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<!-- passive:etc --><div style="text-align:center;margin-bottom:10px;"><iframe src='//assys01.fc2.com/1382' style='width:300px;height:250px;border:none;' scrolling='no'></iframe><!-- FC2管理用 --><img src="//media.fc2.com/counter_img.php?id=1368" width="1" height="1"><!-- FC2管理用 --></div><div style="font-size:8px;">上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。<br />新しい記事を書く事で広告が消せます。</div>
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第26回(2017年度)コムソフィア賞受賞記念講演会開催!

いよいよ来週5月28(日)は学生と卒業生が集うオールソフィアンズフェスティバル2017が開催されます。会場内ではさまざまな催し物や卒業生を祝う金銀銅祝も例年通り行われます。オールソフィアンズフェスティバルの詳細は(http://www.sophiakai.gr.jp/~asf2017/)をご参考下さい。◆第26回(2017年度)コムソフィア賞受賞記念講演会母校の発展とともに各界で活躍する優れたソフィアンを顕彰する「コムソフィア賞」授賞式ならびに記... いよいよ来週5月28(日)は学生と卒業生が集うオールソフィアンズフェスティバル2017が開催されます。会場内ではさまざまな催し物や卒業生を祝う金銀銅祝も例年通り行われます。オールソフィアンズフェスティバルの詳細は(<a href="http://www.sophiakai.gr.jp/~asf2017/" target="_blank" title="http://www.sophiakai.gr.jp/~asf2017/">http://www.sophiakai.gr.jp/~asf2017/</a>)をご参考下さい。<br /><br /><span style="font-size:large;">◆第26回(2017年度)コムソフィア賞受賞記念講演会<br /></span><br />母校の発展とともに各界で活躍する優れたソフィアンを顕彰する「コムソフィア賞」授賞式ならびに記念講演会が、今年もオールソフィアンズフェスティバル会場内で行われます。<br /><br />会場:上智大学四ツ谷キャンパス 2号館401号室(総会・懇親会402号室)<br />第26回コムソフィア賞受賞者:澤田康彦さん(1982外仏)<br /><br /><a href="http://blog-imgs-110.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20170519163718acd.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-110.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20170519163718acd.jpg" alt="チラシ用澤田さん写真" border="0" width="164" height="246" /></a><br /><br />澤田康彦さんは現在「暮しの手帖」編集長。卒業後、平凡出版(現・マガジンハウス)入社。「BRUTUS」「Tarzan」などの編集にかかわり「平凡パンチ」「ポパイ」の卒業世代に大いに刺激を与えた。一方、椎名誠さんの映画「ガクの冒険」のプロデュース、関連エッセイ本の執筆など多方面での仕事を積みね2010年退社。<br /><br />その後、フリー編集者となり2015年「暮しの手帖」社に招かれ編集長に就任。70年続くブランドの“暮し第一の誠実な雑誌作り”を継承しつつも、就任翌年発行の83号では新しい企画を立ち上げ評判を呼びました。<br /><br />伝統を守りながらも新しい感覚を取り入れる姿勢と長年出版界での活動が評価された。これからも雑誌文化の先端で意欲的な活動を期待することで第26回「コムソフィア賞」が贈られます。<br /><br />日時:2017年5月28日(日)<br /> 12:30:開場<br /> 13:00:総会と授賞式(2号館402号室)<br /> 13:45:「コムソフィア賞」受賞者記念講演(2号館401号室)<br />     「「暮し」のつくりかた」:澤田康彦さん(1982外仏)<br /> 14:40:上出義樹さん時局講演会(2号館401号室)<br /> 15:30:懇親会(2号館402号室)<br /> 16:30:校歌斉唱&閉会予定<br /><br />※懇親会参加費:2,000円 学生:500円<br /><br />また今回は受賞者講演会のほか、元北海道新聞社記者の上出義樹さん(2016院新聞学専攻)による時局講演会「「報道の自主規制」~メディアを蝕む不都合な真実~」も同時開催されます。<br /><br /><a href="http://blog-imgs-110.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20170519163922209.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-110.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20170519163922209.jpg" alt="上出義樹さん200x267" border="0" width="200" height="267" /></a><br /><br />みなさんお誘い合わせの上ぜひご参加下さい。<br /><br />なお、これまでの受賞者一覧は下記よりご確認いただけます。<br /><コムソフィア賞受賞者一覧><br /><a href="http://cumsophia.blog106.fc2.com/blog-entry-172.html" title="http://cumsophia.blog106.fc2.com/blog-entry-172.html">http://cumsophia.blog106.fc2.com/blog-entry-172.html</a>
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大人の見学ツアー第2回「YKKものづくり館訪問」レポート

■大人の見学ツアー第2回「YKKものづくり館訪問」日時:2017年1月14日(土)10:00〜11:30見学場所:東京・秋葉原「YKK本社・ものづくり館」同行:末永亜希子さん('00外ポ)(YKK株式会社 経営企画室 広報グループ) 猿丸雅之さん('75外英)(YKK株式会社 代表取締役社長)内容:YKKのものづくり哲学に触れるためのワークショップ+猿丸社長の会社解説2016年秋からの「マスコミ・ソフィア会」の新企画として始めた、旬... ■大人の見学ツアー第2回「YKKものづくり館訪問」<br />日時:2017年1月14日(土)10:00〜11:30<br />見学場所:東京・秋葉原「YKK本社・ものづくり館」<br />同行:末永亜希子さん('00外ポ)(YKK株式会社 経営企画室 広報グループ)<br /> 猿丸雅之さん('75外英)(YKK株式会社 代表取締役社長)<br />内容:YKKのものづくり哲学に触れるためのワークショップ+猿丸社長の会社解説<br /><br />2016年秋からの「マスコミ・ソフィア会」の新企画として始めた、旬なトレンドの企業や、頑張っている企業を別の角度から訪問し見学しようという「大人の見学ツアー」。<br /><br />昨年の第1回「Google日本本社」に引き続きの2回目。前日までの穏やかな天気とは打って変わった急な寒波の来襲で、参加者の出足が心配されたが、16名が定刻までに「ものづくり館」に参集、10時に開始。<br /><br />冒頭では、明日から海外出張という多忙な時間を割いて、猿丸雅之代表取締役社長(1975外英)も参加して下さり、「ものづくり館 by YKK」の設立精神ついて次のようなお話しされました。<br /><br />■猿丸雅之社長の話<br /><blockquote style="background-color:#e1f6dd;"><br />「私たちはメーカーとしての誇りも責任も持っています。日本の製造業が衰退し、競争力をなくしていく中で次の世代に”ものづくり”の楽しさを教えたい・・・一企業が社会全体を変えることは出来ませんが、何か会社としての活動を通して、若い世代に“ものを作ること”の楽しさを学んで欲しいという思いがありました。<br /><br />もともとこの地域は横山町、博労町という繊維問屋街の大きなところで、”カチクラ”と言われる御徒町や蔵前などの地域には、今でも若いクリエイターの方が沢山おられます。そういう方々に少しでも場を提供したいこと。そして若い世代にファスナーという生活に密着してるが、普段、何も考えずに使っているものを通して“ものを作る”ということに慣れ親しんでほしいという思いがあってこの建物を本社の横に建てました。<br /><br /><a href="http://blog-imgs-98.fc2.com/c/u/m/cumsophia/ykk01.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-98.fc2.com/c/u/m/cumsophia/ykk01.jpg" alt="ykk01.jpg" border="0" width="323" height="430" /></a><br />猿丸雅之社長<br /><br />1階のここは”ワークショップ”、2階はファスナーの歴史や構造を学んで頂く。3階はもう少しプロ向きにクリエイターの方々が意見交換できるような場として、4階のスペースは皆さんたちにお貸して、レクチャーも出来るようにしています。<br /><br />多少の不安もありましたが、一昨年の9月に発足して1年4か月になりますが、非常に好評で、ワークショップもいろんな方々、いろんな年齢層の方に月4回、週1回ペースでご利用いただいています。ミシンが24台しか置けないので、すぐに埋まってしまいますが、近所の小学校の皆さんが課外授業で来ていただくとか、地方の学校からインターネットで申し込んで頂き修学旅行の野外活動コース、自由活動コースなどにも来て頂いておりますので、当初の目的の線には沿っていると思います。また主力工場のある富山県でも同じようなことをしていますので、地味な活動を通して少しでも”ものづくり”ということの楽しさを学んで頂きたいと思っています。<br /><br />私共の会社は1934年(昭和9年)創業です。吉田忠雄という現在の会長の父親が創業しました。小学校を出ただけの学歴で始めたものです。ファスナーという大変魅力のある商品・・・商品は125年経っていますが・・・この商品で我々は技術的な研鑽とかアイデア、基本的な構造は変わっていませんが、新しい製造方法も含めて、基本的な構造は変わっていませんが進化を遂げてきたつもりです。<br /><br />なかなかファッション産業、カバン産業等は日本で作られていませんので、どうしても海外での活動が多くなっていますが、その中で少しでも日本を元気にするような活動を、われわれの社会活動の一環としてやっていければと思っています」<br /></blockquote><br />■ものづくり館見学<br /><br />そして参加者一行は、1階の「ワークショップ」で、ファスナーを使ってのポーチの製作に挑戦。慣れないミシンを使っての作業に女性8名、男性8名の参加者がスタッフの細かい指導のもとに「ミシンなんて使ったことがないよ! 使うの久し振り…」なんて言う声で賑やかなこと。<br /><br /><a href="http://blog-imgs-98.fc2.com/c/u/m/cumsophia/ykk02.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-98.fc2.com/c/u/m/cumsophia/ykk02.jpg" alt="ykk02.jpg" border="0" width="430" height="323" /></a><br />ポーチ作りに挑戦!!<br /><br /><a href="http://blog-imgs-98.fc2.com/c/u/m/cumsophia/ykk04.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-98.fc2.com/c/u/m/cumsophia/ykk04.jpg" alt="ykk04.jpg" border="0" width="430" height="323" /></a><br />ポーチ作りに挑戦!!<br /><br />「出来あがりまで大体30分ぐらいですよ」とのことでしたが、一番乗りは男性! 15分足らずで完成。その後、ファスナーを使ったストラップなども作り、一時間ほどの楽しいひと時を過ごして、作品を手に手に記念撮影で「YKKものづくり館」見学を無事終了しました。<br /><br /><a href="http://blog-imgs-98.fc2.com/c/u/m/cumsophia/ykk03.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-98.fc2.com/c/u/m/cumsophia/ykk03.jpg" alt="ykk03.jpg" border="0" width="323" height="430" /></a><br />巨大なファスナー(説明している方が末永亜希子さん)<br /><br /><a href="http://blog-imgs-98.fc2.com/c/u/m/cumsophia/ykk05.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-98.fc2.com/c/u/m/cumsophia/ykk05.jpg" alt="ykk05.jpg" border="0" width="430" height="323" /></a><br />記念撮影<br /><br />そして、場所を変えて秋葉原ワシントンホテル2階の「麹蔵」にて昼食を兼ねての懇親会。「楽しいものつくりだった。今度は家族と挑戦」、「ソフィアンタワーの話題」「初めての参加者同士の交流」などがあり和気あいあいの内に13時過ぎに散会しました。<br /><br /><br /><a href="http://blog-imgs-98.fc2.com/c/u/m/cumsophia/ykk06.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-98.fc2.com/c/u/m/cumsophia/ykk06.jpg" alt="ykk06.jpg" border="0" width="430" height="323" /></a><br />懇親会にて<br /><br />参加者のアンケートには「シンプルなファスナーの基本構造を利用して、ものづくりの楽しさを知ることができた」「ワクワクしながらのポーチ作りをしながら、モノづくりの大切さを学びました」「またこのような見学会に参加したい」などがありました。<br /><br />改めて、この機会を与えて下さった猿丸社長をはじめYKKスタッフの皆様に御礼申し上げます。有難うございました。(レポート:村田亨'64外露、山田洋子'77年外独、磯浦康二'57文新)<br /><br /> 次回の「大人の社会見学」は3月を予定しています。
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大人の見学ツアー第1回「Google日本本社訪問」レポート

■大人の見学ツアー第1回「Google日本本社訪問」日時:2016年09月29日(木)18:30〜20:00見学場所:六本木ヒルズ「Google 日本本社」講師:金谷武明さん(1995法法)(googleシニアサーチ・エバンジェリスト)内容:Google日本本社の社内見学+講師による会社解説2016年秋からの「マスコミ・ソフィア会」の新企画として、旬なトレンドの企業や、頑張っている企業を別の角度から訪問し見学しようという「大人の見学ツアー」を... <blockquote><p>■大人の見学ツアー第1回「Google日本本社訪問」<br />日時:2016年09月29日(木)18:30〜20:00<br />見学場所:六本木ヒルズ「Google 日本本社」<br />講師:金谷武明さん(1995法法)(googleシニアサーチ・エバンジェリスト)<br />内容:Google日本本社の社内見学+講師による会社解説</p></blockquote><br />2016年秋からの「マスコミ・ソフィア会」の新企画として、旬なトレンドの企業や、頑張っている企業を別の角度から訪問し見学しようという「大人の見学ツアー」を始めました。<br /><br />その「大人の見学ツアー」第1回は、六本木ヒルズのGoogle日本本社を訪ねました。<br /><br />ソフィアンでGoogleシニアサーチ・エバンジェリストの金谷武明さん(1995法法)のご厚意で30人が見学させて頂きました。<br /><br /><a href="http://blog-imgs-98.fc2.com/c/u/m/cumsophia/Google1.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-98.fc2.com/c/u/m/cumsophia/Google1.jpg" alt="Google1.jpg" border="0" width="430" height="323" /></a><br />(写真説明)8面の画像を使った「Google Map」受信装置。<br /><br /> 見学できるフロアーの入り口すぐの所に大型「Google Map」受信装置があり(写真)地球儀から次第に日本列島が見えてきてTOKYOへ急降下・・・どこかで見た風景は何と上智大学の構内でした。大きいだけに凄い迫力。<br /><br /><!-- ※(写真説明)上智大学構内を散歩。メンストの辺り。--><br /><br /><a href="http://blog-imgs-98.fc2.com/c/u/m/cumsophia/Google2.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-98.fc2.com/c/u/m/cumsophia/Google2.jpg" alt="Google2.jpg" border="0" width="323" height="430" /></a><br />(写真説明)自転車タイプの「Google Map」撮影装置<br /><br />そして、会議室でGoogleの役割や最近の活動などについて金谷さんからレクチャーを受けました。<br />金谷さんのお話では「Googleの使命は、世界中の情報を整理し、世界中の人々がアクセスできて使えるようにすること」ということです。<br /><br /><a href="http://blog-imgs-98.fc2.com/c/u/m/cumsophia/Google3.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-98.fc2.com/c/u/m/cumsophia/Google3.jpg" alt="Google3.jpg" border="0" width="430" height="323" /></a><br />(写真説明)会議室で金谷さんの説明を聞く<br /><br />また、「 Googleが掲げる十の事実」があり「ユーザーに焦点を絞れば、他のものはみんな後からついてくる」「遅いより早い方がいい」「ウエブでも民主主義は機能する」「スーツがなくても真剣に仕事は出来る」などです。なるほど、社内で出会う人たちはスーツを着ていません。<br /><br />また廊下を歩いていくと赤いランプが灯いていたり、壁紙にマンガが描いてあったり、自由な雰囲気が溢れて、世界的なユニークな会社の一端を垣間見た気がしました。<br /><br />参加者の感想は「新しい時代の先端企業の一面を知り、楽しかった」「大いに刺激をうけた」「世界と繋がって仕事をしていることが良く判った」「金谷さんのお話がとても新鮮だった」「従来の職場、会社のイメージが変わった」「時代の先端を行く企業の考え方が良く判かった」など好評でした。<br /><br />その後は、近くのレストランで金谷さんを囲んで懇親会を開き、楽しいひと時を過ごしました。(磯浦康二 '57文新)<br /><br /><a href="http://blog-imgs-98.fc2.com/c/u/m/cumsophia/Google4.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-98.fc2.com/c/u/m/cumsophia/Google4.jpg" alt="Google4.jpg" border="0" width="430" height="323" /></a><br />(写真説明)懇親会では全員自己紹介、名刺交換などをして交流を深めました。
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戦後70年(追記) 〜 上智大学戦没者の氏名68名が判明

戦後70年の節目の年に、上智大学戦没者の追悼行事が行われる中、上智大学文学部史学科長井伸仁教授は、独自の視点で戦没者の調査研究をされ、新たに35名の戦没者が判り、これまでの33名(以前の記事参照:http://cumsophia.blog106.fc2.com/blog-entry-288.html#f)と合わせて合計68名の戦没者の氏名が確認されました。先日の追悼ミサでも名前が奉納されました。●1998年版ソフィア会名簿記載のあった19名分(卒年順)結城幸三郎(S7商... 戦後70年の節目の年に、上智大学戦没者の追悼行事が行われる中、上智大学文学部史学科長井伸仁教授は、独自の視点で戦没者の調査研究をされ、新たに35名の戦没者が判り、これまでの33名(以前の記事参照:<a href="http://cumsophia.blog106.fc2.com/blog-entry-288.html#f" title="http://cumsophia.blog106.fc2.com/blog-entry-288.html#f">http://cumsophia.blog106.fc2.com/blog-entry-288.html#f</a>)と合わせて合計68名の戦没者の氏名が確認されました。先日の追悼ミサでも名前が奉納されました。<br /><br />●1998年版ソフィア会名簿記載のあった19名分(卒年順)<br /><br />結城幸三郎(S7商商)、渡邉善次(S9文哲)、木内一義(S10専新)、吉野正三(S10専新)、本郷克己(S10文独)、矢野東一郎(S11商商)、峰島敏彦(S12商商)、藤本好久(S13専新)、岡野 護(S13商経)、西尾主税(S14商経)、名手秀夫(S15商商)、猪木省三(S16商商)、岩崎敏夫(S16商商)、土谷興次郎(S16商経)、石原正嘉(S18専商)、網代一彌(S19専新)、山縣忠三(S19専経)、竹内謙二(S19文哲)、成川源太郎(S19文哲)<br /><br />●以下16名は1998年版名簿に記載のない方(50音順)<br /><br />石塚正臣、成田俊夫、福田光三、大熊豊彦、新野良夫、古田吉郎、沖 四郎、西岡友彦、安井陽一郎、小田部胤良、畑(旧姓:松野)正義、山崎壽一郎、小谷一信、菱川紳太郎、鱸 宏一、平賀勇吉
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(講演録)「縄文の華"火焔土器"の謎に迫る」古屋毅氏 第9回紀尾井の森カルチャー倶楽部

