者を戦場に駆り立て多くを死なせた。特攻隊の指揮官たちは「俺も後に続くぞ!」と言いながら結局誰も飛び立たなかったという。★特攻隊の建前は「志願」だが実態は「命令」だった。「武士道と云(い)ふは死ぬこととみつけたり」を「葉隠」から抜き出して利用。私たちの年代は生まれた時からアジア太平洋戦争(15年戦争)が始まっていたため「天皇陛下のために死ぬことが国民の義務である」と徹底的に教育され、当時は疑問に思わなかった。★特攻で戦死した先輩たちの心情を思うと涙が止まらない。そして当時の軍への怒りがこみ上げてくる。もし半年前の2月中旬に戦争を止める動きがあれば「東京大空襲や全国の都市空襲」も「原爆投下」も「沖縄の激戦」もなかった。戦争指導者は敗戦責任をどうとったかを問い直すことが必要だ。<br /><br />以上<br /><br />
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ASF 特別講演会 藤崎一郎特別招聘教授

演目:「藤崎一郎大使に聞こう!話そう! 世界情勢の裏を読め」講師:前駐米大使 藤崎一郎特別招聘教授・国際戦略顧問日時:2014年5月25日(日)14時半~16時場所:12号館203教室立ち見が出るほどの200人以上の聴衆の中、講演は始まった。■「心理」「時間」「言葉にだまされない」の3本の軸まず、国際情勢を読むとき、「心理」「時間」「言葉にだまされない」の3本の軸で見るという事。たとえば「心理」だが、専門家は北朝鮮を「... 演目:「藤崎一郎大使に聞こう!話そう! 世界情勢の裏を読め」<br />講師:前駐米大使 藤崎一郎特別招聘教授・国際戦略顧問<br />日時:2014年5月25日(日)14時半~16時<br />場所:12号館203教室<br /><br />立ち見が出るほどの200人以上の聴衆の中、講演は始まった。<br /><br /><img src="http://blog-imgs-63.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20140727104338f6e.jpg" alt="P1040097 (1)" border="0" width="430" height="323" /><br /><br /><span style="font-size:large;">■「心理」「時間」「言葉にだまされない」の3本の軸</span><br /><br />まず、国際情勢を読むとき、「心理」「時間」「言葉にだまされない」の3本の軸で見るという事。<br /><br />たとえば「心理」だが、専門家は北朝鮮を「わからない国だ」と言うが、本当にそうだろうか。経済政策は、安全保障は、と考える時に、今のリーダーが、この体制を何とか永らえて自分が生き延びるためにどうするかという心理を見ると読めるのではないか。リーダーやリーダーの周りの既得権益者、一般大衆の心理を考える。<br /><br />次に「時間」である。交渉事をするとき、時間がなければ急いで物事を決めなければならないが、時間さえあれば急ぐ必要はなく、自分にとって最適で最高の条件が出されるまで突き返していればよい。ただ、「交渉は常に進めています」と言っていないと、テロリストや過激派が一般大衆をたきつけるので、そうしていないとならない。<br /><br />「言葉にだまされない」というのは、誰かの演説や言葉で動いてしまうと読み間違えてしまう。言葉ではなく、本当に何なのかということを考えないといけない。例えば、オバマ大統領が就任演説の時に核の廃絶と中東和平のことに言及して世の中は盛り上がったが、実の所、イランも中国も北朝鮮も核を作り続けている中で、アメリカがゼロにするわけもないし誰も望んでもいない。<br /><br />戦略核を減らしたのは、維持費がかかるので負担だったというだけのことである。さらに、中国の軍事力の透明性が議論されるが、実はその規模が知りたいのであって、外交上「透明性」という言葉を使っている。ところが「透明性」という言葉を使っているうちに、「透明性」自体が重要なんだと思い込んでしまうようなところもあるので要注意である。<br /><br /><img src="http://blog-imgs-63.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20140727104339f77.jpg" alt="P1040105 (1)" border="0" width="430" height="323" /><br /><br /><span style="font-size:large;">■振り子のような米中関係</span><br /><br />最後に米中関係に関していえば振り子のようなもので、プラス面とマイナス面の間を常に揺れている。中国の軍事力増強、台湾、知的所有権、海洋法などのルール、人権問題などがあるが、一方で経済のチャンスがあり、国連での協力や、北朝鮮、大国外交などがある。<br /><br />ただし、中国の経済発展は軍事とイコールであり、それは政治的影響力となっている。経済発展が軍事につながっているのであれば、それを断ち切らなければ歓迎すべきではなく、体制が変わらなければ断ち切ってはもらえない。「中国の経済発展は素晴らしい」と言いつつ「責任あるパートナーになってほしい」というのは、この連関を断ち切ってほしいという事をオブラートで包んでいる。<br /><br />いくつかこうした軸を持って見ていくと、だいたいのことが見えてくるのではないかと思っている、などとお話しいただいた。<br /><br />このあと、質疑応答が引きも切らさずあり、全体を通してユーモアあふれる、中身の濃い講演会であった。参加者からはめったに会うことができない、外交を実際にしていた大使の話を聞けたことと、そのお人柄に触れられる貴重な機会だったと感謝の言葉を数々頂いた。(まとめ 岩崎 由美)<br /><br /><hr size="1" />藤崎一郎先生 プロフィール<br />1969年に外務省へ入省。以来、大蔵省、在インドネシア大使館、OECD日本政府代表部、在英国大使館に勤務。1999年に北米局長、2002年外務審議官、2005年に在ジュネーブ国際機関日本政府代表部 特命全権大使と要職を歴任された後、2008年アメリカ合衆国駐箚特命全権大使に就任。大使を4年勤められ、2012年11月に退官、2013年1月に上智大学へ着任。<br />
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「特定秘密保護法案」成立を阻止しよう。

▼市民活動も違法に・・・ あなたが何気なく撮した写真をネットに掲載したとしましょう。その写真が「特定秘密」に相当するものが写っていると認定されれば、あなたは逮捕される。そのような危険性を孕んだ法律案です。しかも何が「秘密」かも「秘密」だというのです。 「秘密を守る法律」が必要ないとは言いません。日本版NSC(国家安全保障会議)に関係するアメリカなど外国との秘密情報交換に必要というのであれば「防衛」... <span style="font-size:large;">▼市民活動も違法に・・・</span><br /><br /> あなたが何気なく撮した写真をネットに掲載したとしましょう。その写真が「特定秘密」に相当するものが写っていると認定されれば、あなたは逮捕される。そのような危険性を孕んだ法律案です。しかも何が「秘密」かも「秘密」だというのです。<br /><br /> 「秘密を守る法律」が必要ないとは言いません。日本版NSC(国家安全保障会議)に関係するアメリカなど外国との秘密情報交換に必要というのであれば「防衛」「外交」に限ればよいのであって、現在提案されている法案はそれ以外に「スパイ活動など特定有害活動の防止」「テロリズムの防止」が加わっています。<br /><br /> テロリズムについては「政治上その他の主義主張に基づき、国家若しくは他人にこれを強要し、又は社会に不安若しくは恐怖を与える目的で人を殺傷し、又は重要な施設その他の物を破壊するための活動」とされています。「政治上その他の主義主張に基づき、国家若しくは他人にこれを強要」したと認定されれば「テロリズム」として処罰される可能性があります。<br /><br /> この法律によって取り締まりの対象とされるのは政治家や官僚、ジャーナリストだけではなく一般国民も幅広く監視対象とされています。公務員だけでなく民間人にも重い秘密保持義務を課し過失でも処罰されます。マスコミや一般市民が情報にアクセスする行為も処罰の対象となり「教唆、共謀、扇動」として処罰される可能性があります。<br /><br /> 自民党の石破茂幹事長は11月29日付の自身のブログで、特定秘密保護法案に反対する市民のデモについて「単なる絶叫戦術はテロ行為とその本質においてあまり変わらないように思われます」と批判した。市民の主張もテロと同一視し、国民の表現の自由を広範に規制する目的があることは明らかです。<br /><br /><span style="font-size:large;">▼原発情報も特定秘密に・・・</span><br /><br /> 「福島第1原子力発電所事故」関連の情報や「汚染水問題」も「テロ防止」とされれば「特定秘密」に指定される可能性が高く、フクシマ事故後に報じられた「原発構造」なども報道すれば処罰の対象とされるかもしれません。<br /><br /> 「Speedi」(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)の情報が公表されず、多くの人が放射能の流れる方向に逃げたため必要以上の被爆をしました。今後、この法律が成立して「Speedi」が秘密に指定されれば永久に国民に知らされることはないでしょう。将来「原発事故」が起きても国民には知らされない可能性もあります。<br /><br /><span style="font-size:large;">▼官僚が情報を私物化</span><br /><br /> 小野寺五典防衛相は11月20日の参院国家安全保障特別委員会で、防衛秘密に指定された文書が5年間で約3万4000件廃棄されていたことを明らかにしました。<br /><br /> 1945年(昭和20年)8月15日~16日は天気は良いのに「霞ヶ関」上空は曇っていたそうです。軍人や官僚が、自分たちに都合が悪いと思った書類を全部焼き捨てていた煙りのためでした。全国の官公署にも書類の焼却処分が命令されていました。国民の税金で集めた「情報」を官僚は私物化してているんです。それは今も同じです。<br /><br /> アメリカは、政府高官の電話の会話もテープにとって公文書におこして残します。内容を非公開とする場合でも、文書そのものは存在することが明示されますす。「公文書は国民のもの」という社会的なコンセンサスがあります。<br /><br /> しかし、日本の場合、公文書は官僚によって恣意的に管理されています。勝手に秘密に指定し、勝手に捨ててしまうのです。これは歴史に対する冒涜(ぼうとく)で納税者に対する犯罪と言ってもよいと思います。<br /><br /> そればかりではなく、後世に歴史を検証することが出来ません。従って歴史に学ぶことが出来ず、同じ過ちを犯すことになるのです。<br /><br /> また、この法律にはハトメがありません。何でも官僚の思い通りに「秘密指定」ができるのです。つまり「何が秘密かも秘密」なのです。法律の「付帯決議」など何の役にも立ちません。国会議員にさえ秘密の内容が明かされないのです。<br /><br /><span style="font-size:large;">▼正当性のない議員が何故?</span><br /><br /> 11月20日、最高裁は去年の衆院選挙での一票の格差をめぐる訴訟で、1票の価値に最大で2.43倍の格差があるのは「違憲状態」である判決を下しました。また、11月28日、広島高裁岡山支部は「一票の格差」が最大4・77倍だった7月の参院選は違憲だとして、岡山選挙区の選挙を無効としました。<br /> 現在の衆参両院議員の正当性が問われているのです。こういう時期に、国の将来を左右するような法案を強引に通すことは、到底許されません。<br /><br /> 自民党は昨年の総選挙でも今年の参院選でも、この法案についてマニフェストには全く記載していませんでした。ならば丁寧な説明と時間をかけた慎重な審議が必要です。それなの、何故短い臨時国会の期間中にどさくさのうちに成立させようとするのでしょうか?まさに議会制民主主義の危機です。<br /><br /><span style="font-size:large;">▼68年前に時計の針を戻す</span><br /><br /> この法律案は戦前の軍機保護法、国防保安法、治安維持法を合体させたような稀代の悪法で、安倍総理の言う「戦後レジュウムからの脱却」の総仕上げとも言うべきものです。この背景になる考えは「国民主権」を排し68年前の「官僚独裁」の時代に戻そうというものです。<br /><br /> 情報を私物化し何でも秘密にしたがる霞ヶ関の「官僚システム」は、これで完全に何でもアリの戦前の状態に戻ったことになるのです。<br /><br /> この法律が成立すれば、日本は「軍機保護法」などがあった68年前に逆戻りします。歴史の歯車を逆に回わそうというわけです。これは、日本版「国家安全保障会議」とセットになっておりアメリカの意向にそうものです。さらに「集団的自衛権」の拡大解釈で、事実上憲法解釈を変更し、日本を世界中で戦争が出来る国にしようとしています。これで、アメリカの尻馬に乗って世界中に軍隊を送れば、日本はたちまち「テロ」の標的になり「世界一安全な国」ではなくなります。それこそ、東京オリンピックなど夢のまた夢となるでしょう。<br /><br /> この法律が通った時が「戦後が戦前になる」瞬間ということになります。恐ろしいことです。<br /><br /><span style="font-size:large;">▼官僚に「魔法の杖」を渡すのか?</span><br /><br /> 「大東亜戦争」(戦後は太平洋戦争と言われていますが)が行われていた68年前、当時の軍事官僚を中心とした「官僚システム」のリーダーたちは「軍事機密」と称して負け戦を隠して戦争を継続し、東京をはじめ日本全土のほとんどの都市が灰燼に帰すまで、更に原爆が広島、長崎に落とされ、更にソ連が参戦するまで戦争を止めようとしませんでした。その間、国民の目、耳、口は「軍機保護法」などで完全に塞がれていたのです。<br /><br /> 私は1945年(昭和20年)4月13日、東京都豊島区にいて、当時中学1年になったばかりでしたがB29が落とす焼夷弾が雨あられと落ちる中を逃げて歩きました。この時の空襲で家族に怪我はありませんでしたが、我が家は跡形もなく焼けました。この城北大空襲は、豊島区域の7割を焼失、焼失家屋34,000戸、罹災者161,661人に及び、B29から投下された焼夷弾は3月10日の下町大空襲を上回るものでした。<br /> 「大東亜戦争」の体験者は少数派となり、軍事官僚や内務官僚を中心とする当時の「官僚システム」の暴虐ぶりを知る者は少なくなっています。彼らは「軍事秘密」と称して自分たちに都合の悪いことは全部隠して「一億総ザンゲ」などと言って「敗戦責任」を国民に押し付け、責任は一切とりませんでした。私は当時を知る一人として、再び「官僚システム」に「秘密」を操る「魔法の杖」である「特定秘密保護法」を渡すわけにはいかないと思っています。<br /><br /><span style="font-size:large;">▼日本の将来の経済発展が遅れる危険も</span><br /><br /> 更に、様々な技術情報が各省毎に「特定秘密」とされれば「宇宙開発」や「感染症」などの研究が阻まれることになります。学際的に研究成果を発表したり発展させることは困難になり、技術イノベーション能力は一層遅れ、日本は世界の技術開発競争に大きく遅れをとる恐れがあるのです。<br /> つまり日本の様々な分野で墨塗りが横行し社会は活性を失います。これは将来の「日本の経済的発展と安全保障」の障害となる恐れのある大問題なのです。<br /><br /><span style="font-size:large;">▼まるで漫画のような・・・</span><br /><br /> 特定秘密保護法案について、政府が 9月に行ったパブリックコメントでは約9万件の意見が寄せられ、そのうち 77%が反対でした。ところが、先月国会に提出された法案は、基本的な部分に変更はなく、パブリックコメントは全く生かされていません。意見の詳細な結果も公表されず聞きっぱなし状態です。<br /> また福島で行われた公聴会で全員が反対や懸念を表明しているのに何の反映もあれませんでした。公聴会をセレモニーと化するなどは国会の自殺行為ではないでしょうかか?<br /><br /> また「野党と話し合って改訂した」と称して「維新」や「みんなの党」などと国会外で協議した結果「秘密の期間を60年」と前より延ばしたり「総理大臣に第三者的にチェック」をさせるなどと、まるで漫画のようなことをやって恥ずかしい思わないのでしょうか?また国民を小馬鹿にしているのでしょか?<br /> いずれにしても急いで成立させることには反対です。国民にとって必要性は全くありません。害があるだけです。「秘密保護」が必要なら、時間をかけて国民にきちんと説明するべきです。今国会では「廃案」にすべきです。<br /><br /> このような「悪法」を子どもたちに残すことはできません。後は参議院の審議で廃案にもっていくしかありません。与野党を問わず参議院議員にメール、FAX、手紙、電話などで「反対」の意思を伝えましょう。(磯浦康二 '57文新)
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理念なき東京五輪招致は即中止せよ 稲村哲('68文英)

2020年のオリンピック候補地として日本、トルコ、スペインの3カ国が競っているが、東京招致には即無駄な活動は止めることを提案したい。テレビ・新聞などのメディアは、東京招致に投下される莫大な宣伝広告費に沈黙しているので敢えて書く。問題点は少なくとも三つある。今回アルジェリアの例からもお分かりのように、日本はアメリカの軍事協力国として、テロのターゲットにされることがアルカイダの声明から判明した。テロ組織は... 2020年のオリンピック候補地として日本、トルコ、スペインの3カ国が競っているが、東京招致には即無駄な活動は止めることを提案したい。テレビ・新聞などのメディアは、東京招致に投下される莫大な宣伝広告費に沈黙しているので敢えて書く。問題点は少なくとも三つある。<br /><br />今回アルジェリアの例からもお分かりのように、日本はアメリカの軍事協力国として、テロのターゲットにされることがアルカイダの声明から判明した。テロ組織は狙いを定めたら準備期間を設けるため、2020年までの7年の間に潜伏できる可能性は十分だ。アメリカのビル突撃のような飛行機の操縦期間まで設けていた例は記憶に新しい。<br /><br />あるテロ対策のプロは「アルジェリアの人質事件でも武装勢力が短期間に襲撃を準備したとは思えない」、「テロ対策は息の長い取り組みだ。……日本国内のテロ対策をもっと充実させること」それにはコストがかかると。<br /><br />日本は、アメリカと違って外国人だから怪しい人物は見分けがつくなどという理屈はグローバル化の現在では何の効力もない。あなたの隣なりにすでに居ついていてもおかしくない。それに対するセキュリティ対策がお粗末だ。<br /><br />石原前東京都知事の子飼い!!・・・がいらいである猪瀬都知事が、3月に予定されているIOC委員会視察団の非公開宿泊先を定例記者会見で明かしてしまった。「うっかり」では済まないほどセキュリティ感が欠如している。こんな国際常識もない無能な知事のもとで東京オリンピックもないだろう!?<br /><br />その点、トルコ・イスタンブールはイスラム圏であるから、日本がテロのターゲットにされる程危険は少ないのではないか。国民の支持率70%超で、1999年の大震災からの復興もあり、不況であえいでいるスペインより開催の可能性も大である。花を持たせればよい。(イラン・イラク戦争の時、手を拱いている日本政府に代わり、在留邦人を救出してくれたのはトルコ航空であったことを忘れるわけにはいかない)<br /><br />金も人も投入すべきは大震災復興<br /><br />招致運動をしている最中に日本柔道界の体罰問題が浮上した。五輪憲章に人権尊重の一項があるが、暴力・不祥事が世界に配信されてしまった。特に柔道人が多いフランスなどでは、考えられないことと取り沙汰されている。さらに東京招致を目指す2020年からレスリングが除外されそうだ。レスリングに弱い欧州の陰謀説もあるが、益々東京開催不利になろう。<br /><br />猪瀬都知事は約4千億の設備投資があると自慢するが、東京五輪招致活動は税金の無駄使いであり即中止されたい。この運動よりも、現下の東日本大震災復興に金も人も投入すべきだろう。放射能の不安なく観光客を招致できてこそ、国民の支持率も上がり五輪開催も可能となろう。今は五輪招致には反対しよう。<br />文責:稲村哲('68文英)
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日中関係を民間ベースで 井箟重慶('59外英)

オリックスブルーウェーブ元球団代表・関西国際大学名誉教授 井箟重慶(いのう しげよし)(1959外英) オリックス野球クラブで球団代表を11年間務めた私がなぜ日中と思われるかもしれませんが、私は旧満州、奉天市(現瀋陽市)で生まれ1946年に引き揚げるまで中国で過ごしましたので中国は生まれ故郷でもあります。 戦後日中間にはいろいろありましたが、近年は交流も盛んになり多くの観光客が両国を訪れるようになり喜んでい... オリックスブルーウェーブ元球団代表・関西国際大学名誉教授 井箟重慶(いのう しげよし)(1959外英)<br /><br /><img src="http://blog-imgs-44.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20130203131652066.jpg" alt="井箟重慶氏写真" border="0" width="200" height="241" align="right"/> オリックス野球クラブで球団代表を11年間務めた私がなぜ日中と思われるかもしれませんが、私は旧満州、奉天市(現瀋陽市)で生まれ1946年に引き揚げるまで中国で過ごしましたので中国は生まれ故郷でもあります。<br /><br /> 戦後日中間にはいろいろありましたが、近年は交流も盛んになり多くの観光客が両国を訪れるようになり喜んでいましたところご承知のように昨年の尖閣問題から二国間の関係が冷めてきました。私の居住地神戸の仲間から、神戸は中国と関係の深い歴史のある街なので、このまま両国の関係が冷めるのを見逃すわけにはいかない、このような時こそ民間交流を促進するべきとの意見を持つ人たちが集まり行動を起こそうとなり、昨年末市民フォーラム「日中を語ろう」をたちあげました。<br /><br /><span style="font-size:large;">▼「日本は中国と絶対に仲良く」と元吉田首相は強調</span><br /><br /> 私がこの会に参加した理由が一つあります。それはあるテレビ番組の想い出があるからです。元総理吉田茂氏が政界引退後、数年経過したときNHKのテレビで京都大学高坂教授のインタビューを受けた番組をみました。<br />吉田氏は番組の中で総理時代のことをいろいろ話されましたが、最後に「現在米ソの間では冷たい戦争などと言われているが、将来アメリカは必ず中国と手を結ぶ。日本は中国とは絶対仲良く付き合わねばならない、アメリカより深い良い関係を持つべきである。その理由は、中国は隣国であるからで、お隣とは仲良くせねばならない。」と述べられました。<br /><br /> 高坂教授が「首相時代と感じが違いますね、首相時代にはソ連や中国は相手にしないような感じでしたが?」と言われると「それは、自分が首相時代一番頭を痛めたことは、敗戦後貧乏している国民にどのようにして食料を与えるかが一番の問題であったので、裕福な国アメリカと上手く付き合わねばならなかった。しかし将来日本は中国と絶対に仲良くせねばならない」と強調されていました。この吉田氏の言葉は私の頭のなかに常にありましたが、その後、日中関係、アメリカと中国の関係は元吉田総理の推測のように進展してきました。<br /><br /> 中国で子供時代を過ごした私としては今後も日中の関係が途絶えないようにと願いこの度フォーラムを立ち上げました。歴史の中で、政治問題で二国間がもつれたときは民間ベースで両国の関係を絶やさないようにせねばなりません。この度立ち上げた我々の会は歴史問題と、政治問題にはふれないことを原則としています。一人でも多くの方のご意見、ご参加をいただきたいと思いますのでよろしくお願いいたします。