上智大学 マスコミ・ソフィア会主催紀尾井の森カルチャー倶楽部 第九回講演テーマ:「縄文の華"火焔土器"の謎に迫る」講師:古屋毅(ふるやたけし)さん(元昭和シェル石油勤務)('57経商)日時:2014年9月24日(木)18時30分~21時場所:四ツ谷上智大学構内12号館1階・ソフィアンズクラブ※この講演録は当日の同録音声から主要な箇所を中心に文章に書き起こし加筆・修正したものです。■古代史を研究することになった運命的な出会い... 上智大学 マスコミ・ソフィア会主催<br />紀尾井の森カルチャー倶楽部 第九回<br /><br />講演テーマ:「縄文の華"火焔土器"の謎に迫る」<br />講師:古屋毅(ふるやたけし)さん(元昭和シェル石油勤務)('57経商)<br />日時:2014年9月24日(木)18時30分~21時<br />場所:四ツ谷上智大学構内12号館1階・ソフィアンズクラブ<br /><br />※この講演録は当日の同録音声から主要な箇所を中心に文章に書き起こし加筆・修正したものです。<br /><br /><strong><span style="font-size:large;">■古代史を研究することになった運命的な出会い・・・</span></strong><br /><br /><img src="http://blog-imgs-80.fc2.com/c/u/m/cumsophia/1_IMG_0166.jpg" alt="1_IMG_0166.jpg" border="0" width="430" height="323" alt="古屋毅氏"><br />古屋毅氏<br /><br />1957年上智大学経済学部商学科卒業の古屋毅(ふるやたけし)です。<br /><br />今夜は、最終的には"火焔土器"の謎が私なりに解けてしまったということを発表する場にしたいと思っておりますが、その前に、私が古代史にのめり込んだいきさつについて、面白い話がいっぱいありますので、そのあたりからアラカルト的に自己紹介を兼ねておしゃべりしてみたいと思います。<br /><br />私は昭和32年に卒業してすぐシェル石油に入社しまして、石油会社で定年までずっと行ったんですが、最初は転勤族でもありまして、本州は大阪名古屋岡山広島、そして東京に帰ってきて、そのあと静岡などなど。ところが途中から特約店の経営がおかしくなると出向しろとなり、出向屋になり、全国6カ所、会社の立て直しに奔走いたしました。<br /><br />その際に営業部門で、燃焼機についていろいろやりました。石油の技術と言えば「燃焼」と「潤滑」と石油化学での「分解」このあたりで、一般的には「燃焼」と「潤滑」。私は商学科卒なので、徹底的にトレーニングをされ、売り子として通用するように叩きこまれましたが、とりわけ「潤滑」と「燃焼」には興味を持ちました。<br /><br />そもそも私が古代史にのめり込んだ原点というのは、弘前にいたときに、十和田湖の近くにストーンサークル(大湯環状列石)がありまして、何のために作られたのかは未だ不明なんですが、これに巡り合ったことがきっかけです。<br /><br />ヨーロッパなどでも(大湯環状列石)は良く見られますし、北海道にもあるんですが、南のほうにはあんまりないんです。関東あたりまでがギリギリ。そんなことからなぜこんなものを古代の人が作ったのかを調べたくなったわけです。<br /><br />十和田湖の先に迷ヶ平(まよいがたい)という場所があって、ここにキリストの墓がある。観光バスでこのあたりを通ったときに説明があって、そのときは信じなかったんですが、あとで調べてみたところ、キリストではないかもしれないが、ヘブライ人が(紀元前から)日本に来ていた・・。これにも興味をそそられました。<br /><br />七戸(青森県)では7月14日に「ナニャドヤラ」という盆踊り(お祭り)があって、祝詞のようなものを読むんだけど、日本語には聞こえない。ヘブライ語に訳すと意味がわかる。<br />(岩手県一戸町出身の神学博士・川守田英二が大正時代に唱えた説)ヘブライ人がどの時期かはわかりませんが、日本に来ていたことを想わせます。<br /><br />また私が糸魚川にいたときにいろんな古代史の本を読んでいたところ、能登半島の穴水というところの宝達山(ほうだつさん)のふもとにモーゼの墓があることを知りました。糸魚川から近かったもんで行ってみたんです。<br /><br />最初辿りつけなかったんですが、海岸側から行ったらすぐに辿りつき、キンキラキンの看板が立ってて、モーゼの墓とある。それで「三ツ子塚」って三つの小山があってその真ん中がモーゼの墓であると書いてある。右側が妻の墓で左が子供たちの墓。<br /><br />周りにはパルテノン神殿のような横文字の書かれた石碑も建っている。外国人の方も観光に来られていた。<br /><br />それで縄文中期くらいだと思うんですが、BC1000年、1500年あたり、かなり日本海を通ってそういった人たちが来ていた、また北のシルクロードを伝わって来ていた、そのあたりは詳しくないんですが、古代ユダヤ人には12支族あった。アッシリアにより滅ぼされ、残りの10部族は東方に逃げた。彼らは「イスラエルの失われた10支族」と言われていて行方が文書に残されていないんですが、どうやらシルクロードを伝わって何百年もかけて日本に到達していたのではないかという学者もいます。。<br /><br />また、秦の始皇帝が滅ぼされてその一族が日本に逃げ込んで来たとき、たぶんそのルートは若狭湾だったのではないか。京都のお稲荷信仰、祇園の山車、あれはヘブライの戦車ではないかという説。また神輿(みこし)はヘブライ人が神殿で契約する時の「契約の箱」に似ているという説。<br /><br />また徳島と高知の県境にある「剣山」。ここにソロモンの秘宝が埋まっているという説がある。ソロモンの秘宝とはアーク(聖櫃)と呼ばれる箱に納められた石版、つぼ、杖の3点で、これらが今もなお剣山に眠っているという。根拠として、剣山本宮例大祭が行われる7月17日は旧約聖書で重要な日と位置付けられることや、例大祭で用いるみこしの形や大きさがアークに類似しているのだそうです。現地にいる後輩を誘って行ったことがあります。(これに関するシンポジウムが2014年9月6日に徳島県つるぎ町の就業改善センターで開催されています)<br /><br />それから高知商業高校の校歌「鵬程万里(ほうていばんり)」が不思議に満ちてるという話。タイトルも不思議だが、2番の歌詞には「天にそびゆる喬木(きょうぼく)を、レバノン山の森を伐(き)り、船を造りて乗り出でし、フェニキア人のそれのごと」と出てくる。フェニキアとは船の貿易民族。大きなレバノン杉の船に乗ってインドから盛んにいろんな土地の珍しいもんを持って渡来していた海の貿易商。たぶん縄文中期には日本海にたくさん来ていたと思われるわけです。<br /><br /><strong><span style="font-size:large;">■日本になぜヘブライ人やフェニキア人が渡来してきたのか・・・</span></strong><br /><br /><img src="http://blog-imgs-80.fc2.com/c/u/m/cumsophia/2_IMG_0153.jpg" width="430" height="323" alt="講演中の古屋氏"><br />講演中の古屋毅氏<br /><br />さて話は飛びますが、私は弘前におりましたので、弘前は「ねぷたまつり」8月第1週。で青森は「ねぶたまつり」。「ねぷた」は出陣の山車が出るんですが非常にさみしい「出陣ねぷた」これから出陣していくんだと。青森は「凱旋ねぶた」飛んだり跳ねたり喜びをいっぱいに表し賑やかなんです。同じ津軽なのに「ねぷた」と「ねぶた」は全然違う。<br /><br />弘前のあとは大阪の堺に4年くらいいて、そのあと最後に糸魚川に行き、これがとても意味のあるものになったわけです。能登半島、糸魚川、そしてフォッサマグナという日本列島の割れ目が糸魚川の町から姫川に沿ってあります。ここから東側は北アメリカプレート。そして西側(富山側)はユーラシアプレートに乗っています。<br /><br />北アメリカプレートがユーラシアプレートの下に潜り込んでいる。ユーラシアプレートには北アルプスが乗っている。北アメリカプレートが下に潜ることで隆起したもの。今でも高度(標高)が少しずつ高くなっている。<br /><br />北アメリカプレート側は海底火山の隆起で陸地ができている。この潜り込む摩擦で「ヒスイ」ができ、そしてヒスイ峡となる。実は昭和の初めころまではそんな貴重なものだと誰も知らなかった。昭和14年に初めて確認されるまでは、漬物の重しなどに使われていた・・。<br /><br />ダイアモンドを10とするとヒスイは8、非常に硬い、このヒスイが最初は岩になって出てくる。川に出て洗われて、海へ出る。海で今度は細石(さざれいし)になって堅い部分だけが取れて海岸に上がってくる。これを古代人は輝く石として身に着けていた。<br /><br />縄文中期、BC3000年から3500年ころ、ヒスイの工房跡というのが糸魚川にあるわけです。長者ヶ原遺跡、これはヒスイ文化でも世界最古ではないかと言われているわけです。<br /><br />ヒスイの大珠は三内丸山(青森)で出土されています。これがさまざまな飾り物になり、出雲など様々な場所に行き、それを加工する職人が弥生時代からあとに出てくるわけですが、三内丸山にはすでに大珠があったということは、長者ヶ原遺跡には加工の工房跡があり、職人がいた。<br /><br />そしてこの後紹介する火焔土器も信濃川中上流地域にしか出ないものになります。それにはこのあたりに石油ガスが取れることと関係があるんです。・・・<br /><br />いよいよ本題に入ります。<br /><br />火焔土器というのは、新潟信濃川中上流域に集中して出土する非常に在地性の強い土器。<br /><br />縄文は最初前期からだったのが早期、草創期が出て、過去へ過去へ遡っています。というのは、土器を使うようになってからを縄文としていたのか、定住生活をし始めたところからを言うのか、学者の説は分かれているそうなんです。私は土器を使用するようになってからを「縄文」だと思っています。<br /><br />日本最古の土器というのがあるんですが、紀元前14500年に第1号が出た。これは青森県からのもの(青森県大平山元Ⅰ遺跡の縄文土器)。最近は15000年前に新潟のあまのがわ付近で最古の土器が出てきたと小林達雄先生などが言っておられる。日本のみならず世界で最古のもの。<br /><br />で土器というものがどうしてできたのか。それまでは旧石器時代、新石器時代、縄文人は新石器時代の人と同じなんですが、石器で道具を作っていたところ、そこに土器が入ってくるようになった。<br /><br />粘土を火で焼くと土器になる。日本には火山がたくさんある。私の想像ですが、火山灰が粘土みたくなって、そこに火山の噴火で火山岩がドーンと落ちてくる。焼けた石が落ちてくると穴ぼこが空いて雨が降ってそこに水がたまる。あれなんだろうと拾い出すと、堅いものが出てくる。火で焼くと堅くなることを覚える。<br />火山がいろいろ教えてくれたんじゃないか・・。あるいは地に穴を掘ってそこへ焼いた石を置いて鋳物を作る、これも周囲が粘土質だったために堅いものが出来あがった。<br /><br />こうした土器を活用するようになってからを「縄文時代」と言っているわけです。これがどんどん遡って15000年前まで行く。早期の前に草創期まで出来てしまった。<br /><br />それまで狩り中心で移動していたのが、だんだん定住生活に変化していく。村を作る、そこにみんなが集まる。そこにスンダランド(現在のタイ・マレーシア・インドネシアが陸続きで平原だった)の水没によって住む土地を奪われた民族が、すぐ北の日本に移住したのではないかということが結びつく。これによって縄文文明の急な発生やモンゴロイドが太平洋沿岸域に一気に拡散した事も説明が付く・・。<br /><br />氷河期が終わるころから水位が上がり始め、水没の兆候が出てみんなが中国大陸だなんだへ移動したのがモンゴロイド。モンゴロイドのほかにはコーカソイド、これは白人。ネグロイド、これは黒人。これらが別々の地域で生まれ、今ではそれらが交わっている。<br /><br />スンダランドから逃げてきた人が日本に定着し始めたのが3万5千年前くらいではないかと言われています。彼らが土器の作り方を発見して縄文人になっていく。<br /><br />北のほうから人は入ってきています。先日江戸東京博物館でこの20年の発掘されたものの展示を見て来たんですが、その中に、市ヶ谷で発掘された「新宿にいた縄文人」というものがあった。これが縄文時代の骨が発見されたんですが、DNAを調べるとこれは北方系であることが判明。シベリア方面から来た人類であることがわかったわけです。<br /><br />さらに富山県で91体の人骨が発見、これは南方から来た民族のDNAを持っているし、北のシベリア方面からの民族のDNAも見られた。つまり、当時から民族は混在していた。要するに旧石器・新石器時代から日本列島にはそういった民族が混在して住んでいたということがわかります。<br /><br /><strong><span style="font-size:large;">■石油が取り持ってくれた火焔土器との運命的な出会い</span></strong><br /><br /><img src="http://blog-imgs-80.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20141218123333ff9.jpg" alt="火焔型土器"><br />火焔型土器(国宝:新潟県十日町市笹山遺跡出土、十日町市博物館蔵)<br /><br />そこで本題である火焔土器。<br /><br />燃え上がる炎を象ったかのような形状の土器。非常に美しい器。これが昭和51年か52年に岡本太郎がフランスから帰国した際に、フランスで余り得るものがなく彼は悩んで帰って来た。その時に上野の国立博物館で火焔土器を見て、縄文の中期にしてこんな躍動美にあふれた素晴らしい造形美があったんだと開眼し、縄文芸術論(縄文土器論)を語るようになるわけです。<br /><blockquote><p>「激しく追いかぶさり重なり合って、隆起し、下降し、旋回する隆線文、これでもかこれでもかと執拗に迫る緊張感、しかも純粋に透った神経の鋭さ、常々芸術の本質として超自然的激越を主張する私でさえ、思わず叫びたくなる凄みである。」岡本太郎著「みずゑ」1952年2月号「縄文土器論」より抜粋</p></blockquote><br />日本人の素晴らしさ、縄文人の素晴らしさ、造詣の素晴らしさ。彼はこの火焔型土器のような淵に模様が付いた土器というのは、津南町や十日町市付近の狭い領域で短期間(100~150年間)作られたものであると説明するようになる。けっして、大陸のまねをしているのでもなければ、日本中に単一な文化があったわけではないと主張されています。<br /><br />そんな中、私が何で「火焔型土器」と出会ったかというと、平成10年のころ、信濃川の上流のほうへ行く町おこしツアーがあったので、それに参加しました。そのとき、津南町の町長さんが火焔土器のレプリカをみんなに見せてくれたんです。その際私の手に回って来た時、ああこれは石油の効率のいい燃焼器ではないかとパッとひらめいたわけです。<br /><br />現在の新潟市長の森民夫さんが建設省の役人だったころ、当時から長岡市長選に出ると言っていたんですが、十日町や津南町(つなんまち)は信濃川上流のほうの町、長野県に行くと千曲川。そんな環境の中で、新潟と言えば石油だ。私自体が石油屋ですから・・・。<br /><br />同じ新潟の会に十日町の関係の方がいらっしゃって、十日町にも行ってみた。すると火焔土器を始め様々な土器がありました。<br /><br />器を見ているうちに、なんとなく内側にうっすらとすすがあるのが見えた。倉庫にあるものも見せていただいたところ、破片も含めて大小様々な土器がうぁっと並んでいるんですが、みんなうっすらとすすが付いていた・・・。<br /><br />これを見て、動物油などを使った場合にはすす以外にカスも付くから石油系のものであろうと考えました。すすの目の細かさもありました。<br /><br />それで森民夫さん、そして小林達雄さん(國學院大學文学部名誉教授、長岡の歴史民俗博物館の名誉館長でもある、森さんとお互い長岡高校の先輩後輩で、仲が良い)が登場・・・。<br /><br />私が火焔型土器で石油を燃やしていたんじゃないかと言い出したところ、森さんが小林さんに話をしようと連れて行って下さった。それで私は急きょA4レポート用紙3枚の資料を作成して持って行った。ところが小林さんには「素人がなにを言うか、あれはその模様のせいで黒くなっているだけなんだ」と資料をパーっと放り投げられたわけです。めちゃくちゃ悔しかった・・・。<br /><br />新潟の埋蔵文化センターにも行きました。火焔土器について話をすると、石油をアスファルトを溶かして矢じりの接着剤に使ったとかいうケースは見られる、これは新潟にも秋田にも残っている、ですが石油を燃したという説は古屋さん初めてですよと言われました。<br /><br />そこで、その足でさらに「出雲崎石油記念館」にも行ったんです。なんとここで運命的なこと「火焔土器が出土した場所は石油ガス田の場所と一致する」ということを発見しました。<br /><br />火焔型土器は信濃町以外でも出土しているんですが、主として信濃川中上流域で集中して出土しているわけです。そこにガス田があった。長岡市郊外の関原町。こういったことを指摘したところ、館長がびっくりしちゃいまして、やっぱり土器と石油は関係あるんだとなったわけです。<br /><br /><strong><span style="font-size:large;">■火焔土器はなぜあの形状になったのか、使い道は・・・</span></strong><br /><br /><img src="http://blog-imgs-80.fc2.com/c/u/m/cumsophia/3_IMG_0156.jpg" width="430" height="323" alt="講演中の古屋氏"><br />講演中の古屋毅氏<br /><br />私の想像はこうです。<br /><br />火焔型土器は石油ガス田と密接な関係がある。石油ガスにもいろいろあるんですが、液化天然ガス、インドネシアなどから運んできていますが、天然ガスを-162℃以下に冷却して液体にしたもの。体積が600分の一になる。比重も軽いので運搬に便利。しかし地上に吹き出すと600倍になるわけです。<br /><br />ちなみに石油は炭素と水素がいくつにも組み合わさった化合物。天然ガスはCが1つにHが4つついてメタン(CH4)、非常に揮発性が高い。Cが2つになるとエタン(C2H6)、Cが3だとプロパン(C3H8)。これらが地上に出ると体積がぶぁーっと膨張するわけです。<br /><br />そこで僕は関原ガス田(当時帝国石油が石油ガスを採掘していた場所)が長岡市郊外の関原町の馬高遺跡の真下にあることに気が付いて、これは帝石(帝国石油)だなって、当時烏山に研究所があったのでそこを尋ねたところ、関口さんという当時の所長(次長さん?)が「古屋さんに先を越されました、我々が知っておかねばならないことだ。」とおっしゃった。<br /><br />この帝国石油の応接間の棚には液化ガスのサンプルがありました。ガス田からガスが吹き出すと液状化した重い部分も一緒に吹き出すんですがこれを「コンデンセート」といいます。これも石油の化学原料の一つなんですが、私も当時中東からコンデンセートを相当な量を輸入していました。<br /><br />このコンデンセートを縄文人は燃やすことを知り、火焔土器で燃やしていたのではないかという仮説が成り立ったわけです。<br /><br />そして何をあと研究すればこの仮説が立証できるかとなり、火焔土器に残ったススが石油であるかどうかの分析と、もし地殻変動で亀裂が出来てばぁーっと吹き出したのだとすれば、活断層がその地区にあるかどうかだと関口所長からヒントをいただいたわけです。<br /><br />十日町のほうはいつでも分析くださいと許可いただいたんですが、その直後に国宝になってしまい、なかなかお借りすることが難しくなりました。その上、昭和シェルの新潟分析試験所(新潟製油所の試験室)では、ススだけを分析しても石油かどうかはわからないと言われてしまいました。でもこの時点で、私は縄文人がコンデンセートを使っていたことは間違いないと確信していました。<br /><br />その後この地域を震源地として「中越地震」が起こるわけです(2004年)。長岡市から小千谷市など広範囲にわたって震度6を記録。そのときよくこのガス層に亀裂が入らなかったと思いました。亀裂が入っていたら大火災が起きていたはず。でもこの地震で長岡市郊外に活断層があることは(完全に)証明されたわけです。<br /><br />コンデンセートを縄文人がすでに発見していた。馬高遺跡の後ろのほうにちょっとくぼんだ所があるんですが、このあたりからガスが噴き出していたんじゃないかと想像はぐるぐると巡っていきます。しかしそのへんで、私は(想像は膨らむものの)行きどまってしまいました。<br /><br />コンデンセートを燃やしたに違いない、火焔土器の形も美しい、そればかりが独り歩きしているだけで、用途がなんであったかとか、この形である意味だったりなにかいまいちピタッと結びつくものが見つからないまま時は過ぎて行ったんです。ところがおととし(2012年)ふっとしたことからそれらのことが一挙に解決してしまったんです。<br /><br /><strong><span style="font-size:large;">■そして火焔土器の謎に到達した・・・</span></strong><br /><br />先ほど言った「長者ヶ原遺跡」ヒスイの工房跡がある縄文中期の史跡、ここから一つだけ火焔型土器が発掘されています。それを藤巻さんという彫刻家が火焔型土器のモニュメントを作られ、現在、美山のフォッサマグナミュージアムの長者ケ原考古館の入口に飾ってあるわけですが、地元の郷土史家の土田孝雄先生の解説によれば、あの火焔土器は(当時の縄文人が)プレゼントされたものではないかと言っておられ、そのプレゼントという言葉からピンと来たわけです。<br /><br />形が美しい土器でプレゼントしたものは(馬高遺跡からはるばると運んで持ってきた)「燃える水」だったのではないか。<br /><br />つまりあの火焔土器の独特な形状は、「口に入れてはいけませんよ」と言う識別と警告を鮮明にするための土器表現だったのではないか。<br /><br />普通の飾りのついた土器は飲み水とか水差しに使ったり食べ物に関係ある場所で使うもの。ところがこの派手な形状は「燃える水(コンデンセート)」が入っているという意味をあらわしている。もし火が付いたら大変なことになる、おそらくこの水を火のそばで扱っていても燃え点くことがわかっていた。もしひっくりかえって囲炉裏の火でもあろうもんなら縄文人の藁ぶきの家屋はすぐ燃えていただろう、あるいは大やけどを負う。そんな経験からこの形状が生まれたと確信したのです。<br /><br />そのことを2年前の「東京糸魚川会会誌第36号」に発表させていただいたわけです。(文末リンク参照)<br /><br />この火焔土器は2~300年で忽然と姿を消すわけです。その理由はやがてガスも枯渇してしまい、燃える水も地上に湧き出てこなくなったから。だから、燃える水を入れる器を作る必要もなくなった・・・。火焔土器は富山でも出土されています。糸魚川でも・・・。それぞれ珍しいものをプレゼント、それが燃える水であり、器がそれぞれの地域に残ったというわけです。<br /><br />最後に残った疑問・・・。では(燃える水は)何に使ったのか、私はそれは「お弔い」(葬式)だと考えています。<br /><br />当時は生命を大事にしていた。人が死んだ時、黒い煙が天まで昇っていき、魂が安らかに天に召されるように。用なしになった土器は墓に埋める。ですから壊れた火焔土器がたくさん出土される理由も納得がいく。<br /><br />そういう思想は例えば能登半島に「真脇遺跡」というのがあるんですが、イルカの骨が大量に出土したりする場所なんですが、そこに巨木(高さ2.5メートルの彫刻柱)があったんです。また糸魚川にも「寺地遺跡(てらじいせき)」ここにも巨木を建てていたとされる穴が残っている。三内丸山にも巨木が6本、これらすべて天に通じる祈りの場であったとされているわけです。金沢の「チカモリ遺跡」にも環状木柱列が復元されている。すべては天に通じるという思想の現れだとされているわけです。<br /><br /><strong><span style="font-size:large;">■古代史の研究を社会に活かす・・・</span></strong><br /><br /><img src="http://blog-imgs-80.fc2.com/c/u/m/cumsophia/4_IMG_0176.jpg" width="430" height="323" alt="懇親会の様子"><br />懇親会の様子<br /><br />最後になりましたが、火焔土器をオリンピックの聖火台にしようという活動についてお伝えしたいと思います。<br /><br />先ほど紹介した小林達雄先生が読売新聞で語ったインタビューの中に、自分の願いとしては2020年東京オリンピックの聖火台を火焔土器の姿にすることだ、そこで火焔土器を世界に発信しようじゃないか、小林先生や森長岡市長はすでに大英博物館などに火焔土器を寄贈するなど世界への発信を常にしておられますので、そんなノリなんだと思いますが・・・。<br /><br />その記事を見て私が「これは素晴らしい発想だ・・」と手紙を書いたところなんと、小林先生の活動拠点である「ジョーモネスクジャパン」(文末リンク参照)の機関誌に私の手紙が掲載されてしまった・・・。さらには長岡の森民夫市長がオリンピック関連の委員会の顧問のような役職にも就くということで、私も含めて大いに実現させたい活動になっています。<br /><br />というわけで、古代史を研究するうちに火焔土器にのめり込み、一つの結論にまで到達できたという歴史追跡の物語でした。ご清聴ありがとうございました。(まとめ:土屋夏彦 '80理電)<br /><br />参考リンク)<br />火焔土器の謎に迫る<br /><a href="http://www.ac.auone-net.jp/~koba-bin/kanto-essay-1304-furuya.html" target="_blank" title="http://www.ac.auone-net.jp/~koba-bin/kanto-essay-1304-furuya.html">http://www.ac.auone-net.jp/~koba-bin/kanto-essay-1304-furuya.html</a><br /><br />ジョーモネスクジャパン<br /><a href="http://jomonesque-japan.net/index.html" target="_blank" title="http://jomonesque-japan.net/index.html">http://jomonesque-japan.net/</a><br /><br /><hr size="1" />■古屋毅(ふるやたけし)<br />1934年東京生まれ。1957年上智大学経済学部商学科卒業。同年、シェル石油(株)入社。主に営業部門に所属。転勤、出向などで全国各地に勤務。1999年11月、新潟県糸魚川勤務を最後に退職。在職中の1986年ころから興味を持ち研究を続けてきた「日本の8世紀以前の古代史」を、退職後本格的に取り組む。2000年3月より「古代史を語る会」主宰。<br /><br /><hr size="1" />■マスコミ・ソフィア会・紀尾井の森カルチャー倶楽部について<br /><br />上智大学は、今年創立100周年を迎えます。マスコミ・ソフィア会も1988年の発足以来四半世紀の大きな節目の年であります。そこでこの度、これまでの母校発展のための活動に加えて私ども培ってきた知恵や力を分かち合おうと、会員、上智大学関係者はもとより、広く近隣のみなさまにも参加いただける「マスコミ・ソフィア会紀尾井の森カルチャー倶楽部」を開校することに致しました。<br /><br />現在の約1000名のマスコミ・ソフィア会会員は、マスコミを中心に、いずれも様々な分野で偉業を成し遂げてきたツワモノぞろい。ツワモノらの貴重な体験談や生の声をお伝えすることで、少しでも皆さまの人生のお役に立てればと考えました。<br /><br />毎月1回、四ツ谷の上智大学ソフィアンズクラブ(聖イグナチオ教会横)にて開催して参ります。マスコミ関係、上智大学関係以外の方でも、どなたでも参加できます。
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講演録)『波止場浪漫』こいばなし:諸田玲子氏特別講演会