<br /><br /><span style="font-size:large;">▼市民フォーラム「日中を語ろう」開催迫る</span><br />  ~日中関係を民間ベースで~<br /><br /> 今年(2013年)2月25日に第1回フォーラムを神戸で開催し、孫文記念館(神戸市垂水区)館長の安井三吉・神戸大名誉教授や、神戸華僑総会の鮑悦初会長らがパネリストとなり、日中の未来について意見を交わします。<br />詳しいことは <a href="http://jcasu.com/index.html" target="_blank" title="http://jcasu.com/index.html">http://jcasu.com/index.html</a> をご覧ください。<br />また、ご連絡はEmail: efacejapan@gmail.com までお願いします。<br /><br />■イベントチラシ(クリックで拡大)<br /><table border=0 cellspacing=20 cellpadding=0><tr><td><img src="http://blog-imgs-44.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20130203132753bde.jpg" width="120" height="170" onclick="popupImage('http://blog-imgs-44.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20130203132753bde.jpg')" /></td><td><img src="http://blog-imgs-44.fc2.com/c/u/m/cumsophia/2013020313275216f.jpg" " width="120" height="170" onclick="popupImage('http://blog-imgs-44.fc2.com/c/u/m/cumsophia/2013020313275216f.jpg')" /></td></tr><tr><td align="center">チラシ表</td><td align="center">チラシ裏</td></tr></table>
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原サチコのハノーファー⇔ヒロシマ☆サロン

 ドイツ演劇界で特異な存在感を放つ日本人俳優原サチコさん(88外独)が、ハノーファー州立劇場で定期的に開催してきた「ヒロシマ・サロン」を、今回東京で「原サチコのハノーファー⇔ヒロシマ☆サロン」として開催した。これは、昨年の講演会に続き大盛況の会合だった。参加者は、ドイツワインと軽食を楽しみながら「ヒロシマ・サロン」の雰囲気を味わった。原さんは、80年代東京のアングラ劇場で活動した後1999年からドイツの演劇...  ドイツ演劇界で特異な存在感を放つ日本人俳優原サチコさん(88外独)が、ハノーファー州立劇場で定期的に開催してきた「ヒロシマ・サロン」を、今回東京で「原サチコのハノーファー⇔ヒロシマ☆サロン」として開催した。これは、昨年の講演会に続き大盛況の会合だった。参加者は、ドイツワインと軽食を楽しみながら「ヒロシマ・サロン」の雰囲気を味わった。原さんは、80年代東京のアングラ劇場で活動した後1999年からドイツの演劇界で活躍している。<br /><br /><img src="http://blog-imgs-44.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20121228104945f24.jpg" alt="写真① 原さん正面 RIMG29934" border="0" width="430" height="323" /><br>原サチコさん<br /><br />※原サチコさんについては、下記マスコミソフィア会HPを参照ください<br /> <a href="http://cumsophia.jp/op111002.html#op111002" target="_blank" title="http://cumsophia.jp/op111002.html#op111002">http://cumsophia.jp/op111002.html#op111002</a><br /><br /><blockquote><p>■東京ドイツ文化センター主催講演会報告<br />■講演テーマ:<br /> 「ヒロシマとフクシマ<br /> 原サチコのハノーファー⇔ヒロシマ☆サロン」<br />■講演者: 原サチコさん(88年外独)     <br />■日時:2012年8月3日(金)19時~21時<br />■会場:ドイツ文化会館ホール<br />■参加者数:約90名 <br /></p></blockquote><br /> 東京版「ヒロシマ・サロン」は、小高慶子さん(81年文独)の司会進行で始まった。<br /><br /><img src="http://blog-imgs-44.fc2.com/c/u/m/cumsophia/201212281050487cc.jpg" alt="写真② 司会の小高さん RIMG29920" border="0" width="430" height="323" /><br>司会の小高さん<br /><br /> 原さんは、自己紹介として、2002年からポリー役を務めているブレヒト作「三文オペラ」の有名な作中歌「モリタード マックザナイフ」を歌い盛り上げた。<br /><br /><img src="http://blog-imgs-44.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20121228105142938.jpg" alt="写真③ オープニング RIMG29848" border="0" width="430" height="323" /><br>ヒロシマ・サロンオープニング<br /><br /> まずはハノーファーで2年に渡り開催されている「ヒロシマ・サロン」の様子が動画で紹介された。 <br /><br /><span style="font-size:large;">▼きっかけ</span><br /><br />  なぜ遠い異国の地ドイツ・ハノーファー市で広島を紹介するようになったのか?<br /><br /> 原さんは、2009年ウィーンのブルク劇場からハノーファー州立劇場に移籍した。当時ハノーファーの中心街で、「ハノーファー市は広島市と友好都市」という石碑をみて、驚いたという。周囲に友好都市のことを聞いたが、知らない人が多く、調べてみると長い歴史があることがわかった。ハノーファー州立劇場の歴史の中で、唯一の日本人専属俳優である自分が、広島に関する作品を上演するべきでないかと思うようになった。<br /><br /> ちょうどその頃、日本の知り合いが井上ひさしさんの『少年口伝隊一九四五』を上演していたので、その本を取り寄せ読んだところ、客観的な描写が多く、ドイツ人に受け入れやすいと思ったという。原さんは、早速台本を劇場スタッフと翻訳して、「Little boy, big typhoon」というタイトルで、ハノーファー州立劇場初のヒロシマ作品として上演した。俳優3名と共にハノーファーの子供3人が出演した。 その「Little boy, big typhoon」の稽古に入る直前、2010年7月に原さんは初めて広島市を訪れ、ハノーファーゆかりの人や、被爆2世、3世、放射能研究所などでインタビューしてまわった。<br /><br /><img src="http://blog-imgs-44.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20121228105422484.jpg" alt="写真④ 広島訪問について語る原さんRIMG29850" border="0" width="430" height="323" /><br>広島訪問について語る原さん<br /><br /> ドイツでは今でも「エー!ヒロシマって、人住んでいるの?」「ヒロシマって行っても大丈夫なの?」という質問を受けることがよくあると言う。「Little boy, big typhoon」上演により、原爆直後の広島について知ってもらうことは出来るが、それとは別に、現在の広島市について、もっとドイツ人にきちんと知らせる必要がある。<br /><br /> そう思った原さんは、「Little boy, big typhoon」の上演後、現在の広島のことを語る付随プログラム『ヒロシマ・サロン」を始めた。原さんは放射能の測定機も購入して実際にデータで数字を示し、「ヒロシマ」が安全なことを、合理的なドイツ人にわかりやすいように説明した。また、サロンでは広島風お好み焼きを焼いて、お客さんに食べてもらったり、広島出身の「パフューム」の曲を紹介したり、楽しみながら広島を知ってもらうことを目指した。<br /><br /><img src="http://blog-imgs-44.fc2.com/c/u/m/cumsophia/201212281055277d1.jpg" alt="写真⑤ ヒロシマ・サロン会場の様子RIMG29869" border="0" width="430" height="323" /><br>ヒロシマ・サロン会場の様子<br /><br /> <span style="font-size:large;">▼林壽彦さんとの出会い</span><br /><br /> 「ヒロシマ・サロン」の中で一番大きな出会いは林壽彦さんとの出会いだったという。<br /><br /> 林さんは広島の原爆投下で小学生の時に家族を亡くした。1967年にヨーロッパ研修学生団のリーダーとしてハノーファー市を訪れた。その時、通りがかりのドイツ人老夫婦に「日本人ですか?」と聞かれ握手を求められ「はい、広島から来ました」と答えたところ、そのドイツ人は突然手をひっこめて後ずさりをしたそうだ。原爆症を伝染されると恐れたのだろう。<br /><br /> 林さんがそのことを当時のホルヴェック・ハノーファー市長に話したところ「そのハノーファー市民の行動は私の責任です。私達はお互いに知らなすぎる。私達はもっと知りあわなくてはなりません」と林さんに謝罪し、このことがハノーファー市と広島市とが青少年交流を始めるきっかけとなった。<br /><br /> 双方の市の子どもたちが相手の市にホームスティして交流を図る形で、この青少年交流は1968年から約30年間継続した。始まって15年後の1983年にハノーファー市と広島市は友好都市になった。<br /><br /> 原さんは林さんに2010年7月に広島で、一ヶ月後の8月にハノーファーで会ってインタビューを行った。その直後の2010年10月に林さんは肺がんで亡くなった。奇しくも原さんの撮ったインタビューが、林さんの最後のインタビュー映像となった。<br /><br /><img src="http://blog-imgs-44.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20121228105720a86.jpg" alt="写真⑥ 最後となった林さんとのインタビューの様子RIMG29852" border="0" width="430" height="323" /><br>最後となった林さんとのインタビューの様子<br /><br /> 広島とハノーファーの青少年交流を基盤に、世界平和の実現のために一生涯を捧げた林さんの最後の言葉を、ハノーファー市の人々に伝えることが自分の使命だと原さんは思った。また、最後のインタビューのとき、「私は広島出身ではありませんが、広島を語ってもいいのでしょうか?」と尋ねた原さんに対して、「どんどんやってください。私たち被爆者はいつか死んでいく。若い人が語り継いでくれないと困るのです」と励ましてくれた林さんの言葉を忘れられないという。 <br /><br />―以下林さんの最後のインタビュー抜粋―<br /><blockquote><p>「ハノーファー市と広島市の関係はもう40年以上続いていますが、その関係が次の時代を生きていく若い人逹の時代の世界平和のために役立てばと思っています。私は40年間、子供逹に未来に向けて何ができるのかと声をかけてきました。君たちも他の国の人逹に、平和のために何が一緒に出来るかを問い続けてほしいと思います。皆さんが私と同じくらいの年齢になった時、世界は変わっていても、平和は変わらずにいてほしい・・・・演劇も、ただ演劇をやるだけではなく、心に目的をもって演劇をやれば、井上ひさしさんを超えて、人々の心に平和を訴えることができる。