紀尾井の森カルチャー倶楽部第8回/三水会2014年3月マスコミ・ソフィ会、三水会共催 諸田玲子氏特別講演会(講演録)■講演テーマ:『波止場浪漫』こいばなし■講師:諸田玲子さん(1976文英・作家)■日時:2014年3月26日(水)18時30分~21時■場所:紀尾井坂ビル5階第4会議室■参加者数:38名※この講演録は当日の同録音声から主要な箇所を文章に書き起こし加筆・修正したものです。諸田玲子氏<プロフィール>上智大学文文学部英... <blockquote><p><strong>紀尾井の森カルチャー倶楽部第8回/三水会2014年3月<br />マスコミ・ソフィ会、三水会共催 諸田玲子氏特別講演会(講演録)<br /><br />■講演テーマ:『波止場浪漫』こいばなし<br />■講師:諸田玲子さん(1976文英・作家)<br />■日時:2014年3月26日(水)18時30分~21時<br />■場所:紀尾井坂ビル5階第4会議室<br />■参加者数:38名</strong><br /></p></blockquote>※この講演録は当日の同録音声から主要な箇所を文章に書き起こし加筆・修正したものです。<br /><br /><img src="http://blog-imgs-63.fc2.com/c/u/m/cumsophia/201409031245400a0.jpg" alt="諸田玲子1303_600x800" border="0" width="323" height="430" /><br />諸田玲子氏<br /><プロフィール><br />上智大学文文学部英文科1976年卒業し外資系企業勤務を経て、作家向田邦子さん、橋田壽賀子さん、映画監督山田洋次氏などの台本のノベライズや翻訳等を手がけた後、作家活動に入る。<br />●1996年『眩惑』でデビュー。<br />●1999年第9回コムソフィア賞受賞。<br />●2003年『其の一日』で第24回吉川英治文学新人賞受賞。<br />●2007年『奸婦にあらず』で第25回新田次郎文学賞受賞。<br />●2012年に『四十八人目の忠臣』で第1回歴史・時代小説大賞作品賞を受賞。<br />● 現在日本経済新聞朝刊に『波止場浪漫』を連載中。4月6日より明治座で著書『きりきり舞い』が田中麗奈主演で上演される。(舞台稽古がユーチューブで見られます)<br /><br /><span style="font-size:large;"><strong>時代が変わり、人も変わり、町も変わり、でも恋は変わらない</strong></span><br /><br /><span style="font-size:large;">▼『波止場浪漫』執筆にあたっての作者口上</span><br /><br />「恋の話を書きます。せつなく艶めいて、めくるめく……悲恋。時は明治20年代の半ばと大正の初めです。日露戦争をはさんで日清戦争と第一次世界大戦の前後、これまであまり書かれていない両時代の世相と市井の人々の暮らしを丁寧に描きたいと思います。<br /><br />舞台は清水港。巴川の河岸港から外洋港へ開港を夢見て築かれた波止場へ明治9年、いち早く船宿を建てて引っ越したのが清水の次郎長でした。主人公は、次郎長の娘けん“波止場のおけんちゃん”と呼ばれて愛された実在の女性です。明治から大正を気丈に生き抜いた一女性の身をこがす恋をどうぞ堪能してください」<br /><br />今回の第8回紀尾井の森カルチャークラブ講演会は、マスコミ・ソフィア会と三水会共催で行われた。諸田さんは、現在日本経済新聞朝刊に『波止場浪漫』を連載中という多忙の中会場に登場した。 <br /><br /><span style="font-size:large;">▼コムソフィア賞受賞して15年</span><br /><br /> 上智は来るたびに変わってしまってますね。私がコムソフィア賞いただいたのは、あれは1999年のことで、もう15年前になります。その時の会報を見て、ああ、こんな顔をしていたんだなとしみじみと眺めております。今年は還暦で、あまりもう人の前に出たくない歳になり、外に出て遊ぶのもまれになってきました。<br /><br /><a href="http://blog-imgs-63.fc2.com/c/u/m/cumsophia/2014090312463786d.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-63.fc2.com/c/u/m/cumsophia/2014090312463786d.jpg" alt="コムソフィア賞受賞時の本誌" border="0" width="430" height="323" /></a><br />受賞時のコムソフィア誌表紙(クリックで拡大)<br /> <br /> 以前、4、5年前になるでしょうか、上智の学生さんたちとお話をすることがありまして、500人くらいの講演会でした。学生さんに、時代小説でこういうものを書いていますよとか、いろいろな話をして、司馬遼太郎さんや北方謙三さんのお話もしたのですが、皆さん、あまり反応がありませんでした。唯一、宮部みゆきちゃんとカラオケをしたと言ったら、みんな、パッと顔を上げたぐらいでした。今はなかなか本を読んでくださる方がいらっしゃらないのかな、特に時代小説はそうかなと。そういうことを日々感じています。<br /> <br /><span style="font-size:large;">▼リストラされ、怖いもの知らずに書き出す</span><br /><br /> 私は、ここ上智にいたときにはシェイクスピアの演劇をやったりして、お芝居もとても好きでした。だからなぜ時代物を書いているのかとよく言われるのですが、私は卒業してマックスファクターという化粧品会社に入ったのですが、外資系の企業で7回ぐらい親会社が替り、リストラされてしまいました。それで本当に仕事が何もやることがなくなったとき、英語も一生懸命やりたいとは思っていたのですが、語学って耳ですよね。耳がいい方は何カ国語も覚えてペラペラとしゃべれる。私の友達も苦もなく覚えていましたが、どうも私はだめだと思いつつやっていて、そのときに急に日本のことを知りたいなと。<br /> <br /> それまで外国にもいっぱい行っていたのですが、なぜこんなにわからないのかなということがあったときに、昔の人のことを書きたいなと、ふと思ったのです。でもそのときには、時代物という意識は全くありませんでした。ほとんど江戸時代、室町と鎌倉はどっちが先かなとか、そんな意識しかないぐらい、本当に歴史を知りませんでした。でも怖いもの知らずというか、そこから書き出したわけです。<br /> <br /> 数えてみたら、書き出してからもう60冊になるんですね。今、新聞の連載だけで7紙目です。読売とか東京とか、いろいろなところでやらせていただいて、新聞はとても多いほうですが、よく書いたなと、自分でもびっくりしています。<br /> <br /><span style="font-size:large;">▼なぜ『波止場浪漫』を書いたか</span><br /><br /> まず初めに、なぜ『波止場浪漫』を書いたのかということについて、少しお話しさせていただきたいと思います。<br /><br /><a href="http://blog-imgs-63.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20140903124843f84.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-63.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20140903124843f84.jpg" alt="講演中の諸田氏" border="0" width="430" height="323" /></a><br />講演中の諸田氏<br /><br />私は静岡の生まれで、ご存じの方もたくさんいらっしゃると思いますが、清水の次郎長の末裔になります。あまり自慢できる先祖ではないので、うちの母も「人には言うな」と言われながら育ったようです。実を言うと、うちの母方の祖母の祖母が次郎長のお兄さんの子ども、つまり姪で、次郎長の養女になってお嫁に行っているという人です。<br /><br /> 母の生家は、昔は千畳楼という清水の大きな遊郭でした。遊女の方たちに母はとてもかわいがってもらったそうですが、日暮れ時になるとお囃子が鳴ってみんなが来て、それで廊下に女の人の写真が飾ってある、そういうのが母はすごく嫌だったようです。そういうこともあって、母は静岡銀行の銀行員である父のところにお嫁に行きました。銀行員の父と母、私はそういう家庭で育ちましたので、小さいころは、次郎長のことは全然知りませんでした。<br /> <br /> その母のお母さんが静岡にお嫁に来たものですから、私が小さいころはあま清水に連れて行ってもらった記憶もありません。私のときにはもう遊郭ではなくて旅館になっていたのですが、すごく大きな旅館で、1回だけ母に手を引かれて行った記憶が残っています。暗い廊下を上がっていくのですが、謎めいた暗いところです。やがてポッと陽の当たるところに出ると、畳のところにおばあちゃんがいました。着物を着ていて、小さい人ですが、すっと背筋を伸ばして座っている。私は敷居の向こうのほうで、母に言われてお辞儀をしました。「お前はまめな子になるよ」とか、何かわけのわからないことをおばあちゃんに言われて……。それが最初で最後の記憶です。<br /> <br /><span style="font-size:large;">▼執筆の原点は新しい時代小説を目指す―次郎長物では地元よりクレーム</span><br /><br /> まず次郎長物を私の小さいころの思い出をたどっていくつか書きました。ただ、これは地元の方たちからはすごく怒られました。全然、皆さんが書いてほしい次郎長ではなかったために、いじめられたのでやめまして、それで全然違うことをずっと書いてきました。私は歴史物を書くときに、何で歴史物というのは捕物帳とか人情物みたいな江戸物か、いわゆる信長、秀吉みたいな歴史物しかないんだろうというのがとても疑問でした。たぶん歴史の専門家だったらよかったのですが、全く知らないところから始めたので、何かもっと日本の中にも心理ミステリー、例えばデュ・モーリアが『レベッカ』を書いていますが、ああいうものが時代物でも書けるんじゃないかとか。最初に書き始めたのはそこが原点でした。<br /><br /> だから、私は何か新しい時代物を書きたいなと。時代物というと、なぜ戦国時代とかああいうものしかないのか。男の方たちは、関ヶ原がどうのとかがお好きですが、何かもっと違う時代物を書きたいというのを常に思っていました。<br /> <br /> この『波止場浪漫』、私が清水を舞台にしたのは、次郎長のときにとにかくいじめられたわけです。呼び出されてすごく怒られました。なぜかというと、次郎長物の最初、『からくり乱れ蝶』を書いたときに、お蝶さんが殺された理由をいかにも次郎長が殺したようにストーリーを書いたのが気に入らなかったらしくて、静岡の人たちが東京まで押しかけてきて怒られたぐらいです。<br /> <br /><span style="font-size:large;">▼書きづらい偉人小説</span><br /><br /> 地元には、長年かけて心血注いで研究してらっしゃる郷土史家の方がいろいろいらっしゃるわけです。それは本当に私も反省するところですが、私たち小説家は、その皆さんが研究してくださったもののいいとこどりをして、面白い奇想天外な話を書くのです。<br /> <br /> 私もなぜ小説を書くかということになると、小説というのは大胆な発想でなかったらつまらないと思うのです。でなかったら歴史家です。そこは全然違うと思います。でも、なかなかそれをわかってはいただけない……。ですから小説家は、家康が2人いたり、そういうことをどんどんやる。このごろマンガで大奥が逆さまになったりしていますけれど、いかにして真実と物語をくっつけるか。物語を物語として白けさせないためには、ディテールをすごく丁寧に書かなくてはならない。うそをそのままうそで書くと、絶対にそれは読んでもらえない。そのことはわかっているのですが、ただ、そこに大きな発想がないと、何かテーマがないと、それだったら歴史の研究家になってしまうと思います。その辺がどうしても、皆さんの資料を使っているので難しいものがあります。別に悪く書こうとしているわけではないのですが、人間を書くとなると、偉人というのは小説では書きづらい。<br /><br /><a href="http://blog-imgs-63.fc2.com/c/u/m/cumsophia/201409031250165f8.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-63.fc2.com/c/u/m/cumsophia/201409031250165f8.jpg" alt="RIMG67147会場の様子" border="0" width="430" height="323" /></a><br />講演会場の様子<br /><br /> <br /><span style="font-size:large;">▼日経を賑わした朝刊の『愛の流刑地』、夕刊の『奸婦にあらず』</span><br /><br /> かつて『奸婦にあらず』という小説、大老井伊直弼とおたかさんの話を日経新聞の夕刊で書かせていただきました。これは本当に前々から書きたくて、でもやっぱりなかなか資料がなくて、不思議なことにこれも、書こうと思う少し前に史料がいっぱい出てきたものです。今までテレビでやったりしたときは、あまりおたかさんのことはよくわからなかったのですが、それを地元の方が調べていて冊子みたいなものにまとめてあった。その方は、私が書くときには亡くなっていて、だからお会いしたことはないのですが送ってくださいました。なぜ送ってくださったのかというと、私は『其の一日』という本で吉川賞をいただいているのですが、その一つにおたかさんを書いたのです。<br /> <br /> それは何か小さいころに見て印象に残っていて、女優淡島千景さんがやっていて、たぶん小学校くらいだったと思います。1回目のNHKの大河ドラマ『花の生涯』でした。密偵という女の人が素敵だなと記憶にあり、短編で書いたわけです。そのときにはわからなかったことが、その短編を見て資料を送ってくださった方がいらっしゃった。それでいつか書こうと思ってちょこちょこ調べていたら、日経さんから連載小説の話がありました。<br /> <br /> 日経新聞で私が夕刊を頼まれたときに、朝刊は渡辺淳一先生の『愛の流刑地』でした。『失楽園』のあとですからすごく人気がありました。ただ、社長さんや皆さんはすごく大変な思いをしていらっしゃいました。つまり、子どもが読んでしまって困るとか。日経新聞なので、どうしても男性の目から見た女性になるので、とても奥様方から批判が多かったようです。日経の人は対応が大変で、社長さんはよく謝りの手紙を書いていらっしゃいました。<br /> <br /> もう懲り懲りだということで、じゃあ今度は何か女性を主人公にしてくれと。そう言われて、そのときパッとひらめいたのが、おたかさんでした。「そういえば、おたかさんの資料がある。ぜひ彼女を書きたい」と思ったのです。それで日経のちょうど『愛の流刑地』と並ぶようになりました。<br /><br /><span style="font-size:large;">▼売れ筋はシリーズ物の時代小説</span><br /><br /> 皆さんは、小説家なんて好き勝手に何でも書けると思われるでしょう。でも結構そうでもないんです。やっぱり本を出すというのはビジネスですから、こういうものは強制されるわけではないのですが、売れないものを言うとすごく嫌な顔をされます。今は平安朝はいいのですが、ひところは平安朝と言うだけで嫌がられたりもしました。<br /> <br /> 私は『お鳥見女房』や『あくじゃれ瓢六』などのシリーズ物をいっぱい持っています。別に自分では売れるから書いているのではなくて、そういうものも一つとしてとても面白く書けるのですが、正直なところシリーズ物が売れるのです。今、時代小説の書き下ろし文庫というものが出てきたのでまた少しバランスが崩れていますが、やはりシリーズを持っているととても売れます。今回、『天女湯おれん』も7刷、8刷ぐらいになっていますが、だんだん長いこと売れてくるのです。<br /> <br /> 正直なところ、単行本を1冊出して増刷がかかるというのはなかなか難しいです。この前、林真理子さんと対談しましたが、あんな方でも「『野心のすすめ』を出せば売れるけど、徳川慶喜を書いても売れない」と言って怒っていました。なかなか単発物は売れにくいです。時代物の中ではシリーズ物が圧倒的に売れますから、どこの出版社もシリーズ物を持ちたがります。<br /><br /><a href="http://blog-imgs-63.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20140903125854df3.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-63.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20140903125854df3.jpg" alt="RIMG67156会場の様子" border="0" width="430" height="323" /></a><br />講演会場の様子<br /><br /><br /><span style="font-size:large;">▼書きたかった地方の普通の女性たちの暮らし</span><br /><br /> 私が、清水を書こうかなと思ったのは、不思議なことに、日清戦争、日露戦争あたりは本当に小説で書かれていないのに気付いたのです。例えばこの時代、夏目漱石がいます、樋口一葉がいます。松井須磨子がいたり、いろいろな人がいる。司馬遼太郎さんの『坂の上の雲』のようなすごい小説はあります。でも、このころ地方の普通の女性たちがどういう暮らしをしていたのかは、なかなか地味に書かれていない。そして私自身も、何しろ波瀾万丈、数奇な運命が好きなものですから、地味に動かずに書くのはすごく書くのがつらいのですが、次にまた波瀾万丈なものを書くにしても、ここで絶対に動かずに書いてみることが私にとってもいいのではないか。そして、歴史としてもそんな大げさなことを私が書けるわけではないけれど、今そういうものを書いていないとどんどん資料もなくなってしまいますので、やっぱり書いておいたほうがいいんじゃないかというような、ちょっと一つの使命感的なものがあって書き始めたのです。<br /> <br /> 今日は恋の話と言いましたが、そういう意味なので二転三転して、最初は清水という小さいところでだんだんに港ができていく。清水は開港して外国船が来るようになる。そのすごく勢いがある明治の話を書こうと思ってタイトルが全然違いました。でも、それからまたはたと考えて、大正を入れることにした。なぜなら日清・日露戦争があったことで、今の私たちの、これから戦争に向かって行っては困るのですが、太平洋戦争になっていくきっかけというものは確実に日清戦争から始まっています。子どもたちが旗を振って戦争万歳と言い始めたのが日清戦争です。<br /> なぜ日清戦争か。これは明治維新からつながってくるのですが、やはりここのところの歴史を書くにはその日清戦争のときの人々の沸き立つような思いが日露になり、大正はすごく退廃的になってきます。私は歴史の知識も浅くて自分でもよくわからないので、勉強しながらその辺も少し書いてみたいなというので、明治と大正を交互に出していく。とても新聞では読みにくいのを承知で書きました。いったん別れた男が戻ってくるという恋愛物です。<br /><br /><span style="font-size:large;">▼人も変わり、町も変わり、でも恋は変わらない</span><br /><br /> とにかく恋愛物で書こうということは決めていたのですが、今はもう連載はあと2、3カ月ということで、ここまで書いてきています。皆さんは、ソーントン・ワイルダーの『わが町』はご存じですか。小品で地味な作品のお芝居ですが、ピューリッツァー賞を取っています。自分で書いていて、全然そんなことは思いもしないで書いているのですが、このごろすごくその脚本を思い出します。というのは、昔お芝居をやっていて端役か何かでやったことがあるのですが、でも、あまり面白くないなと当時は思ったのです。一つの小さな町で一つの家族がただ生きていくだけの話です。だんだん死んでいって、最後は死んだ人の会話か何かになったりするような、何も起こらない話です。<br /> <br /> でも、何か今ふと思いつくと、『波止場浪漫』では小さな事件もいっぱい起こります。次郎長も出てくるし。でも、明治を書き大正を書き、私はその日清、日露を越えて、どんなふうに変わっていったかも書きながら、人も変わり、町も変わり、でも恋は変わらない。それを書きたかったのです。<br /> <br /> 何か同じように、同じような事件が起こり、同じように人は死に、同じように時はうつろっていく。戦争がどうだというのも同じようなことが起こっていくということを、書いていて私自身もすごく考えさせられています。<br /> <br /> それと、ものすごく私的なことですが、ちょうどこれを書くという話が来たころから母の具合が悪くなりました。父はもう14、15年前に亡くなっていて、静岡に母が一人で住んでいたのです。すごく元気で、俳句をやったりして、私のこともすごく応援してくれていた母でした。しかし、ある日やはり認知症なんでしょうか、突然、熱が出て、その熱はすぐに引いたのですが、それから様子がおかしくなってしまいました。<br /><br /> 母は一人でいられなくなりました。私は母を最後まで、暮らし慣れた静岡で死なせてあげようと思っていたので、24時間家政婦さんを付けたり、私も一生懸命帰ったりしていたのですが、でも、どうしてもだめでした。それで成城のホームに、2年半ぐらい前に連れて来ました。母を静岡で死なせてあげられなくてかわいそうと思いながら、この2年半、『波止場浪漫』を書いていますが、お蝶さんが亡くなり次郎長が亡くなりと書いていくと、すごく個人的なことなんだけど、やっぱり母がどんどん衰えていく。今はもうほとんど声が出せない状況で、ゼリーみたいなものを1日に2つ食べたら拍手で、何とか点滴で生きている状態です……。<br /> <br /> 去年の今ごろは、もう助からないかな、夏は越せないだろうと思ったら夏が越せて、もうお正月は無理だろうと思ったらお正月が越せて、桜は無理かなと思ったらまだ何とか桜の季節まで生きてくれているので、もういつ何があるかわかりません……。<br /><br /><a href="http://blog-imgs-63.fc2.com/c/u/m/cumsophia/201409031300544fd.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-63.fc2.com/c/u/m/cumsophia/201409031300544fd.jpg" alt="奸婦にあらず表紙" border="0" width="323" height="430" /></a><br />「奸婦にあらず」「きりきり舞い」<br /><br /><span style="font-size:large;">▼母の命のカウントダウンに歴史を思う</span><br /><br /> そういう、母の命がもうカウントダウンというところに、ちょうどたまたまこれを書く時期が重なったということがあるので、大恋愛の元気はつらつを書くのが、何かどんどん、やっぱり変わってきているのかなというのもあります。それはもう、小説そのものが自分と切り離せないものであるので、これは何と言われてもたぶん仕方のない方向だったなと思います。<br /> <br /> そのことが実際あって『波止場浪漫』を書いていて、自分の人生やいろいろなものを重ねて書けたので、かえって日経さんにはありがたかったです。こういうエポック的なものだったのかな、人間は何で生きて何で死んでいくのかというようなことをとても感じます。 私も本当に母親っ子で、母のところに行って母がどんどん自分の娘みたいに今はなって、母のところに行くと頬をくっつけて5時間でも6時間でもいるんです。お母さんをなでたりさすったり。でも、もうだんだん足が壊死になったり、血が出てきたりと、いろいろなことを見ていると、初めはすごくつらいと思いながら小説を書いていましたが、でもそういう、歴史を書いているということをとても思います。全員が死んでいくわけです。そういうことにどうやって向き合うか。<br /> <br /> 清水のおけんさんという主人公が、戦争経験し、人間は同じことを繰り返しているんです。自分ではそのつもりはないのに、明治の事件が本当に同じようにまた繰り返される。繰り返すつもりがないのに繰り返してしまうみたいな。きっとたぶん、50年たって、私たちがみんな死んでしまっても、また人は同じようなことを、地球が爆発しない限り繰り返しているのかなと思いながら、今、私は書いています。<br /><br /><span style="font-size:large;">▼書いていて変わった次郎長像</span><br /><br />私は、『波止場浪漫』を書いていて先祖の次郎長のことを、すごく嫌だと初めは思っていました。でも、明治維新からガラッと変わって悔い改めたのでしょうか、港に船宿をつくったり、初めて清水で英語塾をつくったり、富士山の開墾をしたりしました。しかも開墾には囚人を連れていって、全部縄とかを解いて、家族にも会わせています。結局うまくいかなかったのですが、開墾は10年間ぐらいやったり、相模の油田を開発しようとしたり、とにかく社会事業家にガラッと変わって……。根が単純な人間なので、自分の先祖がそういう人だとわかると、そうすると今度はうれしくなります。<br /><br /> また面白い話があります。これは、すっ飛んだお坊さんと一緒に次郎長が質屋をやります。でも、みんなお金をあげてしまうのです。おまんじゅうまで付けて帰してしまうので、すぐにつぶれてしまう。とにかく晩年は、近所の子どもたちにお菓子をあげたりするのが好きな好々爺になってしまったようです。<br /><br /><span style="font-size:large;">▼歴史から消えた軍夫</span><br /><br /> 今日の『波止場浪漫』の中で、日清・日露戦争についてはだいぶ半藤一利先生に教えていただきました。さっき、どうしてもこの時代を書かなければと思ったと言いましたけれど、それについて最後に一言だけ、日清戦争のとき、軍夫というのがいました。それこそ、博徒だのいろいろな人たちが行くのですが、半藤先生と話をしていてびっくりしたのは、軍服を着ない人たちもいたということです。日本は馬がいなかったので大陸に初めて戦争に行くときに物を運ぶ手段がない。それで馬の代わりに人間がいろいろ荷物をかついだりリヤカーを引っ張っていくのですが、軍服も着ずに、また武器もほとんど持たずに、勝手に好きな武器を持って行けみたいな感じで行かされた人たちがいた。そういう人たちが、日清戦争で沢山死んでいます。<br /> <br /> それが問題になって、日露戦争からは軍夫いなくなるのですが、その歴史をあちこちで調べてもほとんど抹消されてしまっている。つまり、歴史というのは都合のいいことしか残らない。これは書いていてすごく思います。<br />時代小説を書いていて歴史の裏話には、いろいろあるのですが、今日はあまり色っぽいほうの話にならなくて申し訳ありませんでした。それでは、ここで終わらせていただきます。(拍手)<br /> <br /><a href="http://blog-imgs-63.fc2.com/c/u/m/cumsophia/2014090312534696e.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-63.fc2.com/c/u/m/cumsophia/2014090312534696e.jpg" alt="RIMG67183懇親会" border="0" width="430" height="323" /></a><br />懇親会での模様<br /><br /><span style="font-size:large;">▼余談</span><br /><br /> 諸田さんのお話は弾み、これまで書いた時代小説の多岐にわたった。ここでは『波止場浪漫』の話に絞りまとめた。多くの連載ものを抱え大変な毎日、諸田さんの元気のもとは、朝起きてABBAをかけ、夜寝る前には、かつてのテレビドラマ『奥さまは魔女』を見て癒やされるという。<br />(文責:向山肇夫 63法法)<br /><br /><a href="http://blog-imgs-63.fc2.com/c/u/m/cumsophia/201409031302130c5.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-63.fc2.com/c/u/m/cumsophia/201409031302130c5.jpg" alt="RIMG67191懇親会 新田副会長と" border="0" width="430" height="323" /></a><br />新田副会長と諸田氏歓談の様子
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(講演録)観光ビジネスとおもてなし:紀尾井の森カルチャー倶楽部第7回