期待しています」</p></blockquote><br /><br /><img src="http://blog-imgs-44.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20121228105811032.jpg" alt="写真⑦ 林さんのメッセージが披露された RIMG29859" border="0" width="430" height="323" /><br>林さんのメッセージが会場では披露された<br /><br /><span style="font-size:large;">▼福島原発事故―日本とドイツの報道格差</span><br /><br /> 「広島を通じて日本のことを語る夕べであるヒロシマ・サロンなので、2011年3月11日東日本大震災、それに伴う原発事故が起こって、そのことを避けて通るわけにはいきませんでした。」と原さんは語り出した。<br /><br /> 3.11東日本大震災に伴う福島原発事故に関しては、日本とドイツの報道格差があまりに大きく、在独の日本人は板挟みになったという。原発事故に対するドイツでの反応は衝撃的に大きく、原さんも周囲のドイツ人から「すぐに家族を避難させなさい」と言われ、東京の自宅に電話をすると家族には、「何を言っている?」と怒られ、どうすることも出来ずに気がおかしくなるほどだった。在独日本人の間では、このことをきっかけに家族や友達と仲違いしてしまった話も多い。<br /><br /> また、日本との友好団体に関わる多くのドイツ人逹は、日本から避難してくる人逹のために、ホームスティ先を用意したが、避難してくる日本人はいなかった。原発事故が起きたにもかかわらず多くの日本人が日本にとどまっているのはドイツ人からみると「不思議」で、理解に苦しむことらしい。<br /> <br /> 原さんは、「ヒロシマ・サロン」の内容を一部変えて、東日本大震災以降の日本の知り合いの様子を報告することにした。例えば、原発事故直後に「ドイツに逃げて来てください」と知り合いに出したメールの返事。「私はチェルノブイリの当時、ドイツにいたので原発が危険な状態であることはよくわかっている。しかし当時の政権を選んだのは国民私達で、その責任は自分逹にもある。ここで逃げだして生き延びたとしても一生後悔すると思うし、人生長生きをすることより、人生をどう締めくくるのか、どう生きるのかが大切だと思う。<br /><br /> 自分は、何が起ころうと、東京で自分の仕事と心中する覚悟です。」この知り合いのメールを朗読すると、「『初めて日本人の考えが理解できた』と涙ながらに言ってくれるお客さんが多く、サロンをやっていて良かった」と、原さんは語った。<br /><br /> 極端な例だが、「日本にいる日本人は放射能で、いつかいなくなるのでしょ?」と言ってくるドイツ人もいたそうだ。多かれ少なかれドイツ人は日本における放射能汚染を深刻に捉えているが、日本のことをどのくらい身近に思っているかどうかで、対応は違ってくる。<br /><br /> そんな中で、原さんの心を慰めたのは、日本のことを心から心配してくれているアニメファンやコスプレイヤーの若者たちだったという。コスプレイヤー達は、はじめはお客さんとして来ていたが、次第に積極的にサロンを手伝うようになっていった。<br /><br /><img src="http://blog-imgs-44.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20121228105912e28.jpg" alt="写真⑧ アニメキャラクターの衣装のドイツの若者達(コスプレーヤー)RIMG29879" border="0" width="430" height="323" /><br>アニメキャラクターの衣装を着たドイツのコスプレイヤーの様子も紹介<br /><br /><span style="font-size:large;">▼チェルノブイリと福島</span><br /><br /> 原さんは、コスプレイヤー達だけでなく、日独の友好協会の人々や、シュマールシュテーク元ハノーファー市長など、様々なゲストをサロンに招いた。<br /><br /> 長年「三文オペラ」で共演してきた、ウクライナ出身のアコーデオン奏者、タチアナ・ブラヴァという友人も「ヒロシマ・サロン」に招き、当時のチェルノブイリの話もしてもらった。<br /> ―以下抜粋―<br /><blockquote><p> 「1986年4月26日チェルノブイリ原発事故が起きた日、キエフでは、原発で小さな火災が発生したというラジオのニュースしかなく、人々は普段通りの生活をしていた。タチアナには当時、クロアチア人の恋人がいた。クロアチアにいる家族からすぐに故郷に戻るように恋人に連絡があり、国境まで送って行った。国境からキエフにもどる電車は空っぽで、何か重大なことが起きたと勘付いたタチアナは、キエフの人々に訴えたが誰も本気にしなかった。その日は金曜日だった。週末が明けて月曜日になって初めて、重大な事故であったことが知らされた。タチアナは、しばらく一人で外国に避難していたが、3ヶ月経ってキエフに戻った。音楽大学の教授に頼まれ、『外国でも事故はたいした影響はないと言われています』と学生達の前で演説したが、学生達はもちろん、それが本当でないことを知っていた。クロアチアに戻った恋人は、もう二度とキエフに戻って来なかった・・・」</p></blockquote><br /><br /> 昨年の震災と福島原発事故当時のドイツのニュース報道の様子も紹介された。それに関連して、ハノーファーから一番近い原発であるグローンデ(Grohnde)の話も出た。<br /><br /> 原さんは、ハーメルンのB.U.N.D.(ドイツ最大の市民自然保護団体)に招かれて講演した際、ハーメルン近くにあるグローンデ原発とその問題点について、自然保護団体の人々から聞く事が出来た。そこで、脱原発に関しては「先駆者」と思われているドイツにも、日本と同じような問題があることを知った。以前原発で小さな事故があって放射能が少し漏れたとき、報道がだいぶ遅れたこと、原発の建つ村の受けている補助金、大企業の見えない力等。原さんが見せたグローンデ原発の映像は、ドイツの美しい田園風景の真ん中に、煙をもくもくと吐く原発がそびえ、その横を、サイクリングを楽しむ人々が通っているというものだった。 <br />(参考 HP:<a href="http://en.wikipedia.org/wiki/Grohnde_Nuclear_Power_Plant" target="_blank" title="http://en.wikipedia.org/wiki/Grohnde_Nuclear_Power_Plant">http://en.wikipedia.org/wiki/Grohnde_Nuclear_Power_Plant</a> )<br /><br /><span style="font-size:large;">▼今後の「ヒロシマ・サロン」</span><br /><br /> 原さんは、最後に「日本とドイツは近いようで、やっぱり遠い。お互いの思っていることを少しでも交流できたら、少しでも理解が深まって、一緒に未来を考えていくことが出来るのではないかと、ヒロシマ・サロンを続けている。政治的な集会をやるつもりはない。『伝書鳩』のように両国の間を飛んで、何かしら人と人を結ぶ事が出来たら、と思うだけ」と語った。原さんは、2012年からケルン州立劇場に移籍したため、ハノーファー州立劇場での「ヒロシマ・サロン」は終了したが、多くの支援者により「ヒロシマ・サロン」はハノーファーにて継続される予定だ。<br /><br /> 今回の東京版「ヒロシマ・サロン」では、梅津和時さんによるサックス演奏や、石巻市雄勝中学校の和太鼓演奏をドイツに招待したエピソード (参考HP  <a href="http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00219599.html" target="_blank" title="http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00219599.html">http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00219599.html</a>)、ドイツ若手演出家の福島県滞在エピソードなども盛り込まれ、話題満載の「ハノーファー⇔ヒロシマ☆サロン」であった。<br /><br /> 最後に、広島市からハノーファー市に送られた111本の桜の映像を見ながら、「さくら」の歌を会場の人々全員で歌って、会を閉じた。<br /><br /><img src="http://blog-imgs-44.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20121228110143fc9.jpg" alt="写真⑨ 最後に「サクラ」を合唱RIMG29916" border="0" width="430" height="323" /><br>「サクラ」を合唱<br /><br /><img src="http://blog-imgs-44.fc2.com/c/u/m/cumsophia/2012122811021381d.jpg" alt="写真⑩ ドイツ ソーセージ・ワインのビュッフェ RIMG29831" border="0" width="430" height="323" /><br>ドイツソーセージ・ワインのビュッフェ<br /><br /><span style="font-size:large;">▼感想</span><br /><br /> 原さん独特の語り口の奥には、重たい広島市の歴史や原発問題があり、ワインを楽しみながらいろいろと考えさせられた。個人的なドイツ人の知合いが、2011年3月の原発事故発生時に、ドイツから毎日、風の方向までメールをよこしてくれた。当時「何を騒いでいるのだろう」と思ったことを思い出し、原さんの話を聞きドイツでの反響の大きさがよくわかった。ドイツの皆さんが、原発事故を日本人より親身になって心配してくれたことに改めて感謝したい。<br /><br /> 震災1年後の2012年3月に「福島の嘘」というドイツの放送局ZDFが制作したドキュメンタリーも話題になったそうだ。http://www.at-douga.com/?p=5052  2011年コム・ソフィア賞受賞者の鮎川ゆりかさんが「ドイツと日本では『市民度』のレベルが異なる」と言われたのも思い出した。同時に、日本のアニメ文化がドイツの若者に浸透していることは、驚きであった。<br /><br /> 今後の原さんのケルン州立劇場での活躍に期待したい。是非母校でその活動も紹介していただきたいと思った。<br />(報告:磯浦康二'57年文新、山田洋子'77年外独)
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北京出張で見た海外での安全対策ー福永佳津子