上智大学 マスコミ・ソフィア会主催紀尾井の森カルチャー倶楽部 第7回(講演録)講演テーマ:「観光ビジネスとおもてなし」講師:栃木立人(とちぎ たちと)さん(秀明大学観光ビジネス学部教授)('68文英)日時:2014年2月27日(木)18時30分~21時場所:上智大学ソフィアンズクラブ※この講演録は当日の同録音声から主要な箇所を文章に書き起こし加筆・修正したものです。栃木立人氏■江戸時代に「自由な旅」はなかった・・・どう... <blockquote><p><strong>上智大学 マスコミ・ソフィア会主催<br />紀尾井の森カルチャー倶楽部 第7回(講演録)<br /><br />講演テーマ:「観光ビジネスとおもてなし」<br />講師:栃木立人(とちぎ たちと)さん(秀明大学観光ビジネス学部教授)('68文英)<br />日時:2014年2月27日(木)18時30分~21時<br />場所:上智大学ソフィアンズクラブ</strong><br /></p></blockquote>※この講演録は当日の同録音声から主要な箇所を文章に書き起こし加筆・修正したものです。<br /><br /><p><img src="http://blog-imgs-63.fc2.com/c/u/m/cumsophia/tochigi0.jpg" alt="tochigi0.jpg" border="0" width="230" height="173" /><br>栃木立人氏</p><br /><br /><strong><span style="font-size:large;">■江戸時代に「自由な旅」はなかった・・・</span></strong><br /><br />どうも初めまして栃木と申します。茨城県生まれで東京に勤めまして、結婚し住所を変更して日本橋の浜町に移ったあと更に埼玉県の川越に移って、現在の勤めは千葉県、残るは神奈川と栃木(笑)。<br /><br />実は私、学校では英語を教えていましたが、大学の方で観光関係の学部を新設するにあたり、私が観光関係の経験があったため、新設の観光ビジネス学部で教壇に立たせていただいた訳です。もうかれこれ5年になります。<br /><br />今日みなさんと勉強するのも、みなさんを20代の方々と見なし、基本的なことをお話し致しますが、できれば一緒に考える機会になれば嬉しく思っております。話のレベルは高くない、でも観光の意味がとっても大事であること・・・、日常では眼中にないと思いますが、なるほどと思われることが少しでもあれば良いと思っております。<br /><br />では本題に入って行きたいと思います。今日のテーマは「観光ビジネスとおもてなし」。いわゆる「観光」と言った時、みなさんは知ってるようで知らないのではないでしょうか?<br /><br /><p><a href="http://blog-imgs-63.fc2.com/c/u/m/cumsophia/2014040916424944a.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-63.fc2.com/c/u/m/cumsophia/2014040916424944a.jpg" alt="観光の歴史のキーワード0" border="0" width="430" height="323" /></a><br>観光の歴史のキーワード(クリックで拡大)</p><br /><br />「観光」とか「旅」をするというのは、昔はなかったんですね。旅を分類すれば、内部強制、外部強制、あるいは自ら求める旅、この3つに分けられると言われています。<br /><br />内部強制は、自然の摂理で行動することですね。生きてゆくためには飯を食べる、何か食べるには狩りに行かねばならない。海に行かねばならない。自然に始まる旅。昔はこれが「旅」だった。<br /><br />また命令されて税金の分だけ働くためにしかたなく旅に出る。これが外部強制の「旅」。<br /><br />そして自ら求める旅なんですが、これはなかったとされています。<br /><br />では自分から行きたいと思って始めた「旅」、あるいは「観光」、これはいつの時代から始まったかと言うと、古代の「熊野詣(くまのもうで)」とか近世の「お伊勢参り」の時代からだとされています。自ら求める旅は「お参り」から始まったんですね。<br /><br />ただ忘れてはならないのは、詳しい文献はないんですが、気になることがあります。「関所」です。古代からヨーロッパにもありました。必要だったんでしょうね。安全を守るとか、そういった意味から。商業を発達させるためにとっぱらえとかもあったようですが、関所=関騫(せきそこ)があったことは事実であります。<br /><br />何が言いたいかと言うと、この「関所」があったために、例えば江戸時代には通行手形がないと「旅」はできなかった。自由な通行は禁止されていた。<br /><br />江戸時代には移動が禁止されていたということなんです。侍は別で、参勤交代などで必要なそして強制的な移動もあった。ところが庶民の我々には自由はなかった。<br /><br />例外はありました。それが巡礼です、信仰のための移動です。そして療養(病院)としての湯治のための移動も許されていた。この2つのみが大手を振って移動できる唯一の権利だった。<br /><br />けっこうみなさん気付かないんですが、1631年頃から始まった関所が、廃止されたのが明治6年(1873年)ですから、なんと240年近く自由に移動できなかったわけです。<br /><br />みんなテレビの時代劇などで観光や旅とか言ってるんですが、あれは真っ赤なウソ。嘘をついて旅行していた。お伊勢参りにかこつけて四国まで行ってみようかとか、許可される旅をなるべく長くしていかに遊びに行こうかという庶民の知恵だったわけです。//<br /><br /><strong><span style="font-size:large;">■観光は外国人が刺激となった・・・ </span></strong><br /><br />ということでお伊勢参りに行く、巡礼のために行くという建前で旅をしていたのが江戸時代の実体。つきましては「関所廃止」という言葉は大変重要な言葉かもしれません。これによって国内だけではなく世界との交流も始まり、文明開化へと繋がった。鉄道が出来、自由に動ける。この関東だけでも40本くらいの計画があったようです。<br /><br /><p><a href="http://blog-imgs-63.fc2.com/c/u/m/cumsophia/IMG_8104.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-63.fc2.com/c/u/m/cumsophia/IMG_8104.jpg" alt="IMG_8104.jpg" border="0" width="430" height="323" /></a><br>講演する栃木氏</p><br /><br />240年にわたって観光(自由な移動)がなかったわけですから、観光地という概念もあるはずがない。だから、ゴルフ場はイギリス人から、軽井沢を代表とする別荘もカナダ人の宣教師によって教えられたのです。<br /><br />ウォルター・ウェストン(Walter Weston)というイギリス人宣教師は、日本アルプスに登って日本の風習や山々を世界中に紹介しました。日本には元々高い山には登ってはいけないという山岳信仰があった。だから登れなかった。登山を楽しむことは誰も考えられなかった。G.ゴーランドが名付けたこの日本アルプスの名前はウェストンの著書により世界中に広まることとなった。<br /><br />あるいは海水浴。これもイギリスのブライトン(Brighton Beach)という場所で、塩水を体に浴びると健康に良いつまり健康改善のための海水浴が流行っていた。遣欧使節団などからの情報により、軍医総監の松本順が、健康法の一つとして神奈川県の大磯海岸に海水浴場を作ったと伝えられてます。<br /><br />つまり観光地の多くは、外国人に教えられて出来てきたと言われている。一方、日本を訪れる外国人を快く迎えるべしとの機運で、渋沢栄一らが中心となった喜賓会(Welcome Society)がつくられ、外国人観光客も増えていった。喜賓会の目的は、外貨獲得に加え世界における日本の地位を上げることにあった。<br /><br />このようなことがきっかけで、昭和の始めには、公に「観光」という言葉が登場したのです。<br /><br /><strong><span style="font-size:large;">■英国貴族の通過儀礼から端を発する・・・</span></strong><br /><br />それでは「観光」の定義。<br /><br />まず、A地点からB地点に行って再びA地点に戻ることを「旅行」(Travel)。これに類するものがあります。例えば、自宅から会社に行って再び自宅に戻る、これは「通勤」。同様に「通学」や「出張」「巡礼」などもあてはまります。<br /><br />では楽しみや遊びを目的とした「旅行」を何というか。これを「観光」と言うわけです。英語ではツアー(Tour)とかツーリズム(Tourism)とも言いますね。これはあくまで人間の話。鳥ならば「渡り」、魚なら「回遊」となります(笑)。<br /><br />「観光」は「旅行」の中のひとつなんですね。<br /><br /><p><a href="http://blog-imgs-63.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20140409164754186.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-63.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20140409164754186.jpg" alt="旅・観光の定義" border="0" width="430" height="323" /></a><br>旅・観光の定義(クリックで拡大)</p><br /><br />ラテン語で「Tornus(トルナス)」という言葉がありますが、これは「ろくろ」という意味。これから英語の「Tour(ツアー)」が出てきました。周遊、観光そういった意味で英語では使われています。<br /><br />この「Tour(ツアー)」はヨーロッパでは大変重要なキーワード。17~19世紀ころの英国貴族は、ヨーロッパ、特にフランスとイタリアを2年から3年かけて周遊し遊びまくる旅をしなければ一人前になれないとされていました。この通過儀礼のことを「GrandTour(グランドツアー)」と言ったわけです。<br /><br />これを見た日本人がこれはいいなと。このあたりが、実は修学旅行を始めるきっかけとなったとも言われています。教養や人脈などを身につけるためにイギリス貴族は2年も3年もかけてヨーロッパを周遊しているんだ、と。このような下地があったからこそ大英帝国が築き上げられたのです。<br /><br />長い旅行だけに必要だったのが家庭教師。一人前の貴族になるまで付いて回った家庭教師の一人がアダム・スミスであり、彼が旅した先で学んだ教養をまとめたものが「国富論」であると言われています。<br /><br /><strong><span style="font-size:large;">■自由に楽しむ旅が「観光」</span></strong><br /><br />なぜ「観光」という言葉をはめたのか? それは日本で外国人を招く「喜賓会」が盛んに行われていることから始まります。招いた外国人のことは「来遊者」「渡来外国人」などと呼んでいたようです。彼らを「喜ばす」「もてなす」だけではなくて、いろんな意味例えば「産業の発展」や「外交」「外貨取得」などのために招くようになっていきます。<br /><br />かくして1930年(昭和5年)に「国際観光局」が設立されます。当時日本は大不況のただなかにありました。外交がすべて。外客を誘致せよ。担当省庁は鉄道省になりました。<br /><br />当時「観光」と言えば、国内を漫遊するなど低俗な娯楽になっていたそうです。なので鉄道省は、改めて観光という言葉の本当の意味を世の中に知らしめようということになったわけです。<br /><br /><p><a href="http://blog-imgs-63.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20140409164849963.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-63.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20140409164849963.jpg" alt="観光という言葉の背景" border="0" width="430" height="323" /></a><br>観光という言葉の背景(クリックで拡大)</p><br /><br />では「観光」の本当の意味は何か。調べてみると、易経の中に「観国之光 利用賓千王」(国の光を観ればもって王の賓たるによろし)という箇所から「観光」(国の光を観る)という2文字を取ったことがわかりました。この「観光」とは元々は、「他国の風光を観て見聞を広めるという意味でしたが、次第に「他国の風光・名所を遊覧するという意味になっていった訳です。<br /><br />まさに国際観光局にふさわしい意味だったわけですね。ということで外国人を招いて国を観てもらい見聞を深めてもらおうとするのが国際観光局の役割となり、これを自分たちに置き換えて、異国を観て回って見聞を深めることも「観光」、さらには国内、国外に関わらず観光という言葉を使うようになっていきます。<br /><br /><strong><span style="font-size:large;">■観光ビジネス業とは・・・</span></strong><br /><br />観光とは楽しみを目的とする旅行のこと。では生活の三要素から観光の三要素を考えてみましょう。それは「衣」「食」「住」から「移」「食」「住」となります。昔風に言えば「足」「アゴ」「まくら」ですね。これにあなたの旅の楽しみ「アルファ」を加えて、旅人が一億いれば一億の観光の楽しみ方がある。これが言いたいところです。<br /><br />これをビジネスと見立てたときに何があるか。「移」の移動手段では、鉄道があり、航空があり、クルーズがある。「食」の食べることでは食堂、レストランビジネス。そして「枕」の宿泊場所はホテル、旅館になります。そしてアルファの部分は専門用語で言えば「観光資源」例えば名所旧跡や美術館、つまり観光対象となりますね。<br /><br /><p><a href="http://blog-imgs-63.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20140409164942cd6.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-63.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20140409164942cd6.jpg" alt="観光ビジネス業とは" border="0" width="430" height="323" /></a><br>観光ビジネス業とは・・・(クリックで拡大)</p><br /><br />観光に関わるサービスは人的サービスが非常に多いんです。例えば東京のホテルの従業員のAさん、Bさんが20万円もらって衣服を買う際、四ツ谷で使えば四ツ谷に落ちますよね。これを乗数効果と言いますが、投資額の約2.25倍になると言われてます。つまり500億円のホテルを作れば11億2500万円の効果があるという意味です。つまり観光の影響は所得に関わっているわけです。つまり職場ですよね。雇用もできますね。そしてその地域に税金が落ちる。<br /><br />これらを経済効果といいますが、経済「外」効果もあります。それはアメニティ=過ごしやすい環境づくりですね。川越から出てきた私がここ四ツ谷周辺を見て舗装されてなくてどろどろだったらまずいわけです。観光客のためにも綺麗にしてもらいたい。<br /><br />私は川越に住んで30年くらいですが、毎年620万人の観光客が訪れる町になりました。月50万人です。1日2万人近くが訪れている。自慢したくなりますよね。つまり地元への愛着も出てきます。<br /><br />その代わりゴミがいっぱい出てくる。観光によって生じる「害」、これを観光公害といいます。ゴミだけならまだましですが、自然が壊されると事は深刻です。だから観光資源を大切にゆこうとのキャッチフレーズは「サステナブル・ツーリズム(Sustainable Tourism)」、つまり「持続可能な観光」となったのです。<br /><br /><strong><span style="font-size:large;">■観光とおもてなし・・・・</span></strong><br /><br />最後に、観光といえばこの言葉ですね、「お・も・て・な・し」。<br /><br />「お・も・て・な・し」というといろいろな表現がありますが、Hospitality(ホスピタリティ)と置き換えられます。この言葉の元をたどってみましょう。<br /><br />いろいろな経過をたどりながらホスピタリティという言葉ができてきました。最初はラテン語からですが「Hostis(よそ者)」、これと「Potis(能力ある)」。ここから「Hospes(よそ者の保護)」という言葉が生まれました。<br /><br /><p><a href="http://blog-imgs-63.fc2.com/c/u/m/cumsophia/201404091650336a2.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-63.fc2.com/c/u/m/cumsophia/201404091650336a2.jpg" alt="おもてなしの派生語" border="0" width="430" height="323" /></a><br>Hospitality:おもてなしの派生語(クリックで拡大)</p><br /><br />「Hostis」は英語で言えば「Hostile」すなわち「敵の、敵意のある」ですよね。敵だったものがなぜおもてなしになっていったかというと、真夜中に歩いているとよそ者がいるけれど、彼を家に泊めたら殺されるかもしれない、でも泊めてあげようというんです。泊めてあげたおかげでよそ者は命拾いし、ここから「客人の保護」という意味になっていくわけです。つまり「ホスピタリティ」の語源は「異人たちを保護してあげよう」という概念、考え方から始まっているわけです。<br /><br />ここから「異人歓待」という概念が生まれました。何かというと同じものを、例えば同じ弁当を食べる、体内に入れると、「共飲共食」という連帯感が生まれるという考え方です。この概念がキリスト教とともにヨーロッパ全土に広がったようです。キリスト教にも同じ考えがありますよね。困っている人がいたら助けてあげるという規範ですね。<br /><br />で、ホスピタリティを日本語に置き換えていけば「おもてなし」となりますが、ただのおもてなしではない、「身のこなし」つまり食事を出して食べさすだけでなくて、態度で示す(からだごともてなす)というような意味も加味されていくわけです。<br /><br />ホスピタリティは客人を保護する、でも客人とは対等です。共飲共食をします。もてなします。そういったことをする場所もたくさんあった。お医者さんと患者の関係からHospital(ホスピタル=病院)という言葉にもなった。重要なことは、ホスピタリティにおいてホスト(主人)とゲスト(客人)は対等である、対等だからこそもてなしができるという考え方なんです。<br /><br />それに対して間違えやすい言葉が「サービス」。これはもともと「Servant(奴隷・召使)」という言葉から派生したもの。なのでサービスではホストとゲストが主従関係。主人に対して奉仕することを「サービス」というわけです。<br /><br />もうお分かりになったと思いますが、サービスにおける主人はお客様、お客様は絶対。これは「おもてなし」ではない。海外の客人たちが観光で我々のもとに訪れた時、対等にもてなすためには、「サービス」ではなく「ホスピタリティ=おもてなし」の精神がいかに大切か、よくお分かりになったことともいます。今後ぜひこの2つを分けて使い分けていただければと思います。ありがとうございました。(まとめ:土屋夏彦 '80理電)<br /><br /><p><a href="http://blog-imgs-63.fc2.com/c/u/m/cumsophia/IMG_8110.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-63.fc2.com/c/u/m/cumsophia/IMG_8110.jpg" alt="IMG_8110.jpg" border="0" width="430" height="323" /></a><br>懇親会にて</p><br /><br /><strong><span style="font-size:large;">■栃木立人さんプロフィール</span></strong><blockquote><p>1945年茨城県生まれ。1968年上智大学文学部英文科卒。卒論「Origin of “Charm”」卒論メンターは渡部昇一先生に師事。卒業後同年、郵船航空サービス株式会社(現郵船ロジステックス)に入社。70年、観光開発を目的にミクロネシアン・トラベル社(グアム島)出向。89年(平成元年)旅客部設立のため、英国郵船サービス出向(約6年間)。一方でロンドン・ソフィア会の事務局として、会活動の活性化に加え会員増に努めた(約100余名から約200余名に)。<br /><br />2002年(平成14年)同社を早期退職し、秀明中・ 高等学校及び秀明大学総合経営学部に非常勤講師として勤務。2004年(平成16年)秀明大学英語マネジメント学部教授。2009年(平成21年)秀明大学観光ビジネス学部教授。現在に至る。<br /><br />長年ツアープロデューサーとして辣腕を振われた経験を生かし、「地球の歩き方」との提携による留学事業にも精通。立木恵のペンネームで『99場面のトラベル英会話』、『CD付英会話ズバリ使えるきまり文句』、『毎日使える英会話基本フレーズ集(共著)』(新星出版社)など著書多数。</p></blockquote><br /><br /><strong><span style="font-size:large;">■紀尾井の森カルチャー倶楽部とは</span></strong><br /><br />上智大学の創立100周年を記念して、マスコミ・ソフィア会としてこれまで行ってきた母校発展のための活動に加え、私どもの培ってきた知恵や力を、卒業生や上智大学関係者はもとより、広く近隣のみなさまとも分かち合おうと開校したプチカルチャースクールです。現在の約1000名のマスコミ・ソフィア会会員には、マスコミを中心に、いずれも様々な分野で偉業を成し遂げてきたツワモノぞろい。ツワモノらの貴重な体験談や生の声をお伝えすることで、少しでも皆さまの人生のお役に立てればと考えております。
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日本の食文化とTPP:紀尾井の森カルチャー倶楽部第3回

祝・上智大学創立100周年 上智大学 マスコミ・ソフィア会主催紀尾井の森カルチャー倶楽部 第3回日時:7月16日(火)18時00分開場:18時30分開講講演テーマ:「日本の食文化とTPP」~どうやって大地を守るのか?~講師:藤田和芳さん('70法律)(大地を守る会 代表)藤田和芳氏■先日行った中国で・・・ 先日、中国へ行き、200人くらいの規模で宅配の事業を始めました。北京、天津では大気汚染が進んでいて、私はジョギングが好... <strong><blockquote><p>祝・上智大学創立100周年 上智大学 マスコミ・ソフィア会主催<br />紀尾井の森カルチャー倶楽部 第3回<br />日時:7月16日(火)18時00分開場:18時30分開講<br />講演テーマ:「日本の食文化とTPP」~どうやって大地を守るのか?~<br />講師:藤田和芳さん('70法律)(大地を守る会 代表)<br /></p></blockquote></strong><br /><img src="http://blog-imgs-60.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20131021094126fdc.jpg" alt="藤田和芳さん講演2013_07_16アップ" border="0" width="430" height="322" /><br />藤田和芳氏<br /><br /><strong><span style="font-size:large;">■先日行った中国で・・・</span></strong><br /><br /> 先日、中国へ行き、200人くらいの規模で宅配の事業を始めました。北京、天津では大気汚染が進んでいて、私はジョギングが好きで出張先でも朝、街中を走るんですが、北京では走っている途中で呼吸困難になりました。<br /><br /> アメリカ大使館が北京在住のアメリカ人向けに毎日「エアー・クオリティー・インディックス」というものを発表しています。数値が250を超えたら外出を控えるようにと-。昨年暮れからは1,000を超える日が続いたといいます。<br /><br /> 私が走った日は195でしたが、次の日は250を超えました。今は、中国の人もこの数字を頼りにしているということです。中国は水の問題も深刻で、これから環境のコストがかかり大変だなと思います。<br /><br /><strong><span style="font-size:large;">■大地を守る会の出発</span></strong><br /><br /> 「大地を守る会」は38年前、1975年に設立しました。農薬や化学肥料を使わない有機農業の世界を追求しようと、都会で週1回の宅配を始めました。現在は、農家約2500人と契約し、会員約9万5千人、ウエブストアー7万4千人(計16万9千人)がお客様です。売り上げ160億円位の企業です。<br /><br /> 20代で会社を立ち上げ、最初は出版社に勤めていましたが、有機農業に興味を持ち、調べてみると有機農業の農家は、作ったものが地元の農協で受け入れられない、スーパーでも売ってもらえない。しかし有機農業の野菜を欲しい人もいるだろうと、最初は茨城県の水戸の農家の野菜を、東京江東区の大島団地でゴザを敷いてキュウリやトマトを並べ「無農薬ですよ!」「新鮮ですよ!」と呼びかけました。味見をしてもらうと、お母さんたちは判ったんです、野菜の良さが・・・。<br /><br /> 私は岩手県の農村の生まれで井戸水で育ちました。東京へ出てきて、何て水がまずいんだろうと思いました。団地に住んでいるお母さんたちは、田舎から出てきて団地に住んでいるわけで、私と同じように昔食べたニンジンと、都会で売ってるニンジンの味とが、どうしてこんなに違うのかと・・・。<br /><br /> この野菜は昔食べた味だということで、大いに受け、隣の団地に広がる、豊島区の区会議員が見に来る、千駄ヶ谷幼稚園でも・・・というので、青空市が評判になりました。来週も来るので注文して下さいといっているうちに新しいお客様が増えて注文制の「青空市」が評判になり、土曜、日曜だけやっていたのが水曜日もというので、注文制が共同購入になり、やがて引っ込みがつかず、出版社を辞めてそちらに飛び込んだんです。家内が仕事をしていたので出来たんですが、その後、10年ほどして宅配を始めました。<br /><br /><img src="http://blog-imgs-60.fc2.com/c/u/m/cumsophia/201310210945086c3.jpg" alt="藤田和芳さん講演2013_07_16ヨコ2" border="0" width="430" height="323" /><br /><br /><strong><span style="font-size:large;">■宅配を始める</span></strong><br /><br /> その頃、共同購入組織は3千人から4千人くらいになっていました。10人から20人の班を編成し、そこにまとめて野菜などを配達するシステムでしたが、しばらくして班は増えてるけど人数は減っているることに気がつきました。<br /><br /> 1980年代の前半、女性が働きに出るようになりましたが、共同購入というシステムは専業主婦中心だったのです。お母さんたちが班に集まってきて野菜のこと以外に子育てのことなどを話し合うようになっていました。<br /><br /> その共同購入にかげりが見えてきたのです。やむなく、ヤマトの宅配便をマネて、昼間は青空市をやり、夜は宅配を始めた。調布市に物流センターを作り半径5キロ圏内の人に「夜間宅配をします。玄関先まで無農薬野菜を届けます。ただし夕方6時から12時まで。老人1人家庭でもOKです」というチラシが評判になるのですが、「宅配」というシステムを作るのは大変でした。<br /><br /> まず、箱に入れるのが大変なんです。15品目から20品目の商品をソロバン片手に「大根イチー」と言って詰めていくんですが、20件~30件は良いのですが、100件~500件となるともう大変。トランシーバーを使ってやりました。それでも3千件に近づいた時は、もうダメだと思いました。いろいろと試行錯誤を繰り返して、半径5キロ圏内から10キロ圏に広げ、昼間も宅配をするようにして、「大地を守る会」は育ってきたのです。<br /><br /><strong><span style="font-size:large;">■『複合汚染』の影響</span></strong><br /><br /> 当時「有機無農薬野菜」は圧倒的に少数派でした。初めは農協やスーパートは相手にしませんでしたが、状況は少しずつ変わってきました。<br /><br /> 1975年発行の有吉佐和子著『複合汚染』は大きな影響力がありました。戦後の日本の農業は、腰を曲げて農作業をすることはなくなりましたが農薬や化学肥料を大量に使うようになり、ホタルやドジョウがいなくなりました。それが、人間に跳ね返ってきますよというメッセージが出されたのです。これに対して、アトピーの子どもを持ったお母さんたちが敏感に反応しました。<br /><br /> そこで「大地を守る会」は『複合汚染』を読んだお母さんたちを組織しようということになり、これが追い風になりました。<br /><br /><img src="http://blog-imgs-60.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20131021094707c7f.jpg" alt="藤田和芳さん講演全景2013_07_16" border="0" width="430" height="323" /><br /><br /><strong><span style="font-size:large;">■3つのイノベーション</span></strong><br /><br /> 中国で日本の「有機農業」の話をしました。日本では3つの革命(イノベーション)をした。まず第1は「生産現場」、化学肥料や農薬に代わる新しい技術をどう確立するか? 虫や病気をどう退治するか? 例えば天敵を使うとかの方法を開発した。<br /><br /> 第2は「流通」。曲がったキュウリや虫食いキャベツはスーパーでは相手にしない。売り方を変える必要があり、青空市や宅配を始めた。流通を変えないと1本の大根ですら動かない。<br /><br /> 第3は「消費者意識の改革」、例えばキュウリは曲がっていても安全性があり、美味しければ良いと買うようになった。この3つの段階を経てシステムが動き始めた。<br /><br /> 2000年代に入ると「産地偽装」が問題になった。「中国毒ギョウザ事件」「BSE(狂牛病)」など。<br /><br /> 2006年「有機農業推進法」が出来、次第に理解が広まる。「日本JAS法」では、有機農業とは「3年間、農産物に農薬や化学肥料を使わないもの」と定められた。さらに、有機農業で作られた農産物の「認定制度」が作られたが、この法律には欠陥があり、多くの有機農業農家は「認定されなくてもよい」という姿勢をとった。それで認定率は0.5%位だったと思う。現在、私の推定では、転換期中の野菜も含めて日本の有機農業は7%位まで来ているのではないかと思う。<br /> <br /><strong><span style="font-size:large;">■ソーシャル・ビジネス</span></strong><br /><br /> 「大地を守る会」は社会的企業として生きていくことにしています。<br /><br /> 利益優先の「金儲け主義」ではなく、理想をかかげながら、財政と人間関係を尊重する、理念を持ちながら経済行動もきちんととる会社、すなわち「ソーシャル・ビジネス」を目指しています。<br /><br /> 社会的問題がある時、昔であればデモ行進を行い大集会を開いて製薬会社と交渉するような方法をとったでしょう。しかし、農薬を実際に使っているのは農家です。でも、農民のところでデモをやっても意味がない。告発、糾弾型では対応できず、ビジネスを通じて変える方法をとったのです。<br /><br /> 社会的弱者や農業を支える、貧困や差別、平和のようなことは、これまでは国家、行政が補助金を出したりして援助してきた。あるいは補助金や善意のボランティアが支えて解決を目指してきた。しかしこれには限界があることが分かってきた。「福祉」や「農業」をどこまで支えられるか疑問。<br /> <br /> 1980年代初頭、サッチャー、レーガン政権の時代、経済が小さくなった時、福祉や環境関係の補助金が削られ、NGOは深刻な財政難に陥った。<br /><br /> そうした時、ヨーロッパではビジネスの手法を取り入れた「ソーシャル・ビジネス」という形が生まれた。たまたま私たちは、結果的に「ソーシャル・ビジネス」(社会的企業)になりました。会社の定款にわざわざ「前文」というものを入れました。日本国憲法のように会社としてのポリシーを宣言したのです。そこでは、この会社は「社会的企業である」と宣言しました。その上で株式会社としてのあらゆる事業活動を「日本の第一次産業を守り育てること」「人々の生命と健康を守ること」「持続可能な社会を創造すること」という社会的使命を果たすために展開する”としました。<br /><br /> こうした活動が評価されたのでしょうか、私は、2007年、アメリカの『ニューズウイーク』が選んだ「世界を変える社会企業家100人」の1人に選ばれました。<br /><br /><strong><span style="font-size:large;">■TPPに参加すれば・・・</span></strong><br /><br /> 安倍政権はTPPに参加すると言っていますが、先の衆院選では選挙の争点になりませんでした。大地を守る会は、TPPに反対してきました。私たちは、食べ物がないという時代を子どもたちに残すわけにはいかない。TPPに参加し、12カ国の関税が全てゼロになると、農水省の試算では、日本の食糧自給率は現在39%が13%になると言っています。<br /><br /> 海外から安い食糧が入ってきた時「米」は守れるでしょうか? 日本では米1俵(60キロ)が1万2千円から1万5千円で売れないと、農家の人たちは米作りはできなくなる。TPPに参加するとアメリカのカリフォルニア米は3千円位で入ってくる。キャベツは140円位より安いと日本の農家は採算が合わなくなってキャベツ作りをやめざるを得なくなりますが、中国産は1個40円で入ってくるのですよ。<br /><br /> TPP以後、日本の農業は海外からの安い価格攻勢に耐えられないでしょう。農水省の試算では主食の米は、自給率10%に、牛肉25%、豚30%まで下がるといわれています。<br /><br /> 現在、世界の人口は1年に1億人ずつ増えています。世界の人口は70億人を突破しました。世界中で10億人が飢餓線上にいます。こういう危機的状況に、日本の食糧生産基盤をどう守ればいいのでしょう。具体的には何もない。中山間地では耕作権放棄地が増えています。<br /><br /><strong><span style="font-size:large;">■原産地表示を止めさせられる?</span></strong><br /><br /> TPPに参加した場合のアメリカの要求は「原産地表示をやめさせる」、「農薬や食品添加物の規制を緩和させる」などです。「遺伝子組み換え食品」が堂々と入ってくる。それに対する備えは日本社会に出来ていません。<br /><br /> 「日本の農業は怠惰だ」という政治家や評論家がいます。もっと努力すれば、1俵4千円から5千円でも競争に耐えられると言う。それは日本の農家の4~5%程度です。中山間地ではとても出来ません。<br /><br /> アメリカ型の超巨大農業は日本にはマネはできません。東南アジアの安い農産物は、貧しい人たちの環境を破壊しながら作る人件費ゼロの農産物だ。このアメリカ型の巨大農業と東南アジアの超貧困国農業が世界で最も安い品目で、かかっているコストが全く違うのです。<br /><br /> 日本農業の生産基盤をどう残すのか? TPP後、日本の農業をどうするのか? 日本農業の生き延びる道は何なのか? 民間で出来ることは何か? 真剣に考えなければなりません。<br /><br /><strong><span style="font-size:large;">■原発の代替エネルギー対策</span></strong><br /><br /> 原発に反対し、自然エネルギーを増やす努力をする必要がありますが、新しいアイデアとして「ソーラーシェアリング」という方法で、田圃の上に「ソーラーパネル」を作るという考えがあります。農作物は太陽の光で作られるが、田圃の上3メートルぐらいの所にソーラパネルを張れば問題ありません。さらにパネルとパネルの間を30~40センチ開ければ田圃に光が入り稲作への影響はなく、コンバインも入る。<br /><br /> 設備費は300坪当たり1700~1800万円で、1キロW当たり、38円で電力会社が買ってくれれば、年間180万円の売電価格になる。300坪から米10俵とれるとして販売価格は約15万円だが、こんな収入はものの数でなくなる。売電価格だけで農業の継続は充分可能になる。<br /><br /> 現在、日本の耕地面積460万ヘクタール、田圃は270万ヘクタールだが、200万ヘクタールにソーラーパネルを設置すれば、日本の全ての電力がまかなえる。これは原油の代金40兆円に相当する。スペインの巨大ソーラーシステムを見ました。ここは下は使えません。しかし、ソーラーシェアリング方式だと、上では太陽光発電、下では農産物と、二重に農地を使えるのです。ソーラーを発電と農産物とでシェアするのですね。まだ研究中だが出来ればやっていきたい。<br /><br /><img src="http://blog-imgs-60.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20131021094708411.jpg" alt="藤田和芳さん講演2013_07_16会場" border="0" width="430" height="323" /><br /><br /><strong><span style="font-size:large;">■質問コーナー</span></strong><br /><br />>◎中国での活動に成算は?<br /><br /><blockquote><p> 中国の環境問題は国境を越えている。この「大地を守る会」の活動を、アジア各地に広げていきたい。中国は世界人口の4分の1だから、中国の農業を変えれば世界の農業が変わる。信頼がないと出来ないが、そこにビジネスチャンスがある。この活動が世界の平和につながるかもしれない。小さくてもいいから始めた。食べ物を通じて平和や貧困の問題にかかわっていきたい。</p></blockquote><br /><br />>◎アジア民衆基金に参加しているそうだが・・・<br /><br /><blockquote><p> 「互恵のためのアジア民衆基金」とは、主にアジア各地のフェアトレード商品の産地を支援するための融資基金で2009年12月に設立された。バングラディッシュのグラミン銀行が始めた農村振興のための少額融資(マイクロクレジット)の考え方を基礎に、それぞれの産地が抱える問題を解決するために、各産地が提案してきたプロジェクトに融資を行うというもの。<br /><br />1980年代に、フィリピンで飢餓に陥った農民たちを支援するため、各生協や「大地を守る会」が株主となり、砂糖とバランゴンバナナの輸入会社オルタートレードジャパン(ATJ)を立ち上げました。<br /> その後インドネシアのエコシュリンプやパレスチナのオリーブオイルなど取り扱いを広げているが、各産地の産物を日本に運ぶだけという一方通行にとどまっている。各地域の横のネットワークを作り、貧困撲滅など現地の活動の基盤を作りたいという思いから、本基金を設立することにした。<br /><br /> 「大地を守る会」では2009年4月からバランゴンバナナとエコシュリンプの売り上げの一部をその基金として充当し、各生協などから集まった基金とあわせて、総会で融資が可決されたプロジェクトに融資されている。<br /> 基金参加団体は「大地を守る会」オルタートレードジャパン、パルシステム、グリーンコープ連合、生活クラブ生協、ハンサリム生協(韓国)、ドゥレ生協(韓国)などです。</p></blockquote><br /><br />以上(まとめ:磯浦康二 '57文新)<br /><br /><hr size="1" />藤田和芳(ふじた・かずよし)プロフィール<br />1947年岩手県生まれ。岩手県水沢高校卒業後、1970年上智大学法学部卒業。1975年に有機農業普及のためのNGO「大地を守る会」を立ち上げる。1977年には株式会社化し有機野菜の販売を手掛ける。現在、株式会社大地を守る会代表取締役社長、ソーシャルビジネス・ネットワーク代表理事など兼務。1997年コムソフィア賞受賞。2007年NEWSWEEK誌「世界を変える社会企業家100」に選ばれる。<br />著書に『有機農業で世界を変える』(工作舎)ほかがある。
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COOLJAPANの原点は縄文土器にあり:紀尾井の森カルチャー倶楽部第2回