2012/10/20 10月11日から15日まで北京に滞在した。出発前、「日本人駐在員の何人もがタクシーの乗車拒否に遭っている。うまく乗れても車中でずっと日本の悪口を聞かされた人も…」との情報が入っていたので、空港送迎ならびに日中の移動の手配を依頼してから出た。 現地に着いて観光地に出向いたが、まったくと言っていいほど日本人観光客に出くわさなかった。苗さんという中国人ガイドによると、ほぼ9割強のツアーがキャンセル... 2012/10/20<br /><br /> 10月11日から15日まで北京に滞在した。出発前、「日本人駐在員の何人もがタクシーの乗車拒否に遭っている。うまく乗れても車中でずっと日本の悪口を聞かされた人も…」との情報が入っていたので、空港送迎ならびに日中の移動の手配を依頼してから出た。<br /><br /> 現地に着いて観光地に出向いたが、まったくと言っていいほど日本人観光客に出くわさなかった。苗さんという中国人ガイドによると、ほぼ9割強のツアーがキャンセルになっているという。<br /><br /><img src="http://blog-imgs-44.fc2.com/c/u/m/cumsophia/2012102209531460a.jpg" alt="福永さん故宮博物院20121018IMG_2015" border="0" width="430" height="323" /><br />写真:北京・故宮博物院前(観光客はいっぱいいるがその中に日本人は・・・)<br /><br />万里の長城、天安門広場、故宮でも誰ひとり見かけなかった。北京旅行のハイシーズンというのに、やっぱりだ。まだ中国出張が解禁でないことも在北京駐在員から聞く。<br /><br />安全確保もさることながら、ビジネス成果が全く期待できないことが理由だ。販売促進も今の時期は考えられず、活発なビジネス活動はほとんど封印されているとのことだった。<br /><br /><img src="http://blog-imgs-44.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20121022095326aba.jpg" alt="福永さん万里の長城P1110941" border="0" width="430" height="323" /><br />写真:万里の長城(世界各地からの観光客で賑わう北京の観光地だが、日本のツアー会社の誘導旗や日本人観光客の姿をまず見ることはなかった)<br /><br />昨日、上海で日本人駐在員が顔を殴れらた話が報道されたが、日本料理店内の日本人客が大勢いる中での暴挙。当面、安心エリアはないと思ってよさそうだ。<br /><br /> 日本大使館前の道路は6車線。ピーク時にはその全車線がデモ隊に埋め尽くされたという。現在は直近の1車線を封じて警備のためのバリケードが敷かれ、青色灯を点滅させた複数台の警察車両、要所要所に立つ公安の物々しい立ち姿に警戒が解けない厳しい事態を知る。大使館に入るには隣のビル内から通じる脇道から回り込む形。館内に入るのは当然だがひと苦労だった。<br /><br />大使館員に聞いた事例のひとつは、ネットで宿泊予約した人が「知らない」と門前払いをされた話だ。現地としっかりした業務提携がある旅行会社を通じての手配でない限り、同様の問題は今後も起こり得る。<br /><br />さらには、パスポート携帯は義務となっているが、「ホテルに忘れた」と答えて、トラブルになった例もあるそうだ。通常であれば、さほどのお咎めもないところ、徹底した追及に遭う。「何で見せるんだ」と抵抗した輩がいるそうだが、結果は言うまでもない。<br /><br /> 日本人学校は運動会の中止に追い込まれ、企業によっては事態悪化を案じて家族を帰国させている。小競り合いはまだまだ起こり得ると思ってよかろう。<br /><br />大使館員も9・18後の2週間ほど、私服通勤を言われたという。背広姿=日本人の典型となって、ターゲットになり得るからだ。日本人であることを気付かせない知恵と工夫、無用のトラブルを生まない姿勢と努力。長期化しそうな今回の問題の雲行きを見つつ、各自は出来得る限りの回避術を施すべきであろう。<br />(文責(社団法人)海外邦人安全協会理事  福永佳津子('71年文英) 2012/10/16 記)<br /><br /><img src="http://blog-imgs-44.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20121022095539eab.jpg" alt="福永さん" border="0" width="430" height="288" /><br /><br /><hr size="1" />プロフィール<br />福永佳津子氏 71年文英卒。在ニューヨーク6年。マンハッタンビルカレッジで修士号取得。帰国後は海外生活カウンセラーとして講演、執筆多数。NHK趣味悠々「サトウサンペイと楽しむ海外旅行術(ロングステイ)」講師など。著書に「ある日海外赴任」「アジアで暮らすとき困らない本」など。海外邦人安全協会理事。ロングステイ財団政策審議会委員。
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ザビエル像を四谷キャンパスへ ~ 「上智大学創立100周年記念」を祝うソフィア会の取り組み

ザビエル像を四谷キャンパスへ「上智大学創立100周年記念」を祝うソフィア会の取り組みについて上智大学創立100周年記念 ソフィア会実行委員会副実行委員長上智大学ソフィア会副会長 戸川 宏一(1963経商)■100周年記念実行委員会を立ち上げましたいよいよ来年2013年に、母校上智大学は創立100周年を迎えます。ソフィア会としては、上智大学が企画する記念事業に全面的に協力すると共に、実行委員会を立ち上げ、多... ザビエル像を四谷キャンパスへ<br />「上智大学創立100周年記念」を祝うソフィア会の取り組みについて<br /><br />上智大学創立100周年記念 ソフィア会実行委員会副実行委員長<br />上智大学ソフィア会副会長 戸川 宏一(1963経商)<br /><br /><span style="font-size:large;">■100周年記念実行委員会を立ち上げました</span><br /><br />いよいよ来年2013年に、母校上智大学は創立100周年を迎えます。<br />ソフィア会としては、上智大学が企画する記念事業に全面的に協力すると共に、実行委員会を立ち上げ、多くのソフィアンを結集して100周年を祝う態勢づくりに入りました。<br />100年に一度のこの記念すべき年に、講演会、音楽会、オールソフィアンの集い、スポーツ大会、地域ソフィア会全国大会(東京)、オールソフィアンズ・クリスマス、次世代大会等の行事を通じて、例年とは違う特別企画を検討しており、一年を通して100周年にふさわしい多くのソフィアンと関係者が集う場が設けられます。<br /><br />ソフィア会では、これらの部会で扱う行事内容をはじめ、その他100周年記念として行うべきプロジェクトを広く会員に提案を募った結果、様々なプロジェクト案が生まれてきました。<br /><br /><span style="font-size:large;">■ザビエル像の移転 ~市ヶ谷~四谷へ~</span><br /><br /><img src="http://blog-imgs-44.fc2.com/c/u/m/cumsophia/zabiel4.jpg" alt="zabiel4.jpg" border="0" width="315" height="420" onclick="popupImage('http://blog-imgs-44.fc2.com/c/u/m/cumsophia/zabiel4.jpg')" /><br />市ヶ谷キャンパスのフランシスコ・ザビエル像(クリックで拡大)<br /><br />その中の一つは、現在市ヶ谷キャンパスにあるフランシスコ・ザビエル像を四ツ谷キャンパスに移し、フランシスコ・ザビエルが上智のルーツであることを明らかにしようとの提案です。その理由は、日本人のほとんどがフランシスコ・ザビエルについては、子供のころから歴史で学び知っているのですが、上智大学のルーツがこのフランシスコ・ザビエルであることを知っている上智大学の卒業生、現役学生は少なく、まして一般の日本人は全く知らないということです。<br /><br /><span style="font-size:large;">■“都に大学を・・・”</span><br /><br />1549年にキリスト教布教のために来日したイエズス会の神父であったフランシスコ・ザビエルが、”都に大学を“とローマに送った書簡に基づき、イエズス会の3人の神父によって1913年に創立されたイエズス会唯一の大学が上智大学であることを、もっと日本中に知ってもらうためにも、フランシスコ・ザビエル像を上智大学のシンボルにしようという案なのです。<br />このザビエル像の移転計画については、当然上智大学としての決断が必要ですので、現在大学において検討中であり、その結果によりますが、100周年のソフィア会の行事を通じて、このザビエルと上智の関係を大いにクローズアップしPRしたいと思っています。<br /> この時の情報発信についてはマスコミ・ソフィア会の皆さまにお知恵を絞って頂きたいと思います。<br /><br /><span style="font-size:large;">■新ソフィアンズクラブとソフィアミュージアム新設</span><br /><br />この他にも、多くの会員から、将来新築されることが決まっている新しいビルの中に、ソフィア会員が集まれるもう少し広い新ソフィアンズクラブを是非含めてほしいとの提案がありますが、それと共にソフィア・ミュージアムのような上智博物館を創り、これまで100年の間に蓄積された歴史的な記録等を一般に公開することによって、上智ならではの特徴ある展示が可能になるのではとの提案があります。創立100周年を契機に、もっと上智の特徴を一般に知ってもらう絶好の機会であることは間違いありません。<br /><br /><span style="font-size:large;">■次の100年を見据える</span><br /><br />この他にも100周年だからこそできる試みが、いくつか提案されています。その中で重要なことは、上智大学創立100周年は、これからの100年の一通過点であり、これまでの100年を振り返ると同時に、これから先100年を考える良い機会であり、是非未来に向かって私たちに何ができるのか、それを考える講演や討論会などを行いたいとの提案があります。<br /><br /><span style="font-size:large;">■建学の精神は for Others</span><br /><br />上智大学における教育の精神は、”他者のために、他社と共に生きる“(Men and Women for Others,with Others)で、自由な思索を尊び、外の世界に開かれたヒューマニズムを模索するということですが、この精神が上智らしさの根源であることを今一度見直し、100周年のソフィア会の行事を通じて、この精神をより一層日本の社会に向かってアッピールできるようにしたいものだと考えています。<br /><br />来年の100周年行事の実行には、沢山の皆様の協力が必要です。実行委員会への参加、提案など、ご遠慮なくソフィア会事務局に連絡をお願いいたします。<br /><br /><hr size="1" />■戸川宏一:インターマックス・コーポレーション代表取締役(略歴)<br /><br /><img src="http://blog-imgs-44.fc2.com/c/u/m/cumsophia/togawa.jpg" alt="togawa.jpg" border="0" width="420" height="315" /><br /><br />1963年、上智大学経済学部卒。<br />1992年、米アリゾナ州立大学エグゼクティブMBA( EMBA )を取得。シェル石油、アメリカンエキスプレス、モトローラ、ABB各グローバル企業の営業、流通業務、経理、情報システム、企画広報、人事・人材開発の管理職・取締役を歴任。その間に4年間米国モトローラの国際人事マネジャーとして米国在住。その後、豪州政府機関の豪州酪農庁駐日代表を務める。<br />2002年、国際マネジメント・コンサルティング会社であるインターマックス・コーポレーションを設立、現在に至る。<br />著書:「 グローバルリーダーシップ - 世界をリードする人間力(中部産業連盟) 」<br />1992年、米アリゾナ州ジョン・マッケイン上院議員よりビジネス功労者受賞<br />2005年、日本国際協力平和財団より国際文化交流功労賞受賞
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統治システムと首相公選論 今成勝彦氏('70年文新)