祝・上智大学創立100周年 上智大学 マスコミ・ソフィア会主催紀尾井の森カルチャー倶楽部 第2回日時:5月16日(木)18時00分開場:18時30分開講講演テーマ:「日本陶磁器文明の世界的な影響力:日本のCOOLJAPANの原点は縄文土器にあり」講師:加藤春一さん('68経経)(東京エグゼクテイブ・サーチ株式会社)※この講演録は当日の模様から主な箇所を文章に書き起こし加筆したものです。           加藤春一氏■縄文土器と... <strong><blockquote><p>祝・上智大学創立100周年 上智大学 マスコミ・ソフィア会主催<br />紀尾井の森カルチャー倶楽部 第2回<br />日時:5月16日(木)18時00分開場:18時30分開講<br />講演テーマ:「日本陶磁器文明の世界的な影響力:日本のCOOLJAPANの原点は縄文土器にあり」<br />講師:加藤春一さん('68経経)(東京エグゼクテイブ・サーチ株式会社)<br /><br />※この講演録は当日の模様から主な箇所を文章に書き起こし加筆したものです。<br /></p></blockquote></strong><br /><br /><img src="http://blog-imgs-60.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20130603182450a6a.jpg" alt="加藤" border="0" width="430" height="288" /><br>           加藤春一氏<br /><br /><strong><span style="font-size:large;">■縄文土器と岡本太郎</span></strong><br /><br />加藤春一です。縄文土器・弥生土器ということで、まずは縄文からスタートしたいと思います。縄文土器を最初に発見したのは、日本人ではなく、エドワード・S・モース(アメリカの動物学者)という人です。<br /><br />彼はハーバード(大学)を出たあと、日本の東京大学に教授として招聘されました。彼が新橋から横浜に電車に乗っていたとき、電車の窓から大森あたりの風景を眺めていたとき、ばーっと山みたいになっていたんですね。彼の学者的な本能から、ここ(大森貝塚)に土器が埋まっていると確信して、相当、層が厚かったにもかかわらず、採掘をして土器を掘り当てました(1877年6月19日)。<br /><br />最初は彼は、縄文という言葉は使わず、「cord marked pottery」(索文土器)と命名しました。これを後日、神田孝平という博士(東京人類学会会長なども務めた明治時代の洋学者)が学会誌で「縄文土器」と使ったことによって、世間に知られるようになりました。<br /><br />この縄文土器がさらに世の中に浮かび上がって来るのは、そのあと戦争を経て、1951年、岡本太郎という強烈かつアバンギャルドな画家で芸術家の働きによるものなんです。<br /><br />彼は独特の本能を持っていて、フランスから帰って来たとき、当時の上野の博物館で、日本の歴史ある、掛軸や巻絵などを見る中、たまたま目に止めたのが縄文土器、それも中期の火焔土器(かえんどき)と言われるものでした。これは越後(新潟)でしか出土しないものなんですが・・・。<br /><br />岡本氏は、直感的に、この土器は一体なんなんだ・・・?。こんなものを日本人が作っていたのか、このパワーとエネルギーと生命力、すごいじゃないかと言い出したそうです・・・。<br /><br />彼はこれがきっかけで、日本の北から南まで、持ち前の行動力で縄文土器のことについて調べました。当時日本の高度成長の真っ只中、採掘も進んでいたおかげで、日本各地から次々と縄文や弥生時代の土器が大量に出土されていることを知ったわけです。<br /><br />これほど生命力のある、縄文土器はまさに日本人の原点・ルーツに違いないと思うようになりました。そこで彼は文部省に掛けあって、縄文土器、縄文時代のことを、小学校の教科書に載せるべきだと訴えることになるんです。(このときまで教科書には縄文文化については特に載ってなかった)<br /><br />その後、京都大学の谷川徹三先生、哲学者で様々な美学について見識のある方、が本を書きました。「縄文的原型と弥生的原型」(岩波書店 1971) ご子息は詩人の谷川俊太郎。<br /><br />彼によれば、日本の美意識は、縄文と弥生の時代に形成されたものだ、と書いています。この本は現在絶版となっています。縄文は男性的、そして装飾的、弥生は女性的、機能的、繊細で優美である、こう定義がされています。のちの古墳時代以降のほとんどが、この縄文的原型と弥生的原型を「用と美」の中に取り入れて日本文化が発展してきたと言及しています。私も同感です。<br /><br /><img src="http://blog-imgs-60.fc2.com/c/u/m/cumsophia/IMG_3518.jpg" alt="IMG_3518.jpg" border="0" width="430" height="323" /><br>会場の様子<br /><br /><br /><strong><span style="font-size:large;">■縄文土器に陶酔していく・・・</span></strong><br /><br />縄文土器に魅せられてしまったもうひとつのエピソードがあります。<br /><br />今、放射性炭素年代測定で調べると、一番古い縄文土器は、青森で出土されたものなんだそうです。青森県大平山元I遺跡(おおだいやまもといちいせき)と言われています。16,500年前のものと推定。これが世界の相対比較の中でも、最も古い土器だとされているんです。<br /><br />放射性炭素年代測定とは、炭素が5730年で半減していくという性質などから物質の年代測定を可能にする方法のことですね。<br /><br />なぜ私が縄文遺跡にこだわるようになったかというと、1993年(20年前)、当時商社に勤務しており、ベルギーのブリュッセルでのとある事件がきっかけなんです。<br /><br />当時の商社マンの仲間に、ニューヨーク8年、ロンドン7年、ブリュッセルで3-4年いらした私の先輩がおりまして、彼と飲んでいたんです。彼は欧米派。ギリシャローマから続く強烈なオーナメント、幾何学的対称のものが最も素晴らしい、日本の様式美などたいしたことないと言うわけです。<br /><br />それに対して、私は当時から「陶磁器」に関心があり、ヨーロッパのほとんどの陶磁器の場所に訪れていたので、いやそんなことはない、縄文と弥生があるんだと、その大先輩に食ってかかったんです。<br /><br />深夜でワインも4-5本は空いていた・・・。そんな中、熱烈に議論を交わし、私の気持ちはそれだけでは治まらず、そのときの強烈な思いを綴った「散文詩」を書くことになるんです。<br /><br /><img src="http://blog-imgs-60.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20130603183838325.jpg" alt="加藤さん散文詩" border="0" width="320" height="399" onclick="popupImage('http://blog-imgs-60.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20130603183838325.jpg')" /><br>加藤さんの当時書いた散文詩 ※クリックで拡大<br />※当日はご友人の作詞家の加藤さんが朗読くださいました。<br /><br />ということで、20年前の私の美意識はこんなところにありました。これがきっかけで、縄文土器へのこだわりは絶大なものになって行ったのです。<br /><br /><strong><span style="font-size:large;">■シリコンバレーと縄文土器</span></strong><br /><br />ここからはひとっ飛びにシリコンバレーに話は飛びます。アメリカのシリコンバレーには、私も何度も足を運んでいるんですが、私が長く駐在した西豪州のパース(西オーストラリア州)。こことアメリカのシリコンバレー、この2つの地域を、縄文弥生にこだわりながら、連関性を述べさせていただきたいと思います。<br /><br />私は西豪州に2度駐在したことがあるのですが、ここは兼高かおるさんが世界一美しい町と言わしめた場所。私も20数年前に「世界一美しいまち―オーストラリア‐パースへのいざない」という本を書いたんですが、余り売れなかったんですが・・・、そのくらい素晴らしい場所です。<br /><br />ここは鉄鉱石やアルミナ、LNG(天然ガス)やウラン、プラチナ、ジリコン、セラミック、カッパ、マンガンなどなど、様々な資源が採れる世界有数の場所でもあります。日本はここにものすごく依存しています。<br /><br />私は鉄鉱石の売買を中心に駐在をしていたのですが、アルミナの世界最大プロジェクトなどにも関わったこともあります。<br /><br />鉄鉱石は、日本の需要の半分くらいは、ここ西豪州から輸入しています。ピルバラ地区と呼ばれる場所です。ここから10万トンや20万トンのタンカーで年間5-600杯、日本の北から南までの製鉄会社に運ばれ、自動車部品や航空機部品などに加工されます。<br /><br />当時私は、フィンランドのエルケム(ELKEM)という世界一のシリコンの製造会社と取引することになったんです。西豪州には鉄鉱石のほかにもシリカ(シリコン)があるだろうと・・・。そのとき鉄とシリカを比較対象してみてびっくりしました。シリカのものすごい可能性、めちゃくちゃな付加価値。これがのちのシリコンバレーにつながっていくわけです。<br /><br />地殻の5つの要素は、酸素、シリカ、アルミナ、鉄、カルシウム。この順に多く含まれています。鉄は還元されてFe2O3からFeOに変わり、シリカは金属シリコンに変わります。どちらも原料では1トン3000円くらいなんですが、加工された鉄製品はだいたい10万円程度のもの(約30倍)になりますが、シリカは半導体などに製品化されて付加価値が2000倍近くなるわけです。<br /><br />シリカは精製して多結晶から単結晶に、純度ナインイレブン(99.99・・9が11個続く)で、半導体のウエハー(信越化学は世界最大の半導体ウエハーメーカー)に使われるものに変わります。これが原料の2000倍以上の価値になるということなんです。<br /><br /><img src="http://blog-imgs-60.fc2.com/c/u/m/cumsophia/IMG_3525.jpg" alt="IMG_3525.jpg" border="0" width="430" height="323" /><br>加藤さん所有の数少ない陶磁器<br /><br /><br /><strong><span style="font-size:large;">■IT産業の根底に、縄文土器の16000年の歴史を垣間見る・・・</span></strong><br /><br />私は2000年に、ITPという国際会議がシリコンバレーであるということで、サンフランシスコからサンノゼに行きました。ここで、コーンフェリーという人材ヘッドハンティング会社の副社長のポール・コー氏と出会います。<br /><br />彼と会ったときに「アメリカでヘッドハンティングという職業は、一度やったらやめられないのを知ってるか」と言われました。<br /><br />現在私は人材派遣会社にいますが、こうなったきっかけはまさにこのシリコンバレー。シリコン、すなわち陶磁器の原料、そしてそのルーツが縄文土器。私の人生もどうやら縄文土器にあるようなんです。<br /><br />私の先祖の話になりますが、鎌倉時代、1222年、道元禅師という福井の永平寺の開祖(日本における曹洞宗の開祖)にくっついて、我が祖先は中国に6年間渡ったとされます。そのとき中国は南宋の時代。南宋の時代はすでに陶磁器文明は相当洗練されていたようです。<br /><br />祖先である、当時の加藤藤志郎景政は中国で、日本の陶器の技術がこれほどまでに遅れていたことに愕然とした。それは技法の面だけでなく、釉薬(ゆうやく)の面においてもでした。これらを徹底的に中国で学んで来たというわけです。私はこの加藤藤志郎景政の末裔で分家の23代目。本家は31代目の人間国宝の陶芸家加藤孝造氏(78)(5月30日付けで(岐阜県)多治見市の名誉市民に選定すると発表)です。<br /><br />最終的な磁器の完成は江戸後期の3人の陶芸家、青木木米(もくべえ)、仁阿弥道八(どうはち)、永楽保全(ほぜん)によるものが大きいとされていますが、そうした素晴らしい日本の陶芸を評価したのは、実は日本人ではなく、最初に紹介したモース氏だったり、彼の紹介でその後来日したアーネスト・フェノロサ氏。彼は岡倉天心とともに古寺の美術品を訪ね、彼と東京美術学校(のちの東京芸術大学)設立にも尽力されました。そしてもうひとりはゴットフリード・ワグネル氏。彼はドイツ出身。おかかえ外国人として長崎に招聘され、有田町で窯業の技術指導したことが、陶磁器(伊万里焼)を飛躍的に発展させることになります。窯の温度を上げる技術や、コバルト顔料を使った塗技術などで貢献しました。<br /><br />3人の外国人によって飛躍的な進歩を遂げることになった陶磁器ですが、そんな縄文土器以来の歴史的継続性、新たな技術の習得から独自の開発、そして自然美に基づく様式美の徹底追求、特に海外から技術を入れたら、吸収し、咀嚼し、選択し、日本の風土に応用、そして日本的な形に想像していく、これが日本文化の「用」、そこに「美」も加わって「美と用を伴う文化」が日本の原点。<br /><br />縄文土器で発掘した粘土。これがシリカやアルミナ、鉄などとともに、火を使って、水を使って、空気で、酸素を送って、陶器を作ったわけですが、それが現代でも、基本的な構造、メカニズムは全く変わっていない。<br /><br />即ち、日本の陶磁器文明は日本が誇るべき文明・文化だと確信しています。これらの技術があったからこそ、コンピュータが出来た、今の時代がある。その根底には16000年間も続いたとされる縄文時代より存在した縄文土器の息吹が流れているんです。(まとめ:土屋夏彦 '80理電)<br /><br /><img src="http://blog-imgs-60.fc2.com/c/u/m/cumsophia/IMG_3534.jpg" alt="IMG_3534.jpg" border="0" width="430" height="323" /><br>懇親会にて<br /><br /><hr size="1" /><br /><span style="font-size:large;">■紀尾井の森カルチャー倶楽部とは</span><br /><br />上智大学の創立100周年を記念して、マスコミ・ソフィア会としてこれまで行ってきた母校発展のための活動に加え、私どもの培ってきた知恵や力を、卒業生や上智大学関係者はもとより、広く近隣のみなさまとも分かち合おうと開校したプチカルチャースクールです。現在の約1000名のマスコミ・ソフィア会会員には、マスコミを中心に、いずれも様々な分野で偉業を成し遂げてきたツワモノぞろい。ツワモノらの貴重な体験談や生の声をお伝えすることで、少しでも皆さまの人生のお役に立てればと考えております。
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テレビ60年:遠くへ行きたい・美味しい現場から:紀尾井の森カルチャー倶楽部第1回

祝・上智大学創立100周年 上智大学 マスコミ・ソフィア会主催紀尾井の森カルチャー倶楽部 第1回日時:4月18日(木)18時00分開場:18時30分開講講演テーマ:「テレビ60年:遠くへ行きたい・美味しい現場から」講師:村田亨さん('64外露)(株式会社テレビマンユニオン・チーフプロデューサー)※この講演録は当日の模様から主な箇所を文章に書き起こし加筆したものです。         村田亨氏■「遠くへ行きたい」は「ディス... <strong><blockquote><p>祝・上智大学創立100周年 上智大学 マスコミ・ソフィア会主催<br />紀尾井の森カルチャー倶楽部 第1回<br />日時:4月18日(木)18時00分開場:18時30分開講<br />講演テーマ:「テレビ60年:遠くへ行きたい・美味しい現場から」<br />講師:村田亨さん('64外露)(株式会社テレビマンユニオン・チーフプロデューサー)<br /><br />※この講演録は当日の模様から主な箇所を文章に書き起こし加筆したものです。<br /></p></blockquote></strong><br /><br /><img src="http://blog-imgs-60.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20130531164339762.jpg" alt="村田亨" border="0" width="217" height="252" /><br>         村田亨氏<br /><br /><br /><strong><span style="font-size:large;">■「遠くへ行きたい」は「ディスカバージャパン」の象徴・・・</span></strong><br /><br />村田亨です。64年外露ですから相当年をとっております。「遠くへ行きたい」はテレビマンユニオンを作って(1970年)半年後に始めた番組。これを3年後の1973年から今の今まで担当しています。番組は43年ということなので、もうかれこれ40年やってることになります。(テレビマンユニオンは東京放送(現・東京放送ホールディングス:TBS)を退職したディレクターが中心となって設立した日本で最初の独立系制作プロダクション)<br /><br />今夜は「遠くへ行きたい」という旅番組の制作経験から、日本全国の美味しいものめぐりみたいな話題も準備してきたのですが、みなさんのお顔を拝見すると、テレビ60年でこれまで何を伝えてきたのかという話よりも、最近大人が見たくなる番組が少なくなり、テレビがどうもつまらない。どうしてこうなってきたのかという話のほうが良さそうなので、そのことを「視聴率」ということをキーワードに、「遠くへ行きたい」が43年続いている理由から紐解いていきたいと思います。<br /><br /><img src="http://blog-imgs-60.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20130601000215308.jpg" alt="イザ開校" border="0" width="430" height="323" /><br>    <いざ、開校!!!><br /><br /><br />「遠くへ行きたい」は、1970年10月4日に第一回が始まりました。テレビで旅をするってどういうことか。当時の旅行というと団体旅行や会社の旅行がほとんどで、一人旅というのはほとんどなかった時代です。この番組は70年9月に万博が終わって、当時の国鉄(JR)が、万博で大移動した6000万人のお客さんを獲り込もうと、国鉄自らの提供で始まったものです。<br /><br />当時の国鉄は東大卒などがちがちの官僚肌の人たちの集まりだったので、硬直してて何も考えられない。そこで当時電通だった藤岡和賀夫さんという名物プロデューサーが考え出したのが「デイスカバージャパン」というキャンペーンでした。(その後「モーレツからビューティフルへ」(ゼロックス)、「いい日旅立ち」(JR東海)など次々と日本の広告史に残るキャッチフレーズを生み出した)<br /><br />それを見て、国鉄のキャンペーンにカタカナは何事だ、川端康成の「美しい日本」ではだめなのかと議論がかわされましたが、これからはカタカナの時代だと説き伏せたようです。番組のほうは、一人でも旅をすれば楽しいんだ、一人旅の楽しさ、一人旅の面白さを番組を通じて伝えていこうということになったんです。<br /><br /><strong><span style="font-size:large;">■視聴率を意識するきっかけは大阪万博が終わって・・・</span></strong><br /><br />最初の半年は、永六輔氏が毎週出演してました。30分番組の収録に毎週参加するとどういうことになるかわかりますか?<br /><br />彼は当時土曜は、TBSラジオの生放送「土曜ワイドラジオ東京」が午後に終わって、そこからスタッフと一緒に旅に出る。数日後永さんだけ先に戻って他の仕事をしつつ、金曜にナレーションを加えて、日曜に放送、という自転車操業の日々でした。<br /><br />半年間26本やってさすがに無理だと分かり、その後、伊丹十三さんや五木寛之さん、野坂昭如さんなど、当時の「話の特集」という雑誌の同人たちがかわるがわる出演するようになりました。<br /><br /><img src="http://blog-imgs-60.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20130601000340f2d.jpg" alt="村田亨氏" border="0" width="430" height="323" /><br>    講義する村田さん<br /><br /><br />この時点では東京(日本テレビ)は日曜夜10時30分、大阪(読売テレビ、番組は元々読売テレビの企画)は夜11時。当時この時間にまだ起きている人は、普通のサラリーマンではあり得ませんでした。逆にあまり時間に囚われないマスコミの人たちの中で話題になっていったわけです。<br /><br />当時旅を紹介する番組として唯一NHK「新日本紀行」がありましたが、旅を企画した本人が出演して、ナレーションも入れるような番組は本当にめずらしかった。このスタイルが、未だ43年続く長寿番組になった理由とも言えるでしょう。<br /><br />しかしながら、マスコミ業界には興味を持ってもらったものの、非常に特異な番組だったため、視聴率は2%、3%程度。このころから民放は視聴率争いがだんだん激化していくんです。<br /><br />そのきっかけは、万博が終わって、世の中(文化)が豊かになり、文化の源でもあるテレビに世間の目が集中し始めて来たことにあると思います。そのためテレビ番組にスポンサーになる会社も増え、スポンサーが並んで待つ黄金時代に突入。その結果、視聴率というものに注目が集まるようになったんです。<br /><br /><strong><span style="font-size:large;">■夜の番組から一転して朝の番組へ・・・</span></strong><br /><br />そんな状況の中での1976年、当時日曜の朝の時間帯が低迷しており、そこで「遠くへ行きたい」に白羽の矢が立ちます。これまで夜の番組だったものが、いきなり半日ずれて、朝10時30分からに移動することになったんです。<br /><br />移動するに当たって、日曜朝10時30分は、旅好きの人がちょうど出かける時間ではないのかという懸念がありました。しかし実際はそれほど落ち込むこともなかったのですが、あまり良くもならず、その後、さらに6年後の1982年には朝8時30分に移動することになります。<br /><br />この時間帯は当時、NHKとTBSの独壇場でした。NHKは「趣味の園芸」、TBSは小汀利得(おばまりとく:本当の読みはとしえ)さんという名物ジャーナリストが出演する「時事放談」。この2つがダントツで、日テレは2%、3%程度でした。<br /><br />しかし「遠くへ行きたい」の視聴率は、1年半くらいかかって、時事放談に追いついたんです。次いで2年半後にはNHKの「趣味の園芸」も抜いた。このころには日曜の早朝にもかかわらず10%を越える時も出るほどの勢いとなりました。<br /><br />視聴者が多くなると、番組の見方も変わってきます。単なる一人旅を楽しむ番組だったのが、旅を通してタレントや文化人の素顔が見られる番組というポジションに変わっていったんです。<br /><br />旅するタレントも多岐にわたり、永禄輔さんや渡辺文雄さんなどの文化人だけはなくて、千昌夫さんや八代亜紀さんまで登場するようになっていきました。先日お亡くなりになった三國連太郎さんも旅をしてくださいました。そんな文化人やタレントを交えたキャスティングによって、レーティングはさらにアップ。10%を越えるのがあたりまえになっていきました。<br /><br />そこにTBSが関口宏さんを起用して「サンデーモーニング」を立ち上げました。しかし、8時30分から9時の時間帯は一向に日テレ「遠くへ行きたい」の独壇場でした。関口さんは「9時まではなにもすることがない」と愚痴をこぼしていたと言います。<br /><br /><strong><span style="font-size:large;">■「遠くへ行きたい」による日曜早朝開拓は続く・・・</span></strong><br /><br />それに気を良くした日テレは1989年10月、日曜朝8時から徳光和夫さんを起用して「ザ・サンデー」を始めました。「遠くへ行きたい」はさらに早朝7時30分に移動。スタッフはさすがにここまで早朝の放送になったら旅番組としては見ていただけなくなるのではととても心配したんです。<br /><br />だからと言って「遠くへ行きたい」のつくり方をかえるつもりもありませんでした。当時から番組でやらないことというのが暗黙の決まりとしてありました。例えば「テロップを多用しない」。必要最低限の人の名前などだけしか入れない。しかも白地でしか入れない。CMに行くまでに「このあとは・・」と視聴者を煽るような演出は絶対しないなどなど。<br /><br />そんなこだわりも頑固に守り、時間帯も早くなり、どうなることかと思ったところ、さらに視聴率はアップしたんです。日テレ幹部は7時30分にもこんなに視聴者がいる!となったわけです。<br /><br /><img src="http://blog-imgs-60.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20130601000538736.jpg" alt="懇親会" border="0" width="430" height="323" /><br>     講演会後の懇親会にて・・・<br /><br /><br />当時朝7時からは、他局が子供向けアニメ番組を流す中、日テレは所ジョージさんの「所さんの目がテン!」を編成し、大人向けの編成を貫いていました。これが視聴率を高める効果に拍車をかけていたんです。<br /><br />しかし他局の子供向けアニメ番組も無視は出来なくなって行きます。その理由の一つは、アニメ番組は視聴率はなかなか取れないものの、キャラクターグッズなどの権利収入が稼げるということがあったわけです。日テレも所さんの番組を他へ移して、7時からはアニメにした時代もありました。結果、前番組の視聴率が悪いと、そのあとの番組もなかなか良くならないということで「遠くへ行きたい」の視聴率は低迷していきます。ここ数年は3~4%程度を行ったり来たりの状況でした。<br /><br />そしてついに「遠くへ行きたい」(東京)は2013年(今年の)4月、朝5時30分からの枠に移動となりました(読売テレビは7時からで続けられています)。もうこれで視聴者も付いては来れまいと思ったところ、意外に良い視聴率を獲得。<br /><br />ということで「遠くへ行きたい」は、視聴率戦争のなかで、いろいろ揉まれた結果、日曜時間帯の視聴者の開拓を40数年にわたってすることになったわけです。今日の話の中から、少しでもみなさんに、大人が楽しめる面白い番組はどういったものかがわかっていただけたら光栄です。<br /><br />私はつい先日、朝5時30分にテレビを見る、という行為がどのような感触なのかを実体験してみたんです。これが意外に朝から明るくて気持ちいい。さらに一日が長く使えていいことづくめ。みなさまも、日曜は朝早く起きて「遠くへ行きたい」を見て、一日を有効に使ってみてはいかがでしょう。(まとめ:土屋夏彦 '80理電)<br /><hr size="1" /><br /><strong><span style="font-size:large;">紀尾井の森カルチャー倶楽部とは</span></strong><br /><br />上智大学の創立100周年を記念して、マスコミ・ソフィア会としてこれまで行ってきた母校発展のための活動に加え、私どもの培ってきた知恵や力を、卒業生や上智大学関係者はもとより、広く近隣のみなさまとも分かち合おうと開校したプチカルチャースクールです。現在の約1000名のマスコミ・ソフィア会会員には、マスコミを中心に、いずれも様々な分野で偉業を成し遂げてきたツワモノぞろい。ツワモノらの貴重な体験談や生の声をお伝えすることで、少しでも皆さまの人生のお役に立てればと考えております。
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第22回コムソフィア賞受賞者特別講演(ダイジェスト版)

コムソフィア賞授賞者特別講演(ダイジェスト版)日時:2012年6月30日(土)15:00~17:00場所:上智大学四ツ谷キャンパス 9号館地下カフェテリア当日の3名の受賞者の特別講演内容をダイジェストでご紹介します。※総会および授賞式の模様はこちらを御覧ください。  我謝京子氏 三森ゆりか氏  信長貴富氏■「ニューヨークから世界に発信する日本の震災復興」我謝京子さんロイターで唯一の日本人女性テレビ記者として活躍する傍ら... コムソフィア賞授賞者特別講演(ダイジェスト版)<br /><br />日時:2012年6月30日(土)15:00~17:00<br />場所:上智大学四ツ谷キャンパス 9号館地下カフェテリア<br /><br />当日の3名の受賞者の特別講演内容をダイジェストでご紹介します。<br />※総会および授賞式の模様は<a href="http://cumsophia.blog106.fc2.com/blog-entry-182.html" title="こちらを御覧ください">こちらを御覧ください</a>。<br /><table><tbody><tr><td><img src="http://blog-imgs-44.fc2.com/c/u/m/cumsophia/2012070216130135d.jpg" alt="我謝氏" border="0" width="100" height="100" /></td><td><img src="http://blog-imgs-44.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20120702161310d7d.jpg" alt="三森氏" border="0" width="100" height="100" /></td><td><img src="http://blog-imgs-44.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20120702161318ec8.jpg" alt="信長氏" border="0" width="100" height="100" /></td></tr><tr><td>  我謝京子氏</td><td> 三森ゆりか氏</td><td>  信長貴富氏</td></tr></tbody></table><br /><hr size="1" /><span style="font-size:large;">■「ニューヨークから世界に発信する日本の震災復興」我謝京子さん</span><hr size="1" /><br />ロイターで唯一の日本人女性テレビ記者として活躍する傍ら、映画「母の道、娘の選択(Mothers'Way, Daughters'Choice)」を監督し、世界に向けて女性の視点で捉えた作品を数々発信している我謝京子(がしゃ きょうこ)さん。<br /><br />まずは、TBSニュースバード用に取材した番組を例に、「日本語版」としての表現手法と、「英語版」の表現手法の違いを紹介してくださいました。日本語版の場合は、自分(レポーター)が画面に登場して親しみを醸しだすと共に「まじめ」に「丁寧」に紹介することが望まれますが、英語版では、レポーターの登場など親しげな演出はかえって逆効果となり、それよりも取り上げた主題の主旨を強調するとともに、その紹介に「ユーモア」や「ウイット」が要求されるのだそうです。実際にそれぞれの映像を見てみると、その違いは歴然でした。<br /><br /><img src="http://blog-imgs-44.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20120702155105bc6.jpg" alt="我謝さん講演" border="0" width="430" height="288" /><br />我謝京子氏<br /><br /><br />話は、今回の受賞のきっかけにもなった、ドキュメンタリー映画「3.11ここに生きる」の話題に。<br /><br />たまたま、『母の道、娘の選択』の上映のために沖縄に行ったときに、東日本大震災が起こったそうです。ニューヨークでの9.11の怖かった経験が頭をよぎり、テロと地震は似ていると感じたと言います。このまま取材を続けたいと思ったそうですが、NYに娘を残したままだし、ロイターで日々担当している株情報番組も待っていた。そこで一度はNYに戻ったそうです。<br /><br />その後、ある方からメールを頂き、『母の道、娘の選択』のように、日本がどうやって復興してゆくかを女性の視点で映画にしてみませんかというお誘いをいただくことになります。これがきっかけで、被災地の福島で『母の道、娘の選択』の上映会が実現し、現地の方々とのコミュニケーションを通じて、ドキュメンタリー映画「3.11ここに生きる」を製作することを決心するに至ります。<br /><br />映画は、被災地の女性にスポットを当て、被災から立ち直るために力強く生きる様をインタビュー形式で綴っています。我謝さんは、これを撮影するために、福島から宮城までを旅したとき、瓦礫の中に、炊飯器やおたま、赤ちゃんのものなど、生活用品が次々と目に飛び込んでききたそうです。それを見て、彼らの日常は、あの日のあの瞬間にすべてが流されたんだと改めて自覚をされたそうです。<br /><br />その強烈な印象から、今回のドキュメンタリーにナレーション(映像の補足のために声で解説すること)は一切入れないことにしようと決めたそうです。地元の女性の生の声と生の映像以上の伝達手段や手法はない、と感じたそうです。<br /><br />結果、素晴らしい作品が仕上がり、昨年10月の第24回東京国際女性映画祭で発表することができ、その後カナダ・バンクーバー、台湾やソウルでも上映され、今後はアメリカほか世界各地での上映も決まっているとのことです。<br /><br />最後に我謝さんからメッセージ。<br /><br />私たちは、過去には戻れません。また、これから何が起きるかもわかりません。すなわち「今を生きる、今を描く」これが私たちが選択できる唯一の道だと思います。私は「今を生きる人達を描こう」と思います。これからも応援宜しくお願いします。<br /><br /><br /><hr size="1" /><span style="font-size:large;">■「英語教育より母語教育を ーこれからの日本に必要な言語教育」三森ゆりかさん</span><hr size="1" /><br />冒頭で、会場のみなさんに「小学校の国語の時間に何を学習したか」を聞くことから講演が始まりました。<br /><br /><br /><img src="http://blog-imgs-44.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20120702155321f6b.jpg" alt="三森氏講演" border="0" width="430" height="288" /><br />三森ゆりか氏<br /><br /><br />ほかの講演会でも、ほとんの方が「漢字」や「文法」と答えるそうです。ところが欧米で同じ質問をすると、みなさんは「対話」や「作文」「読解」と答えるのだそうです。ここに日本の言語教育の問題点があるのだそうです。<br /><br /><img src="http://blog-imgs-44.fc2.com/c/u/m/cumsophia/201207021554292bb.jpg" alt="日本の母語教育" border="0" width="430" height="288" /><br />日本の母語教育(三森氏資料より)<br /><br /><br />三森さんも親の仕事の関係でドイツに移住したとき、ドイツでの授業でドイツ語で「議論」したり「作文」を書いたりすることにとても苦労されたそうです。そのとき皆さんが思うのは、日本語はほかの言語と並びが違うとか文字も違う、だから言葉を習得するのに苦労するのだと・・・。ところが、三森さんはそのドイツで驚くべき経験をされることとなります。<br /><br />自分以外の母語がドイツ語ではない生徒は、いともたやすく「議論」や「作文」に馴染んでくるのだそうです。並びや文字が違おうとも、細かい単語もわからなくても、言葉を効果的に使いこなす技術=言語技術(Language Arts)は、みなさんすでに学ばれていて、その技術は母語が違っても同じだからなのだそうです。特に日本人に足らないのは「クリティカル・シンキング(論理的思考)」だそうです。<br /><br />日本ではすでに昭和初期より「言語技術」という言葉が翻訳され、辞書に紹介されているそうです。しかしながら、その理論はまったく教育現場に取り込まれてこなかったのだそうです。そんな中、海外では言語技術の習得はグローバルスタンダードになっていたわけです。<br /><br /><img src="http://blog-imgs-44.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20120702155648bdd.jpg" alt="言語技術の上に母語教育" border="0" width="430" height="288" /><br />日本の言語教育の構造を表現する図(三森氏資料より)<br /><br /><br />「Language Arts」ですが、日本語の翻訳は「技術」となっていますが、「Arts」なので、今で考えれば「茶道(Language Tea)」と同じ「道」があてはまるようです。すなわち「言語を使いこなす道」こそが「母語教育」につながるのだそうです。<br /><br />三森さん曰く、これからの日本での言語教育は、世界共通の言語技術の上に立って、母語教育(国語教育)や外国語教育をしていかなければならないと考えているそうです。少しでも早く日本の教育現場に、そういった言語技術や母語教育が根付くよう指導を続けています。みなさんのご協力をよろしくおねがいします。<br /><br /><br /><br /><hr size="1" /><span style="font-size:large;">■「日本語のオトと音楽」~合唱曲の魅力~ 信長貴富さん</span><hr size="1" /><br />大学卒業後、市役所勤務を経て、作曲家として独立。作曲は独学だそうです。在学中にも全日本合唱連盟の主催する「朝日作曲賞」に何度も入選するなど、合唱活動を長く続けていたこともあり、作品は合唱曲が多いとのこと。また現在では、歌曲や器楽曲にも積極的に取り組んでいるとのこと。<br /><br /><br /><img src="http://blog-imgs-44.fc2.com/c/u/m/cumsophia/2012070215584888b.jpg" alt="信長氏講演" border="0" width="430" height="288" /><br />信長貴富氏<br /><br /><br />そんな中、彼が最も興味があるのが「日本語の詞や歌」。言葉の意味や響きから音楽や旋律を導きだすことを手がけているのだそうです。例えば、わらべうた「ひらいたひらいた」を見ると、関東と関西で歌の旋律が全く違うことがわかります。これは、明らかに「ひらいた」という言葉や「れんげ」だったり「はな」だったり、それぞれの言葉の持つ意味や響きが、関東と関西で違っていることを表しているのだそうです。<br /><br /><br /><img src="http://blog-imgs-44.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20120702155933453.jpg" alt="ひらいたひらいた" border="0" width="500" height="203" /><br />わらべうた:ひらいたいらいた(A:関東での音階、B:関西での音階)<br /><br /><br />こう言った、言葉の音の高低に対して、日本語の特徴として「モーラの等時性(モーラ:拍子=長さが同じ)」というのがあるそうです。例えば「の/ぶ/な/が」それぞれの一文字の長さは同じ。日本語は、モーラは同じだが、音の高低で意味が変わる言語なのだそうです。<br /><br />音楽では、この言葉の高低に合わせて旋律を作るとより「口語的」な音楽が出来上がり、それを変化させることでより「抽象的」「前衛的」なものになるのだそうです。<br /><br />信長さんは、そんな手法を使いながら「うたの世界」と「語りの世界」の融合を試みているのだそうです。その代表作でもある「特攻隊戦死者の手記による」という作品を例に、彼の追求する音楽の世界が紹介されました。<br /><br />信長さん曰く、音楽を日本語で表現しようとすると「歌わずにはいられない」のだそうです。彼のこれからの活躍に大いに期待したくなる記念講演でした。(文:土屋夏彦 '80理電)
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高祖敏明上智学院理事長が語る今後の上智大学

~グローバル・ネットワークの強化が課題と語る~日時:3月2日(金)14時~15時30分場所:上智大学2号館4階会議室参加者:上智学院:高祖敏明理事長 須田誠一総務局長マスコミソフィア会:磯浦康二幹事長、新田三千典副会長、向山肇夫幹事、加藤春一幹事、松村裕幸幹事 2013年に創立100周年を迎えるにあたって上智大学の高祖理事長は、上智大学の将来はグローバル・ネットワークをいかに強化、拡大していくかにあるなど、展望と... <span style="font-size:large;">~グローバル・ネットワークの強化が課題と語る~<br /></span><br />日時:3月2日(金)14時~15時30分<br />場所:上智大学2号館4階会議室<br />参加者:<br />上智学院:高祖敏明理事長 須田誠一総務局長<br />マスコミソフィア会:磯浦康二幹事長、新田三千典副会長、向山肇夫幹事、加藤春一幹事、松村裕幸幹事<br /><br /> 2013年に創立100周年を迎えるにあたって上智大学の高祖理事長は、上智大学の将来はグローバル・ネットワークをいかに強化、拡大していくかにあるなど、展望と抱負を語った。これは3月2日のマスコミソフィア会の幹事との懇談で明らかになったもので、高祖理事長の発言要旨をお伝えしたい。<br /><br /><span style="font-size:large;">▲卒業生のつながりを縦から横への広がりへ</span><br /><br /><img src="http://blog-imgs-44.fc2.com/c/u/m/cumsophia/2012031122274258f.jpg" alt="高祖敏明上智学院理事長20120302" border="0" width="430" height="320" /><br />高祖敏明理事長<br /><br /> 上智の卒業生のつながりは、所属していた学科やクラブといった縦の関係は強い。しかし、横のつながりが弱いのではないか。ソフィアンズ全体の広いネットワークがこれからますます必要になってくる。グローバルな時代の中で、核になる人間を軸にして、点から線へさらに面への広がりを目指していきたい。<br /><br /> 特に、海外で長く生活し、その存在感を高めているソフィアンは数多くいると思う。残念ながら、大学はその実態を十分には把握できていない。昨年、上智大学副学長だったオロリッシュ神父がルクセンブルグ大司教に叙階された。そのときにルクセンブルグを訪れたが、さまざまなネットワークと強い発信力を使ってルクセンブルグで活躍されている卒業生にお会いした。世界でソフィアンが活躍していることを改めて実感させられた。<br /><br /> こうしたソフィアンはまさにAsset(大切な資産)である。卒業生が今、どこで、何をしているのかを早急につかむ必要がある。既にグローバル・ネットワークが日本で一番進んでいる上智がさらにそれを拡大していきたい。<br /><br /><span style="font-size:large;">▲大学のグローバル化=祖師谷国際交流会館を開設<br /></span><br /> グローバル化とはアメリカ化とは違う。宗教、国籍、国境等を越え、異文化を持つ人たちとどのように共生していくかである。<br /> <br /> 上智大学のグローバル化については、まず市ケ谷にあった国際部(現国際教養学部)を四ツ谷へ移転し、四ツ谷キャンパスをさまざまな人々が集まり異文化体験のできる「地球の縮図」とした。そして、この4月からは、外国人留学生と日本人学生が寝食を共にし、日常生活の中でも異文化交流体験を進めることのできる祖師谷国際交流会館を開館する。<br /><br /><span style="font-size:large;">▲東日本大震災への対応<br /></span><br /> 2011年度は、卒業生の皆様のご協力や海外からの支援を含め、約1億円の義捐金が集まり、被災地出身の在校生(約100名)の授業料減免・生活支援や入学志願者(約300名)の受験料免除等といった支援を行った。こうした支援は継続して続ける必要があり、今後も卒業生からの財政支援をお願いしたい。<br /><br /><span style="font-size:large;">▲創立100周年で多彩な記念事業<br /></span><br /> 2013年11月1日の創立記念日は、午前にイグナチオ教会にてミサ、午後に東京国際フォーラム(有楽町)で式典、夜はホテルニューオータニで祝賀会を行う。これ以外にも、さまざま創立100周年記念事業が既に実施されている。また、新たな企画についても準備を進めている。<br /> <br /> 記念事業については、大学だけで企画・運営するのではなく、ソフィア会やマスコミソフィア会など多くの方々に協力していただきたいと考えている。特にマスコミソフィア会には、その高い発信力を発揮するような役割を担っていただくこともできるのではないかと期待している。<br /><br /><span style="font-size:large;">▲2012年は理工学部が創設して50周年<br /></span><br /><img src="http://blog-imgs-44.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20120311222932d54.jpg" alt="高祖理事長と懇談するマスコミ・ソフィア会幹事" border="0" width="430" height="320" /><br />高祖理事長と懇談するマスコミ・ソフィア会幹事たち<br /><br />2012年は紀尾井の地にキャンパス用地を確保して100周年、1号館が完成して80周年、そして理工学部創設50周年となる。そういった意味では2012年も記念すべき節目の年であり、単なるプレ100周年という意味合いだけでなく、重要な年であることを学内外の人々に広く知ってもらい、100周年に向けて機運を盛り上げていきたい。<br />(文 磯浦康二 '57文新)
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【特別講演会】9.11から10年・現場取材からの報告 福永佳津子氏

マスコミソフィア会・11月特別講演会2012/01/15テーマ:~海外で日本人が事件事故に出遭うということ~    「 9.11から10年・現場取材からの報告」日時 :2011年11月17日(木) 18時30分~21時(四ツ谷・ソフィアンズクラブ)講演者:福永佳津子(ふくながかつこ)さん('71年文英卒)    海外邦人安全協会理事・海外生活カウンセラー参加者:22名講演会での福永氏▼TVを見て、すぐにニューヨークの現場へ□福永佳津... マスコミソフィア会・11月特別講演会<br />2012/01/15<br /><br /><table border="1" cellspacing="5" cellpadding="5" width="540"><tr><td>テーマ:~海外で日本人が事件事故に出遭うということ~<br />    「 9.11から10年・現場取材からの報告」<br />日時 :2011年11月17日(木) 18時30分~21時(四ツ谷・ソフィアンズクラブ)<br />講演者:福永佳津子(ふくながかつこ)さん('71年文英卒)<br />    海外邦人安全協会理事・海外生活カウンセラー<br />参加者:22名</td></tr></table><br /><img src="http://blog-imgs-44.fc2.com/c/u/m/cumsophia/DSC_0036_R.jpg" alt="DSC_0036_R.jpg" border="0" width="430" height="288" /><br />講演会での福永氏<br /><br /><span style="font-size:large;">▼TVを見て、すぐにニューヨークの現場へ<br /></span><br />□福永佳津子さんは、2001年9月11日に事件が発生したときには、ご主人の赴任先インドネシアからご一緒に、日本に一時帰国されていた。9.11のニュース報道を見た瞬間、自分はすぐにニューヨークに行かなくては、と思ったという。もともとニューヨークで6年生活し、「WISH」という世界各国の言語による電話相談室カウンセラーもしていた福永さんは「自分のライフワークはニューヨークで困っている日本人を助けることと思っていたので、すぐにNY日本総領事館に電話をし、現地に自費で行くことにしました」と語る。<br /><br />□そのレポートは本ホームページに<a href="http://cumsophia.blog106.fc2.com/blog-entry-120.html" title="「9.11ニューヨークテロから10年 日本人であることを痛感した悲劇」">「9.11ニューヨークテロから10年 日本人であることを痛感した悲劇」</a>という題で以前に寄稿くださっている。(クリックで参照)<br /><br />□今回の講演では、その詳細と海外での危機管理について掘り下げた形となった。深刻なテーマだったにも拘わらず、福永さんのユーモアあふれる語り口で911を身近な話として捉えることができた。また海外旅行に気楽に行く人が多い中、個人の「危機管理」に対する姿勢やメディアの視覚的扱い方についても大変考えさせられる内容であった。<br /><br /><span style="font-size:large;">▼1泊19ドルのドミトリ―で取材活動開始</span><br /><br />□ニューヨーク到着後、1泊19ドルのバックパッカ―用の宿「ドミトリ―」での滞在が始まった。現地の生の情報が高級ホテルに泊まるより入りやすいし、貴重な出会いもあり、その選択は正しかったという。<br /><br />□福永さんは、当時読売新聞にコラムを書いていたので、ニューヨークに滞在している旨をデスクに報告したところ、「君を信用するから現地で目にすることを何でも記事にしてほしい」という返事が返ってきた。自分に一任をしてくれたその言葉に励まされ、一般のメディアでは伝えられていない現地での取材活動がスタートした。<br /><br />□しかしパソコンも持たずに来たので、原稿を書くことも送ることもなかなか大変だった。サイバーカフェに1台だけあるという日本語対応のPCも見つけたものの、途中で故障したため、自宅に国際電話をして口述するなど思わぬ苦労が続いた。努力が実り、9日間「ニューヨーク日誌」は連載され、2001年10月3日の読売新聞朝刊には、帰国報告も掲載された。成田から帰国した日に徹夜で書き上げた原稿だった。<br /><br />□福永さんは、ドミトリーで日本人の看護士の女性と出会い、現地のレッドクロス(赤十字)に登録し、夜はボランティアとしても活動をした。米国では、きちんとした身分証明書の確認が行われ、登録をすれば、だれでも自分の能力を提供できる機会があるのだ。<br />「現地で当時勉強をしていたその看護士の今後の活躍に注目したい」とつけ加えられた。<br /><br /><img src="http://blog-imgs-44.fc2.com/c/u/m/cumsophia/img029-s.jpg" alt="img029-s.jpg" border="0" width="430" height="297" /><br />レッドクロス(赤十字)ボランティアの人と身分証明書<br /><br /><span style="font-size:large;">▼安全が当たり前の海外旅行?</span><br /><br />□「9.11ニューヨークテロから10年」のHP報告にあるように、日本では伝えられなかったが、セカンドパールハーバーと揶揄して言われ、直後は日本人に、そして、すぐにもアフガニスタン系住民に対して差別的な眼が向けられ、嫌がらせが始まった。<br /><br /><img src="http://blog-imgs-44.fc2.com/c/u/m/cumsophia/img022-s.jpg" alt="img022-s.jpg" border="0" width="430" height="296" /><br />アフガニスタン系タクシー運転手を客が選ばず、路上で口論になった様子<br /><br /> □そのような緊迫した現実の中、ツアーガイドの旗だけを頼りに行動していた日本人団体観光客が全便欠航命令を受けて、急に帰りのフライトがキャンセルになり、大混乱になったことや、たまたま9月11日に「ペンタゴン」で見学ツアーをしていた日本人主婦グループが被災した話も披露された。また、ホットラインで電話対応をしていた福永さんは、電話の内容は明かせないが、自分の家族の渡米先もきちんと把握せずに、安易に総領事館に電話をしてくる人が多かったことやドミトリ―の受付には、同じように日本の家族から日本人宿泊者への電話が殺到したことにも触れた。<br /><br /><img src="http://blog-imgs-44.fc2.com/c/u/m/cumsophia/img015-s.jpg" alt="img015-s.jpg" border="0" width="430" height="296" /><br />ペンタゴンツアーの最後のチケット<br /><br /> □このような話から「安全なのが当たり前の海外旅行」と安易に考え、「想定外」の事態を全く考えていない日本人旅行者ののんびりした感覚と危機管理能力のなさが浮き彫りにされた。最低限、自分の訪問している土地の地理、現地通貨の準備、重要な連絡先、急にフライトがなくなったときの延泊手続きの方法等は、おさえておかないといけないし、日本の留守家族もきちんと海外連絡先を把握しておく必要がある。<br /><br />□当時、2日後には米国側がハドソン川に船をつけ、無料の宿泊施設と多言語(含日本語)ボランティアを用意したというが、このような現地の支援情報も観光客は知るすべもなく、日本人の利用者は一人もいなかったという。<br /><br /><span style="font-size:large;">▼「現地主義」のきびしい現実</span><br /><br />□海外で個人に何かあった時は、「現地主義」というのが原則である。つまり「郷に入れば郷に従え」であるが、日本人個人の遺族にとって厳しい現実である。<br /><br />□2011年9.11から10年を迎え、ニューヨークでスピーチをした13歳の少年のことを知っているだろうか。その祖父にあたるS氏は、9.11で息子さんを亡くされ、その事後処理のため、老後のための蓄えをほとんど使いきったそうだ。書類の翻訳や現地での通訳をはじめ、渡航費用等はすべて個人負担であり、公的援助は一切ないからだ。<br /><br /><!--<img src="http://blog-imgs-44.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20120115122959435.jpg" alt="新聞記事" border="0" width="430" height="362" /><br />13歳の少年のスピーチ記事写真--><br /><br /> □レッドクロス(赤十字)は事件から5年間、911に遭遇したために心のケアが必要となったすべての人に対して、かかった治療費の一部を援助するプロジェクトを展開した。ニューヨークのレッドクロスでもボランティア活動をした福永さんは、帰国してしまった日本人受給対象者にレッドクロスのプロジェクトを説明する会を開くべく、新聞にその告知を掲載した。ところが、その会場にはほとんどだれも来なかった。いらしたのはご遺族の数名で、おひとりが墜落した4機目のUA93便に乗っていた息子さんを亡くされたお母さんだった。「9.11ニューヨークテロから10年」のHP報告にある日の丸国旗を徹夜で縫い上げ息子を送り出したというエピソードもあったが、福永さんが「息子さんのことを新聞で知り、本当に心配していた。」と話しかけたところ、そのお母さんは、「そんなに心配してくれるならどうして私を探し出して、救いの手を差し伸べてくれなかったのか」とわっと泣き出した。もちろん福永さんはNYの現場にいて、直接手助けはできなかったのだが、マスコミに息子さんの死は取り上げられたが、英語もわからず、渡米経験もない一人残された母親は、ただ途方にくれていたことに心を寄せた人はいたのだろうか。翻訳等、実質的に彼女を援助する人は、ほとんどいなかったらしい。<br /><br />□「この母親の叫びは当然のこと。海外で何かあったときにそれを助けるのは一体だれなのか?」と福永さんは会場に問いかけた。<br /><br />□講演では、結論は出なかったが、遺族には、金銭的にも厳しい現実が待ち受けていることは、まぎれもない事実である。<br /><br />□「海外では、自分が日本人であるという意識を持っていないといけない」と、福永さんは強調された。例えば、小泉首相がブッシュ大統領と握手を交わしたとたん、日本人は反イスラムの立場を表明したと解釈され、その影響により、事件に巻き込まれる可能性が高いからだ。実際、直後にイスラム圏で日の丸が燃やされる事件が起きたそうだ。<br /><br />□危機管理のエピソードとしてさらに、こんな話も紹介された。日本では、子どもを一人で留守番させてもよいとされているが、米国では、12歳になるまでは親が子どもから目を離すことが許されず、親が身をもって危険とは何かを教え、自分で危機管理ができる人間に育てるそうだ。ちなみに例えば、駐車場の車に幼い子どもを放置して親がその場を離れたり、幼い子ども一人で留守番をさせると、米国では養育義務放棄、児童虐待となり、実際、罪を問われたた日本人家族もいるという。<br /><br />□「日本では津波を想定した訓練も、集団行動での訓練はあるが、子ども本人が、どのようにして目の前の危機を脱するかを考え行動することを教えないことはおかしい」と、福永さんは指摘した。家庭や教育の現場では、団体旅行の観光客と同じで、旗をもった先生についていけばよいとしか教えられないのだろうか。<br /><br /><span style="font-size:large;">▼子どもの心の傷に配慮するメディア</span><br /><br />□最後に福永さんはメディアの画像の流し方についても触れた。<br /><br />□ニューヨークタイムズには事件後すぐに「親として子どもにこの事件をどのように伝えるのか」というメッセージが出ていたという。子どもの心のケアの問題である。テレビでは、ショッキングなビル倒壊の様子が繰り返し生々しく放送されたが、無心な子どもは親のそばでその場面を一緒に見ているのだ。事件以降、過食症のようになったり、ビルに見立てた段ボールに飛行機をぶつけて遊ぶ子どもに対してどのように対応したらよいかという相談に触れて、メディアに放映の際の配慮が必要と福永は強調した。<br /><br />□2011年3.11の津波の映像も日本のメディアは流し続けた。本論からそれるが、2011年12月12日に上智大学ソフィア会主催の我謝京子氏(映画監督・ロイター記者、ニューヨーク在住)の講演会http://www.sophiakai.gr.jp/news/event/2011/2011121201.html で、この問題について私は質問をした。我謝氏自身、9.11当時、現地にいた方であるが、「アメリカの放送局では、9.11の記録番組が放送される前には、ウォーニング(注意)『これからの番組にはショッキングな画像が含まれますが、見ますか?』が表示され、視聴者は選択することができる」という。見たくない人は、別のチャンネルにすればよいのだが、日本ではそのような配慮は見たことがない。事実を隠すということではなく、子どもたちの心への影響を十分に配慮し、視聴者に選択の余地を与える工夫があってもよいのではないだろうか。<br /><br />□福永さんの講演会は、日本人建築家の慰霊碑(スタッテンアイランド)やインドネシアで国外退去した時の話題等、質問も含め、大変盛りだくさんの内容で、しかも、人をあきさせなかった。<br /><br /><img src="http://blog-imgs-44.fc2.com/c/u/m/cumsophia/Photo5-s.jpg" alt="Photo5-s.jpg" border="0" width="430" height="290" /><br />日本人建築家(曽野正之氏)の慰霊碑(ポストカード)<br /><br /><span style="font-size:large;">▼感想</span><br /><br />□年末の12月29日19時からの「『世界を変えた日 The Day that Changed the World』=NHK/Brook Lapping (イギリス2011年) 国際共同制作=」という9.11のドキュメンタリー番組を偶然BS放送で見た。米国側の政府高官等のインタビューが中心であったが、ジュリアーノN.Y.元市長が、「遺体を入れる布袋はあまり必要なかった。遺体のほとんどは原形をとどめていなかったから」と沈痛な面持ちで語る場面や墜落した一般人を乗せた4機目に対してブッシュ元大統領がミサイル攻撃を許可する苦渋の決断をした部分も、以前はテレビ番組として見ていた私だったが、講演会の遺族の話題と重なり、犠牲者のことを思い悲痛な気分になった。そして、この番組は、米国のように、事前のウォーニング画面もなく放送されていた。(報告:山田洋子 '77外独)<br /><br /><img src="http://blog-imgs-44.fc2.com/c/u/m/cumsophia/DSC_0057_R.jpg" alt="DSC_0057_R.jpg" border="0" width="430" height="288" /><br />講演後に歓談するコムソフィアンと福永氏<br /><br /><hr size="1" />※文中注釈「アメリカ同時多発テロ事件」で犠牲となった日本人は24名。4機の旅客機がハイジャックされ、2機が世界貿易センタービル(WTC)へ、1機は国防総省(ペンタゴン)に激突した。4機目のハイジャック機「UA93便」は映画にもなったが、ワシントンに向かう途中、ペンシルバニアで墜落した。」<br /><br />福永佳津子氏プロフィール<br /><br />福永佳津子氏 71年文英卒。在ニューヨーク6年。マンハッタンビルカレッジで修士号取得。帰国後は海外生活カウンセラーとして講演、執筆多数。NHK趣味悠々「サトウサンペイと楽しむ海外旅行術(ロングステイ)」講師など。著書に「ある日海外赴任」「アジアで暮らすとき困らない本」など。海外邦人安全協会理事。ロングステイ財団政策審議会委員。
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【特別講演会】いま日本が理解すべきオープンソースムーブメントとは ~ LPI-Japan理事長・成井弦氏