統治システムと首相公選論 ―橋下改革と船中八策に注文―桜美林大学講師、学習院女子大学講師元・共同通信社ワシントン特派員政治記者今成勝彦('70年文新)写真:今成勝彦氏 橋下大阪市長らが打ち出した船中八策を見て、やっと日本の政治改革も小手先ではなく、根っこから変えないと立ち行かなくなるとの危機感が出てきた、と感じた。彼らが主張する改革案の中に「首相公選論」が織り込まれたからだ。約15年も前にアメリカ議会制... <span style="font-size:large;">統治システムと首相公選論 ―橋下改革と船中八策に注文―<br /><br />桜美林大学講師、学習院女子大学講師<br />元・共同通信社ワシントン特派員政治記者<br />今成勝彦('70年文新)<br /></span><br /><img src="http://blog-imgs-44.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20120408124015bf0.jpg" alt="今成勝彦氏" border="0" width="100" height="100" /><br />写真:今成勝彦氏<br /><!--<img src="http://blog-imgs-44.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20120408121513823.jpg" alt="今成写真2" border="0" width="150" height="200" />--><br /><br /> 橋下大阪市長らが打ち出した船中八策を見て、やっと日本の政治改革も小手先ではなく、根っこから変えないと立ち行かなくなるとの危機感が出てきた、と感じた。彼らが主張する改革案の中に「首相公選論」が織り込まれたからだ。約15年も前にアメリカ議会制度から学ぶ、として首相公選の是非を著作で世に問うた私としては、ここに目を向け改革が進めば、と願う気持ちはある。<br />しかし、その一方で、本気で首相公選論を突き進むと、明治以来の天皇制を軸とした統治システムを壊わさざるを得なくなる。そんな高いハードルを越えていく覚悟が本当に橋下氏らにはあるのか、疑問がわいてくる。これまでといささか毛色が違っただけの橋下氏らの維新に気を奪われ、この国がいま問われている本質的な課題の大きさから目をそらしてはならないはずだからだ。<br /><br /><span style="font-size:large;">▽大統領的首相とは違う<br /></span><br /><img src="http://blog-imgs-44.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20120408121643f7e.jpg" alt="今成写真4" border="0" width="430" height="320" /><br />写真:ワシントン特派員時代に親しかった友人の弁護士と(1987年ころ)<br /><br />約25年前、さっそうと登場した中曽根元首相も、持論に「首相公選論」を掲げた。しかし、同じ首相公選論を政治改革の柱に立てながら、橋下氏のそれとは大きく異なる。戦後政治の総決算をスローガンに戦後政治の惰性を排そうと試みた中曽根氏が欲しかったのは、何よりもアメリカの大統領のような強力な行政権限であった。その法源を国会の多数を率いる政党党首として内閣を組織する議院内閣制ではなく、国民から直接選ばれた強みをもった大統領的な首相に変えたかったのである。<br />国会の顔色をうかがいながらではなく、思う存分指導力を発揮するには、その裏付けとして国民から直接選ばれた、とのお墨付きが必要だったわけだ。<br /><br /><span style="font-size:large;">▽統治システムに目を付けた慧眼<br /></span><br />これに対して、橋下氏らの発想は、統治システムそのものを変えたいとするところに違いがある。法律家らしい発想だ。つまり、日本のさまざまな行き詰まりが、現行憲法の枠組みに盛られた統治システムそのものにある、と気づいた。その手直しだけでは、もう立ち行かないところにまで来ているとの危機感である。<br />おなじ議会制民主義の大枠に乗りながらも、日本の統治システムが決定的欠陥となっているとの認識だ。官僚によるお膳立てがなければ一日も立ち行かないところに立法府の脆弱性があり、その上に立って議院内閣制が形作られているためだ。<br />実際、立法府でありながら、議会が自らのイニシャチブで法律を作るのはわずかである。9割近くの法案が官僚の手による内閣法(閣法)だからだ。<br />国会はそれを審議してお墨付きを出す単なる承認機関に成り下がっているといっても過言ではない。<br /><br /><span style="font-size:large;">▽日米議会制度比較から気付いた立法府復権、ヒト・モノ・カネを<br /></span><br /><img src="http://blog-imgs-44.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20120408121802c0e.jpg" alt="今成写真3" border="0" width="430" height="320" /><br />写真:H.ベーカー元駐日大使(右)夫人(中央左)と。ベーカー氏は、ワシントン特派員時代は上院院内総務で、米上院の重鎮だった。夫人もカッセンバーム上院議員として活躍、その後、白亜の恋を経て結婚した。(2005年、米大使館パーティで)<br /><br />私は、30代の終わりから40代の初めをワシントン特派員としてアメリカ政治を追った。その前10年間、国内政治を取材した私は、どうせどの国の議会も単なる承認マシンとタカをくくって、米議会の取材を始めた。ところが、そこでは実に強力な権限をもつ立法府の姿を見せつけられ、アメリカ政治のダイナミズムがそこから生まれている現実に触れ、衝撃を受けたのである。<br />米議会は、法律の提案権を独占する。議員以外に法案提出権限を認めない。加えて法律を実行する上での裏付けとなる予算の編成から承認までを担当する。さらには、行政府、司法の主要人事への承認権を持つ。行政府によるいわゆる政治任命(ポリティカルアポンティー)人事まで議会の同意権が及ぶ。このように、ヒト・モノ・カネのすべてに立法府が権力を発揮することで行政府や立法府をけん制できる仕組みが機能していると言える。<br />統治システムだけを見れば、「戦争権限法」などに見られるように、行政権のトップに立つ米大統領の権限は、議会によって抑制され、勝手に独り歩きできない仕組みが作られている。<br /><br /><span style="font-size:large;">▽なぜ米国は議院内閣制を押し付けたか。<br /></span><br />第2次大戦の敗北を受けて、新憲法が定められた。今日の統治システムが定めまったのである。しかし、民主主義の旗手をもって任じるアメリカが日本の新しい姿としてなぜ、大統領制を求めなかったのだろう。GHQの憲法草案は初めから議院内閣制を前提としている。本来なら。戦争責任を取らせなければならない天皇ヒロヒトの退位と天皇制による統治システムの廃止が求められてしかるべきだったはずだ。<br />戦後、67年経って未だに解き明かされていない歴史の闇がいくつかある。この点もその一つだ。確かに、天皇の権威を使って戦後の日本統治をスムーズに進めたかった連合国側の思惑が先行した、との説明には一定の理解ができよう。しかし、その結果、明治の太政官制以来脈々と続いてきた官僚制が温存され、この国の将来にこれほど重くのしかかってくるとは、さすがの米国にも考えられなかったのかもしれない。<br /><br /><span style="font-size:large;">▽「国体護持」と「官僚制維持」は同意語?<br /></span><br />終戦前夜の歴史を振り返るたびに日本軍の降伏条件に「国体護持」が登場する。一見、天皇制を維持したい忠臣的思想に見える、しかし、その裏側にあるのは、天皇制と表裏一体の関係にある官僚制の温存があったと言える。天皇の忠実な臣下として政治を支えてきた官僚システムをどう温存するかが当時の為政者たちの主要関心事であり、そのための画策であったと私には見える。つまり「国体護持」が「官僚制維持」と同意語であった言えるのではないか。<br /><br /><span style="font-size:large;">▽戦後も生き延びたしたたかな官僚システム<br /></span><br /><a href="http://blog-imgs-44.fc2.com/c/u/m/cumsophia/2012040812192558f.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-44.fc2.com/c/u/m/cumsophia/2012040812192558f.jpg" alt="今成写真1" border="0" width="225" height="300" /></a><br />写真:学習院女子大講師としてアメリカ議会制度の資料集めに米議会を訪れたときに(2004年)<br /><br /> 政治記者当時、ある若手官僚と議論していたとき、この人物の口をついて出た次の言葉が気になったのを鮮明に覚えている。<br />「万一、日本が共産党による一党独裁に代わっても、我々(官僚機構)の支えがなければ1日たりとも統治はできない」<br />強烈なエリート官僚の自信の表れと受け取ったが、今になってみると、それ以上に官僚システムへの本質を語っていたと言える。真の支配者は体制に関係なく「官僚」なのだと宣言しているのと同じだから。民主党への政権交代、野田政権による増税路線への流れをみると、「脱官僚」を掲げる民主党の青臭い政治スローガンを気にもかけず、着々と増税への道筋を進ませるしたたかな官僚機構の姿が見える。<br />彼らは、財政ひっ迫から日本を救う、としながら、その裏でちゃっかりと官僚システムがなければ、民主党の政治は子供の遊びにすぎない、と突き放す本音が聞こえてくる。<br /><br /><span style="font-size:large;">▽立法府の機能の本質<br /></span><br />だからと言って、議院内閣制が時代遅れだとは思わない。公正な選挙によって選ばれた国会議員の多数派が、行政府を指導するこの制度自体は、決して国民主権に逆行するものではない。現にイギリス議会は議院内閣制によってその権限を発揮し、国の運営に当たっているからだ。<br /> 問題は、立法府がその権限をいかんなく発揮できるために現行憲法にはない権限をどう取り戻すかにある。首相公選制にしただけは意味がない。<br />立法府がその権限を発揮できる仕組みがなければ、行政府の独走を許し、立法府が形骸化するだけである。<br /><br /><span style="font-size:large;">▽首相選出方法だけに目を奪われるな<br /></span><br />首相の公選制とあわせて、厳密な立法権の実行、すなわち法律は議員提案のみとすること。事実上財務省に握られている予算編成権を内閣から、国会に移す。主要官庁の局長以上の人事は、国会が握って離さない。このような官僚機構へのグリップがあれば、立法府は本来の機能を発揮できる。官僚機構をコントロールできるだけの政策力をつけていくには、まず、その裏付けである権能を整えるところから始めるべきではないか。<br /> 橋下氏らの船中八策には、こうした立法府の復権という視点が十分ではない。統治システムから日本を変えていくには、憲法改正も辞さないと口にする。ここまではいいのだが、本当に統治システムを根本から変えていく覚悟が橋下氏らにはあるのだろうか。<br /><br /><span style="font-size:large;">▽突き詰めると天皇制廃止に至る<br /></span><br />首相公選制にするとは、衆議院に優先議決権がある首相指名選挙を廃止し、その代わりに、首相選出のための国民投票を行えばよいというだけではない。事実上、議院内閣制から共和制への移行になるのだから、当然、憲法上も天皇の位置が変わってくる。天皇に残されている様々な国事行為の廃止はもちろん、「国民統合の象徴」とされる天皇制の廃止まで覚悟しないといけなくなる。<br />口では、新鮮な発想で旧来の政治を批判する橋下氏らだが、本来、血の革命を経なければ手にできない改革を本気で進める覚悟がどれだけあるのか。そこを国民に明確に示しながら「維新」を進めない限り、結局は「口先改革」の域を出ないだろう。<br /><br /><span style="font-size:large;">▽「聞こえのいい話は疑え」<br /></span><br />見栄のいい蝋細工の料理サンプルを陳列ケースに並べる。ところが、それをみた客がその料理を注文すると、「時間がかかる」「言い材料がそろわない」などと言い訳ばかり。挙句の果てには、これまでより高い値段で、何の変哲もない平凡な料理を押し付ける。そんなインチキ商売と同じで、おいしい話ばかりマニフェストに盛り、国民の期待を集めたが、いざ注文すると、言い訳と同時に「値上げ(増税)」を求めてくるのが今の民主党のやり方なのだ。<br /><br />「聞こえのいい話は疑え」とは、昔から政治に対する民衆の知恵である。