テーマ:「いま日本が理解すべきオープンソースムーブメントとは」日時 :2011年9月8日 18時30分~21時(四ツ谷・ソフィアンズクラブ)講演者:Linux Professional Institute Japan(LPI-Japan)理事長・成井弦氏参加者:31名■いま日本が理解すべきオープンソースムーブメントとは9月8日(木)、マスコミソフィア会9月講演会が四ツ谷ソフィアンズクラブにて開催されました。今回の講演者は、長年IT業界で人材育成に携わり、約10... <table border="1" cellspacing="5" cellpadding="5" width="480"><tr><td>テーマ:「いま日本が理解すべきオープンソースムーブメントとは」<br />日時 :2011年9月8日 18時30分~21時(四ツ谷・ソフィアンズクラブ)<br />講演者:Linux Professional Institute Japan(LPI-Japan)理事長・成井弦氏<br />参加者:31名</td></tr></table><br /><hr>■いま日本が理解すべきオープンソースムーブメントとは<hr><br />9月8日(木)、マスコミソフィア会9月講演会が四ツ谷ソフィアンズクラブにて開催されました。今回の講演者は、長年IT業界で人材育成に携わり、約10年前から、世界で利用されているリナックスOSの技術者を養成するLinux Professional Institute Japan(LPI-Japan)の理事長を務めておられる成井弦氏。<br /><br /><img src="http://blog-imgs-34.fc2.com/c/u/m/cumsophia/aDSC_0023_R.jpg" alt="naruisan1" border="0" width="430" height="288" /><br />(写真:成井氏)<br /><br />いまなぜ、リナックスOSのような「オープンソース」=「技術情報など、今までは秘密にした方がメリットが有った情報などのオープン化」が日本にとって重要なのか。世界的なオープンソースムーブメントに、日本はどう乗り切ってゆくべきかについて、余す所なく講演いただきました。<br /><br />講演の内容をダイジェストでご紹介します。<br /><hr>■インターネットはどのように始まったか・・・<hr><br /><img src="http://blog-imgs-34.fc2.com/c/u/m/cumsophia/aDSC_0025_R.jpg" alt="meeting1" border="0" width="430" height="288" /><br />(写真:講演会の模様)<br /><br />成井氏が最初に取り上げたことは、インターネットの成り立ちについてでした。<br /><br />およそ今から40年前の1969年、アメリカの国防省が、旧ソ連などの諸外国から攻撃を受けても、瞬時に迂回路を探せる安全なネットワークを構築します。ここで開発されたすべてのネット技術について、国防省は知的所有権を持たず、世界に向けて「オープン化」しました。このネットワークがその後、現在のインターネットに発展し、他国も同じ規格でネットワークを構築できたため、全世界が共通のインターネットでつながる結果となりました。成井氏は、逆に、米国がオープン化しなかった場合、世界各国の規格が別々になり、現在のようなインターネットは存続しなかった事を強調されました。<br /><br />アナログテレビ放送の通信規格(NTSCやPAL)なども例に挙げ、オープン化することがいかに世界社会に大きな貢献をすると同時に利益をもたらしているかを訴えられました。<br /><br />そして話は、オープンソースのシンボルともいえる「Linux(リナックス)OS」へ。1980年代、企業コンピュータの一般的なオペレーティングシステムだったUNIX(ユニックス)と同等の使用環境を提供できるように、フィンランドのヘルシンキ大学在学中だったリーナス・トーバルズ(Linus Torvalds)氏が、1991年、開発したのが「Linux(リナックス)OS」でした。調べによれば、当時商用UNIXは高価であり、UNIXを模したオープンなOSも未開発の段階だったため、トーバルズ氏がオープンな環境で公開したことで、一気にLinuxに注目が集まり、様々な企業や大学がLinuxの開発の手助けをすることになったそうです。成井氏は、オープン化したことで多くの技術者がLinuxを更によくする事に参加し、そして良くなったLinuxが再配布されるというITエコロジー(改善→配布→改善)にもなったと語っています。<br /><hr>■オープンソースが持つ貢献競争の原理<hr><br /><img src="http://blog-imgs-34.fc2.com/c/u/m/cumsophia/ppt_file.jpg" alt="ppt_file" border="0" width="430" height="323" onclick="popupImage('http://blog-imgs-34.fc2.com/c/u/m/cumsophia/ppt_file.jpg')" /><br />(写真:Linuxの適用範囲とスケーラビリティ)※クリックで拡大<br /><br /> 現在LinuxOSが採用されている分野は、デジカメのような組み込みOSからスマートフォン、企業用サーバー、果てはいわゆるスーパーコンピュータに至るまで、幅広いスケーラビリティを持つシステムに成長しているということです。成井氏は、これは、オープンソースをより使いやすく、様々な用途に使えるようにし、そのことで便利な世の中を築いてゆく、そういった社会貢献に関わりたいという開発者の「貢献競争の原理」で成り立っている世界なのだと言います。ここで言う、貢献の競争とは大勢の技術者から無料で提供されるソフトの中で一番良いソフトのみが使用され、使用されたソフトの開発者には名誉も含めて多くのリワードがあるが故に貢献の競争原理が働くとの事でした。<br /><hr>■「Fee On Free」で利益を上げる方法<hr><br />次に、オープンソースムーブメントから派生したビジネスモデルとしてのFee On Freeに付いて成井氏はマイケルサンデル氏の「ハーバード白熱教室」を取り上げました。サンデル氏の「政治哲学」の講義は、Appleが運営する「iTunes U」という、世界約800の大学が各々の講義を公開しているサービスで無料で見ることが出来ます。公開する側の大学やサンデル氏からすると、お金のかかった貴重な講義を流す上、配信設備などの費用まで自前で持っているにも拘らず、なぜ無料で公開が出来るのか?<br /><br />つまり、iTunes Uで配信されるコースはすべてダウンロード(DL)の数でランク付けがされます。サンデル氏の講義は、長期に渡りDL数で上位に位置していました。<br />要するに貢献の競争の世界に於いてサンデル氏は上位にいた訳です。それ故にNHKが興味を持ち、「ハーバード白熱教室」として放映され、DVD化され、東大にサンデル氏を招きその模様を放送するなど、一大マイケルサンデルブームを作り出しました。これらの放映は当然の事ながらハーバード大及びマイケルサンデル氏に放映料が払われて実現しました。<br /><br />大学としても教授にしても良いコースを無料で世界に配信することにより、結果として有料のビジネスに結びつきます。また大学も教授も名誉が上がります。<br />またApple社も無料で優れたコースを配信することにより、iPod、iPhone、iPadが大量に売れます。これがFee On Freeの良い例だとの説明がありました。<br /><br />またグローバルで勝つためには、「貢献競争」に勝つつもりがなければ、そもそも、世界に出ることすらできていないのだと・・・。<br /><hr>■バザール方式と伽羅方式<hr><br /><img src="http://blog-imgs-34.fc2.com/c/u/m/cumsophia/aDSC_0033_R.jpg" alt="meeting2" border="0" width="430" height="288" /><br />(写真:講演会の模様)<br /><br />成井氏は、オープンソースの価値観は「バザール方式」が前提となっていると言います。ウィキペディアによれば、バザール方式とは、「複数の参加者により創造活動が行われる場合の手法の一つであり、参加者を限定せずに参加者の独自性を尊重し階層的な組織ではなく個人が中心となったルールや命令系統の少ない方法で進める手法であり、伽藍(がらん)方式に対比される方法である」・・と書かれています。<br /><br />つまりオープンソースの発展は、各々の開発者の「独自性や自主性」に懸かっているということなのです。しかしながら、現代の日本の各企業を見回すと、「伽藍方式」を採用している企業の多いこと。言われたことをきっちり実行することが企業の発展につながるという考え方が主流なのです。しかし、その考え方も、グローバル化の波が押し寄せる昨今、変化が起きていると言います。<br /><hr>■グローバル化のための人材育成とは<hr><br /><img src="http://blog-imgs-34.fc2.com/c/u/m/cumsophia/aDSC_0037_R.jpg" alt="naruisan2" border="0" width="430" height="288" /><br />(写真:成井氏)<br /><br />世界中で日に日に強くなる「貢献での競争」に勝つためには、技術者たりとも、「独自性や自主性」を重んじ、「バザール方式」の行動形態を身に付けた人材育成が急務であると、成井氏は語ります。成井氏が現在理事長を務める「Linux Professional Institute Japan(LPI-Japan)」は、世界に出てもやってゆける、そんな技術者の育成を技術者の認定活動を通じで行なっていると感じました。<br /><br />3月11日の東日本大震災による原発事故などで、いま注目を集める自然エネルギーや、それら電力の流れを供給側・需要側の両方から制御し、最適化できる送電網「スマートグリッド」の実現化。ここにもオープンソースムーブメントの考え方が大きな貢献をすると言います。<br /><br />世界で起きているオープンソースムーブメントを理解すること、これが、これからの日本社会の未来を築き上げる礎になることは間違いないでしょう。そのためにも、もっとマスコミでこのオープンソースムーブメントについて取り上げられるよう、我々も更なる努力をしなければならないと感じた講演会でした。<br />(取材・文:土屋夏彦 '80理電)<br /><hr>(リンク)<br /><strong>LPI-J</strong><br /><a href="http://www.lpi.or.jp/" target="_blank" title="http://www.lpi.or.jp/">http://www.lpi.or.jp/</a><br /><strong>Linux</strong><br /><a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/Linux" target="_blank" title="http://ja.wikipedia.org/wiki/Linux">http://ja.wikipedia.org/wiki/Linux</a><br /><strong>iTunes U</strong><br /><a href="http://www.apple.com/jp/education/itunes-u/" target="_blank" title="http://www.apple.com/jp/education/itunes-u/">http://www.apple.com/jp/education/itunes-u/</a><br /><strong>バザール方式</strong><br /><a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%82%B6%E3%83%BC%E3%83%AB%E6%96%B9%E5%BC%8F" target="_blank" title="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%82%B6%E3%83%BC%E3%83%AB%E6%96%B9%E5%BC%8F">http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%82%B6%E3%83%BC%E3%83%AB%E6%96%B9%E5%BC%8F</a><br /><strong>スマートグリッド</strong><br /><a href="http://www.kankyo-business.jp/topix/smartgrid_01.html" target="_blank" title="http://www.kankyo-business.jp/topix/smartgrid_01.html">http://www.kankyo-business.jp/topix/smartgrid_01.html</a>
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【特別講演会】東京エグゼクテイブ・サーチ株式会社副社長 加藤春一氏

演題:「能力Qとこれからのエネルギー関係の経営者像」~東電経営陣の問題点は?~日時:2011年5月26日(木)18:30~20:30場所:上智大学ソフィアンズクラブ講演者:東京エグゼクテイブ・サーチ株式会社副社長 加藤春一('68経経)参加者:33名 今回の講演では、私が長年携わってきた「能力Qと経営変革」というテーマで、東電関係会社や政府機関の経営が従来の日本特有の伝統的経営手法では厳しい現在の環境は乗り切れないこ... <table border="1" cellspacing="5" cellpadding="5" width="520"><tr><td>演題:「能力Qとこれからのエネルギー関係の経営者像」~東電経営陣の問題点は?~<br />日時:2011年5月26日(木)18:30~20:30<br />場所:上智大学ソフィアンズクラブ<br />講演者:東京エグゼクテイブ・サーチ株式会社副社長 加藤春一('68経経)<br />参加者:33名</td></tr></table><br /><br /><a href="http://blog-imgs-34.fc2.com/c/u/m/cumsophia/cs110526038.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-34.fc2.com/c/u/m/cumsophia/cs110526038.jpg" alt="cs110526038.jpg" border="0" width="400" height="268" /></a><br /><br /> 今回の講演では、私が長年携わってきた「能力Qと経営変革」というテーマで、東電関係会社や政府機関の経営が従来の日本特有の伝統的経営手法では厳しい現在の環境は乗り切れないことを具体例で説明させていただきました。<br /><br /> 震災で起きた福島原発の事故に対する対応でも取り沙汰される、東京電力の体制などを例に、日本型の経営から欧米型の経営に変革させてゆくためには、<br /><br />1.年功 終身 学歴主義の ピラミッド構造の組織は<br />  ・前例主義 ・稟議制度 ・上を見た合議<br />  緊急 重要事態では 機能しない<br />2.経営者はこの様なシステムに胡坐をかいてきているので<br />  応用力 対応力、適応力が無い<br />3.1.2の理由でトップも責任を回避し 無責任になる。<br /><br />4.更に時間軸で緊急の場合は賢慮なる(フロネシス)判断力が<br />  要求されるが、そのような経験値が無く(馬鹿ぶりで)、あたふた狼狽する。<br />5.現場優先主義といいながらも現場の最高責任者の声に<br />  真摯に聞く耳を持つリーダーがいない。<br /><br /> 伝統的会社は組織が硬直化 制度が上記のように疲弊化、人事は能力では無く年功で、結果として<br /><br />1.スピードに欠け<br />2.的確なコミュニケイショが行われなく<br />3.間違った判断を下し、結果として責任を取らない・・・<br /><br /> 無責任組織を変えるには優秀な経営者への若返り、外部からの人材登用で組織・制度を変えないと日本の経営は沈没すると申し上げました。<br /><br /><a href="http://blog-imgs-34.fc2.com/c/u/m/cumsophia/cs110526034.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-34.fc2.com/c/u/m/cumsophia/cs110526034.jpg" alt="cs110526034.jpg" border="0" width="400" height="268" /></a><br /><br /><br /> 特にグローバル化、インターネット化 オープン化 スピード化、フラット化する中で、経営者が日本の良き伝統を継承しながらも、リスクとチャンスを同一として捉え変革をして行かないと。その行為も埋没してしまう危機性があることをお伝えしました。<br /><br /> 更にリーダーシップ論ではアメリカのウエストポイントの3つのフォロワーシップ論<br /><br />◎yes or noの明確化<br />◎thank you の感謝<br />◎sorryの間違いには誤る3つの言葉<br /><br />を徹底的に鍛えられて、初めてリーダーになれることも大事であると申し上げました。<br /><br /><a href="http://blog-imgs-34.fc2.com/c/u/m/cumsophia/cs110526013.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-34.fc2.com/c/u/m/cumsophia/cs110526013.jpg" alt="cs110526013.jpg" border="0" width="400" height="268" /></a><br /><br /><br />最後に、宮本武蔵の五輪書の地の巻きに、大工の棟梁が実に日本的リーダーの極みを表現していることも披瀝いたしました。<br /><br />会場には約30人、官僚、大学教授、外資系社長経験者、マスコミ関係 若いエグゼクテイブが参集し、活発な意見交換が行われました。<br /><br /><a href="http://blog-imgs-34.fc2.com/c/u/m/cumsophia/cs110526046.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-34.fc2.com/c/u/m/cumsophia/cs110526046.jpg" alt="cs110526046.jpg" border="0" width="400" height="268" /></a><br /><br />(報告:加藤春一)
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【特別講演会】ITの進化とメディアの将来 ~ イーブック・システムズ・岡崎眞氏

日時:4月21日(木)18時30分~20時30分場所:四ツ谷ソフィアンズサロン参加人数:22名講演者:岡崎眞氏(イーブック・システムズ(株)代表取締役)演目:ITの進化とメディアの将来 ~ 巻物の時代から書籍の時代に ~「マスコミソフィア会」の定例講演会で、「ITの進化とメディアの将来」と題したセミナーが行われた。近年進化がいちぢるしいブロードバンドメディアとしての「電子書籍」の未来を窺い知れる非常に優れた内容だ... <table border="1" cellspacing="5" cellpadding="5" width="460"><tr><td>日時:4月21日(木)18時30分~20時30分<br />場所:四ツ谷ソフィアンズサロン<br />参加人数:22名<br />講演者:岡崎眞氏(イーブック・システムズ(株)代表取締役)<br />演目:ITの進化とメディアの将来 ~ 巻物の時代から書籍の時代に ~</td></tr></table><br />「マスコミソフィア会」の定例講演会で、「ITの進化とメディアの将来」と題したセミナーが行われた。近年進化がいちぢるしいブロードバンドメディアとしての「電子書籍」の未来を窺い知れる非常に優れた内容だった。<br /><br />講演された方は、イーブック・システムズ(株)代表取締役の岡崎眞氏。イーブック・システムズは、シンガポールに本社を置くE-Book SystemsPte Ltd.社を母体に、2004年に設立、ソフトバンク クリエイティブ株式会社、株式会社博報堂DYメディアパートナーズ、デジタル・アドバタイジング・コンソーシアム株式会社などが株主に名を連ねる、電子書籍関連のソリューション提供会社である。<br /><br /><img src="http://blog-imgs-34.fc2.com/c/u/m/cumsophia/MSK110421034.jpg" alt="岡崎氏" border="0" width="480" height="321" onclick="popupImage('http://blog-imgs-34.fc2.com/c/u/m/cumsophia/MSK110421034.jpg')" /><br />(講演会の岡崎氏)<br /><br /><span style="font-size:large;"><strong>■メディアの本質の捉え方</strong></span><br /><br />岡崎氏は「いつの時代も、新しいメディアは、古いメディアの形式とコンテンツを転用することから始まり、一定の時間を経て、独自の形式とコンテンツが開発される。」と語る。今脚光を浴びている電子ブックについてもその例に漏れず、それは「メディアの本質をどう捉えるか」でわかってくるのだと言う。<br /><br />彼の幼少期、第2次世界大戦の最中の1942年上海に生まれ、その後、岡山の山村で暮らす。農村での生活、靴は草履、家族は親戚一同が周辺に集まって15~20人の大家族で暮らす日々だった。たった6~70年前のことなのに、そんな生活を娘に話すと「パパは土人だったの?」と言われるくらい、現代の生活環境とは程遠いものだった。しかしその反面、豊富で安価な「資源」はたくさんあった。その豊富な資源を利用して、貧困だった社会を変えてきた。いつの時代も「豊富な資源」が社会を変貌させる・・・。<br /><br />そんな農業社会の時代、豊富にあったものは何だったのか? それは土地であり、共同で暮らす大家族=豊富な人材だった。これらを利用して日本は1950年代以降、高度成長期を迎える。そして工業社会へと変化してゆく。ここで豊富に使え、急激に価格が低下してゆく資源は、石油や石炭などのエネルギー資源。これらから自動車産業などが生まれた。そして近年の情報社会になって、それらに取って変わったものはシリコンチップだった。即ちパーソナルコンピュータの時代に変化して行ったのである。<br /><br />さて、現在の21世紀、我々が社会を発展させされる豊富な資源は何なのか?それは「通信における帯域」なのだと言う。デジタル化の技術によって、これまで狭小だった帯域を、大量のデータで分割できるようになった。つまり「ブロードバンドメディア」こそが、土地や石油やシリコンチップのように、我々の社会を変える現代の「豊富な資源」なのだという。<br /><br /><img src="http://blog-imgs-34.fc2.com/c/u/m/cumsophia/201105161711211fb.jpg" alt="社会を変えてきたものたち" border="0" width="480" height="360" onclick="popupImage('http://blog-imgs-34.fc2.com/c/u/m/cumsophia/201105161711211fb.jpg')" /><br />(社会を変えてきた資源)<br /><br />そう言われると、ソフトバンクの孫社長がうるさいほどに主張される「『光の道』構想」が思い浮かんでくる。まさに彼は、戦後トヨタが自動車で社会復興させてきたことに重なりあって見える。言われてみれば納得だが、ブロードバンドメディアの本質を捉えることで、その周りのビジネスをどうアレンジすれば良いのかが見えてくるというわけだ。<br /><br />岡崎氏は、そんなメディアの本質を紐解きながら「本」というものを改めて見つめなおしてみたと言う。<br /><br />紙(パピルス)が発明されて普及するまでに約300年、グーテンベルクの印刷技術(1455年)は約50年かかってヨーロッパ全土に普及。蒸気機関(1765年)やガソリン自動車(1885年)なども発明から普及まで約50年かかっているそうだ。ところが、大型コンピュータ(1959年)は約25年、携帯電話(1979年)も約25年で普及。近年の普及率は加速し始めている。そして、アップルなどのパーソナルコンピュータ(1989年)から25年目が再来年の2014年、この年に何か全く新しい端末機器が誕生する予感がある。そして、その年に、ブロードバンドメディアの完全普及がなされる年なのではないか。<br /><br />あと3年後、ブロードバンドメディアが完全普及した世の中。そのとき「本」はどんなものになっているのだろう。<br /><br /><span style="font-size:large;"><strong>■FlipViewerで変わる電子書籍の未来</strong></span><br /><br />彼が紹介してくれたのは「FlipViewer」という電子書籍を表示させるビューアーである。電子書籍を表示するビューアーは数々発表されているが、岡崎氏がこのビューアーを選んだ理由として、特許として様々な機能が保護できる点と、優れた閲覧性を挙げている。<br /><br /><img src="http://blog-imgs-34.fc2.com/c/u/m/cumsophia/FlipViewer.jpg" alt="FlipViewer" border="0" width="480" height="360" onclick="popupImage('http://blog-imgs-34.fc2.com/c/u/m/cumsophia/FlipViewer.jpg')" /><br />(FlipViewerホームページ)<br /><br />電子書籍は、いわゆるフィーチャーフォンでのビジネスでは、携帯小説や電子コミックで、ひとつの分野を築くまでにはなったが、これらは、あくまで、数百円程度の価値のもので、小説やコミックそのものの価値には程遠いものだ。それは、ユーザーが支払う価格としての価値は、コンテンツの内容ではなく、コンテンツを取り巻く「器」だからではないかと岡崎氏は言う。<br /><br />リアルな本を思い浮かべて欲しい。ハードカバーは新刊本、豪華な装丁が魅力、調度品としての価値もある、そういうことで高くて納得。しかし、仮に新刊として出版されたベストセラー作家の本であっても文庫の形であれば500円前後の値段しか付けられない。つまり、コンテンツにいくら支払うかは、内容ではなくて入れ物(器)の値段だと豪語する。電子書籍も、これまで、入れ物はHDD(ハードディスク)のスペースであって、限りなくタダに見えたというのだ。では、電子ブックはどこに価値を見出すのか・・・?<br /><br />ところが、昨年から利便性や表現力のあるブックリーダーとしてのiPadやAndroidなどのタブレット機器、そして、その上に載っている多種多様なアプリの登場で、電子書籍ビジネスの利便性(器の価値)が大きく変わってきたと言う。<br /><br />岡崎氏は、求められるビューアーの中核は表現の多様性だと捉えている。そこで様々なビューアーを求めて世界を捜し歩いた結果、たどり着いたのが、この「FlipViewer」だと言う。<br /><br /><span style="font-size:large;"><strong>■何を継承して何を電子化するか</strong></span><br /><br />電子書籍化の波は、大きく分けて2通りあると言う。ひとつは、紙の本のシミュレート。すべての仕様は紙の本と一緒。紙でなく、メディアが電子ブックリーダーに変わっただけのもの。そしてもうひとつは、紙ではできないことを実現させた新しい本の形を創造するもの。岡崎氏が最初に言われた「いつの時代も、新しいメディアは、古いメディアの形式とコンテンツを転用することから始まる」ことから察すれば、つまり、何を電子化し、何をこれまでどおりを継承させるかが重要になるわけだ。<br /><br />まず、何について既存の書籍の仕様を継承させるべきか。それは、本の厚みではないか。これは今どこら辺を読んでいるかを直感的に知るうえでとても大事な仕掛けである。これまでの電子ブックリーダーには、そのような細かい表現はまだまだ乏しい。ページをめくるアニメーションや栞の挿入など、ある程度の機能はあるものの、本当の意味でぱらぱらとめくる表現(Multi-Flipと言う)は、現在の電子ブックリーダー以上に派手に表現したほうが好まれる。これはたまたまめくったページで、自分の好みの記事に出会えるという意外感につながっるものだからだ。(これらすべてシンガポールのE-Book Systems社の特許となっている)<br /><br /><img src="http://blog-imgs-34.fc2.com/c/u/m/cumsophia/MSK110421011.jpg" alt="MultiFlip" border="0" width="480" height="368" onclick="popupImage('http://blog-imgs-34.fc2.com/c/u/m/cumsophia/MSK110421011.jpg')" /><br />(MultiFlipの例:講演資料より)<br /><br />方や、電子書籍として進化させるべき仕様は何か。いくつかの調査から、挿絵や写真は動いたほうが良いものがあることがわかった。また、電子的な文章の特徴であるハイパーテキストをふんだんに使った本に進化させたほうが都合の良い結果も現れた。文章の中の重要語句がすべて注釈とリンクしていたり、さらには、その注釈部分が膨大にあっても電子書籍はびくともしないし、読みにくくもならない。何らかの手順を説明するにしても、文章や写真よりも動画やアニメーションのほうが、はるかに優れている。たとえば、お店紹介も、写真に店先ののれんをかけておき、そこをくぐるような動作で、店内の情報に入り込む、そんな旧来の本にはあり得ない表現こそが電子書籍ならではの表現が一般的になってゆくと彼は考えた。<br /><br /><img src="http://blog-imgs-34.fc2.com/c/u/m/cumsophia/Manyo004.jpg" alt="雑誌の例1" border="0" width="480" height="368" onclick="popupImage('http://blog-imgs-34.fc2.com/c/u/m/cumsophia/Manyo004.jpg')" /><br>(雑誌の例1)<br /><img src="http://blog-imgs-34.fc2.com/c/u/m/cumsophia/Manyo007.jpg" alt="雑誌の例2" border="0" width="480" height="368" onclick="popupImage('http://blog-imgs-34.fc2.com/c/u/m/cumsophia/Manyo007.jpg')" /><br>(雑誌の例2)<br /><img src="http://blog-imgs-34.fc2.com/c/u/m/cumsophia/Manyo012.jpg" alt="雑誌の例3" border="0" width="480" height="368" onclick="popupImage('http://blog-imgs-34.fc2.com/c/u/m/cumsophia/Manyo012.jpg')" /><br>(雑誌の例3)<br /><br /><br />最後にビジネスをする上で最も重要な収入源、広告をどうするか。広告に関しては、これまでのナローバンド時代のバナー広告はある意味で失敗だったと言う。早く中身を見たい読者に、見たくもないバナーという面積は圧迫感さえ感じさせる。しかし「ページをめくる」という行為は、次のコンテンツが約束されていないため、たまたまめくった先に広告があっても違和感なく取り入れられると考えた。従って、これまでのバナー広告では不可能だったブランディング効果が最大限発揮できるようになると直感したそうだ。広告を閲覧する都度に読者の年齢や職業、趣味などで入れ替わる手法も効果が発揮されるのだ。(これも特許になっている)<br /><br />そのような仕様をすべて具現化してくれたのが「FlipViewer」なのだ。<br /><br /><span style="font-size:large;"><strong>■FlipViewerで巻物が書籍へ・・・</strong></span><br /><br />ささらに岡崎氏は語る。これまで以上の快感でぱらぱらめくれるこの「FlipViewer」は、これまでのウエブの概念をも変える力を持っている。公開はされていないが、この技術を取り入れたASP(アプリケーションサービスプロバイダ:これを仮にFlipブラウザと命名する)を用意すれば、なんと、Googleの検索ページも「ぱらぱらめくり」出来るようになると言う。<br /><br /><img src="http://blog-imgs-34.fc2.com/c/u/m/cumsophia/google_demo.jpg" alt="GoogleDEMO" border="0" width="480" height="300" onclick="popupImage('http://blog-imgs-34.fc2.com/c/u/m/cumsophia/google_demo.jpg')" /><br />(Googleのぺらぺらめくりデモ)<br /><br />これは、従来のIEなどのインターネットブラウザを、上から下に巻物を広げてゆく「巻物閲覧ブラウザ」と考えると、「Flipブラウザ」によって、ついにウエブ閲覧文化が、古代の絵巻物時代から、製本された本の時代に変わるときなのではないか・・・。これは大変興味ある考え方だと思った。<br /><br />岡崎氏は、まだまだ、電子書籍の価値を大きく変えられるほどの表現技術は出てきていないように思うと言う。しかし様々な表現力を付加させることで、入れ物の価値を変えることこそが、ブロードバンドメディアで社会革命をもたらすきっかけになることは間違いないようだ。<br /><p>(参考リンク)<br><br />イーブック・システムズ(株)<br /><a href="http://www.ebooksystems.co.jp/" target="_blank">http://www.ebooksystems.co.jp/</a><br><br />FlipViewer<br /><a href="http://www.ebooksystems.co.jp/products/FV-download.php" target="_blank">http://www.ebooksystems.co.jp/products/FV-download.php</a><br><br />FlipBook<br /><a href="http://stage.flipviewer.com/flipbooks/" target="_blank">http://stage.flipviewer.com/flipbooks/</a></p>
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コムソフィアミニミニ講演会:岡崎眞氏・イーブックを語る