橋下改革がそう言われ、国民から愛想づかしを食らわないよう、「船中八策」への覚悟とその裏付けを示すべきだろう。(了)<br /><br /><hr size="1" />今成勝彦氏プロフィール<br /><br />今成勝彦(イマナリカツヒコ) 桜美林大学講師、学習院女子大学講師、元・共同通信社ワシントン特派員政治記者、新聞協会紙面審査懇談会前委員、著書「国際情報論」「米国議会制度」など多数。<br /><table border="0" cellpadding="5"><tr><td valign="top"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4900747319/twoc-22/" target="_top"><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/51RYJQPZ20L._SL160_.jpg" border="0" alt="首相公選は日本を変えるか―アメリカ議会のダイナミズムに学ぶ (21世紀の礎ブックス)" /></a></td><td valign="top"><font size="-1"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4900747319/twoc-22/" target="_top">首相公選は日本を変えるか―アメリカ議会のダイナミズムに学ぶ (21世紀の礎ブックス)</a><br />今成 勝彦 <br /><br />いしずえ 2001-06<br />売り上げランキング : 593208<br /><br /><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4900747319/twoc-22/" target="_top">Amazonで詳しく見る</a></font><font size="-2"> by <a href="http://www.goodpic.com/mt/aws/index.html" >G-Tools</a></font></td></tr></table>
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第84回アカデミー賞 注目は白黒サイレント映画と外国語映画賞

今年の注目は白黒サイレント映画と外国語映画賞「第84回アカデミー賞みどころ」文:NHK衛星映画劇場支配人 渡辺俊雄(1972文英)▼今年もやってまいりました・・・ 今年も2月26日(日本時間27日)、ロサンゼルスで「第84回アカデミー賞授賞式」が華々しく開催されます。TVを通して全世界で10億人以上が注視する映画界最大のイベントは、受賞すれば作品の価値も一段と上がるということもあり、アカデミー会員約600... <Table border="0" width="430" cellspacing="5" cellpadding="0" bordercolor="#000000"><Tr><Td RowSpan="3"><img src="http://blog-imgs-45.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20110218012130c4c.jpg" alt="渡辺氏" border="0" width="80" height="80" /></Td><Td>今年の注目は白黒サイレント映画と外国語映画賞</Td></Tr><Tr><Td><font size="4"><strong>「第84回アカデミー賞みどころ」</strong></font></Td></Tr><Tr><Td>文:NHK衛星映画劇場支配人 渡辺俊雄(1972文英)</Td></Tr></Table><hr><br /><span style="font-size:large;"><strong>▼今年もやってまいりました・・・</strong></span><br /> 今年も2月26日(日本時間27日)、ロサンゼルスで「第84回アカデミー賞授賞式」が華々しく開催されます。TVを通して全世界で10億人以上が注視する映画界最大のイベントは、受賞すれば作品の価値も一段と上がるということもあり、アカデミー会員約6000人の投票の行方が気になるところです。<br /><br /><span style="font-size:large;"><strong>▼まずは白黒サイレント作品に注目!</strong></span><br /> 私も授賞式の取材を15年程続けていますが、今年も見どころが一杯。最多ノミネートは巨匠マーティン・スコセッシが初の3Dで製作した「ヒューゴの不思議な発明」の11部門、続いて「アーティスト」の10部門ですが、フランス製の白黒サイレント映画「アーティスト」が作品賞を受賞すれば、サイレント映画としては、第1回受賞作「つばさ」(28)以来84年ぶり、白黒映画としては、第33回受賞作「アパートの鍵貨します」(60)以来51年ぶりの快挙となります。(※「シンドラーのリスト」(93)はパートカラー)<br /><br /> また、フランス映画(英語圏以外の映画)としても初の作品賞となりますが、実はこれもサイレント作品であるためフランス語が使われず、外国語映画賞ではなく作品賞にノミネートされたことも幸いしたと言えます。<br /><br /><span style="font-size:large;"><strong>▼外国作品にも目を向けたい・・・</strong></span><br /> そして私が最も注目しているのが、今年も世界63ヶ国から各国のベスト1映画がエントリーした「世界映画選手権」「映画のワールドカップ」とも言うべき外国語映画賞。今年はイラン、イスラエル、カナダ、ベルギー、ポーランドの5カ国がノミネートされました。過去、イラン映画のノミネートは「運動靴と赤い金魚」(98)の1回だけですが、イスラエルは10回目のノミネート。これは映画製作本数が少ない国にしては異常に多い数字なのです。<br /><br /> ちなみに、今年で56回目となる「外国語映画賞」にノミネートされた作品の多い国ベスト10は以下の通りで、世界最大の映画大国インドですら3回だけです。<br /><br />(1)フランス   40回(13回受賞)<br />(2)イタリア   26回(11回受賞)<br />(3)スペイン   20回( 4回受賞)<br />(4)ドイツ    18回( 3回受賞)<br />(5)スウェーデン 14回( 3回受賞)<br />(6)ロシア(ソ連)13回( 3回受賞)<br />(7)日 本    11回( 1回受賞)「おくりびと」(08)<br />   ※名誉賞時代の3作品「羅生門」「地獄門」「宮本武蔵」は含まず。<br />(8)イスラエル  10回(受賞なし)<br />(9)チェコ     9回(3回受賞)<br />(10)8回デンマーク(3回受賞)メキシコ(受賞0)、ハンガリー(受賞0)<br /><br /> 日本では今春公開されるイラン代表の「別離」は脚本賞にもノミネート、私も試写会で見ましたが非常に優れた作品であると思いました。<br /><br /><blockquote><p>「別離」(渡辺評)<br />イランの今を伝えながら家族のあり方を問う傑作。価値観の違いによる夫婦の離婚話は、やがて老人介護、刑事事件をからめて、思いも寄らぬ深刻な事態に陥る。ことの推移を見守る観客はどうなることかとドキドキハラハラ、スクリーンに釘付けにさせられる。このイランの家族に発生した事態は、日本でも実際に起こっていることに近いが、決定的な違いは信仰心の深さだ。その信仰心が事態を複雑にし、悩みを深くしていく。そして家族の行く末は・・・完全に観客の想像に委ねられる。何という緻密に組み立てられた脚本だろう。ベルリン映画祭を完全制覇し、アカデミ-賞でも外国語映画賞、脚本賞ノミネートされているが、米国とイランが対立している現在の国際情勢や、ユダヤ勢力が強い現在のハリウッド映画界がこの作品をどう評価するかが注目される。おまけに、今年は宿敵イスラエル映画もノミネートされているのだ。米国とイランとの対立が強まる中、ユダヤ票が強いといわれるハリウッド映画業界がどういう選択をとるのか、果たして、現在の国際情勢をアカデミー賞も反映するのか、注目です。</p></blockquote><br /><br /> 一方で、残念ながら今年も日本関係のノミネートはありませんでした。今年の外国語映画賞日本代表は、今年4月22日、百歳の誕生日を迎える新藤兼人監督の「一枚のハガキ」でしたが、ノミネートならず。外国作品ですが、短編ドキュメンタリー部門の「津波そしてサクラ」に期待したいところです。<br /><br /><span style="font-size:large;"><strong>▼今年も実在の人物作品も・・</strong></span><br /> また、今年も実在の人物を描いた作品が多数ノミネートされています。去年は「英国王のスピーチ」(ジョージ6世)VS「ソーシアル・ネットワーク」(フェイスブック創設者マーク・ザッカーバーグ)の対決でしたが、今年は「マーガレット・サッチャー」「マリリン・モンロー&ローレンス・オリビエ」大リーグ「オークランド・アスレチックス」のGMビリー・ボーンなどが候補となっています。<br /><br /> ちなみに、なぜかクリント・イーストウッド監督、レオナルド・ディカプリオ主演でFBI初代長官フーバー長官の生涯を描いた「J.エドガー」はノミネート“0”でした。私はアメリカ現代史を学ぶ意味でも非常に興味深く、よく出来た作品だと思ったのですが・・・。<br /><br /><span style="font-size:large;"><strong>▼果たして結果は・・・</strong></span><br />WOWOWでは、「生中継!第84回アカデミー賞授賞式」をWOWOWプライム BS9(Ch191)にて、2月27日(月)午前9時から同時通訳付きの生中継の予定。<br />NHKでも「第84回アカデミー賞授賞式のすべて」を、3月14日(水)夜10時~、BSプレミアムで放映予定。
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原サチコさん、独演劇雑誌で語る「記憶せよ、抗議せよ、生き延びよ」

2012/02/05 ドイツで井上ひさし氏の「少年口伝隊一九四五」を上演し、原爆の悲惨さ、放射能の恐ろしさを訴え続けている前衛女優、原サチコさん(88外独)は、ドイツの代表的な演劇雑誌「THEATER DER ZEIT」(現代の演劇)10月号の「震災後の日本の演劇」特集でインタビューに登場しています。ドイツの演劇雑誌「THEATER DER ZEIT」表紙(クリックで拡大) このインタビューのタイトルは「記... 2012/02/05<br /><br /> ドイツで井上ひさし氏の「少年口伝隊一九四五」を上演し、原爆の悲惨さ、放射能の恐ろしさを訴え続けている前衛女優、原サチコさん(88外独)は、ドイツの代表的な演劇雑誌「THEATER DER ZEIT」(現代の演劇)10月号の「震災後の日本の演劇」特集でインタビューに登場しています。<br /><br /><img src="http://blog-imgs-44.fc2.com/c/u/m/cumsophia/201202051022454ff.jpg" alt="原サチコTheaterderZeit 10月号表紙" border="0" width="330" height="468" onclick="popupImage('http://blog-imgs-44.fc2.com/c/u/m/cumsophia/201202051022454ff.jpg')"/><br />ドイツの演劇雑誌「THEATER DER ZEIT」表紙(クリックで拡大)<br /><br /> このインタビューのタイトルは「記憶せよ、抗議せよ、生き延びよ」で、原さんは「少年口伝隊一九四五」について「放射能の人体への影響をこのような舞台で生の声を聞くと、その恐怖は倍増します。しかし、同時に、この戯曲は『生き延びた者の使命』を訴えています」と、井上ひさし氏の「少年口伝隊一九四五」に対する思いを述べています。<br /><br /><img src="http://blog-imgs-44.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20120205101433788.jpg" alt="原サチコドイツ演劇誌原さんインタビュー記事" border="0" width="430" height="296" onclick="popupImage('http://blog-imgs-44.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20120205101433788.jpg')"/><br />「記憶せよ、抗議せよ、生き延びよ」2011年10月号記事(クリックで拡大)<br /><br /><span style="font-size:large;">▼2個の原爆は人類全体に落とされた</span><br /><br />「井上ひさし氏がなぜ原爆のことを書くのか」という質問に対し、原サチコさんは「あの2個の原子爆弾は、日本人の上に落とされたばかりでなく、人類の存在全体に落とされたものだと考えるべきである。あの時の被爆者たちは、核の存在から逃れることのできない20世紀後半の世界中の人々を代表して、地獄の火で焼かれたのだ。だから被害者意識からでなく、世界54億の人間の一人として、あの地獄を知っていながら『知らぬふり』することは、何にもまして罪深いことだと考えるから書くのである」と、井上氏の言葉を紹介しているのが注目されます。<br />また原サチコさんは、東日本大震災、原発事故を通じて日本人の原子力発電、災害に対する考え方が大きく変わりつつあると強調しています。<br /><br /> この原サチコさんのインタビューは、中央大学文学部の高橋慎也教授(ドイツ語文学文化専攻)のHPに掲載されており、演劇活動を通じて社会正義を実現しようとする原サチコさんの意欲が伝わってきます。一読をお勧めします。(ー><a href="http://www.chuo-u.ac.jp/chuo-u/letters/pdf/20120105_05_t1.pdf" target="_blank" title="こちらからリンク">こちらからリンク</a>)<br /> <br /><span style="font-size:large;">▼原サチコさんは上智の宝</span><br /><br /> 高橋教授によりますと、これまでにも「THEATER DER ZEIT」は日本の演劇に関心を示し、折に触れ日本の演劇活動を紹介してきました。<br /><br /> 東日本大震災と福島の原発事故がドイツでも大きく報道される中で、日本の演劇人がこの震災、原発事故に対してどのように対処したのかについて大きな関心を寄せ、2011年10月号に「震災後の日本の演劇」について特集記事を掲載することになりました。<br /><br /> 原サチコさんはハノーファー州立劇場で、広島原爆投下を題材にした井上ひさしの戯曲「少年口伝隊一九四五<br />を共訳、上演し注目されています。特集には原サチコさんのインタビューのほかに、高橋教授も「上演すべきか中止すべきか」という記事を掲載しています。<br /><br /> 高橋教授は、原サチコさんについて「日本人女優としては実にまれな経歴で、もしかしたら今後は、これだけの日本人女優は生まれないかもしれません。上智大学の宝、日本の宝です。昨年の秋にはケルン州立劇場で、ノーベル賞作家エルフリーデ・イェリネクが福島原発事故をテーマとして執筆した『光のない』の初演にも出演しました。『光のない』は昨年12月に東京でリーディング上演され、今年の秋に国際演劇フェスティバル/トーキョーで、本公演される予定です」と語っています。<br /><br />(山田洋子 '77外独)<br /><br />参考:<br />中央大学文学部HP:<br /><a href="http://www.chuo-u.ac.jp/chuo-u/news/contents_j.html?suffix=i&amp;mode=dpttop&amp;topics=15769" target="_blank" title="http://www.chuo-u.ac.jp/chuo-u/news/contents_j.html">http://www.chuo-u.ac.jp/chuo-u/news/contents_j.html</a><br />原サチコ氏マスコミソフィア会記事:<br />「原サチコ ドイツで生きる 役者を生きる」<br /><a href="http://cumsophia.blog106.fc2.com/blog-entry-125.html " target="_blank" title="http://cumsophia.blog106.fc2.com/blog-entry-125.html ">http://cumsophia.blog106.fc2.com/blog-entry-125.html </a> <br />独誌「THEATER DER ZEIT」記事<br /><a href="http://www.theaterderzeit.de/archiv/theater_der_zeit/2011/10/" target="_blank" title="http://www.theaterderzeit.de/archiv/theater_der_zeit/2011/10/">http://www.theaterderzeit.de/archiv/theater_der_zeit/2011/10/</a> <br />
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野田内閣は詐欺師内閣だ!

2012年1月7日民主党の皆さんへ野田内閣は詐欺師内閣だ!野田総理は本当にメチャクチャですね。「消費税率をアップする」なんてマニフェストには全くなかったのに「消費税率アップ」を「不退転」でやるとか、ネバ、ネバ、ネバ、ネバーギブアップ」などと「納豆をかき回す」ような言い方をしています。これは「総理」ではなく、まるで「財務省の事務次官」のようです。「大義のため」とか言っていますが、ではなぜその「大義」を選挙... 2012年1月7日<br /><br />民主党の皆さんへ<br />野田内閣は詐欺師内閣だ!<br /><br />野田総理は本当にメチャクチャですね。「消費税率をアップする」なんてマニフェストには全くなかったのに「消費税率アップ」を「不退転」でやるとか、ネバ、ネバ、ネバ、ネバーギブアップ」などと「納豆をかき回す」ような言い方をしています。これは「総理」ではなく、まるで「財務省の事務次官」のようです。<br /><br />「大義のため」とか言っていますが、ではなぜその「大義」を選挙の時に示さなかったのでしょう? しかも、マニフェストにあった「八場ダム建設中止」を再開したり、「公務員改革」は全く手つかずとは「国民に対する騙し討ち」であり「詐欺、横領、かっぱらい」の類で「詐欺師」そのものではありませんか!<br /><br />かつて自民党の小泉純一郎首相が「公約なんて選挙の時だけのもの」と言いましたが、民主党こそは「公約」(マニフェスト)を守ると思ったから投票したのです。しかし、こんな風に「マニフェスト」など守るどころか、全く違う政策を「大義」だなどと称して実行するという始末では、今後、何を基準にして投票すれば良いのでしょうか?<br />国民は「政治不信の極致」に立たされていると言っても言い過ぎではありません。<br /><br />しかも財務省の振り付けで、選挙の前に「法律」だけ作らせようとしていますが、民主党は「政治主導」を目指すと、あれほどはっきり言っていたではありませんか!<br />野田総理は官僚に完全に洗脳されたのか、頭が狂ってしまったのでしょうか?<br /><br />私は、今の状況で消費税を上げても国内消費が冷え込むだけで税収はむしろ落ちると思います。そして消費税を転嫁しにくい「中小企業」にとっては死活問題になります。<br /><br />でも、どうしても「消費税率アップ」をすると言うなら、まず「公務員の天下り」を根絶して下さい。特に「財務省」関連の「特別会計」は全廃。関連団体を全て解散させ、天下りは一人たりとも許さない仕組みを作って下さい。<br />また「国税庁」と「日本年金機構」を合体させて「歳入庁」として下さい。また各省庁で重なっている業務、例えば「厚生労働省」と「文部省」の「幼保一体化」を即時実行して下さい。これが出来ないなら「消費税率アップ」には絶対反対です!<br /><br />磯浦康二('57文新)
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マスコミソフィア会幹事が選ぶ2011年・今年の10大ニュース

2011年12月15日(木)ソフィアンズクラブにて行われた年末恒例の忘年会にて、参加された11名の幹事らが選んだ2011年の10大ニュースをまとめてみました。第1位:東日本大震災、原発事故で甚大被害    原発事故の対応もさることながら、放射能除染を処理場所を考えずに始めていることがけしからん(磯浦)    被災したため保険や私学共済からの保険金が出たので意外に助かった(木村)第2位:なでしこジャパン世界一    ... 2011年12月15日(木)ソフィアンズクラブにて行われた年末恒例の忘年会にて、参加された11名の幹事らが選んだ2011年の10大ニュースをまとめてみました。<br /><br />第1位:東日本大震災、原発事故で甚大被害<br /><br />    原発事故の対応もさることながら、放射能除染を処理場所を考えずに始めていることがけしからん(磯浦)<br />    被災したため保険や私学共済からの保険金が出たので意外に助かった(木村)<br /><br />第2位:なでしこジャパン世界一<br /><br />    我が家がにわかなでしこファンになった(新田)<br /><br />第3位:野田内閣発足<br /><br />第4位:中東に民主化の波、カダフィ大佐死亡、ビンラディン容疑者殺害<br /><br />    ビンラディンは米国が勝手に殺したのではないか(山田)<br /><br />第5位:米国債格下げ、最上級失う<br /><br />第6位:歴史的円高、一時1ドル=75円32銭<br /><br />第7位:中国高速鉄道で事故、40人死亡<br /><br />第8位:オウム真理教裁判が終結、死刑判決13人<br /><br />    あれは一体何だったのか、これで終結なのか(猪谷)<br /><br />第9位:野田首相、TPP交渉参加を表明<br /><br />第10位:ユーロ危機深刻化、欧州各国に波及<br />    米アップル社のスティーブ・ジョブズ会長が死去<br />    テレビ放送が地デジに移行<br /><br />番外:<br />・世界的なバイオリニスト・天満敦子氏とお友達になったこと(稲村)<br />・報道されない被災地の真実がたくさんあったこと(山田)<br />・海外からの話題でなぜか日本国内で報道されていないことがたくさんあったこと(法学部2年女子)<br />・日本のこれからの労働者が「女性」「老人」「外国人」に間違いなくなっていくと実感したこと(加藤)<br /><br /><br />以上です。震災と原発事故によって何もかもが変わってしまった2011年でしたが、それでも世界は動いています。強い「絆」で、この苦難を乗り越えて行きましょう。<br /><br /><img src="http://blog-imgs-44.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20111231232426e1f.jpg" alt="マスコミソフィア会忘年会111215" border="0" width="430" height="320" /><br />(忘年会でのスナップ)<br /><br />参考:<br />時事通信<br />https://www.jloupe.com/ext/news/year/2011/<br /><br />共同通信<br />http://www.kyodonews.jp/feature/top10/2011topnews.html<br /><br />読売新聞(国内)<br />http://www.yomiuri.co.jp/feature/2011news10/list_j.htm<br />読売新聞(海外)<br />http://www.yomiuri.co.jp/feature/2011news10/list_w.htm
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