コムソフィアミニミニ講演会:岡崎眞氏・イーブックを語る2011年2月8日(水):四ツ谷コーヒーハウス・エル講師:イーブック・システムズ株式会社代表取締役・岡崎眞氏(69理数)※来たる3月17日(木)岡崎さんの講演会を開催します。詳しくはこちらを御覧ください。マスコミソフィア会の定例幹事会にて、次回の講演会の打ち合わせでいらしていただいた岡崎眞さん(69理数)に「イーブック(電子書籍)のこれから」と題してのミニミ... <table border="1" cellspacing="5" cellpadding="5" width="450"><tr><td><font size="3"><strong>コムソフィアミニミニ講演会:岡崎眞氏・イーブックを語る</strong></font><br>2011年2月8日(水):四ツ谷コーヒーハウス・エル<br>講師:イーブック・システムズ株式会社代表取締役・岡崎眞氏(69理数)</td></tr></table><br />※来たる3月17日(木)岡崎さんの講演会を開催します。詳しくは<a href="http://cumsophia.blog106.fc2.com/blog-entry-75.html">こちら</a>を御覧ください。<br /><img src="http://blog-imgs-45.fc2.com/c/u/m/cumsophia/2011030713353517f.jpg" alt="岡崎眞氏" border="0" width="400" height="300" /><br /><br /><br />マスコミソフィア会の定例幹事会にて、次回の講演会の打ち合わせでいらしていただいた岡崎眞さん(69理数)に「イーブック(電子書籍)のこれから」と題してのミニミニ講演をしていただきました。<br /><br />ソフトバンクの中でいろいろな部門に在籍しましたが、最終的に出版の担当となり、特にインターネットに関しては孫さんが舵を取っていましたが、出版部門の人間としては、電子ブックにとりくまざるをえなかったので、かなり早くから電子ブックの担当をしていました。<br />一番 最初に関与したのは「eBookJapan」という独立系の会社で、資本を集め自分も出資をして会社を立ち上げスタートしました。取締役として、そのビジネスをみていて、その時以来、非常に痛感しているのは、今、もてはやされている電子ブックは紙の本をいかにモニターで読むかという電子ブックで、一応市場はあるが、おそらくそんなに長くないと自分は思っています。<br />●出版業界と映画興行の比較<br />出版業界というのは、自分がいたのでわかりますが、やり方が下手で、興業的にうまいのは映画業界です。つまり、映画はウィンドウという発想で考えると、お金を沢山取れるところから順番に窓をあけていく。一番館のロードショ―(1,800円)、その後に、2番館、レンタルテレビなど400円くらい、レンタルビデオ一人5,000円くらいとる。(セルビデオ購入者は必ずレンタルビデオを一回借りているので、順番が逆になります。)そのあとテレビの地上波だと数10践、最後は深夜枠と順番に6段階くらいに、上映されていきます。<br />それに対して、出版業界は 最初にハードカバー1,800円くらいで出して、その後、新書版やペーパーバッグ(1、000円とか500円)になるという2段階くらいしか販売モデルがありません。<br /><br />●メディアについて<br />メディアには所有するメディアと利用するメディアと2つあります。<br />所有するメディアとは 画集やCDのようなもので繰り返し見て所有したいものですが、それに対して、1回きりで見ることがほとんどないものは、利用するメディアでよいと思っています。<br />出版業界は、上記の2つを分けずに、必ず所有させるメディアでやってきたので、図書館が同じ本を沢山購入して皆に配る等、そのあたりの本質的なところで、販売モデル、つまりウィンドウイングがきちんとできていないと思います。<br /><br />●メディアの発展(歴史)について<br />話がずれましたが、紙の本をモニターでみるというのは、言ってみれば、映画でいうと最後の深夜枠のテレビ番組のようなもので、もう売れないと、本屋にもおいておけないし、在庫しておくのもできないというようなものがでてきているので、これでは売れないと自分はずっと思ってきました。<br /><br />携帯電話がでてきて マンガが電子ブックで売上がよかったのですが、その例をみますと、マンガは10話くらいに一話をわける、一話50円であわせて500円で流通しますが、紙代金、配送代金等を考えると、電子ブックのほうがずっとコストパーフォーマンスがよいということになり電子ブックにシフトしてきました。しかし、伸びなかった理由は決済手段が理由です。例えば、駅ではたった3秒で新聞はすぐに買えますが、インターネットは3-5分くらい購入するのに時間がかかるというデメリットがあります。<br /><br />結局、電子ブックというのは、紙の本のコンテンツとして、既存のコンテンツを利用するというのが一番よい、というのは、それは過去のメディアの歴史をみても新しいメディアがでてきたときには古いメディアを、のせかえてスタートしているということからもわかります。<br /><br />まず、映画は演劇にとってかわりました。演劇は1カ所しか上映できないが、映画は1回撮ると各地で上映できる。テレビは最初、ラジオ番組を焼きなおしたり、スポーツ中継、歌舞伎をやったりしてきたが、結構長く、10年くらいたって、1964年にワイドショ―がスタートします。これは画期的なもので、それまでラジオ、映画も、ひとつの市場をもって、何か結論をだして、われわれはこう思うというものを出す形でした。ところがワイドショ―はコメンテーターを横に並べて、くちゃくちゃ、昨日や今おこったことをしゃべらせて、それに触発されて家庭で何か話題になればよいというように、わりきった手法で、結論なんかださなくてよい形式です。それがテレビ的だったし急速に普及しました。<br />最初に昔の「木島則夫モーニングショ―」がスタートし、「小川宏ショ―」、「スタジオ102」、昼間は「桂小金治ワイドショ―」夜は「11PM」と一気に広がっていきました。<br />その後TVはバラエティーというものを発明しました。実は初期のころのTV番組を調べたことがありますが、ワイドショ―を境に何が変わったかというと、沢山あった海外ドラマ(例:「ベンケーシー」、「ローハイド」、「名犬ラッシ―」等)や時代劇がほとんどなくなりました。理由は、なぜかというと人々は、テレビに話題を求めたからです。<br />話題を提供できないような番組は急速に衰えるということです。消えたドラマは最初が、大型ホームドラマ、下町ドラマ、トレンディ―ドラマで、まさに「話題を提供できるようなもの」に代わられてしまいました。つまりそれはメディアの本質を、やっと10年くらいたってテレビがやっとそれを見つけたことだと思います。<br /><br /><img src="http://blog-imgs-45.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20110307133719b81.jpg" alt="岡崎さんRIMG4423" border="0" width="400" height="300" /><br /><br /><br />●電子ブックとは?<br />次にわれわれの電子ブックはどうあるべきかを考えると、紙の本を移し替えるというのは一定の期間しかないと私は思います。<br />私は新しいメディアとしての出版物として、電子ブックは紙とは違う方向にいくと信じています。実は、今から3年くらい前から、かなり先端的な紙で表現できない本を沢山造ったが、いつも早すぎて、なかなか市場が開けてくれませんでした。もうひとつの問題は有料か無料かという問題があります。私が一貫して思っているのは、やはり無料であるということと、もうひとつは、理由は広告の問題があるのですが、インターネットというのは実は広告としては、ものすごい勢いで伸びていますが、かなり限定的な広告です。それは、広告で一番大事なのはブランディング広告です。ひとつの商品のブランドを良いイメージと結びつけて、繰り返して、人々に提供し続けると実際に消費行動に移ったときに思わずそっちのブランドに手がでる。例えば皆さんが、ビール売り場で、キリン、アサヒ、サッポロ、サントリーには手がでるが、味は変わらないはずなのにオリオンビールには手を出さないでしょう。そういうブランドをいかに心の中に植え付けるかという意味では、テレビは圧倒的に強いし、また大きなスペースがとれる新聞雑誌も一定程度のスペースを持っています。<br />ところがインターネットは大きなスペースはとれません。理由はインターネットの構造は、「あなたは次に何をみたいのですか」といつも聞いてくる構造になっています。私はこれを見たいというときにそれ以外のものがでてくるのは、大変不快な感じを与えます。<br />私も何度もやったが、一定程度のスペース以上にするとものすごいクレームがきます。<br />また、中心には、配置しにくいので、視野の周りに入る程度の広告です。<br />これは、インターネットそのものがUSAから入ってくるときにビジネスモデルを実はまちがえたのが原因です。大きくいうと民間放送モデルと新聞雑誌モデルと2つあって民間放送モデルは、視聴者からお金をとらない、雑誌新聞は両側から、広告もとるし、本人からもとる。それは 広告効果の違いがあるからです。テレビは強烈なインパクトをもっています。人がある番組を見ている途中でテレビCMは、切り込むように入ってくるので、極めて強烈です。それに対して、新聞等は極めてやさしい、限定的広告です。<br />もしインターネットがバナー広告程度しか使えなかったら、最初から民間放送モデルを使うべきではなかったということでしょう。しかし、アメリカから入ってきたものなので仕方がありませんでした。従ってインターネットで成功しているのは、コンテンツ屋ではなく、YAHOO,インベーダー?だったり、インターネットをツールとして使い、何らかのサービスを提供している集団で、メディアではありません。<br />そういう意味で、電子書籍の特徴は何かというと全面広告をだせるメリットがあります。<br />ページをめくるという行為は次のコンテンツを指定していないから、全面ページ広告がめくって、でてきても違和感がありません。従ってインターネットの広告の中にブランディング広告を入れられます。従ってインターネット広告の市場としても非常に可能性があると思うので、これからも無料の電子書籍を中心に広告市場を広げて、市場に出ていけると思います。<br />もちろん有料のものもあり、 在籍したソフトバンククリエイティブからは ハ―レクィーンの小説をだしたが、月刊200万くらいでてめちゃくちゃ儲かっています。電子書籍はよいが、最終的に着地するのは、おそらく、無料の雑誌か書籍かわかりませんが、そのようなもので、広告が収益であろうと私はみています。<br /><br />●文字メディアと電子書籍の今後<br />最後に、メール配信についてですが、ひとつ非常に重要なことはわれわれも認識しないといけないことは、我々は長い文章を読めなくなってきています。例えば、インターネットが出る前の時代、報告書はA43枚にまとめろといわれて、厚いのがくると怒っていましたが、今はA43枚どころかA41枚のメールを送られても、むっとします。ものすごい長文は読めなくなってきています。<br />非常に瞬間的な情緒的な判断でものごとを決めています。ですからおそらくメールマガジンは読まれません。ところが電子書籍にすると不思議と長い文書を読んでくれます。文字から論理を考えながら、ものを決めるのは、おそらくとても重要な行為です。それに対して 音から入ってくるというものは、元にもどれません。TVも映画もそうだが送り手側が勝手にタイミングをコントロールしているのに対して、文字情報の書籍は、おかしいと思ったら、もどることができます。オーディオブックも、どんどん勝手に進まれて、おかしいと思っても止めることがなかなかできません。<br />文字メディアが生き残っていくことはとても大切なことだとそういうことで私は思っています。<br />特にグーテンベルグが印刷術をはじめてからまだ600年くらいしかたっていないが、その間に技術革新がいろいろあって例えば絵や写真がでるようになりました。 印刷技術によってLIFEのような有名な写真誌や、カラー印刷ができることによってファッション雑誌がでてきました。<br />今度の電子ブックは音も、映像も、アニメーショ―ンも全て一つのページの中でできます。それはグーテンベルグが 印刷技術を開発して以来、出てきた歴史の中で、もっとも大きな変革だし、メディアとしての可能性は広がると思います。そういう意味でこのメディアをどういう風にもっていくかは非常に重要ですし、特に日本が実は一番すすんでいます。インターネット環境に関しては、USAは、まだ遅れていて、一番進んでいるのは日本です。このメディアをどのように育てていくかということは世界に影響するようなことだといえると思います。<br /><br />20分くらいでしたがありがとうございました。<br />(取材:山田洋子―77外・独)<br /><hr>岡崎眞略歴<br />1942年 上海生まれ、68歳<br />1967年上智大学理工学部電気電子工学科卒業、1969年数学科卒業<br />東洋エンジニアリング株式会社を経て、1989年ソフトバンク株式会社入社<br />常務取締役出版事業部長、ソフトバンクメディアマーケティングホールディングス&#65533;代表取締役など<br />現在イーブック・システムズ株式会社代表取締役<br />http://www.ebooksystems.co.jp/
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コムソフィア講演会開催

マスコミソフィア会特別講演会開催ソフトバンクメディアマーケティングホールディングス(株)代表取締役などを経て、現在イーブック・システムズ株式会社代表取締役を務める岡崎眞氏(69理数)の講演会を開催いたします。みなさまお誘い合わせの上ご参加頂ますようよろしくおねがいします。※これに先立ってマスコミソフィア会定例会で、電子書籍の未来についてミニミニ講演会をしていただきました。こちらのほうは、こちらを御覧... <table border="1" cellspacing="5" cellpadding="5" width="450"><tr><td><font size="4"><strong>マスコミソフィア会特別講演会開催</strong></font></td></tr></table><br /><img src="http://blog-imgs-45.fc2.com/c/u/m/cumsophia/20110307135057729.jpg" alt="岡崎さん" border="0" width="100" height="100" align="left" /><br />ソフトバンクメディアマーケティングホールディングス(株)代表取締役などを経て、現在イーブック・システムズ株式会社代表取締役を務める岡崎眞氏(69理数)の講演会を開催いたします。<br />みなさまお誘い合わせの上ご参加頂ますようよろしくおねがいします。<br /><br />※これに先立ってマスコミソフィア会定例会で、電子書籍の未来についてミニミニ講演会をしていただきました。<br />こちらのほうは、<a href="http://cumsophia.blog106.fc2.com/blog-entry-74.html">こちら</a>を御覧ください。<br /><hr>マスコミソフィア会3月講演会<br />講師:岡崎眞氏<br />日時:2011年3月17日18:30ー20:30(懇親会を含む)<br />場所:四ツ谷上智大学ソフィアンズ・クラブ<br />会費:会員1000円、 非会員2000円(学生500円)<br /><img src="http://blog-imgs-45.fc2.com/c/u/m/cumsophia/sophiansclub_map.gif" alt="sophiansclub_map.gif" border="0" width="400" height="341" /><br /><br /><hr>講演内容:ITの進化とメディアの将来<br /><br />概要:いつの時代にあっても、新しいメディアは、古いメディアの形式とコンテンツを転用することから始まり、一定の時間を経て、独自の形式とコンテンツが開発される。今脚光を浴びている電子ブックを中心に、メディアの本質に立ち返り、ブロードバンドコンテンツビジネスついて考察する。<br /><br />第一部:プロローグ デモ:電子ブックの最前線<br /><br />第二部:メディアが社会に与えるインパクト<br /><br />第三部:ITの進化とメディアの将来<br /><br />我々はどういう時代にいるのか?<br />1.紙の出版物は電子メディアに取って代わられるか?<br />2.ブロードバンドコンテンツビジネスについての考察<br />3.有料化と広告についての考察<br /> &#65533;有料コンテンツビジネスはなぜ成功しないか<br /> &#65533;バナー広告の限界<br />4.電子書籍の可能性<br /> &#65533;コンテンツの閲覧機能としてのページFlipping<br /> &#65533;企業の情報発信の形態<br />5.メディアと表現形式<br />6.文字メディアの重要性<br /><hr>尚参加者希望の方はマスコミソフィア会までメールにてお申し込み下さい。<br />info@cumsophia.jp <br /><hr>岡崎眞氏 略歴<br />1942年 上海生まれ、68歳<br />1967年上智大学理工学部電気電子工学科卒業、1969年数学科卒業<br />東洋エンジニアリング株式会社を経て、1989年ソフトバンク株式会社入社<br />常務取締役出版事業部長、ソフトバンクメディアマーケティングホールディングス&#65533;代表取締役など<br />現在イーブック・システムズ株式会社代表取締役<br />http://www.ebooksystems.co.jp/
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【特別講演会】サンケイリビング新聞社取締役会長 菊野善衛氏に聞く

マスコミソフィア会 特別講演会「フリーペーパーの歴史とこれからの予測について」~マスコミ業界の将来~講師:(株)サンケイリビング新聞社取締役会長 菊野善衛さん(1963文新)2010年10月13日(水)18時30分~ ソフィアンズクラブにて菊野善衛氏の講演会が10月13日(水)にソフィアンズクラブ開催されました。フリーペーパーの定義・位置づけ・歴史について、日本の新聞、ラジオ、テレビ、雑誌の4マスコミ史の流れを、イ... <table border="1" width="450" cellspacing="5" cellpadding="5" bordercolor="#333333"><tr><td>マスコミソフィア会 特別講演会<br />「フリーペーパーの歴史とこれからの予測について」<br />~マスコミ業界の将来~<br />講師:(株)サンケイリビング新聞社取締役会長 菊野善衛さん(1963文新)<br />2010年10月13日(水)18時30分~ ソフィアンズクラブにて</tr></td></table><br /><a href="http://comsophia.files.wordpress.com/2010/10/e88f8ae9878ee59684e8a19be38195e38293a.jpg"><img src="http://comsophia.files.wordpress.com/2010/10/e88f8ae9878ee59684e8a19be38195e38293a.jpg" alt="" title="菊野善衛さんA" width="400" height="281" class="alignnone size-full wp-image-257" /></a><br /><br />菊野善衛氏の講演会が10月13日(水)にソフィアンズクラブ開催されました。<br />フリーペーパーの定義・位置づけ・歴史について、日本の新聞、ラジオ、テレビ、雑誌の4マスコミ史の流れを、イエロー・ジャーナリズムも含めて、業界全体の抱える問題と合わせて説明されました。<br />2007年を契機に、業界全体がリーマンショック、資源の高騰、ITの新媒体の台頭によってシュリンクすると、フリーペーパーは大きな打撃を受け、さらに、エコロジー重視の環境の中、厳しい状況に陥ってしまいました。フリーペーパーはだれにでも作れる反面、リスクも大きいがビジネスとしては面白い。しかし、会社組織として、広告収入に頼る業界のあり方についても、活発な議論がされました。<br /><br /><a href="http://comsophia.files.wordpress.com/2010/10/e88f8ae9878ee38195e38293rimg0284.jpg"><img src="http://comsophia.files.wordpress.com/2010/10/e88f8ae9878ee38195e38293rimg0284.jpg" alt="" title="Exif_JPEG_PICTURE" width="400" height="300" class="alignnone size-full wp-image-259" /></a><br /><br />中国のノーベル平和賞の事件もツイッタ―という新ツールによる情報発信が引き金となり、中国政府が情報操作できなかったことは、国家が統制できる従来のマス媒体以外のものが世界中で使用され、社会メディアの環境が大きく変わった象徴的な出来事であり、今後は、さらに先をいく心理学・社会環境にも配慮した新しいデジタルサイエンスのツールの開発が進められ、隙間を狙う新メディアが出てくるだろうとのお話でした。<br />現在のマスコミ全般の問題について、経済・社会とも関係する大変奥の深い内容で、新聞学科の現役学生も含め多くの方に是非、聞いていただきたかったと思いました。<br /><br />取材要約:山田洋子(1977年外独)<br /><br />
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【特別講演会】元WFP職員・松村裕幸氏のアフリカ体験26年 2010/9/03

アフリカ26年の体験―最後の任地ギニア・ビサウ(アフリカ問題の縮図)」 ~中国はアフリカで何をしているか?~講師:元WFP(国連世界食糧経計画)職員(第12回(2002年)コムソフィア賞受賞)松村裕幸氏場所:2010年9月3日(金)18時30分~ソフィアンズクラブにて元WFP(国連世界食糧計画)職員の松村裕幸氏の講演が9月3日(金)ソフィアンズクラブにて開催されました。今回は、最近の中国とアフリカの関係についての内容でし... <span style="font-size:large;">アフリカ26年の体験―最後の任地ギニア・ビサウ(アフリカ問題の縮図)」 ~中国はアフリカで何をしているか?~</span><br /><br />講師:元WFP(国連世界食糧経計画)職員(第12回(2002年)コムソフィア賞受賞)松村裕幸氏<br />場所:2010年9月3日(金)18時30分~ソフィアンズクラブにて<br /><br /><a href="http://comsophia.files.wordpress.com/2010/10/e69dbee69d91e38195e38293e4b896e7958ce59cb0e59bb3s100903.jpg"><img class="alignnone size-full wp-image-198" title="松村さん世界地図s100903" src="http://comsophia.files.wordpress.com/2010/10/e69dbee69d91e38195e38293e4b896e7958ce59cb0e59bb3s100903.jpg" alt="" width="400" height="300" /></a><br /><br />元WFP(国連世界食糧計画)職員の松村裕幸氏の講演が9月3日(金)ソフィアンズクラブにて開催されました。今回は、最近の中国とアフリカの関係についての内容でした。前半は、アフリカの地理、歴史、日本との関係、鉱物資源国としての重要性、諸問題について、後半は、中国のアフリカ進出の現状について、日本の外交関係との比較を、具体的に数字等を交えてわかりやすく説明されました。「援助」という名目でお役所仕事をしている国連や日本の政府関係に対して、中国は、人と金を投資して、アフリカと良い関係を築き、自分逹に必要なエネルギー資源を積極的に手に入れています。中国は元首クラスの人が頻繁にアフリカに行っているのに、日本政府には戦略が全くなく、過去10年間で森元首相が行かれたくらいだということで、日本の今後の積極的な動きが急務だと感じました。質疑応答も活発に行われ、有意義な2時間半で、もっと多くの方に伝えたい内容でした。コムソフィアオンラインでは、引き続き連載を発表してゆくそうなので、より多くの方々に読んでいただければ幸いです。<br />------------------------------<br />(取材)山田洋子(1977年(昭和52年)外国語学部ドイツ語学科卒)<br />------------------------------
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